64式戦記   作:カール・ロビンソン

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第3章:人は善意に満ちているとは限らない
第3章:人は善意に満ちているとは限らない(上)


 雲一つない晴天の陽光に焼かれる、朽ち果てた街の片隅の駐車場。そこに一台の軽自動車が現れる。それは既に訪れる者のない広々とした場所の、消えかけた白線の上にわざわざヤクザ停めをする。それは晶の私物である軽キャンピングクルーザーだ。

 

「さて。後5分というところだけど…本当に来るのかしらね?」

 

 助手席で倒したシートにもたれて長い足を組んでいるのはFive-seven。長い銀髪をポーニーテールに纏めた長身の美女だ。そのリボンがウサギの耳に見えるのは彼女の趣味であろうか。

 

「来るさ。…あいつは律儀な奴だからな」

 

 そう言って運転席で電子タバコを燻らせるのはトンプソン。ラフで荒くれ者のように見える彼女だが、チョコフレーバーの電子タバコを愛飲しているなど、何気に可愛いところもある。一つには後部座席に座っている彼女に気を使っているというのもあるのだが。

 

「はい、信じて待ちましょう。あの娘も指揮官と共にあった同志ですから」

 

 そう言うのは、もう一人後部座席に座るこの殺風景な場所に似つかわしくない可憐な少女であった。

 烏の濡れ羽色の長い髪に深紅の瞳。一昔前の女学生の服に身を包み、首には赤いマフラーを巻いている。足を覆うストッキングと腰のスカートには薄紅色の桜の意匠が刻まれており、彼女の容貌を引き立てている。

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな古き良き女学生のような彼女の名は一〇〇式という。

 

「っと、来たみたいね」

 

 そう言って、Five-sevenは身を起こして、車から降りる。そして、地面を滑るように駆けてくる5体の戦術人形を待ち受けた。

 それは優美な流線型の鎧を纏う、まるで騎士のような装いの人形であった。だが、その背丈はとても小さい。Five-sevenの胴ほどまでしかないその体躯は小学生のように見えた。

 そんな彼女らは70km/h程の速度で駆けてきて、Five-sevenの前に止まる。そして、先頭にいた人形が肩に担いでいた自身の倍ぐらいの大きさの男を地面に降ろした。その様子はもはや漫画としか思えない。

 

「グリフィンドールのFive-sevenさんですね? 届けモノをお持ちしました」

 

 そう言って、彼女はヘルメットを取って顔を見せる。それは金色のポニーテールに纏めた少女のそれであった。表情が硬く、変化がない様からマネキンのように思えるが、それこそが軍用戦術人形の証でもあった。

 彼女はレーヴァティン。この国の誇る最新鋭の軍用戦術人形である。

 

「久し振りだな、レヴァ」

 

 運転席の窓からトンプソンが声をかける。その様子はとても友好的で、仲間意識のあるものであった。

 

「お久し振りです、トンプソンさん。その節は救助ありがとうございました」

 

「気にするな。お前が生きていて良かったぜ」

 

 頭を下げる軍用戦術人形にトンプソンは鷹揚に言う。数ヶ月前、彼女らは恐るべき敵を相手にしたとき、共闘したことがあるのだ。その時のやり取り以来、トンプソンは彼女を気に入っている。今受け答えする彼女の表情に変化はないが、声色には戦友との再会を喜ぶ色がある。軍用戦術人形の彼女にも心はあるのだ。

 

「で? 貴方が今回の保護対象なわけね?」

 

 Five-sevenはそう言って、下ろされたばかりの男を見る。スーツ姿の痩せすぎずの眼鏡の男だ。

 

「や。そういうことになります。よろしくおねがいしますね」

 

 男は慇懃にそう言って、Five-sevenにお辞儀をし、握手を求めて右手を差し出してきた。

 

「…悪いけど、腕は他人に差し出さないの。戦場では特に、ね?」

 

 そう言って、Five-sevenは握手を拒否する。戦場で見知らぬ者に手を委ねる馬鹿もないものだ。最もそれは建前である。本音はこいつの手を触りたくなどないのだ。指揮官の言葉が正しければ、彼はあのおぞましい蟲の開発者なのだから。

 

「や。これは失敬。…では、失礼しますね」

 

 男は特に気を悪くした様子もなく、Five-sevenの開けた後部座席のドアから車の中に乗り込み、一〇〇式の隣の席に座る。

 Five-sevenはドアを閉めて、助手席に乗り込む。それを確認して、トンプソンはエンジンをかけた。

 

「レヴァはこれからどうするんだ?」

 

「追っ手を可能な限り排除した後、適当に撤退します」

 

「そうか… 無理するなよ?」

 

「はい。心遣いに感謝します、トンプソンさん」

 

 トンプソンの言葉に、レーヴァティンは感謝の言葉を述べる。表情こそ変わらないが、心の篭った言葉だと思った。いい娘だな、とトンプソンは思う。

 

「では、お気をつけて」

 

「ああ」

 

 そう言葉を交わして、トンプソンは車を発進させた。その時、レーヴァティンが後部座席に座る一〇〇式に視線を注いでいるのが分かった。表情は変わらない。だが、それはなんとなくだが羨ましそうな気持ちが篭っている。そんな気がした。

 

「…軍用戦術人形も、なかなか捨てたものじゃないわね」

 

「ああ。あいつは良い娘さ」

 

 Five-sevenとトンプソンが言葉を交わす。彼女は様々な理屈をつけて、グリフィンに協力してくれる。今回の件にしても、護衛任務における有用性の試験という強引な理由で、護衛対象をここまで連れてきてくれたのだ。一つには、彼女の生みの親である西博士とやらと指揮官が友人である、ということもあるのだが。

 

『指揮官、FALさん。護衛対象に接触しました』

 

 一〇〇式が通信モジュールの回線を開いて、晶とFALに報告する。とりあえず、作戦の第一段階は達成だ。

 

『了解。ただちにグリフィン極東支部に向かってくれ。ついでに、情報も可能な限り引き出しておいてくれ』

 

『気をつけるのよ、一〇〇式』

 

 晶が行動方針を伝え、FALが彼女に注意を促す。敵の襲撃があるとすればこれからだからだ。

 

「や。一〇〇式さんがお出迎えとは嬉しい限りです。実は私、一〇〇式さんのファンでして。総選挙の時も一票入れさせていただきましたよ」

 

 護衛対象の男はニコニコとしながら一〇〇式に言う。その様子からは邪気は感じられず、とてもあの恐ろしい蟲を生み出した男だとは思えない。

 

「あ。私、榊と申します。どうぞ、お見知りおきを」

 

「一〇〇式機関短銃です。短い道中ですが、よろしくお願いします」

 

 榊と名乗った男に、一〇〇式もまた改めて自己紹介してお辞儀をする。何はともあれ護衛対象で、グリフィンの客である。礼を失するわけにもいかない。そうでなくても、一〇〇式は礼儀正しい人形なのだ。

 

「や。天野指揮官には感謝の言葉もありません。セーフハウスを用意してもらった上に、護衛まで寄こしてくれるのですから」

 

 護衛に守られているからか、榊は饒舌になっているようだ。聞かれてもいない事情を自分から言ってくれる。どちらかといえば口下手な一〇〇式としてはありがたいことだった。

 彼の話によると、数日前に晶は彼にIFN(=インターフェイスネットワーク)で接触し、トカゲの尻尾切りに遭おうとしていることを忠告された。事実身辺が何やらきな臭くなってきたことを感じていた榊は、彼の指示に従いセーフハウスとして用意していた旧世代のシェルターに避難した。その後、レーヴァティン及び一〇〇式達を迎えに寄こしたのだ。

 

「トカゲの尻尾切りって、どういうことなの?」

 

 助手席のFive-sevenが尋ねる。あの蟲を開発した人間がどうして尻尾切りの憂き目に遭う羽目になったのか。

 

「や。グリフィン襲撃事件の責任を押し付けようとしたんですよ。私と実行犯にね」

 

 私は襲撃には反対だったのに。そう前置きして、彼は襲撃事件の真相を話し始める。

 彼の所属していた企業である『ケミカルダイン』は生化学工業メーカーである。医薬品や合成食糧の大手であり、グリフィンに強化カプセルや缶詰を卸している取引先の一つでもある。

 今回の襲撃はケミカルダインの重役と、グリフィン非主流派がグルになって計画したものだ、と榊は言った。

 

「ちょっと待て。なぜグリフィンの役員が自社の基地を襲う計画なんて立てるんだ?」

 

 トンプソンが最もな疑問を口にする。自社の基地を襲うなんて、そんな馬鹿げたことを考える者がいるのだろうか。

 

「グリフィンも一枚岩ではありません。そして、非主流派の中には人権団体の息のかかった奴もいるんですよ」

 

 榊はトンプソンの問いに淡々と答える。

 グリフィン非主流派とその背後にいる人権団体は自律人形の存在を面白く思っていない。彼らの主張は、人類の世界を守るのは人の手で行うべきだ、というものだ。故に、戦術人形ではなく、人間の兵士を戦力として用いるべき、というのである。

 ケミカルダインは元々人権団体の影響を強く受けている会社であり、それがグリフィン非主流派と結びついて今回の襲撃を計画したのだ。グリフィンの防衛網が易々と破られたのも彼らの提供した情報によるところが大きいのだ。

 

「襲撃の最大の目的は蟲の性能試験というところですね」

 

 榊はケミカルダイン側の思惑を語る。

 ケミカルダインとしては例の蟲を売り出すために、その性能をテストする必要があると考えた。そこで蟲で作ったゾンビ達にグリフィンの基地を襲撃させ、戦術人形達を倒すことでその戦力としての有用性を示そうとしたという。

 

「ケミカルダインとしては戦術人形に代わる戦力として蟲を売り出すつもりだったんですよ。そして、グリフィン非主流派は戦術人形を戦力の中心とする主流派を、蟲を実用化することで排しようとしたわけですね」

 

 欲の皮が張った連中ですよね、と榊は吐き捨てるように言った。彼としても、自身の発明を望まぬ商売や権力争いのために利用されているのだから面白かろうはずはない。

 

「ところが天野指揮官によって、蟲の情報が軍とI.O.P社に漏れてしまった。お陰でケミカルダインは事件との繋がりを隠蔽しなければならなくなったのですよ」

 

 榊の話によると、晶は軍の戦略研究所に捕獲した蟲を、そこで分析して貰ったデータをI.O.P社に渡したのだ。そして、それを流したことをケミカルダインに仄めかしたのだという。

 蟲は兵器としては合理的で有用なものだが、余りにも非人道的すぎるという問題点がある。もしも、存在が露見した場合ケミカルダインは社会から排斥される憂き目に遭うだろう。

 そこでケミカルダインは事件に関して頬かむりを決め込むことにし、その責任を蟲の開発者である榊と榊も知らない実行犯に押し付けることにしようとしたのだ、という。

 

「や。危ないところでしたよ。反対だったはずの襲撃の責任を取らされたのでは堪ったものではありません。天野指揮官には感謝感謝ですよ」

 

 榊は肩を竦めてそう言った。晶の手引きがなければ、榊はケミカルダインに捕まって、襲撃の計画犯に仕立て上げられていただろう。榊としても自分を裏切った会社に未練などない。晶の要請に従って、グリフィンで知っている限りのことを全部ぶちまけて、証拠であるデータや書類を全部提出するつもりだ。これでケミカルダインとグリフィン非主流派、そして裏にいる人権団体過激派は一網打尽だろう。

 

「…榊さんはどうしてあんな蟲を作ったんですか?」

 

 一〇〇式は榊に最も聞きたいことを尋ねた。あんな恐ろしい蟲をどうして作ったのか。あの蟲は一体何を望まれて作られたのか。それを知りたいのだ。

 

「ああ。元々、あれは政府の要望で作ったんですよ」

 

 榊はその問いにあっさりと答え、そして説明を続ける。

 

「一〇〇式さんはご存じでないと思いますが、この国の地下には隣国から押し寄せた難民達が押し込まれていましてね、その数は百万人とも言われています」

 

 知っている。一〇〇式は心の中でそう反論した。地下に棲む哀れな人々のことを、一〇〇式は見たことがある。今は亡き戦友千鳥の手引きによって。

 北蘭島事件でユーラシアの東側が壊滅して、その地域で辛うじて生き延びた人達は、なぜか崩壊液拡散の被害が少ないこの国に逃げてきたという。だが、この国にもそれを受け入れる余裕はなく、彼らは光差さぬ地下に押し込められたのだという。

 

「政府にとって彼らは厄介なものです。一応、僅かとはいえ食料は支給しないといけないですし、最低限生存できる環境を保たなければいけません。その上で、彼らが地上に出てこないように押し込めておかねばならないのですから、費用も労力もかかり放題です」

 

 榊の言葉通り、軍は彼らに僅かながら食料を提供し、生存維持のための機構を整備している。そうしないと、人権団体の連中がうるさいからだ。そして、その反乱を抑えるために地下の入り口に軍を駐屯させて入り口を塞いでいる。確かに彼らは政府にとっては面倒な存在なのだ。

 

「彼らの存在を秘密裏に消し去れないか、ということでね。…蟲のことを聞いた政府の人は大層喜んでくれましたよ」

 

 榊は微かに笑ってそう言った。誰でも自身の研究成果が絶賛されれば嬉しくないはずがない。

 世界はE.L.I.D発症者の侵攻によって危機に晒されている。蟲で作られたゾンビを戦力化すれば、最低足止め程度には使える。地下の厄介者達が維持費も作成費も安い、使い捨てても問題ない兵器になるのだ。こんなありがたい話はないだろう。

 

「ということはまさか…あの襲撃者達は…」

 

 一〇〇式は息を呑んで榊を見る。この話の流れからすると、彼らの正体は一つしかない。

 

「ええ。地下から連れてこられた難民ですよ。彼らに蟲の卵を飲んでもらったらしいです」

 

 榊は一〇〇式の想像を肯定して言う。彼らは地上に出られ、まともな食事を得られる、ということで自発的にケミカルダインの職員の要請を受け入れたらしい。そして、地下壕丸々一つの難民がゾンビに作り替えられた、とのことだ。

 

「…合理的だな。反吐が出るぐらいにな」

 

 余りにも悍ましい話にトンプソンは吐き捨てるようにそう言った。様々な裏の仕事をこなして、世の中の闇をいくらかは見てきたトンプソンにとっても、耳を洗いたくなるような話だ。

 

「…そんなことが許されると思ってるの!?」

 

 Five-sevenが怒りの表情で言い、榊を睨みつける。人の尊厳を無視した暴挙。そして、それによって仲間である戦術人形達にも多大な被害が出ている。その事実がFive-sevenには我慢ならなかった。

 

「や。そう言われましても、この国の最高権威からの要請でしたし、それからお墨付きを得たのですから許されているのでしょう」

 

 榊が平然と吐いた言葉に、Five-sevenは黙って俯いてしまう。各地の支配権をPMCに委譲しているとはいえ、最終的に強大な力を持つ政府に、PMCは逆らうことができない。その政府からの要請なのだから、誰もあの蟲とそれを作ったこの男を裁くことはできないのだ。

 

「…榊さんは、心が痛まないんですか?」

 

 一〇〇式は俯きながら、呻くように言った。人の尊厳を踏みにじり、まるでモノのように扱う。そんなものを作り出して、良心に恥じることはないのだろうか。それを聞きたかった。

 

「や。それはですねぇ…」

 

「…おしゃべりはここまでのようだぜ」

 

 榊の言葉を遮って、トンプソンが鋭い口調で言う。彼女の覗くバックミラーには数台の車が映っていた。

 

「来たみたいね…」

 

 Five-sevenもまた銃を抜いて応戦の構えをとる。それを見て、一〇〇式も座席に立てかけていた銃を取る。暗鬱な気持ちで。

 

『指揮官、来たわよ』

 

『了解。各員、状況開始。…第一手はFALだ。準備はいいか?』

 

『大丈夫よ、指揮官。いつでもいけるわ』

 

『よし。任せたぞ。64式もな』

 

『…はい』

 

 そう答えて通信モジュールを閉じた64式は重い溜息を吐いた。

 車内での話は通信モジュールを通じて、64式にも聞こえていた。余りにも悍ましい話だった。そして、あまりにも馬鹿馬鹿しい話だった。そんな馬鹿馬鹿しいことのために、基地のみんなは犠牲になったのだ。やるせなかった。

 

「気持ちを切り替えなさい」

 

 FALが64式の肩を叩いて言う。

 

「事件の背景経緯がなんにせよ、私達は任務をこなさないといけないのよ」

 

「それはそうだけど…でも…」

 

 FALの言葉に、64式は暗鬱な表情で視線を落とした。これから護衛しなければならないのは、自分の基地を壊滅させた連中の一味で、しかもあの蟲を作ったことに全く罪悪感などを抱いている様子はない。そんなやつを守らなければならないのか、と思うと身体も心も重くなろうというものだ。

 

「天網恢恢疎にして漏らさず。…いずれ罪を償うときは来るわよ」

 

 FALはそう言って身を隠していた瓦礫から出る。彼が本当に罪の意識を覚えていないのなら、我らが指揮官がそれを許すはずがない。何らかの形で制裁を下すだろう。FALは晶のことを分かっていて信じているのだ。

 

「…そうですね」

 

 64式はそう言ってFALに続く。いくら心が重くとも、任務はこなさなければならない。それが戦術人形としての自分の存在意義だ。FALを信じよう。そう思うよりほかにない。自身の頬を軽くはたいて、64式もまた瓦礫から出る。そして、銃を構えて目標の到達を待つのだった。


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