「市警や娼婦達はこう呼んでいるそうだ。
―――【切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)】
僕も早く状況を確認せねばと思い、急ぎロンドンへ来たというわけだ」
説明を聞きながら、アンジェリーナは眉を潜める。
まさか、あの患者が殺された事件の話題がこういう形で出てくるとは…。
診療を遠回しに断ったあの日…彼女は別の医師を探すと言っていた。
その間に、犯人に殺されたのだろうか?
(あんな結末を迎えるだなんて…思わなかった)
授かった命を簡単に殺そうとした事は許せない。
同時に、無残に命を奪われてしまった被害者を可哀想だと思う自分がいた。
「話が変わるが…マダム・レッド」
「うん?」
一通りの話を終えるや、シエルが話しかけてきた。
「貴女を招待した件なんだが…聞きたい事があるんだ」
「どんな事で?」
「『リエ・クローチェ』という女性をご存じか?」
一瞬だけ固まってしまった。
何故…シエルが彼女の事を聞くのか?
(…てか、私とリエとの関係、もう調べ上げてるの?)
この間のガヴァネス誘拐事件で間接的とはいえ、ファントムハイヴ家を利用してしまった。
それがバレてしまったのか?
いや、もしくはリエの情報をちらつかせて、こちら側が動揺するのを誘い、
確信を得ようとしている可能性もある。
「リエ・クローチェ…って私立探偵をやっている婦女子の事だよね~」
「劉様はご存じなのですか?」
その時、劉が会話に参加してきた。
これは、うまくかわすチャンスかも…とアンジェリーナは思った。
「名前だけね。我の知人が昔、世話になったらしくて…時々手伝ってるとは聞いてるよ」
「…ほぉ、裏社会にもコネがあるのか、あの探偵は」
「ハハハ、みたいだね。で…マダムはどうなの?」
「すぐにブーメラン、返さないでよ!」とアンジェリーナは胸中でツッコんだ。
しかし、沈黙したままだと逆に怪しまれてしまうため、ココは…試しに探る事にした。
「ええ、その名前は知ってるわよ。でも、なんで彼女の事を訊く訳?」
「以前、誘拐事件で接触したんだ。
念のために彼女の素性を調べてみたんだが…貴女と接点がある事が判明した。
マダム・レッド…彼女とはどういった関係で?」
そう尋ねてはいるものの、シエルの事だ…既にリエの探偵の助手を務めている事は
お見通しだろう。隠す必要もないな…とアンジェリーナは口元に綺麗な弧を描く。
「ふふっ、リエとは確かに面識はあるわ。
彼女とはここ数年来の親友みたいなものよ」
「では、あの誘拐事件の際に、坊ちゃんに紹介したガヴァネスは…
彼女だったのですね」
「仕方なかったのよ。誘拐されたガヴァネス達を救おうにも手段が限られていたし…
時間も限られていたもの」
その件ももうバレてるか…とアンジェリーナは肩を竦めて白状した。
「まあ、事情を説明しなかった事は悪かったわ。ごめんなさいね」
「謝らなくていい。ただ、事実確認をしたかっただけだ」
「(あら?)…そう、ありがとう」
嫌味の一つでも言うかと思ったが、シエルの態度は意外にあっさりしていた。
「ところで、レディ・クローチェは今回の事件に興味を持っているのでしょうか?」
「そうだな。表社会でも騒ぎになっているくらいだ。
依頼がきている可能性もありそうだが…」
二人は、どうやらリエが切り裂きジャック事件を捜査しているのかどうか…
探りを入れているようだ。
「ああ~…この間リエに会いに行ったけど、彼女…今、別件で忙しいみたいよ?」
「そうですか、残念でしたね。坊ちゃん」
「…別に急ぐ事でもないだろう」
セバスチャンがクスッと笑って、主であるシエルにそう言葉をかけると、
シエルはそっけない感じで返事する。
(この二人…リエと接触したがってる?)
前の一件をすんなりと許してくれたものの、彼らの言動の節々から、
リエの事を深く詮索しようとする魂胆が見え隠れしている。
(また、隙を見てこの事連絡した方がいいかしらね…)
…女王の番犬に目をつけられてしまった。
アンジェリーナは、胸騒ぎがした。
リエとこの二人が再会した時…何かが起きる、そんな予感がしてならない。
【捜査協力】
「それよりも、これからどうするの? 現場に直接行くつもり?」
「いや、行く必要はない。
どうせ既にヤジ馬だらけでろくに調べもできんだろう。
僕がいけば、警察もいい顔をせんだろうしな」
確かに…ランドル卿が露骨に嫌な顔をする場面がいとも容易く想像できる。
それに、検死に慣れているアンジェリーナとそういった血生臭い事は平気な劉は
ともかく、今回は裏社会とは今まで無縁だったセリアがいる。
凄惨な女性の遺体を目にするのは、10代後半の彼女にとっても酷な話だろう。
「伯爵…まさか…」
劉がハッとした顔で息を飲み込む。
「そのまさかだ。僕もできるなら避けたい道だが、やむを得ん。こういう事件に奴ほど確かな情報を持ってる奴はいないからな」
シエルもあまり気乗りしていないが、切り裂きジャックに関する有力な手掛かりを
提供してくれる情報屋がいるようだ。
「セバスチャン、馬車の準備を」
「イエス・マイロード」
「セリア…貴女どうする? 此処で待ってる?」
外出の準備をする中、アンジェリーナはセリアに行くか否か聞いた。
シエル達が切り裂きジャックの犯行の手口を話していた時から、
彼女の顔色はすぐれなかった。
これから赴く情報屋でも、遺体に関する話題がでるはずだ。
秘書とはいえ、あまり無茶はさせたくないが…
「だ、大丈夫です。私もお供いたします!」
どうやら、セリアの熱意は本物のようだ。
「そう…じゃあついてきて。でも、気分が悪くなったら遠慮なく言ってね」
「はい…!」
こうして、アンジェリーナ達はシエルの贔屓にしている情報屋の元へ向かった。
【つづく】