デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百七十二話『白い炎』

 自我の喪失。たとえるなら、空間そのものに、意識(じぶん)が溶けていくような。

 恐怖はある。けれど、どうしてか安心感もあった。まるで、元いた場所(・・・・・)へ還るような、不可思議な感覚。

 

『……ぅ、ぁ……』

 

 落ちれば捕えられる。十香は抵抗する。でも、抗えない。優しい悪魔の手招き。このまま、身を浸して、覚めぬ眠りへと――――――

 

 

『その美しい名を散らすには、諦めが早すぎるんじゃないですか――――夜刀神十香』

 

 

 瞬間。その有り得ならざる声に、十香はハッと目を見開いた。

 

『……っ――――』

 

 ――――目覚める。

 溶け合い始めていた身体の感覚が舞い戻り、手足が、頭が、思考が働く。戻ったからこそ、一瞬前まで心地良さを感じていたこの空間に対しての〝違和感〟が急速に表面化する形となった。

 

『な……』

 

 『何』なのか、わけがわからない空間で、十香は彼女を見つけた。

 

『さて、どう挨拶をするべきでしょうか。お久しぶり? それとも、初めまして? どちらも正しく、どちらも間違っていると言えますが……あなたは、どちらだと思います?』

 

 境界に揺蕩う、一人の少女。

 絹糸のように艶やかな髪。物憂げな色を映す双眸を、わざとらしく歪めて微笑む――――崇宮澪と同じ貌(・・・)をした少女。

 十香がわざわざ、そんな奇妙な表現をした理由は幾つかある。少女と容姿は、澪をほんの少し幼くした印象を抱かせるものであるということ。

 もう一つは、その雰囲気。今ならわかる。感覚を殺されることなく、十香は素直に少女から発せられる〝匂い〟を嗅ぎ取ることができる。

 疑問を感じながら、十香は自分が知る少女の通称を音に流した。

 

『お前は……通りすがりの人、か……?』

 

『……そうですね。間違ってはいないでしょう。我ながら、奇妙な通り名で呼ばれているとは思いますけれど』

 

 苦笑しながらも、否定を行うことなく受け入れた少女。

 顔を隠す外装はなく、十香は初めて少女の顔を見た。だとしても、わかった。間違いなく、少女はあの〝通りすがりの精霊〟であると。

 

『なぜお前が……いや、そもそも〝ここ〟はどこなのだ?』

 

『……んー。まあ、『私』の中? って言えば、適当でも正しいような気はしますね。私がいることに関しては、私に聞くより〝彼女〟に聞いてください』

 

 ちょいちょい、と少女は横に指を指し示す。それに従って目線を動かしてみると、十香はさっき以上に目を剥くことになった。

 

 それは、合わせ鏡にも思える、宵闇の少女。

 

『な……お、お前は、一体……』

 

 十香と同じ、夜色の髪。

 

 十香と同じ、水晶の双眸。

 

 十香と同じ――――貌。

 

 紛れもなく〝彼女〟は、夜刀神十香その人だったのだ。

 故に、十香の困惑は当然のものとなる。十香は、間違いなく自分だ。だが、目の前の少女もまた、十香だった。

 少女は、通りすがりの人から押し付けられたことに不機嫌な顔を作りながらも、十香を無視することはせずに声を返してきた。

 

『名か。そんなものはない――――敢えて言うならば、私は(・・)お前だ(・・・)

 

『私……?』

 

 理解が及ばない。しかし、不思議と理解させられた(・・・・・・・)

 十香は十香であるが、少女もまた十香である。そう思わざるを得ないほど、少女は十香と似すぎている。十香の知る知識の中では、これほどに相違点を探せない人は、それこそ過去の狂三と同一存在である狂三の分身くらいなものだ。

 

『一体、何がどうなっているのだ……これは夢なのか?』

 

『夢、か。ふん、当たらずとも遠からずというところだろう。お前の頭の中か、この道化の言うあの女の中か、という違いはあるがな』

 

『あの女――――?』

 

 その一言が起点となり、十香の脳裏に記憶が再現される。

 澪と戦う十香たち。貫かれ、倒れる折紙。そして、次の一瞬――――光の帯に貫かれ、十香たちは敗れたのだ。

 

『皆は……皆はどこだ!? 私と通りすがりの人がいるということは、皆もここにいるのか!?』

 

霊結晶(セフィラ)を澪に吸収された十香と白い少女がここにいるということは、少なからず十香たち以外の精霊、その意識が存在している可能性はある。

 皆はどこだと見渡して、自身の言葉に足らない部分があることに気づいた。白い少女はともかく、十香と同じ貌した少女に、当然のように通じていると思ったが……十香が知っていても彼女は知らないと思ったのだ。

 

『あ、皆というのはだな――――』

 

『他の精霊のことか?』

 

『!! 知っているのか!?』

 

 補足しようとして、的確に情報を当ててみせた少女は、小さく息を吐いて続けた。

 

『――――前の目覚めより、時折お前の目を借りて、世界を眺めていた』

 

『む……? 目を……?』

 

 少女が何を言っているのかよくわからず、十香は首を傾げた。もしかしたら、狂三や琴里なら理解できたかもしれなかったが……少女は特に気にした様子もなく首を振り、問いの答えを続けてきた。

 

『ここにいるのはお前と、この道化だけだ。他の者たちは、あの女に霊結晶(セフィラ)を奪われ、人間として死んだ。女の中にあるのは、あくまでその霊結晶(セフィラ)のみだ』

 

『……っ』

 

 息を詰まらせる。心臓が、痛い。精霊たちの死を、十香が知らぬはずがない。けれど、どうしても、知っていたとしても……痛みを覚えずには、いられなかった。

 だが、すぐに十香は少女の言葉の中にあった違和感に気づいた。でもそれを言語化する前に、黙っていた白い少女が不満げに声を発した。

 

『ちょっとちょっと、私だってここにいる〝予定〟はなかったんですよ。あとは消えるだけだった私の残りカスを、あなたが無理やり引き摺り出したんでしょう』

 

『ふん。目の前でうろちょろされて目障りだったからな。斬って捨てなかっただけ、ありがたく思うことだ』

 

『わー、覇王様ったら慈悲深ーい』

 

 言葉とは裏腹に、全く感謝していないジト目で白い少女は十香と同じ貌をした少女を見やるが、彼女は我が道をゆく唯我独尊な空気でそれを難なく躱していた。

 ……わけがわからないが、どうやら白い少女からしてみれば〝ここ〟にいることは予想外だったようだ。

 

『ど、どういうことなのだ? なぜ、私とお前だけが……』

 

『……私は、厳密に言えばあなたの知る私とは言えないんですよ。私を構成する大部分は、『私』として溶け合った。仮に全くの同一存在がいたとして、強い方に取り込まれるのは必然ですからね』

 

『む……うむ?』

 

 ……益々、わけがわからない。いつも思うのだが、白い少女は難しく喋りすぎていると十香は思う。

 

『……ま、私は『私』から外れた残滓、みたいなものなんです。本当なら、『私』になる際には残さず消すつもりだったんですが、誰かさん(・・・・)のお節介と、慈悲深い覇王様のお陰で、こうして消えそびれてしまったというわけです』

 

『っ……消える、つもりだったのか?』

 

『ええ、もちろん。こうなった場合の〝計画〟は、どうしても博打の要素が多くなってしまいましてね。私自身のイレギュラーはなくしておきたかったのですが……まあ、どの道早いか遅いかの違いでしかありません。問題はないでしょう』

 

 少女の物言いに、自然と眉が吊り上がった。怒り、とも呼べる感情が身体の中に現れる。が、少女が十香の様子に気づいた素振りはなく――もしかしたら、気づいていて気にしていないのかもしれない――言葉を続けた。

 

 

『――――こうして、あなたが来てくれたわけですから、ね』

 

『な、に……?』

 

 

 まるで、十香が十香としてここへ辿り着いたことを、当然のように確信していた口調で。

 澪と同じ貌の微笑み――――そう、あの(・・)崇宮澪と同じ、だ。

 

 ただ一人の人間のため、あらゆる尊厳を踏み躙れる崇宮澪と、同じ存在(・・・・)。それが、この白い少女なのだ。十香は、半ば予知に近い直感で悟った。

 

 敢えてか、少女は言葉の意味を伝えることなく、別の疑問への答えを吐き出し始めた。

 

『どうして私たちだけが、あなたはそう言いましたね。厳密には、あなただけが(・・・・・・)特別なのです、夜刀神十香――――名も無き精霊だった、あなただけが』

 

『なん、だと……』

 

『かつて、世界に生まれた始源の精霊。彼女から切り離された力を受け継ぎ、人から精霊へなった者。それが狂三たち〝精霊〟。たとえ狂三であっても、霊結晶(セフィラ)を失えば人として生を終えるのみ。それだけは平等です』

 

『私は、違うというのか……?』

 

 精霊は、始源の精霊から霊結晶(セフィラ)を渡されて生まれた者。確かに、以前そのような話が上がったことは覚えている。

 だが、本当にそうだったとして、十香は違うというのか。だとしたら、夜刀神十香という精霊は何者なのか。

 そうして少女は――――微笑みを崩して、砕けた表情で十香と同じ貌をした少女へ声を発した。

 

『それじゃあ、残りの説明はよろしくお願いします』

 

『……最後まで貴様が話せばよかろう。なぜ私の手を煩わせる』

 

『私は遠回しな説明が癖になっているみたいなので。あなたは〝夜刀神十香〟なのですから、わかりやすい方が彼女も理解が早いと思いましてね』

 

『ち……』

 

 嫌そうな顔で少女は舌打ちを打つ。しかし、十香と見合った瞬間、そんな素振りは露程も見せることなく、少女は大人しく言葉を継いでくれた。

 

 

『――――――――』

 

 

 簡潔的な言葉と、覚悟を問うように細められた瞳。

 告げられた真実に、思わず目を見開いた――――けれど、気がつくと、唇を引き結び、拳を握る十香がいた。

 

『……ふん? 困惑するかと思いきや、存外飲み込みが早かったな』

 

『……うむ。いや、困惑は、している。だが……もしもそれが本当だとするならば、今は、その事実に感謝したい』

 

『ほう……?』

 

 困惑はある。だが、それを超える――――決意が宿る。

 

 

『――――私は、こうして生きている。そして生きているのなら――――まだ、戦える』

 

 

 この手に刃を握れるのならば。この心がまだ折れていないのならば。この心に従うことが許されるのならば――――十香は、迷わず戦うことができるのだ。

 そんな十香を見て、白い少女はフッと微笑み、目の前の彼女は対照的に小さく鼻を鳴らした。

 

『なるほど――――だが敵は我らが母。仮に戦えたとして、まず敵いはするまい。できることといえば、せいぜい数分の時間を稼ぐ程度だろう。再び死の苦痛を味わうだけだぞ。いや……今度こそあの女は過つまい。次は意識の断片さえ残さず消し去られるだろう』

 

 それは厳しくも、現実を見据えた指摘だった。脅しとも見える、十香への気遣い(・・・・・・・)

 わかっている。彼女の言うことは正しい――――わかっていながら、十香は逡巡することなく首を横に振った。

 

『構わん。数分の時があれば、シドーと狂三は逃げることができるかもしれない。何かこの状況を打開する方法を思いついてくれるかもしれない。――――私の命を賭けるに値する、十分な希望だ』

 

『ほう。しかしお前が死ぬということは、私もまた滅びるということだ。私はお前なのだからな』

 

『な……そ、そうなのか? それは……むう……、すまん。……だがお前も、私が戦うことを望んでいるのではないのか?』

 

『ほう? なぜそう思う』

 

 少女か不思議そうに首を傾げてくる。十香は、思いのままに答えを口に出した。

 

 

『――――お前は、そのために通りすがりの人を起こしてくれたのだろう?』

 

『――――――』

 

 

 目を丸くした少女と――――堪え切れないと言わんばかりに、吹き出すように白い少女が声を発した。

 

『……え、もしかして、あなたが直接やると恥ずかしいからって、私叩き起されちゃったんですか? そんなことのために、私をわざわざ、あんなに苦労して、何度も呼びかけながら、私の意識を連れ戻したので?』

 

 白い少女の一語一句を激しく主張しながらの言葉に、音が響くことが幸いしてビキィ、と額に青筋を浮かべる少女。怒りのオーラがひしひしと伝わってくるようだった。

 

『黙れ。その首落として地に叩きつけるぞ』

 

『わーお、照れ隠しが我が女王よりバイオレンス――――ああ、ちょうどいいみたいですね』

 

 ふと、白い少女が何もない上を見上げる――――何かが撃ち込まれた(・・・・・・・・・)ように、空間が揺れた。

 ある感覚が、伝わってくる。それは、何度か十香が体感したことのあるもの。そう、これは……!!

 

『狂三の、〈刻々帝(ザフキエル)〉……!?』

 

『内的時間の加速……なるほど。内側の時間を動かして、帳尻を合わせたわけですか。大半がアドリブと賭けに左右される残してきた〝計画〟も、ここまで上手くいきそうだと、不思議な笑いが込み上げてきますね』

 

『ふん、勝手に笑っていろ道化。……食えない女め』

 

 苛立たしい気持ちを全面に押し出した少女は、しかし手先は器用に十香の肩を抱き、言葉を紡いだ。

 

 

『その心に迷いがないというのなら、行くがよい、私よ。気の済むまで、暴れてこい』

 

『……うむ。ありがとうだ、私』

 

 

 十香の返事に、満足したように小さく微笑んだ少女は、十香から離れ、その背を押し出す。

 ふわりと、中に浮かぶ感覚。少しづつ二人と離れていく中、十香はハッと白い少女へ声を届けた。

 

『――――通りすがりの人、何か狂三に伝えることはないのか!?』

 

 少女はきっと、別れの言葉すら伝えていない。狂三に対して、白い少女は何も伝えていない(・・・・・・・・)

 そう思った十香は、衝動的に叫んでいた。白い少女は、澪と同じ貌でポカンとした表情をするという、些かシュールな光景を作りながらも、笑いながら声を返してきた。

 

『それじゃあ、貴殿の今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げますとでも――――』

 

『早く行け、私。今すぐこの道化の首を落とす』

 

『……ちょっとした冗談じゃないですか』

 

 ぶー、とこれまた愉快な表情で……もしかして、ローブの下でもそんな顔をしていたのだろうか? だとしたら、少しばかりの驚きである。

 少女は、今度こそ――――その顔を、憂いを帯びた瞳と同じ色に変えて、言の葉を零した。

 

 

『最後まで共にいれなくて(・・・・・・・)、ごめんなさい。あなたの幸せを、祈っています――――そう、伝えてください』

 

『っ……』

 

 

 言葉を受け取り、息を呑んだ十香は――――唇を噛み、グッと拳を握りしめて、渾身の叫びを轟かせた。

 

 

『――――必ず、狂三と迎えに来る!! だから、絶対に待っていろッ!!』

 

 

 それだけを伝えて、前を向く。目に決意を灯し、虚空を蹴り上がる――――――希望を、その身に宿して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――私が彼女に望んでること、わかっているんでしょう。どうして、行かせたんですか?』

 

 十香の姿が見えなくなってから、時を置かず。少女は十香と同じ貌をした少女へそう問いかけた。

 少女からすれば不思議な疑問。だが、彼女はなんてことのないように返してきた。

 

『貴様の思惑がどうであれ、私の決断は変わらん。なら、貴様にくれてやる慈悲はない(・・・・・)。それだけの話だ』

 

『……確かに、あなたの言う通りでしょうね』

 

 少女が想定している、この先に至るもの。聞いたところで、十香は迷うことなく飛び出していっただろう。なら、話したところで変わるのは少女の心でしかない。故に、彼女が語る意味もなかった。

 楽になろうなど、思ってはいない。少女はただ、自らが望むことのために他を救わなかった(・・・・・・・・)。彼女の言葉を借りるなら、それだけの話だ(・・・・・・・)

 

『貴様は』

 

『はい?』

 

『私が来るとわかっていながら、なぜその用意をしていなかった』

 

 ――――まさかまさかの、問いかけ。

 返すように放たれたそれに、少女は……けれど、迷わずに答えた。

 

『なぜ、と言われましても……あなたがいたからですよ。あなたは夜刀神十香(・・・・・)だ。誰かを見捨てることを良しとしない、誰より彼女を想う人でしょう。なら、立ち上がるのに私は必要ありません――――私、他人を見る目に関しては、そこそこ育ったつもりですよ』

 

 そう、それだけ。少女は、この街で色んな出会いを見てきた。『私』ではない自分を見る目はあるとは言えないが――――誰かに信頼を押し付けろ、と言われたなら、迷うことなく信頼できる人を挙げられる自信がある。

 そして、残してきたのはそういう賭け(・・・・・・)だ。だから、ただの一度だけ話をした裏側の少女のことを、信頼を押し付ける形で信じていたに過ぎない。押し付けられた少女は、とても嫌そうに顔をしかめていたが。

 

『ちっ……気に入らんな。やはり、貴様とは相容れん』

 

『相入れる方がおかしいんですけどね、こんな得体の知れない女は』

 

 それこそ、どこかのお人好し集団くらいだ。

 

 

『――――ま、だからこそ、分の悪い賭けをしてしまったんですけれど』

 

 

 使い道は決めていたが、使い方(・・・)は、初めの少女なら思いもしなかった。針の穴を通すほどの、微かな可能性。『私』以上に、分の悪い賭け。

 

 

『さあ、我が女王――――私の願い、どうか叶えてくださいませ』

 

 

 それでも、消えゆく道化師は愛おしく、女王を想い、狂ったように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 その姿は正しく、威風堂々。

 その身はまさに、勇猛果敢。

 

 それは、極限なる強さが魅せる、最強の名に恥じぬ美しさ。

 

「十、香……十香!!」

 

 精霊・夜刀神十香。完全なる紫紺の鎧を身に纏い、感極まる士道の前に彼女は現れた。

 半信半疑の可能性。けれど、士道は迷うことなく伝えられたやり方を貫き通した――――ああ、十香が、生きていた。

 

「ああ、私だ。シドー……お前から名を貰った、十香だ」

 

「っ……ああ、ああ!!」

 

 十香の言葉に何度も頷き、涙ながらにその姿を見る。

 生きている。生きていてくれた。諦めることのなかった士道と狂三の前に、十香は想いに応えるように立ち上がったのだ。

 

「……【三の弾(ギメル)】。内的時間の加速――――視えていたのかい? 十香が生きていることが」

 

 と、一矢報いられる形になった澪が、狂三へ向かって声を発した。狂三は、澪に対し肩をすくめながら答える。

 

「わたくしなりの直感、ですわ。あの子の意識が澪さんに干渉している以上、同じ(・・)十香さんの意識が存在している可能性に行き着くことは必定。ならば、答えは自ずと見えてくるものですわ」

 

「ほう……」

 

「わたくしからすれば、たかが分身の一人に今さら踊らされる澪さんのお姿は、まさに傑作でしたけれど」

 

 煽るように挑発的な笑みを浮かべ、軽く腕を振り投げ打たれた分身を影へ戻していく。その分身も、澪を小馬鹿にするような微笑みを浮かべている辺り、『狂三』は狂三らしいと士道は十香と苦笑を零した。

 だが、事実その通りなのだ。千変万化の〈贋造魔女(ハニエル)〉があったとはいえ、分身は狂三の戦術における初歩中の初歩。あの令音と同一である澪が、よりにもよって狂三の分身戦術を失念していた、など士道にとっても信じられなかった。

 

「……未来視に気を取られて、君の本質を見誤っていたようだ。君の資質は、その強かな精神にある。狡猾、と言い換えるべきかな?」

 

「きひひひひッ!! 澪さんの貴重な負け惜しみとして、受け取って差し上げますわ」

 

「……ああ、そう取ってもらって構わないよ。難儀な話だ。真っ先に排除すべき親愛なる友を、最後に残さなければならない――――だとしても、結果は変わらないがね」

 

 反省した素振りを見せながら、狂三の皮肉へ対応するように返す澪。

 士道は、そんな澪を見て眉をひそめる。今まで、何をしても余裕の態度を見せていた澪が、どこか対応や返答を変えている……そんな気がしてならなかったのだ。

 しかし、未だ戦いを止める気配など微塵も感じさせず、澪は視線を狂三から十香へと移し、声を発した。

 

「……そして――――十香。やはり、君か。……ああ、そうだろうね。もしも私に立ち向かう者がいるとするなら、それはきっと君だと思っていたよ」

 

「何……?」

 

 言葉への疑問から、士道は訝しげに声を返す。同時に、ある一言が思い起こされる。

 

 ――――少なくとも、狂三ではなかった。

 

 そうだ。澪はあの時から確信していた。狂三ではなく、十香を見ていた。もっとも自分を脅かす時間遡行を持つ狂三ではなく、可能性は十香にあると。

 その理由を知っているように答えたのは、他ならない十香だった。

 

「詳しくは私もわからないのだが……私は――――皆とは違う精霊らしい」

 

「違う……精霊?」

 

 新たな疑問に、今度は澪が答える。どこか、感慨深さを感じさせる声音で。

 

「……私は自分の力を十の霊結晶(セフィラ)に分け、人間に与えて精霊を造った。……けれど何の因果か、その霊結晶(セフィラ)の中に一つに、自我が芽生えてしまったのさ――――あたかも、私が生まれたその時のようにね」

 

「っ、まさか、それが……」

 

「……シン、君も――――いや、君たちも気づいていたのではないかな? 他の精霊と、十香、そしてあの子の差異に。他の精霊が持っていて、二人が持っていなかったものに」

 

 何を、と言いかけて、士道は飛来した思考に肩を揺らした。

 十香と白い少女。他の精霊にあって、二人が持っていなかったもの――――――

 

 

「――――名を、持ち合わせていなかった。わたくしと出会ったあの子も、そうでしたわね」

 

 

 そう。十香と出会い、狂三の過去を視た士道は知っている。二人は精霊たちの中で特異な例外として、名前を持っていなかった(・・・・・・・・・・・)のである。

 あって当然のものがない、その違和感。十香は名を得て、白い少女は当人が気にする素振りを見せずに風化させていった。今ここで、忘れ去っていった二人の共通点が結びついた。

 

「…………」

 

 狂三が告げた事実を知ってなお、十香の目に迷いはなく、動揺もなかった。それを既に、知っていた(・・・・・)かのように。

 迷いの全てを振り切りながら、十香は鋼鉄のように硬い意志を言葉に乗せた。

 

 

「――――困惑は、ある。名を持っていなかったことに苦しんだことも、ある」

 

 

 名は、他者に〝自分〟を示す大切なものだから。

 

 

「だが私は今、その事実に感謝している。私は、名を持っていなかったから、シドーに名を付けてもらうことができた。私は、人間でなかったから、こうしてシドーと狂三の前に立つことができた!!」

 

「十香――――」

 

 

 気高き決意と、覚悟。そこには、名を持たず彷徨う悲しき精霊の姿はなく――――ただ一人、夜刀神十香という絶対的な仲間の姿があった。

 感極まるとは、まさに今の士道のことを言うのだろう。力が全身へ行き渡り、みなぎっていく。それは狂三も似たようなもので、お互いに頷いて十香と並び立つ。

 十香もまた、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構え――――油断こそすることはなかったが、ふと狂三へ声を発した。

 

「そうだ、狂三――――通りすがりの人から、言伝を預かってきた」

 

「……え?」

 

「……っ!!」

 

 狂三は一度言葉を失ったように反応が遅れ、澪は(・・)、本気で驚いているのか息を呑んだ雰囲気が伝わってくる。かくいう士道も、驚きながら十香の言葉に反応を示す。

 

「通りすがりの人――――〈アンノウン〉から……!?」

 

「うむ。何やら自分は消え損ねた残滓、のようなことを言っていたが、そやつから狂三へ――――最後まで共にいれなくて、ごめんなさい。あなたの幸せを願っています、と」

 

「――――――」

 

 なんだ、それは。伝える十香も、剣の柄を握りしめ何かしらの感情を押さえつけている。恐らく士道と、同じだけの感情を。

 死んだことへの後悔でも、自らの死に対する言葉でもなく――――死を受けて入れて、狂三との約束を完遂できなかったことへの謝罪を、伝えたかったと?

 

「あの……子、は……っ!!」

 

 もっとも言いようのない感情の渦に呑まれようとしているのは、誰でもない狂三だった。

 自らを律するように吐き出し損ねた、白い少女に今の狂三(・・・・)が伝えたかったはずの何か。

 『時崎狂三』は、悲願のために少女の命を見捨てることを良しとした。白い少女も、それを間違いなく受け入れていた。

 

 そうしてまで……狂三の代わりに死してなお、あの少女は狂三を想っている。自らを無くして、それでも消えかけた残滓でさえ、狂三の幸せだけを願っている。

 

「――――そう、か」

 

 もう一人、この場に別の感情を持ち合わせる者がいた。

 彼女は、澪は、どこか読み切れない感情の束を吐き出すように、紡いだ。

 

 

「……あの子が『私』になって、それでも――――狂三、君はあの子の愛を受けるんだね」

 

 

 それは、人で言う――――〝嫉妬〟。そのようなものに、数えられる気がしてならなかった。

 

「……なぜ君とあの子は出会ってしまったのか。かつての私の選択に、もう一つの後悔があるとすれば、知らずにあの子を君へ授けてしまったことかもしれない」

 

「あら、あら。女の嫉妬は、見苦しいですことよ」

 

「……君に、それを言う資格はないんじゃあないかな――――あの子を見捨てた、時崎狂三には」

 

 澪の言葉は、狂三の心へ突き刺さるものだろう。事実、士道しか気がつけないほどの微かな動揺が、狂三の顔に現れていた。

 けれど、士道は知っている。だから口を出すことをしない。

 『時崎狂三』ならば、澪の言葉を受け入れるしかなかった。だけど――――今の狂三は、絶対に違う。

 

 

「いいえ――――今の(・・)わたくしだから、言えるのですわ」

 

「…………」

 

「あなたを超えて、わたくしはあの子へ会いにいきますわ。何もかもが、わたくしとあの子には足りなかった。けれど、遅いなんてことはありえませんの――――わたくしのこの手に、〈刻々帝(ザフキエル)〉がある限り」

 

 

 そう、迷いという感情を見て見ぬふりするのではなく、迷いを振り切った時崎狂三は真っ直ぐに宣言した。

 『時崎狂三』は白い少女と分かり合うことはなかった。分かり合うことはできなかった。共犯者であっても、理解者であっても、それ(・・)だけは得られなかった。

 でも、今こうして、狂三が違う道を選べたのなら――――言えるはずなのだ。伝えられなかった、簡単な一言が。

 消えてしまったなら手遅れだと、人は言うだろう。しかし、狂三は違う。時の女王だけは違う。やり直せる(・・・・・)。それを背負う覚悟がある――――共に背負える、士道がここにいる。

 

 

「……不可能だよ。私が、この世界に立っている限り」

 

 

 それを不可能だと選定した神と見紛う少女は、細く息を吐き、両の手を天に翳す。

 応答して花のような天使が天へ、地から無機質な天使な大樹が顕現した。

 花開いた天使の名は『死』の概念を司る〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉。だが、空間を膨張させている大樹は士道が見たとこのないものだ。十香はそれを知っているのか、視線を鋭く声を発した。

 

「気をつけろ。あの天使は――――」

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉――――空間を小規模の〝隣界〟へと塗り替え、自在に法則を操ることができる天使、でしょう?」

 

「な、知っていたのか!?」

 

 こくりと頷いた狂三に十香は目を見開いて驚いているが、士道はその名を狂三から聞くのは二度目で、何となく理由を察していた。『狂三』から伝えられ、〝視た〟ということだろう。

 しかし、狂三が知っていることに対する驚きはないが、その天使に対する驚きは存分にあった。狂三の口からそんな理不尽な説明がなされると、なおのこと汗が滲むというものだ。

 

「……なあ、それって滅茶苦茶ヤバくないか?」

 

「滅茶苦茶ヤバい、ですわねぇ」

 

「ああ、ヤバいぞ。――――二人とも、諦めてしまったか?」

 

「まさか」

 

「諦めていたのなら、十香さんを起こしたりなどいたしませんわ」

 

 汗を拭う士道と、相も変わらず余裕な微笑みを浮かべる狂三。それを見て、十香は唇の端を吊り上げ――――地を踏み砕いた。

 

「うおおおおおお――――ッ!!」

 

 裂帛の気合と共に放たれる剣閃。三日月の衝撃波が澪へと迫っていく。澪は以前と変わることなく、それを受け止めようと手のひらを翳した――――が。

 

「……!!」

 

避けた(・・・)。何かに気づいたように、剣撃が触れる瞬間、逃れるように身体を反らす。

 鼻先を掠める剣閃――――士道たちは目を見開いた。

 

「な……!?」

 

 士道の驚嘆は、それまでの澪を考えれば当然のこと。澪が攻撃を避けただけに留まらず、十香の放った斬撃は、一部とはいえ澪の霊装を切り裂いた(・・・・・・・・・・)

 攻撃が、通った。それには狂三も、さらに攻撃を放った十香自身でさえも目を丸くしていた。

 

「おおっ!? やったぞシドー!! 攻撃が通ったぞ!!」

 

「あ、ああ!! けど、どうして……」

 

 ほんの擦り傷。だが、その擦り傷はありえないものだった。精霊たちの全力の攻撃、攻勢は、ただの一度もその障壁を打ち破ることは叶わなかった。

 それを、十香が放った霊力の斬撃。それも【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】すら無しに、澪に回避という択を取らせて見せたのだ。喜ぶな、という方が無理な話だ。

 だがどうして……そんな疑問もまた、当然のように浮かんだ。

 

「これは、この力は……」

 

「……!!」

 

 小さく驚きを顕にして呟いた狂三を見て、士道は変化に気づく。狂三の左目の時計が、幻覚のように恐ろしい速さで回転していた。

 いいや、幻覚などではない。確かに回転している。まるで、十香の力を〝観測〟した〈刻々帝(ザフキエル)〉が、新たな未来(・・・・・)の事象を測定しているかのように。

 

「狂三、十香!!」

 

「ええ」

 

「うむ!!」

 

 このチャンスを逃してはならない。士道の呼び掛けに、二人はそれぞれの武器を構えて澪を見据える。

 圧倒的な力を持つ始源の精霊。それに傷を付けられる十香。理由はわからないが、これこそが蟻の一穴になる。漠然とそんな考えが浮かんだ。

 士道以上に、狂三がそのことに気づいているのは言うまでもないだろう。十香、士道と並び立った狂三は、今一度チームを纏めあげるように声を発した。

 

「アタッカーは十香さん、あなたですわ。必要な時はわたくしが指示とフォローを行います。十香さんは迷うことなく全力で、本能の赴くままに暴れてくださいまし。どのようなことがあろうと、わたくしは必ず十香さんに追いついてみせますわ」

 

「よし、任せろ!!」

 

「士道さんはわたくしと十香さんのサポートですわ。惜しみなく、応援(・・)と参りましょう」

 

「よっしゃ!!」

 

 拳を手のひらに叩きつけ、士道は己の中にある霊力を一気に練り上げる。気合いも想いも、十分すぎるほどみなぎっていた。

 

「……なるほど。これは、少々厄介なようだ」

 

 微かに表情を動かす澪。未だ焦りの色は見られないが、それでも余裕の一つは崩すことが叶っているようだ。視線に確かな警戒の色を以て、澪は声を発した。

 

「――――失礼をした、十香。既に君の力は、狂三の眼と同列に扱うべきだと判断した。全霊を以て、シンを君たちから奪い取ろう」

 

「そうはさせん!! シドーは――――」

 

「させませんわ!! 士道さんは――――」

 

 全く同時。歴戦の相棒のように叫び、動きすら共に地を蹴った二人。

 

 

士道は(シドーは)わたくしたちのものですわ(私たちのものだ)!!』

 

「へ……っ?」

 

 

 その予想外の言葉に――と、珍しい呼び方に――一瞬思考を停止しかけたが、そんな場合じゃないと思い直して、為すべき役割を全力で全うするべく天使を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 目にも留まらぬ超神速の斬撃。如何に【一の弾(アレフ)】の力で速くなろうと、先程までの十香であれば取るに足らない攻撃。

 しかし、剣の天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の剣撃は、澪の防護と霊装を切り裂くに足る力を得た。その閃きは、真の意味でこの世のあらゆるものを切り裂くことができる。

 

「……そうか、これは」

 

 光の帯を操り神速の剣撃に応戦する澪には、この驚異的な力の出処がわかっていた。

澪自身(・・・)だ。もっと正確に事を把握するのであれば、澪と、他の精霊たちの霊力。脱出の際、それらを少しずつ奪っていったのだろう。

 それによるイレギュラーは、澪を傷つけるだけに留まらない。十香は澪の霊力を保有している――――逆説的に、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉による縛りを受けることはない。

 精霊を殺し得るのは、精霊。始源の精霊を脅かし得る力もまた、始源の精霊から力を得た存在ということだ。

 

「……よもや君が、私の力を奪うとはね」

 

 誰にも聞かせることはない小さな独白。苛立ちと、不可思議な思いが綯い交ぜになった言葉。

 他の精霊と異なる生まれを持つ十香――――澪とあの子以外に存在する、純粋な精霊。

 澪と同じく無から生じ、澪と同じく名を持たず――――士道(シン)と出会ったことさえ、同じ。

 あの子とは、またベクトルが異なる澪の写し身。それが夜刀神十香という少女なのである。

 澪と同一存在であるあの子は、澪の中へ還った。けれど、その心は未だ狂三のためにある。そして、もう一人の写し身は澪の力を使い、澪の前に立ち塞がっている。

 運命の巡り合わせ。澪が紡いだ世界は、彼女たちの運命を結びつかせた――――この想いは、何と例えるべきなのだろうか。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

「〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉――――【枝剣(アナフ)】」

 

 激しい気合いと共に振りかぶられた剣を、虚空より呼び寄せた〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝で受け止める。

 どんな剣をも上回る天使の枝……けれど、受け止めた十香の剣は、この【枝剣(アナフ)】でさえ重みを感じさせる。

 澪の力を奪い取り、士道から〈破軍歌姫(ガブリエル)〉での集中支援。よもやこれほどとは――――だが。

 

 

「――――貫け、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 十香が扱っているのは、澪の力の一端でしかない。

 唱えた澪に従い、周囲の空間が歪み、そこから幾本もの〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の『根』が十香へと迫る。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の法は通じない。しかし、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉そのものである『根』で貫かれれば、今の十香といえども無事では済まない。

 

「……ッ!!」

 

 切り結んでいた枝から弾かれるように飛び退き、『根』を振り払う。だが〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の刃をもってしても、『根』は鞭のようにしなると執拗に十香へ追い縋る。

 

「……逃がさないよ」

 

 手を掲げ、複数の『根』を十香の身体目掛けて伸ばし切る――――完全に捉えた。

 十香の直感は、『根』がどのようなものかを理解しているはずだ。そして、この『根』が避けられないものだとも。けれど、その顔に動揺はなく、焦りも現れていない。

 何故か。それは、『根』に向かって放たれた黒い銃弾(・・・・)が理由を明確にした。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――【七の弾(ザイン)】」

 

 法を犯す、絶対時間の力。全く別の動きを伴う『根』の挙動を完璧に読み取った狂三の、正確無比な連続射撃。

 狂三の力もまた、十香と呼応するかのように引き上げられている。その瞳で観測した力の全てを、影の領域に引きずり込まんとするかのように。

 

「――――【枝剣(アナフ)】」

 

 だが、澪とて負けるつもりはない。見事窮地を退けて見せた十香へ、追撃の枝を伸ばし刃として迫らせた。避けられることを想定しての攻撃だ。超神速で澪の周囲を駆ける十香へその刃は合わせるように迫り――――刹那、十香の動きが揺れる(・・・)

 

「……!!」

 

 否。揺れたのではない。遅くなった(・・・・・)。超神速から、鈍足の世界へ。十香の動きを予測して貫かんとしていた枝が、それによって狙いを逸らされ虚空を凪ぐ。

 

「はあああああッ!!」

 

 次の瞬間、鈍足だった十香は空中で再び超加速し、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を澪へ直接叩きつけにくる――――既のところで、新たに伸ばした枝で剣を受け止めた。

 

「く……!!」

 

「っ……」

 

 互いに顔を歪ませ、力は拮抗する。

 これは、危険だった。一瞬遅ければ、十香の刃は澪に届いていた。援護した狂三も、恐らく届くと〝予測〟していたのか、構えた銃口の裏で僅かながら顔をしかめているのが見て取れる。

 今のは――――【一の弾(アレフ)】を打ち消すほどに込められた、【二の弾(ベート)】の停滞の力か。

 ほんの一瞬、十香の動きを鈍らせ、澪の攻撃を空振りに終わらせる。しかし、【二の弾(ベート)】には運動エネルギーを保持する性質がある。そのため、一瞬あとには超神速の十香が再び澪を襲うという算段。

 

「ぬお……っ!?」

 

「…………」

 

 見事な連携だ。十香を一度力技で弾き飛ばし、狂三を一瞥する。

 十香と狂三は、能力上の相性(・・・・・・)がいい。これは、幾度かの戦闘で二人が組んだ事例から周知の事実といえる。

 単純明快であり精霊屈指の破壊力を持つ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。

 複雑怪奇であり精霊屈指の利便性を誇る〈刻々帝(ザフキエル)〉。

 完璧に使いこなすが故に、両者が互いにないものを理解し、与え合うことができる。

 ――――いや。今十香と狂三を繋いでいるのは、そのような理屈ではないのだろう。

 

『……!!』

 

 僅かな仕草と、一瞬にも満たない視線の交差。それだけで、互いが何を求めているかを手中に収める。

 並大抵の技術ではない。お互いの信念が繋がり、高め合う(・・・・)。自分たちの優れている部分へ追いつけるよう、相手を成長させる(・・・・・)

 狂三の瞳が進化し続けているように、十香の神がかった獣の本能、直感と表現するべきそれが、未来予知の領域へ引き上げられる(・・・・・・・)

 

【――――――!!】

 

 二人の精霊――――その中心で結びつくのが、澪が目を向けた士道という少年なのは、全く因果な話があるものだと無意識に笑みが零れた。

 たった三人に、澪が圧され始めている。だが、同時に確信した――――狂三の未来予測は、まだ澪を捉えきれていない(・・・・・・・・)

 

「……〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 『根』を再び召喚し、十香へ。当然、狂三はその軌道の全てを見切り、十香の道を開く――――それが狂三にとっての最大の隙となる。

 

「……そこだ」

 

 前もって狂三の死角に仕込み(・・・)を入れていた。十香への攻撃と同時に、それを起動させる。

 狂三の数少ない欠点は、その身体能力だけは精霊の中でも特異ではないことにある。それを補うための分身が澪という圧倒的な暴力に意味をなさない以上、如何に彼女といえど、自らに対する警戒が遅れざるを得ない状況で、死角からの攻撃は避け切れるものではない。

 空間が歪み、狂三の背後から『根』が高速で伸ばされ――――次の瞬間。

 

「狂三!!」

 士道が突然、狂三の背後を庇うように躍り出た。

 

「士道さん!?」

 

「……っ!!」

 

 驚いたのは狂三だけではなく、澪もだ。微かに肩を震わせ、咄嗟に『根』の軌道を二人を囲い込む形に修正する。

 もとより、狂三を深く傷つける気はなかった。それに、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を持つ士道は狂三以上に死なない保証がある。そのために、澪は治癒の力を持つ〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を最初に託したのだから。

 でも、出来なかった。澪に士道を傷つけることなど、不可能に等しい。あの子(・・・)が狂三を傷つけることが出来ないように、澪も士道を傷つけることは出来ない。

 そしてよりにもよって、この瞬間――――澪の脳裏には、三十年前に見た最悪の光景が過ぎってしまったのだ。

 

「……く――――」

 

 その苦しみから表情を歪めながらも、澪は『根』を操り狂三と士道の身体をまとめて遠くへ投げ飛ばす。

 

「うわ……っ!?」

 

「ち……!!」

 

 声を上げて二人が地面へ転がっていく。これで数瞬、十香に届けられる強力なサポートは封じ込められた。

 しかし、予想だにしない動きを強いられた澪の思考に、僅か一拍の隙が生まれる。

 僅か一瞬。だが、されど一瞬。今の十香にとってこの一瞬は、最大最高の好機足りえた。

 

 

「――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!!」

 

 

 天使を謳い、踵を地面に叩き付ける。応じるは、女王の証である巨大な王座。モノクロの世界を犯す、女帝の座。

 ――――【最後の剣(ハルヴァンへレヴ)】。

 極限にして最強。必滅にして究極。澪を除く全精霊の中でも、突出した火力を持つ研ぎ澄まされた一撃。

 決めにかかるなら、それしかないだろう。以前の十香ならいざ知らず、今の十香が振るう究極の一は澪を滅ぼす可能性を秘めている。

 

 

「〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉――――【蕾砲(ヘネツ)】」

 

 

 だからこそ澪は、読み取った動きに対する切り札を切る。

 突き出した両手に、手の平大の球体を呼び出し、花開いたその中心から『死』の光を放った。

 極死の蕾。『死』の礫とは比べ物にならない威力を誇るそれは、霊力の加護で無視できるものではない。

 切り札となる最強の一撃。それ故に重大な欠点を抱えている。攻撃までに展開を必要とする、そのプロセスこそが唯一の隙。

 王座を呼び出し、分解し、剣に纏わせ、振り上げる。

 狂三の時間加速による恩恵を受けられるのは、十香のみ。新たに呼び出された天使は、また新たに撃ち込まれた銃弾がなければ、超神速の十香が求める速度についてはこられない。

 澪が狙ったのはその乖離し無防備になる状態。狙い通り、十香は王座を分解し、そして――――――

 

 

「――――【(レートリヴシュ)】!!」

 

「……なに?」

 

 

 澪の知らない名が轟き、思わず眉根を寄せた。

 剣ではなく、全身に(・・・)天使を纏う。その様は城を護る騎士の鎧を思わせた。

 それをもってして、十香はすんでのところで〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉の光線を避けてみせる。

 四糸乃の【凍鎧(シリヨン)】を思わせる十香の新たな(・・・)姿。

 天使の権能は一つではない。属性の違いはあれど、力の発現は霊結晶(セフィラ)の所有者に委ねられる。そして、その者の意志によっては、霊結晶(セフィラ)は新たな輝きを放つことがある。

 澪の想定を超える可能性――――狂三がそうであったように、十香また同様の感情(・・・・・)によって天使を変質させた。

 

「な――――」

 

「はあああああああああああ――――ッ!!」

 

 金色に輝く王座の鎧を身に纏い、力と超神速を以て〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の『根』と『枝』を難なくすり抜け、十香は澪へと肉薄する。

 全力の一刀。避けられるはずもなく、受け止められる速度ではない。袈裟懸けに切り払われたそれによって飛び散る――――鮮血。

 

 

「――――――」

 

 

 痛い――――あの子と同じ、痛み。そんな単純な痛みが、霊装を切り裂き、傷つくことのなかった澪の肌を赤く染め上げる。

 衝撃波が叩き付けられ、裂傷から血が吹き出す。

 嗚呼、そうだ。澪があの子と違えるしかなかった感覚――――本来あるべき、痛み(・・)。それを今、生まれて初めて感じ取った。あるべきものを知らなかった澪に、初めて痛みを与えたのが、自分の娘であり分身とも言うべき存在。

 些か、出来すぎた因果だ。奇妙な感動と陶酔感に満たされる――――右手を、前に突き出す。

 

「……見事だ、十香」

 

 この上ない喝采を。十香の気高い心は、仲間が殺されても、自分が取り込まれたとしても、折られることはなかった。

 

 

「……その気高き心に、想いに、最大限の敬意を表する――――私も、それに応えよう」

 

 

 存在するが故に、逃れられないものがある。

 天も、地も、等しく無意味。

 

 それを、唱える。

 澪が持つ最後の天使――――唯一、純粋な姿であの子と全てを同じとする、天使の名を。

 

 

 

 

「――――〈   (アイン)〉」

 

 

 

 

 瞬間。

 

 『無』が、世界を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!!」

 

それ(・・)は、光と表現することしかできないもの。

 十香が王座を纏い、澪へ斬りかかった――――そうして、世界は光に包まれた。

 

「十香……っ!!」

 

 澪によって吹き飛ばされていた士道は、目を覆い十香の名を呼んだ。祈るように、そうすることしかできなかった。

 十香の一撃は、確かに届いていた。士道にはその確信があった。十香ならば、という気持ちもあったが、光が溢れる一瞬前、士道は〝観測〟した。同時に、士道を支える狂三も――――――

 

 

「――――――」

 

 

 士道のように目を覆うことすらせず、瞠目したその瞳で〝観測〟していた。

 狂三には、わかっていたのだろう。この光の意味(・・・・・・)が。

 

 数秒か、数分か。士道が目を開けた先には、澪の姿があった。霊装を切り裂かれ、身体を血で染め上げた彼女の姿が。

 

「……!!」

 

 シンとして感じる澪への感情。士道として感じる十香への賞賛。それが自身の中で混ざり合っているのがわかった。

 十香の刃は、澪を脅かすほどだった。その事実に凄まじい情動が押し寄せて――――致命的な違和感に、気がつく。

 

「十、香……?」

 

 十香が、どこにもいない。何が起こった。一体、この瞬間に何が――――――

 

 

 

「――――〈   (アイン)〉……」

 

 

 

その名(・・・)が、澪ではなく時崎狂三から零れ落ちたことに、士道は全身から総毛が立つ感覚を覚えた。

 知っている? 否、知らなかったはずだ。けれど、聞いたことはあった(・・・・・・・・・)。ただ、士道が認識できなかった(・・・・・・・・)だけで。

 澪は、狂三からその名が零れたことに対して、細く、長く息を吐いて、視線を向けた。

 

「……まさか、この天使さえも〝観測〟してしまうなんてね」

 

「っ、……『無』の、天使……」

 

 苦しげに、この世ならざるものを吐き出すように、狂三が左目を抑えて言葉を発する。

 無の天使。禁忌の名を、狂三は知った。狂三は観測した――――もたらす意味さえも、視た(・・)

 

「……そう。十香はもういない(・・・・・・・・)

 

「……何……、を……」

 

「無の天使〈   (アイン)〉は、あらゆる条理を無視し、全てのものを『消滅』させる。敢えて、もう一度言葉にしよう――――十香はもういない。この世のどこにも」

 

「――――――っ」

 

 十香は、消えた(・・・)。言葉にすれば、ただの一息。たったそれだけの事柄。でも、士道には上手く理解ができなかった。

 

 

「もちろん、十香が持つ霊力も一緒に消えてしまう。それに、狂三の予測領域をこれ以上広げたくなかったから、使うつもりはなかった……でも、あの十香を確実に仕留めるには使わざるを得なかったんだ――――奥の手を晒さなければならないほど、十香は私を追い詰めた。どうか十香を褒めてあげて。彼女は、君への想いだけで、自分の限界を超えてみせたんだ」

 

 

 ――――傷口が再生していく。

 掲げた手で傷を撫であげる。それだけで、十香の生み出した傷が塞がっていき、切り裂かれた霊装が再び濃密な霊力を伴って元の形へ戻る。

 そうして澪は士道から視線を外し、座り込む狂三へ見下ろすように視線を向けた。

 

「――――私の全ての天使を、狂三の予測領域に収めた。その事実は驚嘆に値する。だが、終わりだ(・・・・)

 

「っ、わたくしは……!!」

 

「君には視えているはずだ。この先の結末が、未来が」

 

 未来視とは、望む未来を引き寄せるだけではない。望まぬ絶望(・・・・・)を引き寄せる力でもある。

 幾度も、未来を目にした士道はそれが理解できる。一秒後に崩れ去る、自分たちの世界。足場さえ確かでない、未来の光景。希望と絶望は、表裏一体。

 今この瞬間、十香を失った狂三の瞳には、果たしてどのような絶望が浮かび上がっているのだろう。士道を失ってしまう――――どれほどの恐怖が、狂三を支配しようとしているのだろう。

 

「っ……、ぁ……」

 

 気丈な狂三が、両の足を挫いて、立てなくなるほどの絶望。人より先を知ってしまえる、おぞましい恐怖――――それでも狂三は、手に持った銃を手放すことなく、前を見ていた(・・・・・・)

 だから士道は、狂三の前に立つ(・・・・・・・)

 

「――――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉」

 

「……」

 

 士道と狂三に勇気を示した十香の剣を構えて、澪の前に立ち塞がった。

 

「……無駄だよ。狂三の心は、たった今折れた。君がどう足掻こうと、結末は変わらない」

 

「いいや、折れてなんかない。仮に折れたとしても、俺がいる限り、狂三は絶対に諦めない――――だから俺も、諦めたりしない!!」

 

 士道は無敵の精霊に向かって、そう吠えてみせた。

 何も変わらないのかもしれない。振り出しに戻ってしまった。復活した希望さえ、打ち消されてしまった。

 それでも、諦めない。十香に、精霊たちに、誓いがある。決して、絶望を受け入れたりしないと――――狂三と二人で、ハッピーエンドを迎えてみせると。

 

 

「――――君たちの気高い魂に、賞賛を。でも、全ては無駄な抵抗だ。今の君たちに何ができる? 君が隙を作り、【一二の弾(ユッド・ベート)】で過去を変える? 確かに狂三の本質(・・)はあの弾にある。しかし、無意味だ。今の『私』が存在する以上、結果は何も変わらない」

 

「――――それでも!!」

 

 

 それでもと、士道は叫び続ける。

 

 

「それでも、結果は何も変わらない」

 

 

 それでもと、澪は否定を続ける。

 

 

「――――え」

 

 

 そして、ありえない光景(・・・・・・・)に、狂三が声を発した。

 

「……何?」

 

 澪が訝しげに眉根を寄せる。モノクロの世界、崇宮澪の〝世界〟に生まれた、その光景。

 

 

「……ゆ、き?」

 

 

 雪が、降り注いでいた。

 

 そして、気づく。頭上から迸る()に。高熱を帯びた、雪と見紛うもの――――即ち、白い炎(・・・)が現れたことに。

 

 

「ぁ……」

 

 

天女(・・)は――――『天使』は、舞い降りた。

 

 かつて、士道と狂三は〝彼女〟を見た。たった二人だけの戦場で、〝彼女〟はあの瞬間、有り得ならざる力を纏い現れた。

白い炎(・・・)を纏いし和装。白い両翼(・・)。炎熱の帯さえも白く、特徴的な戦斧さえも白く、何もかもが白く――――唯一、その赤髪だけは見間違えるはずもなく。

 

 

「少し――――遅刻しちゃったかしら」

 

 

 女神が如き美しさを持った少女が、軽々と言葉を発する。

 まるで、デートに遅れてしまった時のような重さのそれは、士道を、狂三を、澪を、驚愕に落とすには十分すぎるものだった。

 

 

「――――琴里」

 

 

 それは、幾度となく聞いた村雨令音(・・・・)としての、呼び方だった、気がした。

 口元を緩ませた〝彼女〟は、白と黒のリボン(・・・・・・・)で赤髪を結んだ――――士道の妹であり、狂三の友であり、令音の親友である五河琴里(・・・・)は、変わらぬ言葉を、希望と共に送り出した。

 

 

「さあ――――私たちの戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 

 




有り得なかった未来を引き寄せ、終局へ――――計画は止まらない。


ナチュラルに2万字超えました。ボリューミーな仕上がりになっていると嬉しいです。謎が明かされたような何なような。この道化者っぽい少女は久しぶりというか。文字通りの残滓なので、1番馴染みのある道化で再現されちゃったみたいです。天香ちゃんは王道ツンデレ……なの、か?

次回は少し過去を覗きましょう。白い炎を纏う琴里。その身に何があったのか。何が起こったのか――――計画とは何だったのか。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!
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