デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百二十三話『決意と矛盾の揺らぎ(カオス・ナイトメア)

 

 

 全知という知識を得た人間は、しかし全能ではない。人は人であるが故に、全知全能などという存在にはなりえない。

 

「……ふん」

 

 二亜自身が、何よりそれを証明してしまっている。積み木のように重なり、溜まりに溜まった漫画やライトノベルの山の消化も、新しいアイディアも考える気にならない。

 休む時間が必要な時はあるが、これは無気力で無意味な時間を消費しているだけだと二亜は天井を見つめその理由を吐き出した。

 

「……あたしも舐められたもんだよねぇ」

 

 彼に期待がなかったか、と言えばそうではない。むしろ、二亜は期待していたから士道と接触したのだ――――――この素晴らしくも忌まわしい力を、無くしてくれるかもしれない可能性として。

 ただ結果は、二亜の期待に応えられるものでは――――――

 

「……ああ、違うか」

 

 ぽつりと呟いた己の声は、どこか悲しげだった。

 士道ばかりが悪いわけじゃない。彼らも、無為に二亜の領域へ踏み込んできているわけではない。だって、信じられないのは、二亜の方なのだから(・・・・・・・・・)

 無言で虚空を撫でれば、すぐさま一冊の本が現れる。

 

「…………」

 

 全知の天使、〈囁告篇帙(ラジエル)〉。この世の全てを閲覧することができる、最高で最悪の天使。

 二亜が精霊としてこの世に降り立ち、その過程で〈囁告篇帙(ラジエル)〉に助けられたのは言うまでもない。大した欲望も持たない二亜は、生きていければそれでいいと思っていた――――それで満足していれば、良かったのに。

 

 ――――――自分は一体、どのようにして生まれたのだろう。

 

 精霊として当然の疑問であり、答えられるものがいないはずの疑問。だが、二亜だけは違った。答えを持つ全知の天使を持ち合わせ、なおかつ人の知りたがる欲に勝てるほど二亜は全能ではなかった。

 それを知ろうとして、知ってしまったその瞬間――――――本条二亜は、孤独になった。

 今の自分が生まれた理由。以前の自分(・・・・・)が生まれ変わった意味。それは二亜に人への不信感という猛毒を仕込み、〈囁告篇帙(ラジエル)〉によって人の裏側に潜む欲を知り、遂には二亜を裏切ることがない(・・・・・・・・・・・)者……想像上の人物にしか、心を許すことができなくなってしまった。

 だから、無駄なのだ。士道たちがどれだけ手を尽くそうと、救いようなどない。二亜は〝士道〟がキャラクターになろうが、現実から参考にされたキャラなど好きになるはずもない。仮に好きになるよう美化されたとして、それは〝士道〟であって士道ではない。ゲーム的に言えば、わかりやすく詰んでいる(・・・・・)のが二亜攻略ルートだ。

 

「……ま、そもそも勝てればの話だけど」

 

 二亜に売り上げで勝てなければ、彼らが完成させる本が二亜の目に入ることすらない。勝てなければ、そこで終わり。二亜は現実の人間に心を開くことはなく、一生〈囁告篇帙(ラジエル)〉と付き合い続けるだけの人生が待っている。

 己が考え、念じたことを記し、伝えることのできる究極の知恵。好奇心という猛毒で二亜を犯し続ける天使。今も手を伸ばせば、二亜が知りたい情報が流れ込んでくることだろう。

 

「……っ!?」

 

 たとえば、たった今鳴り響いた部屋のインターホンを鳴らした人物(・・・・・・)のこと、だとか。

 普段の二亜なら、さすがにそこまでは考えない。しかし今は、一度〈ラタトスク〉に荷物を仕込まれた直後。そして偶然、驚いた勢いで触れた〈囁告篇帙(ラジエル)〉がパラパラとページを開き始めてしまった。恐らく、触れた瞬間に考えていた訪問者が誰なのかを伝えるために。

 あちゃー、と頭に手を当てながら起き上がる。まあ、知ったところで大した問題にはならない。士道たちも今さら作戦を変え、愚策をしようとも思っていないだろうし、今回は本当に宅配か何かだろうと高を括り――――――

 

 

「――――ウェイッ!?」

 

 

 読み取れた情報に、二亜は自分でも聞いたことがないような声を上げてベッドから転げ落ちた。その衝撃で本の山が雪崩を起こすが、気にしている余裕もなく慌ててインターホンの画面目掛けて駆け抜ける。足の踏み場も怪しい部屋だが、何とか躓くことなく通話ボタンまで辿り着き、ボタンを押して声を発する。

 

「……は、はーい?」

 

 勢いのわりには、何とも情けない声だったが、それほどまでにこの訪問者に驚いてしまったのだ。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉がバグか何かを起こした、という可能性をこの瞬間考えはした。考えはしたが、その可能性でさえ次の瞬間には撃ち抜かれてしまった。

 

 

『初めまして――――――というのもおかしな話ですわね、本条二亜さん』

 

 

 艶かしい声に、同性の二亜ですらゾクリと震え上がるような感覚を覚える。

 声だけで、人を呑み込みかねない異常なほどの魅力。聞くもの全てを問答無用で虜にしてしまうような蠱惑の音色。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉は、一つも間違った知識をもたらしていない。この通話の主こそ、今の今まで二亜が覗くことができなかった(・・・・・・・・・・・)数少ない精霊。その名を、二亜は息を飲んで言い放った。

 

 

「そうだね。でも一応礼儀になるかな――――――初めまして、時崎狂三(・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あー、えっと、粗茶ですが、どうぞ……」

 

「あら、お気遣い感謝いたしますわ。突然の訪問で歓迎いただいたことにも。これは、お詫びの品ですわ」

 

「ど、どうも」

 

 テーブルの上でソソクサとやり取りされる品に、二亜はなぜこんなことになったのかと天を仰ぐ――――あ、これちゃんと作業中にも食べやすいタイプのお菓子だ。いや、そうではなくてと改めて正面に座る少女の容姿を確認する。

 美人だ。二亜からすれば眩しすぎるくらい美人だ、ではなく。のんびりと二亜が入れたお茶を啜り、ほぅ、と息を吐く仕草すら――――いや、感想がおっさんか!! それでもなくて、しっかりと容姿を認識する。

 均等に結われた黒髪。モノトーンを基調とした服装。どこを見ても、似合いに似合う普段着(・・・)。神か悪魔に愛されたとしか思えない顔立ちの中に潜む、神の御業――――時崎狂三が〝精霊〟である証たる、左目の金時計(・・・・・・)が僅かながら見え隠れしている。

 〈ナイトメア〉、時崎狂三。様々な理由から二亜が助けられた形になった精霊が、何故か自ら訪ねてきたことに二亜はこれ以上なく混乱することとなった。しかも、招き入れた結果粗茶を呑気に啜っているのである。荒事ならいっそわかりやすいのだが、そういうわけではないなら何だと言うのだろうか。

 

「……それで、どういったご用件かな。キミから恨みを買うようなことをした、とか?」

 

「そんなに警戒なさらないでくださいまし。知りたいのであれば、その全知の天使で知ることも可能なのでしょう――――――わたくしの〝力〟でさえも」

 

「…………」

 

 こちらを試すような物言い。二亜は目を細め、左手で今一度虚空を撫で〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手元へ導く。

 知りたいのは時崎狂三――――その〝天使〟。一度は調べながら、何かしらの干渉によって閲覧できなかった(・・・・・・・・)知識が、瞬間的に二亜の知識に変換された。

 

「……うわ、何このチート」

 

 額に汗を滲ませ、思わず二亜は小声でそうこぼしてしまう。

 天使、〈刻々帝(ザフキエル)〉。能力、時間加速、時間停滞、時間停止、対象時間の切り離し――――――時を超える力と、未来予測。

 二亜がこの能力をモチーフに漫画を作れと言われたら、まず間違いなくラスボスに据えるだけの能力をしている。彼女なりに苦労するデメリットはあるようだが、悪用された場合の危険度は〈囁告篇帙(ラジエル)〉とタメを張れる恐ろしさがあった。これを〝チート〟と言わず、何を反則と謳えばいいのか。

 そんな慄く二亜の様子を、くすくすと可笑しそうに狂三が笑う。

 

「法外な〝天使〟を扱う二亜さんが、それを仰いますのね」

 

「いやいや、キミにこそ言われたくないんだけど……」

 

 お互い様、ということになるか。これがまた違った対話の仕方であれば、二亜はこのように口を滑らすこともなかったのかもしれない。が、異様なほど警戒心、又は闘争心といったものが感じられない狂三に、二亜の警戒度も自然と緩んでしまっていた。

 無論、無警戒というわけではない。しかし、二亜の天使は情報というアドバンテージを得ているが、狂三の天使に対して実力的な面を覆すことは不可能だ。

 仮に狂三と今から戦闘になったとしても、勝ち目など万に一つも存在しない。だから二亜は、二亜なりに狂三の作る流れに乗っている。それが最善手と判断して、だ。触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだと内心で自身を勇気づけるように笑う。

 二亜が考えていることが悟られたのかは不明だが、狂三が少しばかり苦い微笑みを浮かべ声を発した。

 

「申し訳ありません。わたくしを調べられる際、無用な警戒を抱かせる事象が存在していたようですわ。今は問題ありませんので、ご心配なく」

 

 言い回しからして、〈囁告篇帙(ラジエル)〉の力を弾いたのは狂三自身ではない。閲覧した力の中にも、〈囁告篇帙(ラジエル)〉をピンポイントで防げるような力は〈刻々帝(ザフキエル)〉の内部にはなかった。

 なら、生じたのは外部からの介入(・・・・・・・)。そこまで考えてしまえば、〈囁告篇帙(ラジエル)〉は明確に介入者の存在を二亜に伝え、聞き慣れない対象に目を丸くして言葉を放った。

 

「〈アンノウン〉。キミの連れ、かな?」

 

「――――――素晴らしいお力ですわ。わたくしとしても少々予定外でしたので、対応に時間がかかってしまいましたの。……まったく、あの子の方が余程頑固者ですこと」

 

「……?」

 

 愚痴っぽく何かを吐いた狂三に首を傾げると、一転して綺麗な笑顔でなんでもありませんわ、と返された。何やら彼女も、問題を抱えていないわけではないようだ。

 しかし、わざわざ狂三をピンポイントに情報をジャミングするとは、〈アンノウン〉という精霊は二亜をそこまで警戒していたのか。〈囁告篇帙(ラジエル)〉の存在を知り、二亜が狂三の情報を横流しする勇気があると思っていたのなら、とんだ過大評価もあったものだと一瞬考え――――――あくまで想像だが、もう一つの考えを予測する。

 時崎狂三は〈囁告篇帙(ラジエル)〉に負けず劣らずの天使を持つ。時間操作に高次元の未来予測など、普通に考えればチートもいいところだ。だから恐らく、〈アンノウン〉は狂三を戦力的な意味で過小評価はしないのだろう。しかし、狂三が対応できない力――――そう、まさに〈囁告篇帙(ラジエル)〉のような全てを丸裸にする能力となれば、話は別だ。

 キミの連れ、と二亜は言った。そして狂三は、それを否定しなかった。それはつまり、それ相応に近い距離にいる精霊同士ということになる。その相手からの干渉を〝予定外〟と語るということは、〈アンノウン〉の単独犯――――二亜が何を考えていようと、二亜がどんな人物だろうが関係はない。狂三の情報が漏れることを万が一にも防ぎたかった、というのが二亜の想像だ。

 情報というのはそれほど力になるし、貴重なものだ。果たしてこの考えがどこまであっていて、〈アンノウン〉がどこまで考えて狂三の情報を遮断していたのかまでは、二亜もわかりかねるが。

 人間不信のくせに、妙に人間観察が冴えているのは皮肉だとその意味のまま二亜は笑う。

 

「……それで、わざわざ情報のアドバンテージを手放してまで、あたしに一体何のご用?」

 

 最終的な問題は、〈アンノウン〉ではなく狂三だ。二亜に対して圧倒的な優位性を持って従わせられる手を自ら手放し、乗り込んでまで何を求めるのか。

 

「まさか、恩を返して欲しい――――なんて理由?」

 

「お話が早くて助かりますわ」

 

「……へぇ」

 

 その恩を返させるために、ここまで用意周到に敵意がないことを示すとは、なかなかに肝が据わっている。

 顎を撫でて、狂三の用事とやらを推察する。二亜にできて、狂三にできないこと。情報に敏感な漫画家として、そこまで勘は鈍くないつもりだ。

 

「キミには確かに恩がある。けど、あんまり無茶なお願いは聞けないよ。生憎あたしは、見ての通り平和主義者なもんでね」

 

「ご安心くださいまし。これは極めて私的なお願い――――――状況が変わりまして、出来うる限り情報は握っておきたく、二亜さんにお願いをしに来ましたの。恐らく、この世で一番の知識を持つあなたに」

 

「持ってるのがあたしってわけじゃないんだけどね」

 

 苦笑気味に褒め言葉を受け取り、二亜は手を翳し〈囁告篇帙(ラジエル)〉のページを展開する。

 内心で何を思っているか悟ることは不可能とはいえ、少なくとも相手は礼節を尽くして二亜を頼っている。命の恩人がそうしているのであれば、二亜も相応の礼節を持って返すのが礼儀というものだろう。人を信じることができない精霊だとしても、それくらいは重んじておきたい。

 

「いいよ、引き受けた。何を知りたいのか……あたしと〈囁告篇帙(ラジエル)〉に答えられることなら、何でも教えてあげる」

 

「では、わたくしに教えてくださいまし――――――三十年前(・・・・)、この世界に現れたという『始原の精霊』。それが顕現した原因と理由、その正確な出現座標と時間、能力と……討滅(・・)の方法。そして――――――」

 

 言葉を切る前の願いですら、二亜の眉をひそめるには十分すぎる中身だった。

 狂三は、次の言葉を躊躇うように唇を開いたまま止めた。一瞬の逡巡。そののち、覚悟を決めたように花びらのような美しい色合いの唇を引き締め、開いた。

 

 

「〈ファントム〉と――――――〈アンノウン〉と呼ばれる精霊。両者の出自を、教えてくださいまし」

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――『始原の精霊』に関しては、こんなところ。この程度ではあるけど、少しはお役に立てたかな?」

 

「ええ、とても。わたくしが求めていたもの……これだけで、大変価値があるものですわ」

 

 戦力的な換算は度外視して、出現理由とその原因。それさえわかってしまえば、今の狂三ならやりようはある――――――そう考えることがてきるのも、全ては一度世界を変えた士道のお陰だと思うと不思議なものだ。

 狂三の満足気な頷きが伝わり、二亜は続けて〈囁告篇帙(ラジエル)〉に手を触れさせ、呼応するように本のページが仄かな輝きを放つ。

 

「もう一つ、〈ファントム〉と〈アンノウン〉に関しては――――――」

 

「っ……」

 

「――――ごめん、大したことはわからなかった。多分、キミが握っている情報と大差がない」

 

 それは、狂三にどような感情を起こす言葉だったか。

 

「……そう、ですの」

 

 ――――――少なくとも、失望や落胆などという感情では、なかった。これは、どちらかと言えば。

 

「知らなくてよかった?」

 

「え……?」

 

 二亜が微笑みを浮かべながら言ったその言葉が、限りなく正解に近いものだと思った。

 目を丸くする狂三に対し、二亜が皮肉げな顔を作り、乱れた髪を気だるげに掻き上げる。

 

「……そんな顔してるよ。〈囁告篇帙(ラジエル)〉でもわからなくて、ホッとしたんじゃない?」

 

「…………わたくしは」

 

 答えられなかった。なぜなら、二亜の指摘は正しく反論のしようがないほどの正論だったのだ。

 初対面の二亜に見抜かれてしまうほど、狂三の表情筋は緩くなったのか――――精神が、弱くなってしまったのか。

 知りたいと思った。知ってはいけないと思った。知ってしまったが最後、『時崎狂三』でいられなくなる気がして。

 真実とは猛毒だ。いつの日か、その人を殺す毒。その日を今とするか、全てが終わった後とするか――――――狂三は、悲願を果たした後を選ばなければならない。けれど今、狂三はまた知ろうとしてしまった。きっとわからない(・・・・・・・・)と、予防線を己の内に秘めてまで。

 気づいてはいけない。気づこうとしてもいけない。その境界線(ボーダーライン)を飛び越えた時、〝共犯者〟は狂三の前から消え失せる。そんな予感が、強く狂三を縛り付けていた。

 

「――――ごめんね。あたしが踏み込んでいい問題じゃなさそうだ」

 

 気遣わしげに表情を和らげ、ぱたんと〈囁告篇帙(ラジエル)〉を閉じる二亜。

 それを首を横に振ることで否定し、立ち上がって優雅に礼をしてみせる。

 

「いいえ。お気遣い、痛み入りますわ。これ以上お邪魔するつもりもありませんので、お暇させていただきますわ――――――試合(・・)の準備も、ありますでしょう」

 

「っ……お見通しってわけか。ま、準備って言ってもね」

 

 少しだけ驚いた様子を見せたようだが、それからは大した動揺もなく肩を竦めて余裕の表情を見せる二亜。

 唇に手を当て、狂三は煽るように言葉を紡いだ。

 

「自信はおあり、というご様子ですわね」

 

「そりゃ、あたしにもプロとしてのプライドってもんがあるのよ――――――負けるつもりはない、ってね」

 

「どんな手が使われようと?」

 

「もちろん――――――ドンと来いだよ」

 

 本条二亜は精霊であるなし関係なく、生粋の漫画家だ。漫画が好きで、だから描いている。相応の矜恃を二亜は持っているのだろう。故に、勝負を受けて立ち、己の漫画に絶対の自信がある。それだけの実績もある――――――ならそれが、唯一の勝ち筋となる。

 彼女は狂三の問いに堂々と受けて立つ。そう答えた。答えた以上、二亜は本当にどんな邪道であろうと受け入れてしまえるのだろう。結局、〈ラタトスク〉側は漫画を見てもらうためであるが、二亜からすれば見たところで心に響くわけがないと思っている。以前までの狂三なら、それに共感していたかもしれない――――――今の『時崎狂三』は、そうではないと言い切ろう。

 二亜の堂々とした受け答えに、狂三は超然とした微笑みを持って応じた。

 

「うふふ、素敵な答えですわ。ならわたくしも、遠慮はいりませんわね」

 

「キミも少年に、何か協力するのかな?」

 

「ご安心を。わたくしの(・・・・・)出演は既に済んでいますわ。――――『わたくし』は、別ですけれど」

 

 訝しげな顔をする二亜に、狂三は変わらず微笑みを見せるだけ。

 狂三の出番は終わっている。それでも足りないというのであれば、それは狂三が埋めるべき穴ではない。

 

「楽しみにしておいてくださいまし。きっと、心躍る光景をお見せすることができますわ」

 

「……ちょっとした疑問なんだけどさ、キミと少年ってどういう関係なの? キミの霊力、封印されてないみたいだけど」

 

「あら。ご自慢の〈囁告篇帙(ラジエル)〉でお調べになられませんでしたのね」

 

「…………」

 

 調べるはずもない。二亜の表情に陰りが出たのが、何よりの証拠だった。調べるはずもないというより、調べようとも思わないのだろう。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉でわかることは情報としての上面のみ。その関係性まで、完璧に把握しきれるわけではない。それでも、二亜にとって関係を覗き込むというのは、できる限り避けたいものなのだと狂三は読んでいる。

 それに――――たかが神が齎した本の一冊で、狂三と士道の関係が理解できるとも思えなかった。それを描いたものは、こちらから存分に見せてやろうではないか。

 

「わたくしと士道さんのご関係でしたら、健全なご友人ですわ」

 

 地面をつま先で突き、影に呑まれるように狂三は姿を消し始める。スカートを摘み、一礼して消えると共に、狂三は問いの答えを残していく。

 

 

「ただし――――――命の取り合いをする仲の、ですけれど」

 

「へ……?」

 

 

 ぽかんと目を丸くした二亜に可笑しそうに笑いながら、狂三は彼女の前から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 影がシミのように滲み出て、本条二亜の住むマンションの屋上を侵食する。人ひとりを優に呑み込めるそれから、狂三は慣れた様子で姿を現した。

 軽く身体を伸ばし、空を見上げる。以前までなら話し相手にいた付き人の姿は、ない。踏み込めない関係でも、いなければいないで、寂しさを感じさせるのは狂三の心が変わってしまった証拠なのかもしれない。

 

「――――さて、さて」

 

「困ったことになりましたわね」

 

「一体如何なさいますの?」

 

 寂しさを感じさせる、とは言うものの。響く声は狂三一人のものではい。正確には、『狂三』のものではあるが狂三のものではない。

 幾つもの影から左右非対称に髪を括った少女――――【八の弾(ヘット)】によって過去時間から切り取られた『狂三』たちが各々好きに声を発していた。

 それらの声に、狂三は目にかかる髪を軽く掻き上げ、平然とした声を発する――――左目はまだ、何も視せていない。

 

「あら、あら。何か問題がございまして?」

 

「ありますでしょう。『わたくし』では――――――」

 

「ええ――――――『始原の精霊』には、勝ち目がありませんわね」

 

 ――――――冷たい沈黙と、神妙な面持ちが狂三を刺す。

 純然たる事実。〈囁告篇帙(ラジエル)〉によって得た情報。それは、全知の天使を以てしても不明瞭なものが多かったが、現状の狂三では覆せない結論として、狂三は絶対にあの存在に勝てない(・・・・・・・・・・・・・・・)、というものだった。

 仮に、『始原の精霊』との対決が現実のものとなったとして、狂三の全能力を完全なパフォーマンスで発揮できたとしても、勝ち目はない。未来を視る左目も、『始原の精霊』の前では沈黙を保つことだろう。狂三一人では勝機はない(・・・・・)、と。

 

 しかし。

 

「そのようなこと、わかっていたことではありませんの」

 

『え?』

 

 沈黙していた分身体たちが一斉に意外そうな声を上げる。

 『始原の精霊』。この世に存在が確認された、始まりの精霊。そして――――――

 

「わたくしに力を与えた存在が、初めからわたくしに劣るなどおかしな話ですわ。非常に憎たらしい話ですけれど、これは事実として受け止めねばなりませんわ」

 

 ――――――時崎狂三を、精霊とした存在。

 

 どんなに言い繕ったところで、この事実だけは揺るぎようがない。狂三に力を託し、狂三の運命を変え――――――狂三は〝彼女〟の口車に乗った。

 狂三の罪過。洗い流すことのできない原初の罪。地獄の底へ堕ちようと、それら全てを精算するため――――――狂三は再び、大切な人をこの手にかける悪魔となろう。

 

 

「ですが今、わたくしの記憶には『始原の精霊』を討滅するだけの確約がありますわ――――――士道さんが世界を変えた、その事実が」

 

 

 その道を以て、狂三は悲願を完遂する。それは『時崎狂三』の義務であり、願いであり、呪いである。

 そうでなくなった『時崎狂三』は、救われてしまう『時崎狂三』は、必要ない。

 軽やかに地面を蹴り上げ、屋上のフェンスの角に立つ。眼下に広がる光景に、悲劇の姿など見られない。それでいい。狂三の悲願の果てに――――――士道たちが平和に暮らせる世界があるのなら。

 

 

「時を操る天使はこの手の中に。わたくしは、『始原の精霊』が出現する〝原因〟を取り除き、その〝結果〟を必ず〝なかったこと〟にしてみせますわ――――――あの方の命を使って、できなかったなどとふざけたことを吐かすつもりはありませんわ」

 

 

 浮かべた形相を、狂三自身は知らない。だが、『狂三』たちが息を呑んでいるところを見るに、相当鬼のような形相をしているのかもしれない。

 〝原因〟の果てに〝結果〟は存在する。狂三が莫大な霊力を持ち込むことができたならば、必ずその〝原因〟を取り除ける自信があった。そのために、その確信があったからこそ、狂三は〝今〟〈囁告篇帙(ラジエル)〉を求めた。必要なのは『始原の精霊』の戦力ではなく、出現した原因(・・・・・・)だった。

 

「アイザック・レイ・ペラム・ウェストコット。エレン・ミラ・メイザース。それに――――――エリオット・ボールドウィン・ウッドマン。まったく、随分と因果な話があるものですこと。一体、何が起こったのやら」

 

 前者二人は理解できる。しかし、最後の一人は狂三の頭脳をもってして不可解と言わざるを得ない。『始原の精霊』の出現に関わった者たちが、片や精霊を狙い、片や精霊を保護しようとしている。二つの組織による盛大なマッチポンプだと言われた方が、まだわかりやすいというものだ。

 そして、〝結果〟として産み落とされた『始原の精霊』――――――崇宮澪。

 

 

「『全ての霊結晶(セフィラ)を、人間に託すまで』。あなたは、そう言いましたわね」

 

 

 言の葉が風に消えていく。届きはしない。構わない。この世界のどこかで、今もまだ亡霊は生きている。

 運命の糸を辿れば、全ては〝彼女〟に行き着くのかもしれない。だが狂三には、その運命の糸を残らず断ち切るだけの力がある。ならば、何もかもを犠牲とし、成し遂げるまで――――――〝結果〟の果てに待つものから、少女と精霊は無意識に目を背けながら。

 

 

「その願い、わたくしが撃ち抜くまで――――――あなたに、士道さんは渡さない」

 

 

 例え愛しい人が誰に狙われていようと、全てを〝なかったこと〟にすれば終わりなのだと。

 

 ――――――精霊(少女)は、致命的な見落としに気がついてはいけないと、拒んでいた。

 

 

 







全知はイコールで全能ではない。全能の権能なんてものは、ファンタジーといえど存在してしまえばそれで終わりです。神様といえど、この世界では例外ではないのかもしれませんね。

二亜との対面は比較的友好的で数あるセリフの中にも狂三の心情の変化があります。ある意味、余計に背負うことが増えすぎていると見るか、狂三の決意が頑なになっていると見るべきか。世界を変えることへ、別の意味をつけてしまった彼女の行き着く先は……。

こちらもお久しぶりに名出しされた『始原の精霊』さん。勝てません。これは如何に狂三が強化されていようと変わりません。未来を予知しても、勝てる未来が存在しないなら同じことです。アレは最強や最凶などとは別次元にいますから。
まあ、それをよく知っている子が狂三の傍にいるわけですが、狂三のプランを知っているならそれ相応に勝算が……?なんて、考えてみても面白いかもしれません。こういうことを言っていると、本当に終章まであと少しなんだなと。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!

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