デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百六十二話『長き戦争(デート)の終焉』

 時崎狂三をどういう人間かと問うたのなら、狂三を知る全ての人が揃ってこう答えるだろう――――心優しい少女、と。

 品行方正。絵に書いたような優等生。それが時崎狂三だと。

 裕福な家に生まれ、子煩悩な両親に育てられた狂三。そこに不自由も不満もなく、しかし付け上がることもなければ鼻にかけることもなく。

 誰かを恨むことも、誰かに恨まれることもない。平穏で幸せな毎日。そこで、終わらなかった。思考を止めず、抱えてしまった少女の優しさであり、罪。

 

 ――――恵まれるが故に感じた、無力感。

 

 環境か、教育か、或いは生来から併せ持つ性分か。狂三の胸には、小さくない感情が蟠っていた。

 艱難辛苦。理不尽な条理。弱肉強食、と言えば聞こえはいいか。

 それらが世界に蔓延し、だが狂三は見ている事しか出来ない。無常に、時は平等に過ぎ行く。

 

 世界とは、そういうものなのだ。そう、大半の人間は折り合いをつけ、生きていく。なぜなら、関係がないから(・・・・・・・)

 見て見ぬふりをして、己の幸せを守る。それもまた人の生であり、正しい道だ。

 ただ、そうでない……勇敢な生き方を選ぶ者もまた、正しい。

 

 しかし――――時としてそれは、両方が間違えた道になる時もある。

 

 誰かを救える手を持ちながら、己が身の可愛さに選択をしないことは、愚かであり臆病。

 己の手を超えて、誰かに手を差し伸べようとすることは、勇気ではなく無謀。

 

 彼女は、恐らく後者であった。けれど、それ(・・)は本来起こりえないことだった。

 狂三の裡にある甘く、幼稚な正義感は、消えることはなくとも、誰かに見せることもない。

 誰かに手を差し伸べることができるのなら。自分にも、何かができるのなら。

 そんな想いを抱えて、狂三が日常を生きることができたなら。きっとそれは、正しい生き方になったはずだった。

 

 理由を言葉で表すのなら、運命の悪戯と呼ぶもの。そんな彼女だからこそ、開かれてしまった宿命。

 

 ――――その日は、突如としてやってきたのだ。

 

 

 変わらぬ日々、夕暮れ時。

 

「ねぇ、紗和さん」

 

「はい?」

 

 狂三は、級友と変わらぬ日常の会話を交わし、帰路についていた。

 山打沙和。栗色の髪を三つ編みに結わえた、素朴な少女。どこに出しても恥ずかしくない……と表現するのはおかしいが、時崎狂三が恥じ入ることのない親友である。

 そんな紗和が小首を傾げたのを確認してから、狂三はコホンと息を整え言葉を続けた。

 

「明日、何か予定はありまして? もし何もなければ、また家にお邪魔したいのですけれど」

 

「はい、それはいいですけど……あ、もしかして、またマロンを撫でたいんですか?」

 

 ふふっと微笑む紗和にギクリとした表情を見せてしまった。

 マロンは紗和の家で飼われている猫の名だ。アメリカンショートヘアで、それはもう大層人懐っこく、狂三もマロンの魅力にメロメロ――――閑話休題。

 

「い、いえ、そういうわけではないのですけれど。ほら、また一緒にお勉強がしたいと思いまして……」

 

「ふふ、ではそういうことにしておきましょう。是非いらしてください。でも、そんなに猫がお好きなら、狂三さんも飼えばよろしいのに」

 

「……母が猫アレルギーですの」

 

 飼えるものなら頼み込んでいる。これでも、甘やかされている自覚はある狂三だったが、猫のためなら使えるものは使う主義を主張したかった。が、この通り両親に迷惑をかけてまで私情を押し通す気にはなれなかった。

 

「なるほど。では将来一人暮らしをするまでお預けですね」

 

 そう言って、紗和は笑顔を見せて手を振りながら自分の家の方角へ別れた。

 手を振り返し、紗和の背が見えなくなってから狂三も帰路への道を再開する。

 これもまた、平和な日常。こうして友人にも恵まれ、狂三自身には何一つ不満はない。狂三自身には(・・・・・・)、だが。

 力のない、ただ子供な自分に今できることはない。心の奥をちくりと刺すような痛みに、そう言い聞かせて狂三は歩く。

 

「……え?」

 

 平和な日常は、そんな平凡な一声で〝異常〟と化した。

 

「な、何ですの、これは……」

 

 困惑と、恐怖。

 人も、動物も、あらゆる音でさえも、消えた。残されたのは狂三と、狂三から生じる音だけ。

 まるで、自分だけが異世界に迷い込んだ、不可思議な現象。

 とにかく、離れるしかない。そう考え、走り出した狂三だったが――――――

 

「な……」

 

 その足は、止まる。

 止まらざるを得なかった。そのまま進めば――――〝怪物〟に押しつぶされていただろうから。

 黒い影が人の形になったような、この世ならざる怪物。身体からはぼんやりと光が立ち上がり、悲鳴とも、咆哮とも取れる声を上げていた。

 

「ひ――――ッ!?」

 

 殺される、と。

 誰もが思う。こんな怪物を見れば、当然だろう。彼女にはまだ、怪物に立ち向かう土台がない、力がない。しかし、逃げられるだけの冷静さも、なかった。

 逃げようとした足がもつれ、その場に尻もちをついてしまった。

 

「きゃ……!!」

 

【――――――――】

 

 怪物が、近づいてくる。逃げられない。逃げられたとしても、どこへ逃げ遂せると言うのか。

 

「い……いや……っ!!」

 

 身を竦ませ、最悪の未来を想像して思考を凍らせる。家族、友人、皆の姿が走馬灯のように浮かび上がり、そして――――――

 

 

「――――大丈夫?」

 

 

 危機は、一声で過ぎ去った。

 

 一瞬の閃光と、爆発音。怪物と入れ替わるように現れた、少女。

 

「え……あ――――え、ええ……」

 

 それが自分に掛けられた言葉だと気がつくのに数秒を使い、狂三はようやく彼女の姿を見た。

 ――――美しい、少女だった。

 長い髪を靡かせ、物憂げな色の瞳と表情は、彼女の神秘性を引き立てている。身に纏ったこの世のものとは思えない光を帯びたドレスを交えると、さながら天使か女神――――或いは、神様。

 思考が回復を果たし、理解する。彼女が、自分を命の危機から救ってくれた恩人なのだと。

 

「あ、ありがとうございます。助かりましたわ……――――今のは、一体……」

 

 差し伸べられた手を握り、どうにか立ち上がった狂三が浮かべた疑問。それに答えるように、少女は目を伏せ返した。

 

「――――精霊。世界を殺す、怪物だよ」

 

「精霊……」

 

「……そう。それより、君は一体誰? なぜこんなところにいるの?」

 

「あ……申し遅れました。時崎狂三と申しますわ。なぜこんなところにいるのかは……わたくしが聞きたいところですけれど」

 

 生を受けて十と七年。少なくとも、狂三が蓄えた知識に正確な解答は存在し得ないと断言してもいい。それだけの超常現象が起こったのだから、狂三の言葉は紛うことなき本音だった。

 それを聞いた少女はふむ、と顎に手を当てて声を発した。

 

「……自然に迷い込んだ? ふむ、もしかしたら君には適性があるのかもしれないな」

 

「は……?」

 

 彼女が何を言っているのか……混乱した頭にはさっぱりだったが、少女は困惑する狂三の目を真っ直ぐに見つめてきた。

 

 

「――――突然ですまないのだけれど、狂三。君は、力が欲しくはないかい?」

 

「力……ですの?」

 

「……ああ。私と同種の力が、欲しくはないかい? きっと君ならば、霊結晶(セフィラ)に適合する。もし君さえよければ――――私と、世界を救って欲しい」

 

「――――――」

 

 

 あまりに現実離れした、荒唐無稽な言葉。

 常識があるなら、手に取るに値しない――――その常識は、今まさに破壊されてしまったのだけれど。

 故に、狂三の中にあったのは不安と――――それを遥かに上回る、心の裡にある衝動。

 だから、時崎狂三が彼女の言葉を受け入れてしまうのは、必然であったのかもしれない。

 

「よかった。君がいてくれたら、百人力だ」

 

 それは、神の思し召し、とでも言えばいいのだろうか。

 

 

「――――よろしく、狂三。私は崇宮澪。いわゆる……正義の味方だよ」

 

 

 そうやって、神様は残酷に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ミ、オ」

 

 記憶の奔流、時の交差路。混ぜ合うように、体感してしまう。

 人の記憶を、己のように。それこそが回顧の力。時崎狂三の生涯と、始まりを(・・・・)

 その中に現れた謎の少女――――崇宮澪(・・・)

 『崇宮』――――真那と同じ苗字。

 『ミオ』――――忘我の淵にて、士道が口にした名前。

 全くもって理解ができない。意味がわからない。考えようとするほど、酷く頭が痛む(・・・・・・)

 今はそれより、語らなければならないこと、見なければならない光景が、ある。

 

「……狂三、お前もやっぱり」

 

「そう。わたくしも人から精霊へ――――崇宮澪から、霊結晶(セフィラ)を受け取った人間だった、ということになりますわね」

 

 この空間において、距離ほど無意味なものはない。

 そこにいると思えば、いる。だから士道が言葉を発すれば、狂三もまた言葉を返す。

 崇宮澪なる少女から霊結晶(セフィラ)を譲渡され、精霊になった。それはまるで、〈ファントム〉から霊結晶(セフィラ)を渡された琴里たちと同じ。

 違う点があるとすれば、それは――――――

 

「――――わたくしには、選択肢があった」

 

「っ……」

 

 心を見透かしたように――――いや、事実として見透かした、のだろう。意識を共有する領域というのは、そういうことだ。

 狂三が目を伏せて発した言葉、士道には意味を正しく理解できる。

 〈ファントム〉が精霊の力を与えてきた確証のある精霊たちは、共通して心の隙間(・・・・)といえるものがあった。言うなれば、それを受け取ってしまう状況、とでも呼ぶべきか。

 ともあれ、追い詰められた彼女たちは選択肢など存在せず、縋るように精霊の力を手にした――――狂三は、違う。

 彼女は日常を謳歌し、そこに無力感はあれど不安はなかった。しかし、だからこそ狂三は手に取ってしまったのだろう。引き返せる道を、引き返せない道にしてしまったのだろう。

 

 高潔な正義感。性根がもたらす優しさ。それは正しいものだ。でも……。

 

「…………」

 

 否応なしに、時は進む。記憶は進む。絶望へと、進む。

 それを望んだのは士道だ。受け入れると誓ったのも士道だ。

 ああ、けれど……けれど。狂三から受け取った止めない思考は、否が応でも結末を予測してしまう。

 精霊と称される異形の怪物と、真に精霊である狂三。

 

 この先に、何が待ち受けているのか。それを知った時、五河士道は――――――

 

「士道さん……」

 

「――――続きを、視に行こう」

 

 気遣うように掛けられた声を、敢えて遮り士道は歩を進める。

 士道自身が選んだ道に、甘えは置いていく。震えそうになる足を、飛び出そうになる手を抑え、士道は記憶の奔流に身を委ねた。

 

「……はい」

 

 狂三はただ、そんな士道へ寄り添うように、身体を預けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とあるなんてことのない日常。

 

「……ううん」

 

 一人、トイレの中で鏡を覗き込んだ狂三は、そんな日常に入り込んだ非日常(・・・)な出来事に、少しだけ頭を悩ませていた。

 

「やっぱり、目立ちますかしら?」

 

 左目を覆う眼帯をずらした下にある――――黄金の時計と化した、己の瞳。

 鏡に映るそれは、メイクやカラーコンタクト、ましてや鏡がおかしくなった訳でもない。確かに、確実に、現実として、狂三の左目は〝時計〟になっていた。

 長針、短針、秒針まで付いている時計の目は、今もかちり、かちりと時を刻んでいる。

 先日会った謎の少女、崇宮澪。彼女から不思議な輝きを放つ宝石のようなものを渡されてから、狂三の左目は、身体は、常人のそれとは異なる進化を果たした。

 

「……うふふ」

 

 だが、狂三の身体を満たすものは、恐怖ではなく高揚感。使命感を伴う充実感であった。だから、少しだけ頭を悩ませる、なんて表現程度に収めてしまえる。

 

「――――狂三さん? どうかされたんですか?」

 

「……!!」

 

 と。高揚感に囚われて油断していた狂三に声がかけられた。

 慌てて眼帯を元の位置に戻し、声の主――――山打沙和へ誤魔化すように手を振った。

 

「い、いえ、なんでもありませんわ」

 

「……まだよくならないんですか? その左目」

 

「え、ええ。少し厄介なものもらいのようですわ」

 

 ……この言い訳でどこまで誤魔化し続けられるか、それも不安の一つかもしれない。かと言って、カラーコンタクトは怖く――――少し躊躇われる理由があるので、いっそのこと澪に相談してみようかなんて考えてみたりしている。

 そんな狂三の嘘を信じた沙和が「大変ですね……どうかお大事に」と狂三に気遣うように言ったのち――これは大変に心を痛めた――沙和が提案を思いついたように手を打った。

 

「そういえば、狂三さん。今日の放課後はお暇ですか? 叔母様が、マロンの兄弟を連れて遊びに来るのですけれど」

 

「え……っ!?」

 

 マロンの、兄弟? あの猫界でも上位の可愛さを誇るマロンの、兄弟と言ったのか?

 マロンの艶やかな毛並みと肉球の感触は、未だ記憶に新しい。その兄弟となれば……言葉で表現するのは難しい価値があると言えるだろう。

 素晴らしく魅力的な提案に飛びついてしまいそうになったが――――すぐに思い直す。今日は、どうしても外せない用事があるのだ。

 

「も、申し訳ありませんけれど、遠慮させていただきますわ……」

 

 苦渋の決断。断腸の思いとはまさにこの事か。苦しみながら言う狂三に、紗和は意外そうな顔で声を返した。

 

「あら、何かご用事が?」

 

「ええ……少し野暮用が。また、また是非誘ってくださいまし」

 

「残念ですけれど、仕方ありませんね。ではまたの機会に」

 

「絶対、絶対ですわよ?」

 

「え、ええ。わかりました」

 

 念を押すことも忘れず、狂三は絶対に外せない用事――――澪との約束へ、向かう。

 

 

 

「――――〈神威霊装・三番(エロヒム)〉」

 

 ビルのフェンスを飛び越え、その身に輝く霊装(ドレス)を纏う。

 目標は、暴れ狂う氷の精霊(・・・・)――――曰く、世界を殺す怪物。

 

「――――〈刻々帝(ザフキエル)〉!!」

 

 名を謳う。天使、澪から与えられた力・〈刻々帝(ザフキエル)

 

「まったく、間の悪い時に来てくださいましたわね――――今日のわたくしは、少しばかり機嫌が悪いですわよ」

 

 精緻な細工が施された二挺の古式銃を手に、狂三は隠すことのない苛立ちを銃口と共に精霊(かいぶつ)へ向けた。

 

 

 

 ――――精霊を倒し、世界を救ってほしい。

 

 まるで、お伽話の謳い文句。それをあの不思議な雰囲気を纏う自称『正義の味方』、崇宮澪に言われ、まさに世界を救う力を手にしたのだから、事実は小説よりも奇なり、だろうか。

 澪が操る結界、のような空間で、〝敵〟である異形の怪物、精霊を打ち倒す。それこそが、時崎狂三の使命なのだ――――なんて、友人や家族に話そうものなら、出来の悪く、らしくない冗談だと笑われてしまうだろう。

 けれど、本当のことなのだ。常識を外れた超常現象を引き起こす者と、同じだけの奇跡を以てそれを討つ者。

 

 現実を受けいれた狂三は、斯くして精霊を狩る『正義の味方』――――の新米、といったところか。

 

 命を失いかねない行為。そんなことはわかっている。だが、この命は澪に救われたものだから、その恩義に報いたい気持ちがあった。

 何より、狂三の心を動かしたのは己の願い――――奥底に秘められた感情が、今ようやく動き出したのだ。

 為したいことを、為すための力。何かを救える力があるなら、狂三はそれを受け入れる。

 それは確かに、狂三の心に空いていた穴を埋めるに足る、素晴らしいものだったのだ。

 

 

 だから、殺した。

 

 

『……だ、めだ』

 

 

 殺して、殺して、殺して――――殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺した。

 

 

『やめて、くれ……』

 

 

 世界を、友を、家族を守るため、殺した。

 

 信じるべき正義と、信念のために。

 

 

 

『――――やめてくれっ!!』

 

 

 

 時崎狂三は、精霊(かいぶつ)を殺し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――う、あああああああ……っ!!」

 

 吐き出してしまいたい。血を、異物を、何もかもを。

 乖離する。士道の感情と、狂三の記憶が。相反し、混濁し、否定と肯定の狭間を駆け巡る。

 

「士道さん!!」

 

「なんだよ、そんなの……こんなの、ないだろ……っ!?」

 

 否定したい。無くしてしまいたい。だって、それは、あまりにも――――残酷すぎるじゃないか。

 正義を信じて、誰かを助けたいと願った少女が、間違いだったとでも言うのか? そんなはずは、ない。

 少女は、記憶の少女(・・・・・)は正しいものだと胸を張って生きている。それを体感してしまっているから、士道はこの先に待つ運命を、悲劇を理解して、乖離、剥離する。

 自分の感情と、体感する感情は共存できない。反発し合い、しかし同一化しようとして、心は矛盾する。

 今にも、壊れてしまいそうだった。それでもなお、残酷に進む――――時は、進む。

 

 

「――――――ぁ」

 

 

 

 映る光景は、炎。

 

 炎を纏った異形が、強大な〝敵〟と狂三は戦う。五十を超える(・・・・・・)怪物と戦ってきた狂三は、もはや怯むことなどない。

 

「これで――――終わりですわ……ッ!!」

 

【――――――――】

 

 甲高い銃声と、倒れ伏す炎の怪物。

 

 生きている。生きて、狂三へ手を伸ばしている――――殺さなくては。

 

 

『……やめろ』

 

 

 世界の滅ぼそうとする〝敵〟をまた一つ討ち滅ぼすことができた。この〝敵〟も、早く撃ってしまおう。

 

 

『やめろ……っ!!』

 

 

 だって今日は、急がなくてはならない。友人の紗和と、約束がある。またマロンの兄弟がやってくるというのだ。

 大変喜ばしい、楽しみだ。もちろん、紗和と共に過ごす時間も、含めて。

 

「――――しつこいですわよ」

 

 だから――――――狂三は伸ばされた手を払い退けるように、最後の銃弾を撃ち込んだ。

 

 

 

『やめろおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――――ッ!!』

 

 

 

 それは、衝動だった。スクリーンを破り去るように、悪夢を映す鏡を砕くように。

 ただ、衝動だけで、士道は狂三(かこ)の銃口の前に立ち塞がり――――――銃弾は、士道を抜けて、精霊(かいぶつ)の頭蓋を撃ち抜いた。

 

 

「ぁ……あ……っ」

 

 

 無様にえずいて、両の目から枯れ果てるほどの涙が――――倒れそうになる身体を、狂三が抱き止めた。

 触れられる、狂三(いま)が、優しく諭すように声を発した。

 

「士道さん……これは、過去。もう、終わったことなのですわ」

 

 だから気に病むな。悲しむな。そう言うのか――――――時崎狂三が、それを言うのか?

 

「――――終わってなんか、ない」

 

 狂三の霊装を握り、噛み砕かんばかりに歯を食いしばった。

 この血に濡れた霊装が、狂気(けつい)が、何よりの証ではないか。

 

 

「何も、終わってないだろ!! お前の中で、何も終わってないから……っ、こんなに、痛い(・・)んじゃないか……っ!!」

 

「っ……」

 

「今が残ってるから、こんなに痛くて、苦しくて……だから、狂三は――――――」

 

 

 ずっと、戦っている。

 

 終わってなどいない。蝕んでいる、犯している。時崎狂三の中で、この猛毒は続いている。

 悲しみと絶望は、永劫に渡って咎人として狂三を苦しめる。それがわかってしまうから、士道は身体に流れる血が沸騰し、逆流しそうになる苦しみを味わう。

 

 狂三は、泣かないんじゃない――――生み出した悲劇で流す涙など、当に枯れ果てたのだ。

 

「く、ぁ……」

 

「士道さん、もう……」

 

 ここまでにしよう。十分だ。わかりきったものを見て、聞いて、体験して、何になる。誰が救われる――――狂三を救うために、視ている。

 

「っ――――大丈夫だ……!!」

 

 立ち上がり、振り返る。目を逸らすな。結末が変えられなくとも、決まっていたとしても、五河士道は視る義務がある、責任がある――――資格が、ある。

 ちぐはぐな心が、砕けて消えてしまいそうになる。

 それでも、士道は立った。立って――――因果の始まりを、観測した。

 

 『時崎狂三』の始まりを、焼き付けた。

 

 

 

 

 

「――――そうですわ」

 

 精霊を倒す狂三と、あとの始末をする澪。そんな慣れたやり取りの後、澪の結界から出る手前で、狂三は思いついた。思いついてしまった(・・・・・・・・・)

 大層な理由など、なかった。ただ、いつも憂いを帯びた表情しか見せない澪も、可愛い猫と触れ合えばきっと笑顔になる。友人なのだから、誘うことに違和感はないはずだ、と。

 そう思って、踵を返した――――それが、終わりであり、始まりであったと。

 

 

「……え?」

 

 

 狂三は、その目で真実(もうどく)を見た。

 

 少女の、遺体(・・)

 

 

「……ッ」

 

 

 悲鳴を詰まらせて、それを見てしまう。

 

 今し方、殺したばかりの精霊(かいぶつ)が倒れていた場所には澪と――――狂三の友人、山打紗和が倒れていた。

 

 

「な……、え……っ?」

 

 

 意味が、わからない――――――本当に?

 

 

「……ああ、狂三。戻ってきてしまったんだね――――残念だ。君とはもう少し、いいパートナーでいたかったのだけれど」

 

 

 ゆっくりと向き直った澪の手に浮遊する、赤く光る美しい宝石。

 それは正しく、狂三が渡された宝石と、別色という点を除き同一存在であることは間違いない。

 それが精霊(かいぶつ)から取り出され、そこに紗和が倒れている(・・・・・・・・・・・)

 

「ど、どういうことですの……なぜ紗和さんが……」

 

「ああ、もしかして知り合いかい? それは……すまないことをしたね」

 

「……ッ、まさか――――――」

 

それ(・・)が結びついた瞬間、途方もない嘔吐感が狂三を襲う。

 

「……やっぱり、君は頭がいい」

 

それ(・・)を肯定された瞬間、恐ろしいほどの絶望が狂三を喰らう。

 

「あの、精霊は……」

 

 炎の精霊を撃ち殺した位置に倒れる紗和と、澪が手にした霊結晶(セフィラ)

 わからなければ、よかったのに。わかってしまうから、澪は狂三を選んだのかもしれない。

 全身を悪寒が襲うように震え、歯がかち合って上手く言葉にできない。

 

 けれど、狂三は、

 

 

「――――紗和、さん……?」

 

 

 その絶望を、口にしてしまった。

 

 

「あ……あ、ああああああああああああああああ……ッ!?」

 

 

 狂う。時崎狂三という存在が、世界が、失われる。

 殺し尽くしてきた精霊たち、その正体。霊結晶(セフィラ)を受け取った、狂三という存在そのもの。それら全てが、絶望(・・)の糧となる。

 膝を突いた狂三を痛みが襲う。全身が砕け散りそうになる痛み、苦しみ。淀んだ黒い感情が、心の壁を壊そうとする。

 

 ――――自分が自分でなくなる(・・・・・・・・・・)

 

 

「……っ、ざ、〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【四の弾(ダレット)】……ッ!!」

 

 

 銃弾が、狂三の頭を撃ち抜く。

 気が狂ったわけでも、自殺をしようとしたわけでもない。

 

 ――――〈刻々帝(ザフキエル)〉・【四の弾(ダレット)】。撃ち抜いた対象の時間を巻き戻す(・・・・)銃弾。皮肉にも、澪から受け取った天使は狂三の身体の一部のように働き、本能的に最適な弾丸(・・・・・)を選び取った。

 そうしていなければ、恐らく今頃狂三はここにいない(・・・・・・)。驚嘆を見せる澪が、その証拠だった。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……っ」

 

「驚いた。自力で反転状態から脱するなんて」

 

 息を絶え絶えに睨みつける狂三を意に介さず、澪は普段通りの声色で――――冷徹であることが慈悲のように、続けた。

 

「でも、助かったよ。せっかく精製した霊結晶(セフィラ)が元に戻ってしまったら大変だから」

 

「反、転……精、製……?」

 

「うん。きっと君は気づいてしまったとは思うけれど、精霊っていうのは霊結晶(セフィラ)を得た人間のことなんだ――――いや、私の力を分け与えた、って言った方が正しいのかな? 本来は最初の精霊である私だけを指す言葉だったわけだし」

 

 次々と放たれる真実に、言葉を失う。だが、澪は止まらない。淡々と、慣れたように(・・・・・・)声を発する。

 

「でも、本来の霊結晶(セフィラ)というのは、人間の属性とは相容れないものなのさ。そんなものを無理矢理与えられたなら、溢れ出る力を抑えきれず、暴走してしまうだろう(・・・・・・・・・・)

 

 ――――脳裏を過る、数々の異形。

 彼らは、力の制御ができていなかった(・・・・・・・・・・・・・)

 もう、答えなど明白。

 

霊結晶(セフィラ)を人間に適合させるためには、精製が必要なんだ。精製した霊結晶(セフィラ)を、適性のある人間に与えれば、きちんと自我を保ったまま精霊になってくれる――――ちょうど、君みたいにね」

 

「……ッ、まさか、精製、って――――」

 

 今まで倒してきた精霊(かいぶつ)――――怪物と思っていたもの、全てが。

 そんな恐ろしい想像を、現実を、しかし崇宮澪は感情を動かすことなく告げた。

 

 

「うん。人間の身体を通すんだ。もちろんその人間は暴走してしまうけれど、何度かそれを繰り返すと、その身体から回収した霊結晶(セフィラ)は、綺麗に精製されているんだよ。濾過装置みたいなものを想像してくれればわかりやすいかな? でも、それを回収するのが大変でね。君がいてくれて本当に助かったんだ」

 

 

 暴かれた偽りは、絶望の象徴。

 

 信じていた。信じていたのだ。信じて、信じて、信じて、戦った。

 でも、その全てが、偽り。狂三は、利用されていたに過ぎなかった。己の幼稚な正義感を、偽りの『正義の味方』に、これ以上なく踏み躙られた。

 人を、世界を救うつもりで――――人を、虐殺していた。

 

「なぜ……あなたは、そんなことを――――ッ!!」

 

 憤怒の絶叫。世に生まれて、狂三が初めて吐き出す強烈な殺意と、憎しみ。

 押し寄せる絶望の中で、狂三にあるものはそれが全てだ。それ以外の感情が、枯れ果てるかのようだった。

 その憤怒の形相を見て、澪は初めて顔を歪めた。困ったように――――それしかない、そう言わんばかりに。

 

 

「……すまないね。本当に、すまなく思っている。君たちに恨みがあるわけではないんだ。でも私は、やめるわけにはいかない。全ての霊結晶(セフィラ)を、人間に託すまで」

 

 

 澪が、手を向ける。それは、駄目なものだと理解できた。でも、身体が動かない。軋んだ心が、急速に錆び付くように、怒りと憎しみに囚われた心と反して、身体が動かない。

 

 

「――――それまで、お休み、狂三。今まで、本当にありがとう」

 

 

 ――――まるで、母のような温かさ。

 

 そうして、狂三の意識を呑み込むように――――――白が、駆けた。

 

「――――――?」

 

 視界が、飛ぶ。空が見えて、結界を突き抜けて――――天使が、いた。

 

 一対の大きな翼を広げた、天使の腕に抱かれて、狂三は飛び立った。

 

 誰が、なぜ、なんのために、何が――――ただ、一瞬、澪がありえないものを見た(・・・・・・・・・・)顔をしていたような気がして――――遠く、遠く、白い天使は飛び去った。

 

 

 

「……ぁ」

 

 一体、どれだけ飛んだことだろう。見知らぬ地で、天使の手から優しく下ろされた狂三。その行為さえ、酷く曖昧な意識が思考を遮って、正常なものなのかすらわからなくなる。

 ああ、けれど、狂三がここにいて、澪がいない。それだけで、現実なのだろう。

 

「……ご無事ですか?」

 

 天使は、壁に背を預けた狂三にかしずくように目線を合わせ、そう気遣った。

 白い、天使。大きな翼と、身体を覆う真っ白なローブ。顔は見えない。ただ狂三を、澪から救ってくれた。その程度のことしか、わからない。

 

「あな、たは……?」

 

「…………」

 

 答えない。天使は、その問いの答えを持っていない(・・・・・・・・・)のか……何を馬鹿なと思うが、本当に、そう感じてしまった。漠然と、そう感じとってしまったのだ。

 でも、それは、不幸なことなのだろうか。知らなければ、ああ、ああ、知らなければ――――混濁した意識の中、押し寄せる罪過(・・)に狂三は目を見開いて覚醒した。

 

 

「あ――――あ……あ、あああああ……ッ!!」

 

 

 撃った。狂三が、撃った。人を、誰かを――――紗和を、殺した。

 

 

「い、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 殺した、殺した殺した殺した殺した殺した――――狂三が、やった。

 発狂。絶望。何も考えられない。自らの愚かしさと、取り返しのつかない罪の重さに、耐えかねる。

 

 次に押し寄せてきたのは、死への感情(・・・・・)。消えてしまいたい。死んでしまいたい。愚かしいこの女を、自分の手で。

 感情の赴くまま、銃を握り締め、そして――――――

 

 

「駄目。それだけは、駄目(・・)

 

「え……?」

 

 

 それを優しく、天使が塞き止めた。

 

 手に触れて、見開いた目に触れて、降ろす――――意識が、沈む。

 

「なに、を……」

 

「今は、休もう。忘れることはできないけど、あなたには時間が必要だから――――私は、傍にいるから」

 

 瞼を開いていられない。眠りに落ちる。穏やかに、世界へ、沈む。

 瞼の外で淡く光が輝いて、大きな何かが――――天使の翼が、包み込んだ。

 

 

「おやすみなさい――――せめて、眠りの中では、優しい夢を」

 

 

 それは、子守唄にも似て――――悪夢のない、穏やかな夢の中へ、狂三は深く堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――目覚めは、いつのことだっただろうか。

 

「……あら、あら」

 

 ただ、穏やかなものであったことは、確かなのだろう。

 意識が覚醒し、舞い散る白い羽根(・・・・・・・・)が無数に瞳に映し出される中、異常な光景を狂三は目にした。

 まるで、超巨大な爆弾が爆発でもしたような破壊跡と、中心に立つ自分――――訂正しよう。目覚めは穏やかではあったが、世界は穏やかではないようだ。

 

「っ……」

 

 酷い耳鳴りがしたかと思えば、機械の鎧を纏った人間が、遠くから何人も飛んできているのを見て、狂三は呆れたように声を発した。

 

「……見ない間に、随分と物騒な世界になりましたわねぇ」

 

 その〝見ない間〟というのが、一体どの程度のものなのか、眠っていた狂三自身にさえ判断ができないのだが。

 まだ、曖昧な感覚が抜けない。人間たちは、そんな無軌道な狂三を待ってはくれず、手にした武器を構えた(・・・・・・・・・・)

 

「ふぅん……」

 

 ――――精霊(・・)の敵、ということだけは、確かなようだ。

 考察は的中し、人間たちは狂三目掛けて何発もの銃弾やミサイルを放ってきた。

 

 思考は一瞬。幸いにも、狂三にはそれなりの頭が備わっているようだ。

 手持ちから考えられる手段は二つ。

 一つは己の〝影〟へ逃げ延びること。

 もう一つは――――天使を以て、戦うこと。

 

 

「――――〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

 

 時計の針が、鳴る。

 

 狂三の影が蠢き、その背に巨大な羅針盤――――天使が現れた。

 構えを取る。己自身を文字盤の針とするかのように、その手に、銃を。

 

 ――――掃射。

 

「――――!!」

 

 刹那、ありったけの銃弾を撃つ、撃つ、撃つ――――!!

 狂ったように引き金を引き、その度に影が弾となって二挺の銃へ装填され、放たれる。

 力が有り余っている。この程度の弾丸、何万発撃ったところで減ったうちにも入らないほど――――けれど、足りない。

 

「……ふん」

 

 時間にして、数秒。数々の銃弾も、ミサイルも、狂三に届くことなく沈黙する。

 爆煙が晴れると、人間たちの驚愕の表情が見て取れた。それを見て気分が晴れるわけでもなく、狂三は不機嫌に鼻を鳴らすだけだったが。

 

精霊(かいぶつ)を殺したいのなら、もう少し牙を研ぐべきですわね」

 

 一体、どういう原理かは知らないが、精霊には遠く及ばない装備だ。人間にしてはよくできているが――――嗚呼、嗚呼。悲しいかな、精霊(かいぶつ)には、決して届かない。

精霊(かいぶつ)を殺すのであれば、同じだけの精霊(かいぶつ)を――――なるほど、よくできている原理だ。

 

「……はっ。今さら、それを悟るだなんて、無様な話ですこと――――ねぇ、澪さん」

 

 吐き捨てるように、その名を口にして。今一度、そうして銃を顔まで上げて、見遣る。

 それだけの行為で、全身が炎の塊に放り込まれたように熱くなる。痛みが穿つ――――憎しみが、溢れる。

 戦意が感じられなかった狂三から放たれた殺気に、人間たちが慄いた様子で武器を構えた。

 

「あら、あら……」

 

 少し、悪いことをしてしまったと狂三は困ったように声を発した。

 特別、あの方たちに向けた殺気ではなかった上に、起きがけに事を荒立てるのも面倒だとは思っているのだが、どうにも思考が、記憶が、安定していない。

 

「仕方がありませんわね」

 

 降りかかる火の粉は、払わねばなるまい。一転して、気だるげに銃を構えた狂三だったが――――閃光が走った。

 

「な、なんだ……!?」

 

「気をつけろ、何か――――がッ!?」

 

「あら……?」

 

 閃光が、一人、二人、三人――――瞬時に意識を刈り取って、鎮圧していく。地上に叩きつけられて無事なのかと身を案じたが、見たところ装備の安全性は確かなようで、遠目で見ても死んではいないことが確認できた。

 閃光――――それは、人間の目では追い切れないものなのだろう。しかし、狂三の持つ異形の瞳に、それ(・・)は映っていた。

 

 狂三を救った、天使の姿が。

 

 やがて、銃火器の音が嘘のように止み、天使は現れた。

 

「…………」

 

 見上げる狂三を、見下ろすように――――否。

 見下ろしているのではないと、思った。だって、それはまるで、狂三を待ちわびていた(・・・・・・・)かのように、見えたから。

 ゆっくりと、天使が地上へ降り立つ。合わせるように、狂三は天使のもとへ歩を進める。

 見合う距離は、あと数歩足を踏めば届く。そんな距離で――――天使は、翼を天へと帰し、敬意を表すように膝をついた。

 

「お待ちしていました、時崎狂三(・・・・)

 

「あなたは……。いえ、わたくし、は……」

 

 自分を救った天使――――そう、狂三は救われた(・・・・)

 誰の手から? あの、崇宮澪の手から。なぜ? それは、澪から託された力で、狂三は――――――

 

 

「――――――――」

 

 

 殺した。親友を、手にかけた。

 

 記憶が濁流のように押し寄せてくる。

 心の裡に燻っていた正義感。そのために、手に取ってしまった力と、偽りの使命。

 騙した澪と、騙された狂三。簡単な構図で――――込み上げた憤怒は、途方もないものだった。

 

「ああ、ああ……ッ!!」

 

 後悔と、絶望。愚かしい自分への、怒り。

 震えて挫けそうになる足を、取り落としそうになる銃を――――強く、握り締めた。二度と、離さないように。

 

「――――感謝、いたしますわ」

 

 膝をつく天使へ――――恐らくは、自分と同じ精霊(・・)である少女へ、感謝を告げる。

 少女がいなければ、狂三は澪の手に落ちていた。自らの愚かしさに、命を絶っていたかもしれない。

 そんなことは、許されない。許さない(・・・・)

 生きている。狂三はまだ、生きているのだ。なら、何も終わっていない。終わらせてはならない。

 

 ここから、始める。

 平穏に浸ったお嬢様も、正義の味方に憧れた子供も、『時崎狂三』には必要ない。必要なのは――――この身を焦がす、復讐の炎。

 

 紅の瞳に、決意を。

 時を奏でる瞳に、憤怒を。

 

 そうして、狂三は背を向けて歩き出した。その背へ、立ち上がった少女が問いかける。

 

「……どこへ、行かれるのですか」

 

「――――時の、果てへ。始まりの因果を全て、『なかったこと』にするために」

 

 どれだけの犠牲を払っても、どれだけの業を重ねようとも。

 

 ――――世界を、やり直す。

 

 天使・〈刻々帝(ザフキエル)〉には、それが出来る。だが、今この身を満たす全てを費やしても、それは星を掴むより遠く、遠く、まだ遠く。

 けれど、狂三の心にはそれだけがあった。それだけが残った。

 ならば、答えはその一つしかない。世界で唯一、狂三にしか出来ないことを――――たとえ、この身が滅びようとも。

 

「なら――――私も、共に」

 

「……!!」

 

 言葉に、狂三は驚きを持って振り返った。視線の先には、顔を隠した天使しかいない。その言葉を放つ者もまた、天使しかいない。

 なぜ、どうして。そんな在り来りな疑問が浮かんだ。

 狂三は少女に救われこそしたが、少女のことなど全く知らない。狂三が恩を返すことはあれど、少女は狂三に付き合う理由などないはずなのに。

 同時に、少女の提案もまたおかしなものだ。少女が狂三の意図をどこまで読んでいるかは想像しかできないが……この先に待つ道は、地獄そのもの。それに付き合うというのか、少女は。

 でも、きっと嘘は言っていない。次の言葉が、それを証明した。

 

 

「あなたが平穏を望むというのなら、私は力の限りを持ってあなたを日常へ返しましょう。あなたが世界を壊すというのなら、私は世界さえ滅ぼしてみせましょう。でも、あなたが運命(かみさま)に逆らうことを望むのであれば――――どうか、私を共に」

 

 

 ――――断るべきだ。

 

 少女は、何者かさえわかっていない。何を知っているのかさえ、わかっていない。得体の知れない相手だ。恩があるとはいえ、ここで関係性を断っておくことが最善なのだろう。

 何より――――この旅に、誰かを道連れ(・・・)になどしたくなかった。

 これは、狂三の業だ。誰に重ねるわけでも、誰に背負ってもらうわけにもいかない、狂三の責務であり、使命であり、罪過なのだ。

 

 けれど。嗚呼、嗚呼、なら、どうして――――――

 

 

 

「――――ならば。わたくしに付いてきてくださいまし、名も無き天使様。この、時の果てまで続く、死出の旅に」

 

 

 

 どうして、少女を受け入れてしまったのだろう。

 

 きっと、優しい夢のせいだ。深い眠りの中で、誰かが見せた、夢のせいで――――狂三は、独りになれなかった。

 

 それは、時崎狂三に唯一残った、弱さだった。

 

 

「――――はい」

 

 

 躊躇うことなく、頷いた少女を連れて、狂三は歩き出した。

 

 果ての見えない時を目指して。

 光の届かない闇の底へ向かって。

 

 精霊は少女と、二足で立って、歩き続けた。

 

 胸に狂気(けつい)を秘めて、その瞬間――――少女(くるみ)は、精霊(『時崎狂三』)として生まれ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――わたくしは」

 

 滔々と、狂三が声を発する。

 裡から聞こえるものではなく、主観するものでもなく、現実にて。

 静止した世界と見紛う街の中、公園の一角。

 自らの頭蓋に銃口を向ける狂三。時間にして、一秒となかった。もはや、士道を撃ち抜く必要もなく【一〇の弾(ユッド)】役割を果たした。幾度も切り開いてきた運命――――その終焉を、導くように。

 

「始源の精霊を、殺しますわ。たとえ何があろうとも。何が起ころうとも――――愛しいあなた様を、犠牲にしようとも」

 

 それは、『時崎狂三』の言葉。紛うことなき、精霊の言霊。

 

「わたくしのしていることが正しいなどと言うつもりは毛頭ありませんわ。わたくしは始源の精霊の口車に乗り、幾人もの人を殺め――――そして今は、その始源の精霊の存在を消し去るために、あらゆる未来を摘み取った大罪人。人類の敵であり、滅ぼされるべき存在。地獄というものがあるのなら、わたくしには誰とも巡り会うことのない、特等席が用意されていることでしょう」

 

 狂三は、それでも構わないと本気で思っている。彼女が、戯れで人を弄んだことなど一度たりともない。

 誰より優しい子が、地獄すら生温い修羅の道を歩んだ理由を、ようやく知った。

 

「構いませんわ。それで、構いませんわ。わたくしが地の獄に落ちようとも、引き摺り下ろせるならば本望――――そのためには」

 

 ああ、ようやくだ。ようやく、五河士道は『時崎狂三』という精霊を理解することが、できた。

 孤独な精霊の生き様を、理念を――――後悔を。

 この身で感じることで、生涯を受け止めることで。士道は彼女の全てを、やっと理解することができたのだ。

 あの時、手を取っていなければ。

 あの時、引き金を引くことがなければ。

 あの時、あの時、あの時――――そんな無限に近い後悔を、繰り返した。その一瞬は地獄の牢獄と化し、幾度となく少女の記憶は再生(リフレイン)する。

 

 狂三が、夕焼けを背に、銃口を士道へ突きつけた(・・・・・・・・・・・)

 

 

「わたくしに、どうか、どうか――――その命を」

 

 

 『時崎狂三』は、精霊だ。少女を押し殺した、精霊だ。

 

 士道だけでは止まらない。止まるはずもなかったのだ。大切な者を撃ってしまった狂三は――――自分の幸福のために、止まることはできない。

 でも、それはわかっていた(・・・・・・)

 

 答えはもう、出ていたから。

 

「わかった」

 

「……え?」

 

 そう言って、狂三の理解を超えて。

 

 

 

「――――俺の全部、狂三にやるよ」

 

 

 

 士道は、己の敗北を決定づけた。

 

戦争(デート)の終焉は、呆気なく、静かに――――訪れた。

 




次回、五河アンサー編、クライマックス。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!
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