主人公の能力がちょこっと判明します。
街中を一人の女性が歩いていた。
そこでは珍しくない質素な服装をしている。
途中、仕事帰りの労働者三人がその女性とすれ違う。
「ん? さっきの女…見かけねえヤツだな」
「大方、地方からやってきたか、移民のどっちかだろ」
「あの格好…娼婦だな」
「あの様子じゃ、客が見つからなかったと言ったところか。この天気だし…」
今日は朝から雨が降ったり止んだりと…忙しない天気だ。
客足が遠のいてしまうのは無理もない。
娼婦にとって…まさに天敵ともいえる気候だ。
貴族や富裕層相手がパトロンとなり、いい生活ができる高級娼婦とは異なり、
労働者や貧困街に住む娼婦はその日の暮らしのために身を売らなくてはならない。
この街ではさほど珍しくない光景である。
「ハァ~…持ち合わせがありゃ、俺が客になってたのになぁ」
「なら酒は我慢しなくちゃな」
「カァ~! 世知辛い世の中だよ!」
労働者三人の会話など気にする事様子もなく、女性はスタスタと早足で進んでいった。
その後方から、怪しい人影がついてきている事を知らずに…。
*** ***** ***
「寒い…」
一人の少年がブルッと身体を震わせる。
「坊ちゃん、やはりその服ではお寒いでしょう」
少年の後方で執事服を着た見目麗しい男性…セバスチャンが自らの上着を貸そうとする。
「いや、いい。目立つと逆に犯人が警戒するかもしれない」
少年…シエル・ファントムハイヴは、腕を擦りながらも断った。
いつもの上品な仕立服とは異なる、貧困街に住む子どもが着てそうな粗末な服を纏い、
変装しているのは犯人を待ち伏せするためである。
「ここに張っていれば…本当に“奴”は来るんだな?」
「ええ、入り口はあそこしかありませんし、唯一の通り道は此処だけですから」
シエルとセバスチャンの目の先にある長屋には、ある人物が住んでいる。
名前は【メアリ・ケリー】
英国に渡ってきた移民であり、日々の糧を得るために娼婦となった。
問題は、彼女が犯人の次の標的だという事である。
「?……坊ちゃん、少し気になる事態が発生しました」
「何だ?」
「長屋にいるはずの標的が……ッ!」
セバスチャンがそう告げている最中に、片方の眉がピクッと動く。
「…坊ちゃん、誰かがきたようです」
セバスチャンが、シエルにこちらにやってくる気配がある事を小声を伝える。
小さく頷いたシエルは、セバスチャンと共に建物の影に隠れ、様子を見る事にした。
その直後、質素な装いをした女性がやってきた。
この長屋の住民だろうか…?
シエルが注視していたその時…その女性の後方から大きな黒い人影が出現した。
「あれは…!?」
女性よりも、背が高い…体格からして男だ。
薄汚れた外套で、顔が解らないようフードを深く被っており、少しずつ女性との距離を縮めている。すると、懐からキラリと光る物を取り出し、女性に目掛けて振りかざそうとしている。
「セバスチャン!」
シエルが咄嗟に自らの執事の名を呼ぶ。
それに応じて、セバスチャンもすぐさま動き出そうとした。
キンッ!
「なっ…!」「あれは…」
「…ッ!?」
だが、凶刃はその女性に届かなかった。
女性を守るように囲っている透明な壁によって、斬撃が弾かれたのだ。
「危ないですよ、そんな物騒な物を振り回すなんて」
鈴が鳴るような心地よさ、それにアクセントを加えるように凛とした強さのある声音。
シエルとセバスチャンは、その女性の声に聞き覚えがあった。
「お、お前は…」
「貴方が狙っている女性ではなくて、ご期待に沿えずにすみません」
声を震わせる男に、女性は頭に被せていた布を外して顔を露わにした。
明らかになったその女性の姿に、シエルは大きく目を見開き、セバスチャンはやはり…と
呟く。
二人の予想通り、女性は『あの人物』だった。
「一応説明しておきますと、貴方が狙っている女性…ケリーさんは
長屋にはいませんよ」
「なんだと…?」
「今頃、暖かい暖炉のある親切な方の屋敷で、栄養のあるスープを飲みながら
雨で冷えた身体と心を癒しているはずです」
「チッ、余計な事を…」
女性の言葉に、男は舌打ちをして悪態をつく。
標的であるメアリ・ケリーが保護されていると明かされ、シエルは愕然とした。
「セバスチャン…」
「なるほど…先程、標的の気配が急に遠のいたのは、それが理由だったようですね」
どうやら、先程セバスチャンが言いかけた【気になる事】とは、メアリ・ケリーの
気配が長屋から別の場所に移った事のようだ。
そうなると、そんな不可思議な現象が起きた原因は――――
「…話があります。【切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)】さん」
切り裂きジャックと対峙している女性…リエ・クローチェの仕業だろう。