第九話『狂う物語』
「わたくしと士道さんの間に手出しは無用ですわ」
そんな事を狂三が言い出したのは、彼女がその
十人が横を通り過ぎれば二度見を含めて二十人が振り返りそうなほど絶世で妖艶な雰囲気の彼女は、しかしローブの少女から見るといつも以上に超然としていて、どこか頑なな雰囲気になっていると言わざるを得ない。だから、いつもは狂三の指示に迷わず了承を返す少女も思わず言葉を濁す。
「……狂三がそう言うのなら従いますけど、本当に大丈夫ですか?」
「あら? わたくしの力は『わたくし』以外では誰よりあなたがご存知の筈でございましょう?」
勿論、それは知っている。戦力はまだ見ぬ〝例外〟を除けば封印された精霊二人と取るに足らないAST、そして狂三が行動を起こせば現れるであろう崇宮真那。だから少女が気にかけるのはその者達ではなく、五河士道……ひいては時崎狂三
「それはよく知ってますよ。私が言いたいのは狂三、あなた自身の事です。言わなくても分かるでしょう」
「うふふ、おかしな事を仰いますのね。わたくし、いつもと変わりありませんことよ」
自分の姿におかしなところが無いかくるくる、くるくると鏡の前で舞い踊る狂三。やがて、ピタリと少女の方を向いて止まり制服のスカートが鮮やかに揺れる。妖艶な笑みを浮かべた彼女は、見据えた少女へ声を発した。
「〝子犬〟を相手に『わたくし』を使う時のフォローはお任せ致しますが、わたくしへのフォローは不要。例え、
「……はあ。分かりましたよ。女王様の御心のままに」
「感謝致しますわ。それでは、行ってまいります」
ため息混じりで気取った返答を気にした様子もなく、綺麗な礼を見せ部屋から出て行く狂三。言うまでなく、狂三はなんの冗談でもなく
はあ、と二度目のため息を吐き狂三の出て行った扉をしばらく眺めていると――――影が、少女の真後ろに現れた。
「――――きひ、きひひ。『わたくし』は楽しそうでしたわねぇ」
染みのように黒い影から現れたのは〝狂三〟だった。ただし、さっき出て行った彼女とは違い
「楽しそう、ですか? 狂三が?」
「えぇ、えぇ。あんなに楽しそうな『わたくし』、見た事がありませんわね。――――同時に、あなたの感じた物も間違ってはいないようですけど?」
「…………楽しそう、か」
相変わらず特徴的な笑い声で言葉を締めくくるメイドの狂三に、少女は気づかなかったと言うようにポツリと言葉をこぼす。驕りかもしれないが、狂三の感情の機微に気づけなかったのは自分でも意外だ。ともすれば狂三本人さえ気づいていないかもしれない事に気づいたのが〝別の本人〟というのは何とも不思議な話ではあったが。
少女から見て狂三は頑なに、言ってしまえば何かを隠す〝仮面〟のような物を被っていると思えた。メイドの狂三は狂三を〝楽しそう〟だと語った。本人の自覚さえなしにまるで対極に矛盾するそれは――――
「……まあ、狂三が何をするつもりか知りませんけど、私なりに動く事には変わりないですね」
「きひひ……過保護、ですわねぇ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「お、おは、よう……ござい、ます……」
「おお、おはようだ!」
十香の元気いっぱいな返事に、ビクッと身体を震わせたが何とかその場に踏み止まる四糸乃。
今は早朝、士道と十香は学校への登校日。こうして四糸乃と十香が挨拶を交わしているのは当然理由があった。〈ラタトスク〉は精霊との対話による空間震災害の平和的解決、という目標があるのだが、そのアフターフォローも勿論存在している。
艦の司令官様曰く、精霊にきちんと社会性を身につけてもらい、ちゃんと幸せな生活を送ってもらいたい。という事で、将来的には五河家隣に一夜にして建設された精霊専用のマンションに住んでもらうため、お隣さんになる十香と話せるようになる練習も兼ねてこうして朝の挨拶をしているわけだった。
とはいえ、そんなに心配しなくても大丈夫そうだと士道は微笑する。あの恥ずかしがり屋で人見知り、人と話す事をよしのんに頼っていた四糸乃が、あんなにも(四糸乃比)ハッキリと挨拶をして人と喋っている。色々あったが、十香はさっぱり気にしておらずこれなら四糸乃の僅かに残った十香への苦手意識もすぐ無くなるだろう、そう思っていると耳につけたインカムから琴里の声が響いてきた。
『ちょっと、何黙ってるのよ士道。四糸乃があなたに何か言いたげよ』
「え……あ、ああ。どうした、四糸乃?」
言われて気づいたが、四糸乃がチラチラとこちらに視線を投げかけていた。助け舟を求めていると思い、士道が近づくともごもごと何度か躊躇いながら声を発する。
「……あ、の……狂三、さん、は……?」
「――――ッ!」
四糸乃としてはずっと聞きたかった事なのだろう。先日までの士道なら難なく答えられたであろうその問いに、今の士道は身を固めてしまい何故だか答えられなかった。
『ではその逆……〝悪〟を成す精霊。万人が揃って〝悪〟と断じ、その身が
頭を過ぎる、少女の言葉。四糸乃の質問に理由は分かりきっている。どうしてか、彼の心にしこりのように残った少女のその言葉が、士道に声を発する事を拒ませていた。
何も迷う事はない。だって狂三は精霊とは
ならば――――なぜ自分は答えられなかった?
「士道、さん……?」
「どうしたのだシドー?」
「っ……」
気づけば、不安そうな四糸乃だけではなく十香まで心配そうに士道の顔を覗き込んでいた。危ない、思った以上に考え込んでしまったらしい。あーなんでもないなんでもない、と手を振り白の麦わら帽子を被る四糸乃の頭をポンポン、と安心させるように撫でてやる。
「大丈夫、次は狂三も連れて来る。狂三も四糸乃に会いたがってるだろうしな!」
「っ……は、はい……!」
士道の言葉を聞くと、不安げだった表情は吹き飛びキラキラと目を輝かせて頷く四糸乃。よしのんを無くしてしまった時に出会い、付き添ってくれた狂三に相当懐いたらしいと微笑ましい気持ちになる。
「む……シドー。狂三とは誰の事なのだ?」
二人の様子に疎外感を感じたのか、はたまた
『ふふーん。それはね十香ちゃーん……狂三ちゃんって子は士道くんのカノ――――』
「わああああああッ!! と、友達だ友達! 今度十香にも紹介するから! な!?」
今まで沈黙を保っていたよしのんがとんでもない事を口走ろうとして、更に大慌てで十香とよしのんの間に入り説明する羽目になった。とんでもない事を言ってくれたと思ったが、そう言えば初対面の時に勝手に勘違いされ、そのままだったのを忘れていた。まあ、士道としては少しだけやぶさかではないと心の底で思っていた事は勿論誰にも内緒である。
「……そうか、トモダチ……か」
「あ、ああ……」
一応、さっきの説明で十香も納得してくれたらしい。どこか、何かに引っ掛かりを覚えているようにも見えたが……士道としては〝友達〟という表現以外伝えようがないのでこれ以上はどうしようもなかった。
『……士道、今日の訓練のこと忘れてるんじゃないでしょうね? 狂三の事を不用意に言って十香を嫉妬させてどうすんのよ』
「は……? なんで狂三の事で十香が嫉妬するんだ?」
何度目かの恒例となった琴里からの〝訓練〟。今日のお題は
『……だーめだこりゃ。はい、ペナルティ一つね』
「なんでだよ!?」
あまりの理不尽に抗議を申し立てるが、琴里は深いため息と共にその直談判をゴミ箱へ投げ捨てる。
……まあ、こういう兄だから精霊攻略が出来るのだが、それとこれとは話が別な妹様であった。
「おう、おはよう鳶――――」
「…………」
「……お、折紙」
「おはよう、士道」
危なかった、取って食われるかと思った。強烈なプレッシャーを感じ朝の教室で冷や汗をかく士道。〈ラタトスク〉の機関員が繰り出す十香の嫉妬を煽る工作を何とか切り抜け、左隣の席に座る折紙に挨拶を……という所で、彼女からのプレッシャーにこの前の事を思い出し既のところで言い直して挨拶に成功した。
よしのん〝奪還〟作戦の時、折紙に十香ばかり名前で呼ぶのは
士道とのやり取りにどこか満足げに小さく頷いた折紙だったが、彼の後ろにいた十香を認識すると一変して視線が鋭くなる。
「一緒に登校してきたの?」
「え? ……そ、そうだけど」
「そう」
いつも通りの鉄仮面。しかし何故だろう、さっきとはまた違ったプレッシャーが恐ろしいまでに撒き散らされている気がしてならない。それに気がついたのか否か、士道の右隣の席に着こうとしていた十香が折紙を視認し両者が睨み合う形となった。
「……何か用か?」
「別に」
竜虎、相搏つ。お互いのプレッシャーがオーラを纏っているようにさえ幻視してしまうほど、鋭く睨み合う十香と折紙。その威圧感に挟まれた士道はたまったものでは無い。しかし、これもいつもの事だと諦めた訳では無いが割と受け入れつつある〝日常〟であった。
基本的に誰にでも悪意なく接する十香だが、その例外が鳶一折紙なのだ。お互いこの前まで命のやり取りをしていて、折紙の方は精霊に対し並々ならぬ憎悪まで持ち合わせている。仲良くしろって方が難しいよなぁ……まあ、実のところそれだけではなく士道本人を巡っての仲の悪さもあるのだが、悲しいかな、挟まれる本人は全くその自覚がなかったりする。
しばらく睨み合っていた両者だったが、ちょうどよくホームルームのチャイムが鳴り響いたのでこれは幸いと士道が促し十香が席に着くことで今回は決着した。
確かに二人の定番と化したやり取りは常に挟まれる士道としては胃が痛くなる思いだ。だが同時に、こうしていられるのは平和の証なのだろうと感慨深くなる。楽観的なのかもしれない。けれど、こうして十香たちと、いつかは〝彼女〟もいれて笑い合える平和な日々が続いてくれれば良いと――――
「――――ふふ、なんとねえ、このクラスに転校生が来るのです!」
「……ん?」
物思いに耽っていた士道を現実に引き戻したのは、眼鏡かけた癖毛の小柄な教師・岡峰珠恵(通称タマちゃん)の言葉と、それを聞いたクラス中から響いたおおおおおおおおお!? という地鳴りのような声であった。
転校生。それは学校生活の中でも希少な上に大きなイベントの一つ。クラス中の学生が騒ぐのも無理はないだろう。その輪に加わることなく、士道は首を捻った。つい最近、十香が転校してきたこのクラスにまた転校生が編入される、というのは不自然に思えた。まるで、十香のように
「……いや、まさかな」
偶然だ。そんな都合よく現実味がないことが起こるわけがない。精霊関連で現実味がないことばかり起こっていて、それに毒されてしまっていると振り払うように首を振る。そして、タマちゃん教論の一声で廊下に控えていたのであろう転校生がゆっくりと扉を開き――――
「――――――――ぇ」
時が止まったかのように静まり返った教室。その中で、士道だけは僅かに声を漏らした。そう、
その少女は可憐だった。その少女は美しかった。その少女は
全て、同じだった。そして、あまりの美しさにそれら全てを束ねても遠く及ばないと、やはり士道は思う。けれど、どうしてだろう。それだけではない、と彼は思った。
「――――時崎狂三と申しますわ」
ああ、知っている。よく知っているとも。知らないはずがない。彼女と出会ってから、彼女の事を考えない日はなかったのだから。
影を思わせる絹糸の様な黒髪。吸い込まれてしまいそうな紅の瞳。しかし、その
彼女が、言葉を続ける。それは全てを覆す。士道をどん底へ突き落とす、終わりの……いや、
「わたくし、精霊ですのよ――――」
――――――士道さん。
最後の声だけは、音になることは無く彼女の唇だけが動いた。
「……なん、で……」
ざわめく生徒達の声も、十香や折紙の驚きも、今の士道には何も届かない。ただ、少年は少女の微笑みだけを見つめていた。
精霊。精霊。――――精霊。ああ、聞き間違うものか。彼女は確かに、そう言ったのだ。
『――――あなたはどうしますか、五河士道』
ガンガンと頭に声が鳴り響く。やめろ、やめろ、やめてくれ! これじゃあまるで彼女を、狂三を――――『最悪の精霊』だと、思っているようではないか。ありえない、そう力強く否定する。でもどうしても……その声は、消えてはくれなかった。
今――――狂った時計が、回り始めた。
ようやく正体を明かした狂三。彼女は果たして何を選択するのか。そして士道はどうするのか
ようやくここまで来たわけなんですが、個人的事情で申し訳ないのですけどお空の方で古○場とかいうドマゾコンテンツが始まってしまうのでここからは不定期更新で頻度が落ちるかと思います、ご了承ください。次の更新は水曜日辺りを予定しています。意見、感想、誤字脱字報告等ありましたら是非よろしくお願いします