星詠みの皇女外伝 Edge of Tomorrow 作:ていえむ
そして、運命の日。
開始を五分前に控えたサバフェス会場で、二つの影がぶつかり合っていた。
一方は水着に身を包み、槍を構えた茨木童子。術理も何もない無茶苦茶な太刀筋ではあるが、鬼が持つ屈強な力と獣の如き身のこなしで宙を舞う。
もう一方はフォーリナーハンターXX。異郷からの来訪者は、鋼の装甲で刃を受け止め、光弾や手にした槍を振るって地を駆ける。
野性の力と機械の力。全く異なる法則が乱れ飛び、互角に鍔ぜり合う光景はそれこそ絵空事のようであった。
しかし、これは紛れもない現実である。
「くっ、原生英霊の抵抗がこれほどとは……!」
弾かれ合った両者は相対した獲物を睨みつけた。
全身傷だらけになりながらも凶暴な笑みを浮かべる茨木童子と、噴煙を出しながら関節を軋ませるXX。
今まではXXの強固な装甲とパワーに押されて仕留め切る事ができなかったが、周回を重ねて動きを見切った事と、茨木童子の加勢によって少しずつ押し込めるようになってきた。
XXも余裕がなくなってきたのか、今までのように機械的な合成音ではなく生の声を発している。
これならば、自爆を許すことなく倒せるかもしれない。
「かくなる上は、この甲冑を爆破し……」
「くらえぇっ!!」
XXの注意が逸れた瞬間を見計らい、茨木童子は手にしていた槍を投げ放つ。
構えも何もなっていない雑な投擲ではあったが、不意を突かれたXXはそれを躱すことができない。鬼の怪力で放たれたその一撃はXXの仮面を破壊するには十分な威力を持っていた。
「武器を投げるなんて!?」
「隙ありよ!」
顔を手で覆い隠した事でがら空きになった胴体に、ジャンヌ・オルタの一撃が入る。
ぐらりと揺らいだXXは、何とか転倒を堪えようと仰け反ったまま数歩後退った。
瞬間、茨のような蔦がXXの足を絡め取る。ロビンフッドが事前に仕込んでいた罠だ。
「あいたぁっ!」
盛大な音を立ててXXは尻餅を突き、その衝撃で幾つかの部品が弾け飛んだ。
顔を隠していた手が地面に投げ出され、謎だった素顔が白日の下に晒される。
その仮面の奥の素顔を目にした瞬間、対峙していた一同は思わず言葉を失った。
「なっ……」
見間違うはずもない。
美しい金髪に青い瞳。顔つきは若干、大人びているが、仮面の奥から覗かせているのは間違いなく自分達のよく知る人物であった。
「アルトリア……いや、Xか!?」
謎のヒロインX。サーヴァントユニヴァースなる謎の世界からやってきた英霊なんだかよく分からない者。
正統派セイバーを名乗りながら正々堂々と闇討ちを行う非道なアサシンである。もう一度言うがアサシンである。
確か彼女は同窓会に出ると言って里帰りをしていたはず。なのに、どうしてこんな甲冑を着込んでルルハワで暴れているのだろうか。
そこまで考えて、カドックは違和感を覚えた。
確かに目の前の少女はヒロインXと同じ顔をしているが、先ほども述べたように少し大人びている。それに霊基反応もフォーリナーのものだ。
ヒロインXと同一人物なのだとしたら、霊基はアサシンでなければならない。
ならば、導き出される答えは一つ。彼女はヒロインXであってヒロインXではない。
アーサー王が武器によって異なる側面を持つように、彼女もまた自分達が知るヒロインXとは異なる時間軸からやって来た未知の存在。
ヒロインXの異なる側面、或いは未来の姿。
言うならば謎のヒロインXXだ。
「痛……
正体が露見した途端、地金が出てきて支離滅裂なことを口走るXX。その姿を見て、カドックは自らの推測が正しいことを実感した。
この訳の分からなさ、明らかに見えていてはいけないものまで視えているイロモノっぷり、間違いなくサーヴァントユニヴァースの出身だ。
「X……いや、XXか。僕らのことを知っているなら話は早い。何でこんなことをしているんだ?」
「なにって、マジメにお仕事をしているんです! 今は銀河警察のサーヴァントなので!」
「警察……あんたが……就職?」
信じられないものを見たとばかりに、ジャンヌ・オルタが眩暈を覚える。
口を開けば『セイバーぶっ飛ばす』と叫んで
雇用主はいった何を考えて彼女を採用したのだろうか。根は真面目とはいえ彼女は明らかに勤め人には向いていない。まさか、何かしらのコネか弱みに付け込んだのだろうか?
「失礼な! ちゃんと応募して面接を受けました! 銀河警察は宇宙の平和を人知れず守る民間の秘密組織、職場環境はブラックどころかダークマターですが、宇宙の正義を司る有志の団体です!」
「潰れてしまえ、そんな会社!」
そういうものは警察とは言わない、自警団だ。一歩間違えればテロリストである。聞いている限りだと活動規模は銀河系全域。そんなものがまかり通るのなら、サーヴァントユニヴァースは世も末である。
「ふっ、あなたに分かりますか? 気の合う無法者達もみんなオトナになって、私も職に就かないと立つ瀬がないなー、なんて悲しい気持ちが。ええ、軽い気持ちでこの職場を選んだことは後悔していますがそれはそれ! 社会人である以上はノルマは絶対です! 夏休みを会社に殺された私の恨み思い知れ!」
(そんな事があったのか……)
ルルハワへ出発する前のカルデアでのヒロインXとの会話を思い出す。
彼女は恐らく、出席した同窓会で自分だけが周りから取り残されていると思ったのだ。
だから、一念発起して就職活動を行い、銀河警察の門を叩いた。
その結果がこれなのだとしたら――――明らかに人生設計間違えている。
期待を胸に訪れた職場は、休日返上で銀河の果てまで出張させる暗黒企業。多分、メーデーもないのであろう。国が国なら訴訟ものである。
きっと新興宗教に引っかかるように、聞こえの良い売り文句を鵜呑みにして応募したのだろう。
「何とでも言いなさい! 私の目的は他のフォーリナーです。あなたには恩もありますので今回は痛み分けとしますが、次はこうはいきません! さよなら涙、おはよう勇気、来週もお楽しみに!」
一方的に捲し立て、XXは外装を装着しなおして足や背中の噴射口から魔力を迸らせる。
そして、こちらが呆気に取られている内に、自身が会場へ突入する際に空けた天上の穴を通って空の彼方へと消えていった。
「行ってしまった」
呆然と、立香が呟いた。
色々と新しい情報が手に入ったのは大きいが、却って謎が増えてしまった気がする。
当初、XXは何らかの悪意を持って動いているのだと思っていたが、彼女の正体はヒロインXが成長した姿で、しかも企業人として職務を全うする為にサバフェスを妨害しようとしているらしい。
銀河警察とやらが全ての黒幕なのだとしたら話は別だが、もしもXXの方に義があるのだとしたら、このルルハワで起きている異常事態は根本から引っくり返ることとなる。
そうなると、やはり怪しいのはBBだ。
彼女は女神ペレを復活させる為にサバフェスを利用していると言っていたが、巌窟王が危惧した通りならばその前提はブラフということになる。
そもそも、女神ペレが弱っていた原因は特定できていない。XXに倒されたのかもしれないというのはただの推測で、BBはイエスともノーとも言わなかった。
もしも――もしもその原因がBBにあるのだとすれば――。
「カドック……」
「後にしろ。BBがまだそこにいる」
XXとの戦いの余波で破損した会場を修復しているBBの姿をチラリと見やり、カドックは口を噤んだ。
今はまだ推測の域を出ない。事実を確かめる為にはまず、XXから話を聞く必要があるだろう。それまでは何も知らない振りをして、BBの手の平で踊り続けねばならないのだ。
運命の車輪は回る。
永遠に続くかと錯覚されるほどの夏の日々にも少しずつ変化が起こり始めてきた。
未だ遠くとも終わりは近づいてきている。
その事実に対して、カドックは胸中で一抹の寂しさを覚えるのであった。
□
その日の夜。
時刻は日付が変わる直前の午後十一時五十五分、カドックとアナスタシアはホテルを抜け出してワイキキストリートを歩いていた。
昼間は観光客でごった返し、夜もネオンやストリートパフォーマーで賑わう大通りも、さすがにこの時間となっては閑散としていてどことなく不安を感じさせる。
覗き込んだ裏路地は外套もなく先が見えず、何が潜んでいるのかも分からない。路肩に転がったゴミや道路の汚れ、派手な衣装の女性達や怪しい集団も見受けられ、アングラな雰囲気を醸し出している。
煌びやかな観光地とは違う、暗くてどこか湿った裏の顔がそこにはあった。
それでもこの辺はまだマシな方で、クヒオアベニューの辺りは夜間は要注意スポットだ。間違っても一人で出かけてはならないし、何かあっても自己責任だ。
「アナスタシア、あまり離れないように」
「ええ……ねえ、急に外へ出たいなんて、何かあったの?」
「確かめておきたいことがあるんだ。このループ――七日目から初日にどうやって戻っているのかって」
前日までの疲れがあるのか、サバフェスが終わるとみんな日付が変わる前には寝入っている。
それでも何度かベッドの中で目を開けていたこともあったのだが、気が付くといつも初日の空港に戻されていた。
スマホのビデオアプリで録画していても記録は残らず、どうやってループしているかの仕組みは分からないままだった。
そのようなものと言えばそれまでだが、BBの事が信用できない以上、気になった事は少しでも調べておく価値はあるはずだ。場合によってはサバフェスで売り上げ一位になるのとは違うゴールが見えてくるかもしれない。
なので、今回はこうして夜の街に繰り出したのである。
立香達に声をかけなかったのは、万が一を懸念してのことであった。
万が一、このまま意識を保ち続けて日付を跨いだ時、何らかの不測の事態で初日に自分が戻れない可能性も考慮しておかなければならない。
「そろそろ日付を跨ぐな……アナスタシア、周囲を警戒してくれ……」
通りの邪魔にならない路肩の端へと身を寄せながら、カドックは時計を見やる。
聞こえてくる鼓動の音は、まるでカウントと告げる鐘の音であった。
思わず緊張で手足が強張る。
少しでも意識を保てるよう、拾った石を握り締めて手の平に傷をつける。
やがて、時計の秒針がゆっくりと十二時に至ると、世界が一変した。
「なっ……!?」
一瞬の内に、世界から光が消えた。
店頭を彩るネオンも、街路を照らす街灯も、建物から漏れていた照明の光も、何もかもが消え去った。
停電なのかとも思ったが、一歩を踏み出すと違和感に気が付いた。
音がしない。
アスファルトを踏み締める音も、思わず蹴っ飛ばした小石が転がる音も、何かに吸い込まれているかのように聞こえない。何より人の騒めきが聞こえない。決して多くはなかった通行人の姿が、いつの間にか神隠しにあったかのように消え去ってしまったのだ。
匂いがしない。
裏路地に漂うゴミやアルコールの匂い、風と共に運ばれてくるはずの潮の香り、花々の匂い、まるで最初から存在しなかったかのように何も香らない。
何もかもが静止した薄暗い異様な世界、ただ星々の輝きだけが周囲を照らす中で、カドックはアナスタシアの手を取って周囲を警戒した。
何かが起きている。
このルルハワで、今まで与り知らなかった何かが今、目の前で起きているのだ。
「アナスタシア、何が視える?」
「いえ、何も……何も視えません。ここには何もない……この先には何も……今、ルルハワに残っているのはこの一画と……あ、ああ……なに、燃えるようなあの赤い……ああああ!」」
狂乱したかのように頭を振り乱し、アナスタシアは叫ぶ。
手を握っていなければ、そのまま走り出してしまったかもしれない。
危険な状態であると悟ったカドックは、アナスタシアを落ち着かせようと彼女を抱き寄せ、互いが密着することも厭わずに皇女の顔を自らの胸へと沈ませる。
「大丈夫だ、もう視なくていい……そう、落ち着いて……何も視なくていい……何も……」
音のない世界で、ただ自身の鼓動だけが聞こえてくる。
彼女はいったい何を視たのかは分からないが、余程恐ろしいものを目にしたのだろう。でなければ、彼女がここまで取り乱すはずがない。
恐らくは自分達は真実の一端に触れたのだ。
このルルハワを包み込む、暗い真実に。
そこでふと、カドックは気配があることに気が付いた。
何かがこちらに近づいてきている。
この状況で友好的な相手である可能性は低いだろうと思い、懐から認識阻害の礼装を取り出して起動させる。
そうして息を殺す事、十数秒。それはゆっくりと姿を現した。
その姿を何と形容すればいいだろうか。
丸く、歪で、手足どころか胴すら持たない生き物だった。
恐らくは巨大な顔なのだろうが、赤黒い肌はまるで溶岩を固めたかのようであった。それでいて血流があるのか所々が収縮するかのように脈打っている。
感覚器の類は見当たらない。目もなければ鼻も耳もない。大きな三つに裂けた口だけが体の半分以上を占めていた。
まるで子どもの落書きのような名状しがたい生物が彷徨う様は正しく悪夢であった。
(なんだ、あいつは?)
生理的な嫌悪感から吐き気を覚える。
ソレは咀嚼するように口を膨らませながら、何かを探していた。
餌を探す魚のような行動だが、見ていて気持ちのいいものではない。寧ろ怖気や不快感の方が強かった。
今まではこんなことはなかった。
建物の中にいた時は、こんな奴らの存在に気づきもしなかった。
何故なのか。
ふと目に入った街頭の時計がその答えを物語っていた。
針が止まっている。
午前零時を差したまま、時計の針はピクリとも動いていなかった。
時間の流れが止まっているのだ。七日目は終わり、しかし八日目は訪れない。
ここは昨日と明日の挟間の世界。時の牢獄の更なる奥、特異点の中の特異点。
そのような場所に自分達は迷い込んでしまったのだ。
「カドック、危ない!」
我に返ったアナスタシアが、咄嗟にカドックを突き飛ばした。
直後、ソレが大口を空けて先ほどまで二人が立っていた場所に突っ込んでくる。
勢いよく壁に激突したにも関わらず、音は何も聞こえない。空気の震えすらない。ただ不気味な生き物が蠢いているだけであった。
「くそっ、気づかれたのか!?」
「何故……どうしてカドックだけを!?」
アナスタシアが牽制するが、それは突き刺さる氷柱を意にも介さずカドックだけを追いかけてきた。
咄嗟にカドックは転がって避け、その勢いのまま跳ねるように立ち上がって疾駆する。
足を止めれば食い殺される。
アナスタシアを連れてきていた事に安堵しながら、カドックは未だ混乱する精神を何とか落ち着かせて魔術回路を励起させた。
アレは動きは素早いが直線的だ。きちんと両足に強化の魔術を使えば逃げる事は難しくない。
そう思った瞬間、更なる絶望がカドックを襲う。
飛び出したメインストリートには、自分を追いかけてくるソレと全く同じものがうじゃうじゃと蠢いていたからだ。
それらが一斉にこちらを見やり、威嚇するかのように歯を鳴らして迫ってくる光景に、今度こそカドックは悲鳴を上げた。
「う、うわああぁぁっ!」
殺される。
食い殺される。
無残に頭から齧り付かれ、胴を食い千切られる。
そうなるとどうなってしまうのだろうか。
そのまま死んでしまうのか、初日の空港に戻されるのか。
そんな場違いな疑問が浮かぶくらいの余裕があるのなら、足を動かせと自身に激昂するが、縺れた足は空を切るばかりであった。いつの間にか地面に倒れていたのだ。
「伏せてな、マスター!」
瞬間、頭上から飛来した刃がソレを引き裂いた。
聞き取る事のできない音域の悲鳴を上げながら、血飛沫すら上げる事無くソレは溶けていく。
更に投擲されるもう一本の刃が別の個体を屠り、目の前に着地したその男は最初に投げ放った刃を拾い上げてこちらを庇うように立った。
「生きているかい? OK、手足が四つに目と鼻と口、何か落としたのなら拾っていけよ。責任は取らないからさ!」
黒い肌の少年が、風を纏うように疾駆する。
向かってくる醜悪極まりない球体を、手にした歪な形の刃を振るい、獣のような雄叫びすら上げながら切り裂いていった。
跳ねるように宙を舞い、時に四つん這いになって地面を駆ける様はまるで獣のようだ。
振るう斬撃が無造作な剣舞であることもその印象に拍車をかけた。防御を厭わず、避けようともせず、我が身を食い破られる前に敵を屠る。正しく獣性の戦い方だ。
際限なく加速して肉体は、刻一刻と自壊していっている。その動きはトップサーヴァントに勝るとも劣らないが、代償として彼の四肢は一挙毎に軋みを上げていた。
傍目に見ても無茶な軌道、無体な駆動、自滅を厭わぬ活動だが、狂ったように笑う黒い少年は最後の一体を葬り去るまで止まる事はない。
だが、何十体目かのソレを切り捨てた瞬間、遂に限界が訪れた。
それはいつから受けた負傷だったのかは分からないが、ずっと皮一枚で繋がっていたのだろう。それがこの無茶苦茶な駆動で傷が深まり、引き千切れた彼の右手が音もなく零れ落ちたのだ。
「ちぃっ!」
悪態を吐く少年。
無防備となった右側から、最後の一体が迫る。
残る左手は振り抜いたばかりで、迎撃には間に合わなかった。
このままでは彼がアレに食い殺されてしまう。
そう思った瞬間、カドックの視界にこちらへと駆けてくるアナスタシアの姿が映り込んだ。
「アナスタシア、宝具を使え!」
「……『
幻影の宮殿が少年を包み込む。
恐怖体験を呼び起こすアナスタシアの夏の宝具。伝説の海賊すら沈黙させるその力は、影響下にある者に一切の物理的ダメージを与えない。それは外部からの攻撃ですら例外ではなかった。
今にも食らいつかんとした奇怪な球体生物は、壁にぶつかったボールのように弾かれて地面を転がる。すかさず、アナスタシアの放った氷柱が脈打つ肉を串刺しにし、ソレは泥のように溶けて消えていった。
「おいおい、生き残っちまったよ。ああ、良い夢見た……」
宝具が解除され、少年が転がるように幻影の宮殿から落ちてきた。
中で相当の恐怖体験をしているはずだが、特に堪えた素振りはなかった。右腕の負傷が酷くてそれどころではなかったのかもしれない。
そして、改めて目にした少年の姿は異様の一言であった。
どこか幼さの残る風貌に反して目はぎらついた獣のようで、全身には夥しい刺青がくまなく施されていて痛々しい。纏っている赤い服もボロボロでみすぼらしさすらある。
紛れもなくサーヴァントなのだが、端と目にして何の英霊なのか予想できる材料が何一つとして存在しない。手にしている武器すら歪な形で辛うじて刃物と形容できる代物であった。
「お前は……」
「ああ、ご存じない? それともハードワークが重なってホリックになりつつある? 人様の顔と名前が一致しなくなったらいよいよ限界、手前の人生の見つめ直し時だ。人生やり直すならお手伝いしますよ、マスター」
傷だらけにも関わらず、その英霊は残酷な笑みを浮かべて手にした歪な剣を掲げて見せる。
それには堪らず、アナスタシアが割って入った。
「止めなさい、黒い影の人。ロクに正体も明かさずに、不謹慎な事を言うものではありません。今すぐ凍らせても良いのですよ」
表情を歪めながら、アナスタシアは少年を睨みつける。心なしか、その顔はとても辛そうであった。
「おっと、皇女様には見えていない? 視なくて済むなら、気づかなくて済むならそれに越したことはないぜ。特にオレみたいな三流英霊なんて、見たところで笑いも起きねぇって」
そう言ってその少年――アンリマユはシニカルに笑って見せた。
「いやあ、楽しい楽しいハイキングの帰りに、まさかこんな場面に出くわすとは。マスター、お盛んなのは結構だけど、今は自重した方が良いんじゃない? R指定にゃまだ早いっしょ」
「それだけ軽口が叩けるなら、治療の必要はなさそうだな」
「無慈悲だねぇ。まあ、放っておいても後少しで今日が終わる。そうすりゃ無傷の初日に戻れるから、何とでもなるがね」
「何だって?」
初日に戻る。今、確かに彼はそう言った。
この少年もまた、自分達や巌窟王と同じくこのルルハワが同じ時間を繰り返している事に気づいているのだろうか。
「へへ、自慢じゃないけど物覚えは良い方でね。何しろ忘れるほどの量はなくて……ああ、いや。これはどこかの竜に悪いか。今の言葉は忘れてくれ、マスター。でもって、繰り返しについてはハッキリ覚えていますとも。オレに語らせたがるなんて、マスターも人が悪いね」
「カドック、この手の手合いは凍らせるに限ります。何だかメフィストフェレスと似たようなものを感じるわ」
「心外だな。まあ、オレもあいつもヒトを虚仮にしている点では同類か。ただ向いている方向がちがうだけでさ」
アナスタシアの言葉に対して、アンリマユは落胆するよう肩をすくめてみせる。
「まあ、オレもマスター達と知っている事にそう変わりはない。抜け出す方法も知らん」
「そうか。じゃ、さっきのアレは何なのかわかるか? あんな生き物見たことがない。ゴーレムやホムンクルスの類とも違った」
どちらかというと精霊や妖精の類が近いのかもしれない。だが、それにしたってあれは異質過ぎる。
お伽噺の怪物でも、もう少しマシな姿をしているはずだ。
「まるでランゴリアーズだ」
「オレはミストの方をお勧めするけどね。まあ、その話は置いといて……あれは明日になれなかった昨日。時間に取り残された無念の塊みたいなもんだ」
実際の所は、アンリマユでも詳しく分からないらしい。ただ、アレは七日目の夜が終わる瞬間から溢れ出し、行き場のない時の牢獄であるルルハワを徘徊するのだという。
元は人間のかもしれないし、ハワイ諸島の霊脈の乱れから生まれたものなのかもしれない。或いは人知が及びもしない何らかの概念という可能性もある。
ハッキリしているのは、あれが時間という概念を包括しており、この時の挟間の中でしか活動できないということと、ルルハワの繰り返しが重なる毎に数を増してきたということだけであった。
つまり、アンリマユはかなり早い段階からアレの存在を認知していたのだ。
「まあ、無視しても問題ないんですけどね。ここに紛れ込まない限りは無害だし、倒そうが倒すまいが、どうせ最後にはあのさくらんぼ娘にリソースとして食われる訳だしさ」
「さくらんぼ……まさか、BBの事か?」
「ああ、そんな名前だったっけ。そ、諸悪の根源のBBちゃん。そもそもマスター、時間を巻き戻すなんて芸当、例えサーヴァントでもそうそうできるもんじゃないですよ。特異点軽く見ちゃいけません。このルルハワは夢じゃなくて紛れもない現実な訳だから、エンジン回すにゃガソリンがいるでしょ」
「それがあいつらだって言うのか?」
特異点化により時間の流れを堰き止め、淀んだ時間そのものをリソースにして限られた期間をジャンプする。
この観測宇宙は時間に連続性がある事が大前提だ。本来であるならば七日目の次は八日目であり、時が過去に遡る事は有り得ない。
言い換えれば何もしなくとも時間は前へ前へと進むエネルギーであるとも言える。世界という超巨大なエンジンを廻すその膨大な力を利用すれば、確かに不可能ではないだろう。
そして、同じようなことを過去に行った人物を、自分はよく知っている。
彼の魔術王ゲーティアだ。彼も人類史という時間を燃料として過去への跳躍を試みた。このルルハワで行われている事は、あのゲーティアの極小版なのである。
「くそ、急に怖気がしてきたぞ」
「確かにいい気持ちはしません。後、どうしてアレはカドックばかりを狙ったのでしょうか?」
「それは……多分、僕が望んでいるからだ。この夏が……続く事を……」
もちろん、頭ではいつまでも続くはずがないと分かっている。
特異点をいつまでも放置している訳にはいかない。傷ついた女神ペレを蘇らせ、いつかはカルデアに戻らなければならない。
けれど、そのいつかが来ないで欲しいと願っている自分がいるのは事実だ。
仲間と過ごす穏やかな時間、漫画制作に追われる日々、惜しみなく魔術やサーヴァントの使役ができるXXとの戦い。
どこかでそれに快感を覚えているのだ。
自分は
一方で、それを愚かと恥じる自分もおり、茨木童子が指摘したようにこの夏を本心から楽しめずにもいた。
進みたいという思いと、留まりたいという慚愧。
あの醜悪な時の放浪者は、そんな中途半端な気持ちを感じ取って攻撃してきたのかもしれない。
「…………!」
自然と奥歯を噛み締めていた。
自分の中の嫌なところをまざまざと見せつけられたかのような気持ちだった。
怒りにも似た感情が込み上げてくる。その矛先は自分自身だ。
ここまでグズグズと悩み続けて七日間を繰り返した結果がこの様だ、情けないにも程がある。
あの過酷なグランドオーダーの旅路の果てに、自分はいったい何を見たというのだ。
あの時の思いを、後悔を、希望を、浪漫を思い出す。
認めて、受け入れろ。
この夏は名残惜しいが、終わらせなければならない。自分は前に進むのだ。
その為にも戦え、遊べ、楽しめ、後悔なんてないように、全力で。
迷いはここに置いて行け。
「へへ、良い面構えだなマスター。もう追い込まれて後がないって顔してら。両手いっぱいの荷物が零れるのも構わず行こうってか。いいね、その厚かましさ、欲深さは正しく人間だ」
ニヤリと笑うアンリマユ。人の悪い笑みだ。彼の体の刺青も笑っているかのように蠢いている気さえした。
「お前、他に何か隠していないか?」
勘ではあるが、アンリマユはルルハワで起きている事態について、自分達よりもより深い部分を知っているのではないだろうか。でなければ、この七日目と一日目の隙間である時のクレパスに気づけるはずがない。
案の定、アンリマユは笑顔を引きつらせながら遥か向こうのキラウエア火山を指差した。あそこに行けと言うのだ。
「あの鎧着たねーちゃん……えっと、謎のヒロインXXだったっけ? 彼女、あそこを寝床にしているぜ」
「本当か?」
「まあ、知らない仲じゃないんでね。年に一回、新年にあけおめメールくらいの間柄? 会った事もない相手に今年もよろしくっていうのもどうなんだろうね」
「おい……」
「ああ、悪い。でも、いるのは本当。というわけだから、
確かに、XXをこちらに取り込めれば強力な助っ人になるだろう。忘れがちではあるが、自分達の本来の目的はハワイで観測されたフォーリナー反応の調査である。
それがXXのものなのだとしたら、後は彼女を無力化するだけでいい。それは何も倒すだけでなく、懐柔も選択肢の一つなのだ。
上手くいくかは確信は持てないが、やってみる価値はあるはずだ。
「へへ、頼むぜ。お、時間切れみたいだな」
周囲の風景が少しずつ黒く塗りつぶされていく。同時に意識が何かに引きずられるかのように遠退き始めていった。まるでレイシフトのようだ。
恐らく、このまま見えない力に引っ張られて初日の空港に戻されるのであろう。
「待て、アンリマユ。最後に聞かせろ! アレはここに来なければ無害だと言ったな……なら、どうしてお前はここに来たんだ!? 僕達を助けてくれたのは偶然なんだろ?」
自分達の跡をつけてきたのではないのだとしたら、彼は別の目的があってこの時の挟間を訪れたことになる。
そう指摘すると、アンリマユは意外そうな顔をした後、顔を背けてからギリギリこちらが聞き取れる小さな声で囁いた。
「ま、誰かが相手してやんなきゃでしょ。でなきゃこいつら、どこにも逝けずに食われるだけだしさ」
意識がそこで断絶する。
カドックが最後に垣間見たのは、闇の向こうに飲み込まれていくアンリマユの姿であった。
というわけでアンリマユ登場です。
ルルハワ編書くにあたって真っ先に思いついたのが最終決戦とこの話だったりします。
そこから星詠み版ルルハワが出来上がってきた訳でして、巌窟王が今回、静観しているのも彼が動いていたからだったりします。
ちなみに作中に登場した化け物の見た目は身も蓋もなくランゴリアーズです。