デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百六十一話『過日の罪業』

 

 同じ道を辿り、違う思いを馳せる。

 同じなのは道だけ。考えも、経験も、何もかもが――――宿す決意の程さえ、比較にならない。

 天宮駅前に聳える駅ビル内にて、狂三と二人で足を揃えてショーウィンドウを眺めながら、ふと士道は彼女へ問いかけたくなった。

 あの日の疑問の一つ――――このランジェリーショップの意味を、士道は未だ知り得ていないのである。

 

「なあ、ずっと聞けなかったんだけど……狂三があの日、俺をここに連れてきたのって何か意味があったのか?」

 

 あの日のデートには、今日と同じく選択肢は存在しなかった。故に、狂三が行きたい(・・・・)と望んだ場所へ、士道は連れていったのだ。

 そのうちの一つが、このランジェリーショップだったわけだが……あの時、状況が流れてしまわなかったら、狂三は本気でここで選んでほしい(・・・・・・)。そう、思っていたのだろうか。

 狂三は、士道の問いに頬にぴたりと人差し指を当て、あの日の思考を思い起こすかのようにしながら声を返した。

 

「……どうでしたかしら?」

 

「おい」

 

 随分とすっとぼけた返しをしてくれた。まさか、自分で連れてきた場所の意味を忘れるような子ではないだろうと、士道が素早くツッコミを入れると、狂三も観念したように肩を竦めて続けた。

 

「さて……士道さんを揶揄うためだった、という記憶はありますけれど」

 

「やっぱり……けど、お前割と自爆して――――――」

 

「い・ま・せ・ん・わ」

 

 ……半年を超えてもあの日の自爆を認めないのは、さすがの筋金入りと評価するべきか、その強情さに呆れ返るべきか。

 どちらにしろ、狂三の負けず嫌いここに極まれり、かもしれない。まあ、自身が仕掛けた攻勢で自爆しました、など彼女のプライドが許さないのも無理はないが。

 

「でも――――あの日、あなた様に選んでいただきたいと言ったこと、嘘ではありませんわ」

 

「え……」

 

 驚いた顔を作る士道に、狂三は妖艶でいて可憐な微笑みを見せ、真実を語る。

 

 

「この時間を得て、わたくしの想いは更に大きく、強かになりましたわ。ですから、士道さんが望むのであれば、あなた様の選ばれた装束にて、今宵を――――――」

 

「っ……」

 

 

 息を呑んでしまったのが、自分でよくわかった。

 油断してはならないと、わかっていても動揺を隠せない。狂三が語る言葉の意味を理解できないほど、士道も子供ではない。

 士道が望むなら、構わない。狂三はずっと、そう口にしていた。今日この日を迎えて、気持ちは変わっていない、と。

 それは、極上の快楽を得られる、魔性の魅惑。僅か一瞬でも、彼女を手にすることが出来るのなら、惜しくはない。そう考えてもおかしくはない魅力があることを、世界で誰よりも士道が知っていた。

 

「――――悪いけど、それ(・・)は受け取れない」

 

 けれど、士道はそれを跳ね除けた。見上げる狂三の顔が、士道の答えに歪むのがわかった。

 

「そう、ですの。いえ、そうですわね。わたくしなど――――――」

 

「――――でも」

 

 間髪を容れず、言葉を遮る。そうして、このデートを見ている人には聞かれぬよう(・・・・・・)、狂三の耳元にそっと近づき、囁いた。

 

 

「君から貰うんじゃなくて、俺が奪う(・・・・)

 

「ぁ……」

 

 

 狂三の器官が急速に熱を帯びたのを認識し、全てを呑み込む孤独のようでありながら、純真な彼女に愛おしさを感じる。

 そうとも。貰うのではなく、奪う(・・)

 

「同情の一度なんて、冗談じゃない。俺たちの関係が次に行ったら――――もう容赦しないから、覚悟しとけよ」

 

「っ、……ふ、ふふ。それは楽しみですわ」

 

 持ち直しこそしたが、不敵に笑う士道に比べ、頬に赤みがかった狂三は些かぎこちなさが見て取れる。

 どうやら、カウンターは上手くいったようだ。正直、ここに至らなければ決して使えない手。この手の話題(・・・・・・)は、諸刃の剣と言ってもいい。場合によっては、男の欲望により積み重ねた雰囲気をぶち壊しかねないのだから。

 だとしても、ハッキリとさせておきたかった。同情と代償でなど、受け取りたくはない。士道のプライドの問題ではなく、欲望の問題(・・・・・)――――士道の狂三への欲は、その程度じゃ満たされない。

 それを感じ取らせることができたのか、狂三が困ったように笑い声を発した。

 

「……士道さんの欲、甘く見ていましたわ。てっきり、わたくしの身体には興味がないのかと」

 

「俺がどれだけ我慢してると思ってるんだ。大体、そういう意味でお前以外の誰に興味があるってんだよ……」

 

「いえ。未成熟な方が好みなのかと」

 

「人の性癖を想像で歪めないでくれないか!?」

 

 ていうか、精霊たちのことを思うと冗談にならないくて思わず苦笑いだ。男として、ないとは断言できないものの、現状は狂三にしか欲を見せたりはしない。……だからこそ、口にしたようにどれだけ我慢をしている(・・・・・・・・・・・)のか、狂三に知ってもらえたなら幸いである。

 

「さて、それじゃあ選ばせてもらおうかな」

 

「ええ。期待していますわ。士道さんがわたくしに、どのような欲を見せてくださるのか」

 

 ニっとお互いに微笑み合い、遂に店の中へ足を踏み入れる。

 色とりどりの花が咲き乱れるように、店の中には女性用の下着が幾つも並び、目移りをさせる。

 

「…………」

 

 この中から選んだ下着が――――そう考えると、冗談と受け取ったあの日とは比べ物にならない緊張感が、士道の心臓を揺さぶった。

 ここで選んだものを、あの狂三が――――男であれば、誰もが羨ましいと思うのだろう。士道だけが持つ絶対的な権利が、目の前で花のように燦々と降り注いでいる。

 じっくり、それでいて焦らさない数分間。これは、全てを成し遂げた後に、使われるもの。だから、今の勝負には関係がない。なら、士道が選ぶべきものは――――――

 

「狂三。これで、いいか」

 

 見繕った下着を見せると、狂三は少し意外そうな表情で士道が選んだものを手に取った。

 

「あら、あら。随分と可愛らしい……。ああいったものでも、わたくしは拒みませんことよ」

 

 狂三が楽しげに笑いながら指し示した下着は、精緻な生地で縫われた扇情的なものであったり、シースルー素材で作られた非常に際どい代物であったり……とにかく、男心を嫌でもくすぐられる類だった。

 対して、士道が選んだものは少しそういった扇情的なものからは外れた大人しく、狂三が言うように可愛らしい()の下着。

 拒みません、などとはっきり言われては、士道も男として揺れない心がないわけではない。けれど、士道は真っ直ぐに、それを選んだ意味を告げた。

 

 

「ああ。正直、心が揺れないって言ったら嘘になる――――――けど、着飾りすぎないくらいが、狂三の美しさにはちょうどいいのさ」

 

 

 素朴で、単調で――――しかしそれが、狂三の〝良さ〟を全て余すことなく映し出してくれると、士道は確信していた。

 ただ、一つ。士道がこうであってほしいと願い、欲を入れてしまったものがある。それもいっそのこと、伝えてしまおうと続けた。

 

 

「それに――――狂三は、世界で一番〝黒〟が似合うから。それを贈りたいと、思ったんだ」

 

「……まあ、まあ」

 

 

 頬に手を当て、恥ずかしげに微笑む狂三。

 それは、間違いなく士道の欲。色を決める瞬間から、それ以外は目に入らなかった。

 黒を纏う彼女は、美しい。黒という色は、彼女のためにある。そんな錯覚を感じたとことさえあった――――今なら、断言できる。黒という色は、時崎狂三のために生まれたのだ、と。

 自らの意志を貫く光沢。麗しの漆黒。それは士道にとって眩しく、輝いて自分の世界を照らしてくれた。

 

「好む色ではありましたけれど……いざお褒めに与るのは、照れてしまいますわね。愛しい人からの賞賛ともなれば、なおさら」

 

 士道の言葉、一つ一つを噛み締めるように、刻み込むように。想いを抱きしめて、狂三は言葉を返す。

 

「……ええ、ええ。あなた様が、そう仰るのであれば、わたくしはわたくしに一番似合う装束を纏いましょう――――――もっとも、それを士道さん自身が見ることが叶わないのが、悲しいですけれど」

 

「――――そいつは、どうかな?」

 

 未来は、まだ決まっていない。そう微笑んだ士道と、定めた過去(みらい)へ進む狂三。

 

 あと、少し。もう少しだけ――――――そう願える時間も、終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あれ絶対夜の約束だって!! 間違いないって二亜ちゃんを信じなさいって!!」

 

「よ、夜……ご、ごくり……。これは胸が高鳴っちゃいますぅ」

 

「私は冷静。私は冷静。私は冷静――――私は、冷静」

 

「夜……? 夜のデェトというものがあるのか!?」

 

「は、初めて聞きました……」

 

「二亜、美九、シャラップ。それ以上十香と四糸乃に変なことを教えないで。気持ちはわかるけど折紙も頼むからそのままでお願い」

 

 ――――あの現場と、どうしてここまで温度差が出てしまうのか。

 〈フラクシナス〉艦橋にて、大騒ぎする精霊たちへあれやこれやと指示を飛ばしながら、琴里は何本目かのチュッパチャプスを口に加え直した。

 ……取り敢えず、艦橋上部に用意された予備席に真那と精霊たちを座らせているのだが、席が席の役割を果たしていないくらいには大騒ぎである。

 特に、ランジェリーショップの一件からはもう酷い。酷すぎて収拾がつかないと諦めるくらいには。意味がわかっていない純真な子はともかく、自重しない子たちの世話までは難しいと言わざるを得なかった。

 

「まったく……」

 

 息を吐いて、なおも騒ぎ続ける精霊たちからメインモニタへ――なお、真那の席がガタガタと猛烈に震えているのは見なかったものとする――視線を移す。

 士道と狂三がランジェリーショップを後にし、雑談を交えながらゆっくりとした足取りで次の目的地を目指していた。

 琴里が注視したのは、その画面端の数値。狂三の精神状態を示すもの。

 好感度はとうに限界を超え、しかし封印可能には至らない。

 精神面では安らぎを感じながら、同時に強い負荷が掛かっている。そしてそれは、今なお数値が上昇し続けていた。

 

「……難儀な子ね」

 

 狂三の精神は、何一つ嘘をついていない。だからこそ、琴里はそう難しい声音で吐き出す他なかった。

 誰に許されるつもりもない。そうして狂三は、救いを拒む。強靭な覚悟は、心の壁薄皮一枚――――その薄皮は、どれほど言葉を尽くしても貫けなかった狂気(けつい)

 士道と共にいたい。けれど、自分は士道を殺すのだと。二律背反の想いは、狂三を常に蝕み続ける。矛盾した感情の行き先は、全て時崎狂三に収束する。

 俯瞰で見ていては、決して理解し得ない矛盾の塊。それが今の『時崎狂三』だ。矛盾するが故に絡み合い、螺旋を描く、何よりも強固な意志。

 それを崩せる術はあるのか――――それを考えた時、琴里は結論を言の葉にして零していた。

 

 

「――――そろそろ、決着かしらね」

 

 

 琴里がぽつりと零した言葉だったが、勝手に盛り上がっていた精霊の誰もがそれを聞き逃さず、意外そうな顔で琴里を見やる。

 

「討議。それはどういうことでしょうか」

 

「むん。まだ、夕刻に差し掛かる前じゃが……」

 

「……琴里はわかるの? 士道の考えてること」

 

「んー、どうかしらねー」

 

 七罪の問いにわざとらしく曖昧に返すと、耶倶矢がすかさず切り込んできた。

 

「ちょっと、それ絶対わかってる言い方じゃん!!」

 

 教えてよ、と声を上げる耶倶矢と、表情で追従する精霊+真那。

 それを見て、琴里は仕方なくメインモニタから視線を外してわかっていることを言葉にした。

 

「私だって大したことはわかってないわ。でも、あの二人があの日のやり直しだ、って言うなら――――相応の場所があるじゃない」

 

 真那ならわかるでしょ、と目をくれてやると、察した真那が目を見開いて返した。

 

「まさか、あの時の……?」

 

「そういうことね。あの二人が一度は袂を分かった場所――――実際は場所なんてどうでもよくて、意味合いがほしいだけだとは思うけれど」

 

 結局、最後に必要な儀式のようなものなのだろう。

 二人とも、想いは固まっている。それぞれの〝答え〟を用意している。だけど、その〝答え〟を出す瞬間を躊躇っているに過ぎない。

 意味合い。言うなれば、踏み出す意味(・・・・・・)を持てる場所なら、どこだって構わない――――逆説的に、それがなければこの二人は続けてしまう。居心地のいい、二人だけのデートを。

 人の想いは、覚悟の一つで踏み切れるほど楽なものではない。それがずっと続いてきたものなら、尚更だ。

 そして、それにピリオドを打てるほどの力があるカードは――――――たった一つだけ。場所も、タイミングも、二人は理解している。理解しているから、恐れている。それは重圧となり、精神に負担をかける……琴里が読み取れたのは、その程度だ。

 

 

「あとは、士道の〝答え〟がどんなものかだけど――――士道が私たちに隠すくらいだから、とんでもないってことだけは保証するわ」

 

 

 士道という少年は、隠し事ができない。できないから正直で、真摯なのだ。それが武器になり、精霊たちを攻略する要になったと言える。

 しかし、これまでと違い、士道は己のやりたいこと、すべきことを沈黙(・・)で通した。信頼する琴里にすら、口を割らなかった。

 つまりこれは――――琴里に言えば、間違いなく反対(・・)するやり方という証明に違いないだろう。

 極力軽い口調で、と思ったのだが、固唾を呑んだ精霊たちを見るに、意味があったのかは怪しかったが……覚悟をしてもらう(・・・・・・・・)には、いいさじ加減だったかもしれない。

 琴里は士道を信じる。士道の紡いだ道を、司令官が信じずして誰が信じてやるというのか。

 賽は投げられた。士道と狂三、そして琴里も、勝負が終わる瞬間まで決めたカード(切り札)を掴み続ける。

 機を逸することは、即ち死を意味する。ならば、琴里の役割は決まっている。機を、決して壊さないこと。

 

 

「――――信じてるよ、おにーちゃん」

 

 

 唯一それだけが、五河琴里にできることなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 楽しく感じられる時間ほど短く。

 苦しく感じられる時間ほど長い。

 

 主観的に感じる時間は、脳がそう感じるから体感によって変化する。それが簡単な相対性理論の一つ……だったはずだ。

 なら今、士道にとっての体感時間は――――恐ろしく、短かった。

 同じ店で遊び、同じ店で食事を摂り、同じ店で買い物をして。

 ゆっくり、ゆっくりと、どうかこの時間が長く続きますように。そう願って、けれど時間は儚くて――――――定めた終わりの地へ、辿り着いた。

 空は夕焼け(・・・)に覆われ始め、あと数時間もあれば月明かりが士道たちの街を照らすことだろう。

 まだ行きたい場所がある。見せてやりたい景色がある。でもそれは、叶わない。

 いつまでも、先延ばしにはできないから。幾ら幸福だと考えていても、二人は答えを出さなくてはならないから。それが自分のためであり、互いのためだから。

 

「士道さん、覚えておられまして? この場所を」

 

 この公園(・・)のベンチに並んで腰掛け、狂三が口にした言葉へ即座に返答した。

 

「……忘れられるかよ。今でも、たまに思い出すんだからな――――お前に、フラれたこと」

 

 恨みがましい視線を向けてやれば、狂三がくすくすと笑いながら声を返した。

 

「まだ引きずっておられたのですね」

 

「むしろ、一生忘れん。女々しいって言われても、俺にとっちゃ世界が滅びるより大変だったんだからな」

 

 あの日、この場所で。士道は狂三の目的の一部を知り、仮面を被った彼女の言葉に、一度は心を折られた。

 もし仮に、あれが真実の言葉だったとしたら、士道の心は二度と修復できなかった……かもしれない。まあ、もしもの話であり、ありえない過去の話でもある。結局は、その瞬間にならなければ人の心などわかりはしない――――――今、その瞬間は訪れようとしている。

 士道の女々しい言葉にも、呆れることなく微笑ましげな顔を見せた狂三は、

 

「――――士道さん、ハッピーバレンタイン」

 

 まるで、マジシャンのよな手さばきで、一瞬にして可愛らしい箱を士道に差し出した。

 そう。今日の本命の一つ。バレンタインチョコ、というやつだろう。

 ありがたくそれを受け取り、返すように士道も一つの小さな包みを取り出した。

 

「ありがとう。――――じゃあ俺からもだ。ハッピーバレンタイン、狂三」

 

「あら、あら……」

 

 意外そうな顔の狂三に、士道はチョコの意味を丁寧に説明し始めた。

 

「逆チョコだ。こうすれば、来月も(・・・)狂三からチョコを受け取れるだろ?」

 

「まあ、士道さんったら欲張りですこと」

 

「おうよ。お互い十倍返しといこうじゃないか」

 

 得意げに笑えば、狂三が「なんですの、それ」と可笑しそうに笑いを返す。

 バレンタインで互いにチョコを贈りあって、ホワイトデーでお互いがまた贈り合う。なんとも、おかしなことをしているとは思うが、したかったのだ。

 先の未来は、あるのだと。これが最後なんかじゃ、ないと。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ひとしきり笑い合って、無言で見つめ合う。

 

 もっと触れ合いたい。もっと話していたい。もっとデートがしたい。

 

 言葉になどしなくとも、伝わる関係がある。士道と狂三は、まさにその関係だ――――けれど、言葉にしなければ伝わらないものも、ある。

 

「――――――」

 

 逡巡はきっと、士道の中に残された最後の迷い。

 

 言わなければ、ならない。士道から、告げなければならないのだ。それを狂三に言わせるのは、卑怯だ。

 全てを、知る。それが士道の〝答え〟を真実にするために必要なこと。

 『時崎狂三』が生まれた理由。積み上げた命を対価とし、世界に抗う宿命を背負った狂三の、過去(・・)

 

『――――その時に、〈囁告篇帙(ラジエル)〉で調べてほしいことがあるって頼まれたんだよね。で、そのうちの一つが、今話題の『始源の精霊』……三十年前(・・・・)、この世界に現れたその精霊を生み出した状況、位置、原因――――そいつを討滅(・・)する方法』

 

『そして――――開示された情報を元に、三十年前の時点で始源の精霊の存在を〝なかったこと〟にする』

 

『えぇ、えぇ! わたくしは救われますわ!! でもわたくしは救われても――――――あの人は救われない!!』

 

 数々の言葉が、叫びが、脳裏に甦る。

 愛した者さえ犠牲にして、狂三が成し遂げたい目的――――始源の精霊へ辿り着くこと。

 時崎狂三が胸の裡に抱える覚悟、決意、願い――――それらを知った今、士道が知らない狂三は、一点。

 

 原初の罪業。矛盾した少女と精霊が併せ持つ、過去。

 

「……なあ、狂三」

 

 だから、士道は声を発した。

 

「はい、士道さん」

 

「教えてくれ。お前が取り戻そうとするものを――――『時崎狂三』のすべてを」

 

「――――――っ」

 

 悠然と、超然とした表情を見せる狂三の、動揺があった。

 張り詰めて、凍り付いた表情。狂三が自らの過去に触れられた瞬間に見せる、強い否定の意志。しかし、もう士道は恐れ退くことはできない。

 ここしかないのだ。ここを過ぎれば、互いに同情と迷いを抱えて、救われない未来へ時は進む。

 

「教えて、くれ」

 

 故に士道の意志は、狂三を貫くに足る。揺れる紅い瞳と、隠された時を刻む左目を、真っ直ぐに。

 彼女の中にある恐れ(・・)を、打ち消すように。

 

「――――これが最後の務め、なのでしょうね」

 

 決意が躊躇いを打ち消すことができたのか。それは定かではない。

 だが、狂三は確かに言葉を口にした。

 ゆっくりとベンチから離れ、前へと歩く、歩く、歩く。士道が合わせるように立ち上がった瞬間、狂三もまた相対するように振り返った。

 演劇のワンシーンを生み出すかのように。舞台の最終局面を演じるかのように。

 

 狂三が右手を頭上に掲げる。それが天使の召喚ではなく――――かつて、狂三自身を追い詰めた時に見せたものと重なると、士道だから気づくことができた。

 

 重苦しい耳障りな音色――――空間震警報が街に鳴り響いた。

 

「……」

 

「待機させていた『わたくしたち』が、遠く離れた位置にて空間震を呼び起こしました。全ての目は、そちらへ向かうことでしょう」

 

 動揺を見せない士道に、狂三が淡々と警報の意味を説明してくれる。

 分身の『狂三』を利用しての空間震。これから先、何が起ころうとASTもDEMも現れることはない。囮の空間震、そして万が一に備えた『狂三』が全ての目を引きつける。

 そして、唯一残された〈ラタトスク〉も手を出して来ない。なぜなら、士道自身が封じているからだ。

 掲げた手を狂三が下ろす頃には、世界は変わっていた。

 人の音も、街の音も、何もかもが存在しない静寂。

 

「……本当の意味で、二人っきりだな」

 

「ええ。もう、後戻りはできませんことよ」

 

 冬の空気だけが冷たく二人を撫でる。世界に取り残された、二人。

 ああ、ああ――――最高のシチュエーションじゃないかと、士道は不敵に笑った。

 

 

「後戻りなんて言葉――――狂三に心を奪われた日から、捨ててるさ」

 

 

 そうして、狂三からの最後通牒を撃ち抜く。

 

「――――なら、受け止めてくださいまし」

 

 蟠った〝影〟が歪み、狂三の身体を覆い尽くす。

 腕に、身体に、足に、髪に。それぞれの影が移ろい、この世ならざる鎧を産み落とす。

 鮮血の紅と、純黒の悪夢。顔を上げた彼女の目には、双極の魂魄が宿る。

 

 

「わたくしの罪過の、すべてを」

 

 

 主の意志を継いで、過去と未来を知ろしめす天使が浮かび上がった。

 羅針盤から影が蠢き、狂三の手にした細緻な意匠が施された短銃の銃口へ力を与える。

 時が止まったような世界で、狂三は自らのこめかみに銃を突きつけた。

 狂三にとって、その仕草は――――許されぬ罪を背負った、証なのだと言うかのように。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一〇の弾(ユッド)】」

 

 

 引き金は落ち、静寂の世界に重音が奏でられる。

 

 それは、禁じられた過去へ誘う音。

 

 それは、世界へ反逆する精霊が生まれた日。

 

 それは、正義を信じた、心優しい少女の記憶。

 

 ――――閉ざされた錠が、落ちる音がした。

 

 

 







最後に必要だったのは、きっかけという後付け。だって、そうしなければ、続けたくなってしまうから。距離なんて、とっくの昔にゼロになっていたんですよ。デートという儀式を必要としたのは……関係の進展ではなく、決意を定めるため、だったのかもしれませんね。

五河アンサー、残すところ二話となりました。ついにここまで来ると、本当に感慨深いですね。
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!
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