デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百四十四話『白い悪夢』

 

 

『――――すまんが、何を言っているのだ?』

 

 どこにも、存在しない。

 

『あなたは一体誰?』

 

 記憶とは、存在の証明。記憶とは、他者が個人を認識するために必要なもの。

 

『え、えっと……すみません、わかりません』

 

『……意味わかんない。いこ、四糸乃、よしのん』

 

『あっははー、ごめんねおにーさん。別当たってー』

 

 記憶こそが歴史を積み重ね、記憶こそが世界を創る。記憶が、〝時間〟を生み出す。

 それが失われた瞬間、世界は容易く崩壊する。世界とは即ち、個人のもの。たった一つ、存在の証明の手段が失われれば、世界と個は離別し、完全なる孤立を意味する。

 

 故に、士道が最後の〝希望〟に縋り付くのは当然の結実なのだ。

 黒と紅。誰よりも愛おしい、彼女の背中を目にして。士道は力の限り彼女の名前を呼んだ。

 

 

『狂三ッ!!』

 

 

 手を伸ばせば、いつだって彼女は応えてくれた。勇気を奮い立たせた士道を、いつだって助けてくれた――――――だから、今回もと、思っていたのか?

 

『――――あら、あら』

 

 振り向いた、〝最悪の精霊〟。鮮血の瞳と、魔の時計盤が士道を射抜く。蠱惑の微笑。魔性を思わせる雰囲気――――士道の知る狂三はいないのだと、絶望の淵で悟る。

 

『どなたか存じ上げませんが、随分と――――イイモノ(・・・・)をお持ちですわね』

 

『くるッ――――――』

 

 〝影〟が出。白き悪夢の腕が士道の身体を絡め取り、深い深淵へと呑み込んでいく。

 抗う術などない。元より、時崎狂三がその気(・・・)になれば、こうなることは運命として決まりきっていたのだから。

 けれど、こんな結末を望んでいたわけではない。そう抗う士道の胸板に、分厚い靴の底が叩きつけられた。

 

 

『が……ッ』

 

『さようなら、士道さん(・・・・)。せめて、わたくしの中で、わたくしの全てを、知ってくださいましね――――きひ、ひひ、ひひひひひひひひッ!!』

 

 

 見上げる鮮血のドレスが、歪んでいく。ああ、歪んでいるのは士道の方だ。呑み込まれていく。士道の全てが、彼女の中に溶けて消えていく。

 

 ああ、それでも――――――凄絶に笑う時崎狂三が、途方もなく美しい(・・・)と、無数の腕に抱かれながら、士道の意識は失落した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うあぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 喉を痛めるほどの絶叫で、目覚める。跳ね起きて、それが自分のものだと認識するのに、そう時間はかからなかった。

 

「は……っ、ぁ――――う、っ」

 

 そうして引き起こされる強い嘔吐感。口元を覆いながらベンチから立ち上がり、公園に設置された水飲み場へ走る。

 

「ぐ……げほっ、げほっ」

 

 幸い、朝から何かを摂取したわけではない士道の胃からは、多少の胃液が吐き出される程度で済んだ。

 荒い息に構わず、手を洗いながら乱雑に口元を拭う。今、目の前に鏡があったなら、士道はさぞ人には見せられない顔をしているに違いないと苦笑する。

 

「……どんな〝悪夢〟だよ、まったく……」

 

 妙な夢を見て、寝不足と心労による疲労が祟ったのか。途方に暮れて公園のベンチでうたた寝をして、恐ろしい夢を見てしまったようだ。

 時崎狂三が、五河士道を忘れる。考えただけで、死んでしまいたくなるほどの絶望だ。想像もしたくない。多分、本当に狂三が士道を忘れ、みんなのように(・・・・・・・)なっていたら、その時は――――――

 

「……はは、だから最後は〝願望〟が入ったのかよ、五河士道」

 

 夢の最後を思い出し、濡れた手を顔に当てながらどうしようもなく乾いた笑いをこぼした。

 忘れられるなら――――いっその事、士道をその身に刻み込んで欲しいと。だから、最後の狂三だけは、五河士道の破滅願望(・・・・)。心のどこかにある、狂三の願いを受け入れる馬鹿な男の願望が、夢に現れたということかもしれない。まあ、夢が士道の願望を正しく受け取ったのであれば、だが。

 

「……しっかりしろ、俺」

 

 現実逃避をしても、仕方がない。気合いを入れるように、両手で自分の頬を叩き、残っている気力を奮い立たせる。

 まずは、現状の確認からだ。客観的に、そして逃避なく整理をするなら――――五河士道という存在を、周りの人間が忘却(・・)した。

 琴里も、十香も、折紙も、耶倶矢も夕弦も二亜も美九も四糸乃も七罪も。誰も彼もが、士道〝だけ〟を忘却し、他人のように振る舞っていた。

 まだ確かめていないのは、士道から連絡が取れない〈アンノウン〉と……前述の夢に出た狂三だ。が、士道がこの状況で姿を現さないとなれば、最悪の場合――――――

 

「っ……馬鹿か」

 

 頭を振り、ネガティブな考えを追い出す。確かめてもいないのに、何を想像して絶望に浸ろうとしている。

 本当に忘れられていたとして、士道は狂三を諦められるのか――――諦められるわけがない。惨めにもがいて、絶対に思い出してもらう。諦めるより先に、士道の命が尽きる方が早いに決まっている。

 とにかく今は、現状を打破方法を探すのだ。たった一人でも、士道は諦めるわけにはいかない。

 

「何が、どうなってんだ……」

 

 言葉にするなら、士道〝だけ〟が存在しない世界。昨日までは普通に接していた人たちが、他の関係性をそのままに士道という人間だけを、急に忘却したような感覚。

 たった一点が違うだけで、こうも周りを取り巻く世界は変わる。士道なりに全員と接触を試みては見たものの……結果は散々たるもの。

 別の世界、パラレルワールドに迷い込んだような違和感。いっそのこと、士道の知らぬ間に歴史が改変され、士道以外の誰かが成り代わっていれば話はまだ楽になる。しかし、曲がりなりにも精霊を救ってきた存在がいない歴史改変など、相当力技な介入を行ったとしか思えない。そもそも、その場合は士道がここにいること自体がおかしくなる。

 取れる手段など、もう多くは残されていない。考えの通りに乗っ取るなら、士道が接触すべきは狂三と〈アンノウン〉だ。今までは〈ラタトスク〉の助けがあったが、今回ばかりは期待することができない。

 あらゆる手段が失われている。あの二人でさえも、士道から探し出す手段が少なすぎる。過去、初対面(五年前)の狂三と接触できたのは、当の狂三がいたからなのだ。普通に考えれば、神出鬼没な二人を探し当てることなど不可能に近い。

 だが、手当り次第だろうとやるしかない。士道を覚えている可能性がある者など、もう――――――

 

 

『わかった。みなまで言うな。六喰に任せておくがよい』

 

「――――――」

 

 

 否、いる。たった一人だけ、士道が接触しておらず、行方を眩ませている精霊が。

 星宮六喰。宿す天使――――〈封解主(ミカエル)〉。万物を閉じる(・・・・・・)ことのできる、天使。

 六喰の不可解な言動。〈封解主(ミカエル)〉の絶大なる力。周りの異常現象。士道でなくとも、関連付けるのは簡単なことだった。

 

「まさか、お前の仕業なのか、六喰……!?」

 

 記憶を『閉じた』なら、どうなるか。有機物、無機物……そんなもの、形のある奇跡足る天使には無意味な境界だ。心に鍵を掛けられる〈封解主(ミカエル)〉なら、記憶に鍵を掛けることなど造作もないだろう。

 所詮は士道の憶測。証拠のない決めつけ。しかし、現状の状況を考え、推測をしていくと、こんな状況を作れる精霊は六喰と、過去改変を可能とする狂三しか上げられなかった。

 

「…………」

 

 仮説を立てられたなら、残るは実践。憶測、推測……己の知識を動員し、解を導き出すのが、今まで彼女から学んできた士道のやり方の一つ。

 〈封解主(ミカエル)〉が原因となっていると仮定。打開への策は、鍵を開く(・・・・)こと。士道の知る限り、それができる天使は二つ。

 一つは、現状の士道では頼ることができない狂三の天使〈刻々帝(ザフキエル)〉、【四の弾(ダレット)】。あの弾丸の力なら、記憶が『閉じる』前まで、対象の時間を巻き戻す(・・・・)ことが可能。

 もう一つは、今、士道の手のひらに集中する〝力〟。

 

「――――〈贋造魔女(ハニエル)〉」

 

 公園に人気がないことは確認済み。遠慮なしに、士道は魔女の天使を現出させる。

 

「【千変万化鏡(カリドスクーペ)】……!!」

 

 次いで、言葉を紡ぐ。

 集中力を高め、〈贋造魔女(ハニエル)〉の極地、秘奥とも言える形へ昇華。千変万化の名の元に、もう一つの手段――――〈封解主(ミカエル)〉の複製を生み出す。

 一度、六喰の心を開いて見せることができたからこそ、士道はこの力で皆の記憶を開くことができると予測、いいや、確信を持った。

 

「え……?」

 

 だが、士道はここで選択を誤った。確かに〈封解主(ミカエル)〉の複製は、状況打開の解だった。

 必要だったのは、冷静な分析と、冷静な状況判断。士道に欠けていたのは、後者。

 天使とは、精霊が持つ絶対の矛。持ち主が扱うからこそ最大の力を発揮し、持ち主だからこそ全ての特性を理解し得る。

 故に、士道の持つ巨大な鍵の形をした錫杖に、巨大な鍵の先端(・・・・・・・)が刺さったことで、己の失策を悟った。

 

「しま――――」

 

「――――【(セグヴァ)】」

 

 何もかもが遅い。全てが後手に回ったこの状況で、士道の後悔など無意味に等しい。

 偽の〈封解主(ミカエル)〉の横から小さな穴が開き、突き刺された鍵が音を立てて回される。

 刹那、士道の手にあった錫杖が淡く輝き、〈贋造魔女(ハニエル)〉の形に戻ってから粒子となって溶けて消える。

 ――――偽の〈封解主(ミカエル)〉が、『閉じ』られた。

 

「……六、喰」

 

 目を見開いて、広がりを見せる穴を呆然と見続ける。

 空間の穴、『扉』は鍵を通す細穴から人が容易く通れる大きさへと変貌したのち、そこから一人の少女が現れた。

 首元にくるりと巻かれた金髪に、琴里の持つ服のデザインを再現した物を纏う、小柄な少女。

 

「むふふん。むくの鍵を開けた主様であれば気づくと思っておったぞ。さすがじゃの」

 

 星宮六喰は、そう言ってニコリと微笑んだ。

 そんな微笑みとは対照的な戦慄を、士道は六喰の言葉から感じ取る。

 天使は持ち主が一番特性を理解している。わかっていたはずだ。わかっていた、つもりだった。

 六喰がしたことに気づき、対策に士道が偽の〈封解主(ミカエル)〉を持ち出す――――そのタイミングで、今度は六喰が〈封解主(ミカエル)〉で偽の力を封じ込める。

 解錠の力で心を開かれた六喰が相手だからこそ、解錠の力を封じる可能性を考慮に入れておくべきだったのに。持ち主の六喰が、士道の力を放っておくはずがないだろうに。

 これは士道の過失であり、同時に、士道の仮説が立証されたことを意味していた。

 

「六喰……やっぱり、お前がみんなの記憶を!!」

 

「むん、そうじゃ。すごいじゃろう」

 

 得意げに腰に手を当て胸を反らす六喰を見て、士道は理解できない思いと共に叫びを上げた。

 

「なんで!! 一体なんでこんなことを!!」

 

 理解ができない。一体、みんなの記憶を『閉じ』て何をしようというのか。引き起こされた現象の理由は推察できても、引き起こしたこと自体の理由を、士道は推察どころか理解さえできない。

 その答えは、返された言葉の中にあった。

 

 

「なんで? ふむん。異なことを聞くのう――――――こうすれば、むくと主様は二人きりじゃ。もう何も心配はいらぬぞ。心置きなくむくを愛でるがよい」

 

「な……!?」

 

 

 屈託ない笑みと、狂気に満ちた言葉の差異が、士道の息を詰まらせた。

 〝異質〟。一言で表すなら、それが正しく相応しい。

 狂三のような殺意混じりの狂気ではない。〈アンノウン〉のような、主に立ち塞がる者全てに容赦をしない狂気――――ある意味で、これが近しい。それでいて、違う。

 愛情は同じ。しかし、善意があまりにも一方的(・・・)なのだ。許容などない。悪意などない。あるのは――――――無垢という名の、狂気。

 

 

「のう、主様」

 

 

 嫋やかな仕草。穏やかな微笑み。

 

 

「むくのことが、好きなのじゃろう?」

 

 

 しかし士道は、答える術を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「あーっ!! 惜っしい!! そこそんな!? あー!!」

 

「勝利。危ないところでしたが、夕弦の勝ちです。昼食のおかずトレード権はいただきです」

 

「うぐぅぅぅっ!!」

 

 何やら得意げに胸を反らす夕弦と、逆に悔しげに床を叩く耶倶矢。

 今日も騒がしい五河家のリビングでは、精霊たちが絶賛勢揃いしていた。その中で、八舞姉妹はどうやら可愛らしい賭け事をしていたようだ。やれやれと琴里は息を吐き、時間を確認しながら声を発した。

 

「勝負に口を出すつもりはないけど、ちゃんとバランスよく食べないと身体に悪いわよ――――ん?」

 

 そこまで口に出して、考える。時刻は昼時。昼食にはちょうどいいと言える時間帯――――――はて、琴里は今までこれほどの大所帯を抱えて、どうやって料理を用意していただろうか。

 

「……ッ」

 

 それを考えていた時、鈍い頭痛が頭に走り片目を閉じて顔をしかめる。何やら、今朝から妙に――――そう、あの男(・・・)を見てからというもの、時折頭痛が襲いかかってくる。

 すると、琴里のおかしな様子に気づいた四糸乃が、つい数分前に美九の魔の手で墜ちた七罪の背中をさすりながら、心配そうに目を向けてきた。

 

「どうかしましたか、琴里さん」

 

「え? ああ、いや……なんでもないわ。そろそろお腹空いてきたし、今日はピザでも――――――」

 

 と。誤魔化すように昼食のメニューを決めたところで、琴里の鼻腔をどこからか漂ってきた良い匂いがくすぐった。

 それは追うまでもなく、ご丁寧にキッチンから歩いてくる演出までオプション装備した彼女、メイド服(・・・・)の狂三。彼女が両手に大皿、その上に焼き上がったピザを乗せて現れたことで、あっさりと正体が発覚した。

 

「さあ皆様、食事のお時間ですわ。存分に召し上がってくださいませ」

 

『わーっ!!』

 

 大半の精霊が食いつき、置かれた大皿から思い思いにピザを手に取る中、琴里は半目でメイド服の狂三を見やる。

 どうやって持ってきた。そもそも、いつ入ってきた。そんな琴里の考えなどお見通しなのか、胡散臭い微笑みを狂三は浮かべている。

 

「……何か変なもの入れてないでしょうね?」

 

「あら、あら。琴里さんは闇鍋をご所望でしたの? 残念ながら、ご期待には添えない普通のものですわ」

 

「どうだか……狂三(オリジナル)ならともかく、あなたが出すとなるとね」

 

 髪をくるくると弄り、皮肉った一言を告げてやる。メイドがメイドらしいことをしているのが違和感など、おかしな話があったものだ。別に服がそうだからと言って、メイドの狂三がメイドというわけではないのだが……これは、頭痛のする頭で考えると、よくわからない思考になるという一例だろう。

 とまあ、狂三(オリジナル)の名前を出した途端、分身である狂三が妖しげな笑みを作り出したことで、琴里も訝しげな顔をしてしまう。

 

「……何よ」

 

「いえ、いえ。つかぬ事をお聞きいたしますが――――――琴里さん、いつ(・・)『わたくし』へ、そのような信頼を置くようになりましたの?」

 

「はぁ?」

 

 若干の苛立ちを込めた声を発したのは、別に親しいわけではないという意思表示からかもしれない。……以前よりは、気兼ねなく話せるようになったとは思うが。

 とにかく、意図が読めないというより、本当につまらないことを聞いてくれる。分身体の狂三が、本体と琴里の交流を知らないはずがない。呆れた目で狂三を睨み、琴里は言葉を返した。

 

「そんなの決まってるでしょ。狂三は――――――あ、れ」

 

 言葉を、返そうとした。返せなかった(・・・・・・)

 どこで、何があった。そう、あの時、狂三が全力で()への想いを明かした瞬間。()を殺すため、守ろうとして、琴里を立ち直らせた狂三だから、いつの間にか信頼を置いていて――――――()とは、誰?

 

「あ、ぐ……」

 

 致命的に欠落している。欠けてはいけないもの。欠けるはずがないもの。その違和感は、表面化しないはずのもの。〝何か〟の力で、欠落の原因が〝消失〟しかけて――――何を、言っている?

 不明な知識と、不明瞭な記憶が琴里の頭を酷く痛ませる。鈍器で殴られたような痛みに、琴里が頭を抱えて呻いていると、狂三がくすくすと笑っているのがわかる。

 

「あんた、何か……知って……!!」

 

「ええ。わたくしが何かを述べたところで、意味などないのでしょうけれど――――きひひひ!! 高々、人間一人の記憶にこの騒ぎ……世界を騙すことなど、考えるより簡単なのかもしれませんわねぇ」

 

「何を――――――」

 

 追求をしようとした琴里の背後から、何やら騒がしい声が響き、そこでようやく異常事態に気がついた。

 頭痛に呻いていた琴里に皆が気づかなかった理由が、振り向いた先にあった。あの鉄の女とまで言われている折紙が倒れていて、ちょうど琴里が気がついたその瞬間、何事もなかったかのように起き上がったのだ。

 

「折紙……? どうかしたの? どこかおかしいなら――――――」

 

「ううん――――大丈夫です。心配かけちゃってすいません」

 

 真っ直ぐに見つめる純真な目と、丁寧な口調。

 

「…………」

 

 思わず、一瞬頭痛すら忘れて気味の悪い汗が背中を伝う。

 

「お、折紙?」

 

「はい、なんですか?」

 

「あの、一応聞くけど、あなた折紙よね?」

 

「えっ? そうですよ。何言ってるんですか」

 

 苦笑する折紙の表情に、折紙らしいものは何一つない。例えるなら、お話に出てくる良いとこのお姫様か、超絶優等生を思わせる笑顔。

 断じて、絶対に、琴里たちの知る折紙ではない。

 

「ひ、ヒェ……ッ」

 

「戦慄。高熱ですか? いえ、マスター折紙、まさか既に脳が……」

 

「誰かー!! 折紙さんをー!! 折紙さんを助けてくださぁぁぁぁぁいっ!!」

 

「えっ、私の扱いそんな感じなんですか……?」

 

 若干ショックを受けたように力なく笑った折紙だったが、何かを思い直して表情を引き締める。その視線の先に――――――分身体の狂三がいた。

 

「時崎さん――――の、分身ですよね?」

 

「ええ、ええ。肯定いたしますわ。そして、お待ちしていましたわ……少しばかり、予想外ではありましたけれども」

 

 言って、本当に意外そうな顔で微笑みを浮かべる狂三。

 

「オリジナルの彼女は……」

 

「健在ですわ。もちろん、記憶も(・・・)

 

「!!」

 

 狂三との会話の中で驚いたように目を見開く折紙を見て、精霊たちはみな首を傾げている。

 当然、琴里もそれは同じだった。一体、二人は何の話をしているのか。なぜ、突然に折紙は豹変したのか。

 その疑問を問いかけるより早く、狂三が長いスカートの裾を掴み、オリジナルにも負けない優雅な礼を行う。まるで、折紙の変質を歓迎するかのように。

 

「予定とは異なりますが、好都合ですわ。折紙さん、あなたをお連れいたしますわ」

 

「待ってください!! 皆さんの記憶は……」

 

「無駄ですわ。周到に、六喰さんに関する記憶まで『閉じて』いかれた以上、ここで出来ることはありませんことよ――――それに、時間が許すとも思えませんもの」

 

「え……きゃっ」

 

 言うなり折紙を背に抱え、悲鳴を上げる彼女に構わずリビングから退出しようとする狂三に、呆気に取られていた琴里は正気に帰り慌てて静止をかける。

 

「ちょ、待ちなさい!! 一体何を……!?」

 

「琴里さんは、いつも通り(・・・・・)サポートをお願いいたしますわ。どうやら、跳ね返すまでもう少しお時間が必要なようですので。まあ、頑張ってくださいまし」

 

「いや、だから何言って……!!」

 

 何とも心のこもっていない激励に、そもそもその激励の意味さえ理解ができない琴里は声を上げるが、狂三は構うことなく部屋から退出する。

 

 

「さて、間に合うといいですけれど――――――こと士道さん(・・・・)となれば、熱くなる『わたくし』には困ったものですわ」

 

「……ッ!?」

 

 

 苦笑にも似た困り顔と、琴里の頭痛を強めるその名を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「ふむむん、楽しいの。のう、主様も楽しいか?」

 

「……、ああ、楽しいよ、六喰」

 

「ふふ、そうかそうか」

 

 士道から返される言葉が心底嬉しい、と言うように六喰は繋いだ手をブンブンと振った。

 

「のう、主様。主様はむくのことが好きか?」

 

「もちろんだ。大好きだよ」

 

「むくもじゃ。ふふ……幸せじゃの」

 

 屈託のない笑み。頬をほんのりと赤くし、本当に幸せだと感じている六喰。

 宇宙で漂っていた頃に比べれば、人らしく、幼い子供らしい感情表現――――ただし、それが今は完全に裏目に出ていた。

 皆の記憶が『閉じ』られたのち、士道と六喰は天宮市を練り歩いていた。先日のデートは、六喰の中でも大層気に入ったらしく、再び二人で街を見て回りたいと言い出したのだ。

 

「のう、あれはなんじゃ!!」

 

 見るもの全てが六喰にとっては目新しいのだろう。目を輝かせて問うてくる六喰に、士道は彼女が望むだけの優しさを込めて言葉を返す。

 ……返さざるを得ない、のだ。数時間前、〈封解主(ミカエル)〉が封じられた士道は、当然ながら六喰の説得に集中した。

 六喰と同じくらい、皆のことも大切に想っている。だから、皆を元に戻してくれ、と。

 が、六喰がそれに応じることはなかった。価値観の、致命的なズレ(・・)。今までも精霊の中には、常人離れした価値観を持っていた者がいたが、六喰のそれは他者の排斥(・・・・・)

 六喰が好きなのだから、他の女の子はいらない。そして、士道が素直になれないのは他の女の子がいるから……そんな価値観を、何の疑いもなく六喰は持ってしまっていた。

 純粋無垢。それが星宮六喰という精霊の本質であり、異質さだ。

 

「…………」

 

 状況打開の策を、一つ完全に潰された。だからといって、士道が本心から諦めて付き従っているかと問われれば、答えはNOだ。

 無言で自らの唇に手を当て、切り札を再確認する。

 ――――口づけによる、霊力の封印。

 唯一にして最大、未だ六喰にも知られていない士道の切り札にして、目的達成のための力。霊力の封印が行えれば、自ずと『閉じ』られた皆の記憶も元に戻るはずだ。

 だが、迂闊に実行には移せない。現状、士道に味方は不在。その上、一度冷静さを欠き、切り札の一つを封じられているのだ。仮に、好感度が真の意味で封印可能な領域へ達していなければ……最悪の場合、同じことがもう一度繰り返される可能性だってある。

 そして、もう一つ士道にはどうしても気がかりなことがあった。

 

「……六喰。お前は、なんで」

 

 他者の介入を拒み、狂気的なまでに士道を独占したがる理由。自らの心に鍵を掛け、一人宇宙を漂っていた訳。

 六喰が全てに納得をして封印に了承してくれたなら、優先からは外れていたかもしれない。しかし、こうなった以上、士道は六喰の全てを知りたかった。知った上で、救うことができなければ、六喰という精霊の問題は何一つ解決しないような気がしてしまうのだ。

 

「むん?」

 

「なんで、お前は、そこまでするんだ。俺がお前に『近い』って言ったよな。あれって、一体どういう意味だったんだ?」

 

「じゃから、なんとなくじゃ。……まあ、強いて言えば――――主様がむくを抱いて地上に落ちたあと、妙な夢を見てからかの。妙に、主様のことが気になってしまったのじゃ」

 

「夢?」

 

「むん。……とはいっても、夢に主様が出てきたというわけではない。それ自体はただの切ない夢じゃ。物心ついたときから一人であった幼子が、家族を得るという、な。……じゃが、そのもの悲しさを覚えたまま目を覚ましたとき……なぜかむくは、主様に会いたいと思うてしもうたのじゃ」

 

「え――――」

 

 士道が眉根を寄せたのは、夢の中身を聞けば当然のこと。なぜならそれは、その夢は――――――

 

 

「――――五河くんっ!!」

 

 

 が、その思考をかき消すほどの衝撃が士道を襲う。

 

「……、えっ!?」

 

 正確には、一拍を置いて、士道は目を見開いて振り返った。

 今日士道は、散々自分のことを誰も覚えていないと思い知らされていた。だから、六喰以外の誰かが自分を呼ぶなどと、今は考えてもいなかったのだ。それが一度、既に出会っていた者の声なら、尚更だろう。

 

「お、折紙――――に、『狂三』!?」

 

 同時に、現れた鳶一折紙――――を背負って(・・・・)たった今地上へ降り立った様子の『狂三』に、士道は二度目の驚きを顕にした。

 狂三ではなく『狂三』だと断定したのは、士道が分身との見分けを付けられる以外にも、その身なりがわかりやすいもの……メイド服(・・・・)だったということだ。

 

「な、なんで……って、あ……」

 

 もしや、狂三が【四の弾(ダレット)】を使用したのか、とも考えたが、士道にはそれより高い確率で当たっている推測が浮かび上がった。

 折紙は今、士道を「士道」ではなく「五河くん」と呼んだ。折紙であれば使わない呼び名、懐かしい、とは程遠いそれは、今の折紙が纏う雰囲気に相応しい穏やかなもの。

 よいしょ……っと『狂三』の背から降りた少女の正体に、士道は目をまん丸にしながら声を上げた。

 

「も、もしかして……『この世界』の!?」

 

「う、うん。久しぶりだね――――っていうのも少しおかしいけど。『私』はずっと五河くんと会ってたわけだし」

 

 ああそうだ。苦笑する折紙らしからぬ豊かな表情――――――間違いない、『この世界』の折紙だ。

 人格の統合により、混ざり合った以前の世界の折紙と、こちらの世界の折紙。だが、確実に、この折紙は『この世界』、士道と狂三によって改変された世界側の人格を表にした折紙だったのだ。

 

「折紙……お前、俺のことを覚えてるのか!?」

 

 興奮が抑えきれない。だって、折紙と隣で微笑む『狂三』の存在は、今の士道にとって大きな希望となるのだから。

 

「もちろん。表の『私』の記憶には、鍵が掛けられちゃったみたいだけど。いや、正確には、記憶を引き出すチャンネルっていうのかな?」

 

「……っ!!」

 

 希望が繋がった。不安ばかりが募っていた士道の心に、突如として光が差し込む。

 孤立無援だった士道の強い味方として折紙が。その折紙を連れてきてくれた『狂三』も――――狂三は、動いてくれている。その事実だけで、士道は泣き出してしまいそうなほど、自身の心を強く震わせた。

 

「……ふむん?」

 

 だが、士道の心が奮い立ったとはいえ、事態の全てが覆ったわけではない。

 

「一人は知らぬ(・・・)が、うぬは……士道とともにいた女じゃの。おかしいのう、うぬの記憶にも鍵を掛けたはずじゃが」

 

 自ら生み出した環境を侵された怒りからか、不機嫌な表情を隠そうともせず右手を前に掲げて見せた。

 

「――――まあ、よい。如何にして〈封解主(ミカエル)〉の鍵を開けたかは知らぬが、そこの女ともども、今一度『閉じて』くれようぞ」

 

「……!! 六喰!!」

 

 虚空から現れる光り輝く鍵。

 どうにかして六喰を止めなければ、次には孤立無援に逆戻り。しかし、如何にして六喰を――――――瞬間、『狂三』がおかしくてたまらないといった様子で笑った。

 

「きひ、ひひ、ひひひひひひひひひッ!! 何を、勘違いしていらっしゃいますの? 愚かですわ、悲しいですわ。自分の本当の敵(・・・・・・・)さえ、見つけられていないだなんて」

 

「何?」

 

 訝しむ六喰に尚も『狂三』は嗤う。嘲笑い続ける。まだ気づかないのか(・・・・・・・・・)、と。

 

「……!!」

 

 その意図を、士道はようやく読み取ることができた。

 星宮六喰は知らないのだ。だって、六喰は一度足りとも見ていない(・・・・・)。戦場になった宇宙でも、心を開いた直後に現れたあの場所でも、記憶に鍵を掛けていった時も、彼女(・・)を知らない。

 知らないのなら、警戒など必要ない。いないものだと言うのなら、関わる必要もない。

 

「さあ、さあ。お待たせいたしました。ご覧なさい――――――悪夢が、そこにいましてよ」

 

 だが、しかし、関わってしまったというなら――――――

 

 

「――――遅いですわよ、『わたくし』」

 

 

 彼女は、悪夢を見せに現れる。

 

「っ、おわ……ッ!?」

 

「主様!? ――――くっ!!」

 

 突如として現れた〝影〟より這い出た白い腕。無数の腕が士道の身体を掴み取り、即座に後方へ投げ飛ばした。

 異常に気づいた六喰が〈封解主(ミカエル)〉を掲げるが、街中だということを全く気にもとめずに降り注ぐ銃弾豪雨が士道と六喰の距離を一気に離し切る。

 

「五河くん!!」

 

「ぐ……っ。ありがとう。助かった、折紙――――!!」

 

 投げ飛ばされた先で、士道は何とか折紙に身体を受け止められる。さすがは元ASTと言うべきか、男の士道を折紙はあっさり受けてくれたことで、素早く前を見据えて――――――舞い降りた彼女の姿に、目を奪われた。

 

「何者じゃ!!」

 

「き、ひひひひひひッ!! そうですわねぇ。わたくしは――――――」

 

 見慣れた黒髪と、白い外装(・・・・)。その背には、巨大な羅針盤。細緻な装飾が施された古式の銃を両手に遊ばせ、悪夢は嗤う。

 いつだって、彼女の後ろ姿に助けられ、救われてきた。どんな時でも救いたいと願い、どうなろうと必ず救うと誓った、士道の宿敵(愛しい人)

 

 

「時崎狂三――――――この方の先約(・・)を奪い返しに、参上いたしましたわ」

 

 

 誰よりも美しく、世界は彼女を中心に廻る――――そう士道は信じ込んでやまない、最凶の精霊が駆けつけた。

 

 

 







Q.実際のところ狂三が忘れたらどうなるの?
A.お話がBADENDに直行するんじゃないですかね、いろんなルートで(意味深)


そら、特化してるんだから相応の欠点があって然るべきでしょう。この士道の場合、狂三が間違いなくウィークポイントです。まあ、原作裏ヒロインは伊達ではないし過保護なセコムついてるので現状は早々ありえないと言えますけど。むしろ士道が死ぬほうが早いまである。

冒頭の悪夢(?)はどこの世界線に繋がったのかわかるかな?どうやって観測したんでしょうかね、この選択肢ミスのBADEND。

そんなわけでデビルオリリンと武装狂三の増援がご到着。六喰編はまだまだこれから。そして本来いるべきもう一人の役者は……?
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!

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