「止めやがらないでください琴里さん!! 真那が兄様を守らずして誰が守るってんですか!!」
「落ち着きなさい真那!! それ逆に士道の邪魔してるから!! お願いほんと今大事なところなの!!」
「あ、あの……そっとしてあげた方が……」
「かか、あの二人は相変わらずよのぉ……」
「指摘。耶倶矢が寂しそうです」
「きゃー!! あとちょっとですよだーりん!! そこを強気に押し倒して!! さあ!! さあ!!」
「……いや、それができないから二人して回りくどいことしてるんじゃないの? てか目覚めていきなり何やってるのよ」
「……何やってるの。は、私の台詞なのでは?」
やいのやいのと騒ぎ立てる彼女たちに少女の呟きは虚しく消えていく。別段、取り立てて聞いて欲しかったわけではないが、仮にも病室の手前でこの騒ぎ方はどうなのかと思う。
腕を組んで、はぁっとため息を一つ。抜け出せるタイミングが今しかなかったから来てはみたが、これでは様子を見るまでもなさそうだった。
「待って」
「っ……ああ、鳶一折紙」
早々に見切りをつけ、来た道を戻ろうとすると、一人だけ冷静に状況を俯瞰していた折紙が少女に気づいて足を止めにかかった。
ここで振り切るというのも不自然な形になってしまうし、霊力が封印された彼女と特に話さない理由もない。あくまで自然に、折紙とのやり取りに応じる。
「何かご用ですか?」
「あなたこそ」
「私は我が女王の様子が気になりましてね。ちょうど依頼された用事も切り上がったところだったので、ついでにと思ったまでですよ」
我ながら白々しい言い訳だ。嘘が綯い交ぜになった言葉を、ローブの下で微かに笑いながらスラスラと口に出した。
全てが嘘ではない。様子がどうしても気になったのは本当だし、依頼があったのも本当――――――実は抜け出す口実も含んでいるのと、依頼をこなした者が少女でないこと以外は、だが。
それを聞いた折紙は、表情を大きく変えるということもなく、少女が見る限り変わらない受け答えをする。
「そう。なら、見ていけばいい」
「遠慮しておきます。この騒ぎを見れば、無事かどうかなんて一目瞭然ですからね。私は素直に日を改めますよ」
それに、抜け出したことがバレると色々と面倒だ。ある程度計算はしているが、令音にいつ見つかるかはわかるものではない。なら抜け出さなければいいのではないかと言われるだろうが、一日中監視の目が光った病室など、基本的に自由行動をしている少女にとっては拷問に等しかった。
ひらひらと手を振り、振り返って歩き出そうとすると――――――
「待って」
「うぐ……っ」
今度はローブを引っ張られるという物理行使で阻止された。未だに痛む身体に衝撃が走り、苦悶の声が漏れ出る。
振り返れば、変わらない折紙が……否、ほんの少しだけ、雰囲気が違う彼女がいた。
「……なんです?」
「礼を言わせてほしい。私を止めてくれたこと。私を何度も、助けてくれたこと」
「……その時も言いましたけど、あなたを助けたのは私の私情です。気にする必要は――――――」
「それだけじゃない――――――私があなたを傷つけたことを、謝罪させてほしい」
ごめんなさい。そう、深々と頭を下げる折紙に、琴里たちも何事かと視線を向け始めた。
少女は折紙の謝罪に少しの間、押し黙る――――――だが、諦めたように息を吐き出した。
「……いつ気がつきました? 私、これでも頑張ったつもりなんですけど」
「歩く時の軸が〇・二度ほどズレている」
「それ発揮できるの五河士道相手だけじゃなかったんですか」
「冗談」
「…………」
一瞬、本気にしかけたとわかりもしない抗議の視線を送る。本当に、折紙ならやりかねないと思っていたし……誤魔化さなかったのも、少女の中の折紙はそこまで間抜けではなかったからだ。
「あなたの偽装に問題はなかった。あったとすれば、あなたの周りへの配慮」
そう言って、面を上げた折紙が視線を後ろへ回せば、嘘をつけなそうな良い子たちが並びに並んでいて、少女は納得がいったと何度目かのため息を吐く。
「……ああ、探った時の反応が目に見えますね。けど、それだけじゃ確信には至らないでしょう」
「士道と琴里の
「会話……? あの二人がそんなわかりやすいことするわけ――――――」
士道はともかく、琴里が折紙に勘づかれるような隠し方をするとは思えない。それを考えた時、ある一つの仮説が思い浮かんで少女は言葉を止めた。
彼女は、
「あー、わかりました。何も言わなくていいです。私は何も聞いていません」
「感謝する」
どこに感謝するというのか。会話が届かず、後ろで不思議そうな顔をしている琴里にバレなかったことだろうか。バレたところで、平然としていそうなのがまた折紙なのであるが。
少し前、士道が一人で少女のもとを訪れた時があった。恐らく、その時に自宅辺りで士道と琴里は少女のことを話し合ってしまったのだろう。それ自体に落ち度などない。当たり前の思考だが――――――自宅に個人用の、しかも身内の盗聴器が仕掛けてあるとか、誰が予想しろというのだ。
ただ、少女はそれだけに気を取られたわけではない。折紙が眉根を下げて、己の手の感触を確かめるように握り、言葉を発した。
「私に
「っ……」
――――――天使は、己を映し出す水晶のようなものだと、時崎狂三は語った。
それは、正しい。込められた感情に呼応して、
『……謝罪ができないのは、君が考えているより辛いものだよ』
令音の言葉が、少女の中で反芻されて裡より響く。
誰かを傷つけた感触を、折紙は覚えている。数々の人を傷つけたことを、鳶一折紙は忘れない。しかし、その中に少女が入っていることを少女自身は許せなかった。どうして、そんな余計なものを
「……もう深く関わることなんてないんだから、忘れてしまえば良かったのに」
「それはできない。私を絶望から救ってくれた士道を、みんなを、裏切れない」
「なら、私が忘れてほしいと言ったら?」
「それも、できない。私は忘れない――――――私が犯した過ちは、私のものだから」
復讐を誓った少女は精霊へと至り、真実を知った精霊は絶望の魔王へ生まれ変わった。そして今は、絶望から救い出された咎人として生きている。
「許してほしいとは思っていない。それでも、本当に、ごめんなさい」
「…………私は」
背負ってほしくない。少女は、少女という存在が誰かにとっての重荷になるなど、望んではいない。
けれど、この子は、この子
再び深々と頭を下げる折紙を、少女は悲しい目で見つめる。これから、この選択をした折紙に待ち受ける運命に対して。強く、悲しく、だけど美しいと思える折紙に対して。
「……私は、私の考えに従っただけです。あなたに責任なんて、感じてほしくなかった。何も知らないで、いて欲しかった」
それだけが少女の願いだったのだ。辛いと思うなら、いっそ忘れてしまえば楽になる。ただそれだけでいいのに、それを少女が望んでいて――――――けど、顔を上げた折紙の真っ直ぐすぎる目が、それを拒んでいると理解してしまえる。
「私はもう、知らないで後悔はしたくない」
「……誰も彼も、似たようなことを言ってしまえるのですね」
その強さは悲しさで、その強さは優しさだ。多くの人が逃避を選ぶ中、女王たちは決して逃げる道を選ばない。否、選んだ瞬間があったのかもしれない。それでも、再び険しい道を歩くことを選んでしまえる人たち――――――そんな人たちを、少女は好きになってしまった。
「……鳶一折紙。綺麗な、名前ですね」
「……?」
噛み締めるように言う少女を見て、折紙が小首を傾げる。名を、大切な名を、大切な両親から貰った。それは少女にとって、本当に――――――
「……私はあなたに背負ってほしいことなんてありません。本当はその謝罪も受け取りたくはない。けれど、それでは納得してくれないでしょう」
だから。と言葉を区切り、少女はそれを告げた。
「生きてください。あなたが幸せだと、心から思えるその時まで」
「え……?」
「あなたが両親に誇れるくらいに、幸せだと思ったその時、私はあなたを許します――――――だから、もう許してあげます」
だってあなたはもう、これ以上なく幸せでしょう?
少女なりの謝罪の受け取り方。それを聞いた折紙が、目を丸くして驚いているのが見て取れた。
「どうして……」
「あら――――――好きな子の幸せを願うことが、おかしなことですか?」
微笑みと共に放たれた告白に、今度は目を見開くのがわかる。尽く珍しいものが見られた。これこそ、どうして、と言いたげだなと少女はくすくすと笑う。
何があっても、どんな辛いことがあっても、少女が願うことはたった一つ。ただ、好きな子に――――――
「……あ」
「え?」
これは不味い。そんな声を上げた少女が、そそくさと早足に移動する。
「は、急に何よ」
「いえ、匿ってください」
具体的には、動向を見守っていた琴里の背中に隠れるように。隠れると言っても、ほぼ同じ体格の琴里の背に完璧に隠れられるわけではない。本質としては、今彼女と正面から向き合いたくないだけだった。
訝しげな目でおかしな様子の少女を見ていた琴里だったが、正面の道から現れた彼女の姿にきょとんとした顔を作る。
「……ああ。やはりここにいたね」
「令音じゃない。どうしたの、ってのは聞くまでもないけど――――――その車椅子は、何?」
誰も乗っていない車椅子をコロコロと押しているのは、思った以上に異様な光景になる。まあ、
琴里の素朴な疑問に、令音が真顔で応える。
「……どうやら病室がお気に召さない子がいるようだからね。いっその事、付きっきりで連れて回った方が大人しくなると思ったんだ」
「真顔で邪悪なことを言わないでもらえます?」
「……外を出歩きたいんだろう?」
「私は一人で出歩きたいんです。というか、動けるくらいに治ってるんですから構わないでください」
「……それは許可できないな。これは私なりの妥協案なのだが」
「そんな妥協案があってたまるものですか」
どこまでいっても平行線の睨み合いが続き、さしもの少女も参ってしまう。口喧嘩が強いわけではないので、至極真っ当な意見に勝てるはずもないのだが。
「むぅ……令音の言うことは聞いた方が良いのではないか? まだ傷が治っていないのだろう」
「同意する。自分の身体は労るべき」
「鳶一折紙には言われたくないんですが」
「この世界の私は、していない」
「都合のいい時だけ利用しないでくれません!?」
体良く世界改変を受けた自身の状況を活用するとは、全く良い性格をしてくれている。
見れば、周りも同調して令音側に付き始めていた。未だに隠れさせてもらっている琴里からは『もう諦めたら?』という視線が飛ばされてきていた。
冗談ではない。と冷や汗を垂らして退路を思考する。身を案じてくれているのは、百歩譲って認めている。だが、しかし――――――
「……じゃあ五河琴里。遊びに行きましょうか」
「は――――はぁっ!?」
素直に受け取るのは、少しだけ
だから、琴里を抱き抱えて、その場から退散した。
「逃げた!?」
「かか、良かろう。この颶風の御子から逃げ切れると思うでないわ!!」
「もしかして、捕まえられたら琴里さんと一石二鳥の大盤振る舞い!? きゃー、素敵ですー!!」
「そういうゲームじゃないと思うんだけど……あ、聞いてないわね。そうよね私の話とか聞く価値もないわよね」
「な、七罪さん……」
後ろから騒がしい声が聞こえてくるが、知ったことかと少女は足を急がせる。やはり、存分に身体を動かせるというのは心地が良い。そんなことを考えながら施設内をさ迷い始めた辺りで、琴里から呆れ半分の抗議を受けた。
「あなたねぇ、その場のノリで行動するのはやめなさい!!」
「あら、欲張っていいと言ったのはあなたでしょう。私は今甘いものが食べたい気分なので、おすすめのお店、紹介してくれません?」
「そういう意味じゃないわよ!! ――――――あなた、どうせ折紙に告白したのが今になって恥ずかしくなっただけでしょ!!」
「……さて、どうでしょう?」
その辺は、ご想像にお任せしよう。今は取り敢えず――――――珍しく考えなしに行動してしまったので、どう収集をつけるか、甘いものでも食べながら考えたい気分だった。
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「……何やら騒がしいですわねぇ」
「ん、混ざりたいのか?」
「べ、別にそういうわけではありませんわ」
「はは。じゃあ俺が様子を見に行きたいから、ちょっと付き合ってくれないか?」
「……し、仕方ありませんわね」
士道がどうしてもというなら、狂三としても皆の騒がしい様子を見に行くのはやぶさかではない。おかしそうな顔を作る士道を見て、やはり気分の高揚が抜けきっていないのではないかと自分を疑ってかかるが、まあいいだろうと士道の手を取りベッドから起き上がる。
ああ、とそんなことを考えていた狂三はふと声を漏らした。気分の高揚、で一つだけ解決していなかったことを思い起こしたのだ。
「ねぇ士道さん。どうしてわたくしのことを避けていましたの?」
「ぶふっ!?」
盛大に吹き出した。ただ、咄嗟に狂三から顔を背ける辺りは徹底しているな、と感心してしまう。士道が相手なら、それでなくても受け入れてしまえる自信があるが――――閑話休題。
ギギギギギ、という音が聞こえてきそうなほどにぎこちない振り向きを見せ、汗を流しながら士道が声を発する。
「……お、おおおお怒ってるか?」
「いえ、それは別段気にしてはいないのですけど……気になるではありませんの」
一般人にナンパをしでかしたことは、この際水に流してしまった方が士道のためでもあるだろう。本人があまり覚えていないことで弄る趣味は……少しは、あるかもしれないが。それはそのうちの楽しみとしておくとして、取り敢えずは本人が覚えていそうなことを聞いておきたかった。
あの時の士道は士道であって士道ではなかった。が、狂三を避けたのは間違いなく士道の意思だと狂三は読んでいる。うぐぅ、と呻いて葛藤しているのが何よりの証拠だ。
「わたくしのことを嫌いになった、ということならいっそわかりやすかったのですが、それはありえないでしょうし」
「うん、それはありえない。あー……笑わないか?」
「笑いませんわ」
にっこり。非常に説得力がない微笑みで言い切り、士道も観念したのか、それでも言い辛そうに頭を掻きながら小さくで呟くような声を発した。
「狂三が――――って言うから」
「……え?」
聞こえなかったわけではない。ぽかんとした顔をしてしまったのが、その証拠。しかし、士道はそれを聞こえていなかったと判断したのか、今度はやけくそ気味に少し大きな声で言葉を続けた。
「だから――――――狂三があんな俺を見たら泣くって言ってたから!! だから、あの時は思わず身体が動いてたっていうか……」
「…………ぷっ、ふふふ」
「わ、笑わないって言っただろ!?」
「ご、ごめんなさい。けど、何だか士道さんらしいなと思いまして、思わず微笑みが漏れてしまったのですわ」
「やっぱりそれ笑ってるじゃねぇか!!」
顔を赤くして声を荒らげる士道がおかしくて、またくすくすと笑えば士道が拗ねたように顔を背けて、狂三が冗談めかして謝る。
そんなくだらないやり取りをしながら、狂三は理由の合致と士道らしさに微笑みが止まらなかった。
士道自身が嫌だったのではない。狂三がこんな自分を見たら泣くと思ったから、士道は本能的に狂三を避け続けていた――――――ああ、ああ。そうか。この方は、何一つ変わっていない。どこまでも、狂三を思いやって、狂三の口にした
士道は最後まで、狂三を好きでいてくれる。それを感じたから、この人を信じられる。
「士道さん」
「……何だよ」
ブスっとした表情で顔を僅かに背けて応じるものだから、珍しい子供っぽい士道に愛おしさを感じて――――――ああ、そうとも。結局は、狂三が伝えることなんて、たったの一つだ。
その一つが大切で、狂おしい。
「――――――大好きですわ」
自然と溢れ出た微笑みで、狂三はそれだけを真っ直ぐに伝えた。
矛盾している。時崎狂三と五河士道は矛盾した存在だ。けど――――――この想いだけは、矛盾する螺旋の中で、何もかもを貫くほどに、輝いている。
何章かぶりにやっと大団円らしい大団円になった気がする!! 引きが不穏、次章に続く、大団円かと思ったかぁ!!とかしてたらそらそうよ。狙ったわけじゃないんですゆるして
というわけで、五河ディザスター完結となります。終章に向けて、各々の決意を新たに謎も残る。そんな章となりました。まあ惚気合戦はいつも以上でしたけども。
折紙にバレるパターンは幾つかあって迷ったのですが、折紙らしいやり方ってなるとやっぱ説得力あるのは盗聴器かなって(偏見) やっと明るい感じの絡みにできて良かったです。
士道が狂三を避けた理由は、万由里編の何気ない冗談でしたというオチ。わかってしまうと、まあ何とも……元々これをするための伏線ではありました。士道は高らかに宣言していましたからね。狂三の言ったことは一語一句忘れない、と。
次回からは新章、二亜クリエイションをお送りいたします。全知の天使とその精霊を巡る物語――――何かが、大きく動いてしまう、かもしれません。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!