(1)の続きとなります。
「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
午後、セバスチャンは屋敷に訪れた…招待状を送った客人を案内する。
若い細目の中国人、厳格そうな風貌のイギリス人、流行のスーツを着た顔にキズの
あるイタリア人……その中に赤い帽子とドレスを纏ったマダム・レッドもいた。
「ようこそ、マダム・レッド」
「御機嫌よう、セバスチャン。いつみても良い男ねぇー、あんた」
「お褒めいただき光栄です。ところで…そちらのレディは?」
マダム・レッドの一歩後ろに、見知らぬ女性が付き添っていた。
外見は、19,20歳の若い女性だ。夜空のような黒い髪を後ろで上品に纏めており、派手でなくかといって、地味ではない控えめな服装をしている。
緊張する事無く落ち着いている様子から、貴族階級の家の空間に場馴れしているようだ。
顔立ちの良さ、眼鏡をかけている事で知的な要素もミックスされて、上品な淑女にみえる。
「彼女は、私の付き添いよ。知人の友達で、ガヴァネスをしていたの」
「御目文字叶いまして光栄に御座います。フィリア・エルベットと申します」
鈴が鳴るような声音、それに美しい英語の発音だ。
「さようですか…では、失礼ながら何故こちらに?」
「フィリアは一度、結婚してガヴァネスの職を退いていたんだけど、3年前に夫を亡くして独り身になったの。現役復帰したいけど、なかなかいい職場がなくてね。
だから、伯爵にいい所がないか、お願いしようと思って、直接本人もつれてきちゃったのよ」
お茶会終わってからでいいから都合つけてくれる、とウィンクしてお願いするマダム・レッド。
「かしこまりました。その旨を主人にお伝えします」
セバスチャンは、頭を下げるとすぐさま主人のもとへ向かった。
招待状を直接持っている訳ではないため、フィリアは正規の客人ではない。
しかし、マダム・レッドは主人であるシエルの母方の叔母にあたり、親戚関係。
その上、表の社交界や医療業界にも人脈がある重要な客人でもある。
「如何なさいますか? 坊ちゃん」
「……分かった。茶会の後で会ってみよう」
シエルは、マダム・レッドの性格をよく知っている。
断って後々、色々と言われるのも厄介だと感じて了承する事にした。こうして、マダム・レッドは奥の特別ルームへ…フィリアは別の部屋へ案内される事となった。
「じゃあ、フィリア。終わるまで暫く待っててねー」
「はい、マダム・レッド」
すると、行く前にマダム・レッドはフィリアの耳元に口を寄せて呟いた。
《うまくやりなさいよ》
《はい、勿論》
行ってくるわね~とルンルン気分で特別ルームへ向かうマダム・レッド。
微笑んで、小さく手を振るフィリア。
そんな二人の様子をちらりと見ながら、セバスチャンは意味深げな笑みを浮かべた。
◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇
30分後、ゲストルームで用意してくれたお茶を飲んでいたフィリアの耳に、
部屋の外で誰かが喋る声が聴こえた。
扉を少しだけ開けてみると…使用人が複数、天井のパネルを見ていた。
「あ~、やられてら」
天井のパネルを外して、電線をチェックしていた料理人のバルドがそう言葉を漏らした。
「電線パスタは相当お気に召したらしいな、ネズミどもめ」
「また、ネズミですだか?」
「今年は多いねえ」
メイドのメイリンと、庭師のフィニが困惑した様子で言う。
バルドは電線の修理を終えて、脚立から降りると後頭部を掻きながら溜息を漏らす。
「ロンドンで異常発生してるって話ァ聞いてたが、まさかこんな郊外まで足を伸ばしてやがるとはなぁ。こんなしょっちゅう停電させられてたんじゃあ、商売あがったりだぜ」
「どんな商売ですだ」
バルドの言葉に、メイリンがツッコんでいると、フィニが「あっ!」と声を上げた。
ネズミが一匹、通路を素通りしていく。
「ネズミ、見っけ。えいっ!!」
咄嗟に、フィニは近くにあった彫刻…大人でも数人がかり必要な重たいもの…を両手で軽々ともってネズミ目掛けて叩きつけた。
「あっ、逃げられちゃいました!」
しっぱいしっぱい、てへっ☆と舌を出すフィニに対して、バルドは怒鳴りつける。
「てへっ☆じゃねェ!! オレの事も殺す気かッ バッキャロ―――!!!」
危うく巻き添えをくらいそうになったメイリンはドキドキとしており、タナカさんはほほほっと和やかに笑っている。
「とにかくあいつらに正面から挑んでもムダだ! 頭(ココ)を使うんだ!」
「頭(ココ)……?」
疑問符を浮かべる三人に、バルドはさらにこう言った。
「頭をしぼって、敵の行動パターンを読むんだ。突撃ばかりが戦じゃねぇ。
そう…陽動作戦(ダイヴァージョン)だ!」
俺の作戦はこれだ! とバルドは寸胴鍋をドンッとおいた。
「大量発生したせいで、奴らは食糧難とみた。戦場での空腹程辛いものはねェ。
そこで『これ』だ!!
題して“バルドシェフの手料理 ネズミ☆まっしぐら”作戦!!!」
寸胴鍋のふたを開けると、ごぽごぽっと泡をたてた怪しい色のシチューがあらわれた。
見るからに食べたくない代物だ。
コレが玄人(プロフェッショナル)ってもんよ、と自慢げに鼻を親指で擦るバルドに、
三人は「おおおーっ」と尊敬の眼差しを送る。
すると、フィニとメイリンもはいはーいと挙手した。
「じゃあ、僕は“永遠の宿敵対決 トメとジュリー大作戦”ですッ」
いつのまにか、たくさんの野良猫たちを連れてきて、自信満々にフィニは言う。
「ま、負けないですだよ!!
こっちは“一度掴んだら離さないネズミホイホイ大作戦”ですだ!!」
メイリンは、買い込んだネズミホイホイを広い通路一面に設置した。
そして、タナカさんは麦わら帽子を被り、虫取り網を持って、ほほほっと準備万端のようだ。
「よーしそれじゃあ、作戦開始だーっ!」
おっー! と四人は拳を上げて、ネズミ退治作戦を決行した。
彼等がすばしっこいネズミと格闘する中、奥にある特別ルームにもその声が筒抜けていた。
「随分と騒がしいな」
コンッとビリヤードの球を突く音。
「どうやら『ココ』にも鼠がいるようだ」
薄暗い部屋の中、誰かがそう言葉を発した。
「食料を食い漁り、疫病ばかりふりまく害獣をいつまでのさばらせておく気だ?」
サンドイッチをモシャモシャと食べる恰幅のいい男性が不満を漏らす。
「のさばらせる? 彼は“泳がせている”のでは?」
すると、細目の若い中国人が違う意見を口にした。
「そう、いつだって彼は一撃必殺(ナインボール)狙い。
次もパスなの? ファントムハイヴ伯爵」
中国人に同調するように、マダム・レッドはそう言いながらちらりと、上等な肘掛椅子に優雅に座るシエルに目を向けた。
「パスだ。打っても仕方ない球は打たない主義でね」
「御託はいい。鼠の駆除はいつになる?」
コンッと若いイタリア人の男性が玉を打つ中、しびれを切らしたように、厳格そうなイギリス人が口を開いた。
彼の名前は、アーサー・ランドル卿。
ロンドン警察(スコットランドヤード)の警視総監であり、マダム・レッドもたびたび顔を合わせる人物だ。市警が、表の世界で起きる裏関係者が関与する事件を捜査する際、裏社会の複雑な構造が捜査の妨げになってしまう事が多々ある。
そのため、事件を秘密裏に暴き、始末を行う役割を担う機関に協力を頼む事になる。
その機関こそ、ファントムハイヴ家。
英国女王の直々の命令を遂行するため、手を汚し、時には粛清さえも辞さない
…裏社会を監視する貴族である。
ランドル卿は以前にも説明したが、プライドの高いイギリス貴族だ。
マダム・レッドは知っている。
自らが統率する市警が介入しにくい事件を、ファントムハイヴ…闇の機関に委ねる現状に不快と歯痒さを感じている事を。
さらに、当主はまだ12歳の少年。
自分の実子よりも幼い子どもなんかに、毎回頭を下げなくてはならない
…それがまた、彼のプライドを著しく傷つけている事も。
ランドル卿の苛立ちを軽く受け流すように、シエルの口は綺麗な弧を描く。
「すぐにでも。すでに材料はクラウスに揃えてもらった」
シエルの口から出てきた人物…壁に背を預けている40代位の男性…クラウスは優雅に
酒を飲んでいる。
「巣を見つけて鼠を根絶やしにするのは、少々骨が折れる。
それなりの報酬は覚悟してもらおうか」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ランドル卿を見つめるシエル。
「……ハゲタカめっ…」
ランドル卿はいよいよ我慢できなくなり、悪態をついた。
その言葉に、シエルの目が鋭くなる。
「貴殿に“我が紋”を侮辱する権利が?
鼠一匹しとめられない猟犬ばかりに大枚をはたいている貴殿に」
痛いところを突かれてしまい、ランドル卿はぐっと口を噤んでしまう。
「残念、ファールだ。台球は難しいな」
「次は伯爵か…どうする?」
若いイタリア人の呼び掛けに、シエルは腰をあげた。
「そろそろこの下らないゲームも終わりにするか。
それで、報酬はいつ用意できる?」
すれ違いざまに、ランドル卿に再び報酬の件を問いかける。
「こ、今晩には…」と悔しさを滲ませた口調で、ランドル卿は答えた。
「いいだろう。後で迎えの馬車を送る。ハイティーを用意してお待ちしよう。サー」
「残り3球から九番を狙うのかい?」
「当然だ」
「《ゲームの天才》のお手並み拝見といこうじゃないか」
他の客人の視線がシエルに集中する一方、ランドル卿はこう言い放った。
「《強欲》は身を滅ぼすぞ、シエル!」
そんな言葉さえもどこ吹く風。
シエルは球をついた…それはカツンとボールにあたっていき、見事に九番のボールは
穴に落ちた。