「――――三十年前、因果の始まり、
それは、この場のあらゆる空気を凍りつかせるには、十分すぎるほどの威力が篭った告発だった。
エリオット・ボールドウィン・ウッドマン。〈ラタトスク〉の創始者――――彼は今、自らが保護を試みようとする精霊に銃口を突きつけられている。
それを見てなお、温厚ながら重厚な顔つきを保っていられるのは、一組織の長としての威厳か。或いは、咎人として覚悟を決めているからか。
「っ!! 狂三、やめなさ――――」
「妹ちゃん、ちょいとストップ」
「二亜!?」
急すぎる事態に呆気に取られていた皆の中で、真っ先に動き出そうとしたのは琴里……が、狂三とウッドマンの間に入ろうとした途端、琴里の隣に移動していた二亜が腕を掴んでその動きを止めてしまった。
琴里が動くことを読み、そもそも狂三の行動を知っていなければできない二亜の行動に、士道は眉をしかめた。
「……二亜もグルか?」
「嫌だなぁ、人聞きの悪いこと言わないでくれよ少年くん。あたしは、この場ではくるみんの味方をしたいってだけさね――――あたしにも、思うところはあるしね」
「っ、離しなさい二亜!!」
「――――いいんだ、五河司令」
暴れようとする琴里を制止したのは、他ならないウッドマン当人だった。
「ウッドマン卿……!!」
「いいんだよ。これは、私が向き合わねばならない咎だ。カレンも、下がっていてくれ」
「エリオット……」
冷静な立ち居振る舞いに、しかし不安な表情を隠すカレンと呼ばれた秘書官のような女性は、手で制したウッドマンを見つめたのち、コクリと頷いて引き下がる。
そうして、ウッドマンは細く息を吐き、再び狂三と見合う。同時に、彼の命を握る銃口を止める士道とも。誰もが動けない。それほどのプレッシャーが、銃を突きつけた狂三から放たれている。
「……今一度、あなたの口から確かめさせてくださいまし。あなたはあの二人とDEMインダストリー社を創り上げ、この世界に初めて精霊を現出させた。相違ありませんわね?」
重苦しい空気の中、狂三が唇を動かした。それはまるで、知り得る罪状を読み上げているかのようだった。
そして、それを聞いたウッドマンは、一部の迷いもなくその罪状を肯定した。
「間違いない。私はかつてアイク――――ウェストコットやエレンと共に、この世界に原初の精霊を出現させた」
「はっ……実に、潔が良いこと」
「っ……!!」
狂三が指にかける力が、より一層強くなったのがわかる。冗談を抜きに、士道がいなければ狂三は今すぐにでもこの引き金を引き、ウッドマンの命を容易く散らすことだろう。
それほどの力、それほどの殺意――――狂三自身にさえどうしようもないのであろう感情の波が、銃の震えと共に士道の心に伝わってくる。
「〝今〟のあなたを撃ったところで、何も解決はしない。〝今〟のあなたを討つことで、新たな憎しみが生まれる。数々の憎しみを生み出してきたわたくしが、このようなことをするなどお門違いも甚だしい――――この心に、意味などありませんわ」
「狂三……」
「こんなものに意味はない。わたくしにこんな資格はない。わかっていますわ。意味のない銃弾を放ったところで、わたくしの空虚な心が満たされるだけ。わかって、いますのに……っ!!」
わかっていても、この銃を動かせない。
震える銃口が、常に標的を撃ち抜いてきた狂三ならありえないほどの震えが、彼女の顔に浮かんだ迷いと殺意そのものだ。
理由など、わかるはずもない。だが、
「ウッドマンさん、聞かせてください」
「…………」
銃を突きつけて、狂三はこうも言った。
「俺は、この子に……狂三に撃たせたくない。これ以上、優しい狂三に傷ついて欲しくないんです――――――だから、聞かせてください。あなたが、精霊を救おうとする理由を」
時崎狂三の銃弾は人を傷つける凶器であり、己の心を擦り減らす狂気でもある。
きっと彼女は、この意味のない引き金を引くことを後悔してしまう。後悔すると、わかっている。わかっていて、それでも衝動が止められない。己の心に嘘はつけない。
「狂三」
「折紙さん……」
その気持ちが痛いほどわかるのは士道ではなく、
「あなたに何があったのかは、わからない。私には、
「……っ」
引き金に近づいていた指が、僅かに離れた。折紙の想いの重さを、狂三が受け止めたかのように。
少女たちの優しさを目の当たりにしたウッドマンが、その性根を表すような微笑みを見せ、そうして真剣な顔つきで声を発した。
「私たちのしたことで、君という人を大きく変えてしまう出来事があったのは、想像に難しくない。だから私は、甘んじてその銃口を受け入れよう」
「ウッドマン卿!!」
「……と、言いたいところだが、私たちの周りはそれに納得はしてくれないようだ。君たちに納得してもらえるかはわからないが……全て、話そう」
本当に、覚悟は決まっているのだろう。殺意の銃口を向けられているというのに、威厳さえ感じさせる面持ちでしっかりと言葉を紡いでいく。
「これは……五河士道、鳶一折紙、君たち二人の質問に答えることにもなる。時崎狂三の言う通り、私はDEMの発足メンバーだ。最初は、ウェストコットたちと同様に、精霊の力を利用することを考えていた」
「…………」
事実は事実として、言い訳はしないということか。
精霊を救うために奔走してきた組織の長が、そういう考えを持っていたことがあると聞いて、動揺がないかと言われれば嘘になる。
けれど、
「だが――――実際、原初の精霊を目の当たりにした時、私は……変わってしまった。それまでの目的を捨て、DEMを出奔し、〈ラタトスク〉という組織を作って、精霊の保護に自分の人生を使うことを決意した。――――――かつての同志に背を向けてでもね」
「……一体、何があったっていうんですか?」
それまでの仲間を裏切ってまで、強大な力を持つDEMに抗ってまで、ウッドマンという男の全てを変えたものは何か。
そうして、士道の問いかけを聞いたウッドマンは――――それまでの真剣な顔を緩め、答えた。
「――――恋をね、してしまったんだ」
「…………え?」
あまりに予想だにしない――――それでいて、
「恋、ですか……?」
「ああ。初めて原初の精霊と見えた瞬間、私は彼女に心を奪われてしまった。どうしようもないくらいに、彼女に焦がれてしまった――――彼女の力を奪い取ろうとしていた自分が、許せなくなってしまった」
熱を帯びた声は、
「だから、彼女と同じ存在である精霊が、辛い思いをしているのが耐えられない。私が精霊を救おうとしている理由は、それが全てだ。だからこそ、私自身の存在が精霊を苦しめているというなら……咎を受け止める責務がある」
「――――はは」
それを聞いた士道は、無意識のうちに。
「あはははははははははっ!!」
笑っていた。誰もが呆気に取られる中、それに構わず士道は笑う。笑うしかなかった――――嬉しさから、笑うしかないのだ。
それを見たウッドマンが、苦笑しながら頬をかいて声を発する。
「やはり、馬鹿げた理由だったかな?」
「はは……ああ、違うんです。ウッドマンさんの理由を笑ったんじゃなくて、
「ほぉ……」
嗚呼、嗚呼。こんな馬鹿な人間、世界に一人いればいい方だと思っていたのだが……思わぬ共通者を見つけて、思わず士道の心は滾りを見せた。
「俺も、同じなんです。精霊を救いたい、その気持ちに嘘はないって言えます――――――けど、狂三を救いたいと思ったのは、狂三に恋をしたからなんです」
「士道さん……」
未だ溶けぬ殺意と迷いを、士道は絡めた右手を解き、穏やかに銃口ごと包み込むように手を添える。
「馬鹿げてなんてない。俺も、ウッドマンさんも、自分の信じた道を選んだ。だから俺はウッドマンさんを信じられます――――――そして」
あとは、狂三にこの銃を撃たせないこと。
「狂三。俺は、お前に何があったのかを知らない。お前が銃を向ける理由を、わかってるなんて気軽に言えない。だからさ、俺も俺がしたいことをするよ」
「何を……」
理を外れた両の眼に動揺を映した狂三を見つめ、士道は一息に己の想いを解き放った。
「――――お前が、俺以外を殺すことが許せない」
驚いて目を見開く狂三を見て、しかし士道は止まらない。
「狂三のしたいことが間違ってるかなんて、俺にはわからない。けど、お前は俺を殺すんだろう? 俺の命が欲しいんだろう? 狂三だけが、俺を殺せるんだろう? なら、他の男なんか見るな。俺だけを見ろ――――狂三の銃が、他の男の心臓を撃つなんて、許せない」
士道は、殺されるなら狂三にと約束した――――――ならば、狂三がその銃で他の誰かを士道の前に殺すことなど、耐えられない。
どんなに正当性がある理由でも、撃たせない。撃たせたくない。だって、それは――――――士道が持つべき
「頼むよ、狂三。君が俺以外を殺すところを、見せないでくれ」
「…………あなた様は、狡い方ですわ。身勝手に身勝手を返して、わたくしから理由を奪おうだなんて」
「うん。でも、謝らない」
俺は狂三が傷つくのを、見たくないから。
その願いと、エゴで。士道は両手をゆっくりと下げ始める。即ち、銃を握りしめた狂三の腕も同様で……ウッドマンに向けられていた銃口は、無機質な地面へと収束した。
だが、それで終わりではない。狂三の瞳は、未だに憎しみの篭ったままだ。それでも、先程までとは違うと思える真剣な面持ちで、狂三は鉛の玉ではなく言葉を放った。
「あなたを許したわけではありませんわ。わたくしがわたくしでいる限り、決して許すつもりもありませんわ――――――わたくしが士道さんを愛したことに、せいぜい感謝してくださいまし」
「ああ。彼のような優しい少年が、精霊を封じる力を持ち、精霊を愛してくれたことを嬉しく思う。彼の信頼を裏切らないことを、誓おう」
「ふん……その身朽ちる時まで、あなたが信念を貫くことが出来るか、見物ですわね」
言って、狂三の霊装が解けて影へと収束していき、手に持った短銃が彼女の所有する領域へ還っていく。
左右非対称に結われた髪が均等に戻り、狂三にしては珍しく、だが必要な事だったのだろう。気持ちを切り替えるように小さく深呼吸して、精霊たちの方へ向き直り――――深々と頭を下げた。
「皆様。お騒がせして申し訳ありませんでした」
「狂三さん、あの……」
「蟠りがない。そう言い切ってしまうのは、嘘になってしまいますが――――この方がいる限り、もうこのような姿はお見せいたしませんわ」
顔を上げて見せた微笑みと、絡められた指は、さっきまでのものとは意味合いが違う。みんなを安心させるように強く頷いて、士道は声を発する。
「ああ、俺がさせない。皆も、ありがとな。狂三が心配だったのに、俺に任せてくれて助かった」
「うむ。さすがは我らが八舞の共有財産。よくやったぞ士道」
「やーん。だーりんってば、かっこよかったですー!!」
「……ちょっと、怖かったけどね」
「あ、はは……」
主に乾いた笑いをしてしまった原因は七罪が四糸乃の服の袖を掴んで隠れているからなのだが、そうしたのは狂三ではなく士道なのだと自覚はあった。
狂人は狂人の自覚があれば常人に紛れられるとは聞くが、今の士道はまさにその通りだろう。撤回する気は更々ないが、頭がおかしい自覚は十二分にある。ああでも言わなければ、狂三が止まらなそうという理由も大きかったのだが。
「いやぁ少年、お見事お見事。さすがはあたしが見込んだ男――――あ、やめてください痛いです妹ちゃん」
と。空気が読めないのか、わざと読まないのか、お気楽な顔で拍手を送る二亜と、彼女の足の小指を念入りに踏みつける琴里。
琴里の力加減の基準が神無月なのもあるのだろうが、酷い脂汗を浮かべる二亜を見て、さすがの士道も助け舟を……出そうとは思わず、半目で彼女を見やる。
「二亜、お前な……」
「いやー、あたしは〈
「だからって、他にやり方あっただろうが……!!」
「多少くるみんが無茶しても少年なら止めてくれるかなって」
実際、止めてくれたっしょ? と自信満々な笑いを引き出されると、士道もぐぬ、と言葉に詰まる。
すると、二亜が一転して反省したように眉根を下げて声を発する。
「黙ってたのはごめん。たまに感動してうるっときたし、騙して悪いなぁとも――――あだだだだだだだだっ!?」
訂正。全く反省の様子が見られなかった。
「ちょっとは反省しなさい!!」
「妹ちゃん、顔面はマズい!! 顔面はアウトだから!!」
司令官のアイアンクロー炸裂。一体、中学生の琴里のどこにそんな力があるのかとか、保護した精霊に対してその折檻はどうなのかとも思うが、不思議と助けようとは思わないのは人徳の為せる技だろうか。
「ちょ、少年ヘルプ!! このままだと二亜ちゃんの可愛い顔面がブラックホールフィニッシュしちゃう!!」
「チャオ」
「酷くない!? くるみんに比べてあたしの扱い酷くない!?」
残念ながら当然の結果ではなかろうか。悲鳴を上げる二亜に手を振って別れを告げ、士道は再びウッドマンの方へ向き直った。
「すみません、騒がしくしちゃって……」
「いや、構わないよ。こうして元気な姿を見るのが、老人の些細な幸せというものだろう」
それなら、出来ればもう少しマシな騒ぎを見て欲しかった気持ちがある。
曖昧に苦笑を浮かべていると、おっとそうだと、何かを思い出したようにウッドマンが後方に控えていたカレンと呼ばれた女性を手で示した。
「紹介が遅れてしまったね。ここにいるカレンも、私と一緒にDEMを出奔した元社員だ」
「カレン・ノーラ・メイザースです。以後お見知りおきを」
「ああ、どうも――――ん?」
小さく頭を下げたカレンが名乗った名前に、士道はふと首を傾げた。
非常に聞き覚えがある、というか、
「メイ、ザース……?」
「はい。エレン・メイザースは私の実姉に当たります」
『ええぇぇぇぇッ!?』
これで声を上げず、皆の叫びの方に顔を顰めたのは狂三くらいなものだった。まあ、未だ士道と手を繋いだままなので、耳を塞ぐことが出来なかったのは士道のせいと言えるのだが。
すまん狂三と謝ってから、士道はカレンの容貌を改めて確認する。
確かに、金色の髪はエレンそっくりだし、眼鏡を外して髪を伸ばせば、あのエレンと瓜二つに見えるかもしれない。が、エレンが二十歳より前に見える年齢に比べて、妹のカレンはどう見ても二十半ばに感じられたのが気になる。
しかし、それよりも今確かめたかったのは、エレンの妹であるカレンが、ウッドマンと共にいる理由だ。
「エレンの妹であるあなたが、どうしてウッドマンさんと……?」
「私はエリオットに惚れていますので」
「……ぶっ!?」
士道が持つなけなしの冷静さはとうに崩れ去り、情けない咳き込みを披露してしまう。
大丈夫ですの? と狂三に背中をさすられながら、士道はどもり気味に声を発した。
「そ、そうなんですか……? でも、ウッドマンさんは原初の精霊に……」
「相手に想いの人がいるからといって諦めねばならない道理はありません。もしも彼が心変わりをしたその時、側にいなければ選ばれようがないではありませんか」
「そ、それは……そうかもしれませんけど……」
……なんだろうか。この恋に対しての我の強さ。どこか見覚えがある気がしてならない。
「もっとも、欲を言えば、生殖行為が可能なうちに胤をいただきたいところですが。エリオットの気持ちは最大限尊重するつもりですが、彼の血を後世に残さないのは世界の損失です」
「…………は、はあ」
これは、その……こう言っては何だが、下手したら世界最強を名乗る不遜な姉より濃いのではないかと思える言動に、士道は目を白黒させ、当のウッドマンは困った顔をしていた。
「はは……これは参ったな」
「あなたが参る必要はありません、エリオット。私が勝手にしていることです」
――――ああ、やっとわかった。この既視感の理由が。
たった今、カレンに歩み寄る〝彼女〟のやり方と、どこかそっくりなのだ。
「――――深く理解した。あなたの気高い決意に、賞賛と喝采を」
「こちらこそ、感謝を。私の考えに賛同を示してくれたのはあなたが三人目です」
熱い友情の握手、とでも言えるのだろうか。士道では到底及びもつかない領域で分かり合う二人を見て、士道は考えることをやめた。
「……士道さん。わたくし、あれは理解できかねますわ」
「しないでくれ。頼むから……」
狂三の全部を受け入れる度量はあるつもりだが、狂三が折紙みたいになったらいろいろと骨が折れるなんてものじゃない。
遠い目をする狂三に、士道は頭を抱えて深々とため息を吐く。と、そんな士道をウッドマンがかけていた眼鏡の位置を直しながら、軽く机に身を乗り出した。
「すまないが、五河士道――――顔を、よく見せてはくれないかな。最近、視力の衰えが激しくてね」
「え? あ、はい……」
特に断る理由もなく、士道は言われた通りにウッドマンの方に近づいていく。
「……なるほど、やはり、似ているな。――――――あの時の少年に」
「え?」
まじまじと士道の顔を覗き込み、独白のように放たれたウッドマンの言葉に、士道は首を捻り、後ろで狂三が
「あの時のって、一体――――――」
その答えが返ってくるより、早く。
「――――ご歓談中、失礼いたしますわ」
広い部屋の片隅から、
「な……っ」
誰も気がつけなかったその気配に、息を呑む。
急いで振り向いた先、部屋の片隅に――――――妙に様になる
誰も彼もがずるいのですよ。
間違っているかなど二の次。士道にとっては狂三が自分以外の男をその銃で穿つことを許容できない。復讐が間違っているかではなく、士道の願望だけで狂三に対しては行動してしまうんですよね。なんというか……業が深いな、これ。
まあ狂三の中の理性が絶対に意味がないと叫んでいるのにこういう非合理な行動をする時点で、折紙と同じく理屈じゃ止まらない。だから止めるなら愛ですよ、愛。狂ってる方の愛ですが。
二亜なら多少のネタ台詞も許されると思ってるなお前な。楽しい(楽しい)
そんなわけでまだ続くよ〈ラタトスク〉秘密基地編。さあ、そろそろあの子の
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