デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百五十七話『記憶という時間(ナイトメア・メモリー)

 

 

 数式には必ず解が存在する。論理を組み立て、形成し、完成させる。答えが存在するからこそ、人はそれを求め続け、完成という答えを見つけ出す。

 それでは、感情はどうなのか。感情に解はあるのか。論理を組み立て、形成し――――――不可思議な感情一つで、それを台無しにしてしまう。

 不条理で、理不尽。けれど澪は、それを嫌いではないと思った。

 

『み……ッ、澪、サン……? どうかいたしましたでしょうかはい……』

 

 何故か奇妙な動揺を見せる真士に対し、澪は己の行動が間違っていたのだろうか、と絡ませた指(・・・・・)はそのままに声を返す。

 

『……間違っていたかな? やっぱり知識と実践は勝手が違うね。デートの時はこうするものって真那に聞いたんだけれど』

 

『!! あ……いや、違わないと、思います、です……』

 

 目を見開いた真士がそう言ってくれて、澪も内心でホッとした。

 よかった。そう、心から思えるのは、この行為が澪にとって望ましく、何度でもしたい(・・・・・・・)と思ってしまうものだったから。

 

 

『――――この行為は、なんと言えばいいんだろう、非常に……好ましい。シンと手を繫いでいると、安心感がある。けど、心が休まるだけじゃない。微かな興奮……高揚? 心拍が少し上昇している感覚を覚えるんだ。きっとシンは、不思議な力を持っているんだね』

 

 

 きっとこれは、彼だけが持つ不思議な力なんだろう。

 澪は、彼だけにこの感情を持っている。不思議で、高揚感に溢れて、抑えきれない気持ち。数式では書き起すことの叶わない、澪の真士に対する感情。

 

 

『お、俺も……同じだよ。澪と手を繋げるのは……嬉しい。こうしてるだけでドキドキして……なんかもう、生まれてきてよかったって感じだよ』

 

『ふふ、大げさだよ』

 

 

 ああ、でも――――澪も似たようなことを思っているから、そうなのかもしれない。

 生まれてきて、よかった。真士に、会えたから。

 これからそれを、もっともっと感じていたい。澪は繋いだ手を引っ張り、一語一句聞き逃さない彼の言葉を真似て、言った。

 

 

『――――さ、じゃあ始めようか。私たちの、戦争(デート)を』

 

 

 

 

 

 ――――――さっさと、起きなさいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 右へ。そうして左へ。それから真っ直ぐ。ふらり、ふらり、ふらり。

 行き場もない、目的もない放浪など、一体いつぶりだろうか。いや、目的がない、というのは些か語弊ではあったが……こうすることが目的なのだから、行き先に目的がないも同義だろう。

 休日真っ只中。街並みは人で賑わい、溢れる。街、物、人――――様々なものを目に焼き付けるように見つめ、狂三は行くあてのない放浪を続けた。

 

「…………」

 

 何かを見つけようなどとは、思っていない。

 誰かを〝時間〟の糧としよう、などとも考えていない。

 ただ、無意味な感傷に浸る。狂三が狂三として存在する時間の中で、この世界で残された時間の中で、狂三が個人として望む最後の〝自由時間〟、とでも表現してみようか。

 

「……思えば、こうした目線は少ないものでしたわねぇ」

 

 歩きながらふと、そんなふうに思い起こす。街並みをビルの上から睥睨することは日常茶飯事ではあったが、こんな無意味に歩き回り、平和な営み、街並みを眺めることなどなかった――――あったとしても、それは狂三の記憶に強く残るものではなかったのだろう。

 事務的に、義務的に、必要だからと行う。街並みも、そこに住む人々も――――――祭りごとに浮かれた雰囲気も、狂三は苦手としていた。

 自らもよくわかっていなかった、その理由。だが、今なら、士道という存在を得てしまった今ならば、理解できる気がしている。

 

「――――あら」

 

 そんなことを考えながら、宛もなくさ迷う狂三の前に、懐かしい光景が目に飛び込んできた。

 天宮駅東口前――――士道と、初めてデートをした、待ち合わせ場所。

 気づかない間に、こんな場所まで迷い込んでいたようだ。懐かしさを感じて穏やかに目を細め、軽やかな足取りで当時の待ち合わせ場所へ導かれるように留まる。

 犬の銅像から、少し外れた場所。そう、当時の狂三は、ここで士道を今か今かと待っていたのだ。

 

「懐かしい、懐かしいですわ」

 

 当時の心境を思い起こすと、今に思えば浮ついて目も当てられない未熟な自分だった。

 仮に、【八の弾(ヘット)】であの一瞬の分身体を生み出したりなどすれば、それはもう頬の筋肉を極限まで緩めた時崎狂三が生み出されることだろう。

 それを思い返せば、今の狂三は成長したものだとくすりと笑いがこぼれようというもの。恋を自覚すらしていない、未熟な少女。世界最悪の精霊も、恋の前には無力だったということか。

 だが、それは士道も同じだった。待ち合わせの時間より遥かに早く訪れた士道――狂三にも言えたことなのだが――が、狂三を見つけた瞬間――――ああ、ああ。あれが、恋をした少年の姿なのだと、やはり今なら理解できる。

 過去となった思い出は、狂三の胸の内に刻みつけられて、消えない。

 

 なかったことに、なったとしても。

 

「っ……」

 

 肺腑を貫き、抉る痛み。

 幻想だ。狂三の、気の迷いだ。胸に手を当て、念じるように自らに言い聞かせる。

 迷いなど、ない。事実、士道の前で狂三はもう迷いを見せていない。ならばこれは、未練だとでもいうのか――――だとしても、今さら、何になる。

 他に方法があるのか? あるわけがない。分身を何千、何万と生み出し、問いかけたところで答えは同じ。

 そう、他に方法はない。狂三は士道の心から虜にし、自らの〝悲願〟を果たす。

 苛立ちと、痛みと。狂三の心をざわつかせるそれは、奇しくも別の苛立ちをもたらす騒音によって遮られた。

 

「――――あれぇ、君もしかして一人?」

 

 伏せた目を上げて、狂三はぴくりと眉根を震わせた。

 三人組の男たち。そのうちの一人が、馴れ馴れしく話しかけてきている。

 接近に気がつかなかった自身の腑抜けに内心舌打ちしながら、狂三は外面だけは穏やかに返した。

 

「いえ。待ち人がいますので」

 

「えー。そんなこと言ってさ、ずっと一人じゃんか」

 

「そうそう。だからさ、俺たちとちょっと遊ぼうよ」

 

 彼らの言葉に目を目開いたのは、狂三自身が見られていたからではない――――時間を忘れてしまうほど、思い出に浸っていたと気付かされたから。

 気を抜くにしても、些か笑えない。男たちは俗に言うナンパ、というやつだろう。人通りの多い駅前で度胸だけは認めてやってもいいが……分不相応を、学んでおくべきだったといえる。

 自身の容姿を自覚している狂三は、通常であればそれを利用し生半可には近づけないだけの気配りをこなしている。

 それをしなかった、というより、できなかったのは――――――

 

 

「――――ああ。わたくし、そんなにも……」

 

 

 ――――そんなにも、士道たちと共に過ごす時間が、多くなっていたのか。

 していなかったのではない。必要なかったのだ。だって、狂三の隣には士道がいた、精霊たちがいた。だから、出歩くような機会があっても、気にする必要がなかったのだ。

 誰かと共にいることに、違和感を持たなくなっていた。必要なこと、必要のないことと割り振り、精霊たちに必要以上に関わろうとしなかったはずの狂三が――――彼女たちがいて当然だと、立ち振る舞いを決めてしまっていた。

 

「……ちょっとちょっと、無視はないんじゃない?」

 

 と。狂三が自分自身の感情に戸惑いを隠すことができない中、男たちが苛立った様子で狂三へ手を伸ばした――――防衛的に影を行使しなかったのは、当然といえば当然と言えよう。

 このように人通りが多い場所で、白昼堂々と人から〝時間〟を吸い上げてしまったらどうなるか、火を見るより明らか。それに、この程度の小物に付き合ってやる義理はないし――――愛する少年の悲しげな顔が浮かんでしまったことも、否定しない。

 というよりも、狂三がわざわざ何かする必要はなくなった、のが大きいか。

 

「あだだだっ!?」

 

 いきなり、狂三の肩を掴もうとしていた男が、腕を捻り上げられ、地面に組み伏せられてしまったのだ。

 当たり前だが、狂三ではない。もっと言えば、過保護な従者様の仕業でもない。

 銀の髪を靡かせた、狂三でさえ手放しに評価できる端正な顔立ち。

 

「退いて。彼女は、私たちの連れ」

 

「……折紙さん?」

 

 鳶一折紙が、いた。何と、それだけではなく。

 

「かっこいい折紙さん、とっても素敵ですぅ。きゅんきゅんしちゃいますぅ。かっこいい、かっこいいですわー!!」

 

「強調。それは、狂三の真似でしょうか」

 

「あんま似てない……。――――くく、過日を去り、再び垣間見えたな、吸血鬼よ」

 

 美九、夕弦、耶倶矢――――何とも凹凸のとれたメンバーが、いつの間にか近くで手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 目立つ容姿が五人集まれば、もう騒ぎなど目に見えている。

 というより、帽子と眼鏡で申し訳程度の変装をしているとはいえ、人気アイドルの美九がいるのだ。騒ぎになりかけた駅前から慌てて離れ、移動先の公園のベンチに腰掛けた狂三は、いろいろな意味で凹凸が激しい――そもそもあの精霊メンバーで凹凸がないわけがないのだが――四人を見回し、声を発した。

 

「それで……皆様は、どういう集まりですの?」

 

「だーりんが考え込んでいるので、皆さんで元気づけちゃいましょう会の買い出しですぅ!!」

 

「補足。本来であれば昨夜には終えていたのですが、追加の発注が必要になったので、夕弦たちが出動したのです」

 

 相も変わらずテンション高めな美九と、相も変わらず平坦な夕弦の説明に、納得がいった狂三は首肯を一つ挟んだ。

 なるほど。この奇天烈なメンバーで現れたのは、そういった理由だったわけか。

 美九、折紙、夕弦……そして、耶倶矢。最後の耶倶矢に目を向けると、いつもの元気はどこへやらな彼女が訝しむように見返してきた。

 

「な、なに?」

 

「いえ。捕食者三名被食者一名の組み合わせなどとは、思っていませんことよ」

 

「思ってるじゃん!! 言ってるじゃん!!」

 

 ……必死に叫ぶ耶倶矢には悪いが、狂三の目にはそうとしか見えなかったのだ。本人も自覚があるのか、叫びに涙目が入っているし。

 何しろ、美九、折紙、夕弦という前科何犯かわかったものではない組み合わせ。士道を交えた件の雪山遭難事件は、未だ記憶に新しい。

 士道限定の折紙はともかく、美九と夕弦によって散々からかわれているのだろうな、というのは狂三でなくとも想像がつき、買い出しの中身にも一抹の不安を覚えてしまう。

 

「ちゃんとした買い出し……ですのよね?」

 

「問題ない。個人的な要件は既に済ませてある。抜かりはない」

 

「さすがはマスター折紙。完璧な仕事に惚れ惚れします」

 

「個人的な要件ってなに!? 私聞いてないんだけど!!」

 

 まあ、折紙なら昨日のうちに仕込みを終えているだろうな、と謎の信頼感があり、おかしな納得を狂三は覚えるのだった。

 そうして可笑しそうに微笑む狂三を見た耶倶矢が、ふと眉を下げて唇を開いた。

 

「……何かあったの?」

 

「はい?」

 

「だって、いつもの狂三だったら、買い出しの話したら『あら、あら。士道さんの最後の晩餐の準備ですの。それは素晴らしいですわ。きっひっひっひ』くらい言うでしょ」

 

「…………わたくし、そこまで性格は歪んでいませんことよ」

 

 絶妙に似てるんだか似てないんだかなモノマネに、真似された当の本人が一番困った顔になる。というか、少なくともそんなおばあちゃん魔女な笑い方をした記憶はない。

 とはいえ、耶倶矢の言う通り皮肉の一つすら浮かんでこないのも事実。先の助けられた件とて、普段の狂三なら一人で対処ができていたはずだ。

 その変化をわからない耶倶矢たちではなく、手を貸してきた折紙がまず狂三の目的へ切り込んだ。

 

「そもそも、あなたこそ何をしていたの? 時間を集めるにしては、非効率的」

 

「ちょ、ちょっと折紙……!!」

 

「構いませんわ。過去に、したことがないとは言えませんもの」

 

 慌てた様子で折紙を止める耶倶矢に、狂三は妖しい微笑みを焚いてぺろりと唇を舐めた。

 

「ええ、ええ。そうですわ、そうですわ。だってわたくし、最悪の精霊ですもの。皆様のことだって、食べてしまうかもしれませんわよ?」

 

 封印されているとはいえ、濃厚な霊力の経路(パス)を持つ精霊たち。リスクは大きいが、相応の見返りのある相手だ――――――けれど、そんな狂三の脅しに、誰一人として警戒をしようともしない。あの折紙でさえも、だ。

 狂三の真の言葉を待つように、じっと狂三を見つめる。根負けしたのは、もちろんのこと、狂三だった。

 

「……何をしていた、と問われれば――――街並みを、眺めていました」

 

「街、ですかぁ?」

 

 不思議そうな美九に対し、「ええ」と返して狂三は続ける。

 

 

「流れ行く人。時間の中で生まれたもの――――あの方の生まれ育った街を、目に焼き付けておきたい。そう、思い立ってしまいましたの」

 

 

 たった、それだけのこと。

 もう、見れなくなってしまう意味を持った風景。愛おしい人が、生まれた街並み。

 ただ一人、記憶を持つことが叶う狂三だからこそ、二度と巡り会えない光景を、目に焼き付けたいと願った。

 

「っ……あんたは、さ。時間を変えようとしてるんだよね?」

 

「ええ。その通りですわ」

 

 息を呑み、それでも問いかけを引き継いだ耶倶矢に、狂三は迷いなく答えた。

 今さら、隠す意味もない。士道を通して伝わっていることを隠すのは、それこそ時間の無駄というものだ。

 

「だったらさ……仮に、本当にもしもの話ね。あんたが、時間を、世界を変えて……そのあと、狂三はどうするの?」

 

「……え?」

 

「要求。夕弦も、実のところ気になっていました」

 

 耶倶矢、そして夕弦からの問いかけ。それに狂三は、言葉を止めた。

 全てを〝なかったこと〟にした、その後の世界。

 未来。この世界ではなくなった、別の未来。それを狂三は、考えていなかった――――『時崎狂三』という存在を、未来に置いてはいなかった。

 

「……どうするつもり、だったのでしょうね、『わたくし』は。全てを(ゼロ)に戻して、その後に残るわたくしを」

 

「考えて、なかったの?」

 

「さあ。考えていたかもしれませんわ。……士道さんに会う前の、わたくしは」

 

 夢物語のような〝悲願〟の果てを、狂三が想像した時はあっただろう。

 しかし、夢物語ではなくなった今。士道と出逢ってしまった今。時崎狂三は、未来に何を願うのか。

 歴史を書き換えた世界。仮に、その世界で狂三が生きていたとしよう――――それは、時崎狂三ではない時崎狂三だ。

 狂三は、改変世界の狂三の記憶を持たない狂三として存在することになる。そうなった時、どう生きていくのか……そうならない場合も、有り得る。

 

「大規模な改変を行った世界で、〈刻々帝(ザフキエル)〉を持つわたくしがどうなるのか。不明瞭ですわ、不確定ですわ。記憶だけを引き継ぐのか、大規模な改変の影響を防ぐため、世界から弾き出されてしまうのか……きひひ!! 探究心がくすぐられますわァ」

 

 精霊という世界の根本に組み込まれた存在を、根底から覆す。

 あまりに規模が大きく、士道が行った改変さえ比較対象としては小さい事象干渉。改変者である狂三がどうなるかなど、狂三自身にさえ想像ができない。

 だが、そうして仮定の話をするならば、と。狂三は目を細め、為すべきことを口にした。

 

 

「耶倶矢さんの問いに、敢えて答えるのなら――――――『時崎狂三』は、消えますわ。書き換えた世界を見届けて、どこへなりとも。少なくとも、あなた方の前へ二度と現れるつもりはありませんので、ご安心を」

 

 

 何かを求めるだけの幸せなど、手にする資格はないのだから。

 不条理に命の灯火を奪い続け、果ては自らを愛した男を犠牲に全てを覆す。救いようのない大罪人に、未来など不相応というものだ。

 ずっと、ずっと、五河士道を見守ってきたからこそ――――狂三は、全てを奪う狂三を許すことはできない。

 そう答えを出し、目を伏せた狂三の前で、耶倶矢が声を震わせた。

 

「何、それ……っ」

 

 目を上げれば、怒りに身体を震わせて狂三を睨みつける耶倶矢がいた。

 当然、だろう。憎くないはずがない。自分たちの過ごした時間を奪い、士道を奪う狂三が、耶倶矢たちにとって憎くないはずがない。憎まれて、今この瞬間に討たれても不思議ではない。

 

 

「――――逃げるな、時崎狂三」

 

 

 しかし、咎められた意味は、大きく違った。

 目を見開いて、耶倶矢の言葉をオウム返しのように復唱する。

 

「逃げる? わたくしが……?」

 

「だって、そうじゃん。まだ私たち、何も返せてないし。それなのに、勝ち逃げなんて許さないから」

 

 ビシッと突きつけられた指先に、狂三は面食らって目をぱちぱちと数度瞬きさせてしまう。

 物珍しいことに、狂三には耶倶矢の言っていることが理解できなかったのだ。

 すると、微笑んだ夕弦が継ぐように言葉を発した。

 

「救済。夕弦たちは、士道、そして狂三……あなたによって救われました。その借りを返せないままでは、八舞の名が廃るというもの」

 

「わたくしは何も――――――」

 

「あーはいはい。そういうの聞き飽きたから。とにかく、世界が変わったからって〝なかったこと〟にしないでよ。ちゃんと恩は返させなさいよ――――も、もちろん!! 士道が負けるとか思ってないけど!!」

 

 なかなか無茶苦茶なことを言ってくれるな、と狂三は思わず微笑をこぼした。

 世界が変わっても、会いに来い。つまるところ、そう言っているのだ。

 彼女たちもまた、察しているのだろう。己の出自――――狂三と同じく、元人間(・・・)であるということを。

 続いて、と言わんばかりに、膝を曲げ狂三の手を取ったのは、美九だ。

 

「私も、狂三さんとの約束を〝なかったこと〟にするつもりはありませんからねー」

 

「約束……?」

 

 美九と、何か契りを結んでいただろうか? 記憶にない疑問を感じ、首を傾げた狂三を見ても美九はニッコリと笑いながら言葉を続けた。

 

「はい。だーりんが言ってくれました。狂三さんは私の歌を、〝声〟を褒めてくれたって。だーりんと狂三さんは、私の本当の歌を、どんなことがあっても聴いてくれる、って」

 

「……もう、あの方は本当に……」

 

 呆れて言葉が最後まで出てこない。大方、狂三が離れていた時、美九が士道とDEM日本支社のビル内を上っている間の話だろうが……狂三のいないところで、勝手にそんな約束をしていたとは。

 加えて、今になって美九が取り出してくるとは思ってもみなかった。それも、狂三の知らない約束を、だ。

 

「えへへー。約束を破ったりしたら、怒っちゃいますからねー。ちゃんと会いに来て、私の歌を聴いてください」

 

「呵呵、案ずるな。こやつは存外律儀なやつよ。自らの契約を違えたりはせぬ」

 

「狂三さん、約束破ったらこわーいですもんねー」

 

 『ねー』と快活に笑う美九と耶倶矢を見て、外堀を念入りに埋め立てられている気分になり、狂三は素直に困った顔を表情に出す。

 まあ、確かに、美九が士道との約束を破った時、美九のもとへ乗り込んだことはあったが、逆を蒸し返されると狂三も立場が弱い。

 自分がした覚えのない約束に縛られるのは、どうかとは思うのだが――――美九の歌が好きだと言ったことは、一度も撤回した記憶がないのだから、否定しきれないのだ。

 

「私は、どちらでも構わない」

 

 四人の中で最後に残った折紙は、そう口にして他の三人の目を丸くさせた。が、当然彼女もそれだけでは終わらなかった。

 

「あなたが姿を見せないのなら、好都合。私が士道を独り占めする。――――――素敵な人に出逢うチャンスを、不意にするつもりはない」

 

「っ……」

 

「あー!! 折紙さんばっかりずるいですよぉ!!」

 

 次いで騒ぎ立てる美九のおかげで、身体を揺らすほどの動揺は隠すことができた――――まったく、恥ずかしい記憶を覚えていてくれるものだと、狂三は息を吐いた。

 

「……新たな世界で折紙さんが士道さんと出逢うか。それさえも、不確定ですのよ」

 

 そう。狂三以外は、記憶を失う。世界を変えるということは、一度全てを(ゼロ)に戻し、新たな歴史を紡ぐということ。

 今の折紙と士道が出逢えた奇跡。士道たちと精霊たちが出逢えた奇跡。それら全てを、リセットする。生まれ変わった世界で、縁が繋がるかはわからない。

 それが、狂三の目指す改変世界――――身勝手な独裁者。

 一度の奇跡があったからと言って、二度の奇跡があるとは限らない。それを指摘してなお、折紙は強い決意を込めた顔で返した。

 

「出逢う。世界の繋がりは強固。私はそれを知っている」

 

「きひひひ!! 折紙さんが仰ると、これ以上ないほどの説得力がありますこと」

 

 何せ、世界を跨いで精霊としての人生を歩んだ少女だ。散々手を焼かされた狂三からすれば、その説得力に笑うしかないだろう。

 

 

「そして――――たとえ世界を変えたとしても、あなたの想いは〝なかったこと〟にはならない」

 

「…………」

 

「それを忘れないで、狂三」

 

 

 何を、伝えたいのか。

 狂三には、理解が難しくて、けれど心が痛ましくて――――――『時崎狂三』は、何も返すことが、できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巡り巡って、思いを馳せて――――最後は、気づいたら、足がここに向いていた。

 

「……」

 

 五河家。親のいない士道が引き取られ、五年前の火災を得て、時を過ごしてきた象徴――――数々の精霊が足を踏み入れた、日常の結晶。

 もう二度と、狂三が踏み入ることはない大切な場所。

 

「…………士道さん」

 

 届くはずのない声が、冷たい夜空へ消え、虚空を裂く。

 けれど、そう思うのなら、なぜ狂三はここに来てしまったのか。狂気に囚われた哀れな精霊が足を踏み入れることを許されていないこの場所へ、何を思って足を向けたのか。

 ただ、あと一度だけ、この目に焼き付けておきたかったのか。

 振り切ったはずの迷いが、まだ狂三の心の裡に潜み、蝕んでいるとでもいうのか。

 どちらにしろ、救えない未練だ。夜も更けてきた。早く、立ち去ろう。

 そう、冷たい風に煽られるコートを翻した狂三の目の前に――――――

 

 

「――――十香、さん」

 

 

 宵闇よりも美しい彼女が、そこにいた。

 

「どうして……」

 

「なぜ、だろうな。お前がいる気がしたのだ、狂三」

 

 夜色の髪を靡かせ、フッと笑って言った十香。

 十香の言動に、狂三は目を丸くして少しばかり吹き出してしまった。

 

「ふふっ。士道さんのようなことを仰りますのね」

 

「そ、そうか……?」

 

 狂三の指摘で一転して、いつもの十香の顔に戻る。ああ、そっくりだった。士道なら、同じ口説き文句を使ってもおかしくはないほどに。

 

「ええ、ええ。わたくし、思わずときめいてしまいましたわ」

 

「む、むぅ……」

 

 少しばかり妖しく微笑みかけ、そうからかってやると十香は困ったように声をもらした。

 どうやら、本当に自然と出た言葉だったようだ。十香らしいといえば、十香らしい。

 

「しかし、こんな夜更けにお一人とは、感心いたしませんわ」

 

「それは狂三も同じではないか」

 

「わたくしは平気ですわ。精霊ですもの」

 

「ならば私も平気だ。精霊だからな!!」

 

 エッヘンと胸を張る十香が何だかおかしくて、また狂三は笑いをこぼしてしまう。それに釣られて、十香もまた笑顔を見せた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 それから、沈黙を挟む。決して嫌なものではない。そう思える心地良さが、あった。

 沈黙は、必ずしも不快感をもたらすものではない。それを知って――――そして、だから狂三は、今もっておかしなものだと感じていた。

 

「……不思議、ですわ」

 

「む?」

 

「いえ……わたくしが、こうして十香さんと、皆様と話していることが、不思議なのですわ」

 

 ぽつりと零された狂三の言葉を意味を掴み取れず、十香が困惑した顔で首を傾げた。

 せっかくだ。言わんとしていることを、狂三は正しく伝えてみようと思った――――十香には、どうしてか素直になれたから。

 

「もしも、そんなお話ですわ。わたくしが、士道さんを好きにならなければ。たった一つのことだけで、この未来に到達することはなかった」

 

「狂三……」

 

「そうなっていたら、の話ですわ。けど、そうであったのなら、わたくしは皆様の敵として、まるで違う関係になっていたのでしょうね」

 

 幾度となく考えた、もしもの話。けど、精霊たちに対して考えるのは、あまりなかったかもしれない。

 なぜなら、答えは明白だからだ。狂三は士道を狙う明確な敵として、精霊たちと敵対する。決まりきった別の未来を想像しても、無意味なものだろう。

 こうして、気まぐれに打ち明けることがなければ、考えもしない未来。しかし十香は、そんな別の未来を肯定しながらも、首を振って否定した。

 

「たとえそうだったとしても、シドーは絶対に狂三へ手を伸ばす。それだけは変わらない――――だから、私たちの関係も、きっと最後には変わらないはずだ」

 

 希望論。想像の産物。そう切って捨てねばいけないはずの理論を、だけども狂三はわかってしまえた。理解できてしまった。無意識に、唇の端を吊り上げて無邪気に微笑んだ。

 十香と同じだ。十香と同じくらい、狂三は五河士道という少年を、ずっと見てきたから。

 

「ええ、そうですわね。どんな極悪非道な方でも、救いたいと願ったのなら、救うと決めたのなら手を伸ばす。それはきっと、世界が移り変わっても、不変の事象ですわ」

 

「うむ!! シドーは、誰より頼れる男だからな!!」

 

 少女たちにとって、それは紛れもない真実で。

 精霊たちにとって、かけがえのない救いの記録。

 士道は、変わらない。世界が変わって、狂三と士道が巡り会うことのない時間軸へ移動して、二人が恋をすることがなくなって――――でも、士道は精霊を、狂三を救うのだろう。

 決して諦めることなく。そんな彼だから、皆が救われ、力を貸し、いつしか〝最悪の精霊〟と呼ばれる存在さえ、デレさせてしまう。そんな、気がするのだ。

 もしもの、想像の話。訪れることのなかった、別の未来。

 けれど優しい十香は、悲しげな顔で、別の未来を口にした。

 

 

「……私も、思う時がある。笑ってくれて構わない。シドーの願いが、狂三の願いが――――皆の願いが、全て叶う世界があればいい。そう、思わずにはいられないのだ」

 

「――――――」

 

 

 それこそ、夢物語。

 誰もが幸せに暮らせる世界があればいいと願う、子供の絵空事。

 ありえない。ありえるはずがないことを、狂三は嫌というほど目にした。

 何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない。

 自らの叶えるためには、誰かの願いを犠牲にしなければならない。

 それが世界の摂理。残酷な世界の法則。でも、でも、嗚呼、嗚呼――――――狂三は、微笑んだ。

 

「誰もが願いを叶えることができる、あらゆる懸念が取り払われたご都合主義の世界。夢想の中にある優しい世界――――――素晴らしいですわ。最高ですわ。少なくとも、わたくしは支持いたしますわ」

 

「本当か!?」

 

「ええ、ええ。だって、素晴らしいではありませんの――――本当に、優しい世界」

 

 彼女ならば、世界を変える力を手にした時、本当にやってしまうのではないか。そう思わせるだけのエネルギーが、十香からは感じられた。

 優しい優しい、夢物語。けれど、叶うことのない理想郷。

 だから狂三は星空へ、理不尽な世界へ向けて、独白せずにはいられなかった。

 

 

「――――世界が、十香さんのように優しければよかったのに」

 

 

 優しくない、残酷な世界に、言わずにはいられない。

 何かを強いる。最低でクソッタレな世界を相手に――――――今、狂三の心は固まった。

 

「――――ありがとうございます、十香さん」

 

「狂三?」

 

 突如として感謝を述べた狂三に、十香はキョトンとした顔を見せる。

 決心したから。十香のおかげで、変えた後の世界での答えが、見つかった。

 世界は矛盾を許さない。世界は恐ろしく強大だ――――――そんな世界を丸ごとひっくり返すのだ。少しくらい、我が儘(・・・)を言っても、構わないだろう。

 

 

「わたくし、世界を変えますわ。変えた先の世界で――――もう一度、皆様と士道さんの因果を結んでみせますわ」

 

 

 士道たちが平和に暮らせる世界があるなら。かつて狂三は、そう願った。

 それが少しばかり、大きくなっただけの話。始源の精霊を討ち、精霊を世界から消し去り――――士道を再び、十香たちと巡り合わせる。

 

 奪ってきた全ての命を無駄にしないためにも、この命の全てを賭して〝悲願〟を完遂する。

 もう一度、大切な人を手にかける過ちを、犯してでも。

 

 

「だから――――皆様の大切な人を、わたくしは殺します」

 

 

 だから、さよなら(・・・・)を告げる。

 身勝手で、理不尽で、暴虐な狂三の願いを、叶えるために。

 全てを〝なかったこと〟にして――――世界を創る。

 

 

「十香さんと同じ人を好きになれて、よかった。次の世界で、その想いがもう一度実りますように――――――どうか、お元気で」

 

「……私は、さよならは言わぬ」

 

 

 十香は、耐えるように身体を震わせ言う。

 

「狂三の、ばーかばーか。この頑固者め――――シドーは必ず、お前に目に物見せてくれる」

 

「き、ひひ。きひひひひひ!! それは、それは。楽しみですわァ。期待、してしまいますわ」

 

 全てを無くす精霊の前に立つ、最後の障害(誰より愛しい人)

 

 

 この邂逅を終え、時崎狂三の最後の休息は幕を閉じた。

 

 精霊は、既に答えを得た――――――少年は、どんな答えを得ることができたのだろうか。

 僅かな期待と、自らが創る世界への高揚感を胸に――――――運命の日は、迫っていた。

 

 

 







バレバレかもしれないですけど、物語で別の道を辿ったことで、知る由もない別の未来を示唆するのが性癖です。原作要素を見つけておや……?って思っていただけると嬉しい。


さて――――そろそろ答えは出たのかい、恋する少年くん。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!

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