日陰者が日向になるのは難しい   作:柳野 守利

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11話目 不明瞭な関係性

 暑苦しい日々が続く。学校から出てしまえば制服の着こなしなんてどうでもいいものだろう。垣村は駅の改札を抜けた辺りでワイシャツの第二ボタンを外し、胸元をバタバタとはためかせた。そこまで涼しくはないが、気分的に涼しく感じられる。

 

 階段を降りて日陰の椅子を目指して歩いていき、彼の定位置と化した右端の椅子に座る。もうすぐ電車が来る。垣村はその後の電車だが、早く帰りたい生徒にとってはこの時間の電車が一番タイミングがいい。立ちながら話している男子生徒たちを視界に収めながら、ポケットから携帯とイヤホンを取り出す。今の気分は激しめだ。最近アニメで使われたあの曲がいい。イヤホンをつけてしまえば、辺りの喧騒は無音になる。そして代わりに聞こえてくるのは、体が振動しているのだと錯覚してしまいそうな重低音な曲。耳が震えている。携帯を持っている右手の人差し指が勝手にリズムに乗ってカバーの端を叩き始めた。

 

 文化祭が終わった。この次に来るものといえば、夏休みだ。学校というしがらみから解放され、トップカーストや周りの目を気にする必要もなくなる。学生は部活に勤しみ、垣村のような生徒は塾に通いながら趣味に興ずる。なんて素晴らしい。これで気温が高くなければ両手を上げて喜ぶというのに。

 

(ざわめきたつ人たちを、鉄の箱が攫っていく。行く宛もない僕は、周りに流されるまま……)

 

 頭の中で歌詞を紡いでいく。けれども、やはりしっくりとこない。小さなため息ばかりが増えていく。やがて垣村の耳を音楽ではなく電車の音が埋めつくしていき、その音は次第に遠ざかっていった。周りには生徒は残っていない。ぐっと背を伸ばして、足も伸ばしきる。誰にも迷惑をかけることはない。だったらここで自分が何をしてもいいだろう。狭い世界の中で、小さな自由を謳歌する。のんびりとした時間は好きな方だ。垣村は次の電車が来る二十数分後まで、目を閉じて自分だけの世界にこもろうとした。

 

 真っ暗な世界では音楽だけが垣村の隣にいる。そう思っていたのだが……不意に体が軋み始めた。いや、体じゃない。多分誰かが椅子に座ったんだろう。

 

 そう考えたのも束の間。左耳に感じる開放感。そして聞こえてくる、音楽以外の音。

 

「垣村」

 

「っ……!!」

 

 堪えた。驚いて変な声を上げてしまわないように。前回と同じ轍を踏まないように。しかし声は上げなかったものの、垣村の体は驚きでビクリと震え、開かれた瞳はそのまま隣にいる人物を見つめた。

 

 少し色の抜けた黒髪。左耳を見せるようにかきあげた髪型。笑っているのか、唇は三日月のように弧を描いている。あろうことか、笹原がまた隣の席に座って垣村を見ていたのだ。

 

「おはよう」

 

「お、おはようございます……」

 

「またビクってなってたね」

 

 平日の、それも学校があった日の放課後。だというのに、おはようと挨拶するのは変じゃないか。しかも安息のひとときを邪魔されたようなものだ。垣村の眉は自然とひそめられ、仕方ないといった様子で左耳のイヤホンも外して少しばかりの怒気を孕ませた声で返事を返す。

 

「目を閉じてる時にやられたら、誰だってそうなるよ」

 

「寝過ごして電車に乗り遅れたら大変だなって思ったから起こしてあげたんだけど」

 

「……それはどうも」

 

 感謝はしたものの、笹原が思っていることが嘘だというのは垣村にはわかっていた。楽しそうに笑っているのがその証拠だ。善意ではなく、本人の悪戯心のようなものが刺激されて起こしただけなのだろう。そのイタズラがイジメに変わるのは、何度か見てきたことだ。本人にとっては楽しいことも、やられた側からすれば苦しみを感じるだけ。相手の気持ちを汲み取れない。いや、カースト下位の気持ちなんて知ったことではないトップカーストにはわからないのだ。いじりと評していじめられる日陰者のことなんて。

 

「それで、俺に何か……?」

 

「次の電車まで暇だから、話し相手になってもらおうかなって」

 

「……何度か話していてわかると思うけど。話し上手じゃないし、ネタもないよ」

 

「なら私が話すから」

 

 強引な人だ。いかにもトップカーストらしい。横目で彼女の顔を見た垣村は、どうにも笹原のテンションが上がっていることに気がついた。前に話した時よりもかなり楽しげで、普段はキツそうな目つきが柔らかくなっている。学校でなにかいいことでもあったのか。それの自慢にでもしに来たのだろう。なるほど道理で、自分のところにまでわざわざ来る訳だ。視線を動かして、真正面を見据える。向かい側のホームはめっきり人がいない。さすが田舎だ、と垣村は自嘲していた。

 

「一昨日さ、西園と一緒にゴミ拾いしてたよね」

 

「えっ……?」

 

 見られていたのか。予想外な話題に垣村は咄嗟に顔を動かしてしまった。向けた先はもちろん笹原の方で、彼女はえくぼができるくらい笑い始めた。

 

「あはは、そんなに驚くことでもないじゃん。帰り道同じなんだから」

 

「……それは、確かにそうだけど」

 

 でも誰かに見られているとは思わなかった。いや、見られたからどうという訳でもない話なんだけれど。なんだか恥ずかしくなった垣村は、ただでさえ暑いというのに体温が上昇していくのを感じていた。額に汗が浮かんでいくのがわかり、ポケットの中のハンカチで拭っていった。

 

「一昨日もこんなに暑かったのに、よくやるよね」

 

「別に、西園と一緒だったからすぐに終わったし……」

 

「そっか。そういえば、垣村って汗っかき? 日陰なのに汗かいてるし」

 

 暑いから汗をかいたわけじゃない。そう言いたかった垣村だが、じゃあなんでと聞かれたら答えられない。仕方なく「そうだよ」と返事を返した。すると笹原はカバンの中から制汗シートを取り出して垣村に差し出してくる。

 

「はい、これ」

 

「……ありがとう」

 

 受け取って顔の周りを拭いていく。ついで首の周りも拭いていくと、スースーとちょっとした痛みとともに清涼感が感じれるようになった。涼しい。垣村の頬が少しだけ緩んでいく。

 

「どうしてゴミを拾ってたの? 普通、あんなことしないと思うけど」

 

「どうしてって、そりゃ……」

 

 西園が一緒にいたから。その言葉を言おうとして、飲み込む。彼女の言った言葉がどうにも気に入らなかった。普通はあんなことしない。普通って、それは君たちの普通だろう。なんだか説教臭くなりそうな気分だったので、垣村は笹原を視界の隅にも入れないようにして、目線を逸らした。

 

「……普通って、なんだろうね」

 

「えっ?」

 

「普通の行動って、なんなのかなって。全員の行動を平均化したもの? 大衆の行動基準?」

 

 普通とは。一言で表すには難しい。でもここに他の誰かがいて、話を聞いていたとするなら。笹原は普通で、垣村は普通じゃないと答えるんだろう。そういうものだと垣村は理解している。世の中明るくて、好き勝手するような子どもがきっと普通なんだ。自分はその対極に位置していると自覚している。

 

「笹原さんの普通は、俺にとっては普通じゃないよ。多分ね」

 

「……垣村の普通って?」

 

「少なくとも、今この状況は普通じゃないと思う」

 

「確かに、そうかもね」

 

 彼女の返事を最後に、会話はそこで途切れた。遠くから聞こえる車の音や、今しがた駅に着いたのであろう学生たちの声だけが聞こえてくる。夏の訪れを感じさせるセミは、まだ鳴いていない。代わりに鳴るのは垣村の心の警報だ。アラート。トップカーストとの会話でギクシャクしました。SNSに悪口が書き込まれることくらいは覚悟しておこう、と垣村は小さな後悔を覚えていた。

 

「普通じゃなくて、特別だったら悪い気はしないよね」

 

 周りから聞こえる雑音に紛れたその声は、しかし垣村の耳にしっかりと届いてくる。彼女の明るい声だけが周りから切り離されたようで、それを聞くことができたのは自分だけで。

 

 顔を少しだけ動かして、彼女の顔を見てみる。恥ずかしいのか。それとも気温のせいか。頬がほんのりと薄く赤く染っていて、なんだかドキリとする。ナイフでも突きつけられたかのような、そんな気分。怯えではなく、驚き。心臓がキュッとしまったような気がした。

 

「私ができないことを普通にやるのは、特別って感じがしない?」

 

「……どうだろう。そういうのは異端って言うんじゃないのかな」

 

「でも聞こえはいいよ。ちゃんとゴミを拾った垣村は、私からしたら特別なことをした。どう?」

 

「どうって……」

 

「気分上がったりしない?」

 

「まぁ、少しは」

 

「ならよかった」

 

 彼女は照れくさそうに笑って、かきあげられていない左の髪の毛を触る。垣村も顔を正面に戻して頬を指で数回掻いた。先程とは違う空気が二人の間を流れていく。息苦しいのではなく、落ち着かない。息を深く吸って、吐き出していく。それでもまだ落ち着かなかった。

 

「ちょっと、なにため息ついてるの」

 

「ため息じゃないよ。それを言うなら笹原さんだって、この前隣でため息ついたでしょ」

 

「っ……あ、あの時とは色々違うじゃん」

 

「何も違わない気がするけど」

 

「細かいよ! それ以上何か言ったら目の前で柿ピー食べるよ!?」

 

「なにその地味な嫌がらせは」

 

 思わず西園と話す時と同じような感覚で言葉を返してしまった。失敗したな、と思いつつ笹原のことを見るが、彼女は今のやり取りのどこが面白かったのか。口元をおさえて笑っていた。

 

「垣村って、そんなに柿ピー好きなんだ」

 

「俺が何を好きだろうと勝手じゃないか」

 

「そうだけどさ、なんか笑える」

 

 意味不明だ。前髪をかきあげるように額をおさえた垣村は体の中に残っている僅かな空気を口元から一気に流していく。耳にはまだ微かに彼女の笑い声が響いている。やはり今日の彼女のテンションはおかしい。

 

「笹原さん、何かいいことでもあったの?」

 

「ん、いや別に。何もないけど」

 

「テンションが高いよ」

 

「そう? じゃあ、案外ここで会話するの楽しみにしてたのかもね」

 

 なんてことはないと言いたげな顔で笹原に言われる。テンション上がりすぎだ。普通こんなこと言わないだろこの人。あまりにも予想外な言葉に垣村の脳内が軽くパニックを起こしていた。楽しみだと言われても、垣村には楽しませる気はサラサラないし、まして会話なんてそこまで多くないのに。

 

「まぁ、それもあと三週間で終わるよ。夏休みだし」

 

「あーそっか。夏休みかぁ」

 

 夏休みになってしまえば彼女との接点もなくなる。さすがに休み明けもここに来るなんてことはないだろう。過ぎてみれば、自分のことなんて忘れているはずだ。それどころか、来週ここに来ることも確定しているわけじゃない。彼女はトップカーストとの付き合いがある。その付き合いに自分は邪魔だ。そもそもなんで、こんなに近づいてくるのだろう。垣村は彼女の心の内を測りそこねていた。

 

「垣村は夏休み何するの?」

 

「家でゴロゴロしてる」

 

「つまり暇なんだ」

 

「あとは夏期講習かな」

 

 長い間拘束されるのは好きではない。ちょっとだけ憂鬱な気分になっていた。勉強なんて誰だって嫌いだろう。垣村とて好きとは言えない。趣味に使う時間が欲しいと垣村は切実に願っていた。

 

 笹原からの質問に答えたのはいいが、これは聞き返さなくてはいけないものだろう。別に聞くまでもない話だし、興味もないのだが垣村は彼女に聞き返した。

 

「笹原さんは、何するの?」

 

「皆と遊ぶかな。花火も見に行く」

 

「……そう」

 

「聞いたのにそこまで興味なさそうに返事しないでよ」

 

「遊びに行く間柄でもないし、まして……友達ってわけでもないでしょ」

 

 彼女と自分は友達じゃない。笹原はトップカースト。垣村はカースト下位。遊んでいるところを見られたら誰かに茶化され、笹原は現在の地位から落ちていくことだろう。それは垣村にとっては別にどうでもいいことだが、周りが騒がしくなるのは嫌だった。だからこそ、事を荒立てたくはない。こうして二人で会話するのも、どこで誰に見られているのかわかったものではないのだから。

 

 それなりに拒絶するような言葉だったはずなのに。視界の隅に映っている笹原の横顔は曇ってはいなかった。意外だ。眉をひそめて睨みつけてくるかと思っていたのに。

 

「友達じゃないかもしれないけど……こうして話したりするのも、普通じゃないよね。じゃあ、特別な関係ってこと?」

 

 何を言っているんだお前は。思わずそう言ってしまいそうになる。けれどあまりにも不意打ちなその言葉に、飲み込んだ言葉以外の言葉を失っていた。なんて言うべきだ。西園相手なら馬鹿じゃないのかって言えるのに。女子にそれを言うべきなのか。

 

 垣村が何も言えずに笹原のことを見ていると、彼女も自分の言った言葉の意味に気がついたのか、慌てて手を振って先程の言葉を否定し始めた。

 

「ち、違う! 特別な関係って、そういうのじゃなくて!」

 

「自分で言ったのに」

 

「だから言葉の綾だって!」

 

 あまりにも必死に否定してくるので、思わず垣村も笑いがこみあげてきそうになった。笑いそうになるのをぐっと堪えて、口元を右手で隠す。けれど笹原はそれを笑っていると捉えたのか、垣村の左肩を軽く叩いて「笑うな」と怒っていた。

 

「知り合い以上友達未満で、駅でだけ会話する。普通じゃない特別感あるでしょ」

 

「錯覚だよ。俺が中学の同級生と会ったら多分そうなると思う」

 

「交友薄っ。中学の時からそんな感じなの!?」

 

 中学の時からそんな感じとは、君たちもじゃないのかと言いたくなる。成長してないよなって。さすがに言うことはないが、適当に「そうだよ」と垣村は返事をする。

 

 自分と彼女は特別な関係ではない。でも普通でもない。じゃあ異端か。それとも違う気がする。二人の関係をどう表したらいいものなのか。垣村は電車が来るまで頭の中で考えてみたものの、それらしい答えは出てこなかった。

 

 人のいない電車に乗って、端っこに座って。そしてその隣に笹原は躊躇い無く腰を下ろす。広々とした電車でわざわざ隣に腰を下ろすのは、友達未満の関係でやることなのだろうか。いや、それがトップカーストの普通なのであって、垣村にとっては特別な事のように感じてしまっているだけなのかもしれない。優越感など抱いてはいけない。垣村は隣に座る笹原を見ないように、向かい側の窓の外を見つめていた。

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