(3)の続きとなります。
「いつまで遊んでいる。床がそんなに寝心地がいいとは思えんがな」
「そ…そんなバカな!」
アズーロは絶句した。
目の前の信じがたい現象を目にして、心身とも恐怖に支配されてしまったからだ。
「いつまで狸寝入りを決め込むつもりだ…セバスチャン」
シエルが呆れた眼差しを今しがた殺したはずの執事へ向ける。
主の声に反応するかのように、倒れているセバスチャンの指がピクッと動き、
ゆっくりと起き上がった。
「…やれやれ、最近の銃は性能が上がったものですね。
『百年前』とは大違いだ」
けふ、ごほんと軽く咳をしながら感想を口にするセバスチャン。
「何をしてる、殺せぇエッ!」
アズーロの命令に、同じく言葉を失っていた部下達が我に返り、咄嗟に銃の引き金を
弾こうとする。
「お返ししますよ」
ズダダダダダダ!
しかし、ニヤリと妖しい笑みを浮かべたセバスチャンが、掌から己に打ち込まれたはずの血で濡れた銃弾を周りにいた男達に投げつけた。
…男性達は悲鳴を上げる事無く倒されてしまった。
セバスチャンは立ち上がると、バッバッと埃を払い、穴だらけで血塗れの燕尾服に
溜息をつく。
「嗚呼…何という事だ。服が穴だらけになってしまいましたね」
「遊んでいるからだ、馬鹿め」
「私は坊ちゃんの言いつけを忠実に守っていただけですよ。
―――“それらしく”していろ…とね」
悪態をつくシエルに、セバスチャンはクスクスと笑って言い返した。
「それになかなかイイ格好をされているじゃないですか。
芋虫の様にとても無様で素敵ですよ。小さくて弱い貴方にピッタリだ」
「く、来んなッ、止まれ!」
怯えながら警告するアズーロを完全に無視して、セバスチャンは一歩ずつ近づいてくる。
「…誰に向かって口を聞いている」
シエルはムッとした顔で、早くしろと急かす。
「止まれェ! と…とと止まれって言ってんだよ!
それ以上近寄ったらブチ殺すぞ!!」
「さぁ、どうしましょうか? 私が近づけば殺されちゃいますよ」
アズーロの言葉に怯むどころか、逆にこの状況を楽しんでいるセバスチャン。
「貴様…『契約』に逆らうつもりか」
「とんでもない。“あの日”から私は坊ちゃんの忠実な僕。
坊ちゃんが願うならどんな事でも致しましょう。
―――捧げられた犠牲と享楽を引き替えに」
「何ワケのわかんねえこと言ってやがる! 変人共(スプーキー)がぁ!!」
大声で吠えるアズーロは最早蚊帳の外状態。
セバスチャンは艶やかにこう言った。
「坊ちゃん、おねだりの仕方は教えたでしょう?」
「命令だ、僕を助けろ!」
――――ズガァアアン
黙れぇええ、と恐慌状態のアズーロの声とともに、銃弾が鳴り響いた。
◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇
「ええーい!」
バシンッという音を立てて、男性は頭を叩かれた。
男性の手が離れ、危うく口付けをされる寸前だったリエは、何事が起きたのかと
目を数回瞬きさせる。
頭を抱えながら唸る男性の背後にいたのは…
「セリアさん!」
なんと、牢屋で待っているはずのガヴァネスの一人、セリアだった。
「この不埒な男! レディの唇を奪おうとするなんてなんて破廉恥なの!」
どこからか入手した箒を両手に構えて、バシバシッと勢いよく、男性を叩いて攻撃する。
不意をつかれた男性は、戸惑っているようで数歩後退するが…
「きゃあああ、こ、来ないでぇええ!」
右横から、もう一人のガヴァネスのヘレンが袋をもって、その中に入っている
白い粉を男性目掛けて投げつけてきた。
男性の顔面に見事命中したそれ…袋のパッケージに「小麦粉」と書かれている。
「ぐっ…なんだ、この娘達は…」
「あら、戦う女は苦手かしら?」
別の方向から聞こえてきた色気のある女性の声。
リエと男性は目を向けた瞬間、きらりと光る何かが、男性のフードをかすった。
ドガッと音を立てて、床に突き刺さったそれは医療用のナイフ。
「でも、敢えてアドバイスさせていただこうかしら。
…強引な口説き方は、返って女心を萎えさせるわよー」
「アンさん!」
フフフッと得意げな顔をして、優雅な足取りで現れたのはマダム・レッドだった。
「珍しいわね、リエ…貴女がピンチになるなんて」
「ちょっと油断してしまいました」
助けてくださり、ありがとうございます…とリエはほんのり笑ってマダム・レッドに
礼を言う。
「どーいたしまして♪ 捕えられていた他のガヴァネスの娘達はもう避難させたわ。
そろそろ市警(ヤード)も来るはずよ…」
「でも、セリアさんとヘレンさんはどうして…?」
救助されているはずの二人が、なんで此処にいるのか。
「あの子達、貴女の事が心配で…私に懇願して此処までついてきたのよ」
マダム・レッドが、穏やかな声音でその答えを教えてくれた。
「…リエさんが、まだ会って間もないのに…私達のために危険を冒してマフィアのところへ行ってくれて…それなのに…私達だけ安全なところに逃げるなんて…できなくて…」
「このままじゃいけないって思ったんです…だから、私達も微弱ながら加勢いたします!」
涙をこらえながらも理由を語るヘレンと、箒をぶんぶん振って「さあ、かかってきなさい」と言わんばかりに、男性を睨み付けるセリア。
リエは微かに目を見開くが、二人の勇気ある行動にじーん…と胸が熱くなる。
「セリアさん…ヘレンさん。ありがとう」
「…さてさて、そこのあんた、私の可愛い相棒になんで迫ろうとしていたのかは分かんないけど、その訳たぁーぷりと吐いてもらいましょうか?」
マダム・レッドがビシッと人差し指で、黒いコートの男性を指さして言った。
その男性はやれやれ…と首を緩慢に振ると、コートについた小麦粉を振り払うかのように
フードを下ろした。
「な、なんで…死ん…でね」
こめかみに向けて銃の引き金を弾いたはずなのに、シエルは生きている。
アズーロは仰天して、頭が混乱している。
「お探し物ですか? 弾丸(コレ)、お返しいたします」
その疑問は…いつの間にか後ろに回り、耳元でセバスチャンが囁いた事で解明された。
コロンと胸元のポケットに弾丸を入れ、セバスチャンはさらに言葉を続けた。
「こちらは主人を返して頂きましょう。まず、その汚い腕をのけて頂けますか?」
セバスチャンがスッと指先を動かすと、アズーロの腕はバキバキと音を立てて、
折れてしまう。
「ぎゃあああ!」
痛みに呻き声を上げるアズーロ。
セバスチャンは、もがき苦しむアズーロから解放されたシエルを丁重に抱きかかえた。
「今回のゲームもさして面白くなかったな」
つまらなさそうに呟くシエルを、セバスチャンは苦笑しながら近くのソファーに座らせる。
拘束具を解いていると、アズーロがセバスチャンに向かって必死に叫んだ。
「ま ま…待てよォ…あんたっ…! ただの執事だろ!?
俺はッ、こんな処で終われねぇんだよッ!!
用心棒として給金は今の5倍、いや10倍出すッ!!
酒も女も好きなだけ…だからッ、俺につけ!!!」
アズーロは破格の条件をつけて、セバスチャンを味方につけようとする。
だが、彼から返ってきた回答は―――
「…残念ですが、ヴェネル様…私は人間が作り出した硬貨(ガラクタ)等には興味がないのです」
ブチブチとベルトを引きちぎり、シエルを自由の身にしたセバスチャンは薄らと妖しい笑みとともにこう続けた。
「私は…“悪魔”で執事ですから」
彼の口から信じられない事実を明かされるや、アズーロは頭の中が真っ白になった。
「坊ちゃんが“契約書”を持つ限り、私は彼の忠実な下僕(イヌ)。
『犠牲』『願い』そして…『契約』によって、私は主人に縛られる」
―――その魂を引き取るまで
左手の手袋をとったセバスチャン。
手の甲には、シエルの右目に浮かび上がる同じ紋様…『逆ペンタグル』が描かれていた。
「あっ…あああああ…」
「残念だが、アズーロ―――『ゲームオーバー』だ」
シエルがその言葉を言い放つや、アズーロの視界は暗転した。
【ゲームセット × 強敵(?)登場】
フードを下げて、顔が露わになった男性。
銀色の長い髪、少し日に焼けたような褐色の肌に、月を連想させる金色の瞳。
見る限り、20代くらいの年齢の青年だ
多くの殿方と親しいマダム・レッドの目からみても、かなりイケメンの部類に思えた。
彼女の眼力を証明するかのように、ガヴァネスのレディ二人も頬を赤らめて、
その男性に見惚れている。
「貴方は……!」
その男性の素顔を目にしたリエは驚きを隠せずにいた。
リエのその態度から、彼と面識があるのか…?
「思わぬ邪魔が入ってしまった。
……だが、チャンスはいくらでもある」
よく耳を立てれば声までイケメンじゃない、反則過ぎない!?…とマダム・レッドは
内心ツッコむ。
「まさか…貴方は『ゼアノート』さん?」
ゼアノート―――それが眼前の人物の名前らしい。
でも、名前を口にした割に、リエは半信半疑といった感じで、彼の名前がそれで当たっているのかすら微妙な様子だ。
なら、初対面なのだろうか…
それだと、この人物と思われる名前を、何故彼女は知っているのだろう?
「名は好きに呼んでくれて構わない。【幽玄なる祈り人】」
男性…ゼアノートはそう言葉を返すと、いつの間にかリエの近くまで来ており、彼女の右手を握り持ち上げると、手の甲にキスを落とした。
その行為に、見ていたヘレンはキャッと頬をますます赤らめ、セリアは口をパクパクさせる。
「また会おう…リエ」
耳元で甘く艶やかにそのメッセージを囁くと、ゼアノートは床から出現させた狭間の闇へと姿を消した。あまりにも不意打ちな行動に、リエはトクトクッと胸の鼓動が早くなっている事に気付き、そっと両手で胸元を抑えた。
【つづく】