(1)の続き。
「マダム・レッド、何をするつもりだ?」
シエルは、リエ・クローチェとの会話を終えたアンジェリーナの元へ近づく。
…アンジェリーナは何か仕掛けるつもりだ。
その事を察したシエルは、彼女の真意を確かめるためにその問いかけをした。
「シエル…いえ、ファントムハイヴ伯爵、お願いがあるの」
「さっきも言ったが、切り裂きジャックはもう手遅れだ。
ジェームズ・スピアリンクを元に戻す事は諦めた方がいい…」
「いいえ、あるわ」
きっぱりと即答された事に、シエルは耳を疑った。
「伯爵の望みは、切り裂きジャックを裏社会の法のもとで裁いて、女王の憂いを取り除く事。
私の願いは、本来のジェームズを取り戻す事。
この二つを同時に叶える方法があるのよ」
「…そのような奇跡が起きたとしても、ジェームズ・スピアリンクが犯した罪は
消えない」
シエルは低い声でその事を指摘する。
そう、仮に別の人格が引き起こした事だとしても…
ジェームズが人を殺した事に変わりはない。
貴族であるため、罪が軽くなるかもしれないが…
ジェームズの性格上、罪の意識に苛まれる事だろう。
「だからこそ、生かすのよ。
ジェームズはもう長くない…
限りある生がある内に、殺した被害者達とその家族への償いをしてもらいたい」
無論、アンジェリーナもその手伝いをするつもりだ。
ジェームズが儚くなった後に、自分がその役目を引き継ぐ覚悟もある。
シエルは人を刺すような目つきで、アンジェリーナを見る。
彼としては、ジェームズに猶予を与えるのは無意味だと考えているのだろう。
「リエ・クローチェ」
すると、シエルが声をかけた。
…アンジェリーナではなく、リエの方に。
「マダム・レッドはこう言っているが…勝算はあるのか?」
「個人的な見解となりますが、おおよそ35%でしょうか。
理由は、切り裂きジャックの精神が有利な状態で、ジェームズさんの精神が
不安定な事ですね」
リエの率直な回答に、シエルは大いに眉を顰める。
すると、リエは口元を微かにあげてこう続けた。
「ですが、それはあくまで今の状態が続いたら…という前提で、
逆転させる事はできます」
「…なんだと?」
「そのためには、アンさんの力が必要不可欠となります。
私も微弱ながらサポートいたしますので…
上手くいけば、95%の勝算になりますよ」
自信を持って断言された事に、シエルは目を見張る。
「その言葉に偽りはないな?」
「勿論です」
「……分かった」
リエが力強く頷くと、シエルは暫しの沈黙を経て彼女の要望を了承した。
「但し、チャンスは一回だけだ。
切り裂きジャックがこれ以上暴走するようなら…即座に始末する」
これは、シエルなりの恩情なのだろう。
失敗したら後がない…この機を逃がさない。
アンジェリーナはギュッと拳を作り、気を引き締める。
「セバスチャン!」
戦闘中のセバスチャンに聴こえるように、シエルは声を張り上げた。
名を呼ばれたセバスチャンは、戦う手を止める事なく視線だけ主に送った。
(…なるほど、作戦変更ですか)
シエルの後方にいるアンジェリーナとリエ。
どうやら、膠着しているこの状況を一気に解決する策を見出したようだ。
「命令だ、マダム・レッドの援護をしろ!」
シエルは眼帯を外し、『逆ペンタグル』が浮かび上がる右目を露わにして命じた。
セバスチャンは口元に綺麗な弧を描くと、すっかり馴染みとなったあの台詞を口にした。
「イエス・マイロード」
セバスチャンは、暴れる切り裂きジャックに銀食器を投げつけていく。
リエが使用した術の影響で、切り裂きジャックに纏わりついているシャドウが
シャボン玉が弾けるように消滅する。
「ちょっとちょっと、セバスちゃーん!
貴方と契約者、何を企んでいるの…?
気になるじゃなーいv」
愛用のデスサイズを振るいながら、グレルが親し気に話しかけてきた。
【詮索】を含んだその問いかけに対し、「守秘義務のため、お答えいたしかねます」と
セバスチャンはばっさりと回答を断った。
「みとめない…みとめ…ない、俺は…おれは…!」
忌むべき女性…リエから見せつけられた圧倒的な実力の差。
そして、グレルから突きつけられた非情な事実。
それらは…切り裂きジャックにとって、心をかき乱す程の衝撃だったようだ。
現実から目を背けるように、ひたすら敵を自分の視界から消そうと躍起になっている。
「おれは…ジェームズは…まだ…終わらせてたまるかァアアア!!」
咆哮をあげるや、切り裂きジャックは纏っている闇を盛大に放出させた。
放出された闇は多くのシャドウを出現させると…それらは結合して大きな渦となり、
セバスチャン達に襲い掛かってきた。
「ちょっ…! ずるいでしょ、アレは!?」
「無駄口を叩く暇はありませんよ」
眼前までやってきたシャドウの大群を、セバスチャンとグレルは寸前で避けた。
それらの動きは俊敏で、二人を飲み込もうと迫っていく。
「イヤぁアアア―――!! マジでキモすぎでしょッ!?
口に出したくない黒い虫を連想しちゃう! こっちこないでヨ!!」
「まずいですね…」
迫りくる闇の魔物の独特の動きを目にして、名前を出したくないあの虫を
連想してしまったグレルは全身に悪寒が走り、思わず絶叫してしまう。
セバスチャンは眉を顰め、うねりながら近づいてくる魔物達にこちらの攻撃が
あまり効果がない事を察する。
どうすべきか、と思考していたその時だった。
「どうやら間に合いましたね」
「…って、今度は何なのヨ!?」
夜の闇を払拭するように眩い光が辺り一面を覆いつくす。
その光を浴びて、目の前まで来ていたシャドウの大群が…
固まっていた土が砂となっていくように…一瞬で消滅していく。
次から次へと起こる急展開に、グレルは喚いてしまう。
「実に久しぶりです………あの光を見るのは」
セバスチャンは懐かしそうに呟く。
瞳に映る二人の女性を取り巻く神聖な光の帯。
その光景は、遥か昔に人間界で残虐を繰り広げた同族を倒した、異界からやってきた闇を
司る一族とその相方であるエクレシアを思い起こさせた。
「アンさん。【例の呪文】を唱えてください」
リエがそう指示すると、アンジェリーナは小さく頷く。
すぅ…と深呼吸をすると、アンジェリーナはリエの胸の前に手を翳すと唇を動かしていく。
「我はエクレシアと契約を交わし者。
エクレシアの名は【マリエル・レイディアン】」
アンジェリーナの右の手の甲に、青白く輝く印が浮かび上がる。
【七芒星】の契約印…リエと契約を交わしている盟約の証である。
「内に宿りし盟約の元、契約者『リコリス・ラジアータ』が命じる、
我に力を貸し給え!」
「かしこまりました」
アンジェリーナの掌から糸状の一筋の光が放たれ、リエの胸へ当たる。
二人を取り巻いていた光の帯がリエの全身を取り囲み、彼女の姿を変化させていく。
「…ッ! これほどとは…」
あまりの眩しさに、シエルは反射的に目を瞑る。
凄まじい力の流れが肌にビリビリと伝わってくる。
まるで、勢いのある滝に打たれるような…そういう感覚になった。
やがて光が収束していき、徐に目を開けると…
「鍵の…剣?」
シエルの視界に真っ先に映ったのは、アンジェリーナだ。
彼女は利き手に【剣】を握り締めていた。
剣は鍵の形をしており、護拳は時計の文字盤を、剣柄の部分は植物の茎を連想させる
造りだ。刀身は赤と白が入り混じったグラデーションで、剣脊にリコリスの花が
飾られたデザインになっている。
「あの剣は…リエちゃんが変身した姿なの?」
「その通りです」
驚愕の表情を浮かべるグレルの呟きに対し、セバスチャンが肯定した。
「エクレシアと契約を交わした者は、そのエクレシアの性質に応じた加護を
授けられます。その中には、契約者がエクレシアの力をより強く引き出せる
術式もあります」
今まさに、アンジェリーナがその術を披露しているのだ。
グレルの反応から、彼女?はエクレシアに関する知識はそこまで深くないようだ。
「術を習得する条件は二つ。
契約者に戦闘の心得がある事と、契約者がエクレシアと親交を結んでいる事。
以上の条件を満たした上で、契約者が協力を仰ぐ事で、エクレシアはその願いに応じます」
セバスチャンは丁寧に解説しながら、アンジェリーナと…リエが変身した剣を注視する。
間違いなく【キーブレード】を模したものである。
「エクレシアが、自らの力を一時的に契約者へと譲渡できる術式【クランスティル】
エクレシアが《武器》となり、契約者に力を提供する難易度の高い術式を…
マダム・レッドは使いこなせるのでしょうか」
リエはキーロッドの使い手であり、なおかつ未知数の力を秘めているエクレシアだ。
そんな彼女の力を使用するとなると、かなりの体力と精神力を消耗するだろう。
契約者であるアンジェリーナは、果たして耐えられるのだろうか…?