デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百四十三話『無垢なる好意』

 

 

 大概、環境の変化に伴う感情の発露というものには、喜びの前に困惑が訪れる。

 感情とは刻一刻と揺れ動き、たった一つを制御しようと思っても、容易くはいかないものだ。恐らくは、狂三が観測者として再び見えたこの少年にとっても、そうだったのだろう。

 己を守る殻とは、否定。

 自分はこうなのだから仕方がない。

 自分にはそれがないのだから、仕方がない。

 そうやって言い聞かせることで、他者への羨望や嫉妬を抑え込む。なぜ、自分はこんな境遇なのかと、誰かを恨んだりすることのないように。

 自己否定は逃避ではなく、他者への攻撃を行わないための自衛なのだ。

 

 少年――――士道は捨てられた自分は無価値なのだと、必要とされていないのだという諦観の防波堤。

 狂三の場合は……さて、どうだっただろうか。消えてしまいたいと、思ったことがあるかもしれなかった。誰かと殺し合うことで、復讐しか残っていない空虚な心を満たそうともした。

 ただ、どうだったかと己に問わなければいけないほど、時崎狂三は長い時の中で憤怒だけを糧に生きてきた。喜びは忘却し、悲哀は機械的なものへ――――憎悪だけが、長き時を経てなお同じ貌を示している。

 憎悪がなければ生きてはいけなかった。それ以外に必要なものなどなかった。多分、否定という一点で共通する狂三と少年は、同じことで困惑したに違いない。

 

 とどのつまり――――――突然与えられた強い愛情に、戸惑ってしまったのだ。急に必要とされたことへの疑い。どうせ、この人たちも自分を捨てるのだという疑念。

 切り捨てようとして、彼の強い想いに打ち負けてしまったばかりに、忘れていた……忘れようとしていた、変質した感情の数々を無遠慮にぶちまけられてしまった狂三。

 ただし、それは狂三の場合だ。精霊として長い時間を過ごしている狂三と、生まれて間もないと言っていい年齢の少年では感情の整理に雲泥の差がある――――――まあ、感情の整理がついた頃には、「お父さん」、「お母さん」と呼ぶタイミングを逃していたという、何とも可愛い悩みというだけだったのだが。

 そんな悩みを解消したきっかけは――――――子供らしい勇気の花と、優しい家族のお話として、狂三の胸に留めておくことにしよう。

 

『っ……』

 

 すると、その時。〝何か〟が狂三と少年の間に入り込んできた。たとえるなら、二本の繋がれた線に、横からもう一本の線が混濁したような感覚。

 夢の中で狂三が顔を顰め、視線が一度途切れる。それが収まった一瞬後に、狂三が観測する家族の構成(・・)は入れ替わっていた。

 

 父と母と、()。彼女にとっては、手に入れた家族こそが文字通りの〝全て〟。自分を取り巻く〝世界〟。

 家族が揃う何気ない朝食。輝かしい色彩の中で、流れ行く時間。

 

(――――の髪は、本当に綺麗だね)

 

 大好きな姉が梳いて、褒めてくれること。長い髪をお団子状に編んでくれる姉は、彼女からすれば魔法使いのように見えたのだろう。興奮のままそれを伝えると、姉は驚いた顔をしてから、表情を微笑みに変え――――優しく頭を撫でてくれた。

 それが嬉しくて、たまらなく嬉しくて。彼女の〝世界〟はそれで完結していて――――――

 

 

(ねえ、――――ちゃん。随分髪長いけど、少し切った方がいいんじゃない? ねえ、――――もそう思うよね?)

 

(うーん……そうだね。ちょっと伸びすぎかな? 今度切ってあげよっか?)

 

 

 だからこそ、酷く、脆い(・・)。たったそれだけの言葉で、何の悪意もない言葉で、ただ友人へ姉が同意をしただけで――――――彼女の〝世界〟は崩壊した。

 何を馬鹿なことを、などと言えるのは部外者だからだ。少なくとも彼女にとって他人とは、愛する人との一番(・・)ではないと証明する外敵に等しいものだった。自分より大切なのだ(・・・・・・・・・)という、被害意識。

 綺麗だと、好きだと言ってくれた姉が、友人の何気ない一言で言葉を曲げてしまったと思い込む(・・・・)

 引き取ってくれた母も、父も、姉も、皆が自分の知らない世界を持っている。誰かと話をしている。それを許せない、歪に育った独占欲。誰も正してはくれない致命的な誤認識。

 

 ――――あの忌まわしい女が目をつけるのも当然だと、狂三は戻りゆく意識の中で現れたそれ(・・)に届かない毒を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――狂三?」

 

「!!」

 

 意識を回帰させた狂三の鼓膜が震え、感じたのは久方ぶりに少女に名を呼ばれた懐かしさだった。

 とあるビルの屋上で、網膜に映り込む景色を俯瞰しながら、狂三は頭を振って本を手にした(・・・・・・)少女へ向き直る。

 

「……いつから、わたくしは意識を飛ばしていました?」

 

「ほんの数秒前でしたよ。あなたにしては珍しいですね」

 

「ええ……こんなことでは、『わたくし』にも笑われてしまいますわ」

 

 指で目元を抑える仕草をしてみるが、特別疲れが溜まっているような様子は見られない。

 それに、数秒で視る(・・)にしては、妙に長い夢だった。時の精霊が自身の体感時間を疑うというのも、おかしな話ではあるが。

 様子がおかしい狂三を見て、少女もただの疲労ではないと察したのか首を捻り声を発する。

 

「また何か視えましたか?」

 

「……〈刻々帝(ザフキエル)〉が、というわけではありませんわね。恐らく、士道さんとどなたかの過去の記憶ですわ」

 

 士道はともかく、その他の者の記憶が狂三にまで流れ込むなどおかしな話があったものだ。

 ビルのフェンスに指を遊ばせ、物思いに耽る狂三へ少女が素朴な疑問を提示した。

 

「……我が女王、見ない間に潔癖になりましたね」

 

「また何ですの。相変わらず藪から棒に」

 

「だって、【一〇の弾(ユッド)】を使った時は、そんな風に不機嫌になったりしなかったでしょう」

 

 まるで、誰かの記憶を遠慮なしに覗く思慮の浅い人のような言い方をしてくれる。自身のことながら表情筋が歪むのがわかるが、狂三は少女の言いたいことがわからないわけではない。

 これまで誰かの記憶を覗く機会はいつもあった。しかし、それは必要なこととして割り切られたもの。今回のように強制的に誰かの過去を垣間見るのは、狂三だって遠慮というものが存在する。

 それに、もう一つは……くだらない自己満足だと、狂三は息を吐いて言葉を継いだ。

 

「わたくしとて、士道さんの記憶でなければこんな感情を抱いていませんわ。例えばあなたの記憶であれば、情け容赦なく拝見するでしょうね」

 

「私に対する慈悲とか遠慮はないんですね……」

 

「あなたが遠慮するなと仰ったのでしょうに。けれど士道さんは――――――わたくしの記憶を、知りませんわ」

 

 それも、知らないだけではない。知ろうとしてくれて――――狂三はそれを恐れ、拒絶している。

 心のどこかで、知ってほしい(・・・・・・)と思っているくせに。自分の心への苛立ちから、指に込める力が自然と加わりフェンスが歪む。

 

「待ってくださっている方の記憶を、わたくしが一方的に視てしまうなど、不平等ですわ、公平ではありませんわ。勝負は公平でならなければならない、などと綺麗事を吐くつもりはありませんわ。ですが、せめて……」

 

「…………」

 

 せめて、それくらいは、平等(・・)でいたかった。これもまた、狂三の弱い心が生み出した自己満足に過ぎない。

 

「……意外と素の思考が乙女チックですよね、我が女王」

 

「無論、わたくしの同情を誘う、という意味での不平等ですけれど」

 

「そういうところがツンデレと呼ばれる所以なのでは?」

 

 誰も呼んでないし、何だったら少女が限定的に言い張っているだけだ。マリアと言い、ああ言えばこう言うタイプは言い返してもこれだと、狂三は半目で睨み、話を元の方向に戻すため叱咤を放つ。

 

「余計な口を開く前に、必要な情報を選んでくださいまし」

 

「ああ、これは失礼しました。我が女王の仰せのままに」

 

 相変わらず戯けるような礼を見せ、手にした大きな本を宙に浮かべ、開かれた頁にか細い手を触れさせる。

 すると、少女の意志に呼応するように本が――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉が光を放ち、少女と狂三が求める情報の解を即座に導き出す。

 その力こそ、唯一無二、全知の天使が持つ輝き。地球上のあらゆる事象を閲覧できる能力。たとえば、今起きている出来事、士道と六喰のデート(・・・・・・・・・)を見ること、とか。

 

「……今のところ、大きな問題はないようです。強いて言えば、星宮六喰の長い髪を切る提案をした時、彼女の感情が大きく揺れ動いたことでしょうか」

 

 続けて「ま、本人にも理由はわからないようですけど」、と付け加えられた情報を聞き取り、狂三は顎に手を当て思考を巡らせた。

 〝髪〟。六喰の足元まで及ぶ長い金色の髪――――そういえば、先の夢に同じような光景が浮かんでいた気がして、狂三は微かに眉をひそめた。

 と、少女が今度は少し言いづらそうに声を発した。

 

「……それと、五河琴里が煽りを受けました、胸の」

 

「…………ああ、なるほど」

 

 大方、目立つ服から着替える時に何かあったのだろう。デート前に士道の家に立ち寄ったことは検知済みだ。

 六喰と琴里は見た目でいえば同年代に見えるが、胸部に決定的な格差がある。それこそ、レベル1とレベル99の差くらいはあってしまうのだ。

 同情と哀れみから、今度会う時はさり気なく甘い物の差し入れをしてあげようと思う狂三だった。そんな哀れみと悲しみの視線を作る狂三に、少女が乾いた笑いを返した。現実というのは、非情ながら受け入れなければならないものなのだ。

 

「……というか、一応本条二亜からの借り物なのに、躊躇いなく使いますね」

 

「『わたくし』のものはわたくしのもの。あなたの力はわたくしのもの。つまり、二亜さんの〈囁告篇帙(ラジエル)〉もわたくしのものですわね」

 

「……さすが我が女王」

 

 ふふんと得意げに微笑んで見せると、少女がそう言葉を発する。言葉とは裏腹に、褒め称えるというよりは呆れ果てている声色ではあったが。

 

「私もそのつもりで力に慣れるよう努力はいたしましたけど……いつものやり方で、問題はなかったのでは?」

 

「あら、あら……」

 

 確かに、少女と狂三は今まで同じ方法でデートを見守ってきた。初めは士道の監視という観点から、次第に士道の危機を素早く察知できるように、という理由から。今は霊装を纏っているとはいえ、素早く駆けつけられるという立ち位置ではない。

 苦言という程ではないにしろ、従者からの疑問には答えねばならない。

 

「あなたの言う通りですわ。〈囁告篇帙(ラジエル)〉越しでは、感じ取り方に違いが出てしまうのも事実」

 

「それを差し引いても、星宮六喰と距離を置きたい理由があった、と?」

 

「……一つは、六喰さんの〈封解主(ミカエル)〉。移動に活用されては、監視に支障が出てしまいますわ」

 

 事実、士道を出会い頭に〈封解主(ミカエル)〉の力で扉を開いて拉致、ということや、提案されて真っ直ぐ士道の家に扉を繋げることまでしている。

 幾ら少女の足があるとはいえ、距離をいきなり離されては面倒なことこの上ない。それなら、〈囁告篇帙(ラジエル)〉で確実に監視した方が安全かつ素早い。

 だが、理由としては今一つだろう。だから、一番なのは狂三自身のとある感情によるもの。一つの警戒心(・・・)からだった。

 

「もう一つは、わたくし自身が六喰さんに対して少しばかり警戒をしている、というものでしょうか」

 

「……〈封解主(ミカエル)〉の力ですか? それとも、〈刻々帝(ザフキエル)〉が何かを視せたと?」

 

「そういうものではありませんわ。これは――――――」

 

 これは、そう。他人には理解し難いものなのだろう。過去の『狂三』に聞いたところで、理屈のないそれは、理解からは程遠い答えが返ってくるものだ。

 しかし、狂三にはその確信があった。後ろ手に組み、薄く微笑んだ狂三は風に乗せて言葉を紡いだ。

 

 

「――――女の勘、ですわ」

 

 

 たったそれだけで、狂三は星宮六喰と一切接触しなかった(・・・・・・・・・)

 いつもより感情の読みやすい白い外装の下から、ぽかんと呆気に取られた反応の波が伝わってくる。

 無理もない。指示を出す狂三がこんな一般的な理論から外れた理由を提示するなど、白い少女からすれば驚きが一番に来る感情のはずだ。事実、少女はそのまま正直な感想を口に出した。

 

「……未来予知まで出来るあなたが、女の勘に頼るとは」

 

「わたくしもそう思いましてよ。非論理的な感情ですわ。今回ばかりは、あなたが方針を変えたいというなら、無理強いはいたしませんことよ」

 

「我が女王がお決めになったことであれば、私が何かを変えようなどとおこがましい。まあ、あなたの言う通り些か非論理的で――――――」

 

 と。少女が不自然に言葉を切ったところで、狂三もそれ(・・)に気が付き眉根を上げる。

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉が一層に輝きを増し、少女に何かを伝えた。それも、外装の下で少女の感情を動かすほどの〝何か〟を。

 

「何か士道さんの方に変化がありましたの?」

 

「……ええ。少し、いえ、かなり状況が切迫するかもしれないものが――――げに恐ろしきは女の勘と執念、ですか」

 

「……? 何を――――ッ!?」

 

 目を見開いた狂三の視界が、刹那――――真っ白に染まった(・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 六喰とのデートは至極単純明快でオードソックスなものであり、それでいてかなりの充実感を与えられたものだった。

 街並みを散策し、気になった店に立ち寄り、六喰の趣味に合うものを購入し――――だからこそ、気になることができてしまった。

 蒔絵の扇子という古風なものでパタパタと扇ぎながら、六喰が上機嫌に鼻歌を歌っている。そんな六喰の隣でベンチに腰掛けた士道は、インカムから届く琴里の声を揺れる心で聞いていた。

 

『――――いい感じね。今日一日で、六喰は士道に十分心を開いている。封印可能域までもう一押しってところよ。あれだけ苦労したのは一体なんだったのかしら。気を抜かず、このまま一気に畳みかけましょう』

 

「……ああ」

 

 無邪気にはしゃぐ六喰を横目で捉えながら、士道は僅かに躊躇いを乗せた声を返した。僅かではあっても、琴里には当然悟られてしまうほどのものだったのか、彼女がインカムから不思議そうに尋ねた。

 

『何、どうかしたの?』

 

「いや……確かに、六喰は凄く楽しそうだし、好感度も機嫌も上がってるならそれに越したことはないんだけど……ちょっと、気になってな」

 

『何がよ』

 

「――――六喰が自分の心に鍵を掛けた理由。どうして、宇宙に一人でいたんだろう……って」

 

 鍵を開き、心を開いた。結果、士道は六喰の好感度を上げることができている。それ自体は喜ばしいことだし、六喰が〝楽しい〟と感じてくれていることが士道にとっての喜びだ。

 だが、素直に感情を表すことができる六喰だからこそ――――士道は、宇宙で問うた疑問の答えが気になってしまったのだ。

 何も必要とせず、感じることをせず、考えることもなく。人形のように静止した世界で生きることを選んだ六喰。どうしてそうなったのか(・・・・・・・・・・・)。結果に至るまでの過程を、士道は手にすることができていないのである。

 なぜ、悲しき選択をしてしまったのか。今の六喰を見てしまったからこそ、士道は理由を想像することさえできなかった。

 

『それは……確かにね。でも、大事なのは昔の六喰じゃなくて、今の六喰でしょ? 霊力封印のチャンスを逃す理由にはならないわよ』

 

「ああ……わかってる」

 

「――――ふふふ」

 

 と、琴里と話し込んでいた士道の耳に六喰の笑い声が届いたことで、会話に集中していた意識を即座に六喰へ向き直した。

 

「なるほどのぅ。主様が言うだけある。実に楽しい一日じゃった」

 

「はは……気に入ってもらえたなら何よりだ」

 

「ほむ。礼を言っておこう。確かにむくがあのまま空にいたなら、生涯味わうことのなかった楽しみじゃろう。いやしかし、むくにここまでしてくれるとは、さては主様――――――」

 

 不意に細められた六喰の目に、士道は心が見透かされたような気になり、逃げるように身体を逸らした。

 宇宙で相対した時も思ったのだが、六喰という少女は事の本質――――裏側を見抜く力に長けた子だと思わされてならなかった。

 

「え? な、なんだ?」

 

「――――むくのことが好きなのじゃろう?」

 

 が、今回は的外れな思考だったようだ。いたずらっぽい笑みを浮かべて放たれた言葉に、警戒し過ぎたかと士道は苦笑に望みの言葉を返す。

 

「……ああ。六喰のことは好きだし、守ってやりたいと思うよ」

 

 嘘はない、本当の言葉だ。偽りを好かないと言った六喰のためにも、士道は今の六喰が相手だろうと嘘を言う理由はない。精霊たちを守りたいのも、皆が好きなのも、士道が本気で貫くものなのだから。

 士道がそう返すと、六喰は豊かな表情の口元を扇子で隠し、足をパタパタとさせながら言葉を継いだ。

 

「ふむむん、そうか、そうか。むくのことが好きか。ふむむん――――むくも、主様のことが気に入ったのじゃ。好きじゃぞ、士道」

 

「っ――――ああ、俺も好きだよ、六喰」

 

 士道の顔を覗き込むように――――幼いながらも、妖艶さを感じさせる六喰に息を詰まらせながら、何とか彼女の求める言葉を解き放ってみせる。

 答えに満足したのか、六喰は満足げに笑みを作ってくれた。

 

「んふふ。そこまで言われては仕方がないの。――――よかろ。主様が宇宙で申した件、考えてもよいぞ」

 

「!! 本当か?」

 

「むん。ま、霊力を失うという点だけは気に掛かるが……その分主様がむくを守ってくれるというのであれば、悪い気はせぬ」

 

 満更でもない、といった様子の六喰を見て、士道の中で張っていた気がほんの少しだが緩むのがわかる。

 依然として、六喰が心を閉じた理由は気にかかる。しかし、それに囚われすぎて、琴里が言うように今の六喰を蔑ろにするわけにはいかない。大切なのは、六喰が納得し、封印に応じてくれることだ。六喰が幸せに暮らせると士道を信じてくれるのなら、全力でそれに応えよう。

 だが、上機嫌のまま次に放たれた言葉に、士道は返す言葉を失った。

 

 

「――――ただ、もちろんあれじゃぞ? むくと契る以上、昨日あの部屋にいたおなごたちとは金輪際会わぬと違うのじゃぞ」

 

「――――――え?」

 

 

 あまりに、自然であり……そして、それが間違っているなどとは一切思ってもいない顔。

 呆気に取られた士道に、六喰は不思議そうな顔で続ける。

 

「何を不思議そうな顔をしておるのじゃ。当然のことではないか。主様はむくのことが好きなのじゃろう? むくも、主様のことが好きじゃ。ならば主様はむくに何をしても構わぬ。しかし、そこに別のおなごが入ってくるのはおかしな話じゃろう?」

 

 当然、といえば当然なのかもしれない。今まで、そういった精霊がいなかったことがある意味で異常だったのだろう。

 六喰が言っているのは、士道の好きからは外れた――――言うなれば、一生の婚姻関係(・・・・)近いものだ。つまりそれは、精霊が現れる度に封印してきた士道たちにとって、致命的な打撃となり得る一打であり、士道個人としても、受け入れることは不可能なものなのだ。

 士道にはまだ、救わねばならない人がいる。救いたい人が、いる。改めて考えれば、士道の行動を許容してくれている狂三は……精霊たちを受け入れてくれている狂三だからこそ、絶妙なバランスで成り立っていると再認識する。

 それが崩されてしまった瞬間、どうなってしまうのか。少なくとも、現状で士道が取れる行動は一つだけだ。

 

「むん? むくは何かおかしなことを言っておるか?」

 

「……あのな、六喰。よく聞いてくれ。それはできないんだ」

 

「むん? 主様は浮気性か?」

 

「………………」

 

『傷ついてる場合じゃないでしょ。封印と婚姻は違うものだって、ちゃんと説明してみるのよ』

 

 わかっている。わかってはいるのだが、何一つ反論ができない自身の現状と心に刺さる指摘に、さすがの士道のハードボイルドな魂にもヒビが入るというもの。どっちかといえば、ハーフボイルドじゃない? とか琴里からテレパシーが飛んできた気がするがスルーし、コホンと咳払いをしてから気を取り直して言葉を返す。

 

 

「前も言ったように、俺は、精霊みんなを救いたいと思ってるんだ。だから……これからもお前みたいな精霊が現れたら力を封印しなきゃならない。それに――――俺は、今まで封印してきた精霊たちのことも、六喰、お前と同じくらい大好きなんだ。六喰にも、みんなと仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 

 これでわかってくれるなら、話は簡単に済むのだが……六喰は、士道の言葉にキョトンとした表情を作った後――――何かを思いついたように手を打った。

 

「――――そうか、そうか。そういうことか。主様は優しいの」

 

「へ?」

 

「わかった。みなまで言うな。むくに任せておくがよい」

 

「お、おい、六喰……?」

 

 言うなり、軽やかにベンチから立ち上がり、蒔絵の施された扇子を閉じて、口元に触れさせる。

 驚くほど様になる美しい仕草――――だが、士道に漠然と不安を覚えさせる妙な気配が、今の六喰からは感じられた。

 

「――――では、今宵はここでお別れじゃ。また近いうちに会おうぞ、主様」

 

「六喰!?」

 

 暗い夜道をあっという間に走り去る六喰を見て、士道も遅れてあとを追いかける。彼女が普通の少女であれば、それで追いつくこともできたかもしれないが……〈封解主(ミカエル)〉を持つ六喰に、そのような理論は通じない。

 一瞬あとにも関わらず、六喰は影一つなく消え去っていた。

 

「一体……何をしようっていうんだ……?」

 

 心を開いた彼女が残した、不可解な言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを正しく理解したのは、母と父と、()()の夢を見た次の朝。

 

 

「――――あなた一体誰よ!! なんでうちの中にいるの!?」

 

「…………………………は?」

 

 

 ――――閉じた心を開くことが、必ずしも心を正せるものではないと、士道は嫌というほど思い知る。

 

 

 







割とこの二人の軽いテンポな会話は久しぶりな気がする。折紙編辺りから会話が重くなっていましたのでね。(表面上は)元通り。

そんなこんなで、我が女王の視点からお送りしました六喰デート編。何だかんだで、一番恐ろしいのは女の勘と執念だと思いますよ。というより、人の執念でしょうか。

さあ、さあ。無垢なる善意。最後の精霊が持つ真の狂気が明らかに。本当の意味で、その心を救うことは叶うのか。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!

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