星詠みの皇女外伝 Edge of Tomorrow   作:ていえむ

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六日目その1 TAXi LULUHAWA

ハワイにおける食事文化は非常に国際色が豊かである。

元々、ハワイに住まう人々のルーツはタヒチなどの南方移民――ポリネシア海洋民族が主流であると言われている。その為、伝統的な料理はそちらと共通するものも多い。

主食はタロイモ。ハワイ語ではカロとも呼ばれ、熱帯で降雨量が多く養分に乏しい土壌でも問題なく育つ強い生命力を持った作物であり、炭水化物やたんぱく質だけでなく葉には豊富なミネラルも含まれている。

当然ながら魚介類が身近に食される他、豚や鶏も食される。特に豚は一頭まるまる蒸し焼きにするのが伝統的な調理法であり、焼き上がった光景はなかなかにインパクトが強い。

一方で1800年代頃になるとアメリカやアジア各国、欧州などからやってきた労働階級の移民達によって様々な食文化が持ち込まれ、ローカル料理へと組み込まれていった。

由来不明のロコモコ、ワゴン販売で気軽に摘まめるガーリックシュリンプ、アメリカナイズなハンバーガーに中華由来のヌードル等々。

昨今では料理に白米やポテトサラダを付け合わせたプレートランチがカジュアルなレストランで提供され、ベントーやムスビなど日本由来の料理形式も一般的になっている。

西洋諸国でも人気な寿司以外にも、日本風カレー、ふりかけ、モチなど西洋圏ではあまり見かけないものも割と気軽に口にする事ができ、そのものずばりな日本系列のチェーン店もあちこちに点在しているのだ。

当然というべきか、中華発祥でありながら日本人の拘りによって魔改造され国民食にまで発展したラーメンの専門店もあちこちに存在していた。

カドックとアナスタシアは今、そんな数多くあるラーメン店の内、ワイキキから少し離れたところにある濃厚こってりスープが売りの日系チェーン店を訪れていた

 

「……うっ!」

 

鯉のように食道を遡ろうとする脂っこい感触を何とか水で流し込み、カドックは一息を入れる。見下ろした丼にはまだ麺とスープが三分の一ほど残っていた。

対面に座るアナスタシアは既に麺を平らげ、残るスープを飲み干さんとしているところだった。同じタイミングで食べ始めたというのに、こちらが濃厚なスープの絡みに苦戦している間に追加注文していた餃子まで完食されている。

パートナーの健啖っぷりに舌を巻きつつ、カドックはもう一度だけ自身の丼に視線を落とし、静かな面持ちでそっと箸を机の上に置いた。

時刻は十五時、お昼時には少し遅い時間である。

特に決めている訳ではないが、食事はみんなで食べることが多い。しかし、少し前まで茨木童子が街で暴れていたため、二人はその対応に追われていたのだ。

騒動が何とか落ち着いたのが十三時頃。そのままホテルに戻っても良かったのだが、アナスタシアが急にラーメンを食べたいと言い出した為、立香達に断りの連絡を入れてこうして目についた店を訪れたのだ。

 

「ふう……美味しかった。あら、もう食べられないの?」

 

「……いいだろ、別に」

 

「あなたは少し痩せすぎだから、もう少し食べなくてはいけないわ」

 

「いや、それとこれは別の話だろう」

 

鶏と野菜を煮込んで作られたスープは半ばゲル化しつつあり、匂いもきつい。麺に絡む様はまるでカルボナーラである。当然、飲めば喉に絡まり飲み干すのは至難の技だ。

味も濃厚で麺がシンプルな細ストレートな分、スープのインパクトが余計に際立つ。一気に飲めば胸焼けは必至だ。

向かい合って食する様はまるで泥の中を泳いでいるかのような錯覚を覚え、麺を摘まむ箸は次第に重くなっていく。食べれど食べれど終わりが見えず、舌は段々と麻痺して味が分からなくなっていった。

情けないが、自分はここでギブアップだ。このどろどろのスープを最後まで飲み干すことができたアナスタシアには純粋な敬意を表したい。

 

「だいたい、ハワイにまで来てどうしてラーメンなんだ?」

 

「もちろん、好きだからよ」

 

「……聞いた僕が馬鹿だった」

 

そもそも、好きでもないものをわざわざ金を出してまで食べる奴はいない。アナスタシアの言葉は至極真っ当でぐうの音もでなかった。

 

「君、そう言えば夕方にも買い食いしていなかったか?」

 

べた塗りがひと段落したから一息を入れたいと街に繰り出して、ガーリックシュリンプとスパムむすびを頬張っていたはず。

茨木童子が暴れていると知らせを受けたのはそのすぐ後だ。

 

「大丈夫、サーヴァントは太りません。それにラーメンならいくらでも食べられます、これほど奥深くて魅力的なお料理もありません。お店によって麺やスープの拘りが違うから、同じ味は一つとしてないし味わえば味わうほど深みが増していきます。まずはこの香り。厨房から漂うスープの香りを楽しめば空腹でお腹が鳴っていても苦になりません。運ばれてくるまで時間が待ち遠しくて期待が膨らんでいきます。出来立てのラーメンから立ち上がる湯気はそれだけで胸がいっぱいに鳴るわ。できれば頭から浴びたいくらい。きっと賢くなれると思うの。あ、箸は洗えるエコ箸が衛生的だけれど、割り箸も風情があっていいものよ。割り損なってもそれはそれ、苦心しながら食べるのも醍醐味というもの。箸先がスープを掻き分け麺を摘まんで持ち上げる光景なんて見ていて堪らないわ。よく通は最初にスープを飲むっていうけれど、私としては個人の自由だと思います。食べる人が思うようにすればそれが美味しい食べ方なのだから。作り手に感謝の気持ちを込めて食べ切る事こそが大事だと思うの。味を変えるのだって邪道でも何でもありません。食べ方は人それぞれ。食べる時はもっとこう自由で何て言うか救われてなくちゃいけません。それから…………」

 

「わかった、わかったから!」

 

放っておくとどこまでも語り続けてしまいそうなので、カドックは強引に割り込んで話を切り上げる。

まさか彼女がここまでラーメンの虜になるとは思わなかった。これといい自撮りといい、グランドオーダーが終わってからというもの、第二の人生を謳歌し過ぎではないだろうか。

 

「あら、人生は楽しまなければ損でしょ? それともラーメンに夢中なのが気に入らない? 悔しかったら美味しいラーメンを作ってみなさいな」

 

「僕が? まさか!」

 

「あら、いい料理人になると思うのだけれど……」

 

「なる訳ないだろ。僕は王者(レックス)だ」

 

なるなら料理人ではなくミュージシャンだ。ビートルズやクイーンのようにトライデント・スタジオでレコーディングを行い、全世界を熱狂の渦に巻き込む。世界最大のロックフェスティバルであるグラストンベリー・フェスティバルに出演し、ワールドツアーだって組むのだ。

音楽での成功こそ男の浪漫だ。サーヴァント・ユニヴァースのカドック(レックス)のように、目指すならばロックスターであるべきだ。

彼は今、何をしているのだろうか。新曲を作っているのか、ライブの最中か。彼はどこまで高みに上るのだろう。どのような形で歴史に名を残すのだろう。

思いを馳せるほどに胸が高鳴っていった。

 

「よくわからないけれど、最近のあなたは何だか自信に溢れているのね。いいことね」

 

「そうだろう、うん」

 

「調子に乗って、変なところで躓かなければいいけれど……」

 

そう言ってアナスタシアは、丼に残っていたスープを胃の中に流し込む。

色の白い喉元が嚥下する毎に小さく脈動し、じんわりと汗が滲んでいるうなじに思わず見惚れてしまう。

彼女はそんなこちらの視線など気にも留めず、空になった二つの丼を並べて満足そうに頷いた。

 

「そうだ、ラーメンを題材に漫画を描いてはどうかしら?」

 

天啓を得たりとばかりに、アナスタシアは顔を綻ばせる。

何でも主人公が全国のラーメン屋を巡って旅をする話を思いついたらしい。

いわゆるグルメ漫画、料理漫画というジャンルだ。主に日本で描かれている漫画ではあるが西洋圏でも人気は高い化け物ジャンルである。

元々、あの島国の民族は食事と水回りにやたらと拘る気質なのもあり、出版界では常に一定のシェアを誇っている。

内容にしても単なるグルメ紀行、料理を通した対決もの、絵本のようにほのぼのとした日常ものと非常に多岐に渡る。

料理を出し感想を述べるだけで成立するという関係上、映画における鮫やゾンビのように敷居は非常に低い。

だが、それ故に面白いものを描くのは非常に難しい。

例えばファーストフード店で山盛りのハンバーガーを黙々と食べる黒い騎士王を想像してみよう。

彼女は一心不乱に、黙したまま化学調味料塗れの挽き肉とバンズをたった一人で食べ続けてる。ごく一部を除いてその光景に愉悦を見い出す者はいないだろう。

当然のことながら登場人物には料理に対するコメントやリアクションが求められる。だが、うんちくを並べればくどくなるし派手なリアクションを取ればそれは最早ギャグの域だ。だからといって多くを語らず美味い、美味しいという言葉を並べるのも良くない。

本当に上手い食事に言葉はいらない?

そんな事は当たり前だ。だが、それだけでは料理の味は伝わらない。

甘いのか、辛いのか、柔らかいのか、固いのか。言葉を駆使しなければ見えない味は伝わらないのだ。

古今東西の料理コメンテーターが日々、如何に知恵を絞って味を表現しているのか、その苦労は計り知れない。

 

「夢のない人ね。いいです、あなたが納得する漫画を絶対に描いてみせますから」

 

「お手並み拝見だ、可愛い皇女さん。まあ、今回のサバフェスが上手くいけば次はないけどね」

 

多少のトラブルはあったが、今回は前回よりも確かな手応えのある作品を描くことができた。

やはり経験の有無は大きいのか、このままのペースで描き進めば前回のように未完成で終わる事もなく、今夜にでも印刷所に持ち込むことはできるはずだ。

 

「そろそろ戻ろう。あんまり長居していたらオルタが機嫌を悪くする」

 

仕上がりが佳境ということで、今日のジャンヌ・オルタは朝からとても張り詰めている。

立香やマシュがフォローしているのでまず間違いはないだろうが、何が彼女の機嫌を損ねるか分からないので、急いで戻るに越したことはないだろう。

そう思って席を立とうとすると、出入口の方からよく通る大きな声が聞こえてきた。

 

「なに、カードが使えない? おかしいなぁ、残高はあるはずなのに?」

 

金髪で恰幅のいいアロハシャツの紳士が、何やら店員と揉めているようだった。

カドックとアナスタシアは、その姿に見覚えがあった。この一週間で何度か観光地で出くわしている実業家だ。何でも使用人達を慰安旅行に連れてきているらしい。

 

「もう限度額? あいつら私のカードでお土産を買いこみ過ぎだ。だが、参った……あいつらは電話も持っていないし、うーむ……」

 

どうやら支払いができなくて困っているようだ。下手に出たり居直ってみたりと手を尽くしているようだが、応対している店員の方は苦虫を噛み潰したかのように口をへの字に曲げたまま、困惑する男を見下ろしている。その眼は切実に訴えていた。言い訳はいいから出すものを出せ、さもなくば出るところに出てもらうと。

見かねたカドックは、重い腰に力を込めて立ち上がると、波を掻き分けるかのようにゆっくりと店内を横断し、今にも電話に手をかけようとしている店員にギル$紙幣を差し出した。

 

「支払いを。そっちの彼の分も僕が持つ。余りはチップでいい」

 

体格差に気圧されぬよう、できるだけ語気を強めにする。

店員はしばしこちらを見つめる、それから渡された紙幣と交互に見比べた後、分かりやすいくらい意地汚い笑みを浮かべて手を振った。

彼の視線は厨房の方で麺を湯切りしている店主らしき男に向けられている。カドックが差し出した額は相場よりもかなり多い。そのまま自分の懐に入れ込むつもりのようだ。

 

「行こうか、ミスタ」

 

「あ、ああ……」

 

遅れてきたアナスタシアも伴い、店を後にする。払うものは払った以上、向こうも文句はないはずだ。チップの取り分で揉めるのは店の勝手である。

 

「いやあ、助かったよ。悪いね、君達」

 

「困った時はお互い様です。けど、お一人とは珍しいですね?」

 

周囲を見回したアナスタシアが、不思議そうに首を傾げる。今までに出くわした時は、彼は常に大勢の使用人と行動を共にしていた。だが、今はどういう訳か一人っきりであの白い服の集団が見当たらない。

すると、金髪の紳士は怒っているのか寂しがっているか分からない曖昧な表情を浮かべると、額に滲む汗をハンカチで拭いながら彼女の疑問に答えた。

 

「うむ、ホム……召使いどもが私を置いて先にホテルへ帰……いや、いつまでも雇い主が一緒では息が詰まると思い、自由行動を許したのだ。で、ホテルへ帰る道すがら散策をしていると、美味しそうな匂いが道端にまで漂ってくるじゃないか。これは食べなければ絶対に損をすると思い、濃厚こってりなスープを堪能させてもらったのだよ」

 

「そしたら、クレジットカードが使えなかったと?」

 

「あいつら、持ち合わせがないだのと色々と理由をつけて支払いを押し付けてきてからな。私もハワイに浮かれてつい気が緩んでしまった」

 

この一週間、食事から何から使用人の出費は全部、彼が負担していたらしい。

雇われた側からすれば願ったり叶ったりだが、あの大勢の使用人達の面倒を見るとなるとかなりの出費になったはずだ。

この御仁、見た目に違わず派手好きで堪え性がないところもあるので、自前の出費も合わせてとうとうカードの使用限度額が超えてしまったようなのだ。

気前がいいというべきか計画性がないと嘆くべきか。何れにしても締まらない話である。

だが、身なりこそ平凡なアロハシャツだがこの紳士、かなりの資産家のはずだ。現に先ほど、ラーメン屋で使おうとしていたカードはプラチナムであった。

大勢の使用人を雇い、かつその慰安旅行の費用を捻出できるくらいの資産があるのなら、限度額を引き上げることも難しくないはずだが、どうしてこんなことになっているのだろうか。

 

「ああ、少し前に少々大きな買い物をしてね。色々と買い与えたから枠がもう残っていなかったのだろう。なに、いい男というものは贈り物に糸目はつけないもの。女性のわがままもあるがままに受け入れる度量が大切だよ、君」

 

「はあ……」

 

要するに、金遣いの荒い女に言い寄られてついつい財布の紐が緩んでしまい、クレジットカードが使えなくなってしまったらしい。

なのにこの男はそれを誇らしげに語って大笑いしている。体よく貢がされているということに気が付いていないのだろうか。

気が付いていないのだろう。出なければ能天気に笑って自慢なんてしたりしない。

名前も知らない他人ではあるが、彼の行く末がほんの少し心配になってきた。

こんな調子ではその内、痛い目を見るのではないだろうか。

 

「何、心配はいらんよ。ああ、そうだ。立て替えてもらった分を返さなければ。銀行かホテルに戻れば口座から引き出せるから、それで――――」

 

金髪の紳士が恰幅のいい腹を揺らしながら手にしたバックを掲げて見せる。

刹那、一陣の風が吹き荒れたかと思うと、男は錐もみ回転をしながらその場で尻餅を突いた。

 

「つああぁっ!」

 

「ミスタ!?」

 

「おじさま、大丈夫ですか?」

 

駆け寄ったアナスタシアが助け起こす。幸い、手の平を擦った程度で大きなケガはしていないようだ。

さっき一台のバイクがすれ違ったので、ひょっとしたらどこか接触したのかもしれない。

大事にならなくて良かったとカドックは安堵したが、次の瞬間、男が青ざめた顔で震え出したため、何事かと身構える。

 

「ど、どうしよう……カバン、取られちゃった……クレジットカードもキャッシュカードも、全部あの中に……」

 

「!?」

 

すぐさまカドックは踵を返し、バイクが走り去った方角に指先を向ける。

視線の先には先ほどすれ違ったバイクが大通りを疾走している。既に二百メートル以上離れており、ここからでは魔術で狙うこともできない。

 

「アナスタシア!」

 

「ヘイ、タクシー!」

 

振り返ると、アナスタシアが一台の車を呼び止めていた。

白塗りのプジョー407。見たところ回送中のタクシーのようだ。

これで逃げたバイクを追いかけるつもりなのか、アナスタシアが我先にと助手席に滑り込む。カドックと金髪の紳士もすぐに続いて後部座席に乗り込んだ。

 

「お願い、この方を助けてあげて」

 

「厄介事かい? そいつは俺の仕事じゃない」

 

運転席に座っていたのは、アラビア訛りの大柄な男であった。

黒人だが肌の色は薄めで顎が出ており、髪は短く刈り込まれている。見た目は強面だが笑えば愛嬌もあるだろう。

雰囲気といいさっきの訛りといい、どうやら現地人ではないようだ。後、声は征服王に似ている。

 

「そこを何とか。あの角をバイクが曲がったでしょう? 追いかけて欲しいの」

 

「ひったくりかい? もう見えなくなっちまったし、車番も分からないなら追いかけようがないな」

 

「どっちに逃げているかは私が分かります……カドック!」

 

「分かった」

 

徐にポケットから何枚かのBB$紙幣を取り出し、アナスタシアに握らせる。

 

「やってくださるなら、これを……」

 

差し出された紙幣の束を一瞥した運転手は、ほんの少し息を飲むと、にやにやと笑いながら指先で紙幣を摘み受け取った。

 

「うんん、あなた方は運が良い。シートベルト付けてください」

 

どうやらやる気になってくれたようだ。やはり、最後にものを言うのは金である。世知辛い話だ。

だが、移動手段さえ確保できたのならこっちのもの。アナスタシアの魔眼ならひったくり犯がどこに逃げようとも追いかけ続けることができる。

カドックはシートベルトを付けながら隣で不安そうにしている金髪の紳士を宥め、車が発進するのを待った。

すると、不意に車体が持ち上がったかのように傾き、足下や背後から駆動音のようなものが聞こえてきた。

 

「なんだ?」

 

「ぬっ! この車、羽根なんてついていたかね?」

 

振り返ると、タクシーには不釣り合いなリアウィングがいつの間にか生えてきていた。

運転手がダッシュボードの機械を弄っているが、それと関係があるのだろうか。

問い質そうとするが、それよりも早く運転手はハンドルを取り外してしまい、その光景を見たカドックと金髪の紳士がギョッと目を見開く。

ここに来て、彼がタクシーに何らかの手を加えていることに彼らは気が付いた。

何の変哲もないタクシーは今や物々しいバンパーが装着され、大径のタイヤに履き替え、リアウイングを被ったスポーツカー仕様へと変形している。

最後に運転手は足下から取り出した新しいハンドルをはめ込み、癖なのか左腕の時計を確認する。

直後、変形が終わった車体が道路へと着地した。

 

「しゅっぱつしんこー!」

 

踏み込まれるアクセル。

白い煙を上げながら後輪が空回りし、アスファルトを焼く音と匂いが伝わってくる。

襲いかかる強烈なGにカドックは思わず悲鳴にも似た呻きを上げてしまった。

窓の外を覗くと、景色が物凄い速度で後ろに流れていっている。何台もの車を置き去りにしていく様はまるでカーレースのようだ。

だが、ここはサーキットではなく人の賑わう歓楽街。当然ながら信号もあるし横断歩道を人は歩く。

運転手はそれを巧みに躱し、時に意図的に無視して道路を疾走。蛇行する度に右へ左へと振り回される後部座席の二人は、何度も窓に頭を打ち付ける羽目になった。

 

「こ、これ……二百キロは軽く超えているよね?」

 

「ご心配なく、ちょいともたつきましたがタイヤが温まってきたらもっと飛ばせますんで」

 

「そ、それは頼もしい……ははっ……」

 

引きつった笑みを浮かべながらも金髪の紳士は取り乱すことなく努めて冷静を装っていた。意外と度胸は据わっているらしい。

そして、運転手が言っていたように車はどんどん加速していった。最早、窓の外は流れる壁であり自分達がどこを走っているのかも定かではない。少し頭を上げればスピードメーターを覗くこともできたが、そこに示されているであろう数字が恐ろしくてカドックは黙したままグリップを握り、己の無事を祈る事しかできなかった。

 

「お嬢さん、道は!?」

 

「右に2ブロック! でも、仲間の車にカバンを投げ入れました! 黒のミツビシ!」

 

「ひったくりにしちゃ物々しいな! よし、近道だ!」

 

言うなり、車が百八十度回転して車体が縦揺れを起こす。カースタント顔負けのドリフトターンだ。

驚いた対向車線の車がクラクションを鳴らして猛抗議するが、運転手はどこ吹く風とばかりに鼻歌すら交えながらシフトレバーを操作し、右へ左へと車線を跨ぎながらアナスタシアの指示する方向を目指して疾駆する。

途中で煽られたと思ったのか向こう見ずなスポーツカーが勝負を仕掛けてきたが、当然のことながらぶっちぎってタクシーはルルハワの街路を爆走した。

 

「うぉっ! 君、明らかに今、私有地を横断したよね!」

 

何かに乗り上げる衝撃の直後、庭らしき芝の上でバーベキューを楽しんでいた家族の姿が光の速さで後方に抜けていく。

通りを曲がるためには更に先の信号を曲がらねばならないが、それでは渋滞に捕まるので一般家屋を近道として利用したのだ。

 

「むう、この車、かなり足回りを弄っているね。重い割には機敏に動く……」

 

「意外と余裕だな、ミスタ!」

 

まるで洗濯機の中の衣類のようにシェイクされながらも、冷静に車体を分析する紳士にカドックは吠える。

こっちはそれどころではない。息をするのも苦しいくらい、心臓が早鐘を打っている。

何かあれば一発であの世いきだ。あの地獄のアーラシュフライトを髣髴とさせる気分である。

どうしてアナスタシアは平気でいられるのだろうか。

 

「え? ジェットコースターみたいで楽しいわ」

 

「そのまま脱線してしまえ!」

 

「おっと、俺のタクシーに脱線も脱輪もありませんぜ!」

 

軽快なドリフトでコーナーを攻められ、カドックは思いっきり首を左に持っていかれた。

その時、偶然にも窓の向こうで速度取り締まりをしている警察官の姿が見えた。

青いシャツにパンダのようなサングラス。冴えない風貌だが今のカドックには天使に見えた。

この速度で彼の側を通り抜ければ一発で免停になるだろう。

ひったくり犯を捕まえるという当初の目的すら忘れ、ただただこの地獄のタクシーが止まってくれることをカドックは心から願っていた。

そして、神は無慈悲で残酷であった。

 

「――――っ!?」

 

タクシーが通り抜けた瞬間、速度計測器が火花を散らして爆発した。あまりの速さに計測器がショートしてしまったのだ。

警察官は壊れた機械に手を取られておりこの暴走タクシーを追いかけようともしない。せめて無線で誰かに知らせろとカドックは心の中で毒づいた。

すると、今度は路肩で休憩中の白バイ警官達の姿が前方に現れた。

助かったと安堵する。四人もの白バイ警官がいればさすがの運転手も速度を緩めるだろう。

無論、それは甘い考えであった。

カドックの願いも虚しくタクシーはアクセルを吹かして更に加速し、並べて路駐されていた白バイが擦れ違い様の衝撃でドミノ倒しのように横倒しになってしまう。

当然、警官達にこちらを追いかける余裕などなかった。

 

「君、すごいテクニックだが、無理しなくていいんだよ。免停になったら困るだろう?」

 

警察にまで迷惑が及んでしまい、さすがに見かねたのか金髪の紳士が恐る恐る運転手を諫めようとする。

ここまで事故が起きていないのが奇跡に等しい。運転手には悪いが、せめてもう少し安全な運転を心がけてもらえないだろうか。

そんな細やかな期待は、運転手の次の一言で無残にも踏みにじられてしまった。

 

「心配はいりませんよ、無免許運転です」

 

一瞬、世界から音が消えたかのような錯覚を覚えた。

まるで見えない力に引き寄せられるかのようにカドックは隣に座る紳士と顔を合わせ、無言でアイコンタクトを交わす。

言葉はなくとも互いの気持ちが手に取るように分かるほど、二人の眼差しは雄弁であった。

 

――――あ、これヤバい――――

 

二人を嘲笑うかのようにタクシーは時速三百キロを超える速度にまで加速し、助手席のアナスタシアが遊園地ではしゃぐ子どものように歓声を上げる。

フロントガラスの向こうにはハイウェイを疾走する黒塗りの日本車。果たしてこのいかれた運転手はどうやってあの車を止めようというのか。

背筋を冷や汗が伝い、最悪の光景が脳裏を過ぎる。

直後、カドックと紳士は抱き合ったまま互いの無事を祈るのであった。

 

 

 

 

 

 

そして、運命の日が訪れた。

例によって襲撃してきたフォーリナーハンターXXはカドック達の活躍で撃退に成功し、何とか時間通りに開催されたサバフェスは今回も以前と同じ賑わいを見せていた。

会場内ではあちこちのブースで創作物が販売され、外では思い思いのコスプレに扮した参加者が交流を深めている。

そんな中、ゲシュペンストケッツァーの面々は机の上に並べられたオフセット本を緊張した面持ちで見つめていた。

泣いても笑っても今日でこの七日間の是非が決まる。

無事に刷り上がったオフセット本はまだ誰の手にも取られておらず、第一号となる客が来るのを今か今かと待ち侘びていた。

 

「まだ余裕あるわね。私は他の連中の挨拶周りに行ってくるわ。本も何冊か持っていくから」

 

「ほんじゃ、オレと牛若丸で何か飲み物と摘まめるもの買ってきますわ」

 

そう言ってジャンヌ・オルタとロビン、牛若丸は会場の人混みへと消えていく。

それと入れ替わるようにして、ラフなTシャツ姿の大男がブースへと現れた。

 

「お、やっていますな」

 

こちらの様子を見てにやりと笑うのは、我らが船長エドワード・ティーチだ。

見たところ手ぶらのようだが、やはり今回もいの一番に駆け付けてくれたようだ。

 

「なに、マスターの晴れ舞台ですからな。では、一冊……」

 

「はい、どうぞ」

 

ティーチはマシュに差し出された本を受け取ると、代わりに財布から取り出した紙幣を渡して後に来る客の邪魔にならないよう、一歩横にずれる。

そして、本が傷まないよう優しく指先で摘まみながら、ページを捲っていった。

 

「ふむふむ、絵本ときましたか。柔らかいタッチにほのぼのとしたやり取りは心が洗われますな。そして、切ないオチに拙者、不覚にも涙が……ううぅ、簡単そうでいて誤魔化しが効かない題材で、よくぞここまで……」

 

「喜んでもらえてなによりです。ですが、読み返してみると何だかお話の流れが唐突な気も……」

 

「なに、本を書いてりゃそういうこともあるってものよ。それがその時に一番、描きたかったことなんだろうさ」

 

白い歯を剥き出しにしてティーチは笑い、もう一度だけ礼を言って去っていく。

続いてやって来たのはブーディカだった。彼女は本を手に取って少し中を覗くと、昔を懐かしむかのように微笑んで紙幣を差し出した。

 

「何だか、子ども達が小さかった時の事を思い出すね。今度、ちびっ子達にでも読み聞かせてあげようかな」

 

ほんの一瞬、寂しさのようなものを覗かせながらブーディカは去っていく。

更にそこから、茶々やエレナといった女性陣が何人か訪れ、段ボールいっぱいに用意しておいた本は少しずつその数を減らしていった。

 

「好調のようですね」

 

「ええ、今回は私がテーマを決めたのですから、当然です」

 

アナスタシアがえへんと胸を張り、マシュが母親のように頭を撫でる。

実際にネームを描いたのはジャンヌ・オルタで、アナスタシアは最後の方の作画を少し手伝っただけなのはここだけの話である。

 

「カドック、この感じだと四人は多いと思うから、交代で店番しようか?」

 

「そうか? なら……僕達が先に行こうか」

 

挨拶に来た他サークルと楽しそうに話している女性二人を見て、カドックは苦笑しながら席を立った。

いつも一緒にいるだけに、一人っきりで行動するのは何だか久しぶりな気がする。いや、実際には立香もいるのだがそれはそれ。向こうだってルルハワに来てからはだいたい、マシュと行動を共にしているので、男二人で行動を共にするのはいつ以来だろうか。

 

「あ、メイヴのサークルだ」

 

人混みを掻き分け、適当にライバルの作品を物色していた二人は、壁際で一際賑わっている一画を見つけて足を止める。

大勢の男達が仕切っているのは、自身のグラビアを頒布しているメイヴのサークルだ。壁際なのもあってよほどの自信があるのか、かなりの在庫の量が見て取れた。

そして、それが物凄い速度で捌かれている。弱小サークルであるこちらとはえらい違いだ。

 

「うわ、すご……なに、購入者には足掛けになる権利が貰えるの、これ?」

 

(妙だ、メイヴのブースは確か島の方だったはず?)

 

基本的に販売ブースは壁際のサークルの方が待機列に余裕を持てるようになっており、混雑が予想される大手サークルが配置されることが多い。

例えば白い方のジャンヌがいるst.オルレアンがそうだ。だが、メイヴは確か今回がサバフェス初参加のはず。彼女が魅力ある女性であることは否定しないが、それでも何の実績もない無名サークルがいきなり壁際に配置されることなどありえるのだろうか?

気になって初日にBBから貰ったサバフェスの案内を開いてみるが、やはりというべきかこの場所は『鉄棒ぬらぬら』という別のサークルの配置場所になっていた。

これは何やらきな臭い匂いがする。調べればメイヴの売り上げを押さえるためのとっかかりになるかもしれない。

 

(鉄棒ぬらぬら、覚えておいた方がいいな……)

 

どのみち、七日目の今日ではもうできることは何もない。後は運を天に任せ、結果が出るのを待つばかりであった。

 

 

 

 

 

 

午後

サバフェスの終了と共に集計が取られ、売り上げ順位が発表される。

やはりというべきか、一位は女王メイヴのグラビア本。ゲシュペンストケッツァーは残念ながら参加賞だ。

 

「これでループは確定か」

 

残念そうにジャンヌ・オルタは肩を落とす。ここまでひたすらに漫画を描き続けてきたのだから、落ち込むのも無理はない。

だが、すぐに彼女は思い直して顔を上げた。過ぎた事を悔やんでも仕方がない。それよりも次に目を向けるべきだと。

何より、まだ解いていない謎は幾つもある。それを解き明かすまでは、こうして繰り返し本を描き続けるべきなのだと、ジャンヌ・オルタは不敵な笑みを浮かべてみせる。

そんな彼女とふと視線が重なり、カドックは自然と唇を釣り上げていてた。

自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。だが、カドックは確信めいた予感を持って、次の言葉を口にしていた。

 

「さあ、バカンスを続けよう」

 

その言葉が何を意味するものなのか、何故、始めようでもやり直そうでもなく続けようなのか。

それは口にしたカドック自身ですら分からなかった。

 

 

 

 

 

 

『ぞうの王さま』

 

むかしむかし、あるところにとても大きなぞうの王さまがいました。

ぞうの王さまはとてもおこりっぽくて、みんなからこわがられていました。

ある日、王さまはひとりぼっちの女の子とであいました。

女の子はまだちっちゃくて王さまのことを知らなかったので、王さまをこわがることはありませんでした。

女の子はすべり台であそびたいと王さまにわがままを言いました。もちろん、すべり台なんてここにはありません。

王さまが女の子を叱ると、女の子は泣き出してしまいました。その声があんまりにもうるさくて、王さまはとうとうあきらめて自分のせなかとはなをすべり台にして遊ぶよう女の子に言いました。

女の子は心ゆくまで王さまのすべり台で遊びました。王さまはとてもいらいらしていましたが、また女の子に泣かれてはいやなので、ジッと体を動かさないよういっしょうけんめいがまんしていました。

やがて、女の子が飽きていなくなっても、王さまはその場所から動こうとしませんでした。王さまは眠ってしまったのです。

いつしかそこはたくさんの子ども達の遊び場となりました。その真ん中には、今もぞうの王さまが眠り続けているのです。




原作のようにただ本の批評するだけじゃお話が短すぎると思い、こんな形で合体させてみました。
ぞうの王さまはもちろん、あのお方です。
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