第百二十話『第二精霊』
「――――――以上が、第二精霊に関する経緯になりますわ」
「……なるほど。〈シスター〉――――本条二亜は、DEMからの脱走に成功した、と」
戻ってきた病室で軽く身体を動かしながら、少女は
狂三が求めていた精霊・〈シスター〉。DEMに監禁されていた彼女の奪取を試みたこと。その中で、奇しくも士道と狂三が脱出の手助けとなったこと――――――結果的には、〈シスター〉が単独で姿を消したこと。
「……ふむ」
「あら、何かご不満がありまして?」
「不満、と言うよりは……」
「――――――違和感を覚える。という方が正しいようですわね」
超然とした微笑みを見せ、少女の考えを見事言い当てて見せた狂三に首肯を返す。
付き合いの長い彼女が相手なら、少女の意図を容易く読み取っても不思議なものではない。彼女もまた、『時崎狂三』という一個体なのだから。
「一体どこに疑問を感じましたの? 『わたくしたち』の行動で輸送機の護衛が消え、そして士道さんと『わたくし』の力で輸送機は墜落。ええ、ええ。何とも、DEMインダストリーにとっては都合が悪い展開ですこと――――――いえ、自然すぎるくらいに、とお考えですのね」
「……ええ。些か、
「考えすぎではありませんの、とは敢えて言いませんわ。それだけの理由があるのでしょう?」
「そうですね――――――〝アレ〟が関わっていると、ろくな事にならないという私の勘ですよ」
〝アレ〟がこんなにも簡単に自分の手の内の駒を手放す? いいや、ありえない。ありえるわけがない。少女は〝アレ〟を信用している。無論、五河士道とは真逆の一番悪い意味で、という注釈がもたらされるが。
「……本条二亜の件は五河士道と狂三にお任せしましょう。私は、
「よろしいんですの?」
「もちろん、彼女の天使と万が一を考えて狂三側には手を打っておきました。五河士道に関しては、私がなにかするまでもなく本条二亜と出会いますよ」
精霊である以上、
少女の言葉を聞いた狂三が、ニィッ、と凄絶な笑みで好戦的な血を昂らせていた。
「きひ、きひひひッ!! 思っていた通り、面白くなりそうですわねぇ」
「……退屈はさせませんよ。あなたにも、今回は私から頼みがあります。それも、少々と大胆な、ね」
少女からの意味ありげな言葉に、狂三が目をぱちくりと瞬かせ、一転して微笑みを浮かべる。
「あら、あら。珍しいですわね。わたくしは、半ばあなたの依頼で裏方に徹していましたのに」
「ええ。ですが、今回ばかりは失敗するとこちらが苦い顔をすることになりそうですから。向こうが駒を動かしたなら、こちらも存分に駒を動かします。まあ、生憎こちらのキングとクイーンは忙しい身です――――――ですから、
肉体の調子は、間に合わせられるかどうか。未だ違和感の残る身体を動かし、少女は期間の予測を立てる。
クイーンがまた一人帰ってきたのだ。みすみす、これを好きにさせるつもりはない。まだこちらの駒は隠されている――――――物語の
「うふふ。どうせなら、もう少し位が高い駒を望んでもよろしいのではなくて? わたくし、少し不満ですわ」
「いいじゃないですか。私より価値が上ですよ」
文句にも似た言葉を吐くものの、狂三も心なしか楽しげな微笑みを咲かせている。少女も実のところ、心が踊っていないといえば嘘になる。
当然だ。何せ、千載一遇の機会。歯牙にもかけていない存在が、夢にも思わない方法で仕掛けてくる。その時の顔を、是非とも拝んでみたくはないか?
「さあ――――――あのいけ好かない顔を、愉快に歪ませてやりましょう」
計画のため。狂三のため。五河士道のため。色々と理由は付けられるが――――――一番はそれだと、少女は仰々しく笑って見せた。
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服が擦れる音と、紙を捲る音だけがゆったりと鳴る。
検査用の衣服を脱ぎ、綺麗に畳み込み、いつもの黒服へ袖を通す。射干玉の髪を軽く整え、二つに結わえ終える。愛しの彼がいれば、実は密かに自慢できる白く滑らかな肌で誘惑しようかと思案できるものではあるが、残念なことに紙をペラペラと捲る彼の妹様に追い出されてしまっていた。
無事に見慣れた装いとなり、手鏡で最後の調整。いついかなる時も、努力を怠らないのが淑女たる所以だ。とまあ、淑女らしくないげんなりとした顔をする真紅の軍服を纏った少女を見て、狂三も思わず吹き出しそうになってしまったのだが。
「そのご様子では、どうやら面白みのない結果でしたのね」
「ええ、ええ。本当に、ほんとーっに!! 大変不本意な結果しか出てくれないわ」
目の前の誰かさんを真似ているのか、言葉を繰り返し八つ当たりのように睨む琴里を狂三はくすくすと笑いながら見返した。
「うふふ。最新鋭の
「笑い事じゃないわよ!! あなたたちのことなんだからね!!」
うがーっ、と資料を何度も叩き狂三くらいにしか見せない雑な怒り方をする琴里を見て、狂三はまた笑みを深める。
士道と精霊たちの間にある
普段の狂三ならのらりくらりと躱して終わり、というのが定例だが、今回ばかりは狂三も大人しく検査を受けていた。なぜかと言えば、当然のことながら士道との間に形成されたと言われる謎の
「意味がわからないわ。今だけは地球の全部がわかる本棚が欲しい気分よ」
「あら、あら。わたくしの前で、珍しく弱気ですのね」
「今さら何よ。多少なり結果が出てるならこっちもやりようがあるけど、半月以上何もわからないなら本当にお手上げなのよ」
確かに琴里の言うように、半月前は絶対に解き明かしてやると意気込んで総力を上げて取り組んで、結果は何もわかりませんでしたとは気が抜けてしまうのも無理はない。仮に、〈フラクシナス〉の設備が使えたとしても、結果にさしたる差は見られないだろう。
それを差し引いても、些か会話の距離が近くなっている気がして狂三は少しばかり首を傾げた。まあ――――――狂三としても、悪いものではないのだが。
手を使って降参のポーズを取り、琴里がはぁっと深いため息を吐く。
「そこにあることさえわからなくなってるなんて、夢でも見ていた気分だわ。あなたは何か身に覚えはないの?」
「身に覚え、と仰られましても……」
頬に手を当て、記憶を思い起こす。現状、〈
しかし、その根本的な繋がり。つまり、この現象の始まりは何なのか、と身に覚えを聞かれると狂三も答えあぐねる。気がついたのはいつか、ならば答えられるなと狂三は唇を動かした。
「違和感を持ち始めたのは、耶倶矢さんと夕弦さんの一件からですわ」
「士道たちの修学旅行の時? 相当前からね……」
「ええ。少なくとも、それ以前にこのような違和感はありませんでしたわ。そうですわね……遡るなら、あの屋上の一件までは、ですわ」
「ああ……」
琴里がなんとも言えない声を吐き出し、苦々しい顔を作る。かくいう狂三も苦笑気味で似たようなものだ。あの時のことは、今の距離感でなければお互いに火傷してしまいかねない案件なのだ、無理はない。
「とはいえ、あの直後はわたくしは動けず、琴里さんも霊力封印騒動がありましたし、間に何かがあったとは……ああ、ですが、思えばあの時からですわね。士道さんがわたくしの気配を妙に鋭敏になりましたのは」
「士道が?」
初耳ねと言わんばかりに目を丸くする琴里に首肯を返す。そう、思えばあの時期からだった。
「わたくしの接近を誰よりも早く察知したかと思えば、そうでない時も多々ありましたの。ですので、わたくしなりに実験まがいのことをしていたのですが、わたくしに気がつく時は決まって、わたくしと会っていない期間が取られている時だけでしたわ。まあ、逆をいえばその程度しか――――――あら、凄いお顔ですこと」
「……それ、禁断症状か何かじゃないでしょうね」
何とも表現し難い顔で琴里が言うものだから、狂三も釣られて神妙な顔で顎に手を当てた。流石に、禁断症状とかそういうものではないと思いたい。
「いえ、さすがにそうとは……琴里さん、もしや羨ましいんですの?」
「な……っ。そ、そんなわけないでしょ!! ま、まあちょっとだけそう思わないこともないことはないけど!?」
素直なのかそうじゃないのか。あやふやな反応で顔を赤らめる琴里。からかっておいて何だが、士道と一緒に暮らしている琴里では仮にこの現象が起こったとして、一体いつ役に立つのかと狂三は内心で苦笑をこぼす。
「琴里さんの感情論はともかくとして、変化という変化で思い浮かぶのはその程度ですわ。あとは、以前お話した通り〈
「未来予測、意識共有、ね。新しい能力が発現するパターンはありえるけど、元々の力が能力範囲を大きく上回って変質するのは、驚きという他ないわね……」
ある種の畏怖がこもった声色の琴里だが、狂三も大体は同意見だ。長年精霊として過ごしてきた狂三と言えど、自らの天使の予想外の進化には驚かざるを得ない。
いざ扱う、となると土壇場で受け入れてしまっていたが、実戦でどう変化するかわからない力など本来であれば正気の沙汰ではないのだ。成立しているのは、一重に自らの一部と言える〈
「――――というか、未来予知なんて力があるなら、それを使って何かわかったりしないの?」
「なかなか大胆なことをお考えになりますわね」
精霊の力を封印して保護する〈ラタトスク〉がそれでいいのか、とも思うが、現状封印される気がない狂三が相手ではあるし、何より不明のまま爆弾を抱えておくのはナンセンスな話なのだろう。
まあ、案としては悪いものではない。予測材料はこれでもかと揃っているし、あとは能力発現さえ可能なら。そう思い、一度目を閉じて意識を集中させ――――――瞬間的に、これは無理だと悟り眉をひそめた。
「……ああ。無理ですわね」
「? どうしたのよ、急に」
「――――〈
聞いた途端に目を丸くする琴里に、それはそうだろうなと狂三も困ったように息を吐いた。
「【
大きく力を変質させたのは【
士道との繋がりが不安定なのか、はたまた狂三自身に何か原因があるのか、それとも全く別の問題があるのか。どれにせよ、
「私のも大概だけど、あなたのもかなりの問題児ね」
「……こればかりは、否定しかねますわね」
神妙な顔で頷けば、狂三の中から天使の抗議の幻聴が聞こえてくる気がした。己が誇る天使を自慢するだけの自信はあるとはいえ、否定材料がないのは事実だ。
琴里の〈
「……はぁ。謎が増えて頭痛くなってきたわ。何か甘いものでも食べに行きましょ」
「よろしいんですの? 今、士道さんがお夕食の支度をし始めるはずですが……」
「甘いものは別腹なの。それに、これからちょっとした力仕事があるのよ」
「力仕事?」
「真那よ、真那。今日こそ徹底的に検査してやるんだから」
ぱきぱきと指を鳴らし、とても検査をする人間を相手にするとは思えない鬼の形相の琴里を見て、狂三はああ、と納得する。納得してしまうのはおかしいはずなのだが、真那の立場を考えれば納得する方が正しい。
士道が霊力を暴走させた折、裏では彼女がエレンを相手取り時間を稼いでいた。結果的には、狂三もそれに助けられたので後になんとも言えない気分になったのだが、それは置いておこう。
問題は、
「まったく、あの子は音信不通になったと思ったら令音とは連絡を取り合ってたなんて……けど、絶対抵抗されるわね。どうせならあなたも手伝ってちょうだい」
「……それ、わたくしと真那さんの関係をわかって仰っていますの? いえ、仰っていますわね」
苦笑を通り越してもはや苦々しい顔を作る。いつもの意趣返しなのか、即座に刃が飛んでくるような関係ではなくなった……のかはわかりかねるが、未だ冷戦状態の狂三と真那と鉢合わせるなど正気の沙汰ではない。
「私は使えるものは使う主義なのよ。ここで逃がしたら、あの子本当に雲隠れしかねないわ。……ずっと気になってたんだけど、あなたと真那ってどれくらいからの付き合いなの?」
「わたくしのプライバシーはないのですね……まあ、構いませんけれど。それなりの付き合いですが、初めは分身であしらうには面倒な
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「……あそこまで距離が縮まると、歳の近い友人にしか見えませんね」
遠巻きから見つめていると、並んで歩く狂三と琴里が年相応の友人同士にしか見えない。事実として、会話などの内容もそれ相応のものと言っていいだろう。まあ、少しばかり一般的には使わないものも含まれてはいるが。
「……ジェラシー?」
「現代用語を使えばいいってもんじゃないと思いますよ。というか、それをそっくりそのままお返ししてもいいくらいです」
ローブの下でブスッとした顔を作り返してやるが、相変わらず鉄仮面を剥がすには至りそうにない。そっくりそのまま返したところで、
「……あの子なりに、思うところがあったんですかね」
「……かもしれないね。琴里も、少しは肩の荷が下りたみたいだ」
琴里は士道の命を陰ながら握っているという罪悪感からようやく解き放たれ、狂三は狂三なりに素直な気持ちを吐き出した。それを推し量れるのは当人たち以外にはできないことだが、少なくとも以前に比べれば遥かに関係性は良好だ。
「……あの子が、あんな風に人と本音で話せるのは嬉しいものですね」
「……青春、というものかな」
「それ、ちょっと年寄りくさいですよ」
「……そうかい?」
小首を傾げる仕草は、どう見積っても若い美人にしか見えないというのに、どうして表現の仕方が微妙に古風で少女は苦笑いを作る。
一時はどうなることかと思ったが、狂三なりに感じるところがあったのだろう。今までは、どうしても精霊たちとどこか壁を作っていた狂三が、今はあんなにもすっきりとした顔で楽しげに日常を過ごしている。それが少女にとっては何よりも嬉しい――――――たとえ、限られた時間の中だとしても。
「――――――とても、幸せだね」
令音が、慈愛と悲哀を綯い交ぜにした言の葉を吐き出した。
何一つ、嘘はない。令音はこの光景に幸せを感じている。偽りなど一つたりとも存在しない。彼女は本当に、そう思っている――――――思っていながら、止まらないのは誰もが同じであってしまうのか。
「……ところで」
「……うん?」
それは、それとして。
「……いつまで車椅子なんです?」
「……不満かい?」
「どうして不満じゃないと思うんですか」
即答したら、少しだけ残念そうな顔をする令音を見上げながら、少女は仕方なしにため息を吐く。やはり、彼女は苦手だ。
一方その頃。
「……お腹、空いた……」
「………………は?」
士道は、行き倒れの少女と出会った。
章と話数のタイトル飾ってその登場はどうなの本条二亜。それでいいのか本条二亜。そんな彼女の活躍は次回へ続く。
はいそんなわけで二亜クリエイション。何か久しぶり一巻を純粋に章として書いてる気がします。五河ディザスターが〈アンノウン〉編も含んでたのが大体の原因。もっと言えば折紙編をほぼ全てやり切ったのも原因。つまり全部私のせいだHAHAHA。
天使問題児コンビが仲良くなったところで能力整理。使用不能の四、六の代わりに異様な伸びを見せる五、一〇(あと隠れて一も)ですが、常に変化してるってわけじゃありません。それは前章で分身が【一〇の弾】を使った時にも確認できていますね。狂三にも原因がわからない以上、確定で変化させられるわけではないという。
さて、裏方コンビが今度は何を企んでいるのか。素直に車椅子に乗る少女の心理は如何に。後半は冗談です。乙女の心は複雑なんですよ、押す側も含めて、ね。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!