「それにしても……熱いですわねぇ」
手で軽く顔を仰ぎながら、狂三はボヤくように呟く。照りつける陽射し……アスファルトの大地を燦々と照りつける陽光が、現実的な熱を狂三たちに与えてくる。
精霊である狂三には、こういった熱さはあまり縁がなく、平気で袖の長い服を選んでいたものだが、今そんなことをしたら倒れてしまう自覚、いや意志があった。
「……熱いなら、空間を変えてしまえばいいのでは?」
麦わら帽子を深く被り、熱帯を遮りながら狂三の左斜め後ろを歩く少女が、そんな身も蓋もないことを言い出したものだから、狂三ははぁっとため息を吐いた。
「あら、あら。相変わらず、風情がありませんこと」
「悪うございましたね。性分なんですよ、これ」
「性分なら、仕方がありませんわね。誰に似てしまったのかしら」
「……該当者が一人しかいらっしゃらないのですが」
「ま、酷いですわ。わたくし、あなたほど風情を感じない女ではありませんのに」
「どの口が言いますか。五河士道が絡まなかったら、見向きもしなかったくせに」
売り言葉に買い言葉――――ああ、懐かしい。
二人きりでの会話というものが、酷く懐かしく感じる。それほど、狂三の側には人という関係が増えた。封じ込めていた感情が、より多くのものとなって芽生えた。
その中で少しずつ、離れていったものがあった。離さなければならないものがあった。主と従者とは、その意味の象徴とも言うべき表現だった気がした。
懐かしいやり取りをして、仄かな感傷に浸る。随分と、人間くさくなった――――もしかしたら、そんな自分を見たくなくて、弱さだと言い聞かせていただけなのかもしれない。
「――――ああ、ありましたわ」
ふと、そんなことを言ってわざとらしく狂三は足を止める。
足を止めた先の建物。その扉をくぐると、カランカランとドアベルが鳴る。特に疑問を持たず、狂三に続いて歩いていた少女が、そこでようやく目を丸くして声を発した。
「喫茶店、ですか」
「ええ。良い雰囲気でしたので、覚えていたのですわ。来る機会は、ありませんでしたけれど」
街を巡る機会があった狂三は、その記憶に多くのものを留めていた。この場所は、その一つ。何の変哲もない、少し古めかしい喫茶店。
「行かなかったのですか? 精霊たちや、それこそ五河士道がいたのに……」
疑問符を浮かべ、小首を傾げた少女に狂三は――――何だかおかしくなってしまい、微笑を零した。
ここまでしてまだ気が付かないとは、本当に自分のことになるとこの子は鈍い。
「あなたと――――訪れたかった」
「……!!」
「まったく、鈍いですわね。言わねば、伝わならないのですから」
驚いた表情を見せた少女へ、そして自分への皮肉で。言わなくても伝わる。それは、散々と想いを伝えあった者たちにようやく与えられる特権。
狂三と少女は、違う。ずっと共に過ごして、けれど伝え合うことはなかった。
ああ、そうだ。狂三はずっとこうしたかった。誰の干渉も受けない箱庭の日常ではなく、理由を付けたものでもなくて――――ただ緩やかな、普通の時間をこの子と。
場所は再現されていても、人までは再現されていない――しようと思えば出来てしまうのかもしれないが――狂三は少女を連れ、好き勝手に席を選び向かい合って座った。
「さて、メニュー表は……ああ、わたくしの記憶から再現いたしましたのね。表で見たもの以外は、別の店のものまでありますわ。どれにいたします?」
「私は何でも」
「あなたの苦手な刺激物、用意して差し上げますわ」
「……ショートケーキとアップルティー。砂糖は多めで用意してください」
長年の付き合いなので、その辺りの癖というものは理解している。笑顔で人質の如く言葉を突きつけてやれば、この程度はお手の物だ。傍若無人、唯我独尊。視線が語るそれは、もはや狂三にとって褒め言葉に等しい。
オーダーを受け取った狂三は、パチンと指を鳴らして
「……なんで扱えるんですか。ここ、『私』の空間なんですけれど」
「きひひひ!! おかしなことを仰いますわ。〈
完璧なまでに再現されたティーカップを見せびらかすように揺らし、狂三は堂々と
「〝観測〟というのは、未来をもたらす〝可能性〟の追求。それらが持つ理屈がわからなければ、未来が視える理由になりえない……でしょう?」
「……だから、理屈を知るなら〈
「ええ。あとはわたくしの知識の中にあるもの。つまりこういった飲食における素材、そして作り方。それらが備わっているなら、完成したものを再現することは容易いものですわ」
それが何で出来ているか。それがどうやって出来るのか。その
これは狂三だから出来る、というものではなく、〈
「そういうことですので、味の保証はいたしますわ」
「……そこは、最初から疑っていませんけれど」
信用されている部分が複雑なのか、微妙な箇所だけは否定しながら、少女が砂糖をたっぷり溶かしたアップルティーを一口すすった。……霊力を封印した現実の空間では、できるだけ止めさせたい行為だなと健康を案じながら狂三もケーキに口をつける。
「とはいうものの、澪さんが空間の権限を遮断していないからこそのやり方ですわ。元を辿れば、あなたの天使の影響を受けたことで、自然と扱えてしまえているのかもしれませんけれど」
原因らしい原因、大半の心当たりは幾らでも思い浮かぶ。仮に、この空間が完全な澪の支配下であったのなら、そもそも天使を扱うどころか身動きすら取れなかったことだろう。
「……というか、落ち着き過ぎなのでは? 私たち、ここに取り込まれたも同然なんですが」
「驚いていますわよ。ですが、普段から驚かされる方と付き合っていますので、落ちついて見えてしまうだけでしてよ。それに……」
アップルティーに砂糖を溶かして一口……実に身体に悪い味がする。顔を顰めて、狂三は言葉を続けた。
「空間に悪意があったのなら、わたくしもあなたを連れて士道さんを見つけ出していたでしょうけれど――――そんなもの、欠片すら見つかりませんでしたわ」
起きがけですら理解ができた。この空間は、
だからこそ、この空間は異質だ。妄執も、危うさもなく。あるのはただ、穏やかな時の流れ。
目を細め、それを存在し得る中で正確な意味の言の葉として、狂三は形にした。
「――――ここはいずれ無へと帰る、失われた楽園。主たちの願いを映した天使の水晶ですわ」
終わってしまった時間を映す、奇跡の世界。捻じ曲がり、凶渦と化した想いを包み込む
甘いとは言わない。愚かだとも思わない。この優しい世界に、そのような感情は求められていないはずだ。
あるはずだった。けれど、ありえない夢の続きを――――主の心を正しく映し、天使は謳っているのだろうから。
果たして、狂三が語る言葉を、少女はどのように受け取ったのだろう。複雑な口元を、少女は崩した。
「……夢は、いつか終わります」
「ええ。どのようなものであろうと、至上の快楽であろうと、夢は夢でしかないのですわ。だからあなたは――――せめて、夢の中ではと。わたくしの幸せを願ってくれましたのね」
「…………」
夢の中では、幸せに。
少女は、ずっとそれを願っていた。少女は、狂三へ祈りを捧げていた。狂三に幸せがありますように。狂三に救いがありますように。苦しい現実があるのなら、その道が悲しきものであるならば……せめて、夢だけは。
夢は、終わる。きっと、この夢を見ている誰もが気が付いている。いつか誰かが、幕を引かなければならない。狂三たちの時間もまた、同じ時を刻んでいる。
ならば、狂三は言葉を尽くす。幸せな楽園の裏で、これからの時間を産むために。弱々しく微笑む少女へ、狂三はただの時崎狂三として、ぽつりぽつりと言葉を零した。
「わたくし、あなたには感謝していますわ」
「……なんです、急に」
「いいから、聞いてくださいまし。あなたのおかげで、わたくしはわたくしでいられましたわ。あなたがいなければ、わたくしもまた、違う生き方をしていたかもしれませんわ」
少女がいたから。従者である少女という存在があればこそ、時崎狂三は『時崎狂三』としてあれた。
けれど少女は、それを否定するように首を振る。
「……そんなことは、ありません。私がいなくたって、あなたはきっと同じ道を選んでいました。あなたは、強い。強く在らねばならなかったのかもしれない。でも、強いという事実は、変わりありません」
「ええ、ええ。しかし、しかしですわ――――あなたがいたから、わたくしは〝心〟を失わずにいられた。そう、考えることもできますわ」
それは恐らく、他の――――『時崎狂三』ではないもの。
孤独の道を歩んだ狂三は、誰より非情な〝修羅〟としてあった。そういう
修羅はきっと、救われる。誰でもない、五河士道の手で。でもそれは、今とは明確に意味の異なるもの。
狂三は笑った。心から笑った。この微笑みは、全てを賭して狂三へ尽くしてくれた従者のためだけに。
「ありがとう。わたくしを孤独から救ってくれて。――――あなたがいたから、わたくしは士道さんと同じ道を歩むことができましたわ」
その心があったから。まだ、狂三の心に残っていたから、取り戻すことができたから……狂三は、彼の手を取ることが叶った。
そして――――――
「――――ごめんなさい。誰よりあなたを縛り付けていたのは、わたくしでしたのね」
少女の人生を、本来あるべき生き方を捻じ曲げたのは、誰でもない時崎狂三だった。
返せるものなど、なかった。時の果てまで共にあること――――どちらが本当に
それでもなお、少女は悲しげに髪を揺らす。
「……違います。私が望んだことです。私が望んだ役割です。見返りなんて――――あなたが、生きていてくれるだけでよかった」
「…………」
見返りというには、あまりに歪。狂三がいることを望む。けれど、少女自身が寄り添う結果は望まない。
主と従者とは、対等ではない。対等で、いてはいけない。
「――――時の果てまで。そういう契約、でしたわね」
「……ええ」
時の果てまで続く死出の旅。狂三と少女が交わした契約。共犯者、そして主と従者の密約。
それは、少女にとっての死の約束であり、狂三にとっての生の約束でもあった。
悲劇を『なかったこと』にするために。
崇宮澪の存在を消し去るために。
少女の生まれた価値を――――果たすために。
「終わりに、いたしましょう」
「…………」
長き契約の終わりは、そんな呆気ないものだった。
ただの一言と、少女の沈黙。たった、それだけ。でも、終わらせなければいけない。狂三のエゴで少女を縛り付けては、いけない。
「仮初の主に、ここまで付き従ってくださったことへの感謝を。あなたは、わたくしの最高の従者様でしたわ」
「……いいえ。主の願いを叶えられない、不出来な従者でした」
「そんなことはありませんわ。だってわたくし――――これから叶えにいくんですもの」
そう。狂三は何も諦めていない。狂三の取った手には、狂三が望むことを諦めない選択肢が用意されているのだから。
ああ、そうとも。だからこそ、狂三は言える。言い出せる。ようやく、言葉を見つけられた。
「そして、主と従者の関係は終わりましたけれど――――――」
ああ、ああ。緊張の一瞬だ。これ以上ないほど、心臓が高鳴る。備えた手が鼓動を受けて、揺れている。
「わたくしと――――友達になってほしいんですの」
狂三に言えなかった難しい言葉が――――ほら、こんなにも簡単になっていた。
言葉を迎え撃つように固唾を呑んで見ていた少女が、目を丸くしてポカンとした表情をしている。可笑しな様子に、狂三は声を上げて笑った。
「うふふっ。どうしたんですの、そのお顔」
「だ、だって……」
「だって? おかしなことはありませんわ。主と従者の関係はおしまい。でしたら、新しい関係が必要ですことよ」
主と従者の関係を解消する理由は何か。もちろん、
悪い意味ではなく、良い意味で必要なくなった。そうであるならば、と、狂三はティーカップをテーブルに置き、言葉を続けた。
「わたくしは、あなたを犠牲にはいたしませんわ。そう、決めましたの。悲願のために、大切な人を諦めたりはしない――――あら不思議。あっという間に、友達の条件が開けてしまいましたわ」
おどけながら肩を竦め、狂三は過去の皮肉げな微笑みとは違う、欲しいものを手にするための微笑みを
願いを変えた時崎狂三は、果たして意味を変えたのか――――変えるわけがない。それを願って、叶える。そんな単純かつ強欲な願いを、狂三は叶えたいと思っている。
「本当は、ずっとしてみたかったのですわ」
「……何をです?」
平静を装って、意地の悪い問い方をしてくれる。が、狂三はもう怯まない。怯えない。
ここは、いずれ無へ帰る楽園。だけど、ここで願ったことは、現実にすることが出来る。
「あなたとこうして語り合うこと。日常を謳歌し、精霊ではなく一個人として――――あなたと出会った時崎狂三の、小さな願いですわ」
その結果が奇跡だと言うのなら――――奇跡とは、努力をした者に与えられる報酬だと狂三は謳おう。
心で思うことと、現実が同じとは限らない。生きていれば、そうでないことの方が多い。現実論で、誰もがその壁にぶつかってしまう。……たまに、現実を相手に正面から打ち破っていく
心のどこかで、思っていた。この子と、穏やかに。この子と、ただ健やかに。ああ、そうだ――――あの琴里や令音のように。
彼女たちもまた、終わりが定められた関係だった。けれど、その関わりや交流は決して嘘ではなく、なかったことにもならない。
故に、狂三は苦笑を浮かべた。あの二人に比べると、自分たちはあまりに遠回りをしていたと。
「わたくしは、わたくしの罪を。あなたは、崇宮澪の罪を。互いに近づけないのも、当然ですこと」
「……仇の半身だと自分がわかっていて、あなたと甘い関係に浸れるほど、私は
狂三は『時崎狂三』の罪を背負った。許される大罪を侵した。許されるものではない。許されようとも思わない――――そうして、狂三は目の前の幸せから目を背けた。
少女は『崇宮澪』の記憶を識っていた。それを止めようとしなかった。故に、悲劇は繰り返された――――時崎狂三は、悲劇の渦中に引きずり込まれた。
その痛ましい表情に、狂三は眉を下げて息を吐いた。きっと、苦しいものだった。悲しいものだった。だってそれは、
でも、理不尽だ。生まれを選ぶことはできないし、
「ですが、今のわたくしは迷いませんわ。士道さんの、皆様の、そしてあなたの手を取りますわ。あなたが拒絶するというのなら……構いませんわ。それがあなたの意志によって為されるものならば、もうわたくしにあなたの決断を妨げる権利はありませんもの」
狂三の毅然とした結論に、少女が息を呑む。
時崎狂三に、もうその権利は存在しない。従者の主という、一定の権利を手にしていた狂三は、今し方捨て去った。少女が望まないというのなら、狂三はもう少女の手を取る手段を失う。
だが――――――
「しかし、それは
「っ……」
恐らくは、吐き出そうとした言葉を詰まらせて、少女が不意に目を逸らす。やはりそうだったか、と狂三は目を細めた。
ティーカップの口縁に指を乗せ、軽く水面を揺らす。揺れる水面に、僅かだが向こう側の光景が見えた――――そろそろ、
この場所の時間軸は、狂三の眼が常に違和感を訴えるほどに歪んでいる。一定ではなく、寄せては返す波のように気まぐれ。現実との隔たりは、驚異的な時間のズレを引き起こす。
――――だが、無限ではない。時は有限であり、
「わたくしは、ただの時崎狂三ですわ。一人の男に愛され、愛してしまった。その結果、とんだ夢物語を信じてしまった女……そこに幸せを感じてしまうのは、もうどうしようもないほどにあの人を好きだからなのでしょう」
ただ一人の、時崎狂三。悲願のために全てを捨てた『時崎狂三』は敗れた。恋という夢に溺れ、愛を覚え、そして無くしたくない絆を手にした
そうして生まれた狂三は、『時崎狂三』では選べない選択肢を選んだ。
「――――もう、罪に苛まれる必要はありませんのよ?」
「あ……」
「あなたが澪さんの罪を背負うというのなら、止めはしませんわ。あなたなりに、澪さんに感じ入るものがあるのでしょう。ですが、その罪を
狂三だから許せるものがある。
「澪さんの罪の全てを、わたくしの一存で許すことはできないのでしょう。当然のことですわ。わたくしの罪とて、決して『なかったこと』にはならないのですから」
澪の罪の全て。失くしたものを取り戻したいという願い。それ自体は間違ったものではない。しかし決意は、取ってしまった手段は、許すことの出来ない罪過だ。狂三も同じことをして、罪を背負っている。
無くしてはいけない。背負っていかなければならない。許されるものではない。
だが、少女がもっとも罪を感じたことだけは、狂三が許すことが出来る。何故ならば――――――
「でも、わたくしは許しますわ。だって、この痛みはわたくしが受けたものですもの。その罪を許す〝権利〟は、わたくしにありましてよ」
それは他ならぬ、時崎狂三のことだから。なんと単純な理屈であろうか。しかし、罪過というものが人の心から生じるものであるのなら、それもまた必然の理屈だ。
狂三は許す。少女が罪過を背負うというのなら、狂三はそれを許してやりたい。だって、
「あなたへの恨みなど、何一つありませんわ。感謝なら、数え切れないほどありますけれど。恩を売るためにしたつもりはない、それは承知の上ですわ。だから、恩を返すためではありませんわ。……ああ、ああ。士道さんのようにはいきませんわね」
ただ言葉を伝えて、想いを、意味をもたらす。それだけが、何と難しいことか――――士道はそれを、心を曲げずにやってきたのだ。
伝える。分かり合う。そのために必要なことは、知っているはずだ。心の鎧を脱ぎ捨てろ。あの人を、誰より見てきたのだろう。冷静沈着で大胆不敵な時崎狂三ではなく、あの人のように真っ直ぐに。考え、思ったことを為せ。
「難しいお話は、もう散々いたしましたもの。ですから、簡単な言葉を何度でも――――わたくしはあなたと友達になって、生きていきたい。ただそれだけですわ」
その言葉ですら、不十分。その言葉ですら、簡単ではない。
あるじゃあないか。伝えるべき言の葉が――――返すことが出来なかった、最高の言葉が。
時崎狂三は、物事を半端な状態では投げ出さない。捧げられた愛を、今ここに返そう。
「わたくし――――あなたのことが好きですわ」
ただ真っ直ぐの愛を。捧げられた親愛に対する、偽りなき親愛を。
笑顔で。自身の〝価値〟を知る狂三は、極上の微笑みを少女へ向けた。
返されたのは――――耐えても、堪えられないほどの、
「……ずるい、人」
「ええ――――わたくし、誰もが認める賢しい女ですもの」
そう。これは、
崇宮澪が、あらゆる情を超えて崇宮真士を想うように。
少女は、あらゆる情を超えて時崎狂三を想う。
それを知りながら、狂三は口にした。拒絶できるわけがない。どれだけ見返りを求めていなくても、人はその欲求には抗えない。澪でなくても、澪の血を引く少女であればこそ――――狂三からの要求を、少女は必ず〝肯定〟する。
「――――っ」
だが、その歓喜の裏に隠された陰りを、狂三は見逃すことができなかった。
――――少女へ、告げなければならないことがあった。
それは狂三のことではなく、少女自身の――――崇宮澪のこと。少女はもう、気付いているのかもしれない。けれど、その〝呪い〟は誰かが解かなくてはならない。
「――――少し、外を歩きましょうか」
たとえ真実が、価値のない呪いより――――価値のある、残酷な願いだったとしても。
広がる浜辺に、四人の足跡。描かれては、波に消える。
降り注ぐ太陽。潮風。漣――――永遠に続くと思える理想の楽園。
実に四時間、五時間は経過したところか。澪と真士に連れられ、初夏を遊び尽くさんばかりに渡り歩いた。果ては、自分自身との料理対決ときたものだ。それは
この空間では、士道と令音に真士と澪であった実感が抜け落ちている。互いに確認したことだ、間違いはない。
「本当に――――気持ちいいね。ふふ、ここに連れてきてくれたシンに感謝しなくちゃ」
「お気に召したなら何よりだ。景観がいい場所探すの、結構苦労したしな。あんまり遠すぎても行けないし。――――士道の時代はスマホとかいうのがあるんだろ? ずるいよなー。いつでもどこでも世界中の情報が収集できるって便利すぎるだろそれ」
深く息を吸い、本当に楽しげに話す澪と、冗談めかして肩をすくめる真士。士道はそれに、曖昧な表情での苦笑を返した。
「……士道」
そんな士道の様子を察したのだろう。声をひそめた令音に、小さくうなずいて平気だと意を返す。
当たり前のこと――――ああ、当たり前の、ことなのだ。
「――――あ、私あれやってみたかったんだ。花火。海っていったら花火なんでしょう? 三十年前にきたときは、夕方には帰っちゃったからできなくて」
「し、仕方ないだろ。それくらいには帰らないと遅くなっちまうし。真那にも心配かけるし邪推されるし……」
「ふふ、むしろ、これからやる楽しみがあるじゃない。ダイビングや、バーベキューもしてみたいな。あとで街にも行ってみよう? 私と、シンと、令音と、士道で。ああ、きっと楽しいよ。――――本当に、このときがずっと続けばいいのに」
心の底から、楽しみ、弾んだ声。士道たちの様子に、気付いた様子もなく。
澪は本当に、望んでいる。この時間を、永遠に。この時間を、どうか――――だから、士道の心は、一拍の時を要してしまった。
「――――ああ、そうだな」
だが、言わなければならない言葉がある。拳を握りしめ、士道は――――――
「この夢は――――永遠には続かない」
少女は、言った。
「時は止められない。それは、〈
「よしんば止められたとして、それは美しいだけの一瞬ですわ。時間というのは優しくもありますが――――また、残酷でもあるのですわ」
時間は優しい。誰よりも優しい。平等であるから。
時間は残酷だ。誰よりも残酷だ。平等であるから。
平等でないこの空間でさえ、時が流れるという事象だけは変えられない。
「……告げたのですね、五河士道は」
「ええ、ええ。永遠でないというのなら、終わりは必要――――相変わらず、損な役目を引き受ける方ですわ」
「――――ごめん。士道に言わせちゃったね」
「澪……」
真士が澪に、その肩に触れようとし――――手を下ろす。
夢の終わりを、実感する。誰かが幕を引かねばならなかった。士道、令音、澪、真士……皆、気が付いていた。しかし、口にできなかった。
この夢はいつか覚めるものだとわかっていながら、できなかった。この夢がずっと続けばいいと――――幕を引くのは、きっと士道の役目だったのだ。
「……最初に令音さんとキスをしてから、
滲みかける涙を拭い、澪の目を見据える。ああ、ああ。痛い、痛い、痛い――――でも、逃げてはいけない。
確信に至らない。そんな言い訳は、もうできないから。
「――――澪さんは、亡くなられた崇宮真士さんを甦らせるために、あの方を産み直した。そうですわね?」
「……はい」
記憶を持つ少女が、こくりとうなずいた。
三十年の妄執。三十年に亘る切なる願い。
失われた命を甦らせる。人のあるべき姿を超え、死なず年老いぬ永遠の恋人として作り替える。〈デウス〉と呼ばれた精霊に相応しい、神に迫る所業だろう。
「その望みに嘘はないのでしょう。偽りではなく、真なる願い。でも、
「…………」
向き合った少女は、麦わら帽子の下に物憂げな瞳を隠して――――崇宮澪とは違う想いで、狂三を見据えた。
そう。少女は崇宮澪でありながら、崇宮澪ではなかった。記憶を主観できなかったから? 否、たとえ主観であったとして、少女は決して崇宮澪にはなれない。
澪が少女を観測した時点で、その結果は見えていた。見えていながら、虚構の崇宮真士に縋ることで、心の穴が埋まると澪は信じていたのか――――それも、また否。
「あなたは、自分を価値のない精霊だと……崇宮澪に望まれなかった生命だと、そう言いましたわね?」
「…………はい」
逡巡は、少女自身の心の現れ。だが、止めなかった。たとえ涙が滲もうとも、狂三は言葉を止めるわけにはいかなかった。
「違いますわ。ありえませんわ。澪さんが望んだ生命が、あなたなのですわ。でなければ――――――」
「――――〈アンノウン〉の
意味がないのなら、模範した存在が生まれるはずである。劣化した能力はありえるはずもなく、違える力は存在し得ない。無価値だと言うのなら――――そこに進化は、存在してはならない。
少女が自らの幸せを否定するのは、狂三への罪悪感だけではない。少女自身の価値と意味。
澪が、己を模範した生命を意味もなく創るはずがない。そこに偶然があってはならない。あるのは、必然のみ。
なぜ、少女は自己進化の
なぜ、劣化した能力という特性を持ち合わせながら、秘奥の天使だけは正しく受け継がれてしまったのか。
なぜ――――五河士道は、
故に、答えは導き出される。
「お前が自覚していたかどうかはわからない。でも、お前の記憶を第三者の視点で見たからこそ……至ったことがある」
「あなたが自覚していたかどうかまでは……いいえ、きっとわかっているのでしょう。けれど、わたくしが言わなければならない。あなたを見てきたわたくしだから、至ったことがありますわ」
答えに至る道筋は、幾度となく描かれていたから。
『私は人間みたいに弱くない。だから、死を望んでも死ぬことは出来ない――――君たちのように強くあれたなら、よかったのかな』
『知ったら、きっとあなたは私を撃ち殺したくなる』
『シンのいない世界に意味などなく、シンのいない人生に価値などない』
『私は――――時崎狂三が生きていてくれれば、それでよかったんです』
くずおれそうになる膝を保ちながら、言った。
「――――澪、お前は、自分を殺せる存在を創るために、俺を生んだんだ」
「そして、自らを滅ぼし得る存在、死を望む願いこそ――――それがあなたへの、祈りですわ」
その、言葉に。
「…………」
アンノウンの〈 〉枠の名はパラダイス・ロストだったというお話。
ポシャっちゃった☆とかやったゲーム編。つまり、凜祢ユートピア編があったとしたらの原案。万由里との関係で気付く方も多いのでしょうが、凜祢も澪の天使から生まれた存在であるため、当然少女と密接に関わる精霊でした。
ぶっちゃけ話、この章は唯一アンノウンがある意味で〝敵側〟として描かれる章だったんです。〈
繰り返しは終わり、閉じ行く世界で狂三だけが違和感を感じる。
ポシャっちゃった理由は簡単で、一つはタイミング。時系列は狂三アンサーと八舞テンペストの間なので、士道と狂三の戦争はこれからだ!!って時にやる話かよってのと、もう一つはこれアンノウンの正体モロバレやん()という感じでした。あと、敵対側として描くとこの子の目的もバレちゃいますしね……この時点では、基本的に狂三が生き残る最善手を探す子ということを忘れてはならない。
ネタバレだらけな上に、狂三に狂ったやべーやつをバラすにも早すぎる。あといきなり敵側、しかも章のボス枠にするのはなぁ、ということであえなく没に。ので、〈 〉もそのまま登場しました。これはこれで良かったと思ってますけれど。
というか、救われる世界という言い回しもできますし『十香ワールド』の再現枠でもありますね。今さら気がついたというか……。正直偶然なのですが、こういう意識した仕掛けは察しの通り好きなので自覚して書くとなおのこと寄せられそう。凜祢との関係もありますからね。アンノウンが強行した理由はまさに……とか。
本編終わったら書くかなぁとか言ったけど、その本編長すぎるわ!!って作者自身思ってて、終わったらちょっと休ませてみたいな願望もなくはないという。あと次回作書きたい。
この章自体は狂三が主人公に近い役回りなので(あと夢の世界なので制約なしで士道とイチャイチャする)くるみん好きの要望があれば気合いが入るかも(これ言って来たことはない)。
あと狂三アンサー直後なのもあって人間関係が面白いかもしれませんね。折紙はアンノウンと敵対した程度の関係、狂三とも当然仲が悪いどころの話じゃない。琴里も狂三相手は警戒モード。癒し枠の十香と四糸乃に頑張ってもらわないと詰む。うわ書きずれぇ……。
今回なんでそんな話をしたかと言えば、本編中にちょっとした言葉遊びを入れたのと、ちょくちょく書いてかないと完結後の後書きが大変なことになるかなと。今も後書きのくせに大惨事な文字数ですしね!!
さて、本編ではついに進んだ、というべきでしょうか。軽口な二人のやり取りも懐かしさを感じる今日この頃。
望まれた生命はそこにある――――たとえそれが、
感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!