星詠みの皇女外伝 Edge of Tomorrow 作:ていえむ
窓から差し込む日差しが瞼を照らし、カドックは微睡から浮かび上がった。
誰かがカーテンを開けたのだろう。日差しを浴びるのは健康にいい事だが、今だけは余計なことをしてくれたと胸中で悪態を吐く。
いつもは定時にきっかり目が覚めるのに、今日は起きようとしても瞼が開かなかった。
昨日も朝からぶっ通しで遊び尽くし、夜はジャンヌ・オルタと漫画を描いていたので、疲れがまだ抜け切っていないのかもしれない。無理やり体を起こそうとしても、意思に反してカドックの手は冷房から身を守る為に布団を引っ張っていた。
みんな、気を使ってくれているのか、それとも単に薄情なだけなのか、起こしてくれる者はいなかった。
ただ、耳を澄ませば話し声やテレビの音が聞こえてきたので、部屋には誰かがいるようだ。
(朝……ご飯…………熱々の……ベーコン…………トマト……)
微睡む頭に思い浮かんだのは、英国で飽きるほど食べ続けた朝食であった。
鮮度の悪い素材、熱し過ぎた料理、雑な味付け。食の意識改革が進み、美味い料理の研究や外国の食文化が導入してきてはいても、不味いところは不味い。
時計塔時代の下宿先もそうだった。
前時代的な家政が記されたカビだらけの料理書を片手に家事を行うおかみさんだった。
出されるものは伝統的な英国料理。ただし、味はお察しである。食事の際は神への祈りの前に盛大に塩をかけねばとても食べられたものではない。
パブにいけば安い酒とそこそこの軽食が食べられるのだが、学生の身ではそうそう毎日、外食が出来る訳もなく、ただ明日へ生を繋ぐ為だけに胃袋を満たす毎日だった。
それでも朝食だけは美味しかった。こんがりと焼かれたベーコンに卵、熱したトマト、ベイクドビーンズ、薄切りのパンとジャム、オートミール。食べ切れないので減らす様にお願いしても、一向に量が減らなかった。
今となっては少しだけ懐かしい。そういえば、最近は英国料理もご無沙汰なので、久しぶりに食べてみるのも良いかもしれない。
そんな事を考えながら寝返りを打つと、隣に大きなものがあることに気が付いた。
柔らかく、ほんのりと熱を持ったそれは、人の肌の感触だった。
(アナスタシア?)
寝惚けているのもあったのだろう。そこにいるのが彼女であると勝手に思い込み、カドックは目の前の体を抱き寄せた。
閉じた瞼の向こうから、息遣いが感じられる。小さな寝息が聞こえ、逃げるように体を揺すった。
逃がすまいと、カドックは抱き締めている腕に力を込める。思っていたよりも腕を廻した感覚は大きかった。そして、半ば無意識で絡めた足と足が擦り合い、ある違和感を感じ取る。
(……!?)
そこにいるのがアナスタシアならば、絶対に有り得ない感触。
産毛が寒気立つかのような感覚を覚え、カドックは今度こそハッキリと意識を覚醒させた。
「ぎゃああぁぁぁぁぁっ!!」
叫びを上げながら、カドックはベッドから転がり落ちた。
床と天井が引っくり返り、何事かと牛若丸が覗き込んでくる。
その向こうには可笑しそうに笑っているアナスタシアと茨木童子、苛立たし気にこちらを睨んでいるジャンヌ・オルタがおり、反対側にいたマシュとロビンはすまなさそうに目を伏せていた。
XXはいない。体を起こすと、自分が眠っていたのとは違うベッドで今も寝息を立てていた。
「うっさいわね、手元が狂ったじゃない!」
執筆を邪魔されたジャンヌ・オルタが怒りを露にするが、怒りたいのはこちらであった。
先ほどの感触を思い出すと、背筋に寒気が走る。
足と足が擦れる感触。その際に僅かに聞こえた音。
軽い恐怖すらあった。
自分がさっき、寝惚けて抱き寄せてしまった人物。それは何故か同じベッドで眠っていた立香であった。
知らなかったとはいえ、同性の彼を抱いた上に肌と肌を擦り合わせてしまったのだ。
「あー、オレとマシュのお嬢ちゃんは止めたんですけどね」
「くくく、どんな形であれ悲鳴というものは心地よいものよのお」
こちらがパニックに陥る様を見て、茨木童子がケタケタと笑っている。
何が面白いんだと、カドックはその場で地団駄を踏んだ。
起きたら目の前にいる同性の親友と抱き合っていた。思い出しただけで怖気が走る。これで喜ぶのはどこかの剣豪か万能の天才だけだ。
「アーナースーターシーアー」
「あら、よく分かったわね」
「君しかいないだろ、こんなことをするのは!」
昨日はソファで眠っていたはずだが、きっと眠っている間にシュヴィブジックを使って自分と立香を同じ布団に押し込んだのだろう。
悪戯は彼女のライフワークとはいえ、これは流石にやりすぎだ。心臓に悪すぎる。
「ふふっ、そんなに怒ったら体に悪いわ」
「そうさせているのは君だろうに」
「ごめんなさい。あなたが驚くのが面白くて」
「なお悪い」
謝りながらも笑顔と絶やさないアナスタシアに対して、カドックは憮然とした表情を浮かべる。
可愛い顔に騙されてはいけない。いつもいつもそれでやり込まれていては彼女はつけ上がるばかりだ。ここは毅然とした態度を見せ、どちらが主従の主なのかを改めて示さねばならない。
「本当に、今日という今日は許さないからな」
「反省します……ところでカドック」
「なに?」
「靴の紐が解けています」
「えっ? つあっ!?」
足下に目をやった瞬間、額に鈍い痛みが走る。見上げると、けたけたと笑っているアナスタシアの姿があった。
目線を下げた瞬間を見計らって、額を小突かれたようだ。あまりにも古典的な悪戯である。
そもそも、先ほどまで就寝していたのだから、靴なんて履いている訳がない。だというのに、あっさりと引っかかってしまった自分が情けなかった。
「まったく、これじゃクリスピン・グローヴァーだ」
「あら、なら未来の大作家ね」
「どうせなら息子の方にしてくれ」
ロックと炭酸飲料が好物な少年が時間旅行をする世界的に有名なSF映画である。ちなみに二作目と三作目にはあのレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーも出演していたりする。
「さ、カドックも起きたことだし、お話の続きは朝食の席でしましょう」
「む、吾はぱんけーきとやらが食べたいぞ」
「朝ご飯ですか!? おはようございます!」
いつの間にか話が有耶無耶になってしまい、カドックはみんなが見ていないところでため息を一つ吐いた。
結局、いつもと同じように彼女に振り回されてしまうようだ。
そして、これだけの騒ぎが起きていても、立香は一向に起きる気配がなかった。
「ぐがー」
「いつまで寝ているんだ、この素人マスター!」
やり場のない怒りの矛先が、彼に向いたのは言うまでもなかった。
□
今日もルルハワは強い日差しが差し込んでおり、道行く人々は額に汗をかきながら往来を行き来している。
賑やかな大通りは観光客で溢れ、中には水着のままショッピングや食事を愉しむ者もいた。
そんな華やかな街並みから少し離れた一画で、十数人の団体が集まっていた。
何事かと興味を抱いた通行人は、彼らが派手な衣装や小道具を持参しているのを見て、テレビか映画の撮影なのだと納得して去っていく。
事実、それは映画の撮影であった。どんなあらすじなのかは分からないが、とりあえず伝奇ものかファンタジーの類なのだということは小道具から読み取れる。
そして、その中心――つまりは主演男優としてカメラに追いかけられていたのは他でもない、カドックであった。
『ようこそ諸君。君たちはまだ見ぬ何か、謎めいた何かを求めている……それでは事の次第の一部始終をお見せしよう。まやかしは一切なし、全てはこの恐怖の体験を生き延びた人々の秘密の証言によって裏付けられている。諸君の心臓はこの真実に耐えうるか?』
「カット!」
感情が一切こもらない物凄い棒読みでカドックが台詞を言い終わると、監督が撮影中断の叫びを上げる。
やる気がまったくこもっていないその演技は、彼自身はおろか周りで見守っていた面々ですら、撮り直しとなるであろうと思っていた。
だが、監督は満足げに頷くと、撮影現場全体に聞こえるよう大きな声を響かせる。
「よし、次のシーンにいこう」
どこか能天気ささえ感じられる声音に、カドックは思わず前のめりに転びかけた。
「待て、自分で言うのもなんだけど、今のはさすがにまずくないか?」
「何を言うんだ、とても良かったよ。さあ、次に行こう」
監督はにこにこと笑顔を浮かべながら、周りのスタッフに機材の片づけや移動を指示している。
いったい、この監督はさっきの棒読みな演技のどこが良かったと思っているのかと、カドックは問い質したくなった。
「監督……」
「よーし、次は夜のシーンだ。アクション!」
『もう夜か。すっかり遅くなって――』
「待て待て! この明るさで夜は無理があるだろう!」
カメラの向こうで役者が必死で夜の暗さをアピールしているが、現在時刻はまだお昼前。ギラギラと輝く太陽が地面を照らしており、背景の立て看板の文字もハッキリと読み取れる。
せめて屋内なり暗がりなりで撮ればいいものを、この監督はこの太陽の光が降り注ぐ遮蔽物のない屋外で、無理やり夜のシーンの撮影を行っているのだ。
「監督!」
「良いんだ。だって、映画の中では夜なのだから。さあ、撮影を続けるぞ」
こちらの言葉をバッサリと切り捨て、監督は台本を捲って次のシーンの撮影の準備を始める。
アスファルトの駐車場に並べられていく段ボール製の墓石。まさかとは思うが、ここで墓地のシーンを撮ろうとしているのだろうか。
(大丈夫か、この監督……)
情熱だけが空回っているかのような監督の奇行に、カドックは軽い頭痛を覚えた。
何故、こんなことをしているのかというと、彼が撮影のための俳優を募集しているところに偶然、通りかかってしまったからだ。
映画の撮影ということで立香が興味を示し、そのまま意気投合して安請け合いをしてしまったため、ゲシュペンスト・ケッツァーは何の演技指導も受けないまま、銀幕デビューが決まってしまったのである。
「普通、スカウトした俳優をそのまま主演に据えるか?」
どうやら監督の感性にティンときたようで、カドックは映画の主演男優に選ばれてしまった。もちろん、他の面々もそれぞれ役が宛がわれている。
「なかなか上手だったと思うわ」
「世辞でも嬉しいよ、まったく」
アナスタシアの言葉に、カドックはため息交じりで応える。
そして、改めて撮影のメガホンを取る監督を見やった。
どうやら彼も英霊のようなのだが、その風貌は見れば見るほど異様であった。
年頃は壮年から中年といったところで、皺だらけの顔は生気が感じられず吸血鬼か何かのようであった。
雰囲気として近いのはヴラド三世だろうか。丁度、話をしている時に目を見開かれると、彼らの面影が重なって見えるのだ。
ただ、それだけならば単に不気味な紳士で済むのだが、問題は服装にあった。
女性ものなのである。
彼は強面で大柄な体躯に反して、何故か可愛らしい女性もののセーターとスカートを身に付けていた。無論、靴も女性向けのパンプスである。
怪物染みた容貌と合わさる事で、何だか新種のモンスターか何かと錯覚してしまうほど異様な風体であった。
アストルフォのように可愛らしい容姿のものが着ているのならまだ様になるのだが、彼ほどの年齢のものが着ていると恐怖すら感じられた。
「はあ……おい、立香」
あまりにも堂々とした監督の振る舞いに、カドックは自分が抱いている恐怖や不安が実は間違っているのではないのかと思い、出番を待っていた立香に話しかけた。
が、振り向いた先で牛若丸と剣術ごっこに興じている姿を見て、再び頭痛に襲われる羽目になった。
「束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流。受けるがいい!」
「優しく蹴散らしてあげましょう」
小道具の剣と張りぼてのペガサスがぶつかり合う。
まるで子どもの遊戯のような光景だった。
これがジャック・ザ・リッパーやナーサリーライムあたりならまだ許そう。百歩譲ってアステリオスでも構わない。だが立香、お前はダメだ。自分の年齢を少しは考えて欲しい。
「おい、小道具で遊ぶな。はしゃぐな、子どもか」
「えー、だって映画の撮影なんてテンション上がるじゃないか」
「この学芸会染みた寸劇か? ゴミのような映画は数あれど、こいつは映画のようなゴミだぞ」
「同感ね。もうちょっとでネームも仕上がるって時に、何をさせるのよ」
半ば勢いに押される形で付き合わされる羽目になったジャンヌ・オルタが、カドックに同調して不満を漏らす。
いつになく不機嫌なのは、漫画の進捗が芳しくないからだ。どうやら今回は中々に難産のようで、アイディアが思うような形にならないらしい。
「まあまあ、外に出れば気分転換にもなるし、何か新しいアイディアが浮かぶかもだよ」
「浮・か・び・ま・せ・ん。あの童話作家や劇作家ならともかく、こんな三文芝居じゃ刺激にもならないわ」
「ほう……さては、えぬじいを出してしまうことを恐れているのですね?」
牛若丸に他意はなかったのであろう。ごく当たり前に、会話のキャッチボールのつもりで彼女はそう言ったのだ。
だが、余程苛立っていたのか、今回ばかりはジャンヌ・オルタの神経を逆撫でにする形となった。
「誰が、ビビっているって!? 人を腰抜けみたいに言うのは止しなさい!」
「む、誰もそんな事は言っていません」
「いいえ、言いました! 誰にも、腰抜けなんて言わせないわ! そこまで言うなら見せてやろうじゃないの、私のアカデミー賞ばりの名演技を!」
顔を真っ赤にして、一方的に捲し立てたジャンヌ・オルタが、監督のもとへと歩いていく。どうやら、自分が出演する場面について何か掛け合いにいったようだ。
「相変わらず、変なところで沸点の低い奴だ」
「ひょっとして、実は興味あったとか?」
その辺に関しては、推し量るしかないだろう。だが、本物を凌駕する贋作であることに拘る彼女だ。その極致ともいうべき演劇に興味を持ってもおかしくはない。
「……あ、マシュの出番だ」
カメラの前にマシュが立ったのを見て、立香は弄んでいた小道具を手放して彼女の姿が見やすい位置に移動する。
その視線の先で繰り広げられているのは、やはりというべきか珍妙な寸劇である。一応、演劇経験はあるにはあるが、舞台演劇と映画の撮影ではまた勝手が違ってくるのと、台本を読み込む時間がほとんどなかったのもあり、どうしても拙い演技になってしまう。
加えて役が彼女のキャラクターに合っていない。マシュが抜擢されたのは自由奔放で悪戯好きな主人公の担任という役なのだが、どちらかというと控えめなマシュの性格ではなかなか役に馴染めていなかった。
だが、監督はその光景を満足げに見つめていた。役者の目線が明らかにカンペを追っており、時にはADがカメラに映り込むこともあったが、それでも監督は撮影を止めなかった。ほとんどのテイクをワンカットでカメラに収めている。
自分が見ている限りだと、NGは一度も出していない。
「確かに、このペースなら一日あればショートムービーくらいは撮れるか」
寧ろ、そうでなければ困る。このまま一日中拘束されてしまえば、ただでさえタイトなスケジュールが余計に厳しくなってしまうのだ。
XXを仲間に引き入れ、メイヴの壁際サークルへの進出も防いだ。ここまで順調に来ているのに、最後の最後で漫画が完成しなかったとなれば目も当てられない。
「うーん、でも、実際のところ六日目のメイヴコンテストをどうにかしないと勝ちは見えないよね」
「ああ。アナスタシアが何度か出場して引っ掻き回したが、審査員も観客もみんなメイヴのシンパじゃ彼女の優勝は覆らない。物理的に台無しにするか、勝負自体を引っくり返すしかないな」
例えば公平に勝敗を決める事ができるゲームやスポーツ。それもイカサマが入る余地がないものがいい。
メイヴの強みは勝つためならば如何なる努力も惜しまないこと。言い換えればアドリブには弱いということでもある。
「そのことだけど、実はアレキサンダーとエルメロイⅡ世から作戦を貰っていてね」
「ほう」
若かりし征服王とその家臣から授かった策、さぞや愉快なことになるだろう。
そう思って立香の話に耳をそばだてたカドックは、彼が語る作戦を聞いてニヤリと口角を釣り上げた。
実にいい。単純だがそれ故にリスクが少ない。エルメロイⅡ世はメイヴの性格をよく理解している。
メイヴは女王であるが故に勝ち方には拘らねばならず、自身の臣下やファンの前で無様な姿は晒すことができない。
あからさまなイカサマもハンデを請う事もできず、敗北してもケチをつけることができないのだ。
「分かった、そっちはお前と牛若丸に任せる」
「じゃ、カドックはジャンヌと漫画の方お願い」
互いの健闘を祈り、拳を重ね合う。
終わりの見えなかった常夏の日々に、光明が見えてきた。
少しずつ、少しずつゴールに向けて近づけていっていると実感できる。
それはつまり、この夏がもうすぐ終わってしまうことも意味していた。
□
撮影は順調に進んでいた。
とにかく監督はNGを出さず、台詞が詰まろうと演技が棒読みであろうとカメラを止めることなく撮影を進めていく。
丁度今も、カドックが若い方のクー・フーリンを相手に立ち回りを演じているのだが、彼の槍を丸めたポスターで受け流すシーンでポスターがすっぽ抜けてもリテイクされることはなかった。
ちなみにクー・フーリンが振るう槍も段ボールと模造紙で作られた棒切れのような玩具であった。先端に銀紙を張った事で、辛うじて刃物であると分かる程度の雑なクオリティである。
『もしやお前が七人目だったのかもな』
クー・フーリンが槍を振るうのに合わせて、尻餅を着く。
動きを合わせるのに必死で、台詞はほとんど飛んでいたが、やはりNGは出なかった。
そして、クー・フーリンが距離を取ったのに合わせて特殊効果として白煙が舞い上がり、視界を覆い隠す。
台本では、この後にセイバーが召喚されてランサー役のクー・フーリンと戦うことになっている。
(あれ、セイバー役って誰だ?)
立香は海産物みたいな悪友、マシュは虎みたいな女教師、牛若丸は蛇みたいなライダーだ。ジャンヌ・オルタもロビンも茨木童子も別の役がそれぞれ、宛がわれている。
そうなると、セイバー役はアナスタシアになるのだろうか? 役を宛がわれた時に聞いてみたが、何故か彼女ははぐらかして教えてくれなかった。ヒロインということでこちらを驚かそうとしているのかもしれない。
(そうなると、この位置はまずい!?)
アナスタシアの水着は際どいローライズのショートパンツだ。目の前に立たれれば、何がとは言わないがナニかが見えてしまうかもしれない。
別に今更という言い訳が脳裏を過ぎる中、カドックはもう少し離れるべきかと迷いを見せる。
だが、思った時には既に遅く、特殊効果の白煙が晴れてセイバー役の役者が剣を構えて姿を現した。
その姿を見た瞬間、カドックは言葉を失った。
残念なことに、そこにいたのはアナスタシアではなかった。
目に飛び込んできたのは毛の生えた脛、ごつごつとした手、やや曲がった背中と怪物にも似た不気味な容貌。
きっちりと女物の衣装に袖を通し、威風堂々と立つ姿は感動すら覚えるが、同時に何とも言えない虚しい気持ちも起こさせる。
『問おう、貴方が私のマスターか?』
風でスカートが舞い上がり、見たくもない下着が目に入ってしまう。
そこに立っていたのは、女性の服に身を包んだ、この映画の監督だった。
(って、お前か!?)
叫ばなかったことをどうか褒めてもらいたい。それくらい衝撃的な光景であった。
「カット! よし、いいシーンが撮れたぞ」
渾身の見栄を切りながら、監督が叫ぶ。撮影現場の緊張が解けると、カドックは反射的に跳ね起きて監督に詰め寄っていた。
「待て待て待て、なんで監督が役者で出てくるんだ。アナスタシアがいただろう」
「彼女には別の役をお願いした」
「くすくすと笑ってゴーゴー」
「それ君なのか!? パールヴァティーの二役じゃなくて!?」
「なに、僕だってデビュー作では変名で主役を演じたよ。セイバーの役は難しい役だから、僕自身で演じた方が良いと思って」
「単に合法的に女装したいだけだろ、あんたは!」
女装趣味のある映画監督。何となくだがこの英霊の真名が分かってきた気がする。
どうりでロクにNGも出さず早撮りを続ける訳だ。
「よし、十分休憩! 次は中盤の山場となるバーサーカーとの決戦だ!」
こちらの困惑などお構いなしに、監督はにこにこ笑いながらここまで取れた映像を見返している。
腕はともかく、映画の撮影は心底から楽しいのだろう。それが感じられる笑みであった。
「いやあ、なかなか良かったんじゃないか? マスター」
「心にもないことは言わないでくれ、クー・フーリン」
「そうかい? まあ、俺は演技とかよく分からないけどよ」
「それは困る、クランの猛犬。この後、私とお前で戦うシーンがあるだろう」
アーチャー役でスカウトされたアルジュナが、顔を顰めながらクー・フーリンに言った。
いつもならこんな騒ぎとは距離を取りがちな彼ではあるが、今回ばかりは縁者が乗り気ということで参加せざる得なかった。
そう、彼の恩人とも言うべきシヴァ神の伴侶パールヴァティーが主人公の後輩役でスカウトされてしまったからだ。
「気は進まないが、彼女が見ている手前で手を抜く訳にもいかぬ。それにいつぞやの借りも返さねばならないからな」
「へいへい。精々、真面目にやらせてもらいますよ。けど、北米であんたと戦ったのは反転している方の俺だろ? 雪辱戦にはならないんじゃねえの?」
「それならば、貴殿はそこまでの使い手であったということだ」
「へえ、言うじゃねえか、授かりの」
自分に敗北はないと、無自覚に挑発するアルジュナに対して、クー・フーリンは獰猛な笑みで応える。
若かろうと反転していようとクー・フーリンはクー・フーリンだ。笑みの浮かべ方や抱く印象は共通するものがある。つまりは怒らせると物凄く怖い。
実際、神話においても戦場で暴れるクー・フーリンは三度、水に沈めなければ正気に戻らぬほどの狂戦士だ。
平時は頼りになる兄貴分なのだが、やはりそこはケルトの戦士というところなのだろう。
「
そう笑って二人を茶化すのは、中華服に身を包んだランサー――李書文だ。
彼もまた、監督にスカウトされた役者の一人。役所は主人公の学校の教師にして凄腕の暗殺者という設定らしい。
生真面目なアルジュナと同じく彼のような英霊がこの場にいることは意外かもしれないが、李書文は生活苦からとはいえ若かりし頃には劇団に所属していた俳優志望でもある。
晩年は子どもに懐かれていた好々爺としての面もあり、きちんと礼を尽くせば義には応えてくれる人なので、意外と付き合いは良いのかもしれない。
「インドラの子にクランの猛犬。儂と立ち会う場面がないのが悔やまれる……ふむ、いっそう、ここはアドリブとやらで台本を変えてみるのはどうだ?」
「止めてくれ……あの監督ならそれでもOKを出しかねない」
ただでさえ拙い演技やチープな演出で台無しな物語に、アドリブなんてぶち込んだらそれこそ脚本が破綻しかねない。
なにより李書文を強者と戦わせれば、例え演技であったとしても興が乗って全力を出す筈だ。絶対に双方とも無事では済まないだろう。
「
「頼むぞ、本当に」
いまいち信用がならない李書文の言葉に、内心で不安を覚えつつ、カドックは撮影へと戻る。
再開した撮影は、やはり順調に進んでいった。監督は滅多なことではカットを出さず、ただひたすらに脚本の行程を消化していくだけの時間が過ぎていく。
張りぼての聖剣とペガサスが夜空という名の青空の下でぶつかり合い。
『私はお前の父だ』
『嘘だぁぁぁぁっ!』
許可も取らずに教会や墓地でゲリラ撮影を行い。
『生きてる、生きてる!』
麻婆豆腐が手に入らず、代わりにカレーライスを用意し。
『食うか?』
『食うか!』
メジェド様みたいな格好に扮したアナスタシアに背後から襲われた役者が迫真の演技を見せる。
『貴様、よもやそこま、が……』
そして、夕方に差し掛かる頃には遂に脚本に書かれているシーンの全てを撮影し終え、即席の雇われ劇団は解散する運びとなった。
「ありがとう、これは最高の傑作になるよ。本当にありがとう」
監督は一人一人に握手をして別れを告げている。
仕事を成し遂げた者が持つ特有の、満ち足りた笑みを浮かべていた。
ほとんど勢いだけで乗り切った撮影ではあったが、彼にとっては一大事業だったのだろう。
心の底から喜んでいるその姿を見ていると、何故だかこっちもほんの少しだけ心が温かくなった。
しかし、その笑みを釈然としない表情で見つめている者がいた。ジャンヌ・オルタだ。
最初の方こそ空回り気味な熱意で役を演じていた彼女ではあったが、途中から急に大人しくなり、監督の動きを目で追うようになっていった。
沸々と煮え滾る熱湯のような雰囲気を醸し出しており、周りの者も引き気味に見守る事しかできなかった。
そして、撮影が終わって役者達が一人ずつ去っていくのと入れ替わるように、ジャンヌ・オルタは機材の片づけをしていた監督へと話しかけた。
「あんた、あんな出来で満足なの?」
「何だい、突然?」
「あんな下手くそな演技や、チープな演出で満足なのかって聞いているの!?」
ロクに台詞も覚えていない役者、張りぼてなのが丸分かりの工作、場面ごとに昼夜が入り乱れ、シナリオも説明不足で飛躍し過ぎた展開が多い。
粗削を通り越して粗しかない映画であった。素人目に見ても駄目なところが多すぎて、上げだせばキリがない。曲がりなりにも創作を齧っているジャンヌ・オルタが噛みつくのも無理はなかった。
何より、彼女はそんな粗だらけの映画を手放しで褒める監督の態度が気に入らなかったのだろう。彼は映画が好きで好きで堪らないということは、知り合って間もない自分達ですら分かるほどだ。
それほどの熱意があるのなら、どうしてもっとクオリティに拘らないのかと、ジャンヌ・オルタは憤慨しているのだ。
「もっと時間をかければいい画が撮れるでしょう。小道具だってもっと拘ればいいじゃない! なのに、何であんなチープなもので満足するのよ!」
「はははっ、手厳しいなこれは。確かに君の言う通りだ」
そう言いつつも、監督は笑みを崩すことなく撮影時に使っていた椅子に腰かけた。
「うん、僕の作品がみんなの感性に合わないのは知っている。生前はちっとも売れなかったしね」
(いや、感性云々ではないと思うが……)
あれは単純に、つまらないだけだ。シナリオは破綻気味だし演出はチープ、役者も下手くそときた。商業作品として見れば完成度があまりに低すぎる。
ただ、そんな拙い画からでもきちんと伝わってくるものはあった。
退屈な映像の奥から、監督が伝えたいメッセージはハッキリと読み取れたのだ。
ああ、このシーンはこんなことを表現したかったのだ。
ああ、ここは〇〇について主張しているのだ。
そんな場面がいくつもあった。伝えたいテーマを伝えようと努力している姿勢だけは、きちんと読み取れることができたのだ。
「君の言う通り、拘るのは大事だ。ああすればいい画が撮れる、こうすればいい場面になる。考えるのは大事な事だ。けれど、何よりも大切なことは、作品を形にすることだと思うんだ。僕は映画が好きだ。好きで好きで堪らない。だから、手掛けた映画はどんな形であれ世に出したいんだ。お蔵入りなんて以ての外さ。それよりも自分が撮りたい画を、今できる形で撮り切る。僕はそうやって映画を作ってきた。だって、次はないかもしれないからね」
生前は成功に恵まれず、暮らしも貧乏であった。大切な友人はいても、映画の世界では終ぞ認められなかった。
だからこそ、目の前の映画に全力で取り組んだ。
次はないかもしれない。
これで終わりかもしれない。
常にそんな恐怖との戦いであった。
フィルムの編集をしながら、いつも同じことを考えていた。どうか、これからも映画を撮り続けられますようにと。
そして、これが最後になってしまうかもしれないから、あらん限りの情熱を注ぎ込んだ。
「それだけは、誰にも負けないようにしてきた。うるさいスポンサーの意向もねじ伏せた。他人の夢を撮ってどうなる? 夢の為なら戦うんだ。全力で、自分にできる精一杯で」
それが自分の生き方なのだと、監督はどこか恥ずかしそうに笑って見せた。
「本当に、映画って素晴らしいね。ああ、また友達と撮りたいな。往年の名スターなんだから、英霊になっていてもおかしくはないと思うんだけど……」
そう言って笑う監督の表情は、昔を懐かしむかのように憂いを帯びていた。
ジャンヌ・オルタは何も言えなかった。
監督と別れ、みんなでホテルに戻る帰路についても、一人静かに黙り込んでいた。
監督の情熱に触れ、思うところがあったのだろう。
彼女がカドックに向けて口を開いたのは、ホテルで夕食を済ませ、部屋に戻った後の事であった。
「私、舐めてたわ」
気分転換も兼ねて、ベランダで夜風に当たっていたカドックを追うように外へと出てきたジャンヌ・オルタは、開口一番にそう言った。
「あの漫画を超えるとか言いながら、心のどこかで思っていた。これが駄目でも、次のループがあるって」
新刊を出し続けている限り、この繰り返しの七日間が終わる事はない。
今回が駄目でも次、それが駄目でも次と、永遠に繰り返すことができる。
自分達には無限のリトライがあるのだ。
同じ日々を繰り返していけば、必ずそう思うようになってしまう。
けれど、それは違うのだ。
「私達にとってはリトライでも、みんなにとってサバフェスはこの夏の一回だけ。チャンスは一度しかない……それが正しいことなのよ」
「……そうだな」
一度しかないチャンスだから、みんな全力を尽くすのだ。
必死でアイディアを絞り、情熱を作品に注ぎ込み、サバフェスに出展する。
サバフェスは今年で最後かもしれない。
来年は中止になるかもしれないし、次のサバフェスまでに自分が引退しているかもしれない。
先の事なんて一切、分からない。だからこそ、みんな全力でこの夏に挑むのである。
「決めたわ……今回で終わらせる」
静かに、ジャンヌ・オルタは宣言した。
その両の眼に、燃えるような炎を灯しながら。
「次なんてない。後一回で……この夏を終わらせる。あの漫画に勝てるかどうかじゃないの……私が出せる全力を、今描いている漫画に注ぎ込むわ。色々と描いてきたけれど、それももう全部忘れる。黒髭が言っていたように、私の持ち味で勝負するわ」
「ああ……それがいい。きっと、それがいい」
「協力しなさい、マスター。必ず、てっぺんを取りにいくわ」
誓いを交わすかのように、二人は互いの拳をぶつけ合う。
それ以上の言葉は必要がなかった。
やると決めたからにはやる。
メイヴを押さえ、サバフェスで売り上げ一位になり、この繰り返しの日々を終わらせる。
ゲシュペンスト・ケッツァーの夏が、本当の意味で始まった瞬間であった。
感想の方で、メンバーがルルハワでどう過ごしているか知りたいというのがありましたので、下記にまとめてみました。
カドック:
人理修復後で精神的に余裕があることに加え、ユニヴァース時空の同位体について知った事で色々とテンションがおかしい。一方で任務への義務感と夏の解放感で板挟みになり心の底から夏を楽しめていない。
アナスタシア:
ルルハワを満喫している人その1。悪戯とわがままでカドックを振り回す毎日を心から楽しんでいる。テンションがおかしいカドックについては麻疹のようなものと生暖かく見守っている。
立香:
基本的に原作通り。マシュと仲良くしたり牛若丸と遊んだりジャンヌ・オルタを手伝ったり。聖女にファミパンされたりお隣の部屋に清姫がいてビビったりと地味に女難が連発している。
マシュ:
基本的に原作通り。カドック視点ということもあり、出番が少ない。ごめんなさい。メイヴコンテスト打倒のためにアナスタシア主導で無表情で歌い踊るアイドルユニット「まばたき」を結成するも敢え無く敗退する。
ジャンヌ・オルタ:
立香は気になる人、カドックは気の置けない喧嘩友達という間柄に落ち着いており、何気に乙女ゲーみたいな環境にいることに気づいていない。
牛若丸:
基本的に原作通り。懐き度具合はカド<立香。
茨木童子:
ルルハワを満喫している人その2。漫画作りはあまり手伝わず、カドックをルルハワグルメに連れ回す。本人的には夏を楽しんでもらおうとしているのだが、小食なマスターが胃もたれを起こしていることに気づいていない。
XX:
カルデアに引き抜かれてからはルルハワ観光を満喫中。でも、夜は漫画制作に扱き使われている。
ロビン:
カドックとマネージャー業を分担しているので、原作よりも余裕がある。当初は軟派に繰り出したりもしたが、周回が増えるにつれて罪悪感が増し現在は自重している。