意識が混濁している。何もかもが曖昧で、何もかもが鮮明に感じ取れる。五河士道は、矛盾している。
「俺は何を、するんだ?」
自分がなぜ外を歩いているのか。なぜ冬場でコート一つすら羽織らず平然としていられるのか。どうして、ここにいるのか。それら全てが、不明瞭な物事として溶けて消えていく。
何かをしなければならない。五河士道はそうしなければならない。何を? ずっとそれを繰り返してきたはずだ。
「――――――ああ、ああ」
ああ、今なら何だって出来そうだ。愛しい彼女がそうしているように、己の力を自由自在に行使する。彼女のように、優雅で鮮やかな立ち振る舞いを。
そうして、
「――――――――」
でも、それならなぜ、
「君は、夢の中でも同じなんだな――――――狂三」
夢を見ているのかもしれない。その夢の中で、士道は強く理想の自分でいられる――――――本当に愛しい人だけは、手に入れることができないと知っている。けれど、
心のどこかで、気づいていた。彼女はきっと、最後まで士道の手を取らない。己のエゴだけで彼女を救おうとする士道の手を、あの気高い精霊は決して重ね合うことはない。
たった一人、真に愛した少女さえ救うことができない、デレさせることができない哀れな少年は――――――無力感を隠し、培われた〝仮面〟を被る。
「――――――山吹、葉桜、藤袴……おまえたちって、よく見るとこんなに可愛かったんだな」
さあ――――――
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「シドー!! シドー!! どこだっ!!」
忽然と消え失せた士道を探し始めて、既に小一時間は経過していた。初めは〈ラタトスク〉の地下施設を捜索しようとしていた十香たちだったが――――――
『士道さんは……ここにはもう、いらっしゃいませんわ……』
微かに狂三がそう指し示したことで、地下施設は〈ラタトスク〉のメンバーに任せ、十香たちは地上で周辺の捜索を行っていた。
地上でも狂三の力が借りられれば……そう思っていたのだが、地上に出た途端、十香の背で意識の浮上と潜水を繰り返すようになってしまい、状況はあまり進展していなかった。だが、狂三が苦しい自身の体調を押してまで駆けつけてくれたのだ。これ以上は十香たちの力でやるしかない。
怪訝な表情で十香たちを見る住民たちには目もくれず、ひたすら士道の名を呼び続ける。
「むぅ……シドー、あんな体で、一体どこに――――――」
「十香、さん……」
「っ、狂三!! 目を覚ましたのか!?」
「ええ。ご迷惑を、おかけ致しました、わ――――――っ」
背負われた状態から無理に地面に降りたせいか、狂三がまた体勢を崩しかけたのを慌てて十香と近くにいた四糸乃が支えた。
「狂三さん、無理しちゃ……ダメです……!!」
「四糸乃の言う通りだ。無理せずまだ私の背に……」
「いえ。これ以上――――――好き勝手させるものですか」
誰に向かって放たれた言葉なのか。少なくとも、ここにいる誰でもなかった。顔を伏せ異様な雰囲気を纏う狂三に、全員が足を止めて眉根を寄せる。
「――――――〈
「な……っ!?」
突如、狂三が自身の天使の名を告げたことに十香は目を剥いた。そうして、一瞬だけ辺りの影が全て狂三への収束するように蠢き――――――ふと、静けさを取り戻した。
「……ふぅ」
「狂三、あなた何をしたのよ?」
先程までとは打って変わって、落ち着いた吐息を零す狂三。何が起こったのか誰一人把握出来ていない中、琴里が狂三へ言葉を投げかけた。
「好き勝手させられていたわたくしの霊力を、わたくしの支配下に力づくで置き換えましたわ。とはいえ、取り戻すことが出来たのは半分も怪しい程度ですので、〈
十香には狂三が言っていることこそ感覚半分で理解と言ったところではあるが、どうやら狂三は会話ができる程度に自分を回復させたらしい。彼女の言葉通り、いつもの優雅な微笑みは見られず顔色も良くはない。しかしそれでも、喋ることすら億劫に見えた数分前の狂三より遥かに回復していた。
驚き半分、困惑半分なのは十香だけでなく八舞姉妹も似たような顔をしている。耶倶矢がいつものよくわからないカッコいい口調、カッコいいポーズを取って声を発した。
「……ふっ、流石は我が宿命のライバル。この程度の困難、乗り越えて当然よな」
「指摘。耶倶矢のへなちょこな頭脳では、狂三が何をしたのかまるでわかっていません」
「なっ!! ゆ、夕弦だってわかってないでしょっ!!」
「あら、わたくしの病状を体験なさってみます? 全身を得体の知れない生物に舐め回され、頭を遊園地のアトラクションで延々と回され続けていれば、幾らか再現は可能だと思うのですが……」
『……!!』
ニッコリと言う狂三に、八舞姉妹は二人揃って神速で首を左右に振り続けた。全員にわかるような例えで言葉にしたのだろう、十香もその体験はしたくないと身震いしてしまう。
うふふ、と冗談で微笑みを浮かべた狂三だったが、すぐに痛みを感じるのか顔を僅かに顰め、頭を抑えながら声を発した。
「っ……まったく――――――
「シドー……!?」
「あなた士道の居場所はわかる!?」
「叫ばないでくださいまし、頭に響きますわ……ここから北の方角。この場所からですと――――――商店街、三丁目の大通りですわね」
『……こちらでもシンを捕捉した』
狂三以外の全員がインカムから聞こえた声に反応し、そちらに意識を傾ける。未だ体調が優れない狂三に代わり、令音が士道の行方を引き継いだ。
『……間違いない。三丁目の大通りだ。しかし、これは……』
「何? まさか士道に何か……!?」
『……いや、それどころか――――――』
「……随分と、はしゃいでいらっしゃるご様子ですわ――――――っ」
「狂三!?」
苦しげに膝を突いた狂三に十香たちが駆け寄ろうとするが、狂三本人がそれを手で制止する。
「わたくしに構わず、今は士道さんを」
「しかし……」
「すぐに追いかけますわ。早く士道さんを、
「む……わかった!!」
意味深な言い方と、狂三のただならなぬ様子に十香は強く頷いて彼女の意思を呑む。皆も狂三を案じているが、同時に士道のことも捨ててはおけないのだろう。狂三が満足気に首肯するのを見て、躊躇いながらも走り出す。
「シドー……ッ!!」
無事でいて欲しい。士道も、そして狂三も。当然であり、大切な感情のままに十香は走った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
雪が降っている。十二月の頭、しかも都内とあっては気の早すぎる雪景色。加えて、幾つもの美しい氷の燭台に次々と火が灯っていく。
幻想的な道を作り、その真ん中を闊歩する少年。周囲の人たちも、彼の登場を祝福するように拍手喝采を上げた。
仮にこれが舞台の出し物だと言うなら、かなりのものだと琴里も賞賛しよう。が、これを成しているのが――――――
「ぐ、小癪な。なんだこの登場は。士道の癖に、ちょっと格好いいではないか」
「指摘。耶俱矢、そういう問題ではない気がします」
琴里の兄、五河士道だと言うなら話は別だ。〈ラタトスク〉に指示されて、などということも断じてない。これは、士道自身がやっていること。
つまり、超常的な現象を彼が引き起こし、自由自在に操っている。その事に、琴里は全身が震え上がった。
「これは……まさか、四糸乃の力に、私の力――――――それに、周りの人たちを美九の力で従わせてるっていうの?」
「シドー!!」
「――――――ああ、十香か。それにみんなも。どうしたんだ、そんなに慌てて」
目の前に躍り出た十香が叫んだことで、士道がようやく琴里たちを認知する。その声色だけなら、いつもと変わらない。優しい声――――――それだけで済んだなら、どれほど良かったことだろう。
周りの光景が、士道の平然とした様子が、琴里の中でひたすらにエマージェンシーを鳴らし続けている。十香に続く形で駆け出し、琴里は力の限りで叫びを上げた。
「どうしたもこうしたもないわよ!! そんな状態で病院から抜け出すなんて、何を考えてるの!?」
「ああ……悪かったよ。心配かけちまったな。でも、もう大丈夫だ。身体の方は全然問題なし。それどころか、前よりも力が漲ってるくらいだ」
「士道、あなた……」
両手を広げ、士道が誇らしげに声を発する。こうして力を発揮できることが、
「見てくれよ。これでみんなと一緒に戦える。みんなにばかり危険なことをさせなくて済む。そうだ、
「士道ッ!!」
違う。それは違う。士道は、誰よりも一番危険な目にあっている。その士道が、身体の危険を押してまでそんなことをする必要がどこにある? 琴里も、そして時崎狂三も、
尋常ではない様子の琴里に、士道がようやく言葉を止めた。僅かに息を吐き、琴里は言葉を続ける。
「お願い。落ち着いて話を聞いて。今、あなたと私たちの間の
「危険な状態? 処置って一体、何をするんだ?」
「それは――――――」
「私たち全員と、情熱的なチューをするんですよー」
琴里の言葉を遮って、美九が器用に腰をくねらせながら声を発する。一瞬、美九の言葉に目を丸くした士道だったが、不敵な笑みを浮かべて琴里へ近づき――――――
「な……っ」
「本当か? それって、琴里が俺とキスするために言った嘘ってことはないのか?」
「はぁ!? 何冗談言ってるのよ!! そんな場合じゃ――――――」
『あー』
「『あー』って何よあなたたち!?」
少なくとも、耶倶矢、夕弦、美九、七罪、折紙の五人には琴里が職権乱用でやりかねないと思われているという事実に、琴里は顔を真っ赤にして吠えた。
あまりに失礼すぎる。そりゃあ、出来たらいいなと思う瞬間はあるし、けれどやるなら自分一人で出来るシチュエーションをバレないように仕込んで――――――いや、そんなことを考えている場合ではない。
琴里たちを見て愉快そうに笑う士道が、身を翻し声を発した。
「冗談だよ。俺の可愛い妹が、私利私欲のためにそんな嘘を吐くはずがないじゃないか」
「……っ、あなたねぇ……!!」
「でも、せっかく手に入れたこの力を失うのは惜しいし、何より、みんなとのキスを流れ作業的にやってしまったんじゃ勿体ないな。せっかくの機会だ。どうせなら、素敵な思い出にしたいじゃないか」
ぱちりとウインクする士道を見て、琴里はなんとも言えない汗を垂らす。似合っていないわけではない。似合いすぎている、のだ。
それはまさに、〈ラタトスク〉が精霊攻略時に
「……やはり調子が悪いのではないか、シドー」
「まさか、すこぶる良好だよ。愛しい十香」
「む、むぅ……」
十香も、それに他の皆も同じようなものだ。何せ、〈ラタトスク〉の選択肢でキザな台詞を口に出す時ですら躊躇うチェリーボーイの士道が、これだ。彼が躊躇わずこのような台詞を吐くことが出来た相手はそれこそ――――――まだこの場にいない、彼女だけだろう。琴里個人にとっては、悔しいが認めざるを得ない事実だ。
困惑する十香に構わず、士道は言葉を続けてきた。
「そこで、こういうのはどうだ? 今夜の十二時ちょうど、俺がみんなにキスをするっていうのは」
「十二時……?」
なぜその時間指定なのか。当然の疑問を、しかし士道は唇の端を上げ、いっそ憎たらしいほど似合っている微笑みで次の言葉を言ってのけた。
「――――――魔法が解けるのは十二時って相場が決まってるだろう?」
「…………」
恥ずかしげもなくそんな台詞を吐く士道に、琴里は更に汗を垂らした。士道は恥ずかしがることも気にする素振りも見せず、ただし、と指を一つ立てた。
「一つ条件がある。俺は今まで、霊力を封印するために、みんなをデレさせてきた――――――なら、みんなも、俺のことをデレさせてくれよ」
「な……」
「む……?」
「デレさせる……ですか?」
「ああ……まあ、正確に言うなら、もう既に俺はみんなのことが〝好き〟なわけだから、〝デレさせる〟って表現は適当じゃないのかもしれないけど――――――どんなやり方でも構わない。俺をドキッとさせてくれよ。俺が、みんなにキスしたくてたまらなくなるくらいにさ」
ばぁん、と。誰かがするような銃を撃つ仕草で士道は言葉を締めくくった。全員、そんな士道の提案に呆然とし――――――琴里が、烈火の如き怒りで声を張り上げた。
「聞いてなかったの!? 一刻を争うのよ!? そんな悠長なことをしてる暇はないの!!」
「はは、いいじゃないか、これくらい。人生は短いんだ。楽しくいこうぜ」
「ふ……っざ、けんじゃ――――――」
こうなったらと、士道を無理やり取り抑えようと考え耶倶矢と夕弦に激を飛ばそうとした琴里を遮るように。
「――――――あら、あら」
『――――――!!』
その、蠱惑で誘惑で、妖艶な声。世界に幾人といながら、ただ一人。全員が声の方向へ顔を向け、士道が
喪服のように黒いロングスカートを揺らし、夢魔は全ての視線を収斂させる――――――開かれた紅と、黄金の双眸へと。
「楽しそうではありませんの。わたくしも混ぜてもらいたいものですわ――――――ねぇ、士道さん」
「――――狂、三」
士道は恐らく、半ば無意識に彼女の名前を漏らしたのだと、思う。それほどまでに、お互いの名を呼ぶ行為に、
たったそれだけで、士道が向けていた視線の全てが狂三へと向かう。何時だって、彼の視線を支配できるのは彼女だけ。その事実に歯噛みし、けれどその事実に期待を寄せる琴里がいた。
彼女ならば、士道を説得できるかもしれない。他の精霊も同じように、生唾を飲んで打って変わった静けさで二人を見守る。
そうして、遂に時が動き出す。時が止まってしまったような静寂を断ち切ったのは――――――一陣の〝風〟だった。
「それじゃあな、みんな――――――さあ、俺をデレさせてみな」
言って、士道は空の彼方へと消えてしまった。〝風〟、八舞姉妹の精霊としての力すら、自在に扱う今の彼はやはり危険な状態――――――などということは、今この場において意味をなさない。
肝心なのは、たった今、彼がした行動である。
「……えっ?」
「む……む?」
「驚愕……うそ」
「へ……え、へ?」
誰もが驚き、呆然としていた。消えた士道を見上げ、完全に停止した狂三を見て、もう一度空を見上げる。結果は変わらないし、本当に時が止まって、時間が飛んだとかそういったこともない。
「だ、だーりんが……!?」
「士道さん、が……」
「あの狂三バカの士道が……!?」
「――――狂三を、
静かに最後を締めた折紙ですら、その驚きを全く隠せていない。
そう、たった今、あの士道が。常に中心に、時崎狂三を置いて世界を回しているバカ兄が――――――狂三を、明確に避けた。
ありえない。天地がひっくり返ってもありえないはずだ。だが、現実は起こってしまった。【
「狂三!!」
「し……」
『し?』
し……何なの、だろうか。ふるふると身体を震えさせ、キッと何かを堪えるように見開いた瞳が空を見上げ――――――
「士道さんの――――――馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
――――――〈ナイトメア〉一番の、心の底からキャパシティを超えた信念の叫び声が鳴り響いた。
多分、いや、間違いなく。二度とは聞けない時崎狂三の子供のような叫びだったと、精霊たちは後に語ることとなる。
二度目はないよキャラ崩壊な叫び。いや本当に今回限定ですよこんな狂三。きょうぞうちゃんファンの皆様に殺されそう。
多分、この小説で一番ありえない事案じゃないですかね。士織ちゃん事件ですら、あれ回避に成功したとしても狂三が悲しむような素振りをしてたら諦めて出て行ってましたよ。
これにどういう意味があるのか。士道は何を考えているのか。まあ敢えて言うのであれば、このリビルドでの彼は狂三をどう思っているのか、ですよね。彼は狂三の言った言葉を一語一句欠かさず覚えています、これもヒントです。案外、笑ってしまうものかもしれませんねぇ。
後半ばっかり語りましたけど、最初の独白も結構重要になるようなそんな感じなような。この二人、噛み合ってるようで本当噛み合ってない気がします。なんかお互いがお互いを凄い人扱いしているというか。自身を微妙に過小評価するというか。
10歩進んで9歩下がるみたいなことしてしまっている二人の関係も、深く焦点を当てていこうかなと。つまり、いつもの狂三リビルドです。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!