第1章:神様は優しいとは限らない(上)
走る。ただ走る。暗闇の中をただ走る。闇に横たわる朽ちた町をただ走る。
もう何時間走っているのか。世界的PMCであるグリフィン&クルーガー社の戦術人形64式は体内時計を確認する。経過時間は1時間と半。まだそれだけの時間しか経っていないのか。64式は舌打ちする。この悪夢がいつまで続くのか、と。
ことの発端はごくありふれたものであった。巡回任務に出ていた64式と仲間達は、敵襲に遭って一溜まりもなく敗れ、潰走している、ということだ。グリフィンに所属する戦術人形ならば、一度や二度は誰もが経験したことのあることだ。
一つ違うのは、敵がグリフィンの仇敵であり、慣れ親しんだ相手である鉄血の屑共とは違う、というところだ。
敵は一様に黒いテンガロンハットとトレンチコートを着込んだ大柄な連中だ。奴らの射撃は下手糞で、生身の人間がそこそこの訓練をつんだ程度の力量でしかなかった。
だが、奴らは異常にタフで蛮勇に満ちていた。銃弾を浴びせてもそう簡単に倒れず、恐怖を感じていないかのようにひたすらに攻撃を仕掛けてきた。
そして、なによりも数が多すぎた。鉄血の連中が繰り出してくる部隊はどれだけ多くとも100体に満たないが、連中はそれを遥かに超えるほどの勢いの軍勢を繰り出してきたのだ。
そんな連中にそれこそ5人しかいない小隊で勝ち目があるわけがない。部隊は散り散りになり、遁走する他なかった。64式も仲間の行方すら掴めぬまま、当てもなく逃げるしかなかったのだ。
すでに弾薬は尽き果て、レーションの類はリュックごと落としてきた。そうでもしなければ逃げられないような執拗な追撃だったのだ。
64式は走り続ける。朽ち果てた文明の墓場を走り続ける。そこに希望があるかどうかもわからず走り続ける。
絶えず背後からは足音が聞こえる。しぶとい。これだけ逃げても連中はずっと追いかけてくる。いい加減にしてほしい。一戦術人形である自分にそこまで追う価値があるのか、連中に問い詰めたい気持ちだ。
最も、心当たりがないではない。自分にはある実験的なシステムが搭載されているからだ。ラプラス・システム。自分はその未完成なシステムの栄えある第一号試験機なのだ。
不意に脳裏に光景が浮かぶ。自分の脳天がぶち抜かれて死ぬヴィジョン。
64式は咄嗟に身を伏せる。刹那、頭上に感じた烈風と衝撃波。そして、その直後に響く銃声。降り注ぐ僅かなコンクリートの欠片。
危ないところだった。伏せるのが一瞬遅れていれば、ヴィジョンの通りになっていただろう。だが、安堵している暇はない。後ろの足音がけたたましくなったからだ。狙撃の失敗に気がついたのだろう。そうでなくても、二射目を凌げるかどうかはわからない。
64式は身を低くしたまま走り、角を曲がって射線から外れる。そして、そのまま全力で走った。
栄養を補給されていない人工筋肉が悲鳴を上げる。冷却水を与えられずに稼動している身体が火のように熱い。それでも64式は走る。自分と同じように敵に襲われているであろう仲間達を救う救援を求めるべく。死ぬ気で走る。行く先の闇の中に、一寸の希望があると信じて。
だが、そんな自分はとてもお目出度い電脳をしていると思い知らされたのは、その5分も経たないほどであった。
目の前に立ちふさがる瓦礫の山。とても乗り越えられそうにない。後ろから迫る足音。それはどんどん音を増している。
絶望が64式の知能回路を染める。ぺたん、と腰が砕けた。
背後の足音が止まった。劇鉄を起こす音がした。次の瞬間には弾丸の嵐が自分を襲う。そして、砕け散る。脳裏にそんな光景が横切る。
こんな結末しかないのか。64式の歯の根が鳴る。戦場で役にも立てず、こんなところで死んでしまうのか。情けない。涙が零れた。
「伏せて!」
声が聞こえた。64式は反射的に従う。次の瞬間、恐ろしい銃声が頭上を駆け抜けていく。
数秒の間に吐き出された7.62x51mmの嵐が敵を撃ち倒していく。胸を貫かれる者、頭を砕かれる者、死因は様々だが、吐き出される弾丸は確実に敵の命を奪って行った。
数秒の後に、静寂が訪れる。隣に何かが落ちてくるような音がした。
「全く…自分の銃に文句を言うのもナンセンスだけど…重いのよね、フルオート」
そして、ぶつくさと文句を言う声が聞こえる。64式は顔を上げた。そこにいたのは黒いジャケットを妙に着崩した、赤毛の混じる金髪をポニーテールに纏めた戦術人形の姿。
その彼女の名を64式は知っている。FAL。グリフィンの戦術人形の中でも有名なエース。その中でも最も戦果を上げている者。そして…
「はい。立てる?」
「…ありがとう」
差し出した手を握って、礼を言いながら64式は思い出す。彼女の異名を。
グリフィン随一の死神。味方殺しのFALの名を。