デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百八十九話『魔王へ囁くI love you』

 尽き果てぬ涙は、やがて執念へと変わる。

 彼の存在が全てだった。彼が生きているから、自分は生きていられた。自分は彼と会うために生まれてきたのだと、なんの冗談でもなく思っていた。

 故に、彼女は絶望した――――彼が死んでしまったのに、自分は生きていることに。

 その情動に耐えられるほど彼女は強くはなかった。彼女が人であるならば、そこで終わっていた。けれど精霊は、そんな小さな望みすら叶えてはくれなかった。

 願えば、叶う。神如き力を持った者が、ただ一つの小さな願いを、叶えることができない。否、強大であるからこそ、叶わない願いがそこにはあった。

 

 けれど――――――

 

「……もう、大丈夫。だって、君がいるから(・・・・・・)

 

 少女は、自らの腹部を優しく撫でた。

 

 それは希望。それは歪。それは、それは、それは――――希望と絶望は、表裏一体。

 長い時間がかかるだろう。構わなかった。彼女には無限の時間が備わっている。どれだけ時間がかかろうと、何を踏み躙ることになろうと、必ず。

 

「……ふふ」

 

 少女は微笑む。頬を伝う涙を、拭うこともなく。もう一度、生まれ変わる彼を撫でて――――――零れ落ちた涙に込められたものに、気が付くことすらなかった。

 

 彼女の涙は、希望と絶望を綯い交ぜにして。

 彼女の涙は、有り得ならざる結果を生み出して。

 

 

『――――――――――』

 

 

 流転する運命を、駆け巡る。意味を持たないのではない――――――意味を持っては、悲しすぎるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……っ!!」

 

 覚醒は唐突に、それでいて猶予など存在しない。状況を認識した瞬間、士道は勢いよくその場から飛び退いた。

 未来の世界で、澪と令音は同様の力を持っていた。あのまま接近していては、あの時行われた瞬間移動や記憶消去と同じ理屈で何かを仕掛けられる危険があった。

 

「…………」

 

 令音は、そんな士道を見て焦るでも迫るでもなく、ただ冷静に立ち上がるという選択肢を選んだ。ゆっくりと、至極落ち着いた様子で……未来の記憶(・・・・・)に、混乱するのでもなく唇を動かした。

 

「……ふむ、嫌われてしまったね。私の所行を思えば仕方のないことだが、君に拒絶されるのはなかなかにこたえるものだ」

 

 士道たちの危機であるというのに、その寂しげな声音は儚ささえ感じさせ、指一つで世界を滅ぼす精霊などではなく、恋人と喧嘩をしてしまった少女か何かを思わせ――――あの少女も、ローブの下ではこのような表情をしていたのかと、フッと頬笑みを浮かべ言葉を返した。

 

「……嫌ってなんかいませんよ。むしろ今すぐ抱きしめて、もう一度キスしたいくらいです」

 

 令音の一挙手一投足に気を払いながらも、士道は冗談めかして調子を崩さない――――言葉の裏には、偽りなざる本心があるのだが。

 真士の記憶は当然のものとして、士道自身、あのような仕打ちを受けてなお、令音を嫌うことができずにいた。

 

「……私だってそうさ。君が愛おしくてたまらない。君と再会したとき、衝動のままに君を抱きしめなかったのを褒めて欲しいくらいだ」

 

「なら、いい方法がありますよ。今ここで仲直りして、俺と、精霊たちと、みんなで一緒に暮らすんです。きっと毎日楽しいですよ」

 

「……ああ、それはとても魅力的だね。私がシンと出会っていなければ、きっと一も二もなく乗っただろう」

 

 迷いのない本心を、しかし令音はそれ以上の本心を以て切って捨てる。

 

 

「……だが駄目だ。私はシンと出会ってしまった。私は愛をしってしまった。シンのいない世界に意味などなく、シンのいない人生に価値などない――――精霊たちのことを好きというのも、偽らざる真実だ。けれど、再びシンと出会うためなら、私はその全てを捨てることができる」

 

「…………」

 

 

 幾度となくそれ(・・)を体験しているのに、その戦慄に肌が粟立つ。

 揺るぎのない覚悟。何を踏み躙ることになろうとも――――澪はそういう精霊だ。あの子と同じ(・・・・・・)、大切なものをわかっていながら、自らの望みのために他の全てを捨てることができる。

 令音を見つめながら、士道は思考を展開する。あくまで冷静に、的確に。物事を再度進める。

 もしも、上手くいかなかったその時は……しかし、士道の中にはまだ確証がない。さらには、――――の記憶を経路(パス)を伝って共有――てしまった。【六の弾(ヴァヴ)】――――遡行の使用すら――――見逃すとは――――

 

「……っ、う、く……?」

 

 断続的に思考を鈍らせる〝何か〟に士道は眉をひそめ、顔をしかめた。

 令音からの干渉――――否。彼女もまた、士道の急な変調を把握しきれていないようだった。

 この不可思議な現象と感覚。覚えがある(・・・・・)

 未来の世界で令音に呼び起こされた真士の記憶。自分のものではない自分の記憶を、主観として体感するような感覚。これは、その時のものと非常に類似している気がした。

 だが、真士の記憶は士道、そして狂三の中に既に呼び起こされている。ならばこれは一体……。

 

 ――――慟哭。絶望。悲しみ。希望。喜び――――?

 

 喜び。それは、零れ落ちる霊子と共に――――断片的な光景のピースの中にあった、それ(・・)は。

 

「……これ、は――――」

 

「……シン?」

 

 激しくなる頭痛に立っていられず、膝を突いた士道を令音が身を案ずる声音を零し、足を踏み込む――――――まさに、刹那。

 

「――――っ!!」

 

 明滅する視界に溢れる〝白〟。舞い散る白い羽。一瞬ののち、吹き荒れる風。

 痛む頭を支え、士道は顔を上げた。そこに飛び込んできたものは、絹糸のように艶やかな髪と、一対の翼。

 

 

「……君は――――」

 

「……さよならは、早すぎたみたいだね」

 

 

令音()少女()は、そうして鏡と向かい合うように相対した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 時間は、僅か数分遡る。空中艦〈フラクシナス〉の艦橋を支配しているのは、焦燥と狼狽、悲嘆と困惑。

 

「大丈夫か狂三!! しっかりするのだ!!」

 

「狂三さん……!!」

 

「……く、また……ですの……っ!!」

 

 そして、頭を抱えて蹲る狂三を案ずる声だった。

 狂三が突如として変調を見せ、驚いた精霊たちが駆け寄っていく。その変調に少女は眉をひそめた――――今まさに、モニタ内で士道が同じ反応を示していることも関係している。

また(・・)、と呟いた狂三。一息で少女は彼女の元へ馳せ、意識を朦朧とさせる彼女へはっきりと通る声で覚醒を促す。

 

「我が女王、その記憶は誰のものですか(・・・・・・・)?」

 

「っ……これ、は……澪、さんの、士道さんを――――?」

 

「っ……」

 

 少女の声に答えたのかすら定かではないが、零された断片的なワードからある程度の推察は可能だった。

経路(パス)による記憶の共有。今までにも見られた現象だが、士道と令音の間に繋がれた経路(パス)が狂三の特殊な繋がりとも通じてしまっている。

 あまり無理はさせたくはない。が、そうも言っていられないアラートが艦橋に鳴り響いた。

 

「司令!! 空間震警報が発令されました!!」

 

「なんですって……!? このタイミング、どうやってこっちの動きを……っ。とにかく、今すぐ士道の回収を――――――」

 

 忙しなく指示を出す琴里を見遣り、少女は今一度狂三へと視線を戻す。

 空間震警報。この状況下で、新たな精霊が現れるはずもない。恐らくは、あの男(・・・)が澪の動きに注視しているからこその……しかし、わざわざ人払いをするということは確証には至っていない。DEMはある程度、彼ら(・・)に任せていいだろう。

 問題は、やはり澪。決断が迫る中、少女は意を決して声を上げた。

 

「……待って、琴里。その前に、私を下ろして(・・・・・・)

 

「は? ちょっと、あなたまさか……!!」

 

 何かよからぬ方向に考えを至らせたのか、琴里は顔色を変え声を荒らげる。他の精霊たちも怒りの表情を見せ始めていたが、今回ばかりは濡れ衣だと少女は冷静に言葉を続ける。

 

「……違うよ。私が彼を迎えにいく。転送装置だと、あの人に妨害される危険もあるからね。それと、私なりに少しでも時間は稼いでみる。だから――――やれますよね、我が女王(・・・・)?」

 

 あくまでも、従者として。不意に放った言葉を、

 

 

「き、ひひひひ――――あなた、誰に物を言っていますの?」

 

 

 主として、狂三は睨むように瞳を動かし答えて見せた。

 額に脂汗を浮かび上がらせながら、恐るべき精神力で立ち上がった狂三に、精霊たちも半ば慄いたように声を発した。

 

「わーお、不死身かよくるみん……」

 

「ふむん、豪傑じゃの」

 

「殺しても死ななそうなのはわかるけど、それって褒めてる……?」

 

 些か乙女に向けるには不適合な羅列に、少女も苦笑を浮かべてしまう。そんな戯れも数秒、惜しむ時間を使い少女は未だ渋面を浮かべる琴里へ言葉を作る。

 

「……死ににいくつもりはないよ。私の霊結晶(セフィラ)、今はあの人に渡せない事情もあるし……こうなった以上、私も目的が増えたんだ」

 

「目的……? けど、作戦は――――」

 

 失敗した。琴里は、そう言いたいのだろう。いや、琴里だけではなく精霊たちも同じ意見だ。しかし少女は、首を横に振り否定の意を示した。

 

 

「……ううん。ここまできたなら、君たちはやり遂げなきゃいけない。それに足りなかったのは、ほんの一手――――いや、二手か」

 

 

 澪と、そして士道(・・)。どちらにも、あと一手ずつ足りないものがあった。それ故に、封印が不完全なもので止められてしまったのだ。

 ――――本当なら、即座に〝計画〟を戻すべきなのだろう。だが、あれ(・・)を見た少女は……今は、と頭を振って曖昧な考えを追い出す。

 

「……記憶の共有が行われたなら、我が女王を警戒していたあの人の半身もすぐに現れる。最悪の結果だけど、こうなった以上は――――マリア」

 

『はい』

 

 今度は正しく、彼女の望む呼び名で〈フラクシナス〉のAIに声を届ける。不機嫌もなく、この緊急時に落ち着いた声音で――AIの声に焦りが存在するのかは定かではないが――マリアが返してきてくれる。

 

「……〈黒の女王(クイーン)〉の他に、無理を承知で願い出があるんだけど――――頼まれてくれる?」

 

『その解答に、『YES』以外は存在していますか?』

 

「……ないかなぁ」

 

 自分のことながら、少々と困り顔でマリアの問いにそう愚痴を零した。ここで『NO』を突きつけられてしまうと、〝詰み〟の状況が発生してしまう。我ながら無茶な注文だと思いはしたが――――くすり、とAIとは思えない感情豊かな声が少女の鼓膜を震わせた。

 

『なら――――答えは『YES』です。心配の必要はありません。なぜなら、私は優秀ですので』

 

「うわぁ。誰よ、ロボ子をこんな自信過剰に育てた人。親の顔が見てみたいわー」

 

『漫画家にしてはあだ名のセンスがありませんね、二亜。少なくとも、あなたではありません――――と、常時泥酔者(フルタイムドランカー)に構っている場合ではありませんでした。琴里、決断を』

 

 軽い皮肉りあいの口喧嘩を挟み、マリアが琴里へ決定権を委ねる。そう、少女がどう願い出ようとこの艦の最終決定権は司令官である彼女、五河琴里にある。

 

「…………」

 

 空白。逡巡の色が浮かぶその瞳は――――しかし、一時を以て移り変わる。一度の瞬きを見せて、琴里は瞬時に決断を下した。

 

 

「いいわ……あなたは士道をお願い。私たちに出来ることがまだあるなら、戦いましょう。――――未来の私たちが託してくれた希望を、『なかったこと』にしないためにも」

 

『――――おおっ!!』

 

 

 一度潰えた未来を、まだ潰えていないこの過去(いま)で。

 再び、運命られた絶望と対峙する――――希望はまだ、潰えてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……少し、騒がしいね」

 

「……まあ、いいんじゃあないかな。最後くらい、観客は必要だもの」

 

「……招かれざる客、という言葉を知っているかい?」

 

「……知ってるよ。全部、『私』が知っていた言葉なんだから」

 

 まるで、歩くようなテンポを奏でて、令音と少女は言葉を交わす。

 士道の眼前で、令音と少女は相対していた。瓜二つで、だけど明確に違いがある。同じように見えて、違う。

 騒がしい――――空間震警報が発令されていると、士道はそこでようやく気が付いた。これほどの騒音に気が付けなかったのは、士道の意識がある記憶(・・・・)に持っていかれていたからだ。

 

「っ……」

 

 どうする。このままでは、士道どころか少女が――――痛みの引かない頭に意識を取られながら、それでも打開の策を探し続ける士道を、少女が僅かに視線を向けて微笑んだ――――気がした。

 

「……彼との逢瀬は楽しかった?」

 

「……ああ、とても。是非、君にも……そう思えてしまうほど、本当に」

 

「……そう。でも――――」

 

 一度言葉を切り、少女は……否。

 

 

『――――夢は、終わらせないといけない』

 

 

少女と令音は(・・・・・・)、全く同じだけ、同じ吐息、同じ時間、声を紡いだ。

 でも、同じであるのに。同じ声で、同じ人が演じた言葉であるのに――――同じ意味では、なかった気がした。

 

「……未来では、随分と〝おいた〟をしたようだね」

 

「……ん、こういう時だけお姉さんぶるのは、どうかと思うけれど。それは、お互い様じゃあないかな」

 

「……ふむ。返す言葉もないな」

 

 表情にほんの僅かな苦味を乗せ、冗談めかして調子を見せ――――ふと、その身を輝きに委ねた。

 

「あ――――」

 

「……士道、こっちへ」

 

 それを見て思わず士道は声を漏らす。トン、と軽く跳躍し宙へ浮遊した少女に抱えられながら、令音の纏う光の先を見つめる。

 光は、その一瞬のみ存在した。いや、令音の纏う衣そのものが光として存在している、と言うべきか。

 たおやかにして優美な、女神の如き霊装。少女とは様相の異なる背に負った翼と、色を失った十の星。分け身の影響か、少々形こそ異なるものの、それは紛れもなく始源の精霊の霊装。

 神なる者――――〈デウス〉。この時間軸で、遂にその姿を現した。

 

「……さて、どうしたものかな。これは私の〝計画〟。……そして、君の〝計画〟にも存在していない」

 

「……そうだね。彼と女王様の導き、なのかな?」

 

「……だとすると、君はそちらを選んだ、か」

 

 令音の呟きに士道は眉根をひそめる――――それは、彼女らしからぬ感情の起伏があったから。寂しさ、とでもいうのだろうか、とにかく複雑な感情を乗せているように感じられた。

 

「……私は、私の願いのために動く。あなた(・・・)を選んだら、それは叶わない。わかるよね?」

 

「……いいや。君が望むなら、私が狂三を生かす道を取ることも叶う。それなら――――――」

 

 なら、少女が令音に……澪と共に歩む道もあるはずだと。

 でもそれは、少女(わたし)ではない。そう告げるかのように少女は悲しげに首を振り、そして――――――

 

 

「駄目だよ。それは誰も幸せになれない。あの子は幸せになれない――――あなたは(・・・・)、幸せにならない」

 

「――――――」

 

 

 令音が息を詰まらせた――――刹那、少女は翼を羽ばたかせ、彼女の前から飛び去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 舞い落ちる白い羽根を見上げ、令音は目を細める。少女の行き先は、わかっていた。どの道、令音が未来を知った時点で逃れられる場所など限られている。

 

「……何を」

 

 何を、少女は言いたかったのだろう。無意識に、その疑問が零れ落ちた。少女は『私』であるはずなのに、どうして食い違ったのか(・・・・・・・・・・・)

 令音は真士に会う。そのために、この三十年の全てを費やした。幸せは、もう目の前にある。なのに、なぜ――――――

 

 

『――――未来のあなたは、ちゃんと笑えてる?』

 

「……おいで、『私』」

 

 

 未来において、狂三が既に観測を終えているのであれば、もはや自分自身を遠ざける必要はない。一度、狂三の観測領域に入れてしまったことへの警戒からだったが、こうなったのならもはや不要。

 

 未来と同じ行動を取り――――目を背けたまま、彼女は一つになって、空へと舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐ……!!」

 

 急激な気圧の変化と、人知を超えた速度。少女の腕に守られているとはいえ、人の身の士道は呻きを抑えることができなかった。

 

「な……」

 

 だが、その現象はすぐに収まった。少女が止まったわけではなく、とある距離に踏み込んだ瞬間、突如として士道の身体にかかる重圧が薄くなったのだ。

 この包み込むような感覚は身に覚えがある。以前、宇宙空間で活動できていた時と同じもの。即ち、たった今視界の大半を染める空の大海原を飛翔する影――――

 

「〈フラクシナス〉……!!」

 

 空中艦、〈フラクシナス〉の随意領域(テリトリー)の影響に他ならない。士道がその巨体の下方を認識した次の瞬間には、少女が艦体の上段、つまりは艦の外装に着地し足を落ち着けた。

 

「ありがとう、〈アンノウン〉。お前が来てくれて助かった」

 

 少女の手から自分の意志で外装に足をつき、助けてくれた少女への礼を述べる。一万五千メートルという目も眩むような高度で些か場違いではあったが、幸いにも随意領域(テリトリー)のお陰が、地上と変わらない環境で言葉を交わすことが出来ている。

 士道の礼を受け取った少女は、気にするなと言うように首を横に振りながら声を発した。

 

「……振り切ったわけじゃないから、あの人はすぐにくるよ。たぶん……こっちの準備と、ほぼ同時かな」

 

「っ、そうだな――――澪が、くる」

 

 士道の記憶を消して、真士と再会するために(・・・・・・・・・・)

 こうなって、しまった。士道の力が足りなかったばかりに。後悔に拳を握り、決意を新たに顔を上げる。

 澪は、必ずくる。未来の記憶を共有し、その目的を果たすために。もはや、伏せた説得は不可能。しかし、手にしたもう一つの記憶(・・・・・・・)により士道は確証を得た――――それを突きつけるために、士道が……。

 

 

「――――ごめんね」

 

 

 突然の謝罪が、そんな士道の思考を遮った。その主は、少女。精霊たちはまだ転移してきていないのだから、少女しかいない。

 

「〈アンノウン〉……?」

 

「……本当は、もっと早く言わなきゃいけなかった。私が、あの人に言わなきゃいけなかった。私はきっと、そのために……」

 

「っ……違う!! そうじゃない……そうじゃ、ないんだ……っ!!」

 

それ(・・)を思うと、目の奥に揺らぎが生まれる。少女の悲しき決意に、士道は首を振ってその肩を掴む。

 

「お前は、それを拒絶したからここにいる!! だったら、俺が……っ!!」

 

「……ううん。でも、それは『私』に夢を見続けさせていい理由にはならない――――君に言わせるのは、卑怯だよ」

 

 私だから、言わなきゃいけない。澪と少女。澪の本当の願い――――記憶が指し示す真実を。

 悲しい覚悟がそこにはあった。澪と同じ貌で、士道も真士も、そんな澪を見たくはなかった。

それ(・・)を少女に告げさせることは、恐ろしく残酷だ。澪に近しい存在である少女に、それ(・・)を告げさせるなど。けれど、澪に届けることができるのはこの世で士道と少女しかいない――――それを少女は、士道に言わせたくないと言う。

 

「……あの人は許されないことをした。悲劇があったとして、別の悲劇を人に押し付けていい理由にはならない。あの人だって、そんなことはわかってる。……私たちは受け入れなきゃいけないんだ――――それが、私とあの人の罪だから」

 

「っ……」

 

 三十年もの間、一途に真士を想い続けた澪へ、彼女の心を壊しかねない一撃をもたらす役割……士道にだって、その覚悟はある。けれど、士道も真士も澪と令音を慮る心でそれを拒んでもいる――――少女にそれを言わせることだって、嫌だ。

 二重螺旋は矛盾を描いている。士道は選ばなければならない。何かを、少女を止める何かを――――刹那の思考は、そこで終わりを告げた。

 

「――――!!」

 

 瞬きの間に、世界が移り変わる。夕陽に染まる雲海が、色を失ったモノクロの空間へ。

 それと同時、幾つもの淡い光が外装を照らす。それらが転送装置の光であることは、容易に窺い知れた。

 

「士道さん!!」

 

「狂三!! みんなも!!」

 

 霊装を纏った狂三と、限定霊装を展開した幾人もの精霊たちが姿を現した。〈囁告篇帙(ラジエル)〉を失った二亜以外の全員……そこには、戦斧を持つ琴里まで含まれていて、士道は目を見開いた。

 

「琴里、お前は……!!」

 

「大丈夫。少しの間なら平気よ……それに、この子の力で破壊衝動も抑えられるわ」

 

 琴里はそう言って、胸元に輝く白い光に手を当てる。その意味はわかる……少女の力を宿した〝お守り〟であれば、破壊衝動が抑えられる可能性がある。しかし、それでも――――続けようとして、士道は言葉を呑み込んだ。

 

「……わかった。無理はするなよ」

 

 出し惜しんでいられる時ではない。言ったところで聞きはしないのはお互い様、似た者兄妹(・・・・・)というのはこの過去と未来を繋ぎ合わせた連日、常に自覚させられていることだ。

 ニヤッと勝気な笑みを浮かべながらうなずいた琴里。精霊たちも覚悟を決めた顔で、それぞれの天使を展開した。

 士道は振り返る――――先に、彼女がいると確信をしながら。

 

 

「……澪」

 

「――――シン」

 

 

 彼女は、澪は、名前を呼んだ士道へどこか嬉しそうにそう返してきた。

 その所作、表情……一つ一つに心臓が締め付けられるような感覚を覚える。

 

「…………」

 

 虚空に漂う澪の頭上には、中心に少女を包んだ花が、背後には幹に少女を抱いた大樹が。

 〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉。死と法の天使。現実という常識を犯す両翼がその姿を見せている。澪もまた、この時を以て全てを決するつもりなのだ。

 

「……ねぇ、『私』」

 

「〈アンノウン〉!!」

 

 だから、前へ進み出ていった少女を見て、士道は手を伸ばした――――その手が、愛おしい手に止められる。

 

「っ!!」

 

「……」

 

 無言で首を振る狂三を見て、士道は僅かに躊躇った。それでも、少女に言わせたくないという気持ちと、少女の覚悟を尊重する狂三の気持ち。板挟みになり、身動きが取れなくなる。

 

「……『私』は、『私』だよ」

 

「……?」

 

 握りしめた手を胸に押し当て、少女は震えていた(・・・・・・・・)。そのことに、はたまた意図を読みかねてか、澪が訝しげな顔を作る。

 

「……『私』は、『私』の気持ちがわかる。でも、〝私〟は違った。『私』はシンを見ていて、〝私〟は士道を見ていた。……どうしてだろうね。〝私〟は、『私』として生まれたはずなのに」

 

「何、を……」

 

「……『私』はあなた。あなたは『私』。……ごめんね。〝私〟が言わなきゃいけなかった。ずっと、あなたと向き合うことから逃げていた。価値のない〝私〟に、目を向けてくれたのは『私』だったのに……そんな『私』を悲しませるのが、怖かった(・・・・)

 

 理解が及ばない――――理解を拒む(・・・・・)。澪の心に、少女()の言葉が突き刺さる。

 目を背けることはできない。粛々と、残酷な真実へと言霊は進み続ける。

 

「……彼との時間は、幸せだったんだよね。終わらない悪夢を、忘れられるくらいに」

 

「……!!」

 

「……わかるよ。『私』のことだもの――――わかるから、違う(・・)

 

 同じであるのに、違う者を見ている。同じ存在であるはずなのに、違う視点を持ってしまった。

 それは――――澪の目的を否定する、澪自身の矛盾。

 

「……精霊の霊力を封印するためには、精霊に心を開いてもらう必要がある。そう決めたのは『私』。……だけど、心を開いていたはずの『私』の霊力を、士道は封印できなかった――――――」

 

 言葉が、一度途切れた。ああ、止めたい。滲みそうになる涙を必死に抑える。本当に泣きたいのは、きっと士道じゃない。

それ(・・)は、残酷に、冷酷に――――けれど、穏やかに告げられた。

 

 

「『私』はいつまで、いない人(・・・・)の夢を見ているの?」

 

「――――――――」

 

 

 言葉を失った澪が、目を見開く。

 悪寒か背筋を通り抜ける。それは、決して士道だけが感じたものではないだろう。〈輪廻楽園(アインソフ)〉との共鳴なのか、どちらにしろ少女の言葉は澪に届く――――少女()だから、届いてしまった。

 

「何を――――言ってるの。シンは、いるよ? だから私はシンを作り直した。精霊の力を与えて、今度は絶対死なないように――――――」

 

「……『私』が〝私〟を見た。『私』であるはずの〝私〟を見た」

 

 澪の同一体であるはずの少女は自我を確立し、令音はそれを観測していた――――ああ、ああ。それは、自分自身が生み出す究極的な反論。

 少女が『私』というのなら、『私』が少女だというのなら。

 

 

「……だから、問うよ。私の神様――――――」

 

 

 己を産み落とした己自身へ――――そう、思い込んでいた自分たちへ、破滅の一言を放った。

 

 

 

「記憶を消し去った〈アンノウン(五河士道)〉は――――本当に崇宮澪(崇宮真士)だったの?」

 

「――――――――」

 

 

 

 それは。

 破滅的な一言であるとともに、誰かが言わねばならないこと(・・・・・・・・・・・・・)だった。

 誰かがそれを、突きつけなければいけなかった。澪自身が心のどこかで思いながらも、蓋をしていた事実。もしかしたら……そう感じながら、自らが信じた希望のために目を背けた可能性。

 少女は、澪を傷つけることになるとわかっていて、その心を砕くとわかっていて、あえて掘り起こした――――自分自身の罪を、人に押し付けてはならないと。

 

「……初めから、気が付いてた」

 

「……やめて」

 

「……だから私は、あなたの記憶を正しく受け入れられなかったのかもしれない。同じ記憶を持った、同じ存在。……それを、証明したくなかったんだよね?」

 

「……やめ、て」

 

 震え、掠れた声で。士道が、真士の記憶が彼女に手を差し伸べたいと叫んでいる。けれど、そうではない。それでは、駄目だ。澪の心は、三十年前から止まっている――――真実というネジを巻き、時は再び奏を。

 

「……シンを自分の中に取り込んで、知ったはずだよ。死んだ人は、覚えている人の心にしか留まらない。シン()と同じ姿と記憶を持った人。でも――――――」

 

 そう。それは決して――――――

 

 

「――――シン()の魂は、あなたの中にしかないんだ」

 

 

 澪の心を満たしはしない。

 

 ――――瞬間。

 

 

「っ――――やめてッ!!」

 

 

 世界が、震える。怒りと悲しみを混ぜ合わせ、感情の発露を。未来の世界を見てきた士道ですら見たことがない澪の叫びは、法の世界〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を呼応させる。

 

「澪――――!!」

 

「令音!!」

 

 その悲しみと怒りが、士道にも強く伝わってくる。士道だけではない。霊結晶(セフィラ)を通して、精霊たちにも伝わっていく。

 わかっていたこと……それでも、縋らざるを得なかったのだ。澪にはそれしかなかった。真士しかいなかった。気付かないふりをしていたのは、澪自身だった。

 士道であっても、澪に事実を告げることはできた。でも、少女であれば――――澪が自分だと思っていた少女に告げられたのなら、澪はその真実を受け入れざるを得ない。

 

 真士は、もうどこにもいない。

 

「士道さん。すべきことは、理解していますわね?」

 

「もう一度――――澪にキスをする」

 

 故に、士道を士道として認識する(・・・・・・・・・・・・)

 士道と狂三の会話に、琴里たちが辺りを警戒しながら目を見開いて声を発した。

 

「な……今の澪の精神状態で、封印ができるっていうの!?」

 

「ああ、今だからできる。今しかない(・・・・・)!! 今度は真士としてじゃない。俺を、五河士道を澪に見てもらう!!」

 

「だが、どうするのだ!! このままでは澪の天使が来るぞ!!」

 

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構えた十香が叫ぶように問うてくる。澪にキスをする――――言うは易し。士道は眉をひそめ、激情を込め手を翳す澪を見やる。冷静さを失った澪は、既に二つの天使に力を込めていた。十香の言う通り、澪の天使に阻まれてしまえば士道が接近するどころか、精霊たちの身の危険が生じる。

 澪の札を観測した狂三。精霊たちの力。そこから、あと一手――――ある。

 

 白の少女が、手を掲げた

 

 

「――――〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉ッ!!」

 

 

 絶唱とともに少女の手が外装へ叩きつけられる。次の瞬間、少女の翼から幾つもの白い羽根が舞い上がった。

 

「これは……!!」

 

 幻想、あるいは芸術か。一瞬目を奪われそうになるほど、それは美しさを描く。だが、変化はそれだけではなかった。士道にすらわかるほど、目に見えた異常現象が〈フラクシナス〉の随意領域(テリトリー)に生じる。

 艦の装甲を純白の輝きが包み込み、偉大な空の翼がより一層の神々しさを見せつける。それはまるで、少女の天使〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉が〈フラクシナス〉そのものと一体化しているかのようだった。

 その大きな変化は、激情に駆られる澪でさえ目を見張るもので、困惑を含んだ声音を聞かせた。

 

「〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉を随意領域(テリトリー)と融合させたの? でも、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉の効果範囲は、君自身(・・・)にしか――――――」

 

 そこで言葉を切った澪が、何かに気付いたように少女を――――否。少女が手を突く外装部分に目を向けた。釣られるように目を向けた士道も、その色のない輝き(・・・・・・)に息を呑んだ。

 澪と同じ貌で、けれど澪と違う不敵な微笑みを少女は大胆に返す。

 

「……そう、逆転の発想だよ。私の天使が私にしか意味のないものなら、相手を私に変えてしまえばいい(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 狂三がマリアと意識を一つにするように、少女は今〈フラクシナス〉と一つに、いいや、〈フラクシナス〉を少女として扱っている。

 精霊と空中艦。琴里のように一時的に力を借りることはできるが、艦そのものを精霊として認識させるなど本来ならば不可能。ありえない法則――――それを可能にする『法』が、ある。

 

 

「……私の『法』はあなたの『法』を止められない。でも、私の『死』は、あなたの『法』を止められる――――形が存在しないなら、私の〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉に殺せないものはない!!」

 

「く……」

 

 

 少女から発せられる白の光が羽根を伝い、陽光のような温かさで士道たちを包み込んでいく。

 同じ〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉では、少女に勝ち目はない。しかし、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉の『死』の概念ならば、どれだけ強大であろうと、それが空間的な侵食であるならば……!!

 微かに見え始めた勝機の光。精霊たちも少女に続いて構えた武器を振るう。

 

「たくっ、人の艦の上で好き勝手な法則をぶつけ合わないでちょう――――だいっ!!」

 

「ふはは!! 不可能な奇跡を起こすのが精霊――――しからば、我らが続かぬわけにはいくまい!!」

 

 琴里が〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を、耶倶矢が〈颶風騎士(ラファエル)〉を振るい、炎を巻き込みながら広がる暴風が天地に広がり始めた『枝』と『根』を打ち払う。それも、澪が士道たちへ攻撃を始めるより先に(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 振るわれたのなら、目にも止まらぬ早さで士道たちへ迫っていたであろう〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の物理攻撃。しかし、それは――――――

 

 

「もう視えていますことよ(・・・・・・・・・)、澪さん」

 

 

 既に、時崎狂三が観測している。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉を背に、銃を顔の横に構え澪を挑発するように狂三が笑う。金時計の針が幾つもの未来を演算し、正しい時を刻んでいく。

 狂三を見やる澪は、彼女の中に燻る感情を抑えつけるように目を細めた。

 

「やはり、君は厄介だ。……私の親愛なる、友」

 

「あら、あら……」

 

 皮肉はなく、けれど含む感情は抑えきれない――――そんな様子の澪に、狂三は微笑みを浮かべた。生の感情を吐き出そうとする(・・・・・・・・・・・・・)彼女を、好ましいと感じているかのように。

 狂三の未来予測は、崇宮澪の力さえ手中に収めた。それを皆に伝えるカラクリ(・・・・)も、既に起動している。

 士道たちを包む随意領域(テリトリー)は、これでただの随意領域(テリトリー)ではなくなった。僅かな時間ではあるが、澪の天使に対抗できる空間――――未来を観測した士道たちが扱える、最大最強のカウンター。

 故に、チャンスは今しかありえない。拳を握り、士道は迷いなく澪を見据える。そして、叫ぶ。

 

 

「みんな、頼む――――ッ!!」

 

 

 澪を、悪夢から救うために。

 

 

「士道さんに――――道を!!」

 

 

 士道に応えるように撃鉄を打ち鳴らし、高らかに銃声は響き渡る。

 

『おおっ!!』

 

 強く、頼もしい号令は精霊たちを鼓舞し、銃声は戦いの鐘。外装を蹴り、拮抗する空間へそれぞれの力を解き放つ。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉を封じ、狂三の未来予測を授けられた十香たちであれば、澪の攻勢と拮抗できる。あとは、士道が一瞬の隙を見逃さないこと。そして、何より――――――

 

「く……ぁ、ッ!!」

 

 少女の身体が、保てるかということ。

 

「〈アンノウン〉ッ!!」

 

 片膝を不自然に曲げ、外装に身を預けるような仕草を見せた少女へ、士道は急ぎ呼びかけた。この状況では、力を溜める士道しか少女の元へ駆けつけられない。

 飛び交う『根』や『枝』に気を配りながら、士道は膝を突く少女の身体を支えて声をかける。

 

「大丈夫か!?」

 

「……ふふっ。私の心配をしてる場合ですか。我が女王の分身がこちらを守っているとはいえ……この状況、真っ先に狙われるのはあなたですよ、五河士道(・・・・)

 

 返されたのは、澪であれば決してしない類の笑みと、茶化すような言葉遣い。

 

「お、お前なぁ……!!」

 

「あはは、こっちの方があなたはやりやすいでしょう?」

 

 面食らって、少しだけ素の状態に戻りながら応える士道に、聞きなれた道化の声音と、見慣れない道化の顔で少女は返してきた。

 確かに、士道にとっては澪に近い少女より、狂三の従者の少女の方が馴染み深いものであるが、この極限の状況下で見せるとは思ってもみなかった。

 

「……ええ。こっちの方が――――〝私〟らしいですよね」

 

「え……?」

 

 戦闘の騒音に掻き消され、少女の呟きは士道の耳に届かない。

 その代わり、少女は士道の顔を覗き込んだ。吸い込まれてしまいそうなほどに、近い。澪と同じ貌をした少女――――ああ、けれど、やはり少女は澪ではないのだ。

 物憂げな瞳。細やかな肌。一つ一つの造形が、完成された形を生み出す。それら全てが澪でありながら、それでも士道は少女を澪と同じ人とは思えなかった。それは……士道が真士ではないのと、同じ理由だったのかもしれない。

 吸い込まれそうになる。吸い込まれている――――少し、違った。

 

 少女から、士道に近づいていた。

 

 

「――――――ッ!?」

 

 

 驚愕は当然。言葉はなかった。いや、言葉を発することはできなかった。

 言葉を発するための唇が――――キスによって、塞がれていたから。

 触れ合い、柔らかく、えも言われぬ感情が湧き上がる。小さな世界に静寂を。頭脳には混乱を。

 幾つの時間か、やがて幸福な時間は終わりを告げ、少女がゆっくりと士道の唇から唇を離した。微かに濡れた唇を指でなぞり――――――

 

 

「えへへ……しちゃいました」

 

 

 少し困った、可愛らしい笑みを浮かべたのだ。

 

 それと同時に、少女の天使が光を帯びて消えていく。が、それはすぐに元の形に回帰した。霊力の限定解放(・・・・)。即ち、十香たちと同じ状態へ少女は即座に移行したのだ。

 

「な、なんで……」

 

 天使は再び展開されている。だが、士道の中に温かな光が流れ込んできたのは、間違えようがない事実。少女は、本当の意味で士道に霊力を託してくれた――――狂三を一番に考える少女が、士道へと力の根源を託した。

 

「……理由は色々ありますよ。まず第一に、あの人の力を封印できなかったのは、あなたの力がまだ完成していなかったからです。だから、私の力をあの子の代わりに託しました」

 

 士道の当惑に対する回答は、実に的を射るものだった。

 澪の霊力を封印できなかったのは、単純に士道ではなく真士を見ていたから。しかし、それだけではない。士道はまだ、精霊の力を全てが受け取ったわけではない。狂三との繋がりは、あくまで士道個人のもの。澪が想定していた器として、士道はまだ未熟であった。

 だから、少女は本当の意味で狂三の代役(・・)を担う――――けれど、その感情だけでは封印には至らないことを、士道は一番知っていた。

 精霊を封印する条件。心を開かせ、キスをする。少女が先程、言ったばかりのことだ。そんな士道の思考を読んだかのように、少女は笑う。

 

「……ばーか。私は崇宮澪じゃない。そう言ったのは、あなたでしょう。あなたの中に崇宮真士がいて、彼の影を見ることもありました――――でも、〝私〟は初めから(・・・・)、『五河士道』のことを見ていましたよ」

 

「初めから、俺を……?」

 

 少女は、士道を士道として見ていてくれた。迷いなく、五河士道(・・・・)と呼んでいた。シンではなく、士道と。澪の記憶を持つ少女なら、士道の正体と意味をわかっているはずなのに。

 崇宮真士のための器だと、知っていて、それでも少女は――――――

 

 

「……あの子のために、こんなに頑張ってくれた男の子を――――私が好きにならないわけ、ないでしょう」

 

 

 ――――狂三のことが好きな士道を、好きになってくれた。

 普通とは違う。でも、とても少女らしい〝恋〟の形に、士道は不思議とそこに納得と喜びを得た。

 

「好ましいだけじゃない。信じられるだけじゃない。私は、あなたに恋をしています。慕っています。〝私〟はシンじゃない――――五河士道に恋焦がれているんです」

 

 誰より狂三を想う少女に、恋をさせるほどの信頼を得る。それが至上の喜びで在らずして、何であるのか。

 

「……あの人は、誰かのように強くはあれなかった。でもね、自分でわかっていることは受け入れる人だよ。――――行ってください。私の好きな、五河士道」

 

「ああ。ありがとう、俺もお前のこと――――好きだ」

 

 うなずいて、もう一度軽やかにキスを落として、切り開かれつつある道へ身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――あら、あら」

 

 士道の背を見送る少女に横影。そして、聞き慣れたからかうような声音。

 

「随分とやるようになりましたわね、士道さんも」

 

「……誰かさんの教育の、お陰でしょうね」

 

 返しの一撃とは、まったく恐れ入る。自覚があるほどに顔に熱がこもっている。初めの頃の初心な彼はどこへ行ったのかと……まあ、文字通り〝喰われた〟のかもしれないけれど。

 

「きひひひ!! にしても、綺麗に持っていかれましたわねぇ。気分は如何でして?」

 

「……思ったより、悪くないです。我ながら、困ったことに」

 

 そう。この子のために尽くすと誓い、あれだけ拘っていた自身の霊力。それを彼に託して、悪くない。むしろ、心地が良かった。

 全ては我が女王のために。少女はもう、心の中で信じ切っていたのだ――――士道に託すことが、女王のためであると。

 ただ、心残りがないわけではない。それは、

 

 

「……我が女王より先に、というのは――――少々と格好がつきませんね」

 

 

 従者が主より先に、同じ想い人から……そんな気持ちが、なかったわけでもないのだ。

 冗談めかした少女の言葉を聞き、この状況にも関わらず彼女がポカンとした顔を作ったのが雰囲気から伝わってくる――――まあ、一瞬あとには、身に纏う大胆不敵な微笑みが戻っていたのだけれど。

 

 

「あら、構いませんわ。――――大切な殿方の最後というのは、大変わたくし好みですもの」

 

 

 言って、女王は再び戦場へ飛び込んでいく――――その後ろ姿を僅かな案じすらなく見つめるのは、初めてのことだったかもしれない。

 仮初の従者を連れた孤独な時の女王の姿は、もういない。

 

 

「……ん。やっぱり――――きれいな人」

 

 

 隣を歩ける人たちと共にある、世界で一番きれいな人がそこにはいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 力が、漲る。

 少女の霊結晶(セフィラ)と、二亜の霊結晶(セフィラ)。今まで封印した皆のものと合わせて、その数は十。約束の数と違いない霊結晶(セフィラ)は、万能感にも近い感覚を士道に与えてくれた。

 身の丈に合わなかったものを脱ぎ捨て、殻を破り捨てた。疲労もなく、痛みもない。今までとは比にならない超常的な霊力も、これならば十全に扱えよう。

 ――――いける。

 

「〈颶風騎士(ラファエル)〉!!」

 

 軍神の風を纏い、空を駆けた。皆が開いてくれた道を、神速の頂点を以て駆け抜ける。なおも迫る『根』や『枝』の動きさえ、今の士道には緩慢にすら見えている。否、それどころか、士道の左眼はその先を視ていた(・・・・・・・・)

 

「――――!!」

 

 その時、全能とも思える超感覚と、狂三の力を得ていたことにより知覚したその差異に士道は僅かに眉根を動かす。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉と〈万象聖堂(アイン・ソフ・オウル)〉。それぞれに奉られた少女像――――どこか悲しげに微笑んでいたその子たちの言葉は、きっとあの少女と同じものであった。

 

「――――任せろ」

 

 だから、返す言葉は必然。偶然ではなく、必然であると。

 空を蹴り、真なる颶風の質を以て澪の元へ至る。

 

「――――シン」

 

 その悲しみに濡れた――――けれど、狂気から放たれようとしている澪を抱き締め――――――

 

 

「ん――――」

 

「――――――」

 

 

 二人の想いを、重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ(・・)の変質は、まさに一瞬の出来事であった。

 

「――――ッ!!」

 

 士道が澪の元に至り、キスをした。次の瞬間、澪の背後と頭上に浮遊していた二つの天使が変容し、明確な意志を持って士道と澪を包み始めた――――光の帯を、少女へ伸ばしながら。

 

「〈絶滅天使(メタトロン)〉――――!?」

 

 それに真っ先に反応を示したのは、警戒を解くことなく――あるいは予測結果を受け取った――折紙。しかし、そんな彼女の目に驚愕が浮かぶ。

 無理もない。折紙が放った光線は光の帯をすり抜け(・・・・)、何の障害にもなりはしなかった。――――あれ(・・)は、本来の用途とは質が異なる。目を見開き、少女は迫る光の意味を悟る。

 

「っ――――みんな、私から離れて!!」

 

『な……!!』

 

 瞬時に少女を救おうと駆け出した精霊たちへ、鋭い静止を投げかけた。その一瞬の動揺で、十分。あれ(・・)はそれほどに速く、少女を取り込もうとしている(・・・・・・・・・・・・・)

 唯一の、計算違いは。

 

「そういうわけには――――参りませんわ!!」

 

「っ!?」

 

 彼女が――――時崎狂三が、少女を抱きとめたこと。

 狂三の手と無数の光の帯、その二つに一瞬の差も見られなかった。狂三が影から呼び出した分身の手で身体を支える。が、それ以上の力と速度で光の帯は少女と狂三を絡め取った。そのまま、抗いようのない力の差で引き寄せられる。

 

「く……!!」

 

 彼女だけでも逃がす――――無理だ。そもそも、狂三をこの一瞬で説得できるとは思えない。元々、少女には逃げる力すら残っていなかったのだ。ならせめて、この先に必要となるものを残す(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「我が女王!!」

 

「!!」

 

 叫び、胸元から取り出した小さな宝玉、即ち霊結晶(セフィラ)を摘出する。それは、一見して誤解を招くものだろうが、今の狂三(・・・・)であれば正しく意味をできるはずだ。

 期待通り、狂三は少女を抱いていない片腕で銃を振るい、霊結晶(セフィラ)長銃へ取り込んだ(・・・・・・・・)

 

「――――六喰さん!!」

 

 刹那、銃声が劈く。構えて引き金を引くまで、ほんの数秒にすら満たない時間。しかし、狂三が狙いを付けて放つには容易い時間だ。

 

「むん!! 任せよ――――【(ラータイブ)】!!」

 

 その完璧なタイミングを逃すことなく、金色の髪を揺らす少女、星宮六喰が声に応えて鍵を開けた(・・・・・)

随意領域(テリトリー)によって、狂三の未来予測はこの場にいる者に誤差なく伝わる。そして、随意領域(テリトリー)の制御空間であれば、対外の気圧差は存在しない。つまり、その『孔』を開く条件は自ずとクリアされている。

霊結晶(セフィラ)を宿した銃弾が、六喰が『孔』を開いた瞬間、その中へ吸い込まれるように飛び込んでいく。外から、内へ。その霊結晶(セフィラ)は――――――

 

「ん? なんか後ろが寒――――あいたぁ!?」

 

 〈フラクシナス〉の艦橋で解析を行っていた、本条二亜――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉の本当の持ち主(・・・・・・)の元へ、完璧な形で返却された。

 彼女ならば、〈囁告篇帙(ラジエル)〉が必要な意味を理解してくれる。

 あとは、取り込まれる少女と狂三。士道と澪を包む『繭』は二人の目前に迫っている。――――咄嗟に、少女は己の翼で狂三を包み込む。そうして、叫んだ。

 

 

「狂三――――手を!!」

 

「――――!!」

 

 

 ――――咄嗟のことで、彼女の名を呼んでしまったことさえ気が付かずに。

 抱きとめられた少女の手が、決して離れぬよう狂三の手を握り――――そこで意識は、光に取り込まれた。

 

 

 

 




デレたぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! まあ元々デレてましたけど(冷静)

以前、ちょっとだけ話したこの子の攻略条件。正規解禁いたしますと、狂三を愛すること、狂三を一番に考えること、狂三を守り通すこと、狂三から好意を抱かれること……ね、簡単でしょ? え、無理?ソンナー。
セオリー通りの精霊直接攻略は、そもそもルートが存在しないんだからできるわけがない。実は狂三攻略が一番ルート解放に近い条件です。ていうかリビルドの頑固くるみん攻略できたら、自動的にデレます。後にも先にもデアラでこんな攻略ヒロイン考えるの私くらいでしょうね。実はキャラの初期案だと狂三と一緒にメインヒロインしてたんだよ、ホントダヨ。

そも記憶を持ちながら自我を確立した少女は、結局澪ではない行動を取り、澪に近づいた未来でさえ……答えなんて、初めから出てしまっていたんですよ。まあ、気が付かないのは原作も同じことですし、気が付くはずもない……自分と同じなはずの存在に、夢を否定されるのは、悲しく残酷。けれど、そうでなければ……。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。ていうか最終章らしく文字数マシマシになってきます。楽しんでいただけていたら嬉しい。それでは次回をお楽しみに!!
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