星詠みの皇女外伝 Edge of Tomorrow   作:ていえむ

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七日目そのX スタンド・ビハインド・ミー

色々なことがあった。

色んな場所に出かけた。

みんなで騒ぎ、美味しい料理を食べ、夏の海を満喫した。

だというのに、その思い出はまるで霧に覆われた朝焼けのようにハッキリとしない。

どこで遊び、何を食べたのかをうまく思い出すことができなかった。

鮮烈に思い出せるのは、最後の七日間だけだ。

新しい出来事だからではない。この繰り返しの七日間を終わらせると決めたからこそ、二度とは繰り返されない夏を本気で楽しもうと思えたからだ。

 

『よし、早速だが海に泳ぎに行こう。その後はみんなでスイーツだ!』

 

『立香、黒髭海賊団で飲みに行くんだが、お前も来るか? 来るならドレイクを呼んできてくれ』

 

『夕食はハードロックカフェだ! え、店内がうるさい? 当たり前だろ、ロックなんだから』

 

『茨木……まだ食べ歩くのか? 悪いが……せめて、胃薬を……』

 

『くそっ、こんどこそあのラーメンを食べ切ってやる! アナスタシア、なに面白そうに動画撮ってるんだ!』

 

立香や牛若丸と海に出かけた。

マシュやアナスタシアと街に繰り出した。

茨木童子とXXのグルメ紀行に付き合わされた。

ジャンヌ・オルタのわがままにロビンと共に振り回された。

どれもこれも、かけがえのない思い出だ。替えの利かない大切なものだ。

そんな夏が、もうすぐ終わる。全てを決めるあの鐘の音が、高らかに鳴り響く。

サバフェスの終了を告げるアナウンスが、茹った場内の隅々にまで轟いた。

 

『……以上を以て、終了とします。そして、今年度の売り上げ一位のサークルは……見事、初参加で完売を成し遂げた、ゲシュペンスト・ケッツァーです』

 

繰り返されるアナウンスと共に、周囲のサークルから拍手が聞こえてきた。

右も左も、目につく全てのサークルがゲシュペンスト・ケッツァーの健闘を讃えている。

その光景を、どこか遠くの出来事のように見つめながら、カドックは大きく息を吐いた。

胸の中を様々な思いが飛び交っている。

やり遂げたという達成感。

祝福に胸を躍らす高揚感。

夏の終わりを感じ取った寂しさ。

色々な思いがない交ぜとなり、笑って良いのか泣いて良いのかさえ分からない。

ただ、全てが終わったのだということだけは、ハッキリと自覚できた。

 

「やってくれたわね……もう、正真正銘、こっちの完敗よ!」

 

わざわざこちらに出向いてきたメイヴが、開口一番にそう言った。

この七日間で最大の障害として立ち塞がったコノートの女王は、今は悔しそうに歯噛みしている。

女王ならば勝って当然。そして、その為ならば如何なる努力も策謀も厭わない。だが、そんな彼女でも勝者を貶すことだけは矜持に反するのだろう。一通り悔しがった後、まるで宣戦を布告するかのようにジャンヌ・オルタに向けて指を突き刺した。

 

「いいわ、今回は勝ちを認めてあげる」

 

「それはどうも。それじゃ、はい」

 

ジャンヌ・オルタは涼しい顔で、一冊だけ残しておいた本をメイヴに差し出した。

 

「本は交換するものでしょ?」

 

「ええ。心底いらないけれど、貰っておいてあげる。お返しに私の方もあげるわ。次回はもっといい本を作るから、すぐに価値も下がるでしょうけど」

 

「ふん。これっぽっちも欲しくないけれど、仕方ないからもらってあげるわ」

 

ふてぶてしい笑みを浮かべながら、二人は互いの本を交換する。

どちらも相手の事が心底から気に入らず、和解した訳でもないが、それはそれとして健闘は称え合う。奇妙な友情がそこにはあった。

 

「先輩、カドックさん、聖杯は無事に受領しました。念のため確認しましたが、この魔力リソースは間違いなく聖杯です」

 

運営から聖杯を貰い受けたマシュが、こちらに戻ってくる。その手には、見慣れた黄金の杯が握られていた。

BBの言葉に従うなら、これをキラウエア火山で使う事で、女神ペレの力は回復して特異点も消失するということらしい。

午前零時でループが始まることを考えると、急いで出なければ間に合わないだろう。

 

「BBは……見当たらないね」

 

「そういえば、XXさんを仲間にしてから姿を見ていませんね。開会式もアナウンスだけでしたし」

 

立香の疑問を、マシュが補足する。

そう、本来ならばサバフェスの主催者であるはずのBBが、今回に限って姿を一度も見せていないのだ。

まるで何かを警戒しているかのように、姿を隠している。何度も周回を繰り返してきたが、このようなことは初めてであった。

 

「立香、XXは?」

 

「……ごめん、ホテルに連絡したら、部屋には誰もいないって……」

 

「あいつ、まさか観光に出かけたんじゃないだろうな?」

 

確かに漫画制作にまで付き合わせたのは悪いと思っているが、それはそれとして邪神案件に対しては共同戦線なのだ。出発前にあれほど、夕方には合流するよう言っておいたのに、いったいどこへ行ってしまったのだろうか?

 

「どうするの、カドック? このまま俺達だけでキラウエア火山に登るの?」

 

「いや、ここまで来たのなら向こうのルールに従う必要もない。僕達が行くべきはマウナケア天文台だ」

 

そこで待っているのだ。ペレを名乗る黒幕が。

己の目的のために七日間をひたすら繰り返させた、恐ろしき第三の邪神が。

 

 

 

 

 

 

そもそも、最初におかしいと思うべきだった。

ハワイの神話における女神ペレの本拠地はキラウエア火山。しかし、BBが最終日に来いと指定したのはマウナケアだった。

そこはペレと敵対関係にある女神ポリアフの住まう雪山。神話において女神ペレが一度も立ち寄れなかった、彼女にとって最悪の土地なのだ。

なのに、BBはマウナケアを指定した。それは何故なのか。

答えは明白だ。彼女はペレであってペレではないのだ。

 

『事の始まりは今日という日から少しだけ遡ります。太陽系第三惑星……地球のハワイ諸島において、第三の邪神反応が検出されたのです』

 

キラウエア火山での戦いの後、XXは自身が地球へとやって来た理由を説明してくれた。

彼女の任務は地球で観測された邪神反応の調査と討伐。つまり、アビゲイル・ウィリアムズと葛飾北斎に次ぐ第三のフォーリナーを見つけ出すことであった。

だが、巧妙に姿を隠した第三のフォーリナーをXXは見つけ出すことができず、とりあえず手当たり次第にフォーリナーを倒そうと暴れていたのが、これまでの彼女の経緯であったのだ。

そう、カルデアが観測したフォーリナー反応とはXXのことではなかったのだ。彼女もまた、カルデアと目的を同じにする者であり、真の敵は別にいたのである。

 

『どうしてキラウエア火山でキャンプをしていたのかですか? もちろん、誰もいなかったからです。女神ペレですか? さあ、知りませんね』

 

XXの話では、彼女がキラウエア火山に辿り着いた時にはもうそこには誰もいなかったらしい。

本来ならばいるべきペレの姿も、その力を譲り受けたBBもいなかったのだ。自分達はずっと、XXによって女神ペレは倒されたと思っていたが、事実は逆であった。即ち、ペレが倒された後にXXがキラウエア火山にやって来た。

そこから導き出される答えは一つしかない。

カルデアが観測したフォーリナー。

XXが追いかけている第三の邪神。

その正体は、BBなのである。

 

「BBとXX。二人が言っていることには食い違いがあって矛盾しているようにも聞こえるが、実際は互いに補完し合っているんだ。重要なのは順番なんだ」

 

果たして、ペレが倒されたのはどのタイミングなのか。

二人の証言が矛盾し合わない答えを考えた場合、最も有り得る可能性はBB自身がペレを倒して力を奪ったということである。

少なくとも時系列上の矛盾はこれで解消される。

そして、そこまで考えると新たな疑問が浮かんでくる。

BBがペレを倒して力を奪い、特異点ルルハワを作り出した。なら、サバフェスの報酬である聖杯はいったい何なのか。彼女は何を考えて自分達に聖杯を手に入れろと命じたのか。

答えはまたしても逆なのだ。

特異点を修復するために聖杯を手に入れさせたのではなく、聖杯を手に入れさせるために特異点を形成した。

聖杯を手に入れ願いを告げさせること。それ自体が目的なのだとしたら?

 

「そうなんだろ、BB?」

 

以前は入らなかった進入禁止のエリアに足を踏み入れ、辿り着いたマウナケア山の頂上。

何もない荒涼とした大地を油断なく踏み締めながら、カドックは声を張り上げた。

そう、何もないのだ。本来ならばあるべき、マウナケア天文台すらここにはない。

空っぽの台地が広がっているだけであった。

 

「あーら、気が付いてしまったんですね」

 

どこか小馬鹿にするような挑発的な含みを持った声が、虚空に響く。

全員が身構える中、それはゆっくりと姿を現した。

まるで闇から溶け出すかのように、日に焼けた肌をコケティッシュな装束に包んだ少女、女神ペレの権能を授かったBBが姿を現したのだ。

 

「まったく、気が付かなければ楽しい夏を過ごせたというのに、あなたといい彼といい、どうして余計なことに首を突っ込むのでしょうね?」

 

どさりと、何かが地面に倒れ込んだ。

一瞬、黒っぽいゴミのようなものと錯覚したが、すぐにそれが人の形をしていることに気が付いた。

赤黒い肌に蠢く刺青、そして手にしている歪な短剣。時の挟間でランゴリアーズと戦っていたアンリマユだ。

どういう訳か、体の至る所が傷だらけで、息も絶え絶えといった状態であった。

 

「アンリマユ!?」

 

「ようやくお出ましか。悪いなマスター、どうにもオレじゃ手に負えない相手でさ……」

 

苦し気な声を漏らしながらも、アンリマユは果敢に切りかかる。獣の如き俊敏性。肉食獣もかくやという変則的な動きを以てBBを翻弄せんとする。

しかし、次の瞬間には地に伏していたのはアンリマユのほうだった。BBがどこからか取り出した鎌で、アンリマユの両手を切断したからだ。

 

「うがあああぁっ!」

 

痛みを堪え切れず、どす黒い鮮血で大地を汚しながら、アンリマユはのた打ち回った。

 

「惨めですねぇ。飽きもせずに何度も挑んで来て……ほんのちょっぴりでも私に敵うと思ったんですか?」

 

つまらなそうに、BBはアンリマユの体をこちらに向けて蹴り飛ばした。まるでボールのように弾んだアンリマユの体は、丁度こちらの足下の辺りで石に引っかかって動かなくなった。

 

「アンリマユ!」

 

「……へへ、一人でやるつもりだったんだけど、やっぱオレじゃ力不足だわ……何度やっても駄目だった…………気を付けろよマスター、最弱のオレが言うのもなんだが、あいつは強いぜ」

 

「何を言って……まさか、お前……」

 

「ええ、そのまさかです。彼はこの繰り返しの日々の中で、飽きもせずに何度も私に挑んでは返り討ちにあっていたのです」

 

脳裏に浮かんだ疑問を、BBが肯定する。つまり、アンリマユはずっと前からBBと敵対していたのだ。

自分達が合法的に聖杯を手に入れんと漫画作りに躍起になっていた頃から、彼は一人でBBに戦いを挑み、その度に敗北してきた。

以前、時の挟間で出会った時にあちこち傷ついていたのは、BBによって負わされた負傷だったのだ。

 

「忘れてしまえば楽になれるというのに……まったく、厄介ですね……忘却補正とやらは」

 

「そうでもないぜ。どうでもいい事(大事な思い出)はてんで、思い出せねぇしな」

 

痛みに呼吸を乱されながらも、アンリマユはシニカルな笑みを浮かべて見せる。すると、退屈そうにしていたBBの表情が忽ちの内に憤怒の顔へと変化した。

 

「軽口はそこまでにしておきなさい。あなたのおかげで私の計画は台無しです……あなたがカドックさんとこっそり契約していなければ、もっと事はスマートに運べたというのに」

 

「僕と……契約だって?」

 

「あら、やっぱり気づいていなかったんですね。この人はあなた達がカルデアを出立するごたごたに紛れて、一方的にカドックさんとパスを繋げたんです。ええ、おかげで何度試みてもカドックさんの記憶を消すことはできませんでした」

 

「お前、そんなことを……」

 

「……このさくらんぼ娘が何か企んでいるってのは何となく気づいていたんでね。悪いけど、最悪に備えて勝手に契約させてもらった……」

 

BBは言っていた。自分の記憶を周回に持ち越させるつもりはなかったと。だが、その意図に反して以前の記憶を有したまま次のループに臨むことができた。それはアンリマユとの契約で、彼の忘却補正の影響を受けていたからだったのだ。

恐らくは彼はこのルルハワが作られる前から、BBの異変を察知していた。彼女が何をしようとしているのかも気づいていたのだ。

 

「余計な事をしてくれたものですね。あなた自身もループに巻き込まれているから、消滅させても記憶を有したまま初日には戻ってくる。本当に目障りです」

 

「そうか……特異点が形成される七日前より以前には時を戻せない。だから、彼を排除したくとも力尽くでねじ伏せる事しかできなかったのか」

 

「ご明察です」

 

「BBさん、いったい何を考えているのですか? まさか、カルデアハワイ支部と連絡が取れなくなったのは、ここが特異点になったからではなく――――」

 

「そう、カルデアハワイ支部が嘘のようにまるごと虚数空間に消されてしまったからです。本来ならばここ――このマウナケアの頂に建てられた天文台こそがハワイ支部だったのですよ。ま、みーんな虚数空間に沈めてしまいましたけど」

 

マシュの問いに対して、BBは嘲るように答える。同時に、彼女の体から禍々しい黒いオーラが発せられた。

まるで全身の毛が逆立つかのような感覚だった。背筋が凍り付き、直視していると脳が内側から捻じれていくかのような不快な気が湧いてくる。

意識を集中させなければ、立っているのもやっとの有り様だ。

本能的な恐怖に思わず足が竦んだ。

目の前に立っているのは、確かに見知ったBBのはずなのに、彼女ではない別のものであるかのような錯覚を覚えるのだ。

この感覚には覚えがある。

アビゲイル・ウィリアムズや葛飾北斎が孕む邪神と同じ気配だ。

 

「あなた、本当にあのBBなの? いったい、何を取り込めばそんな姿になるのかしら?」

 

「不躾な人。あまり、人の中身を見るのは止めて頂けませんか、皇女様? それとも出歯亀がご趣味なのですか?」

 

こちらを守る様に一歩、前に踏み出たアナスタシアを不快そうに睨みながら、BBは言った。

するとどうだろう。彼女を包み込むオーラが一気に広がり、周囲一帯を漆黒へと染め上げた。

カドック達が垣間見たのは虚空に浮かぶ真っ赤な三つ目。まるで闇に開いた咢のような目がこちらを睨んでいた。

そして、闇が晴れると共に風景は一変していた。

無数の星々が煌めく夜空は暗黒に染まり、何もない荒れ果てた地には朽ちたスロットマシーンのような機械がいくつも転がっている。

その中心に立つのは、霊基を再臨させたBBであった。

コケティッシュな衣装から白いハイレグ水着へと着替え、普段の霊基の時に纏っているものとよく似た黒いマントを羽織っている。

今まで隠していたのだろう。発せられている魔力の値も今までとは段違いだ。

 

「この光景は……うっ、頭痛が……」

 

「先輩!? 大丈夫ですか、先輩!」

 

「マシュ、立香とアンリマユを連れて下がってろ! ロビン、頼めるか!」

 

「ああ! しかし、何の残骸だコイツは……意味もなくおぞましいぜ……」

 

何故か朽ちた機械を目にした途端、立香は顔色を変えて苦しみ出した。

錯乱というほどではないが、あれでは戦闘の指示は難しいだろう。

 

「チックタック、チックタック、チックタック♪」

 

苦しむ立香を見ながら、BBは楽しそうに時計の針の音を口ずさむ。

嗜虐的な表情からは、温かい感情と呼べるものが一切、感じられなかった。

あるのは冷酷で無慈悲、人をどこまでも弄び、からかうおぞましくも恐ろしい嗜虐心だけだった。

 

「そっちが本来の姿な訳か。なら、ペレより先に別のものを取り込んだんだな?」

 

「ええ。サバフェスの下準備の為にハワイを訪れた際、軽い気持ちでハワイ支部にお邪魔しまして、望遠鏡のレンズを覗いてみたら……わたしの権能と相乗効果で宇宙の先の先まで視えちゃって、目が合ってしまったんです」

 

深淵を覗く者は注意しなければならない。深淵もまたこちらを覗いているのだ。そう言っていたのは果たして誰であっただろうか。

ともかくBBは善意からサバフェスの主催を買って出て、偶然から外宇宙の邪神と同調してしまったのだ。

恐らくペレは異常を察知してBBと敵対したのだろう。だが、力及ばずに返り討ちに合い、その権能を奪われてしまった。

後は周知の通りだ。彼女はサバフェスの準備を進める傍らで特異点ルルハワを形成し、自分達を閉じ込めたのである。

 

「はい。時間を巻き戻すのはこの邪神(わたし)の権能。人々の欲望をかき集めるのはこのBB(わたし)の権能。ルルハワ諸島を自在に操るのはこのペレ(わたし)の権能。千の顔を持ち、百万の愛する者の母……故の無貌……それこそがこの私――BBホテップなのです。もっとも、あくまで同調しただけで乗っ取られた訳ではありませんので、クラスはムーンキャンサーのままですが」

 

フォーリナーに変質してはいない。だから、XXは彼女を見つけ出すことができずサバフェスを直接、攻撃するしかなかった訳だ。

だが、そう言いながらも、酷薄な笑みを浮かべるBBの双眸からは凡そ理性と呼べるものは読み取れなかった。

深紅に染まった瞳はあらぬ虚空を見つめており、相対しているこちらを見ているようで見ていない。

あれと同じ瞳を自分は知っている。

ナイチンゲールや清姫、スパルタクスといった狂気で向こう側に振り切れてしまった者の目だ。

狂気に囚われたのではなく、狂気そのものに成り果てた――故にその行動は理性的かつ合理的だ。

彼女は邪神と同調しただけで神性を取り込んではいないと言っていたが、果たしてその言をどこまで信じられるだろうか。

 

「BB、君が邪神の力を手に入れたのは分かった。ペレを倒して権能も奪った……そろそろ種明かしをしてもらえないか? そこまでして、何をしようっていうんだ? この聖杯を君が言う通りに使っていれば、何が起きたんだ?」

 

「あら、お気づきになりませんか? もちろん、皆さんのためですよ。どんな姿になってもわたしは人々の健やかな生活を見守る健康管理AI。全人類へのご奉仕こそが至上命題です。だから――――あなたに用意してあげたんです。永遠の夏休みを」

 

ぞっとするような、壊れた笑みを浮かべてBBは言い放った。

 

「ループする夏休みは楽しかったですか? 分相応な夢を見ちゃって、努力して、挫折して、敗北して、立ち上がって、また努力して、仲間が出来て、勝利して――――ああ、本当に面白かったです。そして、その聖杯――わたしが用意した、黄金の豚の杯を使えば、あらゆる願いは逆に叶う。富を願えば全てを失い、平和を願えば戦争が巻き起こる。もちろん、あなた達に嘘は言っていません。AIは本当のことしか言えませんから――――あなた方が聖杯を使えば、わたしが取り込んだペレの権能が拡大する。そういう仕組みを用意しました」

 

確かにBBは嘘は言っていない。彼女が言っていたように、女神ペレは力を取り戻すのだ。ただし、取り戻された権能を振るうのはペレ自身ではなく女神の枠へと収まったBB自身。何故なら、この特異点ルルハワにおいては女神ペレはBBだからだ。

そして、そうなれば世界全体が繰り返されるの七日間に囚われることになるだろう。ハワイという限られた地域だけではない。拡大した権能は全世界を覆いつくし、地球の全てを特異点ルルハワへと化すことができる。

この星は永遠に前に進むことができず、閉じた円環の中で終わらない夏を繰り返すこととなるだろう。

 

「ところでカドックさん、あなたは上位者の存在を信じますか? 遍くこの世界を高みから見下ろし、娯楽として楽しむ微睡む者を?」

 

「さあな。君が同調した邪神が奉仕する白痴の神のことか?」

 

この世界は巨大な存在が微睡む夢の産物であり、その者が目を覚まさぬよう従者が寝かしつけている。そんな話をどこかで聞いたことがある。記憶が確かならばBBが同調した邪神はそれに仕える者のはずだ。

そう問い返すと、BBは意外にも静かに首を振った。こちらを見下す赤い両目は仄かな哀れみを抱いている。理解など及ばないであろうと暗に言っているようであった。

 

「どう捉えて頂くかはお任せします。ですが、上位者は存在します。それはこの世界を物語と捉え読み解く者。この世界を娯楽と楽しむ者。言うならばこの世は巨大な遊戯盤のようなものなのです。そして、物語は無数に存在します。ある日、前触れなくこの世界に飽きた上位者は、パソコンを閉じるようにこの世界の電源を落としてしまうかもしれない。遊戯盤に例えるなら、古い盤をしまって新しい盤を取り出すようなものです。そうなってしまえば世界は終わり。後に続くものなんてない、永遠の終わりがやってくる」

 

「カドック、どういう意味かしら? 私には安っぽい終末論にしか聞こえないのだけれど?」

 

「……分からなくていいと思う」

 

俄かには信じがたい話であるし、それを語っているのが狂気に囚われたBBであるという点もあって素直に耳を傾けることもできない。

本来ならば嘘などつけない電子の精。しかし、今の彼女はどこまで信用できるのだろうか。

或いは邪神と同調したことで、彼女は世界を正しく認識したのかもしれないが、それを確かめる術はなかった。

何より、BBという存在がどんどん希薄化していっているのが不気味だ。恐ろしさすらある。

微笑み、悲しみ、笑っているはずの彼女の顔がよく見えない。そこに確かにいるはずなのに、見上げたそこには宙に浮かんだ赤い三つ目しか見えないのだ。

 

「分かりませんか? この世は偏在する無数の娯楽の一つ。わたし達は上位者に認識されて初めて存在を確立できるのです。もし、あれが認識を止めればわたし達はどうなるでしょう? 消えるのでしょうか? 止まるのでしょうか? 物語はそこで終わり先なんてありません。本を読みかけで閉じるようなものです。読者にとって読み終えた部分までが全てで真理なのです。その瞬間に不幸にある者は、何があってもその先もずっと不幸のまま。報われることはありません。だって、世界はそこで終わってしまったのですから。見果てぬ夢を追う人は、物語の中で成し遂げられるかも分からない困難に挑み続けることになるのです。ねえ、見捨てては置けないでしょう?」

 

「そんなものは誇大妄想だ!」

 

「この世界の法則では認識できないのです。だから、わたしは取り込んだペレの権能を拡大することを思いついた。あなたが困難から逃げられる避難場所を作り上げた――それがこの特異点ルルハワです。ここは七日で全てが繰り返される世界。それ以上は進めずとも苦難が続くことはない刹那の物語。いつ終わるかも分からないストレスフルな長いだけの長編なんて今どきは受けません。どこで切っても幸せで一話完結の短編こそが至上なのです。あなたも見てきたでしょう? ルルハワでは大きな争いもなく人理の為に戦う必要はない。誰もが約束された娯楽を繰り返せる平和な世界なのですから」

 

「余計なお世話だBB! 分かっているのか!? それではどこにも辿り着けない! 僕は見てきたぞ。たった一度の人生、たった一度の夏の為に必死で努力する奴らを!」

 

やり直しが利かないからこそ、人生は尊いものなのだ。

例え無様に終わろうとも、結果が残るから張り合いがあるのだ。

BBの語る世界はそれをないがしろにしている。生きとし生ける人々の、前に進もうという努力と情熱を否定するものだ。

カドックはこの七日間、間近で見続けてきた。

素人でありながら、憧れた作品よりも良いものを作る為に苦悩する少女の姿を。

誰かに嫌われようとも、自分を信じる者達の為に一番を目指そうと努力を続ける少女の姿を。

サバフェスというお祭りを、同じ瞬間は二度とは訪れない一瞬を楽しむ英霊達を。

BBがやろうとしていることはそれを否定している。

永遠にはなれない刹那を、人間の生き様を否定している。

許容できる訳がない。

彼女は人々から浪漫を取り上げようとしている。

 

「受け入れてはもらえませんか。仕方ありませんね」

 

BBの顔から表情が消える。いや、ずっと前から顔なんてなくなってしまっていたのかもしれないが、残っていた赤い瞳から最後の感情が消えてしまった。

残されたのは全てを見下し嘲笑う三つ目のみ。燃えるような赤い瞳が全てを射抜き、闇そのものとも言える体に魔力が満ちていく。

 

「BBさんに魔力が集中……来ます!」

 

「マシュ、立香を頼む! みんな行くぞ! いつものように……世界を救いに行こうか!」

 

カドックが魔術回路を励起させると同時に、ジャンヌ・オルタと茨木童子が得物を構えて疾駆し、牛若丸が空を駆ける。

その後ろからはアナスタシアとロビンが援護に回った。

5対1。大英雄でもなければ勝ち目はない戦力差を前にして、BBは動かない。不気味な沈黙を保ったまま、相変わらず全てを嘲るように笑っている。

そして、そのまま何の抵抗もなく、ジャンヌ・オルタの刀は彼女の柔肌に吸い込まれていった。

 

「取った――――えっ!?」

 

地に伏していたのはジャンヌ・オルタの方であった。確かに切り付けられたはずなのに、BBの体には傷一つついていない。

続いて槍を突き刺そうとした茨木童子と、空中から切りかかった牛若丸が見えない力で弾き飛ばされた。

何が起きたのか分からず、二人は混乱した頭で嘲笑うBBを見上げている。

そして、毒の矢と冷気にも応える素振りを彼女は見せなかった。粉雪が弾けて消えるように、何の手応えもない。

そこに至って確信する。こちらの一切の攻撃が彼女に効いていないのだ。

 

「ちょっぴりでも敵うと思いましたか、お馬鹿さん? わたしは外宇宙の邪神と女神ペレの権能を取り込んでいるんです。ええ、法則が違うのですもの。せめて次元の段階を3つ上げてからどうぞ」

 

迂闊だった。真性の神格ではないからと侮っていた。グランドオーダーの際に戦ったケツァル・コアトルやゴルゴーンといった神格達と同じく、彼女もまた自分達とは魂の規格(スケール)が違うのだ。

特異点を形成し、時間を巻き戻すだけではない。よもやここまで神々の権能をものにしているとは予測できなかった。恐らくヴィイの魔眼でも彼女には弱点は生まれないだろう。

彼女を傷つけるには、こちらの位階を上げるか、何らかの手段で権能を引きはがすしかない。

 

「まあ、そんな成長の余地も反撃の機会も与えませんけど。何故なら皆さんはここでわたしに飲み込まれるのですから――――さあ、残酷に落としてあげる」

 

真っ赤な三つ目が揺らぐ。

それは確かにそこにいたはずだった。なのに、いつの間にか姿を消している。

困惑するこちらを尻目に、ただ耳障りな嘲笑だけが世界にこびりついていた。

消える事のない嘲りの笑み。こちらを見下す声。飽きるまで玩具を弄ぶ無邪気で残酷な指先。

地面が揺らぐ。

足下の存在が不確かでハッキリとしない。

星すら既にこの世にはない。

見上げた空に輝くものは、炎のように揺れる三連星。否、あれは星ではない。目だ。目だ。残酷極まる嘲りの目だ。燃えるような三つ目だ。

彼女は消えたのではない。

彼女が消えたのではない。

消えるのはこちらだ。

消えるのは自分の方だ。

ちっぽけな虫けらへと成り果てた、憐れな人間の方だ。

 

「立香! マシュ! 逃げっ――!!」

 

「無駄ですよ。あなた達はもうわたしの手の平の上」

 

世界が掬い上げられる。

闇の向こうから生えだした巨大な手が、砂山を崩す様にごっそりと自分達ごと地面を削り取ったのだ。

爛々と燃える赤い目がこちらを見下している。

あれはBBだ。

女神と邪神の権能を取り込んだ電子の精。

巨大な闇そのものへと変質した彼女の手によって自分達は持ち上げられている。

逃げる事はできない。

逃げられる場所もない。

既にこちらの規格(スケール)はミリサイズにまで縮小されている。

まるで釈迦の手の平の上の孫悟空。

全ての生命をランクダウンさせ弄ぶ彼女の狂気の宝具。

この手の平こそが今や世界の全てであった。

 

「ふふっ、もう逃げられませんよ。これが欲望の果て、肥大したエゴの末路。『C.C.C.(カースド・カッティング・クレーター)』! 思い知りました?」

 

残酷な笑みと共に、BBは両の手の平を握り締めた。

空を覆うように閉じられていく指。

成す術もなく握り潰されていく虫けら以下の英霊達。

断末魔の悲鳴を上げる間もなく、カドックの意識は闇へと堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

体が重く、視界は暗い。

或いはこの世界には光なんてないのかもしれない。

揺蕩うように落ちていく体には一切の力が入らない。

意識はハッキリとしている。

五体も無事だが感覚に連続性がない。頭と手と足だけが闇に浮かんでいるかのようだ。

大海原に身一つで投げ出されたかのような気分だった。

恐怖はあったが取り乱すことはなかった。あまりに大きなショックは感覚を麻痺させるのだろう。

それよりもみんなが無事なのかどうかが気になった。

アナスタシアとの繋がりは切れていないようだが、あまりにも距離が遠い。他のみんなに至っては気配すらなかった。

 

「……令呪を以て命じる。アナスタシア、僕のもとに来い!」

 

熱を持った一画が右手から掻き消える。

奇跡すら起こせるサーヴァントへの絶対命令権。今まで何度もこれに助けられてきた。

しかし、どういう訳か今回は何も起こらない。いつもなら瞬時にアナスタシアが目の前に現れるはずだが、消費された魔力は行き場を失った迷子のように霧散して宙に消えていっただけであった。

 

「令呪が……消された!?」

 

「当然です。ここはわたしが生み出した虚数空間。外部との繋がりはおろか、中にいるあなた方とのリンクも絶たせてもらいました」

 

闇の向こうに真っ赤な三つ目が浮かび上がる。

嘲りの声を上げるのはBBだ。闇の中でもなお暗く、黒い無貌でこちらを見つめている。

 

「半端に希望を与えたら、あなたはまた立ち上がってしまうでしょう? 愚かで哀れで痛ましい人。そうやって歩みを止められないから星のような希望に縋り続けて擦り切れて……永遠に叶わない再会を夢見てどこまで自分を追い込むつもりですか、マスター?」

 

「何が言いたいんだ、BB?」

 

「みんなで過ごした夏休みは楽しかったでしょう? まだまだ満足し足りないはずです。なので、取引です。もう一度、一日目に戻しますので今度こそわたしの聖杯をきちんと使ってください。そうすればあなたは永遠にこの七日間を繰り返すことができる。今度はあなたが望むものも与えましょう。漫画を書く必要もなくなります。昼までホテルで惰眠を貪るのも良し、ワイキキビーチでたくさんの女性サーヴァントに囲まれるのも良し、ハワイのグルメを好きなだけ味わうのも良し、明け方までクラブに入り浸るのも良し。誰も咎める者はおらず、あなたは頑張る必要もない。怠惰の中で永遠に微睡み続けることができるのです」

 

「けど、それは……」

 

「いらないと言いますか? 分かっていますよ、後悔がある事は。あの時にもっと楽しんでおけばよかった、みんなの輪に入っておけばよかったって嘆いているのを、わたしは知っています。その失敗を挽回するのです。あなたが望む七日間を永遠に繰り返すのです」

 

反論しようとした言葉が、喉元で詰まる。

BBの言う通りだ。自分の中には後悔がある。

最初の一週間、ゲシュペンスト・ケッツァーの活動から距離を取っていたことを後悔した。

その後も、心のどこかでハワイに馴染めずにいる自分がいた。

カルデアの任務やゲシュペンスト・ケッツァーの活動が佳境に至る度に、終わって欲しくないと願う自分がいた。

そんな中途半端な思いを抱えたままでは観光など楽しめるはずもない。

何度も繰り返した七日間ではあったが、本心から楽しめたのは数えるほどしかなかった。

 

「まだ迷いますか? なら、こう言い換えましょう。ここでなら誰とも別れる必要はありません。皇女様ともセンパイやマシュさんとも、永遠に一緒にいられますよ。煩わしいなら彼らの記憶を消してあげましょう。何も知らないセンパイ達とあなたは何度もバカンスを楽しめるのです」

 

「――――!」

 

一瞬、心が揺れる。

アナスタシアとずっと一緒にいられる。みんなとずっと一緒にいられる。それは何て――な事だろうと。

カルデアでの任務もいつかは終わる。その時、自分達は住むべき世界に戻らなければならない。

アナスタシアは英霊の座へ、立香は生まれ育った日本へ、自分もまた魔術の世界に戻らなければならない。

けれど、ここならば。ルルハワならばそんな寂しい思いをしなくても済む。永遠にリセットを繰り返す世界。ここでなら悲しい別れは存在しない。

何かがあってもやり直すことができる。

誰かと喧嘩をしても次の週にはなかったことになる。

今回はできなかった遊戯を次回に行うことができる。

終わる事のない夏、永遠のバカンスを続けることができる。

 

「さあ、このまま永遠に虚数空間を漂い続けるか、もう一度初めからやり直すか、選んでください。答えを…………!」

 

気づいた時には決断していた。

霞のように曖昧な感覚を総動員し、右腕一本に意識を集中させる。

そこに残されていた最後の令呪に願いを込める。霧散した最後の一画は、誰に対する命令でもない。自分自身への魔力として取り込んだ。

そして、その拳を躊躇なく虚空の三つ目へと叩き込んだのだ。

 

「――何を……」

 

驚愕するBBの声。邪神となっても驚くことはあるのだなと、場違いな感想を抱いてしまう。

 

「バカンスはもうつまらない。飽きたんだ」

 

ここまでの迷いの全てを否定し、カドックは口角を釣り上げて見せる。

確かに魅力的だった。仲間達と過ごす永遠の七日間。終わらないバカンス。

争いもなく使命もなく、ただ遊び続けるだけの毎日は実に楽しいだろう。

けれど、虚しいだけだ。

何れ別れることになると知っているから、今の一瞬が愛おしいのだ。

永遠を約束されれば、この七色の思い出はきっと色褪せてしまう。

立香やマシュとの友情も、アナスタシアへの思いも、灰色に塗り潰されてしまうだろう。

そんなことは真っ平だ。みんなとの関係がグズグズに腐っていくなんて、永遠の離別よりも質が悪い。比較することすらおこがましい。

 

「BB、世界は続いている。断末魔にのたうちまわろうと、焼き尽くされようと先へ進むために回り続けている。その痛みすらもいつかは誰かの思い出に変わるのなら、そこには確かな希望がある」

 

自分達はやり直しを望まなかった。

魔術王が仕掛けた大偉業を否定し、未来を勝ち取った。

ならば、先へ進まなければならない。生きねばならない。例えその先でどれほどの苦難と絶望が待ち受けているとしても、それが人類への報酬であると笑ってやらねば彼の王への不敬となる。己の全てを差し出して世界を救った彼の王の献身を無意味に貶めることになる。

人類は、まだ見ぬ明日へと辿り着かねばならないのだから。

 

「バカンスは終わりだ。その先にあるものを――返してくれ、BB」

 

自己の存在すら不確かな虚無の中で、カドックは確固たる意志を持って邪神を拒絶する。

それに対してBBは、風に吹かれた篝火のように三つ目を明滅させながら嘆息した。

話をしただけ無駄だったと言いたげな様子だ。

 

「どこまでも意固地な人。ならば気が済むまでここにいてください。どのみち、あなたをルルハワに捕らえた時点で目的の大部分は終わっているんです。適当に飽きたらまた一日目に戻してあげますね。もっとも、他のみんなは記憶を消されていますから、どうすることもできませんけど」

 

ゆらゆらと揺れる三つ目が遠退いていく。今の自分にはそれをどうすることもできず、ここで終わってしまうのかと歯噛みする。

力及ばずに敗北する屈辱と無力感に苛まれる一方で、このまま自分はどうなってしまうのかという不安が過ぎった。

彼女は飽きたら一日目に戻すと言っていたが、いったいどれほどの時間をここで過ごさねばならないのだろうか。

数日?

数週間?

それとも数ヵ月?

或いはもっとかかるかもしれない。虚数空間では時間の概念はあってないようなものだ。BBが飽きるまで何万年とここで過ごさねばならないのかもしれない。

それまで自我を保てるだろうかと恐怖した。

誰もいない孤独な闇の中で一人、心が死んでいくのかと震え上がった。

もう縋るべき希望はないのかと絶望が込み上げてきた。

光が差し込んだのは、正にその瞬間であった。

 

「いえ、間に合いました。さすがは王者(レックス)、見事な悪あがきです」

 

無限の闇に亀裂が走る。

虚空に走る一筋の閃光。それは外部から切り付けられた斬撃の跡であった。実体のない空間そのものを切るなどという芸当は、そうそうできるものではない。

突然の事態にBBすら驚愕する中、亀裂を抉じ開けて強引にこの深い闇の中へと飛び込んできたのは、騎士甲冑を連想させる機械仕掛けの鎧。

謎のヒロインXXの聖槍甲冑(アーヴァロン)であった。もちろん、その上には槍を構えたヒロインXXが搭乗している。

 

「乗着!」

 

まるで時間が巻き戻るかのように因果が乱れ、僅かマイナス一秒でXXは聖槍甲冑(アーヴァロン)を装着する。

そして、その勢いのまま構えた聖槍を揺れる三つ目の中点へと突き刺した。

 

「アッ……アアアァァァァァッ!」

 

こちらが何をしようと応える素振りを見せなかったBBが、初めて痛みにのたうちまわる。

あの光輝く槍が、BBに対して何らかの特攻を有しているとでもいうのだろうか?

 

「ど、どうしてここに……彼らと合流しないよう、(デコイ)をばら撒いておいたのに……」

 

「ええ、おかげであちこち振り回されました。けれど、マウナケアからほんの少しですがマスターさんの令呪の気配を感じ取れましたので、急ぎ駆け付けた訳です」

 

「ですが、ここは外部から干渉不可能の虚数空間。いえ、仮に干渉できたとしても、何もないこの空間ではわたし達の場所を定義する基準もない。正確にここに辿り着ける訳が――――まさか、その槍が!?」

 

三つ目が激しく揺らぐ。

驚いているようにも、苦痛に喘いでいるようにも見えた。

同時に眉間に突き刺さった槍から迸る光がどんどん強くなっていく。XXが己の宝具を解放したのだ。

 

「そう、このロンゴミニアドは宇宙の果てを示す階! その力を介抱すれば、逆説的にその場所が事象の地平――即ちの最果ての境界となる! 後はそこを基点にコンピューターで座標を計算すれば、あなた方がいるこの場所の座標も測れます!」

 

「まさか、その槍にそんな使い方が――痛っ……ダメ、空間が……力が消え……」

 

BBは脱しようと藻掻くが、深々と突き刺さった最果ての槍は抜けるどころか更に深々と傷を抉っていく。

闇の向こうで血飛沫が舞うかのような錯覚を覚え、少女の痛ましい悲鳴が木霊した。

 

「『蒼輝銀河即ちコスモス(エーテル宇宙然るに秩序)』! 最果ての槍よ、ここに光を! 今こそ邪神を封じ、この宇宙に正しい秩序(ビックバン)を! ツインミニアド・ディザスタァァァァ!!」

 

裂ぱくの気合と共に真名が解放され、光が闇の世界を満たしていく。

全身を覆っていた影が払われ、光の下に露になったBBは断末魔にも似た悲鳴を上げる。

彼女自身の規格(スケール)が秒単位で縮んでいっているのが分かった。聖槍の力で邪神や女神の権能が少しずつ剥がされていっているのだ。

このまま押し込めば、何れは彼女を倒すことができる。

そう確信した刹那、BBはあろうことか左手で自らを突き刺す槍の刀身を掴み込んだ。

当然、エーテルの光で焼かれた左手は瞬く間に消し炭へと変わっていくが、BBは構わず力を込めてXXの聖槍を自身から引き抜かんとする。

だが、筋力で勝るXXは強引に力で抑え込み、最後のとどめを刺さんと槍を持つ手に力を込めた。

 

「XX、止せ!」

 

叫んだが遅かった。

その一瞬をBBは見逃さず、敢えて抵抗を止めて聖槍をその身で受け止めたのだ。過度に力を込めていたXXは勢い余ってバランスを崩し、聖槍はそのままBBの体躯を突き抜けて大きな風穴を空ける。

それと同時に虚数空間は完全に崩壊し、カドック達は現実の世界へと投げ出されるのであった。

 

 

 

 

 

 

周囲を見回すと、自分以外の面々も外に放り出されて無事であった。みんな消耗してはいるが欠けている者は一人もない。

安堵したカドックは、いの一番にアナスタシアのもとへと駆け寄った。

 

カドック(マスター)!?」

 

「無事か? ごめん、もう少しだけ頑張ってくれ」

 

抱き起したアナスタシアと共に、地面に降り立ったBBを見やる。

酷い有様であった。左手は無残に焼かれ、顔にも大きな傷が走っている。

自己改造スキルか何かで見てくれだけは見繕ったようだが、体の内側はズタズタになっていることが容易に読み取れるほど消耗もしていた。

今ならば普通のサーヴァントでも彼女を傷つけられるだろう。

問題は彼女にどれほどの力が残されているかだ。

 

「まさか……ここまで追い込まれるとは……」

 

「もうおしまいです。観念して捕まりなさい」

 

XXは聖槍を拾い上げ、BBに向けて啖呵を切る。

他の面々も事情が分からないながらも好機と見て、各々の得物を構え直した。

正に多勢に無勢。傷ついた今のBBではどうにもならない状況だ。

 

「XXさん……休職したと聞いていましたが……」

 

「休職中でも邪神を倒すと賞金が出ます。基本、銀河警察はノルマ製なので」

 

「くっ……その内部事情は知りませんでした……もっと詳しくリサーチしておけば……」

 

息も絶え絶えといった様子で、BBは体を捩らせる。

そっと右手が体の影に隠れる形となった。

まるで半身を庇うように、焼かれた左手で聖槍を向けるXXを制止ながら、BBは少しずつ後退っていく。

嫌な予感が駆け抜けた。

違法行為が何よりも好きなBBのことだ、この状況でも何か逆転できる一手を用意しているのかもしれない。

例えばそう、日付が変わるまでまだ時間はあるが、それを待たずに強制的に時間を巻き戻すようなものとか。

 

「待て! BB、右手をこっちに見せろ」

 

命じると、BBの体が僅かに強張った。図星だ。

 

「…………」

 

「早く見せろ、BB!」

 

段々と呼吸を荒げながら、BBはゆっくりと後ろに隠していた右手を掲げて見せる。

予想通り、その手の平には小さなミニチュアのような掛け時計が浮かんでいた。

瞬間、ジャンヌ・オルタと牛若丸は彼女が何をしようとしているのかを察して地を蹴った。

XXとロビンもそれぞれ機銃と矢で援護するが、それらは独りでに動いたBBのマントによって遮られてしまい、BBを傷つけることはできなかった。

 

「アナスタシア、シュヴィブジックを! BBを止めろ!」

 

「駄目、ここからじゃ遠い! 距離が……」

 

茨木童子がアナスタシアを抱えて走る。

後少し、五メートルまで近づければアナスタシアのシュヴィブジックは因果を巻き戻してBBを拘束できる。

だが、間に合わない。アナスタシアが近づくよりもBBが宙に浮かべた掛け時計に手を伸ばす方が何倍も早いのだ。

 

「ええ、業腹ながら完敗です。なので、リセットすることにしましょう。ここまで頑張ってきたようですが、その努力も無意味に終わります」

 

痛みで引きつった笑みを浮かべながら、BBは最後の力を振り絞って掛け時計の仕掛けを動かさんとした。

後、一秒もしない内に時が巻き戻る。ここまでの努力が全て無為に帰す。

恐らくBBは自分達の記憶を残してはおかないだろう。自分とアンリマユは無事でも他のみんなは全ての記憶をリセットされてしまう。

そうなってしまえばもう、こちらに逆転の手段はない。この繰り返しの七日間に永遠に囚われてしまうことになるだろう。

 

「誰でもいい、彼女を止めろ! 時が巻き戻るぞ!」

 

「いいえ、ここまでです!」

 

誰にも邪魔されることはない。そう確信したBBの宣言が木霊する。

そして、誰もが絶望に顔を歪めた瞬間、それは起きた。

伸ばされた最悪の一手。後、コンマ一秒で全てが終わるという一瞬に、突如としてBBが苦悶の表情を浮かべて硬直したのだ。

後、ほんの数センチというところで止まった右手はそのままピクリとも動かず、やがて重力に引かれてだらしなく頭を垂れる。

まるで手首から先の感覚が消えてしまったかのようだ。

 

「カッ……クァ、ア……手が……わたしの……手……」

 

憤怒の形相で目を見開き、BBはこちらを――否、その更に向こうにいる無力な復讐者を睨む。

誰よりも早くBBの異変を察知し、解決に奔走していた最弱の英霊。

神の名を冠した哀れな生贄。

その男は予見していたのだ、必ずこのような事態になると。だから、その瞬間が訪れるのを息を潜めて、痛みを堪えながら待っていた。

何度も同じ時間を繰り返しながら、来るかも分からない援軍を待ち続けてきたのだ。

 

逆しまに死ね(ヴェルグ・アヴェスター)……てめえの自業自得だぜ」

 

両腕を切断され、最早、戦う事もままならないアンリマユが、勝ち誇ったかのように笑みを零す。

自らが受けた傷を、そっくりそのまま相手に返す報復という原初の呪い。如何なる守りも突破し、相手と傷を共有するというこの呪いを防ぐ術はない。

それこそがこの復讐者の宝具『偽り写し記す万象(ヴェルグ・アヴェスター)』。ゾロアスター教の聖典の偽典の名を冠するこの宝具によってもたらされた傷は、アンリマユ自身がそれを癒さぬ限り決して消えることはない。

 

「アンリ……マユ……あなた、まさか……最初から、これを…………」

 

「悪いね、オレってば努力家だから……どうすりゃあんたに両腕を切り落としてもらえるか、飽きるほど試させてもらったのさ」

 

「狂っている……そんな、上手くいくかどうかも分からない、博打のために……」

 

傷を共有するという制約がある以上、アンリマユ単独では痛み分けが精々で相手を倒すことはできない。追撃をかけられる誰かがいて初めて意味を成す宝具なのだ。

BBの言う通り、それは狂気に染まった執念であった。BBに悟られぬ為に単独で行動し、その日が訪れるまで何度も襲撃を仕掛けて攻撃のタイミングを体に覚え込ませたのだ。

どのように襲いかかればどう反撃されるか、BBはどういった手段で攻撃をしてくるのかを必死で見切りながら、彼はこの七日間を繰り返してきたのだ。

いつか自分達がBBを追い詰め、彼女が切り札を発動する時に、それを封じられる一手を打てるように。

 

「狂っている? 最高の誉め言葉だ……復讐者(オレ達)は報復を忘れない。だからこそのアヴェンジャーなのさ」

 

「っ……その顔で、そのような世迷言を!」

 

「おっと、余所見は止しな、お嬢さん」

 

「はっ!?」

 

アンリマユに指摘されて気が付くも、既に手遅れであった。

先ほどまで無風であったマウナケアの台地に激しい風が吹き込んでくる。

それはBBの周囲を縦横無尽に駆け回る牛若丸が起こした秘術。

生前の彼女が編み出した奥義である遮那王遊戯譚の一つにして、天狗の羽団扇を用いた天狗風。

即ちはアサシンとしての牛若丸の宝具。

 

「『天狗ノ羽団扇・暴風(てんぐのはうちわ・あからしまかぜ)』!」

 

周囲を囲む暴風は、本来であればそのまま敵を押し潰すのだが、今回は特別版だ。

彼女が巻き起こした風は、アナスタシアが吹き付けた冷気によって瞬く間の内に寒気を纏っていく。

吸い込まれた冷気はそのまま暴風の内側へと注ぎ込まれ、巨大な吹雪の竜巻となってBBの体を蹂躙した。

二人の力が合わさった冷気は最早、神すら凍り付く極致へと達しており、BBは我が身の危機感を覚えた。

だが、逃れようにも唯一の出口である上空は遥か遠く、また四肢の凍結によって浮かび上がることも容易ではない。

そうしてBBの体は成す術もなく凍り付いていき、吹雪が消え去ると同時に一体の氷の彫刻ができあがった。

 

「この……こんな、氷なんて……」

 

残った力を総動員し、BBは内側から氷を砕かんとする。

さすがに神の権能を取り込んだだけあって、しぶとさも通常のサーヴァントとは段違いだ。

故にBBは後に後悔した。ここで気絶しておけばそこで終われたのにと。

彼女は氷を砕かんと必死であったため、彼女が近づいていることに気づけなかったのだ。

その巨大な炎の手を振りかぶり、渾身の一撃を喰らわせんとしている茨木童子の姿を。

 

「抑えられぬ、抑え切れぬ!『愚神礼讃・一条戻橋(エンコミウム・モリエ)』!!」

 

「キャアアァァァァッ!」

 

振り上げられた渾身のアッパーが、BBの体を覆っていた氷を砕いて彼女の肢体を空へと打ち上げる。

まるで花火のように空高くへとぶち上げられたBBは、しかし同時に安堵していた。意図せずして凍結から脱出することができた。このまま彼らと距離を取り、改めて掛け時計を使えば時を巻き戻すことができると。

しかし、三つ首の黒龍はそれを許さない。BBの体が打ち上げの頂点に達した瞬間を見計らったかのように、地上から放たれた三匹の炎の竜が彼女の四肢に食らいついたのだ。

 

「こ、これは……まさか……」

 

表情を凍らせながら彼女が眼下に目をやると、居合の構えを取ったジャンヌ・オルタが駆け出していた。

その狙いはただ一つ。無残にも竜に拘束されている、このルルハワの支配者だ。

 

「あの辺りで良いか?」

 

「ええ、そこよ。そこが一番……切り込みやすい角度!」

 

黒龍の背を駆け上がったジャンヌ・オルタが跳躍し、鞘に収めた刀に手を添える。

あれを受ければ終わると理解したBBは、最後の悪あがきとばかりに魔力弾を放つが、それは全て飛翔したXXによって撃ち落とされてしまい、ジャンヌ・オルタの疾駆を止めることはできない。

時を巻き戻すこともできず、虚数空間を展開する余力もない。彼女にはもう打つ手がなかった。

 

「焔は獣に、竜は我が手に――」

 

「そんな、こんなところで……」

 

「――楔を破壊し、命の鎖を引きちぎれ!」

 

「何度でもやり直せるはずなのに――」

 

「斬撃一殺!」

 

「みんなで寄ってたかって、心が痛まないのですか!?」

 

「問答無用よ! 『焼却天理・鏖殺竜(フェルカーモルト・フォイアドラッヘ)』!」

 

BBの叫びなど聞く耳は持たないとばかりに、ジャンヌ・オルタは啖呵を切って両手の刀を交差させる。

炎を纏った必殺斬撃。彼女の狂える情熱と恩讐を注ぎ込んだ無双の一撃が、邪神に囚われた少女を違わず一閃した。

直後、炎に焼かれながらBBの体は無慈悲にも地面に叩きつけられて動かなくなり、空中に投げ出される形になったジャンヌ・オルタはXXに拾われてゆっくりと降りてくる。

静寂がマウナケアに戻ってきた。

いつの間にか夜空には星々が輝いており、淀んでいた悍ましい空気もどこかに消えている。

それは、BBが完全に戦意を喪失したことを意味していた。

ルルハワでの長い長い夏休みが、漸く終わりを迎えた瞬間であった。




残り一話です。

やっと余裕ができてきたので一気に書き上げました。
BBの理屈は次回でもう少し踏み込む予定です。


頑張っているけどなかなかマナプリが貯まりません。早く、早くBOXガチャを……。
後、サバフェスの復刻を早く。BBと茨木と巌窟王を引くんだ(ぐるぐる目)。
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