「――――せいはぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
拝啓、見ず知らずのどなたかへ。玄関を開けたら、可愛い妹の回し蹴りが胴へ迫っていました。
「――――甘いっ!!」
しかし、士道とて伊達に身体を鍛え始めたわけではない。僅かに身体を反らし、某オレンジ神のような気合いで放たれた回し蹴りを躱し――――――
「せいぃぃぃぃぃぃッ!!」
「ばななっ!?」
――――た後、着地から放たれた二発目の回し蹴りによって沈められた。
噫無情。如何に鍛えようとも、愛する妹には勝てない兄なのであった。
ふんっ、と鼻を鳴らし倒れた士道を冷たい目で見下ろす琴里に、腹を押さえながら抗議の声を投げかけた。
「……は、反抗期か、我が妹よ」
「あら、そんなわけないじゃない。愛してるわよ、おにーちゃん」
「…………」
の割には、非常に視線が冷たい上に声音が氷の女王もかくや、という絶対零度なものだった。
経験則として、妹ではなく一人の女性を相手にしたものとなるのだが、こういった状況で反論は自殺行為だ。
まあもっとも、この状況になったのは士道のせいという自覚はあるので、反論する気は更々なかったわけだが。
身体を起こし、だが立ち上がることはせずに小さく琴里へ頭を下げながら、告げた。
「ごめん。勝手なことして。どうしても、狂三の事情が知りたかった」
伝えようと思えば、伝える時間はいくらでもあった。相談できる時間も、対策を立てられる時間も。
それをしなかったのは、士道が狂三と向き合う時間が欲しかったという、紛れもない私情だ。士道の個人的感情による、どうしようもない我儘だ。
「……わかってるわ。折紙からはちゃんと連絡を受けてたし、今のでチャラにしてあげる。感謝しなさいよね」
「おう……」
わかっていたなら、暴力で訴えかけるのは止めてほしかった――――とはいえ、力加減はじゃれ合いの域であったし、不器用なんだか起用なんだかわからない優しさに、士道は救われた気分だ。
と、返事に頷いた琴里が親指でリビングの扉を示し声を発する。
「みんなはもう集まってるわ。まったく、どこから聞きつけたのやら……とにかく、全員で話し合いましょう」
「ああ」
琴里の口調は呆れ気味ではあったものの、狂三のこととなれば精霊たちを無関係だと追い返すことはできなかったのが見て取れた。
それは、そうだ。あらゆる精霊事件に関わり、皆を救ってきた時崎狂三が、遂に――――――
「士道」
「ん?」
「私の前ではいいけど、みんなの前でそんな顔したら、心配されて大変なことになるわよ」
言って、琴里は加えたチュッパチャプスの棒をピコピコと揺らしながら、先に言ってるわよと付け加えて歩いていく。
そんな琴里を見届けながら、立ち上がって備え付けられた鏡を見て……思わず、その酷さに吹き出してしまった。
「……ひっでぇ顔だな、俺」
とても、これから好きな女を口説く男の顔とは思えない、歪み切った面だ。
気合いを入れろ。と、強めに頬を両手で張り、幾分かマシな顔つきを作る。心配はされるかもしれないが、さっきの顔よりはマシだ。
ああ、しかし。そう考えると……結構、しんどいんだなと、士道は苦笑しながらリビングを目指した。
――――それほどまでに、いつの間にか狂三を精神的な支柱にしていた自分の情けなさを、笑った。
「――――狂三から聞いた事情は、こんなところだ」
説明を終えた士道が、リビングに居並んだ皆を見渡す――――沈黙。それも、かなり重いものだ。
ここには、来禅に通う十香、折紙、八舞姉妹だけではなく、四糸乃、七罪、六喰、更に市内の自宅に住む美九、二亜、そして極めつけには〈ラタトスク〉の解析官、令音までもが勢揃いしていた。
理由など簡単だ。仕事という側面がある令音はともかく、他の皆は一様に狂三のことを案じている。そんな状態で告げられた狂三の目的に、皆が口を閉ざすのは無理もないことだ。
「……何よ、それ。いくらなんでも、急すぎるじゃん。この前まで、あんなに……」
誰も言葉を発せない中、沈黙を最初に破ったのは耶倶矢だった。
急すぎる。士道が何度思ったことだろうか。今に思えば、油断があったのだろう。長らく、この
それは、他の精霊たちも同じだったようで、皆一様に声を発し始めた。
「はい……。狂三さん、士道さんと一緒にいる時、本当に楽しそうでした……でも……」
「……そもそも、さ。話に出てきた『始源の精霊』ってやつは、何なの? そいつが精霊を生み出した、とか……」
「それは……」
精霊を生み出した、精霊。話すべきか迷ったが、避けて通れるものではなかった。
即ちそれは、精霊の皆の出生に関わるような重大な情報なのだから。
答えあぐねた士道の代わりに、琴里が難しげな顔で言葉を継いだ。
「『始源の精霊』が用意した十の鍵……ちょうど、私たちの天使と同じ数ね。今さら、私たちに狂三が嘘をつく理由も見当たらないし、その説を信じるのなら……私たちが〈ファントム〉と呼ぶ存在は、その『始源の精霊』ってことになるわね」
「けど、私たちだけでは〈アンノウン〉という精霊の存在に、説明がつかない。彼女が〈ファントム〉に関わっていないと、私は考えていない」
「……そうね。そっちも、今さら避けて通れない、か」
〈ファントム〉と〈アンノウン〉。この状況になって、殊更避けて通る理由はない。
仮に、〈ファントム〉が『始源の精霊』と呼ばれる存在だと仮定した場合――――連なるように、〈アンノウン〉の存在が浮き上がり、宙吊りになる。
ふと、憂いを帯びた顔を見せた琴里が、それでも司令官として責任を負う強い声色で続けた。
「〈ファントム〉と〈アンノウン〉はどういう関係なのか。〈ファントム〉と『始源の精霊』は、同一存在なのか。だとしたら、目的は何なのか――――自分と同じ精霊を生み出して、何をしようとしているのか」
同族を増やすという単純な私欲か。はたまた、士道たちの想像の外にある目的があるのか。
何かをしようとしているのは間違いないが、その何かを掴むことは容易でない。何せ、神出鬼没の〈アンノウン〉と並び、正体が掴めないのが〈ファントム〉――――『始源の精霊』と呼ばれる存在なのだから。
「いろいろと謎が増えるばかりだけど……今はとにかく、狂三のことね」
「ふむん……しかし解せぬの」
唸るように小さな声を発し、小首を傾げた六喰。その拍子に、彼女の長い金髪がソファの表面をふわりと撫でる。
相変わらず見事な長髪だと一つの仕草に美しさを感じながら、士道の思考は自然と六喰を促す言葉を紡がせていた。
「何か気になることがあるのか?」
「精霊の霊力を求むる……そのために、主様を狙う。そこまでは理解出来よう。じゃが、狂三はそうまでしてなぜ霊力を求むる。大切に想う男を犠牲にするとわかっていながら、狂三は何を得ようと言うのじゃ」
「ふっ、精霊として生を
「嘆息。そのように単純な理由であれば、決着は早期についていたことでしょう」
夕弦がそう言ってため息をつくのと合わせて、耶倶矢も仲良く嘆息した。
時崎狂三の目的。愛する士道の手を振り払ってまで、果たすべき目的。そちらは、ずっと共に歩んできた士道だからこそ、士道と出会う前に決意したであろう狂三の目的の片鱗を、知ることが出来ていた。
「――――過去を、変えること」
「過去を……」
「変える……?」
士道が呟くように放った言葉に、一部を除いた精霊たちが疑問符を浮かべる。
顎に手を当て、間違いのない情報を整理しながら士道はそれを言葉として伝える。
「〈
『……!?』
精霊たちがゴクリと息を呑むのが伝わってくる。
当然だ。彼女たちからすれば、あの狂三が、という印象が強くなる。
しかし、士道は知っている。狂三がどれだけ過酷な選択をしてきたか。一人が背負うには重すぎる業を背負い、それでも精霊の霊力を封印できる人間……つまりは、士道まで辿り着いたか。
士道がいなければ、狂三は今以上に多くのものを手にかけ――――だというのに、届かない〝悲願〟にもがき苦しむことになっていたかもしれない。考えるだけで、身が引き裂かれるような思いだ。
「けど、それで何を〝なかったこと〟に出来るのかまでは、俺にもわかってない。少なくとも、五年より前……途方もない時間を越えようとしてることは確かなんだが――――――」
『――――三十年前』
揃った声色は、何とも意外な組み合わせだった。皆が視線を揃えて見た先には、折紙に加えて真面目な顔をした二亜が指で眼鏡を上げ、言葉を続けた。
「結局こうなっちゃったかー、って感じだからさ……ぶっちゃけて言うと、あたし実はくるみんと秘密の密会をしちゃったんだよねー。それも、霊力を封印される前にさ」
「俺たちが同人誌を作ってる最中に、だろ?」
「ありゃ、バレちゃってたかー」
これは恥ずかしいですなー、と手を頭の後ろに当て快活に笑う二亜に、士道は一つため息をつく。
何をしていたかまではしらないが、やたら物騒な〝宣戦布告〟なんて言葉を聞かされていた以上、狂三が訪れていた場所など容易に想像がついた。
その時の二亜の一件には様々な騒動があり、自然と流れてしまっていたのだが……真剣な顔つきに戻った二亜は、その内容を明かしてくれるようだ。
「その時に、〈
「な……」
あまりに不穏な情報に、士道は眉根を寄せた。
狂三が『始源の精霊』を敵視しているのは感じ取れたが……まさか、直球に滅ぼそうとしているというのは大きな驚きだった。
「始源の精霊を、討滅する……それが、狂三の最終目的だっていうのか?」
「うん。〈
「そして――――開示された情報を元に、三十年前の時点で始源の精霊の存在を〝なかったこと〟にする」
言葉を継いだのは士道ではなく、折紙だった。
彼女もまた、狂三の目的について少なからず知る一人。琴里が驚いたように折紙へ視線を向けた。
「何か知ってるの?」
「詳しくはわからない。でも、『前の世界』で私が狂三と〈アンノウン〉を頼った時、狂三はそんなことを言っていた」
そう。折紙もまた、士道と同じく【
時間を超えようと狂三に接触を試みたその時、士道と同じく狂三の目的の片鱗と言えるものを、覗くことが叶ったということだろう。
「天使〈
「でもー、狂三さんはどうしてその精霊さんを倒したいんでしょうかー」
「……そいつに恨みとかあるんじゃないの? そのために――――ってのは、士道の命を狙う理由には弱いか……」
七罪が一人浮かべた答えを、相変わらず不機嫌そうな――曰くこれが普通――表情で考え直す。
復讐。そういった面は、少なからずあるはずだ。
始源の精霊の精霊を生み出した者たち――――そのうちの一人、ウッドマンと会った狂三の行動は、まだ士道の記憶に新しい。
彼に銃を向け、身に宿す怒りの炎は凄まじいものだった――――しかし、狂三は銃を下ろすことができた。
だから、こそ。そうではない。それだけではない。狂三は決して、自らが受けた何かの仇を返すためだけに戦ってきたのではない。
咎を受けた、許されない者。事の始まりから、理不尽に命を奪った者。かつて彼女は、自らの存在をそう結論付けた。
執念。人の執念が、未だ狂三を動かす力だ。その原動力は、自らの罪業というべきもの。だが、なんだ? 時崎狂三は、一体何をしたのか。時崎狂三は、始源の精霊に何をされたのか。
『えぇ、えぇ! わたくしは救われますわ!! でもわたくしは救われても――――――あの人は救われない!!』
自らの救いを拒んでまで、時崎狂三が取り戻そうとする事象とは、何か。
士道という人間を犠牲にして、狂三は何を
一つ確かなのは、憶測の域を抜け出せないことだ。
憶測を確かなものにするためには、実証する必要がある。士道は唯一、その手段を口に出すことができる人間だった。
「やっぱり、知らなきゃいけない」
「シドー……?」
「――――狂三に何があったのか。狂三が、始源の精霊を倒そうとしている理由を」
それを知らねば、前には進めない。
狂三を救うために、全てを受け入れると誓った。
どんな理由で、狂三は血を吐くような思いをしながら、世界の敵として歩き続けてきたのか。
愛する者を得ながら、友たり得る者を得ながら、振り払ってでも――――〝なかったこと〟にしなければならないものを、士道は知らねば狂三を救うことはできない。
だが、そんな士道を見て、二亜が覚悟を問うように言葉を発した。
「いいの、少年。君がそれを知ったら……」
「っ……」
二亜が何を言わんとしているか、士道はわかる。
狂三の過去。狂三が味わった地獄。それを知ることは、その瞬間を以て残された彼女の全てを知ること――――――諸刃の剣。
それでも、やらねばならない。表情を険しくし、士道は強く訴えるように吐き出した。
「けど、このままじゃ駄目なんだ。俺が……やらなきゃいけない。狂三との決着は、俺が――――――あいたぁ!?」
と。次の瞬間、凄まじい勢いの平手打ちが士道の頬に突き刺さった。あまりに遠慮のない一撃に、半ば吹っ飛ばされるように士道の身体は地べたに横たわった。
「ってぇ……な、何するんだよ琴里!!」
十香たちが心配して駆け寄ってくる中、士道は平手打ちを浴びせた本人……琴里に対して、本気の抗議を送る。
琴里は、本気の平手で自分の手を痛めたように手首を振りながらも、毅然とした態度で士道を見下ろす。
「ばーか。確かに、決着は士道じゃなきゃいけないわよ。けどね、そこに至るまで、全部を全部、あなたが背負い込んでどうするのよ。狂三はもう――――――あなただけの狂三じゃないの」
「あ……」
「忘れないで。狂三を助けたいと思ってるのは、士道だけじゃないんだから」
諭すように語りかけられたその言葉に、士道はようやく周りを見ることができた。
皆、同じだ。誰もが士道を、そして
「シドー。私たちも、お前と同じだ。皆、狂三のことが〝好き〟なのだ」
「むん。むくは、まだ〝好き〟と言えるほど付き合いは長くないがの」
「そんなこと言わないでくださいよー。これから、ちゃんと知っていけばいいんですからー。そうですよねー、だーりん」
美九が優しく士道を抱き起こし、穏やかに微笑んでそう言った。
ああ、そうか。と、士道は自分の愚かさに苦笑してしまう。
これはもう、自分たちだけの問題じゃない。みんなが、一緒なんだ。これから先、狂三と共に歩む〝時間〟を生み出すために、みんなでやるべき事なのだ。
「……悪い。いつの間にか、自惚れてた」
今一度、気合いを入れ直すように両の手で頬を叩き、今度こそ険しく、けれど独り善がりではない思いを胸に皆を見回し、言葉を続ける。
「俺もみんなと同じ――――いや、それ以上に狂三のことが、好きだ。だから、あいつを救うために……同じ〝時間〟を過ごす為にも、みんなで一緒に考えよう」
『おぉっ!!』
気合いを突き出すように手を上げて、皆が一丸となって最後の精霊との
「…………」
でも、士道は……わかっていた。表情を僅かに曇らせ、己の心と向き合う。
皆の力を借り、狂三に立ち向かったとして――――今の士道では、
この章に残された鍵は、実はそう多くありません。なぜなら、必要なものはこれまでの物語で、全て紡がれてきているのですから。
どのような結末に辿り着くのか。それとも辿り着くことはできないのか…。
感想、評価、お気に入りありがとうございます。いつでもお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!