デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百四十二話『キミの為に世界がある』

 

 その光景が現実のものではないことを、時崎狂三は理解することができた。

 夢。という現象がある。一つの意味合いとしては、現実にないものを睡眠中に観る。例えば以前、狂三が並行する可能性を浮かべたものが、その意味に該当する。

 しかし、これは狂三の夢ではない(・・・・・・・・)。というより、夢ではなく過去の記録(・・・・・)というのが正しいのだろう。

 並行する可能性ではなく、あった事象だからこそ、時崎狂三は観測者になり得る。

 そして、介入者にはなり得ない。何故ならこれは、既に過ぎ去った過去の記録を閲覧しているだけなのだから。

 

 少年は独りだった。現実を映す色彩に、色はない。白と黒。モノクロで構成された、諦観と虚無。

 

『……士道さん』

 

 士道は、ひとりだった。

 失ったのなら、悲しみ嘆く。

 得たものを知っていたなら、喪失感から寂しさを覚えることもできただろう。

 それが出来ないから、士道の世界には色がなかった。失うという感覚を、忘却の彼方へ消してしまった彼は、それが当たり前だった。

 時崎狂三でさえ、かつては持っていた大切な人――――家族というあるべき存在が、士道にとっては理解できない『特別』だった。

 月日だけが過ぎる過去を、どれだけ見続けた頃だろう――――士道は、『特別』を得た。

 家族というものは、決して血縁だけに生じるものではない。青臭い話ではあるが、それ以上に大切な記憶や、大切な思いがあるから家族になる。

 だから、そう……士道を引き取った父と母、そして彼の妹となった彼女は、間違いなく士道の家族なのだ。

 

(こんにちは。今日から私たちは、家族よ)

 

 母から、士道がそんな言葉を聞いた瞬間。

 

(――――、ぁ、あ、あぁぁああ……)

 

 彼は初めて、世界に色を見た。

 愛という感情をくれる人。愛という感情を返せる人。

 ――――――家族と士道が、光へ消えていく。この時、この瞬間、彼は五河士道として生まれたのだ。

 

 愛して、愛される。簡単で、難しい。ただ狂三は――――――それが嫌いでは、ない気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……優しい、夢」

 

 泣くことが簡単な女なら、目覚めで涙の一つでも流していたかもしれない。生憎と、そこまでお優しい精霊になった覚えはなく、現実はただ事務的に行われる起床行為だったわけだが。

 

「――――お目覚めですか、我が女王。夢見の心地は如何でした?」

 

 それ故、起き上がった狂三が少女を視界の端に収めるのは自然なことで、息を吐いて声を返すのも自然なことだと言えた。

 

「あなたは、人の夢見を気にするのが趣味ですの? 一応、夢見自体は悪いものではありませんでしたけれど……」

 

 言葉とは裏腹に、狂三の顔は不機嫌そのものだ。決して夢の中身で不機嫌になったわけではなく、理由は見てしまったこと自体だ。狂三の意思で御せるものではないから、この気の悪さはタチが悪い。

 そんな狂三の機嫌急降下を見て、くすくすと笑う少女もなかなか肝が座っている。

 

「ここは……」

 

「〈フラクシナス〉の中ですよ。少し前まで精霊の皆様がいたんですが、ちょうど入れ違いでしたね。ま、私にとっては都合がいいですけど」

 

 言って、寄りかかっていた壁から背を離し、軽く伸びをする少女。

 確かに、一日前の少女なら精霊たちがいても問題はなかったのだろうが、今はそうでない事情がある。ある意味、こうして何事もなく合流できたのは理想と言えるのかもしれない。

 まあ、ベッドで眠っていた狂三が何事もなく、というのはおかしな話なのだが。混濁した記憶の糸を手繰り、意識が落ちる直前の光景を思い起こす。

 マリアとのシステムリンクを強制的に打ち切られ、仕方なしに部屋から出ると四糸乃のたちの出迎えがあり――――不覚にも、そこで意識が途絶えた。

 

「あー……」

 

「あら、頭を抱えて後悔するなんて珍しいですね、我が女王」

 

「自覚はありますわ……」

 

 本気で意外そうな声を出す少女に、ベッドの上で力なく項垂れてしまう。

 不覚だ。完全に不覚だった。大口を叩いて負荷の大きい物を扱った癖に、まさか人前で気を失うとは思いもしなかった。それも、士道や少女の前でならともかく、他の者の前で、だ。

 疲労があったとはいえ、意識を落とすほどのものではなかったはずだ。そうなる前に、あの場所から叩き出されてしまったのだから――――――それほど、彼女たちに心を許している?

 

「……っ」

 

 何を、馬鹿な。

 頭を振って余計な考えを振り払う。そこまで心を許したつもりはない――――ないはずだ。けれどいつから、狂三は自分の心を信じることができなくなってしまったのだろう。

 ただ、士道が大切にしている子たちだから、それだけだと、何故言い切ることができないのか。

 

「!!」

 

 思考の沼に落ちかけた狂三を引き戻したのは、至近距離で感じ取った霊力反応(・・・・)だった。

 あまりの距離の近さもあってか、少女も素早く反応して声を発する。

 

「〈ゾディアック〉……五河士道の元に現れたようですね」

 

「士道さんの? ということは――――」

 

「ええ。無事に作戦は成功しましたよ。ただ、〈ゾディアック〉と仲良く大気圏へダイビングしたらしいですけど。もちろん、生身で」

 

「………………」

 

 人間でいたいのか、人間を積極的にやめたいのか、どちらなのだろうかあの方は。と、狂三は慣れない絶句で返す言葉も失う。

 少女が特に言及しなかったのもあり、大事なく無事なのだろうと、たかをくくったのがまず間違いだった。狂三が傍にいようがいまいが無茶をやらかす人なのだ――――士道の予知(・・・・・)を断念したのも、それが理由の一つだった。

 

「……様子だけでも確かめますわ」

 

「了解しました」

 

 ともかく、一目だけでも見なければ嫌な胸の高鳴りは収まりそうにない。この場を立ち去るのはそれからだと、狂三はベッドを整え、少女を連れて部屋の外へ赴く。

 

「……士道さんに、会いに来た」

 

 ふと、言葉が漏れた。深い意味があったわけではない。止まった心が動き出した精霊が、士道に自ら会いに来た。好意的に捉えるなら、悪くない状況だ。

 けど、何故だか、妙な気が狂三の中に蟠っている。精霊の心を開く段階になれば、先は士道の領分。狂三は関わるべきではない……だが。

 

 

「――――このまま、上手くいくとよいのですが」

 

 

 予感が外れて欲しいと切に願う――――――精霊への予感など、大概は当たってしまうものだと、知っているのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――そういうことであればよいじゃろう。明日を楽しみにしているぞ、主様(・・)

 

 そう言って、琴里の提案を受け入れた六喰が笑顔で手を振り(・・・・・・・)、〈封解主(ミカエル)〉で開いた『扉』へと入り、姿を消す。

 残ったのは、元通りになった医務室と、士道と精霊たちの緊迫感のある沈黙。

 

「――――――ぷっはー!! びっくりしたねぇー!! なに、アレが噂のムックちん? 話に聞いていたのとは随分性格が違いますぞぉ!!」

 

 その緊迫感に耐えかねてか、或いは自ら先導を買って出てくれた二亜が声を裏返しながら叫び、皆もそれに続いてようやく緊張を吐き出した。

随分性格が違う(・・・・・・・)。それは、かなりの近距離で六喰と対面した士道が感じていたことだった。

 

『むくを待たせるとは憎い男じゃ。しかしまあよい。許してやろう。今は妙に気分がよいからの。――――なんじゃ、狐につままれたような顔をして。ふふ、愛いやつじゃ』

 

『むくの心の鍵を開けるために手を尽くしてくれた主様に心打たれるのは、そんなにおかしなことかのう。そんなことを言うのなら、顔を合わせた瞬間からむくを救う、幸せにすると宣うた不躾な男を一人、知っておるが』

 

『その理由に噓はない。心の鍵が開いた瞬間、それまで主様がむくに訴えかけた言葉、尽くしてくれた手をありがたいと感じた。これは本当じゃ。……じゃが、主様を好いた直接の理由は、そうじゃの――――なんとなく、かの』

 

 偽の〈封解主(ミカエル)〉で心の鍵を開けられた六喰は、驚くほど士道に友好的で、好意的だった。それこそ、突然現れてアイラブユーと叫ぶ士道側からすれば、困惑してしまうくらいに懐き過ぎていた。

 

 

『好き嫌いなぞ、突き詰めれば所詮はそんなものじゃろうて。なんとなく――――主様はむくに近いような気がしての』

 

 

 言葉の数々を思い起こす中、引っかかったのはこの言葉。

 一体、士道のどこに近い要素を感じたのか。感覚や好みが近しいものに、心を開くこと自体は不思議なことではない。しかし、六喰は士道にどんな親近感を覚えたのだろうか。

 

「驚愕。確かに二亜の言う通りです。もっと無愛想な精霊を想像していました。それで士道、肉奴隷とは一体どういうことですか」

 

「士道さんが心の鍵を開けたから……でしょうか? あの、気になり……ます」

 

「うーん、でも可愛かったですねぇ。身体はちっちゃいのに出てるところは出てるというかぁ。ぬふふ、だーりんもお好き者ですねぇ」

 

「……美九、気持ち悪い。ちなみに士道はもっと気持ち悪い」

 

 とまあ、士道が深く悩んでいるというのに精霊たちは士道が選択肢で言わされた台詞に興味津々、じっとりとした視線を送ってくるのだが。

 

「いや、だから、それは選択肢でだな……」

 

「もしや少年、くるみんにそういうプレイをお望み?」

 

「本人に言うなよ。撃つぞ、俺が」

 

「……え、マジ顔で怖いんだけど」

 

 意識したつもりはなかったのだが、二亜のニヤけた顔が引き気味になるくらいには低い声で返してしまったようだ。

 望む望まないはともかく、わざわざ狂三の耳に入れたくはない。彼女の今までの察しの良さから、勘違いは生まれないとは思っているのだが、それでも思春期を通り過ぎた少年にとっては悩ましい発言なのだ。断言するが、士道は言わされただけである、他意はない。

 そんなやり取りを見て、呆れ気味に息を吐いた琴里が声を発する。

 

「そういうこといつまでも気にしてるから、狂三に勝てないチェリーボーイなのよ」

 

「ここでそれは関係ないだろ!?」

 

 とはいえ、事実なわけだし違うとも言えないのが苦しいところではあるのだが。

 そうやってくだらない会話をしていると、不意に病室の扉が開いた。

 

「起き掛けだと言うのに、相変わらずお元気でいらっしゃいますわねぇ」

 

「狂三!!」

 

 扉を開いたまま入ってきたのは、射干玉の髪を肩口に結わえた精霊、狂三だった。いつもなら、こうして士道が一番大きく反応するのだが……。

 

「狂三、目が覚めたのか!?」

 

「大丈夫、ですか……? もう少し、休んでいた方が……」

 

『うんうん、もうちょっと寝てた方がいいんじゃなーい?』

 

「うむ。突然倒れたとあってはな。我ですら驚いたぞ」

 

 今回ばかりは周りの反応の方が大きく、士道はギョッと目を見開いた。無論、その中身に関してもだ。

 慌てて狂三の元へ駆け寄り、彼女の肩を掴んでいの一番に身体の無事を確かめる。

 

「倒れたってどういうことだ? もしかしてどこか怪我したのか!?」

 

「なんでもありませんわ。少なくとも、地球と宇宙をその身一つで行き来した士道さんよりは」

 

「あ……いや、それはだなぁ……」

 

 ジト目で責められると、士道もあまり強くは出れず、最初の勢いは難なく萎んでいく。詳細を問い詰めたいが、問い詰めようとしたら士道の無茶の方が問い詰められそうな雰囲気だ。

 複数の天使による防御と〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の回復があったとはいえ、人の身で大気圏を超えたダメージは士道の身体に蓄積されている。それを詰られると、必要なことだったとはいえ士道にとっては言い訳のしようがない。

 ただ、目の前のお嬢様は頑固者で意外と心配性だが、決して話がわからないわけではない。士道の無茶の理由も大方察してくれているのか、短く息を吐いて返した。

 

「……まあ、あなた様が無事なら深くは追求いたしませんわ。六喰さんとは、お話することが出来ましたの?」

 

「ああ。琴里が俺の身体を気遣って一晩時間をくれたけど、明日に六喰と会う約束が出来た」

 

「な……ッ!!」

 

 士道が言った途端、琴里がボン、とわかりやすく顔を真っ赤にし、流れ弾に激突したようにアワアワと首を振りながら慌てて会話に介入した。

 

「か、勝手に人の考えを捏造しないでちょうだい!! こっちのサポート態勢が整ってなかったからに決まってるでしょ!!」

 

「わかってるって。ありがとな、琴里」

 

「……むぐぅ」

 

「――――うふふ、ふふ」

 

 照れなのか、何なのか。なんとも言えない声で返事をした琴里を見て――――一瞬だけ、狂三が穏やかな顔をしたのを、士道は見逃さなかった。

 彼女が時折見せる、年の離れた妹を微笑ましく見守るかのような微笑み。士道はそれが、堪らなく好きだ。目を奪われるのも、無理はないと言い訳してしまうくらいに。

 ずっと見ていたいとさえ思う。だが、狂三がそれを見せるのはやはり一瞬のことで、直ぐに真剣ながら妖艶な微笑みへ変え、言葉を紡いだ。

 

「それでは、わたくしの助力もこれまでですわね」

 

「っ……行くのか?」

 

 ほんの少し動揺を見せてしまったのは、何も士道だけではない。端的に告げられた言葉には、精霊たちも大なり小なり目を丸くしている。

 皆の動揺をわかっている。わかっていながら、狂三は躊躇いなく首肯を返した。

 

「ええ。舞台を整えるまではともかく、精霊とのデートは専門家にお任せいたしますわ。それにわたくしも――――この子が戻ってきた以上、留まる理由が少なくなってしまいましたもの」

 

「え……っ!?」

 

 狂三の向ける視線に釣られて、士道たちが目を向けると、開けられた扉に寄りかかる白い影があった。

 知らぬ間に、誰にも悟られずそんなことを出来るのは、そして見なれた外装を纏うのは、一人しかいない。そんな彼女が、呑気に手を振りながら声を発した。

 

「はいはーい。今度は直接ごきげんよう。宇宙旅行、お疲れ様でした」

 

「〈アンノウン〉――――!?」

 

 次いで、その影を見て真っ先に飛びかかる勢いで駆け出した者を見つけ、士道は半ば反射で彼女の――――折紙の腕を掴んで止めた。

 

「お、折紙!?」

 

「士道、なぜ止めるの、離して」

 

「な、なぜってお前……」

 

「――――私たちには、彼女を捕まえる理由がある」

 

 折紙が冷静に、しかしどこか感情の昂りを感じさせる声色でそう告げたことで、士道もハッとなる。

 そうだった。どんな方法でもいいから少女を捕まえる。そうすれば、霊力を封印して、更には全てを話してもいいと言ったのは〈アンノウン〉自身だ。

 すると折紙の指摘で、飛んでいたのか突然の〈アンノウン〉にフリーズしていたのか、皆が大慌てで動き始めた。

 

「捕縛。優勝は夕弦たちがいただきます」

 

「くくく、颶風の御子として負けるわけにはいかぬな!!」

 

「むむむ、私も負けていられませんねぇ。〈アンノウン〉さんを一番に捕まえたら、そのお顔を拝んで……むふふふふふふ」

 

「……これ、そういう趣旨の企画じゃないと思うんだけど」

 

「へいくるみん!! こういう時こそいつものやつやっちゃってよ!! 影でババっといっちゃおう!!」

 

「……いえ、わたくしはお手伝いいたしませんわよ? 立場からいえば、この件に関してわたくしは皆様の敵なのですから」

 

『……あ』

 

 当たり前といえば当たり前の事実を、最近出会った二亜はともかく精霊たちも複数名は忘れていたらしく、素っ頓狂な声を上げた。

 白い少女は狂三の従者であるし、狂三も白い少女のことは自身に付き従う者として関わっている。当然の話ではあるが、今の狂三が手伝ってくれるわけがない。

 琴里が呆れて頭を抱え、士道も困り顔で頬をかく。何と、当事者の少女からもおかしそうな笑い声が聞こえてきた。

 

「おやおや。随分と馴染んでいますね、我が女王。このまま懐柔ですか?」

 

「相変わらず、冗談の質はマリアさんにも劣りますわね」

 

「あらら、これは手厳しい。努力するといたしましょう」

 

 変わらないやり取り、違和感を感じさせない会話――――それが、この二人が決めた選択なのだろう。

 

「それでは皆様、ごきげんよう」

 

「私もこれにて自主退院です。皆様方、またお会いしましょう。私はいつでもお待ちしていますよ――――――あなた方に見つけられるなら、ですけど」

 

 狂三は比較的簡素な別れの挨拶を、白い少女は挑発混じりの言葉を。思わず飛び出しかけた者もいるが、行ったところでどうにもならないことをわかっているのか、実行には移すことなく……二人の姿は、こんなにもあっさりと扉の向こうへ消えてしまった。

 

「……そういえば、〈囁告篇帙(ラジエル)〉返してもらう前に退院しちゃったね」

 

『あ』

 

 二亜がポツリと呟いたそれに、今度は士道も混ざって素っ頓狂な声を上げた。……忘れておいて何だが、割と重要なものを返してもらい損ねたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っあぁー……」

 

 狂三たちが立ち去ってから四十分後。数ヶ月ぶりの喪失感とでも言うのだろうか、とにかく似たような感覚に一同が言いようのない空気でいた中、琴里が気分を入れ替えるように士道にある施設を使わせてくれた。

 広い浴槽。温かなお湯が身に染みる。だが、ただの巨大な風呂と思うなかれ。驚くべきことに、液体に顕現装置(リアライザ)で発生させた魔力を帯びさせているらしく、風呂の役割を果たしながら治療効果まであるということだった。

 治療用ポットも便利なのはわかるが、あれにはない気持ちよさがあると士道もご満悦といったところか。

 

「こりゃいいな……疲れが抜け落ちてくみたいだ」

 

 肩に乳白色のお湯を浴びせ、溜まりに溜まった疲れを絞り出すように息を大きく吐き出した。

 

「……そういや、前にもこんなことした気がするな」

 

 以前のあれは真っ当な露天風呂だったが。などと、少しばかり懐かしい記憶に浸る。あの時は確か……そうだ、狂三の幻聴が聞こえてきて大慌てしたんだった。

 

「あら、あら。懐かしい思い出ですわ」

 

「そうだなぁ……ちょうどこんな風に――――――」

 

 ちなみに、今回はワンテンポ反応が早かったと明記しておく。微妙な成長の程を伺えるとも言うし、一周まわって頭がパンクしたとも言える。

 編み上げられた射干玉の髪が、先程までとは違う(つや)やかさに雫がしたる。

 普段は髪に隠されている首筋の白磁が(あで)やかに潤いを見せる。

 そして、(なま)めかしく笑みの形を取った薄紅の唇は、一瞬にして士道の理性という名の壁を粉々に破壊するには、十分すぎた。

 

「……ぶぉぶぉひて」

 

「どうしてここにいるのか、ですの? あら、わたくしは留まる用事が薄くなったとは言いましたが、なくなったとは一言も申し上げていませんわ」

 

 精神を落ち着けるために口元まで潜水してから喋ったのだが、熟年の関係なのか綺麗に伝わってくれたようだ。

 

「ん、ぁ……本当に、気持ちがいいですわぁ」

 

「……!!」

 

 凝り固まった身体を解すように軽く伸びをすると、辛うじて湯に収まっていた二つの大きな果実が浮遊し、士道の目にクリムゾンなスマッシュを決め込んでくれた。

 ついでに、水面に口をつけていると変態っぽいので諦めて顔を出す。もはや同じ湯に入っているという事実が、背徳的な快楽とさえ思えてきてしまう。

 

「…………いや、その、なんでいるの?」

 

「わたくしの生まれたままの姿は、お嫌いですか?」

 

「……好き、です」

 

 答えになってない。答えにはなっていないのだが、そのように頬を染めて問いかけられては据え膳食わぬは男の恥というもの。

 

「…………あんまりこういうことすると、手ぇ出すからな。どうなっても知らないぞ」

 

「ふふっ、構いませんわ。わたくしの霊力(くちびる)以外の全ては、あなた様に捧げているのですから」

 

「………………ぐぅ」

 

 今度こそ、茹でダコのように顔から熱を上げ、ザブンと顔から湯船に着水した。

 そんな、微かに目線を逸らす可愛らしい恥じらいを残しているくせに、それこそ狂三の方がよっぽど〝狡い〟じゃないかと愚痴を垂れたくなるが――――今狂三を直視して言おうものなら、士道の煩悩はどうなるかわかったものではない。

 こういった状況になると誰の助けも借りられないし、男の士道側が圧倒的に不利なのだ。狂三側が以前より明らかに適応しているのが、更に不利を加速させている。

 

「……どうやって入ってきたんだ?」

 

 苦し紛れの話題逸らし。露骨に狂三の方を見ずに聞くと、クスッと可笑しそうな声が浴槽に響いた。明らかに圧されているが、こればかりは仕方ない。

 

「まあ、皆様は鬼ごっこに夢中なご様子でしたので。ほら、聞こえませんこと?」

 

「鬼ごっこ……?」

 

 普段は聞かないような童の遊び用語に首を捻った士道だったが、狂三の言う通りに耳をすませてみると、浴室の外の脱衣場辺りから何やら騒がしい声が響き渡っていることに気づいた。

 

『あはは、鬼さんこちら手の鳴る方へー、なーんて、一度言ってみたかったんですよねー』

 

『逃がさない……!!』

 

『待つのだ通りすがりの人!!』

 

『それは私の台詞よ!! 待ちなさい二人ともせめて服を着てちょうだい服を!!』

 

 ……多分、妹がまた苦労してるんだろうなぁ、という悲痛な叫びに、兄としてちょっとだけ目元から別の水滴が流れ出た。……そこまで考えて、位置と服装的にまさか折紙たちまで突入してくる気だったのかと、戦々恐々に湯船の中で身震いという貴重な経験を得たのだった。

 

「なるほど、大体わかった……」

 

「おわかりいただけて、何よりですわ」

 

 恐らくニッコリと微笑んでいるんだろうなぁとは想像できるが、できるからと言って振り向けるわけではない。

 言葉が途切れて、浴槽に水滴が落ちる音が大きく鼓膜と心臓を震わせる。隣には好きな少女の裸体。見たいか見たくないかでいえば、脳内会議などするまでもなく見たいの一言。だが、やってしまうと士道の個人的なプライドがうんたらかんたらどうたらこうたら――――そんなんだからチェリーボーイなのよ、というシンプルな罵倒が今になって心に突き刺さった。

 

『…………』

 

 試しに、湯船の縁にさり気なく身体を寄せていく。士道が湯を揺らすのと同じだけ、隣からの流れも揺れていた。全くもって無駄な抵抗である。

 仕方ないので、気を紛らわせるように別のことを思考する。それこそ、余計な懸念と言えるかもしれないが――――心を開いた六喰のことだ。

 

「明日……か」

 

 無意識に呟いた士道の独り言は、小声とはいえ浴室にはよく響いてしまう。そうでなくても、精霊の耳は小さな声だろうと拾ってしまうのだろうけど。

 

「不安ですの?」

 

「…………」

 

「わたくしに対して嘘は無用のものですわ、士道さん」

 

 嘘をついたところで、見抜かるだけだしな。内心で笑ってしまうくらい、狂三に弱い自分に苦笑し、情けない己の裡にある気持ちを士道は暴く。

 

「……正直、精霊とデートする前はいっつも緊張してるんだ。情けないよな……一体、どうやったら相手が心を開いてくれるのかとか、考えちまうんだ」

 

 どれだけ強がっても。どれだけ己を冷静だと演じていても。どこかに、そういう士道が残っている。

 不安を抱え、本当にできるのかと自問自答を繰り返す五河士道がいることを、士道は否定することができなかった。

 

「情けないなど仰らないでくださいまし。どのような危険が伴うかさえわからない。精霊の心を開くことができるかさえ、わからない。あなた様だけにしかできないことだと言うのなら、尚のこと不安を感じて当然ですわ――――――ある意味、世界にとっての英雄的行為なのでしょうか」

 

「英雄、ねぇ……」

 

 ふと告げられた大それた称号に、思わず笑ってしまう。柄じゃないし、荷が勝ちすぎると思えてるのだ。

 

「世界がどうにかなるってなら、何だかんだで見捨てられない気はするけど……それよりも、大事な女の子のために俺は頑張りたいかな」

 

「世界より、わたくしの方が大切だと?」

 

「それを、今さら俺に言わせるのか? ちょっと不躾なこと(・・・・・)なんじゃないか」

 

 ――――勇気を出して振り向き、意趣返しのように微笑んでみせる。

 目をぱちくりとさせた狂三は、自身の発言をそのまま返されたことに気がついたのだろう、苦笑混じりの微笑みを返した。

 

「ふふっ、そうですわね。申し訳ありません、わたくしの愛しい人」

 

「気にしないでくれよ、ハニー…………うん、やっぱこれはないな」

 

「きひひひ!! もう少し工夫を凝らせば、わたくしのハートを射抜けるかもしれませんことよ」

 

「努力させてもらうよ」

 

 戯けることで、少しはマシな顔つきになったかもしれない。強ばった顔でデートなど、素人がやること。士道はデートのプロフェッショナルなのだ……いや、それで誇るのはどうかと思うのだが。

 別の意味での緊張は解れないが、明日への緊張や懸念は抑えられつつある。だが、我儘を通すと、あと一つだけ――――狂三の指に、触れる。

 

「……!!」

 

「ごめん。ちょっとだけ、いいか?」

 

 驚きから乳白色に波紋が広がる。けれど、それ以上の抵抗はなく、それどころか合わせるように重ね、絡まる指に士道は目を見開く。

 

 

「こういう時は、ありがとう、ではありませんの?」

 

「……ああ、そうだな――――――ありがとう」

 

 

 もう少しだけ、甘える勇気をもらおう。二人だけの秘密、二人だけの世界で。

 大好きな人から、救いたい子を助けるための勇気の儀式。ああ、こんな時間が、いつまでも続いてほしい――――――切に願う士道の心が、叶えられる日は来るのか。

 

 

「……あ、今度こそごめん。のぼせたかも」

 

「あら、あら……」

 

 

 誰にも予知できない未来を願い――――――星の世界とのデートが、始まる。

 

 

 





或いは、キミがいるから世界が在る。

ある意味で士道の恐ろしいまでの善性で成り立ってる世界は怖いのかもしれませんね。もしくは、そうなるように仕込まれた世界が。

寝不足頭がこんにちは。何か久しぶりに二人が脇目も振らずハチャメチャイチャイチャする話をかけた気がします。楽しい。
というわけで、スポット参戦し続けていた二人がここで一時離脱。まあ、〈アンノウン〉に関して狂三が手伝うわけがないのはご存知の通り。そして、現状では捕まえられないものご存知の通り。はは、何だこのクソゲー。

まあ一時離脱といっても、この作品のメインヒロイン様は誰なのか。ふふふ。
さあ、さあ、星宮六喰の本質を垣間見る時です。果たして士道の運命は。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!

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