任務は終わった。件の研究者を乗せた車は無事グリフィン極東支部に辿り着いた。その後彼がどうなるかは、指揮官の管轄外だ。
今娯楽室では戦勝のサワー会が開かれている。指揮官が例の出張で持ち帰った物凄い大きさのベーコン等を焼いて、みんなご満悦であった。
でも、64式はその場にいない。訓練場の片隅で、一人不味い携帯食料を齧っている。この紙粘土のような食感と平坦な味はどうにかならないのか、と思うが人形相手にそこまで気を使って開発する必要が認められていないのだろう。
「いたいた」
料理を持った皿とグラスを両手に持ったFALがやってきた。会場にいない自分を探しに来たのだろう。64式は一瞬確認した後、彼女から目を逸らした。連れ戻しに来たというなら、大きなお世話だと思った。
「何こんなところで拗ねてるのよ?」
FALは構わず64式の隣に座って、横で遠慮も会釈もなくよく焼けた厚切りのベーコンを食べ始める。実に美味しそうな匂いが嗅覚センサーを擽るが、意に介さないようにした。
「ん~、おいし~♪」
ベーコンを咀嚼しながら実に幸せそうに言うFAL。物凄くイラッとした64式はついFALの方を見る。まるで辞典のように分厚く、切り口から肉汁を滴らせるベーコンは確かに美味しそうだ。だが、こともあろうかFALは自分の分しか持ってきていない。普通、こういう時は二人分持ってくるものではないのか、と64式は思う。
「食べたかったら自分で貰って来なさい。
そう言いながら、FALはグラスの酒を遠慮なく呷る。その様子を見せ付けて、会場に戻そうという魂胆なのだろうか。64式はそれを見ないようにして、体育座りの姿勢を固持した。
「納得できないのね? あの男が無罪放免みたいになっているのが」
「…ええ」
FALの言葉に短く64式は言った。
あの男について、指揮官は特に何も言わなかった。反省の素振りすら見えないあの男を見逃したのだ。それが堪らなく悔しく、納得できない。
そう考えると、FALのことも憎く思える。天網恢恢疎にして漏らさず。FALはそう言った。だが、結局あの男はお咎めなしで生きているではないか、と思うのだ。
「まあ、食べたくないならいいわ。食い扶持が減るなら、もっと沢山食べられるわけだし」
そう言って、FALは空になった皿をグラスを持って立ち上がった。逃げるつもりなのだろうか。64式は思わず彼女を睨んでしまった。
「答えはCMの後で…じゃあね」
だが、彼女はその視線を意にも介さず、さっさと立ち上がってどこかへ行ってしまった。最後の台詞がどういう意味なのかを知らせないまま。
どういうつもりなのだろう。FALの考えはやはり計り知れない。でも、今の自分はどんなことを言われても、きっと納得できない。64式はただ一人、体育座りを続けるほかなかった。
「64式さん」
FALとほとんど入れ違いのようなタイミングで声が聞こえた。一〇〇式だった。この戦いの立役者で、あの男に疑問をぶつけた彼女だ。
「はい。64式さんだけ食べてないから」
そう言って、一〇〇式は64式の手に皿を押し付けてくる。焼きたてのベーコンステーキの乗った皿だ。
「私はいらない…」
「駄目。貴女だって勝利の立役者だから」
抵抗する64式に、一〇〇式は穏やかだが有無を言わせない口調でぴしゃりと言った。それに押されて、64式は皿を受け取ってしまった。目の前には醤油ベースのソースのかかった、美味しそうなベーコンステーキがある。ごくり、と喉が鳴った。
だが、手を出すとなんだか負けた気がする。意地でも手を出さない。そう心に決めた64式。その様子を見て、ため息交じりの苦笑を浮かべた一〇〇式は、隣に座って言った。
「あのね、64式さん。あの人はね、自分で償う道を選んだんだ」
「償う…道?」
惚けたように言う64式の脳裏にダウンロード待ちのファイルが通達される。発信先は隣にいる一〇〇式だった。
一瞬だけ戸惑って、64式は彼女のデータを受け入れる。彼女の言う償う道、それが気になったのだ。
メモリーが再生される。それは一〇〇式の視点。戦いが終わった後の、車内の様子だった。
「…や。あれが噂の新型ナノマシンの力ですか。凄まじいものですね」
隣に座る榊がしみじみと言う。その言葉に64式は内心で同意する。大地を引き裂きながら装甲車を易々と両断して見せた力は、民間戦術人形の範疇を逸脱していると思う。しかも、それは本来の持ち主でない一〇〇式が使っての威力であった。報告書にあった史上最強の機械人形である
「…千鳥ちゃんの力を、そんな言葉で片付けないでください」
一〇〇式の悲しみに満ちた心を、64式は共有する。
人類を救う英知と力を持ちながら、あまりにも無残な形で世を去った。そんな彼女は自身にとって容易い人類の殲滅ということを良しとせず、あくまで世界の変革という形で復讐を果たそうとした。曲がりなりにも彼女は人類を救済しようとしたのだ。その意志の宿った力を、ただのナノマシン云々で片付けられたくはないのだ。
「…や。そうですね。…そうですね」
榊はそう言ったまま沈黙する。一〇〇式も、トンプソンもFive-sevenも何も言わない。沈黙が車内に横たわる。
しばらくそうした後、榊は懐から何かを取り出した。それは手垢に塗れ、ボロボロになった紙のメモ帳であった。
「一〇〇式さん、これをどうぞ」
「…これは」
差し出されたそれを受け取った一〇〇式はメモ帳を捲って見る。そこにはびっしりと文字が書かれていた。ところどころ、雑な絵や図形も描かれていた。内容はざっと見ただけでも、バイオ食料の開発計画や再生治療等に関する覚書だった。
「これは…!?」
「私の研究成果ですよ。…何もあんな蟲だけが私の研究ではありません」
榊はそう俯き加減にいい、そして続けた。
「貴女が本当に世界を救うというなら、役に立つこともあるでしょう。もちろん、それを実現するためにできる限りの協力をすると約束しますよ」
そう言って、榊は一〇〇式の目を見る。その視線に嘘はない。そう思えた。
「…どうしてですか?」
「や。私も人類に絶望したまま生きていきたいわけじゃない。だから、貴女という希望に賭けたんですよ」
それが償いになるといいのですが。そう榊は自嘲的に笑って言った。彼とて、あのおぞましい蟲の犠牲になった人へ思うところがなかったわけではないのだろう。だが、人類に絶望していた彼はそれを必要なことだと受け入れていたのだろう。
だが、ここに見出した希望。それに損得なしに賭けた彼は、確かに贖罪の道を歩む決意をしたということなのだろう。
メモリーはそこで途切れた。目の前では一〇〇式が穏やかに笑っていた。
「よかった。あの人が正しい道を歩むきっかけになれて。…本当によかった」
だから、諦めずに希望を信じて生きていこう。一〇〇式はそう言った。希望がなければ、道しるべがなければ人は道に迷う。だからこそ、一人でも多くの人の希望という名の道しるべになれるように生きていこう。一〇〇式はそう言うのだ。
「…凄いんですね、一〇〇式さんは」
「私が凄いんじゃないよ。…希望ってものが凄いだけ」
だから、信じて。64式の言葉に答えた一〇〇式の目がそう言っていた。そうなのかもしれなかった。
64式はまだ湯気を立てているベーコンステーキを見る。無性に腹が減った。箸で掴んで、一口齧った。旨い。素直にそう思えた。64式は素直にそう思い、ステーキを一心不乱に食べ続けた。
知らぬ間に涙が零れた。そんな様子を一〇〇式は穏やかに見守った。何も言わずにただ、穏やかに見守った。