それなりのクオリティにはなっていると思いたいですけども、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
あ、ただ今回戦闘はないので、そのあたりはご容赦を。
篠ノ之束が自分の異常性、他者と自分が決定的に何か違うと理解をしたのは五歳と言う幼い時だった。
物心つく前から父親である篠ノ之柳韻に束は武術の基礎を教えられていた。それは小さな所作から薀蓄まで。
当然の事ながら噛み砕いて説明をしても、柳韻自身は束の子守りという風に考えて喋っていたもので真剣に教えようと思っていた事ではないし、武術の基礎、とは言っても束自身にやらせるなどといった事ではなく、自分の動きを幼い束に披露すると言ったものだ。
柳韻は不器用な男で、口数も決して多い方ではない。だが自分の家族に向ける愛情は深く、また大きかった。
そんな彼が、束が少しだけ興味を感じた風に見せた武術に関する事を子守りの中心として据え置くのは武骨者の男の彼にとって必然であったのだろう。
初めはそう。
父が難しい言葉を噛み砕いて説明をするのに四苦八苦している様子から、父の事が好きだった束は必死に彼の言葉を理解しようとしたのだ。それから大人達の会話を見聞きし、幼稚園へと入学をする頃には知識を求めた。
知識を知恵へと昇華させるまでの時間はそう掛からず、だが周囲に自分と同年代の存在がいるからこそ己の異常性を理解してしまった。
わかりやすく言えば、彼女は子供らしくなかった。物分りも良く、素直で、子供たちの中心。リーダー的な存在。そんな彼女に保育士の大人達は頼りがちになっており、それがより彼女が普通から掛け離れる事に拍車をかけていた。
もっと人の役に立ちたい、或いは褒められたいと。
そんな純粋な願望から己の異常性を理解していながらもそれを正す事無く、貪欲なまでに未知を求めて行った。
まだ、五歳の子供がである。
しかし、頭が良い、というだけならそれは時折現れる天才児童の一人に過ぎなかっただろう。多くの人波に揉まれ人生を積んで行く中で埋もれて行く才覚を持った一人に留まっていただろう。
けれども彼女は篠ノ之柳韻――嘗て剣術界に於いて麒麟児と謳われた男の血を引いており、母である篠ノ之
両名の血は余す事無く、何らかの不可思議な力が働いていたとしか思えないほどの知識を蓄えた束に受け継がれ、知と武の両立を可能とした。
一を知り、十を得る。
武術に関しても、知識に関しても、彼女は能動的に自分から求め知ろうとしていたが故に、恐れ、恐れられた。
初めは褒めていた周囲の大人達も、徐々に束の吸収性とそれを応用する力に恐怖を抱くようになっていった。
それは生命体ならば誰しも当たり前のように懐く未知の存在、或いは自らの常識の埒外にいるものに対する恐怖だ。
――しかし恐怖を感じていたのは、周囲の大人のみならず、束自身もであった。
誰よりも己の異常性を理解していたが故に、けれどもそれを顧みて自制をする事が無かった彼女は、己に恐怖する。
二桁に届かない子供だ。どれだけ精神や知識が発達していようとも自分がまるで化物のように扱われれば、怒りよりも自分は一体何なのかと言う恐怖の方が勝る。
心を閉ざし、他者と関わる事を忌避する。
そうなるのは必然の筈だった。
そう
必然の筈、だった。
けれども、彼女はそうならなかった。
何よりも身近にいた、父と母が心からその身に愛情を注ぎ、離れず、恐れず、向き合ってくれたから。
最初の内は他者と同じように、実の娘に対して自分達の理解の外にある程の才能を見せられて恐怖を持った。
しかし篠ノ之柳韻も篠ノ之巫命も人間であるよりも親であったのだ。
自身が懐いた恐怖、それは恐怖を与える対象である娘――束自身も感じていた事で、心を閉ざし掛けていた事に気付けた。
絶望の淵に立たされ、人の心によって自らの心を深い暗闇へと落されようとしていた。
それは少し早ければ見当違いで終わり差し伸べた手は擦り抜けて闇底へと落ち、少し遅ければ差し伸べた手は振り払われて自ら泥濘へと沈み、何もかも手遅れだった。
崩れた心の崖、伸ばした手をしっかりと掴んでくれる、二人の手。
絶望に浸り、周囲の声から耳を閉ざして全てから逃げようとしていたその瞳が捉えた二人の顔。
篠ノ之束は忘れない。
忘れる筈がない。
その時こそが、きっと、本当の意味で――篠ノ之束という人間がこの世界に生まれた瞬間だったのだから。
◇
落としていた目蓋を開いて、目覚めて間もない濁った思考を徐々に動かし始める。
常人とは違う、意図して自らの意識や肉体を制御する術を篠ノ之束は知っていた。
科学的にも、そして非科学的にも、古来から篠ノ之家が遺して来た肉体活性の技術と彼女自身の知恵が生み出した技術。
背中には冷たい感触、ゆっくりと身体を動かし始めれば身体の節々が軋む悲鳴を上げて自分がどんな状態で寝たのかを思い出させる。
「あぁ、そうか。そうだった、昨日は……これに掛かり切りだったんだ」
独白のように呟きを無自覚に呟き、目の前に鎮座する白い人型の一角を頭長に備えた機体――ユニコーンガンダムを見遣った。
全長はISとは異なり五メートル前後で全身を包み込む様な全身装甲の人間が登場する事を前提とした機体。
一見すればそれは束自身が最初に開発をした白騎士を連想させるが、科学者である彼女は誰よりもその違いを感じ取っていた。
「おかしな機体だよ、つくづく。触る度に訳の分からない
第一に、開発時点での設計思想である。
次に開発段階における使用部品や鉱物、加工過程など細かい部分を含めたほぼ全てが異なっている。
この機体を構成している骨格部分のフレームにはサイコフレームと呼ばれる物が使用されている事。
そして動力源が――禁忌である事。何よりも現代の科学で実現できる領域を遥かに超越したオーバーテクノロジーの塊。
ISを生み出した束でさえ、この機体に用いられている技術は最低でも数百年以上も先の物だという事くらいは理解出来た。
「ISじゃない事は分かっていた。誰かがISに対抗する為に生み出した物かとも思ったけど、製作者があの人だと……こうなるのは納得出来る。理解したくはないけど」
少なくとも、束はこのオカルト染みたサイコフレームと呼ばれる物質は、人間の放つ意識に強く反応する事だと教えられた。
『我輩は猫である』でこの機体自身が見せた戦闘映像を見る限りでは、明らかに素人の動きを逸脱していたのだ。
まして大気圏内での自律飛行。それはISで実現可能されているが、実際は非常に困難な事だ。
飛行機などの流線型の機体でさえ絶妙なバランスで設計、製造されなければ空中分解を起こしてしまう。
ISが大気圏内飛行を可能としている最大の要因は、スラスターの超小型化と強化。これは本来の用途である宇宙空間を想定し、無重力化でも重力下のように動けるように束が最も苦心した部分だ。
その影響からか、ISは移動要塞のように規格外レベルでの重武装を実装してしまえば途端に飛行能力が激減し、酷い場合は飛行能力が無くなる。それではただの地上を動く的――戦車の方がまだマシな物になる。
尤も、ISは元来宇宙開発用のパワードスーツ。軍用に転用された所で、その本質が別途にある以上、どれだけ軍用に改造しようと本格的に兵器として開発されたものと対峙してしまえば劣ってしまう。
けれども、今、束の目の前にあるこの白い機体は文字通り兵器だ。
人を殺める事を前提とした設計思想の元に生み出されたマシーン。
RX-0、ユニコーンガンダム。
それがこの機体自身が束に提示した情報の内の一つ。
まるで自我があるかのように、或いは乗り手や整備者を試しているかのように小出しに情報を与えて来る。
「食わせ者だよね、開発者のあの人も」
一度に全ての情報を提示してくれれば一夏に対して的確なアドバイスの一つも出来る。
けれどもこの機体は少しずつしか教えてくれない。自らが秘めている情報を。
精神的にも疲弊し切っていた一夏を先に休ませ、自分は一対一でこの機体と対峙していたが、気付かない内に自分でも眠りに付いていたらしい。
「朝……珍しいなあ、私がくーちゃんに起こされずに起きるのも」
我ながら直そうとしない不精に苦い笑みが零れた。
実際、彼女にとって娘と呼んでも過言でもない存在の手によって起床しないのは本当に久しぶりなのだ。
思わず入口の扉の方に目を向けてみればタイミングよく扉はスライドし、目が点になった件の少女が立っていた。
「おはよ、くーちゃん」
「お、おはようございます、束様。……珍しいですね、束様がご自分で起きられているのは」
「自分でもそう思う。いっくんは?」
微かに呆然としていたくーちゃんと束が呼んだ少女――クロエ・クロニクルは直ぐに思考を再始動させて束の問いに答える。
脳裏には、この場所に来た時に衰弱を仕切っていた少年の姿が思い起こされ、数時間とは言え――
「既に起きられています。朝食を準備しましたので、束様も」
「おーけい」
睡眠休憩を取ったからか、流動食をメインにした胃に優しい食事を用意して一足先に食べる程度びの食欲は回復している。
本人はクロエや束の事を待っていたいと言っていたが、それをクロエが制して食べているように言った。
一夏自身には自覚がないかもしれないが、肉体は想像以上に困憊し、食事もゆっくりになっているだろうと推測したのだ。
先を歩むクロエの背中を追いながら束は意識は未だ半分以上がユニコーンに注がれている。
自らにとって未知とも呼べる機械。
それは束にとっての好奇心や興味を非常にそそるが、同時に荒れに使われている技術は現代に披露してはならないという危惧も感じている。
IS以上の革新が齎されるだろう。それはきっと人の宇宙進出を大幅に早める事になる。
未だ人の意識が外側へと向けられていない中で、何の準備も進まぬままに足早に進めば待っているのは停滞と亡びだ。
「束様、あの白い機体にご執心なのはわかりますけれど、今は頭の隅に追いやって下さい」
「ありゃ、バレた?」
「当然です、娘ですから」
銀色の長髪を振り返りざまに翻し、クロエは懸命にドヤ顔を作ろうとしていた。
一体何処でこんな知識を仕入れて来たのか教育方針を間違えたかと束が一瞬考え込みそうになったが、この場は娘の成長を素直に喜びスルーする事にした。
「流石私の娘だよ、くーちゃん。私とくーちゃんは以心伝心だね」
「流石にそこまでは……」
「折角乗ってあげたのに一気につれない反応になった!?」
朝も早い時間から束とクロエの二人はテンションが高かった。
それは通路の先にある部屋で先に食事を摂っていた一夏の耳に届く程に。
娘云々と言う話を一切聞いていなかった一夏が、凡ゆる感情を忘れて思わず口に含んでいたおかゆを噴きそうになるくらいには。
◇
「さて、では改めまして。束様の娘――的な存在のクロエ・クロニクルと申します。昨夜は色々ありまして名前だけしかお伝えしていませんでしたね、織斑一夏さん」
「あ、ああ。……えっと、娘とかって部分は聞いても良いのか?」
そんなクロエの言葉を皮切りにした自己紹介が彼女自身の手によって行われていた。
束が有する移動ラボ『我輩は猫である』の整備室で、実体化をしたユニコーンを背に。
控え目に開かれた二つの眼は金色に輝き、光彩を放っているが、少なくとも一夏はそれを気に留めなかった。
寧ろ娘の部分方が彼の意識を割いている。
実の娘――などと寝惚けた事を考えている訳ではないが、何かしらの事情があり、それを経て親子と呼ぶ間柄になったのだろうと推測を立てながらも、仔細が気になったのだ。
「そうですね……私が人体実験にあっていて、それを束様が助けてくれた。簡潔に言えばこんな感じでしょうか。因みにこの目は邪気眼とかカラーコンタクトではなく地眼です」
「いや、地毛みたいに言われても反応に困るんだけど」
「む、それもそうですね。あと、束様の娘と言うのは……束様に母性を感じたからでしょうか?親子関係になるのは大歓迎と言われましたが、流石にお母様と呼ぶのは止めてくれと言われてしまいましたけど」
一夏は想像する。
自分と同年代の少女が束に対してお母様と呼んでいる光景を。
「……あんまり違和感を覚えない気がする」
「ははは、こればかりは私の個人的な感傷なのさ。深く気にしない方がいいよ、いっくん。それにくーちゃんも」
「はい。折り合いは付けていますし、束様が下さる愛情は本物だと分かっていますから」
おおう、と頬を赤らめながら上体を反らして後ずさる束にクロエはこてんと首を傾げる。
「臆面も無くそう言われるとむず痒いものが……ごほん!
朝食も終わった事だし、漸く落ち着けたね。いっくんも、一晩経ってだいぶ心理的にも落ち着いたと思うけど、どう?」
「そう、ですね。はい。たぶん大丈夫だとは思います」
そう口にした一夏は正眼で束を見返した。
少なくとも昨日ほど憔悴した様子も、混乱をしている気配も感じられず、呼吸も傍目では安定している。
戦闘映像を見る限りでは、一夏は人を殺めている。
その事について束は追及をしないと決めている。一夏の心の中で既に何かしらの踏ん切りがついているのなら問題はないが、まだ一晩しか経っていない上に、何よりも彼は何処にでもいる日本と言う平和の中で暮らしていた一般人だ。
いきなり戦場に出されて殺人と言う行為に手を染めてしまう事に対して受け入れろと言う方が無茶苦茶な話。
「ん。それなら一個ずつ説明をして行こうか。まずモンド・グロッソだけど恙無く終了したみたいだね。表彰式にちーちゃんが出なかった事が色々推測を呼んでいるけど、後でちゃんと行ったから問題ないと思う。一部では「あの織斑千冬も緊張でお腹を壊したんだ」っていう愉快なデマが広がっているけど」
「その発生源、束さんじゃないですよね?」
「ハテナンノコトデショウ」
一夏の白い目に耐えられずに視線を泳がせ、自ら掘った墓穴を無視して束は話を続ける。
「私がちーちゃんにいっくんの安全確保の事を連絡した事も、上の人間には伝わっているみたいだね。日本とドイツ軍の現場の人は結構無茶したみたいだからこの先どうなるかちょっと不透明だけど」
「無茶?」
「現場判断で動いたみたい。……軍人としては褒められたものじゃないけど、人間的には良い人達なんだろうね。まあ私が介入したって事実は伝わってるから、退役とか降格にはならないだろうけど謹慎処分と減俸くらいはあるかも」
その言葉に一夏の眉根が僅かに動くのを束は見逃さなかった。しかし言及をする意味も無く、彼女自身己の口から出て来た言葉を訂正する気も無い。自分のネームバリューが果たしてどれだけ通用するのかは上官の心持ちに期待する他ない。
「いっくんが気にする事じゃないよ」と続けて、空中に投影された電影コンソールを操作して白亜の機体『ユニコーン』の情報を映す。
「さて、次はこの問題の機体……ユニコーンガンダムについてだね。少なくとも私が調べられる限り調べて得た情報は少しだけ。生体プロテクトが掛かってる上に、他にも封印、そんなふうに例えた方がいい様な処理が施されている部分もあるけど」
笑うに笑えない冗談だ、という含みを持たせて微笑んだ面貌に宿るのは自分の知識や知能を用いても解明出来ない謎が存在するという事実に対する爽快感だ。
「まず第一に、これはISじゃない。ISコアじゃない別の動力源が用いられている」
「別の……動力?バッテリーか何か、ですか」
「ううん。超小型の核融合炉。在り得ないよね……そもそも核融合炉自体が空想の産物なのに、それを数センチ単位まで小型化?最初に見た時は目を疑って、確認の為に反応を確認したら本物。……正直、この機体を作った人は私以上にイカれてると思ったよ」
既に聞き及んでいたであろうクロエは涼しい顔で空になっていた湯呑に茶を注ぐ中、一夏は束の言葉に身を硬直させた。
瞠目はその心情を顕わし、徐々にその意味を実感して震えだし始める身体を抑えて束を見返す。
「核融合炉、って……名前だけ聞くと物凄く危険な気が」
「危険も危険、超危険。言っちゃえば超小型の原子力発電所みたいな物だよ?ユニコーンは簡単に言えばその動力源の周辺にかなりの厳重性を置いているからパイロットの被曝は無いけど。いっくんの身体も後で精密な検査を受けてね、一応」
「は、い」
「次にISは絶対防御を始め凡ゆる行動をISコアから伝導されるシールドエネルギーを変換させて実行に移しているの。勿論それは有限。けれどこれは実質的に無制限。更にビームサーベルに使われている固定粒子技術と大前提の粒子は私でも良くわからない新発見の物。でもきっと大気中に実在しているんだろうね。重力下での自由飛行はISのPICとは違う……えーっと、ナノフスキー粒子、違うミノフスキー粒子っていう粒子を使ってるみたいだね。先のビームサーベルもそう。……名前だけしか今のところ分からないけど、これ自体を解析出来るようになればきっと……ISの登場以上の技術革新が世界で巻き起こる事になると思う」
空間に新たに投影された映像にはミノフスキー粒子と呼ばれる物の詳細らしきものが事細かに記されていたが、一夏の知識では理解すら出来ない無数の数式や言語が用いられ、視界に入った瞬間に本能で視線をそらしてしまった。
その様子を苦笑して「仕方がないよ」と続けた束はカタカナで表記された名前の部分を指さす。
「いっくんが意識すればいいのは、少なくともこのミノフスキー粒子がユニコーンを浮かしたり、飛行させたり、ビームサーベルやビームを放てるって事かな。まあこういう機体の分野に関しては此処までにしておこうか。ある程度の危険性もわかっただろうし」
映像を消して一拍を入れた束は僅かに固くなった自身の表情を意識的に切り替えようと軽く首を回す。
「いっくん。いっくんはこの機体を起動させた時の事を覚えている?」
「……いえ、無我夢中だったので。正直、自分じゃない……他人、確かバナージって人の記憶みたいなものが断片的に頭の中に流れ込んできて、気付けばユニコーンに乗っていました」
「記憶……。それは、どんな感じ?」
「このユニコーンの形をした巨大なロボットを、父親の様な人に託されている所でした。……想いを、託されていました」
「…………『私のたった一つの望み』。貴婦人と一角獣。そんなタペストリー、無かった?」
ゾクリ、と肌がざわつくのを感じ取った一夏は思わず束の顔を見返した。
驚愕と懐郷と悔恨、様々な感情を綯交ぜにして押し潰している様な煩雑とした表情を作っていた彼女が紡いだ言葉に、例え様のない既視感を覚えたのだ。
「ありました。でも直ぐに父親は爆発に呑まれて、瓦礫の破片で身体が。……束さん、『私のたった一つの望み』って」
「貴婦人と一角獣っていう六枚の綴れ織りのタペストリーのテーマ。その望みが何なのかは謎だけどね。……これは私の先生が口にしていた言葉でもあるし、私の研究室にも模写したのが飾ってあったんだ」
「束さんにも先生がいたんですか?」
「そうだね。独学でも十分にやっていけたけど、先生の知識は私の知恵を遥かに上回っていた。人としての在り様、私が為すべき標を示してくれた大切な人」
一夏にとっては名前も顔も知らぬどこかの誰かの事を穏やかな表情で伝えた束に、胸の奥が小さく痛んだ気がした。
直ぐに気のせいだと無視をして、彼女の次の言葉を待つ。
「でも貴婦人と一角獣か。って事は、あの
「オカルト、ですか?」
「そう。そもそも人の精神感応波云々って時点で科学で立証する事自体難しい事。ましてこの機体には自意識の様なものまで芽生えている。ISはコアに自己進化のプログラムを組み込んであるけど、その大本は自律AI。プログラムを基としているISと人の感応波を受けて応えるユニコーン。オカルトって言うには充分だと思うよ」
そう言われて思わず一夏はユニコーンに目を向け、その胸部装甲に手を触れる。
ISのようにそれだけで装着をするような変化は見せず、ただ一角の機体は沈黙して佇むだけ。
「既にユニコーンは生体認証が行われて、それはいっくんが対象。ユニコーンはもう、いっくんの言う事しか聞かない」
「……あの人、確か、カーディアス・ビスト。あの人と同じ事を言うんですね」
「そうだね。加えて言うなら、この機体が君の元へと来たのは運命と言えるかもしれない」
君は知るべきなんだ、そう続けた束は電影コンソールを打鍵して新たな映像を投影する。
ユニコーンの全身図が立体的に表示され、ゆっくりと左右に回転する。
右半身は内蔵部が露出された状態で、随所には部品か或いは装置の名称と思わしい説明も映っている。
「型式番号RX-0。機体分類はスモールモビルスーツ。モビルスーツを人体により適応させるパワードスーツとして最大にまで小型化させた無重力・無酸素の宇宙空間での活動を第一とした戦闘用兵器。動力源は超小型の核融合炉。機体の各部のフレームはサイコフレームを採用され、ほぼ全身がオーパーツで製造された革新機」
「束さん?」
モビルスーツとはなんであろうか。そんな些細な疑問を挟みかけた一夏は束の真摯さを宿した瞳に口を噤む。
「私の先生――そして君のお父さん、生方四季が身命を賭して生み出した人の未来を創る機体だよ」
「…………え?」
◇
「――で、結局弟君は篠ノ之博士の所にいる、と?」
「……あぁ」
強烈なワインレッドのドレスを華麗に着こなす金髪の女性の言葉に渋面を作った千冬は首肯した。
周囲が華やかで、悪く言えば騒々しいパーティ会場の中で二人の周囲に人はいない。
先程までモンドグロッソ総合部門の一位と二位が揃い踏みの絢爛な場所に挑もうとする猛者もいたが、事も無げにあしらわれていた。
「成る程、それでチフユはさっきからしかめっ面でワインを飲んだくれていた、と」
「飲んだくれるほどは行っていない」
「貴女の国では酒豪と呼ぶそうよ、貴女みたいにワイン瓶五本を空にした人の事を」
愉快そうに笑う女性――イタリアの国家代表であるルチア・アルジェントは名が示す通りの優雅な仕種で髪を手櫛で掻き上げる。
ほっとけ、と素っ気無く返して千冬は掌中のワインで喉を潤す。
流石にワインをラッパ飲みするのは止めてくれと周囲に言われたので自重はしているが。
「まあでも心配はしていないんでしょう?あの篠ノ之博士だもの」
「そうだな。安否に関しては心配していない。が、問題は」
「あぁ……あの正体不明の白いIS、みたいなのだったかしら」
夜間と言えども人の目は誤魔化せない。
まして直前までモンドグロッソと言うISの大会が開かれていたのだ。
衆人観衆の多くが夜空を飛び交う二機ISらしき物体が戦闘を行う様子を目撃していた。
人の口を噤むには余りにも多すぎる人がそれを目にし、箝口令は無為に終わってあっと言う間に荒い映像で世界中に拡散された。
白い機体が一機のISを搭乗者ごと撃墜する様子が。
「ISは大きいもので三メートル前後、けれどこれは倍……ではないけど、それに近しい大きさ。全身装甲は一見すれば白騎士を連想させるけど、纏うよりも乗る、の方が見合う姿ね」
「その上少し見ただけでも異常なまでの反射神経や反応速度。ISスーツを着ている前提でも普通なら首の骨や内臓がとんでもない事になるだろうが、そんな様子すらない」
「まるでオカルトね」
冗談めかして口にするルチアではあったが、目元は笑っていない。
所属不明の謎の人型兵器――少なくともISと思われているあれがISではないと世間に拡散されてしまえば洒落にならない。
「束が開発したのなら、理解は出来ないが納得は行くが……」
「ないわね。彼女の目的は飽く迄宇宙(そら)。態々あんな兵器の側面を高めた物を魅せる必要はもう無いでしょう?」
「ルチア、あれは束のマッチポンプでは――」
「わかってるわよ。篠ノ之博士を知らない連中はまず彼女の仕業と思うでしょうけど……何度か会えばまあ、わかるから」
ルチア・アルジェントは篠ノ之束と直接会った事がある――どころか会話を交わした事さえある。
それは世間一般の篠ノ之束に対する評価、即ち天災と揶揄される気分屋にして変人という事を前提としたらまず奇蹟的だ。
しかしそれ以上に、ルチアは初見でありながら既に束に信用をされているという事実が彼女の束に対する印象からは伝わった。
それを嬉しく思う反面、まだまだこういった存在が少ない事に対する憂慮や懸念は千冬の中から拭えずにはいられない。
「だからこそ、だからこそあれの正体を早く掴まないと。まあ私の国や大国、紛争中の国家群が捕縛しない事を願うわ」
「良いのか、曲がりなりにもお前は軍属だろう?」
「そうね。けどあの技術、解析をされれば間違い無く軍事に転用されるわ。ISと同じように。それも抑止の域を超えるでしょう」
「否定は出来ん、な」
「ISだって元々は宇宙開発を促進させる目的で篠ノ之博士は生み出した。けれどもデブリ除去や有事の際を想定していた武装が、あの事件によって最悪な形で露見した。チフユや篠ノ之博士にとって白騎士事件は、今でも思い出したくも無いものでしょう?」
「そうだな。だが起きてしまった事は起きてしまった事。そしてそれを生み出した責任がアイツにはあり、事件に関わり、ISの在るべき姿を歪めてしまった私にも責任がある。正されるその時まで、私はどんな形であれ関わり続けるさ」
自分の中で一つの区切りをつけたかのような独白を漏らした千冬の表情はどこか達観をしている風にも見えた。
短い付き合いではない。まして幾度とぶつかり合った相手だからこそ、微かな表情の変化で何を考えているのかルチアにはわかった。
「そう、ならやっぱり現役は引退するの?」
殊更声を潜めて紡がれた言葉に千冬は無言で肯定を示すように首を縦に振った。
以前から実しやかに噂が流れていた。
今回のモンド・グロッソを機に織斑千冬は現役の日本代表を引退するのではないのか、と。
日本は否定をしていたが本人ははぐらかす為憶測は憶測を呼び、他国までその動向に注目をしていた。
何せ千冬は自身もIS操縦者として卓越した技術と実績を誇り、同時に開発者である束とも密接な関係にある。
もしも噂が真実であるなら、それが事実として公表をされる前に自国へと抱き込もうと各国は画策を練っているのだ。
「以前からIS学園で教鞭を取らないかと誘われていたからな。ドイツにも今回の件で協力をして貰ったからな、外交関係を考えれば暫くの間教官として指導して欲しいと言われた」
「手が早いわね、お偉いさんは」
「全くだ。教官自体は吝かではないが……こっちは教員免許も持っとらんと言うのに。お蔭で人ように教える最中私は試験勉強だ」
腕を組んで鼻を鳴らす千冬にルチアは沈痛な面持ちを向けて一言。
「……大丈夫なの、あなた脳筋――ふぎゃっ!?」
「殴るぞ」
「もう殴ってるわよ!」
言い切る前にルチアの脳天に落ちた拳は当然ながら憮然とした千冬が放ったものである。
凹んでいないわよね、などと呟きながら目尻にうっすらと涙を浮かばせてルチアは恨みがましげに千冬を睨む。
「黒い話の中に細やかな笑いのネタを含ませて場を和ませようとした私の努力を無碍にしたわね……」
「散々人様に聞かせられない話をしていて今更だ。まあ安心しろ、聞き耳を立てている輩はいない。皆、この会食を自分なりに楽しんでいるようだ」
そう言って流し目で周囲を見回す千冬が捉えるのは、貴賓者や入賞者に詰め寄ろうとしつつも中々ガードが固く詰め寄れない関係各所の人間達の姿。
「あれって楽しんでいるのかしら?」
「楽しんでいるだろう、少なくとも愉悦を感じている人間が一人いる」
呆れ気味に千冬が顎をしゃくって示した先には椅子に座り、自前の豪奢な扇子と煌びやかなドレスを纏って高らかに笑いながら己の近付いて来る男の姿を一瞥しながら悦に浸っている美しい女性がいた。
「一見すれば男尊女卑の典型だが……」
「あれはタダのドSなだけでしょう。と言うより、戦闘部門であれに負けたと思うと少し情けないわ」
「自分の戦略、次に行う事を無自覚に大声で宣言をして見事勝ってしまうのだからな。ある意味では天賦の才だ」
「人間辞めた貴女がい、あ、ごめんなさい、すいません、なんでもないです」
おもむろに持ち上がった右腕を見て己が口に仕掛けた事を言い切る前に撤回して平身低頭で謝罪するルチア。
鼻を鳴らして「下らん事をするな」と呟き、千冬は渇き始めていた喉をワインで潤す。
「……良い飲みっぷりね、ワインでも微妙に似合うのが羨ましいわ」
「ワインも悪くはないが、個人的にはビールの方が良い」
「なら教官就任の時にはビールを欲しがった方がいいんじゃないかしら。本場よ、ドイツは」
「違いない」
グラスの中で揺らいでいた残り僅かな紅雫を一気に飲み干し、手近な卓上へと添え置く。
「……つくづく、ドイツは私に縁がある、と言う事か」
独白は間近に居たルチアの耳にすら届かぬほど小さなもの。
一瞬だけ翳りが差した千冬の表情は直ぐに先程までの憮然としたものに戻って、別のワインをグラスに注ぐ。
「酔わないでよ、お願いだから」
「ふっ、私はこの程度では酔わん。私を酔わせたければスピリタスでも持って来い。――飲んだ事はないが」
「世界最高のアルコール度数のウォッカを例えに出すんじゃないわよ。しかも飲んだ事無いのに」
尤も、そう口にした所で千冬の顔には赤みが一切ない。
実際彼女を泥酔させるまで飲ませるには相当数のアルコールが必要であり、少なくとも祝会の席で設けられる酒類では彼女は恐らくあと数本単位で飲み干しても平然としているだろう。
「……はぁ」
けれども、こうして千冬がまるで酒に逃げているように振る舞っているのは恐らく、一抹の不安を拭い切れないからだろうとルチアは推測する。
篠ノ之束が如何様にして織斑一夏を救い出したのか定かではないが、余りにも物騒な案件が同時に置き過ぎている。
信頼をする親友の言葉と言えども、実弟の身に起きている危難に対して何も出来ないという歯痒さを表に出さないようにしているのだろう。
そしてルチア自身、こうして自分が千冬の表に出していない感情をある程度推測している事に千冬が気付いている事を察している。
お互い明確に言葉には出さない。
例え戦友と言えども、未だルチアは千冬にとって心内を全て明かす事が出来ないという事実の表れでもあった。
◇
生方四季。
生年月日不明の壮年の男性であり、世間では余り知られていないが稀代の科学兵器に関する技術者であった。
更には篠ノ之束の非公式上での師でもあり、織斑千冬を始めとした織斑家の子女子息にとって血縁上の実父である。
ISの設計思想の根幹には彼が提供した生体フラグマップが影響をしており、篠ノ之束に対する技術提供の数も計り知れない。
そして――ユニコーンガンダムの設計、開発を極秘裏に行った者。
束の口から語られたその言葉を受けた時、冗談でも無く一夏は眩暈でも起こしてそのまま気を失いそうにさえなった。
衝撃と言う言葉では済まされない数々に対して情報の処理が追いつかない。
第一に、父親?自分の記憶にすら残っていない、家族を捨てた不義の存在。
「……本当、なんですか……」
「そうだね。うん。まあ行き成り受け入れろなんて無茶な話だけれど、生方四季はいっくんやちーちゃんのお父さん。……籍を入れてはいなかったみたいだけど」
それが何故なのかは、生方四季に関する記憶の無い一夏は当然として、師と仰ぐ束にすらもわからない。
彼女自身はその事に関して興味も無かったし、何より触れてはいけない事なのだろうと思っていた。
籍は入れてなくとも、束の目から見て生方四季と千冬の母は愛し合っており、幸せそうな家族だったのだ。
「元々先生と私のお父さんは知り合いだったみたいでね、ちーちゃんとは赤ん坊の頃からの付き合いだった。
私が知識を享受するように先生にお願いしたのは必然で、ちーちゃんがお父さんに剣術――篠ノ之流を習うようになったのは、たぶんお父さんを取られた寂しさを埋める為かな。きっと本人は認めないだろうけど」
「どんな人、だったんですか。生方四季って」
とてもではないが、顔すらも思い出せない相手の事を父親と呼ぶ事には一夏の中で強い忌避感があった。
どんな理由があったとしても、自分達家族を捨てたのだ。両親は。
そんな思いが強く心象に刻まれている以上、親と言う存在に対する抵抗感と無意識下での羨望が一夏はとても強い。
だからこそ聞きたかったのだ。
生方四季と言う男が、どういう人だったのかを。
「一言で言えば非凡。私やちーちゃんを天才って言うなら、先生は凡ゆる分野で突出していた。科学だけじゃなくて、医学や物理学、表向きには科学技術者の権威って言われてたけど話題になるのを嫌ってた。少し人間嫌いの気があったね。その分、内側にいる人に対しては親身になってた」
「それって……」
まるで世間が認識している束に対する印象みたいと口にしようとしたのを、束の微笑に遮られる。
「そうだね。私の演じている『天災篠ノ之束』は先生のその一部分を強調している点がある。アインシュタインっていう前例に近い存在もいたから、多くの人は真に受けてくれている」
「アインシュタイン、ですか?」
「そうそう、相対性理論で有名な。彼は後世で、一説にはアスペルガー症候群やサヴァン症候群を始め、自閉症と言った風に人との関わりを拒んでいた部分があるって言われるようになったからね。天才はどこかおかしい、って言うと故人偉人を貶める様で嫌な気分だけど、まあそういう人がいたから、抵抗なく天災の名は世界に広まってくれた。その分私も動き易かった。――っと、私の事は良いんだった。先生の事だね」
危うく自分語りに走りそうになったのを束が自制と共に話を戻す。
一夏としては生方四季よりも束の方が気になってはいたものの、折角彼女が仔細を知らぬ父の人物像を教えてくれているのだ。それを断る気はない。
「ちーちゃんに対しても普通の父親のように接していたし、愛情も与えていたと思う。流石に人様の家庭事情の詳しい事は分からないけれど、近くにいた私から見ても不和があった感じには見えなかったなあ。だからこそ、晴奈さん……いっくんにとってのお母さんと一緒に、いきなりいなくなった時は驚いた」
「……」
思わず表情が硬くなった一夏に束は気付いていたが、敢えてそれを和らげようとは思わなかった。
少なくとも四季や晴奈を知っている身としては擁護をするべきかと思うが、どんな理由があるにせよ千冬と一夏、そして彼女を捨てた事だけは変えようのない事実だ。
「置手紙が三つ。一つはちーちゃんやいっくん達に向けて。もう一つは篠ノ之家へ。最後の一つは私個人に向けて」
「置手紙……?そんなの俺……」
「ちーちゃんがね、いっくんがもっと大きくなってから見せるべきだ、ってどこかに隠してあるの。流石にその場所までは私は分からないけれど、きっとちーちゃんなりに考えての事だと思う。内容もちーちゃんしか知らない」
それはまだ一夏が物心を付ける前の話で、彼が自分で歩き、自分で喋り、自己を形成する頃には千冬は既に今の千冬に近かった。
家庭的な側面は壊滅的であったけれども、周囲に助けを請いながら必死に生きようとしていた。
幸いにも蓄えは両親が残していたものがあったらしく、普通の生活をする分には困らなかったと一夏は千冬から聞いていた。
「私には、なんで先生が晴奈さんと一緒に姿を消したのかはわからない。自分達の身を守るより、子供の身を優先するような人だったから保身に走ったとは思えなかった。私の手紙には、ISを生み出すの必要なスポンサーや関係各所に関する連絡先とか、完成を願っているくらいしか書かれていなかったし」
「……束さんの話では、悪い人ではないんだと、思います」
長く長く、束の話を聞きながら考え抜いていた言葉を絞り出す一夏の声は震えていた。
俯きながらも束に聞こえるようにはっきりと紡いでいく。
「それでも、それでもっ……俺にとっては、生方四季も、織斑晴奈って人も、俺達を捨てた……ろくでなしにしか思えないっ……!」
例え、どうしようもない理由があったとしても、一夏はずっと傍で見続けて来たのだ。
必死に一人で自分を支えて生きて行こうとした姉の姿を。
その苦労はどれほどだろうか。なまじっか両親との記憶の無い自分よりも、思い出もある姉である千冬の方が遥かに辛いに決まっている。
己を殺して家族である自分の為に生きて来た姿を見続けてきた一夏には、両親のした事を許せる筈も無かった。
「それで良いと思うよ」
糾弾されるかもしれない、失望をされるかもしれない。
思わずそんな思いが過ぎった一夏を赦すように優しい言葉が束から告げられた。
ゆっくりと茫洋とした眼差しで束を見上げた一夏の頭に、彼女の掌が置かれる。
「私にとって先生は、どこまでも先生。生きる為の標を与えたくれた人。けれどそれは飽く迄私にとって。いっくんにとって、ちーちゃんがどれだけ大切な存在なのかはわかってるつもりだし、ちーちゃんがどれだけ悩んで、苦しんで来たのかも近くで見て来た。だから、いっくんがそういう結論に至るのは、仕方ない事だよ」
「だけど」、と言葉を続けて頭の上に置かれた掌が滑るように頬へと流れ、両手で頭を掴まれるとそのまま束は少しだけしゃがみこみ、一夏の額に自分の額を併せた。
間近に迫った束の顔に心臓が跳ね上る様な気恥ずかしさを覚えた一夏だったが、そこから逃れようとする気は起きなかった。
「誰かを憎む気持ちも、恨む気持ちも、良いものではないけれど、決して悪い事じゃない。それは人間誰しもが抱く感情だから、いっくんは自分を責めちゃいけない。君は優しい子だから、自分にとってのお父さんやお母さんをそんな風に見てしまう自分を許せないかも知れないけれど、私が許してあげるから傷付かないで」
ストン、と自分では処理しきれない情報の数々に荒んでいた心に束の言葉が入り込んで来た。
優しく穏やかな声音は慈しみに溢れ、心の底から一夏の事を想っている事が伝わる。
「先生と晴奈さんを見て来た一人として。君よりもほんの少しだけ長く生きているお姉さんとして。私、篠ノ之束は、織斑一夏を許します。君が抱いたその感情を、君が自分を責め続けて来た事を許します」
「……ぁ」
言葉にならない声が小さく漏れて、一夏の瞳から滴が零れ落ちた。
それを皮切りに、一夏は溜め込んで来た自責の全てを吐き出すように嗚咽を大きくしていく。
まるで子供のように泣きじゃくる一夏の背中を、束はただ只管擦り続けて慰めていた。
◇
どれだけ溜め続けて来たのだろうか、そう思えるほどにいっくんは涙を零し続けていた。
これは先程告げたように、先生や晴奈さんに対して一瞬でも抱いた負の感情だけじゃない。
いっくん自身がずっとちーちゃんに対して感じ続けて来た、自責の念でもある。
きっと自分よりも他人を優先してしまうこの子は、自分の境遇よりも姉であるちーちゃんの境遇の事を誰よりも重く受け止めていた。そして自分の存在をちーちゃんの重荷になっていると思っていたのだ。
事実は決してそんな事はないが、いっくんからして見れば、きっとちーちゃんは自分のやりたい事を自分の世話の所為で出来ずにいたと思い続けて来たに違いない。
そして――そんな事はない、という否定の言葉はきっと更にいっくん自身を追いつめてしまう。
だから、いっくんに必要なのは許す事。
本当は私の役目ではないのかもしれないけれど、少なくとも今のいっくんの周りに彼を包めるほど包容力のある人はいない。
ちーちゃんは行動に中々移せない人間だし、残りは同世代だからきっとまだそういう事は出来ない。
いっくんが本当に心の底から、全てを受け入れてくれる相手が相応しいのだけれど、それでは遅くなってしまう。
代替でも良い。
今はこの誰よりも優しくて自分を傷付けてしまう男の子を受け止めてあげなければ。
でないと、この子は……壊れてしまうから。
先生がどんな思惑でこのユニコーンを造り出したのかわからない。
記憶媒体の部分ではいっくんに託そうとした意思があった風には見受けられなかったし、きっと彼の手に渡ったのは偶然。
身命を賭して――記録を見る限りでは既に亡くなっている先生や晴奈さんが何の為にこの機体を世に出そうとしたのか。
開発時期はISの登場後それほど間は無い。だから、いっくんに託す気はなかった。
それでも、偶然でもこの機体は優しい男の手に渡った。
それは運命と言い換えても良いのかもしれない、と科学者としてどうかと思う考えすら浮かぶ。
ならば年長者としてこれから自分がするべき事は、いっくんの身の安全と護身する術を与える事。
そして――ユニコーンが世界に与える影響を考慮しての行動。
やらなければならない事は数多とある。
だけれどまずは……この子が落ち着くまで待たないと。
◇
どれだけ泣いていたのかは定かではないが、一夏自身の中で落ち着きを取り戻し始めて来ると、盛大に号泣をしてしまった羞恥心が湧き上がって来る。
泣き付いた束にはどうしようもないが、思いっきり始終を見られていたクロエの方へと視線を向ければ、何故か湯呑に入っているお茶を啜っていた。
「あ、落ち着きました?」
「軽ッ!?」
「くーちゃん、整備室での飲食は厳禁だよー」
もう少し何かしら別の反応があっても良い筈なのに、何事も無かったかのように平然としているクロエの姿に、目元を赤く腫らした一夏は何とも言えないもどかしい衝撃を受ける。
「失礼しました、束様。では束様もどうぞ」
「うむ、苦しゅうない」
「ええっ!?」
数秒前まで飲食厳禁と、顔を顰めていた人間が嬉しそうに手渡された湯呑を受け取ってお茶を飲んでいた。
しかも腰に手を添えてコーヒー牛乳でも一気飲みするかの如く無駄に洗練されて男らしい姿で。
先程までの周知や混乱など吹き飛ぶ展開に一夏は声を上げずにはいられない。
「まあ勿論中身入ってないんだけどね」
「私のお茶を飲む演技に見事騙されましたね、一夏さん」
「あの、俺どこまで真面目に受け止めればいいんでしょうか?」
「大丈夫、おふざけはここまでにしておくから」
そう言って束は自分の持っていた湯呑をクロエに手渡し、手渡された彼女は手近な機械の上に二つの湯呑を置いた。
「さて、それじゃいっくん。ここまでの話を要約すると、あのユニコーンガンダムという搭乗型に限りなく近い装着タイプのパワードスーツはサイコフレームを初めとして、ミノフスキー粒子と呼称される粒子と核融合炉っていう、オーバーテクノロジーの兵器。そしてそれを造り出したのは君のお父さん。ここまではオーケー?」
「はい、大丈夫です」
「よしよし。それじゃ問題です。生体認証によってあの機体のプログラムその他諸々を弄る為には、いっくんという存在が不可欠です。経緯はどうあれ、あの機体を所持していた組織にとって君はどういう存在でしょうか」
一拍を置いて、一夏は己の中に思い浮かんだ言葉を淀みなく発する。
「鍵、のようなものでしょうか?少なくとも、あの機体を今まで乗った事がある人はいないんですよね?」
「そもそも起動すらしなかったみたいだからね」
己の事であるというのに、鍵とまるで物の様な表現をした事に対して、一夏は拒否感を感じる事が出来なかった。
「少なくとも一夏さんを攫った組織はユニコーンという規格外の兵器を有していました。しかしその有用性を見出した者はいなかった。偶然か、或いは気紛れなのか。それとも見据える頭脳があったのかはわかりませんが、一夏さんにユニコーンを渡した女性は、貴方に何かを感じたのでしょう。でなければ、織斑千冬さんの決勝戦出場を妨害する為だけに誘拐をした当事者に、組織にとっての秘を渡す道理はありません」
「……そう、だな。でも、そもそも俺を誘拐するような機会に、どうしてそんな大事な物を持ってきていたんだ?」
「簡単な話、君を勾引かした組織には敵対する組織がいた。それに対抗する為の有事の手段の一つだったんだろうね。使える使えない、中身がどんなものかもわからないけれど、製造者だけが判明していて、その製造者は歴史に名を残しこそしないけど稀代の天才。時間を稼ぐ程度の道具としては有能だったんだろうね」
「尤も、穴だらけの推測だけどね」と付け加えた束の表情は苦々しかった。
「組織と言う一つの巨大な器の中には多くの思想が入り混じっている。人が集まる以上、それが一枚岩になる事はまず在り得ないから。――因みに、いっくんを攫おうとしていた組織はさっき言った二つ。一つはそれを実行に移した、宗教じゃない宇宙進出の先にある人類の進化思想を主軸に置いた過激派『アクシズ』。もう一つは――主に金銭を目的としていると思われる、軍需秘密結社『
「秘密結社って……まるで特撮みたいですね」
「それが冗談だったらいいんだけど、連中はずっと昔から、何かの為に資金を集め続けて来た。発祥は一次大戦末期、当時のドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世がオランダへと亡命をした時に手助けをした一派がその後独立をして秘密裏に活動を続けていたみたい。その後、二次大戦、冷戦、その他諸々の大きな諸戦争で武器の提供をし続けて資金を獲得していたみたい」
一次大戦の末期と言えば今から百年以上も前の事である。
それだけ長い間歴史の闇の中で静かに生き続けて来た組織が自分を誘拐しようとしていた事に怖気が走った。
「……両組織にとって、いっくんは飽く迄ちーちゃんを優勝させない為の存在でしかなかった。けれど今はもう違う。……わかるよね?」
「ユニコーン、ガンダム」
「そう。二つの組織には君があの機体の搭乗者という事は露呈している。現代科学を遥かに超越した超兵器を発現させ、それを所持しているのはいっくんだけ。これから先、君は狙われ続ける事になるかもしれない」
束は敢えてかもしれない、と仮定のように言ったが、一夏は彼女の口振りと面持ちから実際は違うのだろうと確信する。
それでも自分を不安がらせないよう配慮してくれた事を感謝しつつ、どうするべきかと思考する。
仮に、仮にこのままユニコーンを束へと預け、自分は何事も無かったかのように普通の生活へと戻るという安直な、そして願望が脳裏を過ぎるも、そんな事は出来る筈も無いと一夏は即断して否定する。
ユニコーンガンダムが幾ら超絶した性能を有する兵器と言えども、それを起動出来る人間は平和な世界で暮らしていた、平々凡々な男子学生。こうして警備が厳重な場でさえ誘拐をされたというのに、日本でそのような手段で拉致されない訳がない。
楽観的な思考は既に一夏の中にはない。
誘拐され、目の前で死に逝く者に託され、この手で命を殺め奪った瞬間から、どんな形であれ彼の思考は普通には戻れない。
紛争の中で生き続けて来た少年なら兎も角、平和な日本で生きて来た年頃の少年にとって、人を殺すという事実はそれまでの価値観を一瞬にして激変させるほどの衝撃を与える。
どれだけ取り繕うとも、どれだけ誤魔化そうとしても、自分の中の変化から逃げ出す事は出来ない。
「俺は、これからどうすれば」
「ここで良い大人なら、君に助言の一つでもするのかもしれない。でも――いっくん、君の中で答えは出ているんじゃない?」
迷いがあった。だからこそ縋る言葉が漏れ出ても、束は柔らかく答えを与える事を拒む。
そう言われて、一夏は漠然としながらも己の中で確かに存在していた答えを口にする。
「答え、ですか」
「そう」
「……確かに、あります。でもそれはきっと、色んな人に迷惑を掛ける。いや、きっと俺がこれから取ろうとする手の全てが、誰かに迷惑を掛けるんだと思います」
「他者に迷惑を掛けないで生きて来た人間はいないよ」
「俺は、俺は……逃げ出したくない。どんな結果であれ、俺はこの機体をあの人から託された。顔も知らない父さんの事は分からない。けれど、俺が生き残るきっかけを与えてくれた人が託してくれたこのユニコーンは、いつの日かきっと世界に必要とされる日が来る。そんな気がするんです」
それは根拠も何もない直感のようなものだった。
漠然として、曖昧な想像ではあったけれども、束は一夏の言葉を笑わなかった。
「……このサイコフレームがいっくんや私に見せる
「未来へと、活かす」
「このユニコーンが私達に齎した事は、情報を与えた事。それがどういう意図なのか。そして誰の意図なのか。先生か、それともユニコーンガンダムが与えた映像の中にあったカーディアス・ビストか、バナージ・リンクスなのか。それとも……このユニコーン自身なのか」
待機状態で固定されたユニコーンの装甲に手を触れて、束は物言わぬ白い一角の名を冠する鋼鉄の機械に視線を向けた。
「ISコアには自我とも言える成長する自律AIを積んである。けれどもこれにはそんなもの使われていない。けれど、サイコフレームは人の心の力を通して増幅させる。ましてこれは、この世界では存在しない映像すらも通して、私達に見せた。その意味とキチンと向き合って、未来へと活かす。そう、この映像の中にあった全滅戦争は起こしちゃいけない」
「……はい」
「起きるとしてもそれはもしかしたら、私達が寿命で死んで数百年後かもしれない。でも、物事の歴史の原因や遠因に何年後かみたいな時間は関係ない。結果があるから、何かが起きる。それなら私は、自分の夢についてくるかもしれないそれを防ぎたい」
束の夢――それは一夏がまだ幼い頃から彼女が周囲に漏らしていた事。
「あの広大な無限の宇宙を自由に飛び交う事が出来たら素敵だ」と。
両親である篠ノ之柳韻や篠ノ之巫命、妹である篠ノ之箒、親友であった織斑千冬を始めとした織斑一家。
瞳を輝かせて夢を語る少女の言葉は夢物語で、けれども彼女の頭脳は夢物語を現実の物へとする為に世界を進めてしまった。
現在横行する極論染みた女尊男卑も彼女が結果的に齎してしまった世界を進める為に起きた弊害の一つ。
そしてこのユニコーンが与えた映像によって世界はまた次のステージへと進み、同時にまた何かが起きてしまう。
ならばそれを防ぐ、或いは対処をする術を生むのが自分のするべき事だと束は言った。
夢を実現させる為に。
「……きっと俺は何処へ行っても『アクシズ』や『亡国機業』。それ以外にも多くの人から狙われる事になるんだと思います」
「そうだね、それはきっと避けられない」
「だから、俺はそれに抗いたい。悪意を退けて、ユニコーンで為すべき事を行うその日まで、自分やユニコーンを。そして俺に関わる人々を守りたいんです」
――恐れるな。信じろ。自分の中の可能性を。
――信じて、力を尽くせば、道は自ずと拓ける。
――為すべきと思った事を、為せ。
あの時、カーディアス・ビストはそう言った。
バナージ・リンクスに、呪縛を祓い、時代に光明を齎せと。
何も知らず、何もわからず、未来すらもあやふやであった己の子に、彼は道を与えた。
(……アンタが、何を思ってこれを造ったのかわからない。何故俺に反応をしたのかわからない)
果たして、生方四季も同じ思いであったのだろうか。
ふと思い浮かんだ疑念に一夏は己の中で答えを見出せない。
(今更、顔もわからない人を父親だと思う事なんて出来ない。けど、アンタがこれを造った。そしてそれは俺の下に来た)
偶然なのか必然なのか、或いは束の口にしたように運命なのか。
だが一夏はこの際その事はどうでも良いと考える事を止めた。
「だから、束さん。――貴女が未来へと活かすなら、俺は未来(あした)を創る。力を、貸して下さい」
しっかりと一夏は束に真正面から向き合って頭を下げた。
その姿を数瞬だけ瞠目して見遣った束だったが、小さく微笑みを浮かべて呟いた。
「勿論だよ、いっくん」
この時――
織斑一夏の初恋は終わりを告げたのだ。
きっと自分でも意識していなかったくらいに、ごく自然と。
篠ノ之束は織斑一夏にとって、恋い焦がれる年上のお姉さんから、信頼する共犯者になった。
中途半端な所で終わってしまいましたが一区切り。
少し本編での補足ですが、束が一夏に対して協力をするのにはいくつか理由があります。
本編中でもあった、自分の夢の糧としてユニコーンが齎す恩恵は計り知れないから。
そしてここは単純に一夏を死なせたくないから、です。
束にとって一夏は弟というのが何とも物悲しいですけれども、そういう認識です。
んでもって、一話の最後でガンダムのアニメが存在すると亡国の女性パイロットの視点から語られています。
なら何故一夏と束はガンダムの存在をまるで始めて見たかのように反応をするのか。
これはそのオマケ部分です。
「所で束様、一夏さん。こんな資料がございます」
「んー? くーちゃんどうしたの? んんぅ? ガンダムSEED? ガンダム!?」
「え、これってアニメ……? 何年前……2002年だから……今2027年、25年前のアニメ?」
「はい。どうやらそれほど人気は出なかったようでガンダムと名が付く作品はこのアニメだけです」
「……先生、もしかしてこれを参考にしたのかな?」
「アニメが元ネタって……いや、でもあの映像からなのか? 束さん、どう思います?」
「んー、科学者としてこういう空想上の物語の物は、出来る訳がないと諦めるか、もう一つは突き抜けて実際に作っちゃう、とか。私のISも多少なりともアニメや漫画みたいな非現実の部分を取り入れてるし」
「そうなんですか?」
「そうそう。ほら、よくロボットモノの作品でコックピットがあるでしょ? あーいうイメージがなかなか浮かばない時とか参考にするよ?」
的な遣り取りが合った様に、単純に二人とも生まれていません。
というか、この世界軸ではガンダムと名の付く作品は、機動戦士ガンダムSEEDだけです。
しかもアニメ展開のみで派生漫画は存在しません、という設定です。
因みにこのIS世界は原作開始時期を2030年と想定ます。
と言う訳で補足終わりです。
一応次回は日本に戻って、鈴や弾たちを出したいのですが……ほら、予定は未定?
いい感じに原作ブレイク出来ればいいのですが、改悪にならないように気を付けないと。