日陰者が日向になるのは難しい   作:柳野 守利

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ここ一週間、毎日徹夜して朝の8時や10時に寝て、9時や11時半に起きるストレスフルな生活を送っていました。一週間が期日の課題量じゃない。
愚痴はともかく、書き方すら忘れてしまいました。拙い文かもしれませんが……今回長めに書いたので、どうか読んでもらえると嬉しいです。


23話目 過去の罪

 他人から向けられる視線というのに、垣村はあまりいい印象を持っていなかった。なにしろ、彼にとって向けられる視線や感情というものはそれ程よいものではなく、基本的には見下されているように思えるものばかりだ。

 

 しかしトップカーストによる陰口の件があって以降、自分に向けられている視線の数が増えたように感じていた。いや事実、増えていたのだ。なにしろ笹原はそれなりに人気もある女子生徒であり、そんな人と垣村が一緒にいる写真が拡散されたとなれば、学生にとっては週刊誌の一面を飾る芸能人のスクープのようなもの。いわば、文集砲だ。

 

 そんな状況で学校生活を今までのように送れるわけがなかった。どこに行くにも、アレが垣村かという視線を向けられる。校内の生徒たちの注目の的になっていた。

 

 精神的にくるものもある。前よりも音量を上げて、イヤホンで世界を遮断するように校内を歩く。そして教室でもいつものように、垣村は腕を枕にして顔を隠した。周りの視線から逃れるためだけでなく……笹原の視線からも逃れたかったというのもある。

 

 月曜日には笹原と一緒の時間を過ごさず、またそれ以外の連絡を取ることもない。度々目が合いそうになる学校生活を送っていたが、今となっては明確に見られているのだとわかるほど、彼女は垣村を見てくる。それに応えることは、彼にはできなかったが。

 

 そんな精神的磨耗の続く日々を送って、結局木曜日も笹原と一緒の時間を過ごすことはなく塾へと向かう。気まずいのもあるし、笹原の言葉がそれなりに心に傷を負わせていた。何も知らない他人だったら、これほど傷つくことはなかったのだろう。

 

(……関わるって、いいことばかりじゃない。そんなの、知ってたはずなのに)

 

 関わらなければ相手を知り得ない。だが逆に、知らない相手だからこそ無視できるものもある。垣村は、随分と彼女と一緒の時間を過ごしてしまっていた。短く刹那的な期間であろうとも、その濃さというものが関係をより深くしてしまう。

 

 傘を無理やり渡したあの日。きもいと言われ、心に傷を負った。まさにその古傷が掘り返されているような気分だ。音楽を聴いていても落ち着けない。授業に集中している時はそうでもないのに、終わった途端に思考の隅で意識してしまい、動悸が早くなる。

 

 金曜日になっても、そんな状態が続いていた。心配してくれているのか、休み時間になる度に西園が話しかけてくれる。垣村の机の上に座り、他愛のない話をしてきた。その座る位置のおかげで、笹原が見えなくなる。彼が気づいてやっているのかはわからないが、少なくとも今はそれが嬉しかった。

 

「志音ー、今日もどっか寄って帰ろー」

 

「まぁ……いいけど」

 

「ならバッセンでも行ってみる? 俺ホームラン狙っちゃうかもよー」

 

「場違いだよ、俺には。それと多分打てない」

 

 放課後になって、また西園と遊ぶ約束をする。気を遣ってくれているのだろう。少なくとも、彼と一緒に遊んでいる間は面倒なことを考えずに済む。家に帰れば……また、一人で思い悩んでしまう。どうにも、作曲にも手がつかない状態だった。

 

(……西園?)

 

 話している最中、彼はふと目をそらすことがあった。自然と首を回すように動かす彼の仕草は、彼のことを知っている垣村としては不自然に思えるものだ。二人で話している時は、彼は周りを気にするようなことはなかった。周りを見回すくらいなら、携帯を見ているような性格だったはず。

 

「……どうかしたの?」

 

「んー、いやなんでもないよー」

 

 垣村に向き直った彼の瞳は、優しげに緩んでいる。けれども、振り向く一瞬、確かに細められた彼の目が見えた。心の奥底まで見てきそうな、庄司のような目付き。彼は一体、何を見ていたのか。きっと尋ねても答えてはくれないだろう。

 

 西園の挙動に怪しさを感じていた垣村だったが、手に持つ携帯が震えたことで現実へと意識を戻すことになった。通知には、園村 詩織の名前が表示されている。

 

 彼女とのやり取りも、多少は慣れたものだったが……どうにも文面が普段と違う。連絡する時は明るく挨拶してきたり、顔文字を使ったりする彼女だったが、表示された文にそのようなものは見られない。『明日会えますか?』という一文だけだった。

 

 それを覗き込んで見てきた西園は、怪訝そうに顔を顰めながら尋ねてくる。

 

「女の子のお友だち? いつ知り合ったのさ」

 

「ちょっと前に、ね。色々あってさ」

 

「ふーん、まぁいいけどさー……良い子なの?」

 

「まぁ、そうだね」

 

「最近、女運なさそうな生活送ってるからなー」

 

「心配し過ぎだよ……園村さんは、そういう人じゃない」

 

 どちらかというと、こちら側。言葉にはしなかったが、西園も本人がそこまで言うのならと納得した様子だった。「まぁ楽しみなよー」と笑いながら言う彼に、苦笑いを返す。あまりにも単刀直入な誘いに、どうにも違和感を覚えてしまった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 土曜の塾が終わるのは、空が暗くなり始める頃合いだ。そのあとで園村と会う約束をしていた。正直、気になりすぎて授業の内容がロクに入ってこなかったが。

 

 これから帰るのだろう他校の生徒に紛れて、垣村も塾の外へと向かっていく。入口の窓ガラスの向こうに、既に立って待っている彼女を見つけた。携帯を弄りながら立っている彼女の顔は、どことなく暗く感じる。垣村が扉を開けて外に出ると、彼女はすぐに垣村に気づいて顔を上げた。

 

「園村さん、待たせてごめん」

 

「ううん、さっき来たところだし。それに、塾があったのにごめんね」

 

「それは大丈夫だけど……」

 

 どうにも話しづらい。いつものように明るく、といった雰囲気ではなかった。彼女もそれをわかっているのだろう。垣村の隣にまで歩いてくると、服の袖を引っ張るように掴んできた。

 

「柿P、ちょっと話したいことがあるの。歩きながらでもいいから」

 

「……なら、近くに公園みたいな広場があったはず。そこに行く?」

 

 彼女は静かに頷いて歩き出した。世間話をする、といった空気でもない。若干息苦しく感じつつも、垣村は彼女の隣を歩いていく。

 

 遠くの方からはカラスの鳴き声が響いてくる。橙色の空の大半を雲が隠していて、雲行きが怪しいとはまさにこの事なんだろう、と垣村はひとりでに納得していた。

 

「あのね、柿P」

 

 さほど大きい声ではない。それに、どこか震えているような気もする。自分は彼女に何かしてしまったのか。そんな不安さえも感じ始めた。

 

「SNSにさ、写真……載ってたよね」

 

「あっ……うん。やっぱりけっこう広まってるのかな」

 

「私の学校にまで拡散されてきたからね。結構、嫌なこと書かれてて……あんまり、いい気分にはなれなかったかな」

 

「見た時は、俺もそうだった」

 

 もう消されてしまっているが、あの誹謗中傷の羅列はさすがに看過できないものがある。普段からどんな目で見られているのかもわかったし、周りな人がどんな人間なのか、というのも目に見えてしまった。知りたくはなかったけれど、それでもひとつだけ良いことがあったとするならば……西園が、本当に垣村のことを考えてくれているのだとわかったことだろう。

 

 何事も捉え方は前向きに。庄司に言われた言葉だった。嫌な部分だけじゃない。見つけられたものには、良い部分もある。そう考えることもできるようになっていた。少なくとも、致命傷にならずに済んだのは良かったのだろう。

 

「アレを見た時、正直ちょっと驚いてた。もしかしてさ……あの子が、柿Pが傘を貸したって女の子?」

 

「そう、なるね……」

 

 やはりこの話題は恥ずかしい。垣村はそっと視線を背けて、進む足を早める。塾から公園まではそう遠くなかった。公園とは言うものの、ベンチは苔だらけで座る気にも慣れず、それなりに背の高い雑草が生えている場所だ。あるのも錆びたブランコとシーソーだけ。お粗末な場所だった。おかげで子供一人遊んでいない。けれども、それはむしろ話をするには好都合だった。

 

「あのさ、柿P。私が中学でイジメられてたって話、覚えてるよね」

 

「あぁ、うん」

 

「相手は女子のグループで、随分といろいろやられたよ。まぁ多分、私だけじゃない。それに……あんまり評判良くないんだ、私の中学。最近、自殺したって女の子の話も聞いたし」

 

「自殺って……イジメで?」

 

「そう。学校側は隠したけど……回ってくるものなんだよ、こういうのって」

 

 寂れた公園の真ん中辺りで、二人揃って立ち並ぶ。隣にいる彼女の声に抑揚はあまりなく、物悲しいというよりも怒りを感じさせるものだった。

 

 彼女が言うには、自殺した女の子は強姦まがいの仕打ちを受けたらしい。女子グループにトイレに連れ込まれ、仲間の男に体を触られ。強姦まがい、というのも……遺書にそう書かれていたからだった。指だの、ボールペンだの。正直聞いていて、垣村もいい気分はしない。垣村の中学では、イジメこそあったものの、そこまでのものではなかった。恵まれていたのではなく、園村の学校が腐っていたというだけの話だ。

 

「私は、そこまで酷くはなかったけどさ……やっぱり、イジメって本当に屑のやることだよ。そう思わない、柿P?」

 

「そりゃ……そうだと思うけど」

 

「笑いながら叩いて、罵って、何がしたいんだろうね。それをやって、何か満たされるのかな。柿Pは、私を殴って何か満たせるものがある?」

 

「いや……そんな趣味はないよ。人それぞれなんだと、思うけど……俺は、そんな人になりたくないってずっと思ってたから。きっと、理解はできないと思う」

 

 垣村がそう答えると、掴まれたままだった服の袖がより強く握りしめられた。彼女を見やれば、表情は凍りついているかのように固まっている。口元を薄らと歪ませながら……。

 

「柿Pは、そういう人だよね。うん……知ってたけど、ちょっとだけ安心した」

 

「園村さん……?」

 

「……酷いこと言うかもしれないから、先に謝っておくね。ごめんね、柿P」

 

 園村が垣村のことを正面から見るように、体を向ける。彼女の瞳が揺れ動いているのがわかった。彼女が今から口にする言葉は、それほど彼女にとって大事なことなのだろう。そして、自分にも関わりがある。

 

 早まる心臓を感じながら、彼女の言葉の続きを待つ。「私は……」と言ったところで……二人の時間を壊すかのように、声が響いてきた。

 

「垣村っ!!」

 

 慌てて、声のするほうを向く。そこにいたのは、必死な顔で近寄ってくる笹原だった。最近彼女との仲はうまくいっていない。いろいろと、タイミングが悪いなと困っていたところで、隣から聞こえる声に心臓を掴まれたような錯覚を覚えた。

 

「……笹原」

 

 いつもの彼女からは考えられない、底冷えするような声。思わず同一人物なのかと疑ってしまうほどだ。

 

「園村さん……知ってたの?」

 

「そうだね……でも、ちょうど良かったかも」

 

 何が、ちょうど良いのか。今起きている事態に、垣村はついていけなかった。

 

 笹原は二人のすぐ目の前まで近寄ってくる。何か言われるかと身構えた垣村だったが……思いがけないことに、彼女は園村に向けて軽く頭を下げ、懇願してきた。

 

「お願いっ、垣村と少しだけ話をさせて。本当に、少しだけでいいから……」

 

 必死に頼み込んでくる彼女の姿に、垣村は目を見開いていた。先週色々とあったが……自分と話すためにここまでやってくるのかと、思わずにはいられない。会う約束もしてないのに、塾の時間だって教えていないのに。彼女はきっと、ずっと探していたんじゃないか。

 

 園村に、彼女の話を聞いて欲しいとお願いしようとした垣村だったが……園村は、垣村の袖を握ったまま薄らと笑う。

 

「柿P、いいこと教えてあげる」

 

 今ここで、言うことなのか。そう言いたかったが、垣村の口は動かない。園村の笑う姿に気圧されていたのだ。今までこんな彼女は見た事がなかった。思わず生唾を飲む。

 

「私のこと、中学でイジメてたのはね」

 

 その言葉が聞こえた途端、思わず手を強く握りしめた。いや、嘘だろう……そう思っていても、続く言葉は現実を見せつけてくる。

 

「目の前にいる、笹原 唯香だよ」

 

「……えっ?」

 

 声を上げたのは笹原だった。垣村に至っては、声を上げることすらできない。冷たく笑う彼女が伝えてきた言葉が、真実なのか。

 

 頭を上げて驚いている笹原に目線を送る。けれども彼女は、頷きも否定もしない。困惑した様子で園村のことを見つめていた。

 

「私のこと、覚えてるよね。園村 詩織、あなたの元クラスメイト」

 

「園村って……嘘……」

 

「変わってて、気づかなかった? 不登校の間、あまり食べ物食べれなかったから」

 

 中学までは義務教育だ。不登校は問題ではあるが……それでも彼女は、ちゃんと勉強はしていたらしい。高校だって、頑張って受かったと言っていた。けれども……そうしなくてはならない原因に、笹原が関わっているなんて。

 

 彼女は垣村と視線を合わせようとして、すぐに逸らした。まるで、親に知られたくないことを知られてしまった子供のように。

 

「……柿P。これが、あなたと一緒にいた笹原だよ。私をイジメて楽しんでいた内の一人。あなたが毛嫌いする、トップカーストのイジメっ子」

 

「……本当なの、笹原さん?」

 

「あ……い、や……その、私は……」

 

 彼女は半歩下がって、白黒とする瞳のまま体を縮こまらせる。いつもの元気さの欠けらもない。知られたくなかった。隠し通したかった。そもそも教える気すらなかった。どれなのかはわからないけれど……垣村は、この場で何も言うことはできなかった。

 

「夏休み前に、仲良くなったんだよね。不思議じゃない? 私みたいな、それこそ柿Pだって……彼女たちのイジメの対象に選ばれるんだよ。ずっと、騙されていたんじゃない? SNSだってさ、柿Pの悪口は多かったけど……笹原の悪口って、そんなに多かった?」

 

「……数えてないよ、そんなの」

 

「本当は、あなたを陥れて笑うためだったんじゃないかな。心当たりくらい、あるんじゃない?」

 

「ち、違う! 私は、垣村にそんなこと……」

 

 彼女は否定するも、その声はだんだんと小さくなる。心当たり、と言われると……思い出すのは、あの陰口だろう。けれども、本当にそうだろうか。夏休みに、彼女は汗を流して必死に探しに来たじゃないか。

 

「柿Pの考えてること、私にはわかるよ。けどね……」

 

 そんな垣村の考えを、打ち壊すように彼女は言う。

 

「過去は消えないよ。彼女は、私だけじゃなく、もっとたくさんの人をイジメてたんだよ。思い出で美化するの、やめよう? どうやっても……彼女の過去は、事実なんだから」

 

(……事実、なんだろうけれど)

 

 何も言えない。垣村は中学時代の笹原を知らないから、思い出で美化できる。けれども彼女はそうではない。被害者であり、思い出も何もない。そして高校の彼女も知らない。いや、もしかしたら笹原はまだ、高校で何かやっている可能性だってある。

 

 今までいろいろとあって、不思議な縁で繋がった二人。その縁が、園村の言葉によって朽ち果てていくのがわかった。

 

「っ……あの時は、本当に……ごめんなさい……」

 

「……それで、謝罪したところで何か変わるの? そんなの、あの時聞き飽きたよ」

 

 涙声だった。また頭を下げて謝った笹原から、地面に向かってぽつりっ、ぽつりっと涙が落ちていく。砂の地面に斑点が増えていくのを……垣村は、見ていることしかできなかった。

 

「柿P、謝罪ってさ……誰に対してするのか、知ってる?」

 

「……迷惑をかけた、相手に」

 

「違うよ。謝罪はね……自分に対してする、免罪符なんだよ」

 

 彼女の言っていることを、いまいち理解できない。けれども彼女の瞳は強く、ブレない。どれだけ彼女が本気でそう思っているのか、嫌でもわかってしまう。

 

「あの時だってそう。不登校になって、イジメが発覚して。先生に集められてさ……本人同士で謝れって、先生は言ってたけど……馬鹿だよね。何もわかってない。口だけの謝罪しかしない人たちなのにさ……そんなの、許すと思う? 私の時間を奪ったのにさ」

 

「……思え、ない」

 

「だよね。許さなかったよ。でもそしたら……なんて言ったと思う?」

 

 未だに頭を下げ続けている笹原を見下しながら、園村は垣村の服の袖をまた強く握りしめた。

 

「"謝ったのに、なんで許してくれないの"……だって」

 

「っ……」

 

「結局はさ、心の中で謝ったのにって思ってるんだよ。謝罪したから、別にもういいじゃんって。自分の罪を帳消しする、そのための謝罪だよ。相手に許してもらいたいだなんて思ってない。しまいには、先生まで来てさ……"許してやれ"だって。私が許すって言うまで、部屋から出す気もない」

 

 彼女の経験した過去が、次々と垣村の心を抉っていく。何が正しくて、何が間違っていて。そんなものは、きっとここでは何も意味はないんだろうと思えた。彼女の言い分は真っ当で、笹原のやったことは怒りを感じるもので。

 

 垣村だって横暴な仕打ちをされた。自分にも非はあったが……西園の言う通り、彼女は自分が恥をかきたくないからあんなことを言っていたのだ。笹原を擁護する必要はないだろう。むしろ、責めるべきなのだ。そのはずなのに……垣村は何も言えなかった。頭を下げ続け、泣き続け、謝り続ける彼女をずっと見ていることしかできなかった。

 

「ごめんなさい……」

 

「何度謝っても、無意味だよ。私が受けた傷が消えるわけじゃない。私の時間と幸せを奪った挙句……自分が幸せになろうだなんて、烏滸がましいと思わないの?」

 

「私は……皆から、嫌われたくなくて……」

 

「この期に及んで、言い訳までするの? 柿P、あなたと一緒にいた笹原は、こんな女の子なんだよ。それでも、あなたはまだ一緒にいたいって思うの? 何やられるのか、わかったものじゃないのに?」

 

 垣村の目を見ながら、彼女はそう尋ねてくる。それに、肯定も否定もできなかった。気まずそうに目を逸らし、早まる心臓を抑えるべく、浅くゆっくりと呼吸を繰り返す。

 

「……俺、には……何も」

 

「柿P、ちゃんと伝えてあげることも、優しさだと思うよ。いっそのこと否定してあげた方が、きっと楽になれるかもしれない」

 

「……園村さんは、彼女に不幸になって欲しいだけだよ。だから俺には……何も言えない。君の怒りは、至極真っ当なものなんだろうけど」

 

 その場凌ぎの言葉を伝えるしかなかった。それでも、園村は逃がす気はないらしい。垣村の右手を両手で握ると、また目を合わせてくる。包まれた手には、やっぱり彼女の温かさがあり、今まで見てきた優しく強い彼女は嘘ではなく、また目の前にいる冷徹な女の子も彼女自身であることには変わりない。それらを全部まとめて、園村だということだった。

 

「あのね、柿P」

 

 今までの冷たい笑みはなく、いつもの明るい表情へと戻る。包まれた手が、強く握りしめられた。

 

「私は柿Pのこと、好きだよ」

 

「……えっ?」

 

 驚いて、頓狂な声を上げてしまう。けれども彼女の瞳はそれが嘘ではないことを物語っていて、握られていた手は伝えることを伝えて、安心したかのように緩められた。

 

「私は柿Pのこと、ちゃんとわかってあげられる。趣味だって共有できる。作曲でも、小説でも、なんだろうと私は応援してあげられるよ」

 

「園村さん……君は……」

 

「本気だよ。本当に、私は柿Pのことが好き。だから……私と、付き合ってください」

 

 笹原を傷つけたいだけなんじゃないか。そんな想いは軽々と砕かれた。見つめてくる彼女の瞳は、本気だ。一切ぶれることなく、瞳の奥まで見据えるように見つめてくる。

 

 視界の隅で動くもうひとつの影。笹原は泣いたまま、二人を見ていた。驚いているようにも見えるし、悔しそうに俯いているようにも、後悔しているようにも見える。

 

「……こんな時に告白されても、困っちゃうよね。ごめんね、柿P。でも本気で好きなんだ。それなのに、ね」

 

 顔を上げている笹原を、彼女は見ながら言ってくる。

 

「私の時間どころか、好きな人まで奪われるとか、絶対に嫌だから」

 

「っ……垣村……」

 

 涙声で名前を呼ぶ笹原。芯のある声で告白してきた園村。この状況を、どうしたらいいのか。決められない。優柔不断な自分が嫌になる。笹原は思っていたよりも強い女の子ではなく、園村は……想像以上に強かな女の子だった。

 

「嫌なところ、沢山見せちゃったよね。けれど、それが私だよ。完璧な人間なんて、いないし。そんな私だけど……ダメ、かな」

 

「………」

 

 その問いかけに、願いに、答えることはできなかった。俯いて唇を噛み締める垣村を、園村は微笑みながら見つめている。

 

「こんなことがあったら、簡単には決められないよね。多分、逆だったら私もそうなると思う。本当はここで決めて欲しいけど……また、今度にしよっか。ゆっくりでいいから、ちゃんと答えを聞かせて欲しい」

 

「園村さん……」

 

「……帰ろう、柿P」

 

 彼女は垣村の手を引いて、その場から離れようとする。笹原が動く気配はない。啜り泣く声が、暗い世界に響いてくる。それを聞いて、園村は立ち止まって背中を向けたまま、彼女に告げた。

 

「私はあなたが幸せになるのを許容できない。柿Pと不釣り合いなのは、あなたの方だよ。優しい柿Pを、これ以上傷つけないで」

 

 砂場に崩れ落ちる音が聞こえた。顔だけ振り向くと、彼女は地面に座り込んで涙を流している。思わず手を差し伸べてしまいそうになるのを、園村が手を強く握ることで止めてきた。彼女はそのまま手を引いて、帰り道を歩いていく。

 

 公園に残された啜り泣く声。いつか聞いた、あの弱々しい泣き声。男に襲われて座り込んでいた彼女には手を差し伸べることはできたけれど、今はそんなことはできない。

 

 手を差し伸べたくなるのは、まだ笹原のことを幻滅していないからなのか。どこか、思うところがあるからなのだろうか。

 

「……柿Pは、優しいね」

 

 途中途中で振り向く垣村を、彼女は柔らかい声で慰めてくれた。握っていた手は、気づけば恋人繋ぎに変わっていて、いつもとはまた違う感触と温かさが伝わってくる。

 

「でもね、自業自得だよ。犯した罪は、消えない。あの子がやった事は、なくならない。天罰だよ」

 

「……笹原さんと、向き合わなかったら……きっと、園村さんとも出会えなかった気がする」

 

「だとしたら、それだけは感謝しなきゃね。柿Pに会わせてくれて、ありがとうって」

 

 人通りが増えても、彼女は手を離すことはしなかった。恥ずかしそうにもしていない。繋いでいることは当然の権利で、恥でもなんでもない。見られようが構わない。そう思っているようだった。

 

 駅に着いて、改札を抜ける。電光掲示板の下で二人は立ち止まった。

 

「……ちゃんと答え、聞かせてね」

 

「……すぐには、無理だと思う」

 

「だろうね。でも……待ってるんだからね。ずっと、ドキドキしながらさ」

 

 園村は名残惜しそうに手を離していく。先程までのことが何もなかったかのように、彼女はいつものように軽快に笑った。

 

「バイバイ、柿P」

 

「……またね」

 

 上りホームへの階段に消えていく彼女の背を見送ってから、垣村も下りのホームへと下りていく。相変わらず下り側には人は少ない。上りホームには、既に電車が来ているようだった。ほんの数分後には、電車は彼女を乗せて行ってしまう。

 

 手には未だに彼女の温もりが残っている。残響する電車の音。それを聞きながら、空いている椅子に座った。

 

 空はもう暗く、曇っているのか星一つ見えない。こんな夜空の下で、彼女はまだ泣いているのだろうか。離れているはずなのに、耳に届いてくる気がする。彼女の、弱々しい姿のまま啜り泣く声が。

 

 手に残り続ける暖かさ、後ろ髪引かれるこの想い。感じた胸の高鳴り。彼女たちの過去。

 

 決めなくてはいけない。でも、どうやって。どうしたらいい。なんで将来のことを決めるよりも、悩ましい問題があるんだ。

 

 現実逃避したくなって、垣村はいつものようにイヤホンをつける。けれども……どんな音楽も、流す気にはなれなかった。





課題、今度は量を2.5倍にして期日は3倍になっています。更新がまた遅れるかもしれませんが……なるべく早く、完結させたいと思っております。
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