デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百四十九話『開かれた鍵と繋ぐ銃弾』

 殺す。殺す。殺す。必ず、殺す。

(ころ)す。誰であっても。なんであっても。六喰の、六喰と士道を邪魔する者は、全て。

 

「主様は――――渡さぬ」

 

 視線を鋭く、対象となる標的を睨みつける――――狂三と折紙を相手に戦う、十香へ。

 あの女も同じだ。〈封解主(ミカエル)〉の縛りを抜け出し、士道を奪いにきた。攫いにきた。ならば、必ず殺す。今すぐに殺す。士道と六喰の前から、消し去る。

 そうでなければならない。だって、そうでなければ、士道の愛は、六喰に向けられる愛は、限りのある愛は――――奪われ、無に帰る。

 

「〈封解主(ミカエル)〉――――【(ラータイブ)】!!」

 

 叫びと共に鍵を捻り、極小の『扉』を開く。

 如何に強大な精霊といえど、狂三と折紙を相手にしながら六喰の不意を突いた攻撃を避けることはできない。それが、〈封解主(ミカエル)〉によって造られた『扉』からの不意打ちなら、なおのこと。

 〈封解主(ミカエル)〉・【(ヘレス)】。鍵の天使が司る力の中で、必殺にして秘中の極地。

 突き刺し、廻す。たったそれだけで、万物は崩壊し、無に帰る。

 

「【(ヘレス)】……ッ!!」

 

 それはたとえ、精霊であっても例外ではない。物質分解の力に抗う術などありはしない。

 狂三の援護を受けた折紙が、十香と打ち合いお互いの動きを止めたその瞬間、六喰は〈封解主(ミカエル)〉を『扉』目がけて突き出した。

 

「駄目だ!! 六喰ッ!!」

 

「――――ッ!?」

 

 だが、その時、六喰にとって予想外の光景が目に飛び込んでくる。

 既のところで、両手を広げた士道が六喰の前に立ち塞がった。如何に六喰といえど、突き出した鍵を止める手段はない。

 が、何としても止めねばならない。【(ヘレス)】の力を乗せた鍵は、穿てば例外なく物質を分解する。精霊だろうと、精霊の力を封印した人間だろうと識別はしない。

 このままでは士道が――――そんな思いも虚しく、僅かに狙いは逸れたものの、〈封解主(ミカエル)〉は士道の肩口に突き刺さった。

 

「く……!?」

 

 苦悶に呻く士道を見て、六喰は急ぎ〈封解主(ミカエル)〉を引き抜こうとし――――流れ込んだ(・・・・・)ものに、気づく。

 

「――――え?」

 

 戟が繋ぎの役割を果たし、怒涛のようにイメージが交錯する。士道と、そして六喰の〝記憶〟。

 同じだ。宇宙で、士道の扱う偽の〈封解主(ミカエル)〉によって鍵を開けられた時と。それによって、もたらされる、取り戻す(・・・・)ものは。

 

 

「――――――」

 

 

 

 ――――あの時だ。

 失意に沈んでいた、寒い冬の日。『何か』が現れて、力をくれた。

 水で滲んだような形をした『何か』が、黄金に輝く宝石のようなものを差し出して――――受け取った瞬間から、星宮六喰は〝精霊〟になった。

 

 けれど、そのことに恐怖はなかった。あったのは、期待と希望と、歓喜。

 鍵の天使〈封解主(ミカエル)〉は万能の力。その力は形のあるもの、ないものを問わず『閉じる』ことができた。

 ああ、それだけで、六喰がどのような行動を取ったかなど、明白にして当然の結論だと言えた。

 

 ――――六喰の家族を知る者、全ての記憶を『閉じた』。

 

 だってそうすれば、六喰だけを愛してくれるに違いなかった。そうしなければ、家族は六喰を愛さなくなると考えたから――――――その結果、六喰は何もかもを失った。

 混乱の中で、六喰が母、父、そして姉から、何を言われたのか。それはもう、断片的にしか覚えていない。おかしな話だ、その光景の瞬間瞬間は、ひとつ残らず覚えているというのに。

 胸の痛みが、苦しみが、六喰を守ったのかもしれない。それを記憶していては、きっと六喰が壊れてしまうと思ったのかもしれない。身から出た錆だというのに、愚かな話だ。

 あんたなんか――――家族じゃない。

 

 果たして、その言葉が本当のものだったのか。今となっては、六喰にすらわからない。その上、それを問う機会さえ失われている――――気づけば、父が、母が、姉が、それぞれ持っていた六喰に関する記憶が、『閉じ』られていた。

 

 

 

 もとより、間違いだったのだ。何も知らなければ、苦しみを感じることはなかった。けれど、知ってしまえば、失った時の苦しみはより強くなる。そうなれば、後に残るのは後悔だけ――――だから六喰は、『心』までも『閉じ』た。

 愛を知らずに生まれ落ちた怪物は、己の愛が歪なことにすら気がつかなかった。

 歪な怪物でいるためには、愛を知っていなければならない。狂人は常人を知るからこそ、理解をして溶け込むことができる。常人を、愛することができる。

 ああ、そう。だから六喰は、諦めるしかなかった。

 愛したならば、愛してもらいたい。

 だが、愛してしまえば、自分だけを見てもらわなければならない。

 そんな愚かな自分を、記憶と心を、星宮六喰は『閉じ』た。

 温かな感情を、家族がいたという幸せを、思い出してしまわないように。

 

 ――――もう二度と、誰かを愛して(間違いを冒して)しまわないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ――――」

 

 〈封解主(ミカエル)〉から流れ込んでくる、記憶。

 封じられていた最後の鍵が開かれたことを示唆する、星宮六喰の過去。

 それは、士道がこの数日間、夢の中で見た自分の――――六喰の、記憶だった。

 理屈はわからない。だが、士道が繋いだ偽の〈封解主(ミカエル)〉は、心の鍵だけではなく記憶の鍵にまで影響を及ぼし、擬似的な経路(パス)を生成。

 それが今、本物の〈封解主(ミカエル)〉を通して再び機能した。お互いの記憶を綯い交ぜにし、伝え合うように。

 

「六喰……お前は、いや、お前も――――――」

 

 触れた記憶と心。士道は震える声を発しながら、六喰へ手を伸ばそうとして。しかし、出来なかった。

 

「あが……ッ!?」

 

 凄まじい激痛が肩口――――〈封解主(ミカエル)〉が差し込まれた箇所から生じて、次の瞬間、腕が弾け飛んだ(・・・・・・・)

 

「ぐ……っ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 今まで感じたこともない衝撃的な痛みが、喉を潰さんばかりの絶叫として表へ出る。

 切断、圧殺、そういったものからはかけ離れた別途の力。士道の腕を繋ぐ組織そのものが、分解され、消滅した。

 手首を残して、肩と腕が丸々全て消し飛ばされた。僅かに残った手首など、地面の血溜まりに落ちるものでしかない。

 

【が……あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!】

 

 士道の行動は思考的なものではなく、生存本能からくる反射的なものだった。

 〈破軍歌姫(ガブリエル)〉による痛みの緩和。〈贋造魔女(ハニエル)〉による傷口の修復。

 とはいえ、どちらも根本的な解決に至るものではない。意識が飛びそうになるほどの激痛は治まることはなく、傷口の修復も腕そのものが吹っ飛んでいるのだから焼け石に水だ。

 しかし、意識はある。意識があれば話せる、止められる――――士道に残されるものは、それだけでいい。

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の治癒の炎が燻り始めたのを確認し、士道は意識を繋ぎ止めながら六喰を見やる。

 

「六、喰――――」

 

「あ……あ、ああ――――主様、違うのじゃ……むくは、むくは、主様を殺そうとなど……」

 

 恐らく士道の声は届いていない。その瞳の焦点は合わず、虚空を見つめ、〈封解主(ミカエル)〉さえも取り落とした六喰はうわごとのように声を零す。

 

「いやじゃ……むくを、ひとりにしないでくれ。あ、あああああ、主様、あねさま、むくは、むくは………………ッ」

 

 混濁。夢と記憶と現の境界が曖昧になり、六喰の心を揺さぶっている。

 そして、六喰の目から涙が落ち――――士道は、全身のあらゆる細胞が警鐘を鳴らす感覚を感じた。

 

「う――――ぁ、あ、あぁぁぁぁぁああぁぁぁああ――――――」

 

「反、転……か……っ」

 

 掠れた声でその現象、そして自らの身に引き起こされるであろうものを予測する。

 全身に残された血が沸騰したように熱い。六喰から溢れる濁った色を持った霊力と呼応するように、内側から痛みが加速していく。

呑み込まれる(・・・・・・)。このままでは、絶望しかけた六喰を止めるどころか、士道までミイラ取りがミイラになってしまう。

 士道を自分の手で傷つけた絶望。過去の記憶への絶望。その二つは、六喰の心を砕くには十分すぎたのだろう。

 

「駄、目……だ、六喰ッ!!」

 

 それを受け入れてはいけない。だが、思いも虚しく、霊装に禍々しいヒビが走り、消えた〈封解主(ミカエル)〉と入れ替わるように六喰の背後に巨大な鍵が現出する。

 ――――これでは、届かない。士道の心までもが呑み込まれれば、士道の声は六喰に届きはしない。

 

「く……そ、ったれ……っ!!」

 

 一瞬でいい。一瞬だけで、いい。僅か一瞬、士道の心が六喰の絶望に惹かれる前に戻れば、その数秒にも満たない時間さえあれば、あとは〝彼女〟の力がある。

 だから、その一瞬を。何でもいい。何か、何か、何かを。士道の識る何かを――――――無意識に、引いた(・・・)

 

 

「――――――――――」

 

 

 ほんの一瞬。願った通りに、叶う。

 『六喰の絶望に呑み込まれる前』の心へ、巻き戻される(・・・・・・)

 その刹那の間に、士道は全身から力を振り絞り、血溜まりを吐き出し、めいいっぱいに〝彼女〟の名を叫んだ。

 

 

「くる――――みぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」

 

 

 ――――黒が舞う。

 白い外装を脱ぎ捨て、紅と黒に彩られたドレスを身に纏い、天から舞い降りる精霊。

 人はそれを、命を刈り取る死神のようだと言うのかもしれない。けれど、士道には――――最高の天使様にしか、見えない。

 

 

「――――次からは、こうなる前に呼んでくださいまし」

 

 

 士道の身体を支え、守るように立つ狂三の顔は、さぞご立腹なものなのだろうと苦笑する。正直、腕が吹き飛ぶような事態、次に待っているというのは勘弁願いたいものだ。

 六喰の身体を中心として放たれる霊力塊――――それは、天から降り注いだ魔力砲(・・・)により打ち消された。

 直感的に、それが〈フラクシナス〉からの援護だと悟る。それに反応したのが、微笑みを浮かべた狂三だというのが理由だったのだが。

 

 時の文字盤が震え、浮かぶ十二の文字のうち、指し示されるは十番目。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一〇の弾(ユッド)】」

 

 

 世界が、移り変わった。

 

 

 

 

 

 

 

「――――死ぬかと、思った……」

 

 というより、あの瞬間は本当に死んだと錯覚するほどのものだったと、士道は無くなった(・・・・・)腕を見て、自らのしぶとさに感謝の意を示す。

 そんな士道を見て、隣に立つ狂三が心底、本当に見捨てるか考えている一歩手前――という建前であろうが――といったような声色を、あからさまに吐き出した。

 

「ほとほと、呆れ果てるとはこのことですわね。次はわたくしが、あなた様を攫って拉致監禁いたしましょうか」

 

「は、はは……冗談だよな?」

 

「ご想像にお任せしますわ」

 

 その回答が一番恐怖を煽る気がする。背筋が凍るのだから暑くなるのだか、よくわからない感情を覚えながら、士道は見渡す限り真っ白な空間で重い腰を上げて立ち上がる――――ふと、腕の痛みが消えていることに違和感を覚えた。

 腕を消し飛ばした、痛みが消えている? まさか、ありえない。ここは意識の共有領域だからこそ、現実の痛みや感情はそのまま引き継がれているはずなのだ。

 だから、士道が痛みを感じていない理由は、きっと――――――

 

「狂三、そこまでは頼んでない」

 

「あら、あら。何を仰っているのか、さっぱりですわ。無駄口を叩くより、一刻も早く六喰さんを引き戻すべきなのではなくて?」

 

「…………」

 

 相変わらず反論がしにくい正論をぶつけてくれる、と士道は背負い過ぎる狂三に怒りの視線をぶつけながら、彼女の言う通りに目的を果たすことに意識を戻す。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉・【一〇の弾(ユッド)】。

 回顧の力から逸脱し、変質したこの効力が続いている間に、

 

「六喰……」

 

 目の前で絶望しかけた、星宮六喰を救う。

 狂三が見守る中、一歩、一歩と六喰へ足を踏み入れる。その度に、六喰の心を象徴するかのように昏い霊力が迸り、士道の行く手を塞ぐ。

 それでも、士道は突き進んだ。

 

「六喰、戻ってきてくれ。そっちに行ったら、駄目だ」

 

 語りかけるよう、穏やかな声を。心に響かせるには、繋ぎ止めるにはどうすればいいか、士道とて手探りだ。

 だとしてもわかる。そちら側へ、行かせてはならないと。

 そうして辿り着いた六喰の身体を、抱き締める。片腕を無くした状態では、もたれ掛かるというものに近い。でも、残された力を込めて、強く、強く、訴えかけた。

 

「わかる。今なら、やっと。六喰の心がわかるんだ」

 

 ようやく、理解できた。無垢でいて、残酷。士道には理解できなかった、六喰の狂気的なまでの心。

 けど、違った。それを理解して、直してやれるのは士道しかいない。士道が(・・・)、理解してやらねばならなかったのだ。

 

 

「六喰……お前は――――俺だ」

 

 

 かつて本当の母に捨てられ、物心ついた時には、誰もいなかった。

 ああ、ああ。どうして気がつかなかったのか。あの夢は、士道だけのものではなかった――――士道だけのものだと誤認してしまうほど、六喰の過去は士道と同じ(・・)だったのだ。

 父と母と、きょうだい。家族の温かさを初めて知った六喰は、士道だった。

 だから、わかった。ようやく、理解できた。

 

「六喰……お前は、不安だったんだよな。心細くて、仕方なかったんだよな」

 

 言葉が響いて、空間が揺れる――――いや、きっとその揺れは、六喰の心に言葉が届いている証明だ。

 六喰の不安は、士道の不安そのものだった。

 『愛』を知らない子供が、突然それを与えられる。知らなかったものが、愛しくて、眩しくて、心地よくて――――いつか、消えてしまうのではないかと思った。

 世界は狭く、脆い。家族が自分の知らない他者と親しげに話しているだけで、心が締め付けられるように痛かった、苦しかった。

 所詮、誰かの代わりなのだと。もっと大切な人たちが、士道(むく)以外にいるのだと――――――それを正してくれる人たちも、また家族だったのだ。

 

「でもな、六喰。……大丈夫なんだ」

 

 それを今度は、士道が教えてやる番だ。

 六喰の頭を優しく撫でながら、続けた。

 

 

「そんな心配、いらなかったんだよ。父さんも、母さんも、きょうだいも……どんなに遠く離れたって、繋がってるんだ。だってそれが――――家族ってもんなんだから」

 

 

 母に、父に、そして琴里にそれを教わった士道は、六喰が辿らなかった道を歩んだ者。けれど、一つ間違えたら、士道も同じ過ちを犯していたかもしれない。

 

「……、……っ、でも……むくは……むくには……もう……」

 

「――――いるだろ、ここに」

 

 何をするにも、遅すぎることはない。いくらでもやり直せる――――誰より士道が、これからそれを肯定してみせるから。

 

「愛ってさ……小難しくて、厄介で、一方通行じゃこんがらがって、めんどくさくて……けど、家族でも、そうじゃなくても、それが愛なんだ。一方的じゃなくて、伝え合うから繋がる――――そう考えたら結構、素敵だと思わないか?」

 

 めんどくさくて、辛くて、苦しくて――――けどそれを全て変えてしまうくらい愛おしい感情。

 それは家族に対しても、それ以外の、愛しい人に対しても、変わらない。

 どうなったって、繋がっている。士道がそう笑うと、六喰が呆然と声を……確かに、六喰自身の声をもらした。

 

 

「……主様、むく、は――――」

 

「俺はお前のこと、忘れたりしない、嫌ったりしない。でも、それは一方的じゃ駄目なんだ。六喰にも、誓ってもらわないとな――――家族、なんだからさ」

 

 

 六喰の涙の色が、黒から透き通るような水の色へ――――――世界が、崩れかけている。

 もう時間は残されていない。未だ、六喰の霊力は瀬戸際の境界を維持している。

 だから、最後の手段。というより、最後の賭けだった。受け入れてくれなければ、士道も六喰も世界も、何もかもがおしまい。ただ、そういった賭けの方が、向いているし――――何より、絶対に譲れないものが、士道にはあるから。

 何がなんでも受け入れてもらうべく、六喰の顔を上げさせ――――半ば誰かさんに向けての言い逃げのように、宣言した。

 

 

「ああ、それと――――嬉しいことに家族って、増えるもんなんだぜ。俺にも、将来(・・)はその予定があるから、よろしくな」

 

 

 ――――その誰かさんの動揺を背に受けながら、六喰と士道は重なり合い――――――世界が白く染まり、温かな光(・・・・)が、満ちた。

 

 

 

 

「……!!」

 

 士道の目の前で、六喰の霊装と、顕現しつつあった魔王が輝きを失い、無に帰っていく。

 

「……っ、六喰!!」

 

「あ……う……」

 

 相変わらず、現実と空間の境界が曖昧で不思議な力だと思っている暇はなく、霊力の封印(・・・・・)により一糸まとわぬ姿となった六喰が、力なくもたれかかってくる。

 腕の痛みがないとはいえ、士道にも六喰を支えるだけの痛みは残っていない。あえなく体勢を崩した士道は背から地面へ――――落ちることなく、狂三の手に受け止められた。

 

「あ……助かったよ、狂三」

 

「……まったく、無茶苦茶な方ですわね」

 

 それは多分、士道の行動というより、空間が砕ける直前の発言を指摘しているように思えた。

 その証拠に、ゆっくりと地面に下ろされながら見上げた狂三の耳が、炎もかくやという勢いで真っ赤に染まっていた。

 ……まあ、正直あの宣言はやりすぎたとは思ったものの、後に回せる問題ではなかったので、どんな形であれ六喰が受け入れてくれて助かった、というべきだろう。

 

「……、……」

 

 ひとまず身体を隠せるようにと、狂三が影から取り出した大きめのブランケットに覆われながら、士道の血に濡れた胸板ですぅすぅと寝息を立てる六喰。

「六喰……ありがとうな、俺を、信じてくれて……」

 

 泣き疲れたのか、大きく力を使い果たしたのか……どちらにせよ、お疲れ様と士道は六喰の頭をぽんぽんと叩いた。

 ようやく一段落、と言いたいところだが、士道の腕をどうにかしないと、狂三に負担がかかる(・・・・・・・・・)

 とにかく、どうにかして琴里と連絡を取らねば。朝の一件の騒ぎで、持ち歩いていたインカムは家の中だからそれは無理だとして――――――

 

「……ん?」

 

 そこまで考えて、先ほど援護をくれたのだから、六喰の霊力が封印された以上、琴里からアクションを起こしていてもおかしくないのではないか? ということに気がついて、珍妙な声を上げた。

 何か、とんでもないことを忘れている気がする。

 それを思い起こさせてくれたのは、左手で銃を取り出した狂三だった。

 

「士道さんもお休みになられたいところ、大変心苦しいのですが――――最後の大仕事が、残ってしまいましたわねぇ」

 

 瞬間――――暴風のような飛来物が、士道と狂三の目の前に叩きつけられた。

 

「な……ッ!?」

 

 目を見開き、飛来物の姿を視認する。

 叩きつけられた、という表現は正しくなかったと言える。それは、最大風速から急激に減速をかけ、凡そ人の域を超える挙動で着地をしてみせたのだから。

 闇色のスカートがはためき、水晶の瞳が冷たく士道たちを撫でた。

 

「十香……!!」

 

「……『わたくしたち』と折紙さんを振り切るとは。実力は十香さんと変わりなく、面倒なことですわ」

 

 反転精霊・十香。

 介入者として現れ、未だ反転理由が判明していない彼女が、この状況に降り立った。

 もう呆れた声を出すのも飽き飽きだ、という風に狂三が風に揺れる髪に構うことなく、左手に持った銃だけ(・・)を掲げ、十香と相対する。

 

「っ……お前、やっぱり……」

 

 六喰の身体をできるだけ優しく地面に横たえて、ふらつく身体に力を入れて立ち上がる。たったそれだけで済んでいるのは、不自然なまでに動いていない(・・・・・・・・・・・・・)狂三の右腕のせいだ。

 気がつかないわけがない。痛みが引いた瞬間から、狂三は一度たりとも右腕を動かしていない。まるで、そこに存在しないかのように扱っている――――――士道の痛覚を、肩代わりしているのだ。

 

「く――――無事!?」

 

 と、十香から少し離れた位置に、折紙と分身体たちが降り立つ。

 しかし、その姿は装備、霊装ともに損傷の跡が見られる。反転した十香との激しい戦闘を物語っていた。

 

「…………」

 

 折紙たちを一瞥した十香が、再び士道と狂三、そして六喰に視線を戻す。

 心なしか、その瞳は戦うためのものではなく……何かを、見定めるように穏やかなものに見えた。

 

「ふん……」

 

「……!!」

 

 しかし、それも一瞬のこと。

 十香が〈暴虐公(ナヘマー)〉の切っ先を突きつけ、狂三がそれに反応して左手の銃を返すように突き出した。

 

「っ、やめろ狂三!! 十香も……!!」

 

 無茶だ。そんな思いで、士道は声を上げる。

 如何に狂三といえど、片腕の感覚が消失――――いや、消失しているならまだマシだ。腕が消し飛んでいる激痛に耐えながら、反転した十香を相手取るのは不可能に近い。

 素面を装ってこそいるが、想像を絶する痛みが襲っているはずなのだ。士道が天使を重ねがけて耐えたものを、狂三は引き受けるだけ引き受けて何の対策も取っていない。恐ろしい精神力に敬意すら抱くと同時に、それを通り越して無茶をする狂三へ怒りすら込み上げてくる。

 叫ぶ士道を見て、十香は今一度横たわる六喰を――――そして、相対する狂三を見て、冷たく声を発した。

 

 

「――――戦士を童に……ふん。修羅を、女にしたか(・・・・・)

 

「え――――?」

 

 

 剣呑な声と相反し、眼光は酷く穏やかに映る。

 十香の言葉に狂三が動揺を見せるように肩を揺らし、士道が疑問の声を漏らす中、十香が〈暴虐公(ナヘマー)〉を光に帰し、他には目もくれず士道へ近づいてくる。

 

「五河くん!!」

 

「――――退け。興が冷めた」

 

 十香の行動に慌てた折紙が攻撃を加えようとした時、彼女は冷たく、それでいて寂しげに言葉を吐き出した。

 どちらかと言えば、折紙へ向けたものというよりは、無言で銃を構えた狂三へ向けたもので――――瞬間、一歩前へ踏み出していた士道の胸倉を乱雑に掴み上げ、引き寄せてきた。

 

「んん……ッ!?」

 

「な……!!」

 

「きゃ――――っ!?」

 

 当事者の士道と、それを目撃した狂三と折紙の声が重なり合う。

 唯一、その行動(・・・・)をした十香だけは狼狽えた様子を見せず、胸倉を掴んだ士道を狂三へ向けて投げ飛ばした。

 

「……っ!!」

 

「士道さん!!」

 

 狂三に受け止められながら、士道は十香を今一度見やる――――霊力を封印された証として、霊装が光へ帰り始めている、彼女の姿を。

 どうして、という疑問が浮かび、表に出るより早く、十香が冷淡な、けれど穏やかに感じられる不思議な双眸に士道と狂三を映して、小さく呟いた。

 

 

「――――修羅を手懐けた貴様なら、大丈夫なのだろうよ」

 

「え……?」

 

「だが――――『十香』を、あまり、悲しませるな」

 

 

 そうして、反転した霊力が底をついたように消え失せ――――意識が途切れたように、その場に倒れ込んだ……ところを折紙が受け止める。

 

「と、十香っ!?」

 

「……大丈夫。霊力が封印されて、眠ってるだけみたい」

 

 覗き込んだその顔は、折紙が言ったように険の取れた穏やかな寝顔で、士道も狂三に支えられながらホッと息を吐き出す。

 ……だが、結局、いろいろな謎が明かされていないと言葉を続ける。

 

「……そもそもなんで、十香は反転しちまって、反転した十香はこんな行動を取ったんだ……?」

 

「案外、十香さんを案じて見定めにきた、のかもしれませんわねぇ」

 

「十香を、十香が?」

 

 こくりと頷く狂三に、何とも紛らわしい表現だと、自分で言って苦笑してしまう。狂三の手でゆっくりと地面に下ろされる士道の前で、そういえば……と折紙が口を開いた。

 

「最後の方、六喰ちゃんの霊力を封印する前くらいからかな。何だか、戦いより五河くんと時崎さんを見ていたような……」

 

「まあ、当の本人が帰ってしまった今、確かめる術はありませんわ。先の論も、わたくしの想像でしかありませんもの」

 

「……それも、そうか」

 

 反転した十香が何を思い、何を見定めるためにやってきたのか。今となっては、彼女の残した僅かな言葉を推察することしかできない。

 結局、十香が元に戻ってくれたのが一番なのだから。そう安堵して、膝にぐったりと頭を預ける士道を狂三は片方の肩を竦め、折紙はハッと慌てたように声を荒らげた。

 

「――――って、そんなこと言ってる場合じゃないよ!! 早く医療用顕現装置(メディカル・リアライザ)を使わないと!!」

 

「ああ、そうだった……。狂三、もう肩代わりしてくれなくていいから。お前、絶対痩せ我慢してるだろ」

 

「あら、あら。突如として現れる痛みによるショック死がご所望ですの? 意外な自殺願望をお持ちなのですね、士道さんは」

 

「……おーい琴里ー。割と早めにヘルプミー」

 

 妖しく笑う狂三を見て、取り敢えず、今の状態で士道の痛覚を戻す気がないことはわかったので、混乱する折紙を置いて空中へ言葉を投げかける。

 そんな届いているかわからない言葉で呑気なことをしていると――――――不意にその場に起き上がった六喰によって、次の言葉は塞がれた。

 

「――――!?」

 

「……むふ、油断大敵じゃの、主様」

 

 よろめきながら不敵に笑う六喰に、士道は驚愕の声を返す。

 

「む、六喰!? い、一体何を……」

 

「今、十香とキスをしておったじゃろう」

 

「え……」

 

「――――安心せよ。もう……大丈夫じゃ。士道が何をしようと、むくはもう不安がることはない。何しろ……家族じゃからの」

 

 一瞬、六喰がまだ士道の言葉を受け入れてくれたわけではないのか、とも考えたが、それを杞憂であると六喰自身が語ってくれる。

 少し恥ずかしそうに、年相応の少女らしく頬を染める六喰を見て、士道はようやく完全に肩の荷が降りたのだと感じた。

 

「六喰……」

 

「じゃが――――このくらいのスキンシップは構わんじゃろう? 家族じゃからの」

 

 が、艶やかな唇を指でなぞり、年相応とは思えないいたずらっ子な笑顔をしてみせた六喰に、それが間違いなんじゃないかと思ってしまう。

 

「……ええと」

 

 困り顔で、助けを求めて狂三の顔を見上げる。

 頼られた狂三は――――もう本当に疲れた、という顔で、無情な一言を紡いだ。

 

 

「ご自身のお言葉は、ご自身で責任を負ってくださいまし」

 

「…………はい」

 

 

 ……家族って、なんだっけ。

 

 思いはしたものの、責任を投げ捨てることはできない士道なのであった。

 

 

 






小難しくてめんどくさいくて、それでも素敵だから愛なんじゃないかなぁ。物語の醍醐味ですね。

そして先に断っておきます。本日は特別後書きが長めです。

そんなわけで、無事残すところエピローグのみとなった六喰編。反転十香の出番がもっと見たいという方は『六喰ファミリー』をどうぞよしなに。いやできる限りはやったつもりなのですが、やっぱり反転体の出番は難しいなぁって……。

さあそれでは反省会の時間です。
一番にね、狂三が〈アンノウン〉の天使を完全装備で纏ってるの。これ、ぶっちゃけて白状するとプロット変更があって意味合いが少女の過保護程度になりました。本当はこの章、特に〈封解主〉に対しての重要なカウンターの役割で、満を持しての装備だったのですが、路線変更で敢え無く六喰への牽制と戦闘用装備に。
この辺りに突貫の名残が見える見える…予想以上の長編になったので修正は多々あるのですが、個人的な反省点です。戦闘転用にしたってもうちょい見せたかったのですが、狂三も精霊を倒しに行っているのではないという縛りがまた難しい。せっかくの完全装備くるみんなんだからもっとかっこよく活躍させてあげたかった。
まあ、そもそも天使を譲渡できることに関してはまだ触れてもいないしここからなんですが(小声)

反省会は一旦切り上げて、本編の方へ。
狂人は常人がわかるからこそ、常人に溶け込むことができる。たとえば狂三とかね。けれど、六喰は常人を知らないんです。いいえ、知っていても理解ができないというべきですか。それが間違いだと、どこかでわかっているはずなのに。
そんな彼女を救えるのは、そりゃあヒーローしかいないわけです。腕一本吹っ飛んでるのに意識があって話せるなら十分とか言い出し始めてる狂人なヒーローですけど。

狂三の痛覚引き受けはどうやったの?意識共有領域のちょっとした応用だ。この二人の特殊経路が要因ともいう。
将来は、果てさてどうなっていることやら。自分の発言の責任は取る男ですよ彼は。
自分で言うのもなんだけどをずっと言っている気がしますが、修羅を女にしたか、は割とお気に入りです。ずっとやりたかった。

さて、めちゃくちゃ語りたいおじさんで長くなりましたが次回は六喰編エピローグ。長くなった理由は六喰編で言うべきことは今回に詰め込んでおきたかったからです。

久しぶりにタイトル予告。次回、『別れの時』。九つの天使を集えた、その意味は……。
感想、評価、お気に入りなどなどお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!

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