第百三十話『新たな年をキミと』
現時刻、現在進行形で祈りという願い事をしておいて何だが、士道は神様という存在をあまり信じてはいない。
厳密な言い方をすれば、神様という存在定義を信じていないのではなく、その効力に関してのことだ。もし神様がいるのなら、祈りで何かが解決するのなら――――――精霊の封印を〝キス〟という方法にしてくれたことを、士道は心から恨んでいる。だから、懐疑的になってしまったのだ。
まあ、恐らくは、それ以上に――――――
「何を、願いましたの?」
この
同じように手を合わせていた狂三が、目を開け顔を上げ士道と視線を合わせる。煌びやかな紅色の晴れ着は、同じ色だというのに彼女の霊装とはまた違うイメージを抱かせ、出会った時は士道を数秒間フリーズさせたものだ。数秒後、琴里によって強制的に起床させられたのは言うまでもない。
狂三の問いに頬を緩ませ、士道は声を返す。
「んー……恒久的な世界平和、とか?」
「まあ……想像よりとても大きな願いで、わたくし驚きですわ」
「冗談だよ、冗談」
手を口元に当て目を丸くする狂三に、士道は笑いながら即刻訂正を申し立てる。日本の神様である八百万も、世界的な恒久和平など願われても叶えられっこないだろう。
「本当は、なんと?」
「……今ある幸せが、
「…………」
士道の答えに、狂三は表情に僅かな悲しみを乗せる。
できるだけ。その意味をつけなければならない理由は、狂三にあるのだから。けれど、士道はさらに言葉を続けた。
「ずっと続くように、ってのは、自分の力で叶えてみせるさ――――――神を殺す女の子をデレさせて、な」
「――――っ!!」
今度こそ、完全に意表を突くことができたようだ。
この願いだけは、神頼みをするつもりはない。自分の力で叶えなければ、叶えたいと思う気概がなければできはしない。改めて、ここでそう誓いを立てたいと思ったのだ。
「き、ひひっ。楽しみにしていますわ。わたくしは、それ以上に士道さんをデレさせて見せますけれど」
「はは、俺も楽しみにしてるよ――――狂三は、何をお願いしたんだ?」
個人的に気にならないわけがないと、士道は狂三の手を取りながら後ろに並ぶ参拝客に頭を下げる。賽銭を済ませたのだから、迷惑にならないよう場所を開けるためだ。
自然と二人は本堂から逸れて道を戻りながら、上機嫌な狂三が士道の手を握り返して声に応じる。
「はて、さて。わたくしは神に逆らう愚か者。願い事を明かすなど、恥ずかしさで顔も見せられませんわ」
「……めちゃくちゃ楽しそうな顔してるけどな」
教える気がないということは伝わってきた。上機嫌なお嬢様の傍若無人っぷりが、新年早々全力全開なのはいい事ではある。それがまた、士道の悶々とした気持ちを加速させるのだが。
一体、何をお願いしたのだろうか。自分に関することなら、とても嬉しいがいやしかし……などと悩む士道を見て狂三がくすくすと笑い声をもらしていた。
「おーい、おにーちゃーん」
と、人の少ない場所で立ち止まった二人の後方から、元気な妹の呼び声が聞こえてきた。
賽銭箱の大きさから、一度に参拝できる人数が決まっていたのもあり、それぞれグループを分けて別行動を取っていたのだ――――――ただ、狂三と二人きりにしてもらったのは、さすがに皆に気を使わせすぎていると狂三と揃って苦笑してしまったものだが。
「琴里――――お、絵馬か」
振り返ると、小さな木の板を持って手を振る琴里の姿があり、そこには長机が設営され精霊たちも皆熱心に板に何かを書き込んでいた。
願い事を書き込みぶら下げると、願いが叶うと言われている行事。皆、こういうの好きそうだからなぁと微笑ましさから頬を緩め、士道たちも皆と合流する。
皆、真剣な顔で、だが楽しそうに思い思いの絵を書いていた。その中で、狂三が一人の絵馬を覗き込み優しげな微笑みを見せる。
「あら、お上手ですわ四糸乃さん」
「お、本当だ。よく出来てる」
士道も習って手前にいた四糸乃の絵馬を覗き込み、そんな感想を抱いた。
絵馬の右半分には、眼帯を付けた可愛らしいウサギの絵が描かれており、可愛らしさと絵としてのきっちりとした輪郭が鮮明に出ている。多少贔屓目はあるかもしれないが、とても素敵な絵柄だ。
「あ、ありがとうございます……」
『うふふー、でしょー? 狂三ちゃんも士道くんもわかってるぅ』
お揃いの若草色をした晴れ着を身につけた四糸乃、よしのんがそれぞれらしい反応を返してくる。
「ああ、大したもんだ。そんなに可愛い絵馬なら、神様も見つけやすいかもな」
「あ……でも、それなら七罪さんと二亜さんの絵馬も凄いですよ」
「え?」
四糸乃の視線の先、その二人がいるであろう場所へ士道は顔を向け……何とも言えない表情を作る。
濃緑の着物を着た少女と、ダウンジャケットを羽織った眼鏡の少女が、
それだけならば可愛いものなのだが、如何せん雰囲気が違いすぎる。絵がどう見てもプロレベルに加えて、新年の和やかな雰囲気には程遠い、締め切り直前の漫画家の原稿作業を思わせる雰囲気が相まって、恐ろしく注目を集めていた。
「……おーい、二人とも?」
「……はっ」
「お、少年にくるみん。手なんか繋いじゃってー。若いっていいねー」
妙におっさん臭い反応を返しながらカラカラ人懐っこい笑みを浮かべる二亜と、対照的に動揺を顕にして肩を揺らす七罪。
癖の強い髪が綺麗に結い上げられた七罪とはまた対照的で、特におめかしらしいおめかしをしていない二亜だが、絵のレベルは比類していて士道は手放しに褒め讃えたい気持ちになった。まあ、その野次はどうかと思うがと顔は苦笑いになるのだが。
そもそも、グループ分けで士道と狂三をくっつけた主導者は二亜なのだ。半ば強引ではあったが、こうしてからかわれた狂三が微笑みながらも照れを隠しきれず、可愛らしく頬に熱を溜めているのを発見できると、感謝の一つは感じるというものかもしれない。
そんなことを言った日には、二亜の性格上、絶対にからかいの矛先が士道へ一点集中するので、口からは別のことを発するのだが。
「たくっ……しかし、上手いもんだな。さすがはプロ」
「まぁねー。仮にも絵描きの端くれとして? 手は抜けないっていうか?」
二亜はそう言い、ふふんと得意げな顔でペンを器用に回してみせる。二亜の漫画にかける情熱とプライドは、つい先日体感したばかりだ。そうだろうなと、素直に共感することができた。
と、そのプロと比べられるほどの才を持つ七罪は、クオリティとは裏腹にバツが悪そうに絵馬を手で隠してしまう。
「……私は二亜に乗せられただけで、別に描きたくて描いてたわけじゃないし……」
「ええー、ここまでやっといてそんなこと言っちゃう? ついさっきまで二人でまんが道歩んでいこうって話してたじゃん」
「言ってないし!? 何まんが道って!?」
快調な舌は相も変わらずなのか、そうやって七罪をからかい倒した二亜は士道へ視線を戻す。
「いやー、でも実際、なっつん有望よ。正直ウチのアシスタントに欲しいんだけど、どうよ。給料はそれなりに払えると思うし、もしその気があるなら編集にも紹介してあげられるけど」
「……いや、別に私、そういうのは。ていうかなっつんって何……?」
「え? あだ名だけど? ほら、あたしとなっつんくらいの仲になると、自然とそういうのできちゃう感あるじゃん」
「えっ、そんな深い仲になった覚えないんだけど……」
「ちなみに『なっつん』ってのはあれよ。『七罪』って名前と『ナッツ』をかけてあるからね。ほら、殻に籠ってる感じとかそれっぽくない? ピスタチオみたいにちょっと開いた殻の隙間からこっちを覗いてるイメージ」
「……ぶふっ」
「……きひっ」
あまりにも容易に七罪が殻から様子を窺う姿が様になって浮かんでしまい、珍しく狂三まで巻き込んで吹き出してしまった。
「…………」
冷静沈着な狂三までそんなリアクションを取ったのが不服なのか、ジトーっとした視線をぶつけてくる七罪。慌てて狂三と二人で咳払いをして、士道は誤魔化すように二亜へ言葉をかけた。
「そ、それより二亜は本当によかったのか? 二亜の分も〈ラタトスク〉が晴れ着を用意してくれてたみたいだけど……」
「あー、うん。昔資料用にと思って一回着たことあるんだけど、どうも動きづらくってねぇ。それにほら、あたしは基本裏方っていうか、フレーム外にいる人間だから。綺麗なみんなを見られれば満足なのよさ」
「そうなのか? 二亜も似合いそうだけどな」
純粋な意味合いで、士道はそう思っている。精霊の例に漏れず、二亜の容姿は男目で見てかなりのものだ。
仕事柄の都合上、或いは二亜の過去を考えるに、褒め言葉を純粋な意味で受け取ることもなかった故かもしれない。一瞬、慣れない言葉を耳にしたと言わんばかりに目を丸くした二亜だったが、ニマニマと口元を歪めていつものノリに戻ってしまう。
「えっへっへ、なーにぃ少年、新年早々二亜ちゃんを口説こうってぇの? 堂々と浮気するたぁ、英雄色を好むってやつかなー?」
「無駄ですわよ二亜さん。この方、本気で他意なく思ったことを口にしてしまう癖がありますので」
「お、さすがはくるみん。正妻の余裕ってやつですなー」
「……べ、別にそういうわけでは」
「あははー、またまたー。照れちゃって可愛いなぁ」
「………………」
毎回毎回、非常に切実な思いで考えることなのまが……せめて、こういう会話は俺がいないところでやって欲しいなぁ、と重い沈黙を挟まざるを得ない。
一応、七罪に助けを求める視線を送ったのだが、あえなく視線を逸らされてしまった。先ほど笑ってしまったツケである。
とまあ、士道にとってはまだあまり触れたくないデリケートな話題からようやく話が逸れたのか、ニヤニヤとした顔は変わらず二亜がポケットから何かを取り出した。
「んーふふふ、でもそっかー。少年ったら晴れ着フェチかー。乱れた着物から覗く肌に興奮しちゃうやつかー。よし、じゃあそんな少年にはこれをあげよう」
大変人聞きの悪いことを言ってくれる。晴れ着フェチではなく、狂三たちがそれを着ているからこその価値が――――なんて適当に思考を逸らしたものだから、士道は何も考えずに二亜が手渡しした物を受け取ってしまう。
「ん? なんだこれ。もう一枚買ってたのか……って」
目に飛び込んできた絵馬の内容に、士道は息を詰まらせ目をかっぴらいた。
なぜならその絵馬には、ギリギリ十五禁に収まるくらいの着物をはだけた美少女と、それに覆い被さる少年のイラストが描かれていたのだ。ついでに、『こんな感じのラッキースケベに遭遇したいです。二亜』と、具体的な著作名と欲の塊のような願いがしたためられていた。
「に、二亜、なんだよこれ!!」
「絵馬だよー。いやー、最初はそれを描いてたんだけど、妹ちゃんに『公序良俗いはーん!!』って怒られちゃって」
「当たり前だろ……!! 大体、こんな願いが現実で起こるわけな――――――」
瞬間、浮遊感が士道を襲う。
「へ?」
まるで、
「きゃっ……」
「狂三!!」
不幸にも、強く手を繋いでいたことで狂三もそれに巻き込まれてしまう。咄嗟に狂三を支えようとするが、そもそも倒れているのは士道の方だ。上手くいくはずもなく、テーブルまで巻き込んでかなり派手に倒れ込んだ。
「ってて……すまん狂三、大丈夫――――か……」
言葉が、止まる。
上に士道、下に狂三。以前にも似たような構図はあったが、これは逆。着物をはだけた狂三の上に覆い被さる士道の思考は、停止しながらも答えを出していた。
大きくはだけた肌は、霊装の露出とは違いそれが正しくないからこその背徳感を得られる。隠れた瞳が顕になり、紅黄の双眸が興奮した士道の顔を映し出しているのがわかる――――わかってはいるが、戻せるはずがないだろう。
『……ッ!!』
お互いが息を呑む動作すらシンクロし、緊張感を最大限に煽ってくれた。
――――あ、ヤバい。これ、止まらない。
再開した思考が全力で腕を動かそうとしている。待て待て待て五河士道。公共で神聖な場で何をしでかそうとしている。明日と言わず数分後に待っているのは我が身の破滅だぞ。いやでもキスが駄目ならその先はイケるのでは? 桃源郷はここにあった。イケるわけないだろ冷静になれ常識的に物事を考えろ。俺たちは清いお付き合いを、いやまだお付き合いに至ってないから困ってるんだけどな。
「……マジ? この神社の御利益っすげぇ……」
「――――っ」
と、狂三も驚くであろう高速思考が正常な流れを取り戻せたのは、奇しくも同じ構図になった絵馬を手にした二亜の一言であった。
あと、たたたっと素早い足音を響かせるアイドルの声もついでに。
「あー、だーりんと狂三さんばっかりズルいですー!! どっちでもいいので替わってくださいー!!」
「誰が譲るか!! ――――あ、いや、そうじゃなくて……ああもう、悪いな狂三。立てるか?」
「え、ええ」
頬を染めながら裾を直す仕草にすら色気を感じ、差し伸べる手しか正面から狂三を見れない始末。
視線を微妙に逸らして葛藤する士道を見て、心底可笑しそうに二亜が笑った。
「あっはは、大変だねぇ少年」
「笑い事じゃないぜ……俺の精神は鋼じゃないんだぞ」
倒れたテーブルを直し、参拝客にもしっかりと謝罪をして、二亜とは逆に心底疲れた顔で言葉を返す。
神の御利益というより
「少年は今くらいの精神がちょうどいいんじゃないかなー。あんまり気を張りすぎると、大事なところで疲れるだけだよん。ま、自分のためにはもう少し気を張るべきだとは思うけど」
「それは俺なりにやってるつもりなんだがね……」
自分のためも自分のため。士道にとっては自分の欲望が人を救うことに繋がっている、というだけなのだ。
が、二亜を納得させるだけの回答ではなく、嫌に人生の経験を感じさせる笑みで彼女は声を発した。
「足りない足りない。もっと遊び心を覚えたまえよ少年くん。さてさて、御利益もわかったことだし、神様にお願いっと。『少年があたしのメイドになりますように』と」
「せめて執事とかあったよな!?」
なんでそんなピンポイントで、どこかの士織ちゃんを狙い撃ちするようなことを願うのか。しかもご丁寧に、美麗なイラストの横に書き込むところを見てしまい、士道も堪らず叫びを上げた。
「あっはっは、ご愛敬ご愛敬。さて、これはどこに掛ければいいのかな――――っとと……」
「……!! 二亜、大丈夫か?」
絵馬を片手に身体を起こした二亜だったが、目眩を起こしたように身体をぐらりと傾かせ、あわやという手前で士道が手を差し出して背を支えてやる。
やはり、
「あらん。少年たら王子様みたい」
「言ってる場合か。本当に大丈夫なのか? やっぱりまだ休んでた方がよかったんじゃ……」
「じょーだん。みんなで初詣なんてギャルゲ必須イベントに来るってのに、二亜ちゃんだけ除け者ってそりゃないぜ〜」
あくまで心配をかけさせまいとする二亜に、いつの間にかリボンを白から黒に変えた琴里が歩み出て、二亜の頭をコツンと小突いた。
「つい昨日まで車椅子だったくせに何言ってるのよ。……一応、裏に車は待たせてるから、調子が悪かったらすぐに言ってちょうだい。少なくとも、万全の体調とは言いがたいんだから」
「やーねー、妹ちゃんたら心配性。大丈夫だってば。今のはわざとよろめいて少年に合法的ハグをしてもらおうと思っただけだから。効果は実証されたし、妹ちゃんも使っていいよ」
「な……っ」
琴里が動揺した隙を見て、二亜がカラカラと笑い、軽い足取りで絵馬掛所へ歩いて行ってしまう。
「わたくしがついて参りますわ」
「ああ。頼むな狂三」
次いで、それを見た狂三が小さく息を吐き、二亜を追いかけていくのを見送る。狂三がついていれば、大丈夫だろう……「おぉ、すまんねばあさんや」とか、「おじいさん、それは言わない約束ですわ」とか外見からかけ離れすぎている茶番が聞こえてきたりしているが、大丈夫だろう、多分。
「まったく、深刻な話題になるとすぐはぐらかそうとするんだから」
やれやれと腕組みしながら二亜と狂三を見送る琴里からは、身を相当案じているという気持ちが伝わってくる。
それも、無理からぬことだ。本条二亜は、ほんの数日前に冗談でもなんでもなく、その命を散らしかけたのだから。
「…………」
十二月三一日。二亜は、DEMの策謀によって反転させられ、精霊が持つ
幸い、それ自体は〈アンノウン〉の介入により――少女への疑問と疑惑は増える形となったが――阻止され、士道たちによって二亜も一命を取り留めた。
だが、決して油断することはできない。何故、あの場であの男が……アイザック・ウェストコットが撤退という選択を選んだかは依然として不明のままだ。精霊たちを諦めた、というのは楽観視がすぎるだろう。
懸念は多く残されている。そして――――その中の一つ。気になることが残されていた。
「琴里。例の件って……」
「ええ」
他の皆に聞こえないくらいの――――それこそ、精霊と言えど離れた狂三にも聞こえない程の声量で問うと、琴里も察してくれたのか小さく頷いた。
「一応、こちらでも調査を進めてるわ。でも、今のところ確証がないっていうのが正直なところね」
「――――そうか」
思い返したのは、あの日の出来事――――――二亜の口から語られた、真実へのピースだった。
狂三が何を願ったのかは本気でご想像にお任せしますパターン。
というわけで始まってしまいました六喰編。ついに、ここまで来たかという感慨深い想いです。あとこれだけあるのかーとか思ってたんですけど、気づけば物語にも終わりが見えてくるものですね。次は絶対に長期再現とかしない、絶対にだ。
相変わらず思考が一直線でブレないなこの主人公という。まあブレなすぎて怖い一面もあったりするのですが……それは本編にていろいろと。
それはそうと、現在六喰編の前半まで書き終わっているのですが、二亜というキャラクターの完成度の高さというか、恐ろしいキャラだなと書いてみて改めて気付かされます。このキャラ、放っておくと勝手に喋るし大体のことこなせるマジで怖い。
天使不在の分、二亜さんの華麗(?)なる活躍を見逃すな!!
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!