副会長:渡辺優   作:名々詩

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そんな感じで、よろしくお願いします。


第1話

 * * *

 

 席を立ってクラスを見渡すと、マジで女子ばっかりだった。二クラスあって男子が七人だと聞いていたけど、六人と一人にわけるってどういう了見なんだろう。

 

「渡辺優です、よろしくお願いします」

 

 そういった瞬間、少し空気が変わった。自己紹介、というか名乗っただけでクラスがざわついていた。なんだろう、何か変なことでもしたのだろうか。いや名前言っただけなんだけど。

 わけもわからず不安になりつつ座ると、続いて後ろの席の女子が自己紹介をはじめた。

 

「渡辺曜です」

「……うん?」

 

 自分の名前と酷似した響きに思わず振り返ると、水色の瞳と目が合う。ボーイッシュな雰囲気で、可愛いと綺麗とを半々くらい兼ね備えた女の子。「よろしくね、渡辺くん」と言った彼女は困ったように笑っていた。

 

 

 * * *

 

 

 私立浦の星学院。何年か前までは女子高だったけれど、少子化とか郵政民営化とか、なんかよくわからない理由があって共学になった。分かりやすく言えば生徒数の減少に伴い、より多くの生徒を募るために共学化したのだ。我ながら分かりやすい。誰だよ郵政民営化とか言ったやつ。

 肝心の生徒数の話だけど、そっちはあまり芳しくない。入学して一年が経つけど、男子生徒の数はめちゃくちゃ少ない。沼津のほうにも高校はあるし、交通の便もよくない。そんなわけで、わざわざバスとか電車とかを乗り継いで来るような奇特な人はいない。ごく一部に例外はいるらしいけれども。

 

 

 * * *

 

 

 温かい日射し、穏やかな風。信じられないほど心地よい気候と、舞う桜も相まって、軽く夢見心地で学校までの道のりを行く。

 

 真新しい制服に身を包んだ新入生は、やはりというかなんというか、去年よりも少なく見えた。というか男子が見当たらない。一昨年は十人、去年は七人と、ごく少数ながら毎年いたのに、今年はもしかするともしかしてしまうのではないだろうか。

 だってほら、さっきから新入生にやたら見られてる。ひそひそと「ほんとに男の人いるんだ」とか「男子の制服ってあんなのなんだ」とか「あの人顔立ちは可愛い寄りだね」とかうるせえほっといてくれ。

 生暖かい視線を感じながら新入生たちを追い越すと、校門付近では各部活動が勧誘に精を出していた。バレー部、放送部、剣道部、水泳部、吹奏楽部etc…。おおむね事前に連絡があった通り、違反行為も不測の事態もなさそうだ。水泳部が水着でやってるのはどうかと思うけど、まあ許容範囲だろう。会長に言われて来てみたけど、これなら様子を見に来る必要も――。

 

 

「スクールアイドル部でーす!!」

 

 ――なかったかなー、なんて。思ったんだけどなあ……。不測の事態だよ、絶対会長怒るよ。ぐちぐち小言言われた挙げ句、「だいたいあなたは普段から弛みすぎですわ」とか関係ないとこまで責められる未来まで想像出来てしまった。

 他の部のスペースから少し離れた場所。そこに声の主――友人でもある高海千歌がいた。よくわからないハチマキ、黄色いメガホンを装備して「春からはじまる、スクールアイドル部ー!!」と声を張っている。ていうか声でけえ。その近場では、高海さんの幼なじみで水泳部に所属している渡辺曜が新入生に声をかけながらチラシを配っていた。無駄に慣れた感じというか、様になっている。

 やたらと目立っているが、よくよく観察してみると見事に避けられていることがわかる。その証拠にしばらくすると、二人の周囲から新入生の姿はなくなっていた。

 

「大人気、スクールアイドル部でーす……」

 

 高海さんが乗ってた段ボールに背中合わせで腰掛け、すっかり肩を落としてしまっていた。こんなに弱々しい二人は初めて見た。見ていられない。

 

「二人とも何してんの」

 

 心配になって声をかけると、高海さんがぱっと顔をあげて、ぺかーっと眩しい笑顔。

 

「ゆーちゃんおはよー!」

「おはよう高海さん。あとゆーちゃん言うな」

「えー可愛いのにー」

「それが嫌だって言ってんだけどなあ……」

 

 優って名前自体は覚えやすいし漢字も簡単だから好きだけど、ゆーちゃんって字面になると途端に女の子っぽく思えてしまう。中性的な顔立ちと相まって、背が高めの女子と間違われることもある。本気で鍛えてみようかと考えている今日この頃。

 

「おはよ、渡辺くん」

「おはよう、渡辺さん」

 

 メガホンを片手に持て余しながら、空いた手で「ヨーソロー」と敬礼する渡辺さん。お父さんが船の船長で、そんなお父さんに強く憧れている彼女は、しょっちゅうヨーソローヨーソロー言っている。多分前進するとかそんな意味だった気がするけど、その辺はあんまり考えてないらしい。自分の名前とかかっているし、前向きな感じが渡辺さん的にはお気に入りらしい。生き急いでいるのか、とか思わなくもないけど。

 

「渡辺くん、今失礼なこと考えたでしょ」

「なんのことやら」

「あ、そういえば私たち三人また同じクラスだから。よろしくね」

「うへぇ……」

「嫌そうだね」

「そんなことはないけど、宿題は見せないよ」

「えー、当てにしてたのにー」

「いや、渡辺さんちゃんとやったら出来るんだから自分でやりなよ」

「私部活で忙しいから」

「こっちも生徒会で忙しいんだけど」

 

 ふと、そんなふうに軽口を交わす僕らを、高海さんが某動画サイトよろしくニコニコしながら見ていることに気づいた。関係ない話だけど、プレミアム会員の扱いがそれほどプレミアムじゃないのはどうかと思う。一応月額払ってるわけなんだけども。

 

「よーちゃんとゆーちゃんってほんとに仲良いよねー」

「「…………」」

 

 高海さんの言葉に、顔を見合わせる渡辺二人。仲良い、のかな。そりゃあ高校に入ってはじめて出来た友だちだし、出席番号が前後だからグループ分けなんかだと一緒になることが多かった。去年を振り返ってみると、一緒に過ごした時間が一番多い同級生は間違いなく彼女だ。だけど、僕からすれば高海さんと渡辺さんのほうがはるかに仲良しに見える。

 

「千歌ちゃんはほら、幼なじみだし」

「なんでデフォで心読めるの?」

 

 付き合いはそれほど長くないのに、渡辺さんには色々と筒抜けになってしまうのは何故なのか。思えば去年から彼女相手に隠し事を隠し通せた試しがない。この場合読まれたのが心なのか地の文なのかは定かではないがそれは捨て置こう。密かに高海さんに惚れそうになったことまでバレてるあたり心読んでるのが濃厚だけども。何なのこの子。エスパー?

 いや、まあいい。それより本題だ。こほんと咳払いをして、改めて高海さんに向き合う。

 

「で、何してんの?」

「勧誘だよ!」

「見りゃわかるんだけど、そうじゃなくてね」

「ね、ゆーちゃんスクールアイドルって知ってる? すごいんだよ、今大人気でね」

「いや、あの」

「どこのグループも本格的で、曲もダンスもすごいの! なかでも私のおすすめの曲があるんだけどちょっと待ってね今読み込んでるからね!」

「……」

 

 

 ほんっと話聞かねえなこの子……。スクールアイドルは知ってるし、大人気なのも知ってるけど僕が聞きたいのはそういうことじゃない。小さな子どもみたいにキラキラと目を輝かせる高海さんを見ながら、そういえばこの子はこうなると話を聞いてくれないんだよなと思い出す。けれども、勧誘活動を行ってる時点で想像することは安易だった。

 

「要するに、スクールアイドルやるってこと?」

 

 僕の問いに対する答えは、太陽のような笑顔。眩しい、眩しすぎる。まだ春だというのに、真夏の太陽を彷彿とさせる。熱中症になりそう。というか、そういうことやるならやるで僕に一報くれたらいいのに。そうしたら適当に根回ししたのに、二人してそういうこと言わないんだもんな。……はて。

 一緒にチラシ配ってたってことは、二人でやるってことなのかな。

 

「渡辺さんもやるの?」

「曜ちゃんは水泳部のエースだから。引き抜くのはちょっとねー」

 

 にやっと笑う高海さんを見て、ああなるほど。渡辺さんをいじりたいんだなという思いを察した。いいね、乗った。

 

「あ、そっか。水泳だけじゃなくて飛び込みでも十年に一人の逸材だとかなんとか言われてるもんね」

「そうそう。曜ちゃん人気者だし可愛いからアイドル向いてると思うんだけどねー」

「そうだね。またファンクラブの会員が増えてしまうね」

「今何人いるんだっけ?」

「えっと、去年の夏の時点で確か五十…」

「お、ついに五十人突破したんだ」

「いやー、幹部としては鼻が高いですな!」

「ですなー」

「ちょっ、やめてよ二人とも!」

 

 恥ずかしそうに頬を赤らめ、両手をわたわたさせる渡辺さんが面白可愛くてしばらく高海さんといじって遊んでいたけど、一発いい蹴りを貰ったのでそれ以上はやめておいた。痛い。ちなみに二人して幹部なのはガチだ。何なら僕に至っては運営の一端を担ってる。

 蹴られた拍子に一つ思い出したことがある。だけどこれは、僕から伝えてしまってもいいことではないような気もする。なんだかやる気になっている高海さんを意気消沈させてしまう上に、会長のプライバシーに関わることだ。

 と、その時ポケットのなかでスマホが震えた。画面に表示されたのは『会長』の文字。断りを入れ、二人と少し距離を置いてから電話に応じた。

 

「すみませんでした、渡辺です」

『……何故電話に出て最初の言葉が謝罪なんです?』

 怪訝そうな声。この人から着信があった場合、大抵は僕が何かやらかした時だからとりあえず謝ってみたけど、どうやら杞憂で済んだようだ。

 

「いや、会長から電話ってことは怒られるのかなって」

『あなたとの接し方を少し改める必要があるようですわね……』

「え?」

『いえ、お気になさらず。それより、何か問題はありましたか?』

「あー、っと、そうですね。水泳部の方が水着で闊歩してましたけど特には」

『まあその程度でしたら衣装の範疇でしょう。事前に申告がなかった件だけは注意しておきましょう』

「そうですね、それ以外は特に――」

 

 その行動に深い理由はなかった。本当に何の気なしに視線を泳がせると、二人の新入生(しかも二人ともえげつない美少女)に絡む高海さんが見えた。見えてしまったという気持ちが強い。問題あったじゃん。何なら今も問題起こしてる。

 新入生二人のうち、髪色が赤い子のほうは顔を青ざめさせたり真っ赤に染めたりで忙しそ「ピギャァァァァァァ!!!!!!」うるせえ。その声のボリュームに驚いた高海さんが尻餅をついていた。うん。

 

「――問題ないです」

『なんですか今の間は……っ!? ルビィ!?』

「会長? どうしました?」

『すみません優さん、また後ほど』

「え、あの」

 

 ブツッ、ツーツーツー……。

 

「……何なんだろう」

 

 通話を切ったときの電子音ってやけに物寂しい気がする。まあどうせ後々会うことになるから別にいいんだけども。それよりも最後ルビーって言った? なんだルビーって。僕はサファイアをプレイしたけど。緑のヤモリがかっこよくて好きだった。進化したらリーフブレードっていうやたらかっこいい技を覚えるところもポイント高い。このモノローグ必要ないな。もうやめておこう。

 高海さんのほうに戻ってみると、人数が増えていた。いわゆる姫カットと呼ばれる髪型で、一部をお団子にまとめている。すげえ、今年の新入生レベル高い。何でか知らないけど頭に鞄を乗せてはいるけど。ていうかどっから現れたのこの子。

 

「それより足、大丈夫…?」

 

 つんつん、と足をつつく高海さん。姫カットの子は一瞬痛そうに目を瞑ったが、涙を目に溜めながら言う。

 

「痛いわけないでしょう? この身体は単なる器なのですから!」

 

 ……ああ、なるほど。そういう子なのか。通りで渡辺さんが引いてるわけだ。一定数いるよね、こういう、キャラ作ってる子。すげえ美少女なのになあ…。

 

「ヨハネにとって、この姿はあくまで仮の姿。おっと、名前を言ってしまいましたね、堕天使ヨハ」

「善子ちゃん?」

 

 せめて最後まで言わせてあげてほしい。

 新入生同士が何やら仲良くやってるうちに、高海さんに手を貸して立たせて、ヨハネちゃんがどこから出てきたのか聞いてみると、なんと木から降ってきたらしい。校則的にはどうなんだろう、木に上るの。違反とかではなかったと思うけど、一応注意だけしておこうかな。

 

「善子言うなーっ!! いい!? 私はヨハネ!ヨハネなんだからねーっ!!」

「あ、善子ちゃーん!」

「あっ、マルちゃん!」

 

 ヨハネちゃんの大きな声に振り返ると、新入生三人で追いかけっこをしながら去っていった。仲がよさそうでなによりだ。注意しそびれたけど今度でいいかな。

 

「あの子たち……あとでスカウトに行こう!」

「あはは……」

「確かに三人とも可愛かったよね」

 

 そろそろいい時間だし、一度生徒会室に戻ろうか。そんなことを考えた瞬間、背後からか声が聴こえてきた。

 

「あなたですの? このチラシを配っていたのは」

 

 聞き慣れた声だった。なんなら、さっき電話越しで聞いた声。一瞬で背筋が伸びる。恐らく高海さんと渡辺さんは声の主の方を向いているのだろうけど、僕はとてもじゃないけどそちらを見ることが出来なかった。

 

「いつ何時、スクールアイドル部なるものがこの浦の星学院に出来たのです…?」

 

 やばい、ちょっと怒ってる。刺激したらまずい。どんな言葉を以てして宥めようかと、そんなことを熟考してるときに高海さんが一言。

 

「あなたも一年生?」

 

 正気かこの女……!?

 

「千歌ちゃん…! 違うよ、その人は新入生じゃなくて三年生、しかも……」

「……嘘…!?」

 

  渡辺さんが慌てて耳打ちする。ていうかリボンの色が違うんだから新入生じゃないことくらい気付いてほしい。

 

「あら、優さん」

 

 ビクゥッ!!! と全身が反応する。この人に名前を呼ばれると、否応なしに少し緊張してしまう。礼節を欠くとこれまた叱られてしまうので、しっかりと振り返ってから一礼。

 

「……おはようございます、会長」

「はい、おはようございます」

 

 浦の星学院三年生にして生徒会長、黒澤ダイヤ。彼女はそう言って、優雅に微笑んだ。これはあれだ。連行されるやつ。

 

 

 * * *

 

「つまり、設立の許可どころか申請もしていないうちに、勝手に部員集めをしていたというわけ?」

 

 所変わって生徒会室。いつもの席に座っている会長と、その前に高海さん、高海さんの斜め後ろに僕

が立っているという構図になっている。渡辺さんは外で待機。

 

「悪気はなかったんです。ただ、みんな勧誘してたんで、ついでというか、焦ったというか……」

 

 悪気がないのは事実だろうと思う。高海さんは基本的にちょっとアホの子だ。

 ちらちらこっちに目をやる高海さんに、僕は肩を竦めた。助け船を出して欲しいようなので仕方がなしに。

 

「会長、この子嘘ついてもすぐバレちゃうタイプの子なので、本当に悪気はなかったんだと思います」

「ゆーちゃん!」

「ただちょっとアホというかおバカさんといいますか」

「ゆーちゃん……」

 

 いちいち一喜一憂する高海さんはちょっと面白いけど一先ずスルー。

 

「………はぁ……。まあ、優さんのご友人ということですし、勝手に部員集めをしていた件については不問としてもいいでしょう」

「ありがとうございます」

「ですが優さんには少しばかりお話があります」

「……はい」

 

 怒られるんだろうなぁ……まあ仕方ないかなぁ……。ていうか高海さんを不問にしたのも、報告書とか諸々、今回のことを一任されていた僕が書くことになるからだろう。あれ、僕めっちゃ損してない?

 

「それとここまで来ていただいて申し訳ないのですが、水戸部先生から頼まれていた事があるのでそちらの方をお願いしても?」

「水戸部先生…ああ、水泳部の顧問の先生ですか。了解しました」

 

 高海さんがあーよかったよかったゆーちゃん様々だよーみたいなリアクションを見せるのを横目で眺めつつ、僕は廊下に出た。一言も発してないのにそこまで感情を表現できる高海さんがすごいのか、読み取れる僕がすごいのか。どっちでもいいか。廊下に出ると、一人待っていた渡辺さんと目が合う。

 

「渡辺くん」

「勧誘の件は不問だってさ」

「あ、そうなんだ」

 

 ほっと安心した様子の渡辺さん。この二人は幼なじみなだけあってよく似ている。顔とか雰囲気とかではなく、ふとした瞬間の表情であったり、行動に至る過程の思考であったり。基本的に単純というか、明け透けというか。ただし、似ているというだけでまったく同じではない。まあ当たり前だけど、二人とも一人の人間だし、まったく同じなわけはないのだが。

 ………いやでも悪いこと企んでる時の意地の悪い顔はまったく同じだなそういえば。幼なじみってすげえなあ……。

 

「でもなんかまだ話してるみたいだけど…?」

「会長が高海さん呼び出したの、勧誘活動の件だけじゃないっぽいし」

「……やっぱり、スクールアイドル嫌いなの?」

「え?」

「生徒会長。スクールアイドルが嫌いだって」

「……ふーん」

 

 生徒の間ではそういう感じになってるのか。確かにスクールアイドル部設立の申請が来る度に会長の一存で認めなかったし、そういう捉え方をされるのも納得のいくところではある。

 

「…………」

 

 そんなわけないと、言えたらよかったのだろう。会長がスクールアイドルを嫌っているなんて、馬鹿みたいな話は。あの人ほどスクールアイドルが好きな人もそうはいない。だけど、それは僕が口を出していいところではない。

 

「渡辺くん?」

 

 「どうしたの?」と、眼前で僕の目じっと見つめる渡辺さん。何かを探るのと同時に、友人として僕のことを心配してくれているのだろう。そのまっすぐな眼差しに相対する方法を僕は持ち合わせていない。

 

「なんでもないよ。それより、水戸部先生がどこにいるか知らない?」

 

 隠し事が通じないことを鑑みると、きっと嘘をついていることにも気付かれているだろう。

 だけど友達想いの彼女は、無理やり踏み込んできたりしない。隠し事を隠し通せた試しはないけど、本当に隠したいことについて詮索したりはしない。渡辺曜は優しい女の子だ。

 一瞬。ほんの一瞬だけれども。渡辺さんは目を伏せる。でも、すぐにいつもの調子で返してくれた。

 

「水戸部先生ならプールにいるんじゃないかな。後で顔出せって言われたし」

「そっか、ありがとね」

「一緒に行こうか?」

「いや、いいよ。それより高海さんをお願い」

 

 あの子がやろうとしていることと、会長の方針と。察するにおそらく軽く衝突するはずだから、途中で止めてあげられる人が必要になる。

 

「ん…そだね、わかった」

「それじゃ、また」

「うん」

 

 人当たりのいい笑顔を浮かべて敬礼する渡辺さん。手を振って別れて、一人廊下を歩く。この時間、生徒は教室か各部の部室かに集まっているはずで、そうなると自然人気はない。

 心が身体の何処にあるのかなんて知らないけれど、少なくとも僕の心は心臓あたりに存在しているらしい。

 罪悪感を覚えるくらいなら、端から誤魔化したり、嘘を吐いたりなんてしなければいい。だけど、先ほどの件について話す権利を僕は有していない。仕方ないことではある。

 上履き独特の音が無機質に響く。ぐるぐると巡る思考の中、渡辺さんの寂しそうな瞳が脳裏に焼き付いていた。

 

 

 * * *

 

 渡辺くんが嘘をついたこと自体は三秒くらいでわかった。言語化が難しいけど、彼の嘘は直感的にわかる。

 友だちなんだからもっといろいろ話してくれてもいいのに、と、少しの憤りと一抹の寂しさを抱く。

 

「……まあ、いいかな」

 

 彼との付き合いもちょうど一年くらいになる。一緒にいる時間が多いからか、いくつか気づくこともある。

 友だちはそんなに多くないこと。男っぽくない顔を気にしてること。千歌ちゃんに『ゆーちゃん』って呼ばれるのは口ではやめろって言いながらも満更ではないこと。脚とか胸とか、わりと視線は露骨なこと(しかも私たちが気づいてないと思ってる)。

 名前の通り、優しいこと。いつでもそう、自分よりも他人のことを優先して考えている。だから、さっきの嘘もそういうことなんだろう。根本的に人が好すぎるから、嘘をつく度にいちいち傷ついているのも、彼らしいというか何というか。

 

(お人好し…)

 

 会話の流れから察するに、生徒会長に関することなんだろう。彼が生徒会に入った理由はよく知らないけど、入学当初から「お近づきになりたい人がいる」とか言っていたのを覚えてる。

 その人が黒澤ダイヤさんだったとして、どこで接点があったのだろう。そのあたりのこともいまいち不明瞭だ。

 目を伏せて、一つ息を吐く。柄にもなくあれこれ考えてしまった。わからないことが増えるだけだし、これ以上はやめておこう。

 

『とにかく、こんな不備だらけの申請書、受け取れませんわ』

 

 生徒会長のそんな言葉が聞こえてくる。向こうもかなりヒートアップしてるし、一旦戻るべきだろう。千歌ちゃんに声をかけようと、私はドアを開けた。

 

 * * *

 

 太陽が海に沈んでいく。もちろん実際に恒星が海へと落ちていくわけではないけど、その光景はひどく幻想的で、映画のエンディング染みているような気がする。同時に、そんなセンチメンタルな心持ちになっている自分に少しばかり呆れてしまう。

 高海さんの友人として、彼女がやり始めたことを応援して、あわよくば協力したい気持ち。生徒会の一員として、会長の意志や意向を尊重したいという気持ち。

 一生徒としての僕と、生徒会副会長としての僕。二つが絡み合い、綯い交ぜになって、どうにも胸の奥のあたりが重苦しい。

 

「他の皆さんはどうしましたの?」

「書記ちゃんも会計くんも庶務さんも帰りましたね。用事があるとかなんとか」

「せめて名前で呼びなさいな……」

「会長のことも会長って呼んでますし、いっそ統一しようかと」

 

 とりとめのない会話。先ほど職員室から戻ってきた会長は、数枚の書類を手にしていた。大方、お仕事に関することだろう。受け取りつつ、ざっと目を通す。

 

「図書館の蔵書整理、教室の備品チェック、各部活の活動内容確認と記録」

「なるほど…?」

「どれがいいですか?」

「どれも嫌だなあ……」

 

 不満を言いつつ、細かい内容を確認する。どれも急を要するようなものではないようだけど、期日が重なっていて一人でやるには些か煩わしい。となると、である。

 

「蔵書整理と備品チェックは僕がやります。部活の視察は……そうだなあ、書記ちゃんと庶務さんにお願いしましょうか」

 

 会計くんは今回お留守番かな。ここ一ヵ月くらい決算とか予算案とかの話でフル稼働だったし、しばらく休んでもらおう。というか冷静に考えたらどれも生徒会の仕事ではない気もするけど。

 

「それが妥当ですわね」

 

 さすが優さんです、と言って肩を叩かれる。副会長を任せてもらってるあたり、一定以上に信頼されているようで、なんだか照れ臭い。うっすら上ってきた頬の熱を誤魔化せないかと少しそっぽを向いて、窓の外、夕日を見てふと思い出す。

 流れで仕事の話になってるけれど、実のところ、僕は会長に話があって残っていた。他の役員には帰ってもらったのもそのためだ。

 

「優さん」

 

 なんでしょうと口にするより早く、「高海千歌さんのことですが」と切り出されたことに、内心驚いていた。まさに今話そうと思っていたことだったから。

 昼間あれだけ厳しい物言いをしていたからなあ、と、会長の表情を窺ってみる。

 

「……会長?」

 

 今さらではあるけど、会長――黒澤ダイヤは美人だ。高海さんや渡辺さんも女性として魅力的な容姿を持っているが、会長のそれとは少し違う。

 ぴん、と伸びた背筋、流れるような黒髪、端整な目鼻立ち。着物なんか着たらこれ以上ないくらい様になるだろう。大和撫子、という言葉は彼女のためにあるのではないかとも思える。

 会長が、夕焼けに照らされながらこちらを見つめている。それだけのことなのに、まるで絵画のように見えて、この場面だけを切り取って美術館にでも飾ってみたくなる。

 

「私はスクールアイドル部を認めないと、そのように言いましたが、あなたがどうするかは自由です」

 

 「やりたいようにやりなさい」と微笑んで、彼女は帰り支度を始めた。つられて、僕も荷物をまとめていく。と言っても、せいぜい筆記具を鞄にしまう程度だ。会話も途切れたし、結果として思考だけが巡っていく。もっと言えば、会長の真意を図っていく。

 会長がスクールアイドルを辞めた経緯。当時のメンバーとの関係性と現在の立場。さらに各々の心情。ふと、ひとつの可能性に行き当たる。あらゆることを想定した上での推測でしかない。想像が膨らんでいった果ての希望的観測に過ぎないかもしれない。本当に、本当に小さな光だ。それでも、もし会長が高海さんに賭けたのだとしたら。

 施錠した鍵を職員室へと届け、会長と並んで廊下を歩く。厳密に言えば僕がほんの少し後ろを歩いている。

 

「会長」

「なんでしょう」

「僕は高海さんの活動をサポートしようと思います」

「そうですか」

「生徒会の活動を疎かにはしません」

「当然ですわ。あなたは副会長なのですから」

「なので、僕に任せてください」

「……ええ、お願いします」

 

 何を、とは言わなかったが、会長には確と伝わったらしい。前途は多難。だけれど、不思議とうまくいくような気がした。




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