一角獣の導き   作:metallic

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何年放置しているんだ、と我ながら多くの読者の方々に見捨てられるような事をしている気がします。
お久しぶりです、皆様。あるいは初めまして。
しかもこの放置ぶりの割にクオリティが劣化している感は否めないという。
次話はまだなんも出来てませんが、1年半待たせるような事にはならないよう気を付けたいです。
……色々神羅に浮気していたりしますが


一角獣の導き IV

 

 

 第二回、モンドグロッソが日本代表である織斑千冬の総合優勝で幕を下ろしてから一ヶ月が経った。

 その閉幕間際に発生した誘拐事件は表沙汰になる事無く、また箝口令が敷かれた未確認兵器も表に出る事は無かった。

 徹底したドイツ政府とIS委員会の手によって行われた情報操作は果たして、功を奏した。

 表向きは書類上の様々な手続き、および閉会式後に行われた会見の席での織斑千冬の引退宣言の事後処理。

 それらが長引いたという結果で同伴をしていた織斑一夏も、遅々として帰国の途に就けなかった。

 理由としては充分ではあるが、真実は当の本人が知っている。

 無論、彼が篠ノ之束に保護をされた事は織斑千冬を介して政府関係者は既知とし、その上で判断に困った。

 

 織斑一夏が誘拐をされてから篠ノ之束に保護をされている間の空白期間に起きた出来事。

 それを無関係だと断ずるほど大人とは無知でも愚かでも無い。

 ましてその過程で出現をした人型の兵器は、IS同様に世間に露呈されれば歴史を変える。

 女尊男卑の風潮こそ強けれど、漸くとして一定の安定期間を迎えた世界の秩序は、ゆっくりと本来の形へと戻るべき。

 それが裏で共通している各国政府関係者の共通観念であったのだから、それがまたもや覆されかねないのだ。

 本来であるならば織斑一夏に追及をしなければならない。

 誘拐をされ、精神的にも苦境に立たされている少年と言えども、一人の人権と失われるかもしれない無数の国民の命と生活。

 比肩すればどちらに傾くかは明白。

 だが、織斑一夏はただの少年ではない。

 織斑千冬という強大なネームバリューと、ISという力を持たずとも軍人と遜色のない戦闘能力を持つ者の弟。

 そして『天災』、篠ノ之束の知己。

 それの事実が、本来ならば行わねばならぬ事に対して、関係者たちに二の足を踏ませた。

 侮る事無かれ。

 『天災』の忌み名は不遜に在らず、その名すらも烏滸がましい人が起こす災厄。

 それが各国の政府の関係者が篠ノ之束に懐く印象だ。

 当然それは束自身が演じている一側面にしか過ぎないが、もしも彼女の本性を知ったとしても、国を預かる者達の印象は変わらない。

 そもそも見ている土俵が異なるのだ。

 篠ノ之束は世界を見据えている。

 各国の政府関係者が見るべきは大前提として自国と言う国と言う媒体であり、そこに住まう国民の安全。

 まして、己の起こす全てによってどれほどの混乱が生じるか、その際に生まれるリスクを全て享受して実行に移す理性を持った狂人ほど恐ろしいものはない。

 

 幸い、というべきか、公の場に織斑一夏が戻って来た際、彼の精神は多少のショックを受けながらも安定していた。

 また秘密裏に手にしていた兵器も一夏自身の手にはなく、それは束の手に預けられていたので問題は無かった。

 もしも、一夏がユニコーンというオーバーテクノロジーを所持したままでいたのならばどうなっていたのか。

 自室のベッドの上で横になった一夏は想像するも容易い光景に思わず小さく身震いした。

 

 

 「一夏、少しいいか?」

 「千冬姉? どうぞー」

 

 ノックの後に聞こえて来た声は聞き慣れた、しかし最近は家に帰って来る事が中々出来ない姉のもの。

 一体いつの間に帰って来ていたのやらと視界の端で時計に目を向ければ、十九時を少し過ぎていた。

 

 「ん、休んでいたのか?」

 「いや大丈夫。千冬姉こそ、夕飯は食べて来たのか?」

 「ああ。今日帰るとも言っていなかったからな。用意していないと思って、後輩と軽く食べて来た」

 

 何気ない姉弟の会話だが、暫くの間していないと妙に懐かしくも感じる。

 なまじっか一夏は千冬が誘拐の件から自分に対して負い目を感じている事も察していた。

 姉の性格上、正面から気にしないでくれと言っても効果はないだろうから、時間が解決してくれるだろうと話題を避けているが。

 

 「幾つか話さなければならない事があってな。時間は大丈夫か?」

 「大丈夫。明日は休みだしさ」

 

 戻って来たのは昨日、金曜日であった。

 そして今日は土曜日。本来ならば学校がある筈だったが、長旅の拘束を考えて休みとなっている。

 

 「まず、月曜日から学校には通って良いそうだ。が、見えない所からお前の身辺警護に政府直轄の人間が付く。気配は悟らせないそうだが……」

 「そりゃそうだよなあ」

 

 千冬としては心苦しい事でも、一夏からすれば納得のいく行為だ。

 確かに多少のプライベートは侵されるかもしれないが、安全面を考えれば仕方ない事なのだろう。

 

 「笑いながら受け止めるな、馬鹿者」

 「そう言うしかないだろ? 実際、一応俺を誘拐した連中が諦めたとは言い切れない訳だし」

 「……済まん」

 「千冬姉が謝る事なんて何一つない。千冬姉は自分のするべき事をして、それを為したんだ。俺は誇りに思うよ」

 

 思わず、鼻の奥がツーンとする衝撃を千冬は受け、浮かび上がりそうになった涙を堪える。

 如何せん、あの事後から涙脆くなりそうで彼女としては困りものであった。

 こうして平然と人の心を刺激する事を口にする弟に対しても、嬉しさ反面、どう接すればいいのかわからないというのが本音だ。

 誘拐事件だって元を糺せば自分の所為だという、見当違いの自責すら千冬は懐いている。

 

 「納得の上での事だから気にしないでくれ。それで、それだけじゃないんだろ?」

 「あ、ああ。……今回の件で、結局は束に世話になったが、ドイツ軍の方々にも随分と迷惑を掛け、世話になった」

 

 千冬が語るのは、端的に行ってしまえば恩返しの為にドイツ軍でISの教官を一年ほど勤めるという事だった。

 勿論、厳密には政治的な駆け引きが無数にあったのだが、それを細かに説明する弁舌を千冬は持っていない。

 口で言うよりも手で教える。

 こんな自分が果たして教官と言う職務を全うできるのか甚だ疑問ではあるが、それでも応えたいと千冬は思ったのだ。

 

 「そっか。一年か……」

 「それで、だ。私としてはあんな事があった直後だ。出来るならお前を傍に置きたい。しかしだからと言って、今のお前の生活を壊したくはない。優柔不断だが……一夏、お前はどうしたい?」

 

 どうしたい、と問われた時に真っ先に一夏の脳裏に移ったのは友人達の顔だった。

 確かに、安全と言う面を見るのならば間違いなく軍部に関わる姉と共にドイツへと向かった方が遥かに適しているだろう。

 不便かもしれないが、慣れて行くしかないと自分を納得させる事もきっと時間を掛ければ出来る。

 けれども離れない。

 凰鈴音、五反田弾、御手洗数馬。

 彼等だけじゃない。

 その家族の人達、彼等よりは関係が薄いけれども決して小さくない絆を持っているクラスメイト。

 商店街の人。

 何よりも――自分が生まれ育った場所。

 

 

 『一夏、きっとお前は私を恨む事になる――だが、恐れるな』

 『ごめんね、けれど貴方達ならきっと大丈夫。私の自慢の子供達だもの』

 

 

 声が、聞こえた気がした。

 面には出さず、それでも確かに耳朶を震わせた声は強烈な懐古の情念を一夏に与えて気のせいだと思わせない。

 誰だ、そんな問答すら無用だ。

 答えはこの心が、覚えている。

 顔すらも浮かばぬ、けれども茫洋とする表情は穏やかな心休まる声音が全てと言う。

 今いる場所が生家だから、それとも、自ずとこの選択が自身の道を決めると無自覚に理解をしているのか。

 急として押し黙った一夏を不審に思った千冬ではあったが、答えを急く様な真似に走る事は無かった。

 

 「……悪い、千冬姉」

 「そうか。――わかった、それがお前の決めた事なら、私が否定する事は出来ないな。尊重しよう。お前の意思を」

 

 浮かび上がった微かな逡巡を呑み込み、千冬は小さく笑みを浮かべる。

 不安はある。

 一人で残す事、それはまたあの夜を再現してしまうのではないのだろうか、と。

 幾ら警察や公安の人間が身辺警護をしていた所で、ISを用いられてしまえば忽ち無力化されてしまう。

 理性的な部分では、一夏が嫌だと拒絶しても共に向かうべきだと言っている。

 だがしかし、それ以上に――姉として、弟の想いを汲んでやりたかった。

 千冬から見ても一夏は年相応な精神年齢だが、一部分では大人の様な考えを持っている。

 それは、現実感。

 両親の姿を見た事も無い故に一夏が生まれながらに手にしていた苦労や艱難を重ねた結果とも言える。

 

 (私が考えている事など、一夏が考えていない筈がない)

 

 他人の好意には些か愚鈍な所がある一夏だが、己の置かれている状況を正しく理解する事には長けている。

 だからこそドイツにいた際も文句の一つも言わずに聴取に積極的に協力をしていたのだ。

 危険は承知、そして残る上でのリスクもキチンと理解をした上で一夏は千冬との同道を選ばなかった。

 それは若干の寂静の念を抱かせるが、一夏の選んだ答えだと千冬は納得する。

 

 「一年間ずっとドイツにいる……可能性も無きにしも非ずだが、なるだけ連絡はする」

 「そうして欲しいな。千冬姉は自分で色々抱え込んじゃうから、愚痴の一つや二つは聞いてやるよ」

 

 そう言ってはにかむ一夏に頼もしさを感じる反面、儚さを垣間見た。

 己が知らぬ事、思い及ばぬ事を考えているのではないかと言う邪推すら一瞬してしまう。

 小さく頭を振り、千冬はその直感を雑念と切り捨てる。

 大丈夫だ、と。

 自分の弟は、まだまだ子供で守らなければいけないけれども、ただ守られるだけの存在じゃない。

 隠し事の一つや二つ抱えていてもおかしくはないが、いつか、彼の口から語られる日を待つ。

 その時、隠していた事は笑って許してあげればいい。

 それが――きっと、家族なのだろうから。

 

 

 ◇

 

 

 一人の男の話をしよう。

 何処にでもいる平凡で、平和な世界であれば凡百の一人としてその生涯を閉じたであろう一人の男を。

 彼の趣味は些か他者に理解をされ無いものであった。

 成人を過ぎ、社会に出てからもアニメや漫画、ゲームの世界に没頭する、良く言ってしまえば子供の様な大人だった。

 周囲が精神的に成熟し、娯楽から離れて社会の歯車となり、また一つの家庭を築く者となっていく中で、彼は取り残された。

 純粋であったのだろう。

 子供の頃に懐いた夢をずっと抱き続けていた。

 

 いつかヒーローになる、そうして世界の平和の為に戦うんだ。

 

 きっと年端もいかぬ子どもならば誰もが懐くであろう純粋で尊い願いだ。

 それは平和な日本であろうと、常に紛争が絶えない中東やアフリカの様な大きな価値観の差がある国でも変わらない。

 無垢で純然な子供だからこそ願う祈り。

 彼は周囲と調和を乱さぬように配慮をしながら、その夢をずっと追い求め続けて来た。

 自衛の為ではなく、困っている誰かの為に、苦しめられる者の為に武道を学んだ。

 貧困に苦しみ喘ぐ人達の為に、細やかなながらの支援の為に凡ゆる分野の学問を学んだ。

 絶望しか知らず、或いは自らの置かれている状況が絶望だと理解する事の出来ない者達の為に政治を学んだ。

 

 何処にでもいる、理想に心を燃やして生きている一人の男。

 彼は己の道に迷い、苦しみ、否定され続けても愚昧なまでに貫き続けていた。

 意地であった。

 鼻で笑われ、嘲弄の言葉と共に社会から切り捨てられる事は幾度とあった。

 彼の生き様を理解出来ないと、生涯を誓った伴侶は隣から消え、愛した子供も遠く離れて行った。

 

 後悔はなかった。

 自分の我儘に大切な人達を巻き込んではいけないのだと、無理やり自らの心を律して納得させた。

 本当は泣き叫びたかった。

 行かないでくれ、一人にしないでくれと、そう恥も外聞も無く叫びたかった。

 けれどもそれは出来ない。

 それは今まで、同じように彼と共に歩み、彼の下から去って行った多くの友にもしなかった。

 愛する家族とは言え、彼等だけを特別扱いする事は出来なかった。

 

 誰かが言った。

 

 お前は狂っている。

 

 その通りだ、と男は眉一つ動かさずに平然と言葉を返した。

 子供の頃に懐いた理想を頑然と崩さずに追い求め続け、それ以外の全てを蔑ろにして来た。

 人並みの幸せを捨てた。

 その代わりに、人に有り余る不幸を見続けて接してきた。

 初めから狂っていなければ、こんな事は出来ない。

 きっと――テレビの画面に映るヒーローたちの姿に囚われた時から、彼の心は人である事を捨ててしまった。

 

 誰よりも平和を願い、求め続けていた。

 苦しむ誰かの姿を見るのが嫌だった。

 見ず知らずの赤の他人でも、血を分けた家族でも変わらなかった。

 

 彼を知らぬ者は口を揃えて言う。

 

 聖人の様な男だ。

 

 彼を知る者は口を揃えて言う。

 

 悪魔の様な男だ。

 

 誰に対してでも分け隔てなく、平等に接するが故に、彼にとって心は無かった。

 自らが安らぐ場所を作らず、ただ己を苦しめ続ける事にさえ気付かずに、走り続けた。

 

 誰も彼の背中を追おうとはしなかった。

 当然だ、人の持つ理性が彼の信念とは相容れない。人が縋る宗教が、彼の在り方を拒む。

 その生き方は、二〇〇〇年代初頭の平和な時代では決して認められる事の無い昔の英雄の在り方だった。

 それが彼が夢見ていたヒーロー達の姿だった。

 自らを切り捨て、他人の為に生きる性格破綻者。

 その事実に気付いたのは、随分と彼が年嵩を重ねた頃で、それでももう止まる事など出来なかった。

 

 

 彼の中にあったのはただ一つ。

 ヒーローになりたい。

 誰もが憧れて、助けを求める者達に応える事が出来る者に。

 そう願った彼の最後は、余りにも呆気ないものだった。

 

 己を顧みることなく走り続けて、生き続けてきた男の身体は既に限界だった。

 無数の病魔に身を犯され、数多の戦場を渡り歩いて負った傷は肉体を蝕んでいた。

 誰に看取られるでもなく、彼は心と身体を苦しみ続けながら固い石畳の上で逝った。

 

 

 それで終わればよかった。

 そうすれば彼は本当に、ただの何処にでもいる英雄を目指した一人の男として終われた。

 けれども運命の悪戯は彼を選んだ。

 歪み、壊れた一人の男の魂は涅槃に到らず、無限の意識が集う中に交わらず、道楽の為に弄ばれた。

 若き日に見た神様を自称する者によって転生させられ、アニメや漫画の世界に行く。

 己に降り掛かる事を夢見、いつしか忘れていた青臭い願望は、最悪な形で叶う。

 

 

 何度繰り返した事だろうか。

 死に、生まれ。

 記憶を持ったまま何百、何千、何万と繰り返し続けて行くうちに、彼の魂は摩耗していく。

 大切であった家族の顔も声も忘れて行った。

 愛した女の温もりを忘れた。

 腕に抱いた子供の笑顔を忘れた。

 己の声を忘れた。

 自分の顔を忘れた。

 最後に、何が自分であるのかと言う存在の定義すらも擦り減って消えて行く。

 

 度重なる転生に於いて彼は時に物語の要として生き、或いは路傍の石の如く関わらずに生きた。

 そこに救いなどない。

 どれだけ希望を求め願おうとも、最後に訪れるのは平等な死であり、不平等な繰り返し。

 彼が生まれ落ちた世界の幾つかで、英雄と呼ばれる者達がいた。

 羨ましい、妬ましい、様々な感情が湧きあがった。

 

 只々、彼の中に残っていたのは、原初の願い。

 いつであったのかさえ覚えていない、どんな存在であったのかさえ消えた漠然とした憧れ。

 だけれども、助けを求める誰かを見捨てる事など出来ない。

 その願いだけが、人でなくなった男を辛うじてヒトとして繋ぎ止めていた。

 

 

 愛する者が出来た。

 交わり、生まれた三つの命に、遠い日に失くした理想を思い出した。

 運命を感じた。

 そしてこれから自分の子供に待ち受けている日々に悩み、苦しみ、一つの答えを出す。

 託す事、そして願う事だ。

 

 誰かの為に。

 定まらずに、ずっと揺らぎ続けていたその祈りは、やがて英雄へと仕立て上げられる子供に向けられる。

 恨まれ、憎まれるだろう。

 それでも構わない。

 子供の幸せを願わぬ親があろうものか。

 

 己の中に眠る智識と智慧。

 蓄え、沈み、腐り掛けていたものを動かしてこれからの時代を生きる子供達に託した。

 少しでも幸せになって欲しいから。

 自分の様にはなって欲しくなかったから。

 

 

 そして――全てを託して、男は再び繰り返す。

 生誕と死滅を。

 自己と言う概念が壊れ、ただただ世界を回す歯車となって。

 

 

 ◇

 

 

 寝起きは最悪だった、と一夏はセットしたアラームが鳴るよりも五分前に目が覚めた。

 時刻は朝の五時半。早過ぎるのかも知れないが、朝食の準備や軽い自己鍛錬を含めると丁度良い時間である。

 白ばむ空からの光はまだまだ星の煌めきが優勢らしく、カーテンからは微量の明かりしか齎されていない。

 

 「……はぁ」

 

 朝最初に溜息とは自分の事と言えども鬱々とした気にさせられる。

 それもこれもこうしている間にも消えてくれない夢に出て来た存在の所為である。

 誰の事なのだろうか、という疑念もあれば、それが自分にとって無関係の存在ではないのだろうという根拠のない確信もある。

 夢は夢、そう一蹴する事も出来るけれども、生憎と一夏はそう言う気にはなれなかった。

 

 「起きる、か」

 

 まずは着替えねばならない。

 気持ち悪い寝汗を掻いたパジャマを脱ぎ、薄着にジャージを着込み扉を開ける。

 自己鍛錬――そう称すれば格好も付くが、結局の所一夏がやっているのは自分の体力が落ちないようにする程度だ。

 かつて剣道で鍛えた事によって同世代に比べて体格はガッシリとしており、せめてそれに見合った運動能力を保持しようとする心掛け。

 

 (もしも箒が今の俺を見たら……まあ、怒るな)

 

 真摯に剣道に打ち込んでいた友人ならば、今の様に剣を捨てた自分に対して怒るかもしれない。

 家計を支える為、という理由もあるが頑固な一面もある彼女ならばそれでもと言うだろう。

 

 「……さて、それじゃ行って来ますか」

 

 色々と疲れの残っている姉はまだ夢の中――とは思わないが、だからと言って家事が致命的な領域にまで達している千冬に朝餉の支度など任せられない。

 一度、爆発騒ぎを起こして以来彼女は台所立ち入り禁止を一夏から命じられているのだ。この時ばかりは姉と弟の上下関係が逆転をしていた。そんな経緯もあり、精々近所を軽くジョギングするくらいしか出来ないだろうと考えながら、一夏は穿き終えた靴を鳴らして家を出た。

 

 全力で走る、それではジョギングにはならないので小走り程度だ。

 人通りも少なく、春には程遠い季節で吐き出す息は白く染まっている。

 こうしていれば、まるであの日の出来事が夢であったかのようにさえ思える。

 けれど実際は違う。

 

 「……ああ、そうだ。俺は……」

 

 人を殺した。

 どのような理由があったとしてもその一点に集約される事実は重く圧し掛かって来る。

 振り払おうとしても振り払う事は出来ない。逃れる様に足の動きは早まるが、逃れる事は出来ない。

 受け入れた。

 言葉にして、自分にそう思い込ませるのは簡単だが、所詮それは上辺だけ。

 今でも容易に思い出せる。

 

 ビームサーベルの柄から伝わる肉を抉り骨を砕くその感触。

 臓腑が焼き切れ、血液が沸騰し、悍ましい悪臭と噴水の様に自分に降り注ぐ真っ赤な血流。

 忘れるな、忘れてはならない。

 それが自分の犯した罪。

 我知らずと握り締めた拳は強まり、微かな痛みを訴えて来るがそれを気にするゆとりは一夏にはない。

 

 「……気分を一新させる為に外に出ているのに、何を考えているんだか」

 

 自嘲を零しながら一夏はウォーキングを続ける。

 結局、鬱屈とした思考は最後まで完全に晴れ上がる事は無かった。

 日差しが差し込み始め、青色が顔を覗かせ始める大空がまるで皮肉っているようにさえ一夏は思ってしまった。

 

 

 ◇

 

 

 「こんのぉっ、バカ一夏ァっ!」

 「ふげぼっ!?」

 

 懐かしささえ感じるクラスの扉を万感の思いを込めて開いた一夏が最初に見たのは上履きの底であった。

 同時に聞こえる幼馴染の怒声。スカートの中? 見える訳ないだろう。

 誰の問い掛けともわからぬ疑問に彼は顔面に生じる激痛を噛み締めながら身体を吹き飛ばされた。

 

 「ふんっ!」

 「うぉぉおおいっ!? なにしてんの!? なにしてんのこのツンデレツインテ!?」

 「…………生きてるのか、一夏」

 

 廊下の壁に激突し、痛みに背中をさすりながら起き上った一夏が視界に収めたのは、怒気でツインテールを揺らす凰鈴音とその両隣で激しく喚いている御手洗数馬、自分の心配をしてくれている五反田弾の姿だった。

 

 「お、おう。思いの外痛くは無かった。痛いには痛いけど」

 「当ったり前でしょうが! ドロップキック一つにも相手に怪我をさせない程度に痛めつける方法があんのよ!」

 「いやないよ!? っていうか綺麗に決まってたぞ! 鈴のスカートの中が見えないのが残ねばた州!」

 「あ?」

 

 ゴン、と裏拳一発が数馬の顔面に減り込んだ。

 当たったのではない、減り込んだのである。

 青筋を額に浮き彫りにさせて心胆が底冷えする程の視線と低い声を上げる彼女に思わず傍観をしていたクラスメイトが後ずさる。

 

 「まさか開口する前に手痛い一撃が来るとは思わなかった。お蔭で受け身が取れなかったぞ」

 「いや、そこは怒っておけよ」

 

 冷静に突っ込む弾の言葉に、一夏は苦笑いを浮かべながら「でも怪我も無いしな」と顔を擦る。

 少しヒリヒリするだけで直撃したはずの鼻は鼻血すら出していない。

 

 「どんな防御力だ、お前の顔は」

 「鍛えてますから」

 「……まあいいや、うん。取り敢えず一夏、おかえりさん」

 

 そう口にして一夏の肩に手を置く弾は肩を諌めてこの惨状の中、今迄通りに彼へと笑い掛けた。

 スカートに着いた埃を払い、フンスッ、と鼻を鳴らしそっぽを向く鈴。

 顔面が物理的に在り得ない凹み方をしながら何事も無かったかのように起き上がって何かを喋ろうとして失敗している数馬。

 そして――このやり取りを当たり前の様に受け入れ、一夏がモンドグロッソに行く前と変わらずにいるクラスメイト達。

 

 (……ああ、なんだ。お見通しか)

 

 表に出したつもりはなかった。

 ましてクラスに顔を出してまともに喋ってすらいない。

 だが、どうやら自分が本来よりも遅れて登校をする事は知らされており、その上で彼等は変わらずでいてくれた。

 変わってしまった自分を、慰めず、ただ態度で応えてくれた。

 

 何も言わなくても良い、と。

 只々おかえりと。

 込み上げて来る涙を必死に我慢し、一夏は紡ぐ。

 

 「ああ、ただいま」

 

 その言葉を告げ、一夏は漸くとして心を落ち着かせる事が出来る場所に戻って来たと実感した。

 程無くして予鈴の鐘が鳴り響き、担任の教師が現れてホームルームが始まる。

 変わらない日常。

 何よりも一夏が、あの極限状態の中で深層心理の奥底で求めていたものが、ここにはあった。

 そうだ。

 ここにはみんながいる。自分の事を想ってくれて、本当は知りたいという気持ちを抑えて心を汲んでくれる友がいる。

 だから俺は俺でいる事が出来る、と一夏は確たる思いを懐く。

 彼等がいる限り、自分はまだ彼に呑まれる事は無く、織斑一夏として居続けられる。

 授業の合間にある小休憩、一夏は催してトイレを済まし、人通りが少ない廊下を一人歩く。

 

 

 『君の言う"みんな"とは何だ。一人の人間が総ての意志の代弁者になる事は出来ない。器にでもならない限り』

 

 

 『容易な事ではない。器になるという事は、己を空にするという事だ。宇宙の深淵に呑まれ、狂気の更に向こうに立ち入った者だけが、その境地に至れる。君には確かに才能がある。だが、まだ若い。本当に器たらんとするなら、私と共に来い。今君が信じている希望、可能性は、いずれ裏切られる。絶望に取り憑かれたニュータイプは、自滅するか逼塞するかのどちらかだ。私はそう言う例を何人も見て来ている。今ならまだ間に合う。私と来い』

 

 

 『君にも分かっている筈だ』

 

 

 『君はもう、君が言う〝みんな〟の中には帰れない』

 

 

 ガツンッ、と鈍器で頭を殴り付けられたかのような衝撃が走る。

 視界が揺れ、意識が茫洋として頭の中に響いてくる男の声。

 知っている。

 この声を、この主を、この男がどの様な存在であるのかを。

 織斑一夏は知らない。けれども流れ込むバナージ・リンクスの記憶が知っている。

 

 止めろ、入って来るな。

 俺は――織斑一夏だ。

 

 「づっ、あっ……がっ……ぁ」

 

 バナージ・リンクスが経験してきた多くの人々の思惟が頭の中に流れ込んで来る。

 無数の命の煌めきが虹の様に輝いて一夏の頭を焼き尽くさんとばかりに拡がって行く。

 頭痛なんて生易しいものじゃない激痛に、膝から廊下の床に倒れ込む。

 

 「やめ、ろっ……見せるな、俺は……バナージ(お前)じゃない……っ!」

 

 この思惟の主が果たして本当にバナージ・リンクスであるのか。

 確かめる術など何処にもない。

 しかし全ては俯瞰的か或いは、バナージの視点から見たものしか流れてこない。

 時を越え、世界を越えて、伝播する人の感情の波濤が一夏を呑み込む。

 耐え難いその思念の渦を強制的に断ち切る為に意識が断絶し、朦朧とする中で聞こえたのは、友人達の声の様な気がした。

 

 

 ◇

 

 

 「遅い、な」

 

 そう呟いた五反田弾の視線の先には既に始業開始の一分前となった時計があり、次に移ろいだ先は空白の席。

 一夏が居るべきそこはギリギリの時間になっても埋まらない。

 用を足して来ると告げてから随分と長い。それだけ踏ん張っているのかと下世話な話にも出来るが、何故かそうとは思えなかった。

 それは友人としての勘でもあり、同時に今朝方の一夏の異常な様子を見たと口にした鈴の言からの予測でもある。

 奇しくも懊悩する一夏の姿を、鈴は学校に来る前に目撃をしていたのだ。

 しかし快活な彼女であっても声を掛ける事が出来ぬ様子で、だからこそ強引にでも今朝、彼女は跳び蹴りを喰らわせたのである。

 弾にしろ、鈴にしろ、数馬にしろ、一夏に何かあったという事は帰国が遅れた事から察せてもその何かまでは皆目見当もつかない。

 だが、何かあり、それが一夏に対して少なからずの影響を与えたという事実があれば充分であった。

 多少恋愛ごとに関しては鈍感ではあるが、織斑一夏は多くの人間が認める好青年だ。

 自分に厳しく、他者に対しては老若男女分け隔てなく大らかに接する。

 誰かが悩んでいれば自分の出来る範囲で手助けし、手に余ると分かれば別の誰かの手を借りる。そんな自尊心よりも他人の心を優先する者。

 

 「流石に用を足してるにしちゃ長いな」

 「朝のあの顔を見たらあんまり良い予感がしないのよね。……探した方が良いかしら?」

 

 どうする? という鈴の視線に弾と数馬は暫し考える。

 何事も無ければ問題はない。只の取り越し苦労で終わってくれる。

 けれども鈴を含め、三人の胸中には言いようのない不安感が漂っている。

 どうするべきかという逡巡に一考をしていた三人だったが、それは次の教科――丁度担任の教師が入って来た事で中断される。

 

 「授業始めるぞー」

 

 間延びした緊張感の無い声。

 中年の域に入り、腹が僅かに出ている若干頭髪が薄くなっている事に悩んでいるとされる彼は目敏く空白の席を見付け、声を上げる。

 

 「織斑はどうした。知ってるのいるか?」

 「授業が終わってお手洗いに行ったんですけど……まだ戻って来てません」

 

 事情を知る鈴がそう伝えると、口の中で教師は反芻する。

 授業が終わって、とすれば十分以上も経過をしている。

 用足しの内容が前後かによってそれは変わって来るかも知れないが、日頃から一夏の性格を知っている彼は、生真面目な少年ならば長くなりそうなら誰かに言伝でも頼むはず、と疑念が鎌首を擡げる。

 

 「ふむ。……少し探して来るか。五反田、凰、御手洗、お前達も手伝ってくれ。他の者は私が戻って来るまで自習してるように」

 

 教師であり、担任でもある彼にも一夏がドイツに行っている間に何が起きたのか詳細は知らされていない。

 しかし何かの事件に巻き込まれ、その影響で帰国が遅れたという事だけは担任教師と言う事もあって知らされていた。

 だからこそ敢えて一夏と特に仲の良い三人を選別して、探すのを手伝わせた。

 

 ――結果として、その判断は正しかった。

 程無くして、人通りの少ない廊下で意識を失い倒れていた一夏が彼等の手によって発見される。

 幸い外傷は無く、ただ気を失っているだけだと保険医に説明をされたが、意識を取り戻し次第早退をさせる事が決まる。

 けれども一夏が目を覚ましたのは昼を過ぎ、既に放課後になるほどの時間であった。

 

 「睡眠不足、なのかもしれません。ここ最近、しっかりとは寝れてないんで」

 

 空々しい出任せを口にしながら、一夏はタクシーを呼ぼうとする保険医を制して、既に大丈夫だと腕を振りアピールする。

 それを馬鹿正直に信用する保険医ではなかったが、当の本人が大丈夫だと念を押している以上強くは言えなかった。

 日差しはまだまだ赤みを増していない時間ではあるが、それでも生徒は何処か疎ら。

 校門へと向かう中で見かけたのは精々運動部などの部活動に励んでいる生徒達くらいで、残っている生徒はあまり見かけない。

 

 「はてさて、どういう事だ」

 

 独白するも返される言葉は無く、一人疑問に思いながら校門に辿り着けば、いつも自分の傍にいる面々が渋い顔をして立っていた。

 「あー……悪い、待っていたのか?」

 「まあな。本当は聞くつもりも無かったけど、流石にあんな状態で倒れているのを見たら、正直見過ごせないな」

 

 それ程までに酷い状態で倒れていたのだろうか、と思わず首を傾げてしまった。

 確かに意識が途切れる寸前に鈴や弾達の声が聞こえた気もしたけれど、こうも心配されるほどだったのだろうか。

 そんな一夏の態度は本人に悪気こそなかったが、目の前にいる鈴達は一夏が自分の状態を理解していない事に微かに怒りを懐く。

 まるで己を蔑ろにさえしている気さえも感じられたからだ。

 頭ごなしに怒鳴らず、努めて冷静に振る舞おうと軽く深呼吸をし、気を落ち着かせてから鈴が口を開く。

 

 「言っとくけど、誤魔化せるとか思わないでよ。真っ当な理由じゃなきゃ、納得なんかしないから」

 「あー……とは言っても、なあ……」

 「お前、自分がどんな状態で倒れてたか分かってんのか? 泡吹いてたんだぞ、泡」

 

 弾の発言に、思わず身体の動きが止まる。

 泡を吹いていた?

 確かにあの激痛と心の中に流し込まれる感情の嵐は相当だった。

 

 「……全部は、話せない。それでも良いなら、うちに来てくれ。話せる所だけ話す」

 「誤魔化すのはなしだからね」

 「嘘は吐かないさ。隠しはするかもしれないけど」

 

 自分で口にしながら詭弁だと一夏は思った。

 この親友達が心から納得してくれるような事は伝えられないにしても、きっと彼等は納得した振りをしてくれる。

 どれだけ恵まれているのだろうか。

 心の中で呟いたこの言葉は外に漏れる事無く内側に沈殿していく。まるで澱の様に。

 

 

 ◇

 

 

 努めて平然とした普段通りの雰囲気を作れるほどの器量は誰にもあった。が、それは正しい選択ではないと確証はなくとも全員が思っていた事だったのか、重々しくこそないが決して明るくはない空気のまま帰り道を進み、一夏達は帰路を終えた。

 閑静な住宅街の中にあるありふれた一軒家。数少ない、今はいない両親が千冬と一夏に遺した居場所。今まで何度も訪れた事のあるその家であっても、この異質な空気の所為なのか、鈴達はまるで魔窟の様に感じてしまっていた。

 

 「……あれ?」

 

 先立って鍵を取り出して扉を開こうとしていた一夏の疑問の声を耳聡く掴んだのは、彼の動向を逐次として見逃さずに盗み見ていた鈴であった。何度か鍵穴に差し込み直しては首を傾いであからさまな態度を無意識にする一夏の隣に立ち、微かな渋面を作った表情を覗き込む。

 

 「どったのよ、開かないとか?」

 「いや、逆だ。開いてるんだよ。朝は確かに閉めて出て来たんだけどな……」

 「千冬さんが先に帰って来ているとかじゃないのか? 今は忙しくはないんだろ?」

 「今日は確か今後の日程の調整とかで遅くなるとか言ってたんだよ。だから家には誰もいない筈なんだけどな」

 

 それは本来なら危機感を持つべき事態だ。事実、一夏以外の三人は渋面の中に警戒の色を強め、数馬に至っては懐から携帯電話を取り出していつでも然るべき場所へと連絡が出来るようにまでしている。だが最も危機感を持つべき一夏は、何故か現状を危険だとは思っていなかった。根拠もない直感のようなものだが、家の中から感じるのは悪意ではなく純然な思惟。殊更悪意に敏感になってしまった一夏は、日本に戻るまでの間。そして日本に戻ってからの間も数々の悪意を感じ取っていたのだ。それと比較すれば寧ろ、温かささえ感じる。

 

 「ちょっと一夏」

 「大丈夫。誰かいるのは確かだし、それが誰かはわからないけどたぶん大丈夫だ」

 

 確信を持っているかのような声に思わず彼の背にいる三人は顔を見合わせる。有無を言わせない説得力が一夏の言動にはあった。これ以上は何を言っても無駄か、と諦念を懐く三人ではあったが、それでも友人を心配してか、数馬は携帯を離さず、鈴と弾はいつでも一夏を庇い立てるように左右に並び立った。

 

 「それじゃ、開けるな」

 「あ、おい一夏!」

 

 まだ心の準備が、という弾の声を無視して玄関の扉を開けた一夏の目に飛び込んで来たもの。

 それは―

 

 「ん? ふぁ、ふぉばーり、びっぐん」

 

 丁度良く、篠ノ之束が普段通りのメルヘンチックな衣装を身に纏っていながら行儀悪く煎餅を齧りながら居間から想像の斜め上を行く姿だった。空気が凍る、そう表現するのが最も適したかのように束を除く全員が理解出来ない状況に固まる。

 だが束はそんな彼等の心情を察していながらも朗らかに笑いながら、パリンと小気味の良い煎餅が割れる音を響かせる。

 

 「んぐっ。ごくりんこ。ふぅ。待っていたよいっくん! さあ、この束さんが来たからにはもう安心だ!」

 

 

 




描写が転々としていて今回は読み難かったかもしれません。
なるだけそのような事が無いようにしたいのですが……
さて、なんで束さんが織斑家にいるのか。一応次回明かされる予定ですー
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