「【切り裂きジャック】さん、貴方は…」
リエの言葉を遮るように、男性…切り裂きジャックは所持していたナイフでリエの頭から
剣線を浴びせようとした。リエは瞬時にバックステップして、その攻撃を避ける。
「まだ話している最中ですが…」
「うるせえっ!」
切り裂きジャックは間髪入れずに攻撃を仕掛けていく。
「まったく…忙しない方ですね」
リエは眉を顰めつつ、それを紙一重に回避していく。
(…あの女、只者じゃない…)
シエルは思った。
『リエ・クローチェ』という女性が、単なる珍しい女探偵ではない…と。
切り裂きジャックの猛攻撃をかわしていくあの身体能力は、人間の域を超えていた。
「この女ァ…ちょこまかと逃げやがって!」
切り裂きジャックが懐から別のナイフを取り出し、足元を狙って投げる。
バァン!
リエは軽く浮遊してナイフをかわすが…その刹那、頬を素早い物が掠った。
視線を戻すと…切り裂きジャックが右手に拳銃を握り締めていた。
「武器が刃物ばかりだと思ったかァ~、ざーんねん!
使えるモンは使う主義なんだよ」
「なるほど、盲点でしたね」
リエは頬から流れ出る血を指先で拭い取る。
「おぅ、どうした? 顔に傷ができて言葉も出ねえほどショックだったか?」
くくくっと喉元を鳴らして笑う切り裂きジャック。
フードで顔は見えないが、その表情は下品な笑みを浮かべているに違いない、と
シエルは顔を歪める。
しかし、すぐに彼の笑い声は止まった。
何故なら…
「頬は痛いけれど、そんな事よりも聞きたい事があります」
「…な、に…ッ!」
リエの顔に焦りや恐怖の色がなかったからだ。
弾丸を放った犯人を冷静に見据える彼女…その姿に異様な気迫が漂っている。
じんわりと首の後ろに汗が流れ落ちるのが、シエルには分かった。
一歩後方にいるセバスチャンに視線を向ける
…彼も猟犬のように身体を緊張させているようだ。
「やはり、彼女は…」
セバスチャンが意味深げに呟いたのが耳に伝わった。
リエの事で、セバスチャンは何か思い当たる節があるのだろうか…。
シエルがその事を尋ねる前に、リエと犯人とのやり取りに意識が向いてしまった。
「どうしました? 寒さが身体に浸透してきましたか?」
リエが質問を投げかける。
彼女の言葉通り、切り裂きジャックは喉をヒュッと鳴らし、震えていた。
…目の前にいる虫をも殺せないような女に、得体のしれない恐怖を感じているのだ。
「もうこれ以上、罪を重ねるのはやめてください」
「…なんだ…と…」
「どんな事情であろうと、人の命を奪い取り、魂を甚振る行為はいけない事です」
バァン!
「…何も知らねえくせに…綺麗事抜かしやがって…ッ!」
リエの言葉が神経を逆なでしたのか、切り裂きジャックは持っていた銃の引き金を
弾いていた。二発目の弾丸で反対側の頬にも傷ができたが、リエの顔に感情の揺れは
見られない。
「私は…よほどの事でない限り、殺生はしない主義です。命の糧を求める時や…大事な人を守る時、そういう時にしかその手段を使わない事にしています」
リエは一歩ずつ、切り裂きジャックに近づいていく。
「く…来るな…!」
「貴方も分かっているんじゃないですか?」
「来るんじゃねえ!!」
「切り裂きジャックさん…“もう一人の貴方”の声が聞こえているのでしょう?
彼の心は…悲鳴を上げていますよ」
「来るなァアアア!!」
バァン、バァン、バァン!
複数の銃声音が夜の街に響く。
弾丸は、リエの身体の首、胸、腹部を貫通した…かに見えた。
「…う、そ…だろ…」
切り裂きジャックは…そして、隠れた場所で見ていたシエルは目を疑った。
弾丸は、リエの身体に命中する事無く、彼女の目の前で止まっていた。
あたかも、時が停止したかのように…。
「い、一体何者なんだ………お前は…!?」
「-―――ただの【探偵】です」
リエ・クローチェは、ハッキリと自らの身分をそう告げた。
いつのまにか、覆っていた雲空が晴れ、薄らと青白く輝く月が出現していた。
今まさに犯人を追い詰めている、彼女の味方をするように…。
【真犯人との対峙】
眼前にいる女性が、敵わない相手だと察知したのか…切り裂きジャックは踵を返して駆け出した。
「セバスチャン!」
シエルの命令に、セバスチャンは大きく跳躍して、切り裂きジャックの行く手を阻んだ。
「っ!…仲間、か…」
セバスチャンとシエルの登場に、リエは驚いた様子はなく二人に会釈する。
「ご無沙汰しております、伯爵、セバスチャンさん」
「…リエ・クローチェ殿、貴女が何故ここにいるのかは後でじっくり聞かせてもらう」
最優先すべき事を終わらせた後でだ…と言うと、シエルは犯人へ鋭い視線を向ける。
「今度は、ガキと執事…か。どいつもこいつも…俺の邪魔をしやがって…ッ」
歯ぎしりをする切り裂きジャックに対して、シエルはふんっと鼻で笑う。
「セバスチャン、いますぐ…」
「待って、シエル」
シエルが命令を下そうとしたその時、第三者の声がそれを阻んだ。
「「マダム・レッド…!」」
「…アンさん」
シエル、セバスチャン…そしてリエは声が重なる形で、その人物の名前を呼んだ。
その第三者は…トレードマークである真っ赤な衣装に身を包んだアンジェリーナであった。
「裁きを下す前に、その男と話をさせてちょうだい」
「マダム、だが…」
「お願い……覚悟はできてるから」
アンジェリーナの真剣な表情を横目で見たシエルは、首を縦に振った。
「…な、な…ぜ…き…み…が…」
突如現れたアンジェリーナに、切り裂きジャックは狼狽し始めた。
アンジェリーナは、カツカツと前に歩むと…彼に向けて口を開いた。
「貴方が犯人だなんて信じたくなかった。
けれど…現実から目を背けて、全てを見過ごすだなんて…私にはできない」
アンジェリーナは悲哀に満ちた顔で、言葉を続ける。
「だから…私は、貴方の凶行を止める選択をするわ。
切り裂きジャック…いえ、『ジェームズ・スピアリンク』!」
アンジェリーナは、決意していた。
犯人である【友人】を…なんとしてでも止めようと。
【つづく】