「…ところで、さっきの‟アレ”は…誰が歌っていた?」
シエルは察していた。
あの歌を奏でていたのは、こちらの手の者ではない第三者だという事を。
「それは後ほど説明しましょう。そろそろ市警が到着しますゆえ…」
セバスチャンはシエルを抱き上げると、跳躍して外の屋根へと瞬時に移動した。
バアンッ!
「警部、ココが闇取引の場みたいです…が…」
「…全員眠ってるようです」
数秒後、部屋の広い扉を乱暴に壊す形で市警が入ってきた。
目に飛んできたのは、爆睡する子爵と顧客達。
「ええい…全員確保! 叩き起こして署まで連れ帰るんだ!!」
「「「は、はぃいいいい!!」」」
唖然とする部下に、ランドル卿が語気を荒げて命令した。
警官達がシャキッと敬礼するや、すぐに容疑者を縄にかけていく。
「意外と早い到着でしたね」
屋根から、その様子を眺めていたセバスチャンは感想を呟く。
「…紙一重の差だったな。まあ…僕が居ては猟犬共もいい顔をしない」
「そのお姿ではなおさら…ですしね。『お嬢様』」
プッと吹き出して茶化すセバスチャンに、シエルはハッ…と己の女装を思い出した。
本当に見つからなくてよかった。
気恥ずかしさを誤魔化すため、シエルはごほんと咳をする。
「…とにかく! 切り裂きジャック事件はこれで解決だ!」
想像してた割りに、随分とあっけなかった。
シエルのその感想に、セバスチャンはニコリと笑う。
「ところで…マダム・レッドと劉様、セリア様はいかがなさいますか?」
「市警が容疑者を連れていくまで屋敷内に閉じ込められるが、そんなに時間もかからんだろう。
あちらもこういう事態に慣れている」
「それでは、三名様が帰宅した際の準備をしておきましょう」
「そうしてくれ…ああ…疲れた」
仕事が一段落してげんなりしているシエル。
セバスチャンはそんな主を丁重に抱きかかえて、一足早く帰路へ着いた。
「ここならよさそうね…」
市警が屋敷内を徘徊している中、アンジェリーナは空いている部屋を見つけた。
「でも、これだと少し話しづらいですね、光よ…」
薄暗い部屋では不便だと思い、リエは魔法で部屋を明るくした。
夜の闇に浸透していた部屋が、昼間になったように椅子や家具の配置が鮮明になる。
「お気遣いありがとう。これで心置きなく話せるわ…」
アンジェリーナは真面目な顔で話を続ける。
「まさか…貴女が出席する貴族のパーティーが被ってるとは思わなかったわよ」
「こちらも…アンさんが携わっている事件の容疑者がドルイット子爵とは思いませんでした」
「ま、子爵は捕まっちゃって事件も解決したみたいだし、今なら話せる事だけどね」
ふぅーと肩を竦めて、アンジェリーナは担当していた案件が、世間を賑わせている【切り裂きジャック事件】だと明かした。
「なるほど…あの事件を担当していましたか」
「貴女も気になってたのね。
……実は、被害者の中に、私が以前言ってた患者もいたの。
正直嫌いなタイプだったけど、子宮を奪われて殺されるなんて…女として見ていられなくなった」
屈辱的な行為をされ、無残に殺害された被害者達…犯人の逮捕で彼女達の無念は少しは浮かばれたかもしれない。
もう犠牲者も現れる心配はなさそうだし…とアンジェリーナは安心したように笑う。
「…そう願いたいですね」
リエが微妙な顔でポツリと言う。
アンジェリーナは彼女の含みのある言葉に引っ掛かりを覚えた。
「どうしたの?」
「いえ…ところで、アンさん。お屋敷の方には何時頃戻られますか?」
「もうすぐ市警の拘束も解かれそうだし、そろそろ行こうかしら。リエは?」
「私の方も、依頼人の方と合流しなくてはなりませんのでこの辺でお暇させて頂きます」
「そうね~、じゃあ後日お茶会でもしましょう。その時に面白いネタを話してあげるから」
「楽しみにしています」
じゃあね、とアンジェリーナは手を振り、一足先に部屋を退室した。
パタンと扉が閉まるや、笑って見送っていたリエは軽く俯く。
「もう犠牲者が出ない事を祈らずにはいられませんよ。
そうでないと…物語の裏にある【真実】を直視しないといけなくなるもの」
独り言を語るリエの顔は、悲哀の色に彩られていた。
【幕は下りた…?】
翌朝、新聞の一面を飾っていた記事に一同は騒然となった。
「どういうことだ!」
《切り裂きジャック再び現る! 被害者はアニー・チャップマン。
またしても娼婦が…》
「子爵は昨夜どこにも行ってなかった!」
シエルは、デスクに新聞を押し付けて、その記事内容を信じられないという面持ちで読み直す。
「たった一人の容疑者が殺人不可能となると…模倣犯…いや最初から複数犯の可能性もあるね」
劉が冷静に指摘すると、シエルはふぅーと息を吐いて落ち着きを取り戻そうとする。
「また振り出しだ…もう一度絞りなおす。
セバスチャン、リストを」
「かしこまりました」
シエルは、すぐに新しい容疑者リストを作成するよう、セバスチャンに命じる。
彼等のやり取りを間近で見ているアンジェリーナもまた複雑な心境だった。
(どういうこと…? 劉の言うように、複数犯の仕業なの…?)
ふと、昨晩のリエの言葉が脳内で再生される。
『―――そう願いたいですね』
あの時の彼女の様子には違和感があった。
思い返してみると、あの発言も…あたかも、犯人に二度と犯行を繰り返してほしくない…という感じの口調だった。
(…リエ、もしかして犯人に出くわしたんじゃ…)
一つの仮説が、アンジェリーナの心を動揺させていたその時だった。
「アン様、お電話です」
セリアの呼びかけに、アンジェリーナは「誰から?」と言葉を返すと…
「ご友人の方からです。『マリエル』と言えば分かると…」
「!…そう、ごめんなさい。今取り込んでるからかけ直すと言ってくれる?」
主の指示に、セリアは「かしこまりました」と頷いて電話の主に伝えている。
再び、電話をかけるなら場所を移動した方がいい。
いや、それよりも…
(直接訊きに行った方が早いわね)
その数時間後、アンジェリーナは町屋敷を離れてロンドンへ直行する事となる。
【つづく】