けものフレンズR Returning a favor 作:社畜狂戦士
緩やかな傾斜が途切れる、針葉樹の森の縁。
朝もやに沈み、あいまいになった地形の輪郭。
山小屋を訪れるふたり分の人影。
…山小屋から出る、ふたり分の人影。
それらが山頂方面へ向かうのを見届けて、獣はゆっくりと茂みから抜け出した。
金の双眸は、相変わらず何を見ているか定かではないが。
…迷いこんだ《よそもの》が保護されて安堵しているようにも見える。
「やまのおきて」は、守られた。
じゃらり、
獣はゆらりと背を向ける。
……「やまのおきて」、とは言え。
厄介な相手を呼び込んだ事に変わりない。
早々に立ち去るべきだ。
………
……
…
……立ち去るべき、だ。
思考に反して動かない足。
それが何故なのか分からない。
―――GRRR…
理解できない苛立ち。
喉の奥から唸り声が漏れる。
………あ、お。
青い、あおい…
脳裏にちらつく記憶の影。
訳も分からず、もう一度振り返る。
小さくなっていく四つの人影。
…厄介なやつ。
小うるさいの。
昨日の元気な方と、そうでない方と。
…それらが針葉樹の森へ姿を消すまで、目をそらす事もできなかった。
……何だというのだ。
じゃらり、
苛立ちに握りしめた拳、繋がれた鎖が音を立てる。
思い出せない朽ちた記憶。
…思い、出せない。
思い、出したくない。
矛盾する感情、思考、記憶。
けれど。
けれど、そのすべてが。
忘れてはならないと告げている。
…わたし、は。
なにをわすれている…?
…わからない。
わから、ない……
摩耗した意識に浮かぶ疑問。
答えなど出ず、また泥のように沈んでいく。
…苦しい。
胸を締めつけられるように。
…悲しい。
胸を、引き裂かれるように。
でも、それが何故なのか。
…分からない。
思い出せない。
縛り付けて塞いだ、胸の穴。
揺さぶられれば溢れ出て、たとえがたい感情が胸を焦がす。
胸の傷を焼く度に、傷を塞ごうと締め上がる《縛鎖》。
―――AAAHH………
悲鳴にも似た吐息が漏れる。
忘れてしまいたい。
忘れていたくない。
矛盾する感情、そのどちらも真なれば。
…じゃらり、じゃらり。
獣は苦悶する。
忘れてしまった答えを求めて。
今は彼方、なくしてしまった《青》を求めて。
発作のような記憶と感情、思考の錯綜。
あいまいな意識を吹雪のようなめまいが襲う。
…まだ、だ。
まだ、わたしは……っ
歯を、食いしばり。
ふらつく体に喝を入れ。
前のめりに、一歩。
踏み出した足と長い尾で危ういバランスを保つ。
―――ぽすっ。
懐からこぼれ落ちた、何か。
丸まった背中、下がっていた視線。
音の発生源に自然と顔が向く。
まっ白な雪の絨毯の上に、半ば埋もれるように落ちたそれ。
焼き目のついた、濃い緑色のジャパリまん。
元気がなかった方が差し出してきたそれを視界にとらえ。
……錯綜の吹雪が凪いだ。
怯えながら、それでもまっすぐに自分に向けられた深いブルーの瞳。
昨晩の記憶、それが遠いどこかで重なって。
「 、 」
そう言って笑う、「あの子」の声。
確かに聞いた、声。
塗りつぶされた記憶が、刹那よみがえり。
刹那のうちに、再び過去へ消える。
…引き戻された現実。
引き剥がされた幻日。
懐から雪の上に落としたジャパリまんを前に、ただただ立ち尽くし。
…じゃらり。
枷の繋がれた手がゆっくりと、それを拾い上げた。
……何だと、いうのだ。
巡らせてみても答えの出ない思考。
記憶の吹雪は過ぎ去り。
あいまいな意識を残したまま、感情の波も鎮まった。
拾い上げたジャパリまんにほんのり残った自分の体温。
眺めるうちに、空腹だったことを思い出し。
…もう一つ、懐にしまってあることを確認して。
ためらいがちに、ジャパリまんにかじりついた。
アクセントとなって鼻孔をくすぐる焼き目の香ばしさ。
甘い。
味への感想もそこそこに、わずか三口で平らげ。
ジャパリまんをつまんでいた指三本を、順に一本ずつ舐め上げる。
……悪くない。
これならば「あの子」も喜ぶだろう。
…量的には不満だが、仕方あるまい。
《不届者》を仕留めるのは、これを届けてからでいいだろう。
じゃらり。
久々に上機嫌になった獣はゆっくりと歩き出す。
後生大事に、二つ目のジャパリまんを懐に温めながら。
しっかりとした足取りで、もう後ろを振り返る事さえなく。
金色の双眸が、嬉し気に笑う。
…じゃらり、じゃらり。
鎖の音を、静寂に沈んだ朝もやの銀世界に響かせて。
悠然と、堂々と。
獣は雪原のねぐらへとゆらり、ゆらり、歩いていく。
……ああ、おかしいな。
歩きながら、漠然と問答する。
わたしは、なぜ………ないているんだろう?
おかしい。おかしいな……
……じゃらり。