デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百七十一話『邂逅を穿つ銃弾(デート・ア・バレット)

 

 ――――堕ちる。

 

 眠たい。揺り籠の中で、ただ眠ってしまいたかった。

 心地がいい。落ちる、堕ちる、墜ちていく。深い海の中で、自分が何者なのか、それさえ怪しくなっていく。溶けていく。解けていく。

 

 疲れた。疲れてしまった。頭が酷く痛い。身体が痛い。心が痛い。

 痛くて、苦しくて、消えてしまいたい。ああ、ここは、本当に心地がいい。何も考えなくていい。だから、このまま――――――けれど、あの人はいない。

 

 

『――――あら』

 

 

 あの子も、いない。

 

 

『ええ、ええ。少しお待ちくださいまし――――これは、これは、奇妙なことがあるものですわ』

 

 

 誰もいない。狂三が好きになった人たちは、誰も。

 

 

『どうしてここへ、などと問いかけるのは野暮なこと。この場ほど、時間と空間の括りが無意味な場所はありませんもの。『わたくし』は、さらにその境目にいらっしゃるのですから。まあ、時間と空間に大きな違いがないのは、わたくしたちの〈刻々帝(ザフキエル)〉も同じようなものですけれど』

 

 

 琴里はいない。十香はいない。七罪もいない。折紙、耶倶矢、夕弦、六喰、美九、二亜、四糸乃――――誰も、いない。

 

 

『さて、さて。どうしたものでしょう。わたくしに出来ることは、こうして堕ち往く『わたくし』を押し留める程度。堕ち切ってしまうと、簡単には戻れなくなってしまいますことよ――――わたくしと同じように』

 

 

 嫌だ。狂三は、そこへはいけない。

 

 

『まあ、ここで素直に諦めるような『わたくし』とは思っていませんけれど。どうやら、『わたくし』の中でも相当に特異な経験を積んでいらっしゃるようですし』

 

 

 たとえ地獄の底に招かれようと。踏み躙ってきた命たちの腕が、狂三を地獄の業火へ引き摺り込もうとも。

 逝くわけにはいかない。過日の罪業が、狂三に罰を下したとしても――――取ったのだ、あの人の手を。

 

『ん――――あら、あら。あなた、随分と恵まれた『わたくし』ですのね』

 

 

 だったら、狂三が諦めるのは筋違いだ。このまま狂三が膝を突くことなど、最も否定するべき行為だ。

 

 

『どうやら、お迎えがきたようですわね。まったく、あの方直々とは、羨ましい限りですこと。わたくしは未だ……手助けしてしまったことを、少しばかり後悔してしまいそうですわ』

 

 

 ――――声が、聞こえる。

 

 

『――――まあ、あの方が悲しむ顔は、もう見たくもありませんから。これも致し方ないことですわね』

 

 

 大好きな人が、呼んでいる。

 

 

『それでは。もう会うこともないのでしょうが――――いいえ。いつかまた、時が交差するそのとき、相見えることになるかもしれませんわね』

 

 

 ああ、だから。目を覚まそう。夢から覚めよう。あの人に、会いたい。あの人の、名前は――――

 

 

『お別れですわ。これは泡沫と消える夢――――また会いましょう。わたくし以上に、『時崎狂三』へ逆らった『わたくし』。そのことが幸運であったのかどうか――――――』

 

 

 ――――士道、さん。

 

 

『――――お互いにそうであることを、祈っていますわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――狂三ッ!!」

 

 目覚めた瞬間に聞こえたのは、自分を呼ぶ彼の声。目を開けた瞬間に見えたのは、自分の顔を覗き込み、身体ごと抱き込んで揺すり起こす彼の顔。

 彼は――――五河士道は、瞼を上げた狂三を見て、ホッと安堵の息を吐いた。

 

「よかった……目が覚めたんだな」

 

「士道さん……。ここ、は……」

 

 辺りを見渡すように首を回し――――何も存在しないこの空間に、眉をひそめる。問いかけられた士道も、狂三と似たような顔で首を横へ振って声を返した。

 

「わからない。狂三を探すのに必死で、ここがどこかなんて調べる暇がなかったんだ」

 

「わたくしを……――――!!」

 

 そこで、ようやく狂三は己がここへ堕とされた(・・・・・)時の状況を思い出し、ハッと目を見開いた。

 澪の術中に嵌り、捕らえられた狂三はこの空間へ堕とされた。なら――――――

 

「士道さん。わたくしが飛ばされたあと、皆様は……!!」

 

「っ……ごめん、そっちも駄目なんだ。狂三が飛ばされてすぐ、俺もシェルターに転移させられて……。〈封解主(ミカエル)〉を使って、何とか狂三を見つけられたんだが……」

 

「〈封解主(ミカエル)〉で……なるほど。天使の力なら、この空間へ干渉できるのも納得ですわ」

 

 見渡す限りの虚無。天も地も、果てのない暗闇。まとわりつく、現実感のない独特の霊力(くうき)

 士道の手を離さないまま、狂三は空間に立つ(・・)。浮くことと立つことに、差異が見られない。

 意識の一つが確固たる影響を及ぼす。ここは、そういう風に出来ている。それでいて、現実としての事象も兼ね備えた、言うなれば現実と虚構の狭間だ。

 恐らく、精霊ではない士道には、違和感の塊のような空間なのだろう。霊力をその身に宿すが故、常人よりは程度が軽いのだろうが、その違和感に顔を顰めていた。

 

「何なんだ、ここ。水がまとわりついてるみたいに……っていうより、霊力の中(・・・・)にいるみたいだ」

 

「ここは〝隣界〟――――その狭間ですわ」

 

「ここが隣界の、狭間?」

 

 奇妙な表現に首を傾げる士道に、ええ、と狂三は続けた。

 

「現実世界と隣界を隔てる、言うなれば境目。本来であれば、澪さんは隣界へわたくしを幽閉するつもりだったのでしょうが……士道さんのお陰で、命拾いいたしましたわ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。隣界って、精霊が現実世界へ来る前にいる場所なんだろ? そんなところに狂三を送り出して、何の意味があるんだ?」

 

 狂三の説明に、士道は解せない部分を感じている。真っ当な感性だといえる。普通の精霊であれば、隣界に送られたところで、意志の力さえあれば無理矢理にでも脱出ができる。

 が……狂三は生憎、そういう意味では普通の精霊ではない。それはもう、士道も知るところであると狂三は返した。

 

「お忘れですの、士道さん。わたくしは他の方とは違い、あの子の力で隣界へ訪れた」

 

「あ……」

 

 その思い出したのだろう。士道は小さく声をもらした。

 そう。狂三は精霊の中でも、早い段階で霊結晶(セフィラ)を受け取った。しかし、最後の詰め――――記憶を奪い、隣界へ送られる直前、白い少女の手で連れ出された精霊なのだ。

 

「あの後も、わたくしは何度か隣界で眠りにつくことがありましたが、常にあの子はわたくしと共にあった――――澪さんから、わたくしを守るために」

 

「あいつが……」

 

 新たに伝えられた真実に目を見開き、驚きを露にする士道。

 今にして思えば、少女に対する疑念を抱いた最初の出来事だ。どれだけの精霊を目にしても、隣界で他の精霊を連れて眠る精霊など、少女しか存在しなかった。

 だが、狂三は追求しなかった。『時崎狂三』はそれを必要としなかった――――そうでなくても、狂三を守ってくれた少女へ、不要な追求をしたくなかった。

 今はそれを、後悔している。眉根を下げ、狂三は言葉を継いだ。

 

「わたくしは、あの子がいたから隣界での干渉を免れた。ですが……あの子の助けがなければ、隣界へ墜ちたわたくしが、わたくしでいられる保証は何処にもない――――随分と、頼り切っていたものですわ」

 

 少女は、どんな思いで狂三と共にあったのか。澪と同じ顔をした(・・・・・・・・)少女は、何を思って狂三へ尽くしたのか。

 今になっては、答えてくれる者はいない。そして、誰よりも知っていなければならなかった狂三は、己の悲願のためにそれを切り捨てていた。

 後悔してからでは、何もかもが遅い。わかっていたはずなのに――――そんな後悔を抱いた狂三の手を、士道が包み込むように握りしめる。

 

「士道さん……?」

 

「あいつに会ったら、ちゃんと礼を言おうと思ってたけど、その理由がまた増えちまった」

 

「っ……」

 

 そう言って、狂三の不安を呆気なく吹き飛ばしてしまうほど、優しい微笑みを見せてくれる。

 こういうところも、また彼らしい。後悔なんてしてる暇はない。狂三は、そんな後悔などもう必要ない。少女にまた会うために、今はやるべきことを。

 こくりと頷き、狂三は決意を込めた顔で言葉を紡ぐ。

 

「そうですわ。あの子へ言いたいこと、聞きたいことは山積みですもの。そのためにも、急ぎここから脱出いたしましょう。それに、皆様の安否が気にかかりますわ」

 

「ああ。のんびりしてたら、ここから出られなくなりそうだ」

 

 肌感覚でこの空間の意味を感じ取っている士道に、狂三も同意して首肯を返した。

 ここは、時間と空間の意味合いが酷く歪だ。二人は空間に立っているが、立ちながら堕ちている(・・・・・・・・・・)。そんな、物理法則に反した、というより法則が意味を失う時空間と命名すべき位置。それが狭間の世界。

 この歪な狭間から脱する方法は――――――

 

「なら、〈封解主(ミカエル)〉を使用し、脱出いたしましょう。ここへ来れたのなら、出ることもまた可能なはずですわ」

 

「あ、いや……実は狂三を見つけた時に、〈封解主(ミカエル)〉で『扉』を開こうとしたんだけど、入った時と違って上手く開けなくて」

 

「あら……」

 

 既に試していて、だが上手くいっていなかったわけか。困り顔の士道に、狂三は冷静に順序を立てて原因を探ろうと決めた。

 急がなければならないが、急ぎすぎてもいけない。早急で、冷静に。空いた手をあごに当て、問いかけを声に乗せた。

 

「こちらへ『扉』を開いた時は、どうなさったんですの? 位置が不明な以上、何かしらの方法が必要だったはずですが」

 

 数を導き出す数式が存在するように、結果をもたらすには相応の何かがなければならない。士道は隣界を訪れたことすらないのだ。誰かの手を借りたのでなければ、一体どうやって〈封解主(ミカエル)〉での道を繋げたのか、狂三には不思議でならなかった。

 狂三の疑問に対し、士道は少しだけ言いづらそうに頬を掻き、ちょっとだけ視線を逸らしてから答えた。

 

「えーっと……狂三のことを思い浮かべて、無理矢理」

 

「……はぁ」

 

 思わず呆れで半目になり、ため息を吐いてしまう。あまりにも根性論。そんな漠然としたものを受け止め、正確に答えてくれた〈封解主(ミカエル)〉の苦労が偲ばれる。

 狂三の呆れ具合に焦った士道は、慌てて言い訳を並べ始める。

 

「だ、だって狂三が言ったんだろ。天使っていうのは水晶みたいなもので、想いを込めれば返してくれるって……」

 

 なるほど。確かに狂三は言った。よく覚えていると褒めて差し上げたい。が、言い訳としてはいい所五十点だろう。

 

「何でもかんでも漠然とした願いを叶えられる万能機とは、わたくし一言も申し上げていませんわ。大体、運良くわたくしに直接『扉』が繋がったからいいものの、わたくしに縁が深い場所へ繋がる可能性の方が高いとは思いませんでしたの?」

 

「うぐ……そこまで考えてませんでした……」

 

 なんというか、それで本当に叶えてしまうのだから、士道の規格外な心が反映されると言うべきなのか。

 呆れ半分、それだけ愛されている嬉しさ半分。複雑な顔をして息を吐き、狂三は言葉を続けた。

 

「ま、あなた様の無茶な理論に助けられるのはいつものこと。感謝いたしますわ」

 

「……素直に喜べないんだが」

 

「素直に喜んでくださいまし。さて、なら同じ方法を使うとなれば、話はそう難しいものではありませんわ」

 

 無茶苦茶な理屈で開かれた道を、もう一度開き直す。理屈や理論は無理矢理でも、一度開いたのだ。決して不可能なことではない。その道を狂三が〝舗装〟してやればいいのだ。

 

「よく聞いてくださいまし。士道さんは十香さんたちのことを思い浮かべ、〈封解主(ミカエル)〉へ想いを込める。他の想いは不要、それだけを行ってくださいな」

 

「え……けど、それじゃあ――――むぐ」

 

 今言った、不十分な理論と変わりがないじゃないか。そう言いたげな士道の唇を指で遮り、狂三は微笑みながら繋げる。

 

「そう。ですので、足りない部分はわたくしが補いますわ。召喚した天使を扱えるのは、あくまで当人に限ること。その事実に変わりはありませんが……士道さんとわたくしが想いを繋げることが出来るのなら、それは明確にあなた様の想いの力となる」

 

「それって……」

 

 かつて、一度似た経験が士道にはあるはずだ。初めて封印した天使を召喚したあの時――――耶倶矢と夕弦を止めるだけの力を振るった、あの瞬間。

 視線を鋭くし、自身の手をぐっと握る士道。こくりと、決意を固めて首を縦に倒す。

 

「……わかった。やってみよう――――〈封解主(ミカエル)〉!!」

 

 再び開いた手のひらに一条の光を走らせ、形を定めた天使を握る。

 顕現させた錫杖の先端を虚空へ向け構えた士道は、もう片方の手で狂三をエスコートするように傍へと寄せる。

 

「狂三」

 

「……はい」

 

 緊張を吐き出す一瞬の呼吸を挟み、導かれるままに鍵の天使へ手を添える。重ね合わせた手のひらは、自然と二人で錫杖を構える形となる。

 

「いくぞ……っ!!」

 

「ええ……!!」

 

 互いの顔を見合い、頷き合う。

 

 刹那、込み上げた想いを叩き込む。士道は十香たちを想う気持ちを。

 そして、狂三は――――天宮市という、壮大な街の風景を(・・・・・)

 イメージが混ざり合っていく。狂三がどんな想いを浮かべたのか、明確に伝えられた士道が目を見開いて驚愕を顕にする。

 

「お前、これって……!!」

 

 人で不十分ならば――――()を想い、位置を定めればいい。

 この異界から現実へ『孔』を繋げるのは、本来であれば容易でないこと。内側からなら尚更だ。だが、士道と狂三であれば容易いことにできる(・・・)

 士道は精霊と紡いだ決して解けぬ絆がある。そこに狂三の想い人が生まれ育った街(・・・・・・・・・・・)のイメージがあれば、不完全な『扉』は完成を得る。

 

 

「お恥ずかしながら――――自分の情動に救われることになるとは、思いもよりませんでしたわ」

 

 

 つまりは――――数日前、街を隈なく記憶した狂三のイメージが、この上ない手助けになるということだ。

 恥ずかしげに笑う狂三を見た士道が、不意に唇の端をつり上げ微笑みを浮かべる。嬉しいと、表情だけで告げていた。

 幾つもの想いを受け止めた天使が、空間を染め上げんばかりに発光する――――鍵を、回した。

 

 

『――――【(ラータイブ)】!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潜り抜けた先にある、広大な空。正確には、空から睥睨する街並み。

 

「ぐ……〈颶風騎士(ラファエル)〉!!」

 

 即座に状況を把握し、急激な気圧の変化を御する天使を周りに展開する。狂三ごと包み込むように範囲を広げながら、士道は街並み――――そう呼ぶべきなのか、破壊された風景を目に収めた。

 帰ってこれた、間違いない。ここは、士道の体感で十数分前まで激しい戦闘を行っていた天宮市そのものだ。

 しかし、地上に近づくにつれ、どこか様子がおかしいことに気づき眉をひそめる。

 

「みんな、は……」

 

 驚くほどに、静かだった。まるで、戦いが始まる前の静けさそのもの――――戦いが終わったあとの(・・・・・・・)、静けさ。

 最悪の想像が頭を掠めた。それを否定してほしくて、狂三を見やった。

 

「狂、三……?」

 

「っ……」

 

 狂三は、認めたくない結果(・・・・・・・・)を噛み砕くように、強く歯を食いしばっていた。

 地上へ降り立っても、それは変わることがなく、今は否定がほしい士道が唇を動かす――――そんな一瞬の間に、世界がモノクロに変わる(・・・・・・・・)

 

「な……!?」

 

 驚愕に呻きながら、周囲に視線を巡らせた。

 破壊された街並みが、白と黒で構成された非現実的な空間へと塗り変わっていく。

 明らかな異常。驚くべき光景。だが、狂三はそれを受け入れ、士道の知らないこの天使(・・・・)を言い当ててみせた。

 

 

「……〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

「――――正解だ」

 

 

 そう――――答え合わせをするように、その少女は現れた。

 

「み、お――――」

 

 荘厳な霊装を纏う精霊・崇宮澪。存在だけで周りを潰してしまいかねない威圧感と、相反する穏やかな表情。

 細めただけで凍りつくような雰囲気を生み出す目線が狂三を捉え、そして言葉を発した。

 

「君なら当然。そう褒めるべきかな? 分身を情報のバックアップとして用意していたんだね……。シンも、この短期間でよく狂三を連れ戻せた。あちらとは時間のズレがあるとはいえ、君たちを迎えにいくだけの時間はあると踏んでいたのだけれど――――」

 

「――――みんなは!!」

 

 言葉を遮る。止めずにはいられなかった。士道には、確かめねばならないことがあった。

 たとえそれが――――目の前で、証明されていることだとしても。

 

「み、みんなは……」

 

「…………」

 

 澪が掲げた手から……否。その背に浮かぶ、輝きを取り戻した(・・・・・・・・)十の星から、それぞれ美しい宝石たちが姿を現した。

 

 

「――――っ、ぁ」

 

 

 迫り上がる嘔吐感に、立ち向かう力が失われていくのがわかる。澪が示した答えを、拒絶してしまいたくなる。己の無力を、たった今証明されてしまった。

 

 みんな――――もう、いない(・・・)

 

 死んでしまった。死なせてしまった。みんなを、守れなかった――――心と身体が、死へ向かっていく。

 

「……さあ、準備は整った。どうする、狂三(・・)

 

 そんな、今にも崩れてしまいそうな身体を支えたのは、皮肉にも心を折ってきた澪の静かな問いかけだった。

 士道ではなく、未だ澪を見据えて動かない狂三への、問いかけ。

 

「【一二の弾(ユッド・ベート)】は、『私』という存在を消すことでしか通用しない。それ以外に手段があるなら、遠慮はいらないよ。この先に抗う未来が残っているのなら、私はそれを存分に受けて立とう」

 

「……どこまでも、傲慢な方ですこと」

 

 あくまで冷静に息を吐く狂三は、士道から見れば恐ろしく異端な光景だった。

 【一二の弾(ユッド・ベート)】は、使えない。最奥の弾が行う時間軸の変更――――しかし、改変された世界の〝記憶〟を、澪は引き継げる。どうしてか、など説明される必要もなかった。〈アンノウン〉と呼ばれた白い少女が、そうであったから(・・・・・・・・)だ。

 澪が正体を現した。この時点で、【一二の弾(ユッド・ベート)】の使用は限りなく制限される。たとえ、過去へ戻り澪の出現を阻止したとしても、未来へ辿り着いた瞬間、全てを把握した澪は動き出す。それこそ、最悪のタイミングさえ想像できてしまう。

 浮かび上がった他の可能性は、僅かな過去へ戻り、精霊たちの死を救い、再び澪と対峙する。だが、それは堂々巡り(・・・・)でしかない。

 

 たった今、澪自身が宣言したのだ。消すことでしか通じない(・・・・・・・・・・・)、と。澪には確信があるのだ。ここで澪の攻勢を掻い潜り、士道か狂三が過去へ戻ったとしても、精霊を殺し切る(・・・・・・・)だけの、圧倒的な力による自信が。

 

「…………っ」

 

 息を詰まらせる。今の可能性を実行したとしよう……今度は、精霊たちの死を、間近で見ることになってしまうかもしれない。

 それで心が折られたら、終わりだ。今だって、身体が錆び付いたように動きが鈍い。希望の秘奥は、始原の精霊を消すことにしか使えない。しかし、それでは誰も――――――

 

 

「士道さん」

 

 

 それは、あくまでも冷静に。けれど、士道の心を掬い上げるには、十分すぎる声音だった。

 顔を上げると、狂三は立っていた。色の異なる双眸は、迷うことなく士道を映し出していた。

 

 

「いつか、仰っていましたわね。あなた様の人生で、わたくしを背負ってくださると」

 

「…………」

 

 

 なぜ、今そんな話をするのだろう――――今だから、するのだ。

 ここでもし、時崎狂三が諦めを口にしていたなら、五河士道はその運命を受け入れていただろう。

 だが、狂三が見せたのは眩しい笑顔で――――士道が取り戻した少女の笑顔が、士道の心を突き動かした。

 

 

「まだ――――わたくしを、支えてくださいますか?」

 

「――――ったり前だろ」

 

 

 そんなもの、聞かれるまでもない。折れかけた心がなんだ。その程度、一体何度乗り越えてきたか。

 

 士道は折れない。だって、士道の肩には狂三の人生が乗っているから。狂三も同じ想いだ――――だからこそ、互いが折れない限り(・・・・・・・・・)、二人は誰にも屈することはない……!!

 

取り返すぞ(・・・・・)

 

「ええ、ええ。それでこそですわ、それでこそですわ」

 

 わたくしを射止めた人が、絶望に屈するなど許さない。そんな想いが、繋げた手を通して伝わってくる。

 不思議、というわけでもない。彼女となら当たり前のこと。絡め取られそうになっていた絶望が、染められぬ黒に消し去られる感覚。

 ああ、ああ――――士道はまだ、神に敗北を認められない。

 

 

「――――そうか」

 

 

 立ち上がる士道と狂三を見て、澪がポツリと呟いた。

 その視線には僅かな苛立ち(・・・・・・)と、不思議な感慨が絡み合っている、ような気がした。

 

「君たちらしいね。複雑なのに真っ直ぐで、歪なのに迷いのない愛――――それを踏み越えてでも、私はシンを取り戻す」

 

「……!!」

 

 澪の霊力が膨れ上がり、圧力を増していくかのように、モノクロの世界が士道と狂三を包むような気配をかもしだす。

 勝負は、その一瞬のこと。

 

 

「――――〈贋造魔女(ハニエル)〉ッ!!」

 

 

 魔女の杖を瞬時に召喚し、箒のようになってる先端を鏡のように変化させ、目が潰れるほどの極光(・・・・・・・・・・)を解き放つ。

 

「……ふむ」

 

 光が溢れる中で、澪が声を零す。それは、どこか疑問を感じているように思えた。

 それもそのはず。本来、〈贋造魔女(ハニエル)〉の光は変幻の力。千変万化の輝きであるはずだ。しかし、それが通用しないことを澪自身、よくわかっている。そして士道も、この光が澪に何ら影響を及ぼさないことは百も承知。

 光の最中――――黒い影が飛翔する。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【一の弾(アレフ)】!!」

 

 それは、自身の背を一回り大きくした時計盤、〈刻々帝(ザフキエル)〉を背にした狂三。目眩しに乗じて、時間加速の弾丸を撃ち込み、神速の世界へ足を踏み入れた狂三だった。

 士道と澪の目が使えない一瞬の間に、狂三は澪へと迫る――――だが。

 

「……甘いな」

 

「あぐ……っ」

 

 如何に神速であろうと、届かない。澪の一声で、地面から幻想の如く光の帯が現れ、狂三を縛り付ける。

 澪に伝わっていなかったはずの不意打ちは、呆気なく防がれた。しかし、そのことに怪訝な顔を見せたのは、止めた張本人である澪だった。

 

「……解せないな。君ほどの子が、こんな単純なやり方で――――――」

 

「きひっ、きひひひひひひひひひひッ!!」

 

 笑う。特徴的な笑い声を大にして、時崎狂三(・・・・)が笑う。

 

「嗚呼、嗚呼。愉快ですわ、愉快ですわ――――なんて、無様」

 

 そうして、時崎狂三(・・・・)は嘲り笑うように、言葉を紡いだ。

 

 

 

 

「あなたの目には――――わたくしが時崎狂三(オリジナル)に、見えていますのね」

 

 

 

 

 左右不均等に結われた漆黒の髪。血と影で染め抜かれた霊装。刻まれ続ける時を奏でる金時計の瞳。

 そう――――『狂三』は、狂気的な微笑みで、澪と対峙した。

 

「な――――」

 

 そこで、澪は初めて動揺らしい動揺をみせた。精霊であれど、感情は人と同義――――神に等しくも、神ではない証明のように。

 しかし、遅い。不敵な笑みを浮かべた士道は、かけられた魔法(・・・・・・・)を解き放った。

 

 

「あ、はァ――――らしくないとは、誰のことですかしらァ!!」

 

 

時計盤が光を放つ(・・・・・・・・)。それは入れ替わるように――――時崎狂三という女王へと変貌した。

 変貌の女王は、銃を抜き放っている。止められない、避けられない。たとえ神と見紛う存在であろうと、この世で女王の瞳から逃れられる者など、いない。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【三の弾(ギメル)】」

 

 

 その銃弾は、黒の軌跡を描き――――十の星にある、紫紺の輝き(・・・・・)を撃ち抜いた。

 

 僅か一瞬の攻防は、それだけだった。銃弾を放った狂三は、空中を蹴り士道の元へと帰る。

 

「…………」

 

 残るのは、静寂。澪の時が止まるわけでも、澪の時が進むわけでもない。

 〈贋造魔女(ハニエル)〉の光は、何も影響を及ぼさなかったのではない。澪以外を(・・・・)変化させたのだ。

 士道は七罪ほど上手く〈贋造魔女(ハニエル)〉は扱えない。が――――〈刻々帝(ザフキエル)〉の造形を完璧に再現しろ、と申し付けられたなら、誰よりも精巧に真似てやれる自信があった。事実、士道の模倣は天使の生みの親である澪さえ騙してみせたのだ。誰彼構わず、自慢してやりたいほど気が高ぶるというもの。

 たった一度だけ許された不意打ち。それは見事、澪を欺き通し、狂三が望んだ銃弾を撃ち込むことに成功した。

 

「何を――――」

 

 沈黙を貫く狂三と士道へ、澪は意図を計りかねたように呟く。

 当然のことだろう。勝機、という一点を狙うならば、必ず切り札である【七の弾(ザイン)】を使う。狂三の力を知る澪なら、そう考えていたはずだ。

 しかし、澪の時は止まらない。そう、澪の時に干渉はしていない(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「あら――――あなたが仰ったのでしょう?」

 

 

 超然と、狂三は笑う。人より優位に立ち、威圧し、掌握する時崎狂三が持つ特有の微笑み。

 そうだ。あの弾丸が到達し得たその瞬間から、この世界は狂三が支配している。

 

 その〝原因〟を生み出すことが出来たなら、次には〝結果〟が世界に生まれる――――!!

 

 

「あなたという存在に立ち向かえる者は、わたくしではなかったと――――だから、呼んだ(・・・)だけですわ。あなたを、澪さんを討滅し得る〝彼女〟を!!」

 

「まさか――――っ!!」

 

「そのまさか、ですわ――――さあ、さあ!! 盛り上がって参りましたわねぇ!!」

 

 

 狂三が手を振りかざした瞬間――――閃光が走る。

 

 決して傷つくことのなかった澪の霊装に、鋭い亀裂が生じた。

 

 

『――――――ぉぉぉおおおおおッ!!』

 

 

 その叫びは高々に、世界()を斬り裂く。

 

彼女(・・)は――――――

 

 

「っ……十香ッ!!」

 

 

 誰でもない、夜刀神十香(・・・・・)は。

 

 

「シドー!! 狂三!! ――――すまぬ、待たせたな!!」

 

 

 涙ぐむ士道の目の前で、力強く、澪から二人を守るように立ちはだかった。

 

 

 反逆の刃は育ち――――定められぬ未来は、ここに抗いを示した。

 

 

 







それは束の間の夢。有り得ならざる邂逅。辿るべきだった世界と、辿らなかった世界の交わることがない奇跡。けれど、いつの日か――――時が巡るのなら、また。

ちょっとしたサプライズ出演なので一切匂わせとかしてませんでした。驚いてくださったら嬉しいです。そうでもない?ソンナー。
前にも話した通り、収集が付かないのが一番困るので隣界ととある別の時間軸についてはあえて触れてきませんでした。ていうか、今回も厳密には境界の空間なので触れたとも言えないんですよね。
なので、士道と狂三すら知ることのない邂逅は、皆様だけが知るもの。そんなわけで今回も感想とかくださると真面目にとても嬉しいでry

さて、二人の手でもうひとつの邂逅は開かれた。今章もいよいよ終局が近づいて参りました。次回より三話はかなり分量が多くなってしまいましたので、着いてきてください(直球) さあ、結末の引き金を引くのは、誰か。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!

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