デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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第百九十八話『リビルド』

 

「――――そんなの、できるわけない」

 

 強く、否定する。未零は真士の言葉を、記憶が告げる大切な存在を、けれど信じることはできない。

 彼は見ていた(・・・・)と言った。なら、わかっているはずだ。判らないはずがない。

 

「……始原の精霊同士のぶつかり合いでの対消滅。それは、【一二の弾(ユッド・ベート)】の力を超えている。存在が生まれただけなら、精霊の力で書き換えられるかもしれない――――けど、特異点同士(・・・・・)が消える事例なんて前代未聞だ」

 

 歴史を変えることに必要な条件。〝原因〟と〝結果〟。そして恐らく、その存在がどこまで世界に影響を及ぼしているか(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 始原の精霊という存在だけならば、【一二の弾(ユッド・ベート)】で遡行した精霊の力で書き換えることが可能かもしれない。しかし、未零とウェストコットが引き起こした事象は、想定上ですらその域を超えていた。

 天使と魔王の窮極。互いに至った極限を衝突させ、対消滅を起こした。ウェストコットも、そしてあの瞬間だけならば未零もまた『始原の精霊』という原初存在。そんな者が二人揃って消滅する事象を、世界という存在が固定化しないわけがない。

 言わば、今の未零たちは歴史の特異点。この瞬間、確定した歴史(・・・・・・)として世界が定めようとしている――――ここを離れれば、その世界に溶けて消える(・・・・・・)未零だからこそ、理解してしまえるのだ。

 

「未零の言う通りかもしれないな。前代未聞、誰もやったことがない――――――やったことがないからって、士道は諦めるやつか?」

 

「……っ!!」

 

 息を呑んで、真士の言葉を一瞬でも受け入れかけてしまう。

 士道はやり遂げた前例がない、誰もが無理だと諦めるようなことを、ずっとやり遂げてきた。精霊たちを、未零を――――あの狂三でさえ、士道なら出来るかもしれないと力を貸した(・・・・・)

 過去は確定した。誰でもない、世界の意志によって。

 

 

「――――――未来(・・)は、まだ決まってない」

 

 

 しかし、確定した未来は存在しない。

 

「万由里……」

 

「あんたも、私も……消えるために生まれた存在じゃない。あんたは、もうそれをわかってる――――――戻れないってことは、生きたいってことでしょ?」

 

 万由里がそう言って微笑む。優しく微笑むから、未零はまた涙を堪えられなくなった。

 涙なんて、あの日以来流したことはなかった。それも、誰かのためじゃない――――――未零は狂三たちと生きたいと願って、泣いているのだ。

 大切な誰かに生きていてほしい。見返りなんて必要なかった。満足をして、無価値が死を得るところまできて――――――未零の心は、未来を望んでいる。

 

「……私。ずっと、死にたかった(・・・・・・)

 

「うん」

 

 独白を、真士と万由里はただ受け入れた。

 

「……けど、できなかった。私は、生きていてほしかった。願ったことは、ただそれだけだった。あの子が生きていく世界は悲しくて、辛くて、苦しくて――――――でも、生きていてほしいって、思った」

 

「だから、頑張ったんだよな」

 

 素直にうなずく。未零が死を止めた理由は、それだけでしかなかった。

 未零が生きて何かを成せば、それは誰かが生きることに繋がる。そうやって、自分が戦っていれば、いつの日か未零という存在が消えてしまっても、あの人が生きていけるかもしれないと。

 それだけだった。それだけ、だったのに――――――多くのものを、拾おうとしてしまった。

 

 

「……本当は、狂三だけだったのに。狂三の大事な人が増えて……狂三が大事だと思う人を、私も生きていてほしいって思って――――お姉ちゃんだって、最初から生きていてほしいって、私は思ってたって気付かされて……」

 

 

 それは、できないことだと諦めていた。未零の犠牲を等価値として、狂三一人を救うことができるのならと。未零に他の者は救えない。大事な一人のために、大事だと思える人たちを見捨てる。所詮、少女にできることは澪ができることより劣るのだと。

 ――――――けれど、救えてしまった。

 士道が、狂三が……ありえないと思っていた希望を繋いで、未零の犠牲を払い、切り捨てるはずだった澪でさえ。そうして、救いたかった人を救えたのだ。それは等価値として歪んでいる。でも、対価としては正しい。

 そう、正しい。元は消えるだけの存在が、正しい意味を持って対価を払った。未零は納得するべきだし、これ以上の結末はない――――――流す涙は、その結論(こたえ)を自ら否定するものだ。

 

「……いいんだよ、君は生きてて」

 

「っ!!」

 

「難しく考えすぎなんだ。結局、俺たちの言う価値なんて後からついてくるもんさ。君が生きていてほしいと願った人たちは、君に生きていてほしい(・・・・・・・・・・)と思ってる。価値なんて、そんな単純なものでいいんだよ――――――そう願われたから、君は生きたいと思ったんだろう?」

 

 そうだ。友達になりたいと言われ――――嬉しかった。必要ないと思っていたものが、少女は嬉しいと感じた。感じることが、できるようになっていた。

 生まれて罪を背負って。それは自分のものだと定義して。その幸せを知らなかった。記憶の上で成り立つ故に、未零という少女は目を背けていた。消えるために生まれた存在だと、信じていた。

 けど、違う。名を貰って、生きろと言われた未零は――――――もう、消えるために生まれた存在ではなくなった。

 それは、(『私』)祈り(のろい)を超えるほどに育てられた、未零(わたし)の意志だ。

 

「……いいのかな。一緒にいたいって、思ったままで」

 

「いいに決まってるだろ。大体、そこに関しては未零が頑固だったんだぞ。まったく、そういうところは澪にそっくりだな……いや、俺が言える台詞じゃないんだけど」

 

 そう言って、真士はバツが悪そうに頭を搔く。大元を辿れば、真士がいなくなって澪が頑固になった原因はウェストコットのせいであるのだから、真士が苦笑するのもおかしな話ではあるのだが。

 コホンと場を整えるように咳払いをし、真士が快活に笑う。ああ、それは――――――三十年前の記憶と、同じものだった。

 彼の時は止まったままなのだと――――もう進むことはないのだと、わかってしまった。未零の中に残った澪の記憶が、狂おしいほどの感情の渦として吐き出されそうになる。

 

「……シン」

 

「そんな顔するなよ、未零。可愛い顔が台無しだぜ? ……やっぱこれ、俺には似合わないな」

 

「ううん。そんなことないよ。お姉ちゃんなら笑ってくれる」

 

「それはそれで複雑だぞ……」

 

 嬉しいのやら悲しいのやら、真士はむむむとあごに手を当て物思いに耽ける。大方、澪の反応を想像でもしているのだろう。……大概、想像に易いものな気はするが。

 

「まあ、良かったよ。どのみち、士道たちに無理やりにでも連れ戻されるけど、心が決まってる方が気持ちがいいからな。義兄さんは安心です」

 

「……妙に含みがある気がするんですけど、その呼び方」

 

「いいんじゃない。間違ってなさそうだし――――――真士の頼み事、これなら預けられそうね」

 

「……え?」

 

 万由里が含みを持たせた物言いをして、真士がゆっくりと頷いた。一体、何を――――――瞬間、世界が揺れた(・・・・・・)

 

「っ、何……!?」

 

「おっと、もう始まりそうだな」

 

 何をだなんて、問うまでもなく。揺れる世界で、真士は一度目を伏せて、沈黙した。

 それは、感情の整理であり――――――生涯抱いた願いを、抑え込むようなものに見えた。

 そうして開いた目に迷いはなく、未零の心臓が嫌に鼓動を鳴らす。その意味を、未零の中に残った記憶(崇宮澪)が悟る。

 

 

「澪に――――――伝えて欲しいことがあるんだ」

 

 

 言葉の意味は――――――今生の別れであると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 肉体はとうに限界を超えた。血肉が沸き起こる闘いを終えて、時崎狂三という精霊の肉体は限界を迎えていた。

 動けようはずもない。戦いの果てに、狂三は勝利を――――――まだ、手にしていない。

 手にしているはずがない。新たに生まれた始原の精霊を超えた。ただ、それだけだ。そんなものは道中でしかない。

 

 時崎狂三は、五河士道との約束を果たしていない。

 

 ならば、動ける。狂三は足掻く。なぜなら、ずっとそうして生きてきたから。

 肉体が動かないのなら、思考がある。思考が働かないのなら、心がある。最後の最後まで、時崎狂三は望みを捨てない。こんなところで膝を折っては、『時崎狂三』に笑われてしまう。

 

 『時崎狂三』に、少女は勝った。その事実があって、どうして諦められよう。その勝利に誓って、少女は決して諦めることをしてはならない。

 

 

『――――――わたくしが、この時崎狂三が、全てを諦めたと、本当にそうお思いですの? 亡き友を思い、殺めた命を悔い、ひたすら神に許しを請うか弱き人間に成り果てたと』

 

 

 ――――記憶が、過ぎった。

 それはきっと、狂三ではない狂三の未来。その未来の中で、時崎狂三は凄絶に笑っていた(・・・・・・・・)

 友の死を、罪業を背負った最悪の精霊は、力を失ってなお諦めなど心に存在させはしなかった。ああ、ああ、そうだろうとも。諦めるくらいなら、狂三は初めからこんな道を選んでいないのだから。

 ならば、ならば、ならばならばならば――――――狂三は、最後まで笑おう。

 

 神を殺し、世界を壊す。救われるお姫様ではなく、悪逆を成す女王として、魔王の隣へ並び立とう。

 

 故に――――――狂三が紡いだ絆を信じることは、必然といえるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「〈刻々帝(ザアアアアアアアフキエエエエエエエル)〉――――――ッ!!」

 

 

 歌うように。唱えるように。女王は天使の名を謳う。

 涙を流し、赤く腫れ上がった目を見開き、時崎狂三はその手に銃を取る。

 諦めなど、一瞬で捨て去った。納得など、一秒の足しにもならない。一歩でも、先へ。誰でもない自分自身の望みを、約束を果たす。今やらずして、いつ行うというのか。今この瞬間を諦めて、あの子の未来を誰が掴み取るのか。

 狂三が言ったのだ。あの子と友達になりたいと。一緒に時を過ごしたいと。その責任は、誰にも奪わせはしない――――――!!

 

 

「【七の弾(ザイン)】!!」

 

 

 選んだ弾丸を、二発(・・)。装填された銃口をそれぞれに向け、狂三は彼女たちを呼んだ。

 

「折紙さん!! 十香さん!!」

 

「……!!」

 

「わかった!! 来い、狂三!!」

 

 その向けられた先を見て、二人が迷うことなく意志を返す。銃口の先は、折紙と狂三、十香を縛る〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝。

 強固さはなおも現在。主が去り、しかし命に背くことはなく狂三たちを安全地へ引き寄せ続ける。だが、退いてくれ。狂三は、今その主を救いにいく(・・・・・)

 

「っ!!」

 

「おおおおおおお――――ッ!!」

 

 折紙と十香、二人が全力で霊力を解放し、僅かばかりに枝の拘束を緩ませた――――――刹那、狂三は寸分違わぬタイミングで時間停止の弾を、緩んだ二つの枝に撃ち込んだ。

 二人が拘束を一瞬緩ませた時間を〝固定〟する。停止する枝と、不測の事態にも新たな〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝が迫る。

 ――――全身の霊力を練り上げ、肉体の撃鉄を叩き起す。

 

「っ、ああ――――っ!!」

 

 悲鳴を上げる。狂三という精霊の限界を超え、拘束が緩んだ一瞬を付き、折紙の手を借りてまで、跳ぶ。跳んだ先は、目的の人の下ではなく、そこへ狂三を導く人(・・・・・・・・・)

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を構えた十香へ――――王の刃の上に立つ。

 

 

「往け、シドーの下へ――――――ッ!!」

 

 

 十香が全力を以て〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を振り抜き、合わせるように跳躍。十香という最強の精霊を最高の中継地とし、狂三は〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉内の空間を流星の如く貫く――――――それでも、遠い。

 

「っ……」

 

 息を詰まらせる。狂三を危険に晒すまいと、空間内の枝が迫り来る。普段であれば数秒とかからず突破できる道が、あまりにも遠い。

 無理もない。それは一番、誰でもない狂三がわかっていたことだ。皆を生き残らせるための度重なる未来予測。エレン・メイザースとの激戦。霊力より、狂三の肉体と精神の負担が許容量から溢れている。

 だからといって、ここで止まってなるものか。今でなくては、駄目なのだ。『無』の力の衝突。暴走するマナの奔流は、この瞬間にのみ発生する。世界に溶けて消えては、使えなくなる(・・・・・・)

 届かせる。あの人の下へ。分身に身体を入れ替える。時間加速を強引にでも扱う。僅かな未来へ飛ぶ。一瞬のうちに去来し、そして否決されていく。

 ――――――ああ、そうだ。届くだけでは駄目だ(・・・・・・・・・)

 この肉体、精神を使い物になるようにしなくてはならない。けれど、どうやって。士道の下へ至る僅か数秒の間に、狂三が精霊として必要な力を得るにはどうすればいい。

 狂三の中に道はある。だけど、届かせるだけの答えが見つからない。狂三を絶望(せいぞん)へと誘う天使の呼び声がにじり寄る。それでも、たとえ存在しない可能性だとしても、狂三は手を伸ばした。

 

 

「――――――え?」

 

 

手が取られた(・・・・・・)。誰かが、狂三の手を取った。

 長い、長い一瞬の間に、時崎狂三は〝彼女〟を認識した。

 酷く、倒錯的だ。その光景を見た誰もが、そう考えて止まないことだろう。だって、時崎狂三の手を掴んだのは――――――

 

 

「その諦めの悪さに敬意を――――――これは、ナルシズムというのでしょうね」

 

 

 『時崎狂三』。自らが生み出し、自らと定義し――――――自ら道を違えた彼女その人だったのだから。

 その奇抜なメイド服(・・・・・・・)をはためかせ、閃光のように銃を振り抜き引き金を引く。銃弾は狂三の足先に追いついていた枝を撃ち抜き、ほんの数瞬の隙間を産んだ。

 それが何だというのだ。きっと、人はそう告げるのだろう。しかし、狂三は違う。狂三は彼女(・・)を知っている。『時崎狂三』を知っている。

 『時崎狂三』は、考え抜いた行動に於いて、決して無為と呼ばれるものを存在させない精霊であると。

 

 ――――――狂三の胸元に、銃口が押し当てられた(・・・・・・・・・・)

 

 

「――――これは、契約(・・)ですわ」

 

 

 過去を同じとし、現在(いま)を違えた『時崎狂三』は道を違えた狂三への蔑みを、あるいはそれでも自分自身なのだという誇りを浮かび上がらせ、告げた。

 

「違えることは許しませんわ。間違えることは許しませんわ。『わたくし』を裏切ったからには、時崎狂三(あなた)にはその責務を果たしていただきませんと。これを受け取る以上、後などない(・・・・・)。絶望など、甘えたことは許されませんわ」

 

「……ええ、ええ。それが、わたくし(時崎狂三)の責任ですもの」

 

 その間にも枝が回り込み、狂三たちを包み込み始めた。構うことはない。見向きもせず、瞳にはその理解だけを込め狂三は『狂三』と相対する。

 『狂三』はフッと微笑むと、感慨とも悔しさとも、えもいえぬ感情をそこに載せた。

 

 

「まったく、腹立たしいですわ。腸が煮えくり返るようですわ――――――わたくしでありながら、あの子のことを見捨てないだなんて、羨ましいですわ」

 

 

 そうして、最後の引き金は引かれる。

 

 

「あの子の未来を――――――どうか、あの方と創り上げて見せてくださいまし」

 

 

 胸を穿つ、黒に染った白の霊結晶(・・・・・・・・・・)。同時に、言葉を吐いた『狂三』が影へ呑まれ、時崎狂三の内側を刻まれる。

 ――――道を違え、けれど狂三は狂三でしかない。抱いた想いは、過去を切り離せど『なかったこと』にはならなかった。

 嗚呼、嗚呼。あまりに多くのものを『時崎狂三』は取り零した。これはその一つだった(・・・)

 その過去を無為にはしない。『なかったこと』にはしない。紡ぎ上げた全てを、取り零したものを――――――

 

 

「おいでなさい――――――〈刻聖帝(ザフキエル)〉」

 

 

 拾い上げるために、狂三は飛ぶ。

 

 黒の翼が――――――羽ばたいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 躊躇いはなかった。故に、少年の心は定まっている。

 元より、そういう約束だ(・・・・・・・)。士道は、彼女といたいから誓った。彼女を手に入れるために約束を守る。

 全てを『なかったこと』にするのではない。紡いだものを、紡いだ思い出を消させない。奇跡を起こした履歴を信じて。

 

 五河士道という男は、諦めの悪さに定評がある――――――なら、あえて語ろう。

 

 これから生きる少女を犠牲にしたハッピーエンドなど、クソ喰らえ(・・・・・)だと。

 

 

 

 

「――――そうだろ、澪!!」

 

 マナの傍流が空間を叩き、こちら側でさえ凄まじい衝撃に打ち付けられる。意識を飛ばすまいと、士道は力の限り叫びを上げた。

 

「……士道」

 

 力なく、〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の枝木にされるがままに囚われた澪。その瞳に映るものは――――――ああ、言ってやるまでもない。

 

「はっ――――なんて顔してんだよ、おまえ……!!」

 

 だから士道は、目一杯の叱咤激励を言葉にする。なんでいい。なんでもよかった。ただ、思うがままに澪を立ち上がらせる(・・・・・・・・・)だけの言霊を叫んだ。

 

「何勝手に諦めた顔してんだよ……っ。おまえが諦めて、どうすんだよ!! 言っとくがな、俺はおまえが犠牲になる結末も、未零が犠牲になる結末も願い下げなんだ!! だから、ここでおまえに諦められたら困るんだよ!!」

 

「っ……じゃあ、どうしろって言うの……!? 私はもう、シンに会えない(・・・・・・・)……っ!! あの子を犠牲にして、私はまた生き残って……!!」

 

「っ……」

 

 優しさを知り、悲しみを背負い。贖い切れない罪を犯した。

 その澪の叫びが、告げている。澪の本心――――――シンが戻らないならせめて、シンと添い遂げる(・・・・・・・・)ことが澪の願いだった。

 癇癪を起こした子供のように、支離滅裂な思考を言葉にする。今の澪の心は、澪にすら制御できていない。

 死にたかった。殺してほしかった。そうすれば、真士にまた会うことができるかもしれない――――――そんな祈り(のろい)を受けて生まれた少女が、自らの死を防いで犠牲になった。

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の制御権を澪が失った理由も、恐らくはそこにある。主を天使が生かそうとした(・・・・・・・・・・・・)。それだけの話――――――小を犠牲にし、大多数を生かす未零の選択を天使は推奨したのだ。

 澪の心に寄り添うのが、崇宮真士の心だ。しかし、士道は(・・・)拳を握り、血の滲む唇を噛み締め、己の心に従った。

 生憎、士道は狂三ほど優しくはない。だからここで放つ言葉は、死を望む少女への慰めなどではなかった。

 

 

「生きてるなら――――――責任を取れよ!!」

 

 

 不条理でも、望まなくても、それは崇宮澪に生じた責任(・・)だ。

 

 

「おまえが死にたいのはわかってる!! 俺と、記憶の中の真士の……!! 狂三、それに未零!! みんなの願いを受け取って、それでも死にたいっていうおまえの希望(ぜつぼう)!! ああ、結局俺たちの勝手な押しつけだよ!! 俺たちの勝手なら、澪が死にたいって気持ちを捨てないのも自由だ!! けど、けどな――――――」

 

 

 生きていてほしい。それは一方的な願いだ。最後には、死を願う彼女が決めること。そこに責任はない。澪の罪は、生きることへの意味にはなりえない。

 ならば、責任は何か。澪が背負った責任とは、彼女自身が決めたこと(・・・・・・・・・・)にある。

 それは絶対に看過できない。士道は決して、見過ごすことはできない。五河士道が生きてきた十数年で、揺らぐことのない答え――――――

 

 

「妹を守るのは、姉貴の役目(・・・・・)だろうが――――――ッ!!」

 

「――――――っ!!」

 

 

 言葉を受け、目を見開いた澪。それを見て、確信に至った士道は目を細める。

 やはり、そうなのだ。未零が自ら名乗るわけがない。ならば、いつかの過去――――――(令音)は未零を自らの妹(・・・・)として認めた。

 それが彼女なりの慈悲だったのか。それとも気まぐれだったのか。それは、彼女自身にしかわからないことだ。だが、士道は信じる。澪の心を、優しさを。

 言葉に出したのなら責任がある。妹としていてほしいと願ったのなら――――――妹を守るのは、姉貴(兄貴)の役割なのだから。

 

「言ったなら果たせ!! おまえは生きてて、まだそれを果たせるんだろ!? 死にたいとかそういうのは、姉貴として責任を取ってからにしやがれってんだ!! それまでは、俺はおまえの言い分なんて聞いてやらねぇ!!」

 

 手を伸ばす。手を取るため、取らせるために。

 

 

「そんで全部終わらせてから、そのあとおまえを生かすために思う存分言葉をぶつけてやる!! そのためにも――――――未零を助ける力を貸せ、澪!!」

 

「――――――」

 

 

 士道が伸ばした手――――――それを握り返した手が、言葉より雄弁な行為であった。

 そして、澪と士道が驚愕を表情に浮かべたのは、もたらされた光景を目撃してのことだった。

 

「これは……!!」

 

 瞬間、失われていた澪の星に光が輝く。灯るはずのない光の色は、無色(・・)

 色を変え、光り輝く星の意味は――――――

 

 

「――――――士道さん!!」

 

 

共振(・・)している。共鳴の光を携え、光を受け煌々たる輝きを放つ一対の黒き翼。

 狂三が、そこにいる。諦めなど存在しない、異形の瞳を見開いて。彼女であれば必ず、そうだろうと思った。

 狂三が諦めないのなら、士道は諦めない。狂三が良しとしたなら、士道はそれを信じる。士道が選び取った道を狂三もまた迷うことなく突き進む。

 運命共同体。ああ、ああ。最高じゃないか。世界を壊す(・・・・・)には、十分すぎる動機だ――――――!!

 

「ああ、やろうぜ――――――狂三!!」

 

 〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の一部は、澪の意志に従い(・・・・・・・)権限を取り戻している。拘束が緩んだ枝を振り払い、士道は翼を羽ばたかせた狂三の下へ至る。

 事ここに至って、やるべきことを口にする必要はない。

 見てきて、成した。世界を変えるということが、どういうものなのかを。士道の中の疑問と燻っていた考え、それらは今まさに視えている(・・・・・)

 

「澪、アイザックが撒き散らしたマナの制御を頼む!!」

 

 暴れ狂うマナの制御も、今の澪であれば必ず御しきれるはずだ。そもそも、マナの集合体である澪が(意志)を取り戻したのであれば、不可能という方が難しい。

 応え、うなずいた澪だが、その唐突な指示に眉をひそめた。

 

 

「わかった。……けど、どうする気?」

 

「決まってんだろ――――――世界をぶっ壊すんだよ。俺たち好みにな(・・・・・・・)

 

 

 不敵に笑う士道に、澪は目を丸くすると――――――数々の想いを込めた笑みを返した。

 

 

「うん――――――やっちゃえ、士道」

 

 

 この最悪な世界(・・・・・)に対する鬱憤を晴らすことを託して。

 膨大なマナの奔流。規則性のなかった流れが、一定の方向へと収束していく。

 マナと、全ての受け皿(・・・)になる隠された霊結晶(セフィラ)を取り込んだ狂三。だが、まだだ。足りていない。世界の条理を超えるには、この程度では至らない。

 ――――――いつか、考えたことがあった。

 世界とは、都合よく変えられるものではない。それは〈刻々帝(ザフキエル)〉という時の女王の力を借り、それでもなお士道が味わったことである。

 条理を超え、変革させた世界。しかし、世界に大きな変化はなかった。変えられたのは僅か数人の運命。それも、世界という意志に阻まれ、完全な形にはなり得なかった。

 どうすればよかったのか。何をするべきだったのか。人ひとりが考え、行動するには恐ろしい思考だ。けれど今――――――士道は一人ではない。

 正しいことではない。そんなことは承知の上だ。士道は一人じゃない。狂三を一人になんかしてやらない。理が世界によって捻じ曲げられる恐怖を、狂三だけに味わわせてたまるものか。

 定めた答えに、疑問の解答は存在した。世界の意志により士道たちの行動が捻じ曲げられるのなら――――――世界の意志を凌駕するだけの力を、手にすればいい。

 あまりにも単純。考え得る中で、これほど馬鹿正直な答えはないだろう。だが、この最悪な世界をぶち壊すつもりなら、この程度は超えなければならない。

 

『――――――』

 

 士道は狂三と顔を見合わせる。こくりとうなずいた、うなずき返した。

 士道は一人ではない。狂三は一人ではない。そして、士道たちは二人ではない(・・・・・・・・・・・)

 

 

「みんな――――――っ!!」

 

 

 声を張り上げ、希望を呼び起こす。

 マナの暴風が巻き起こる中で、届くはずのない士道の声――――――いいや届くと、確信があった。

 士道の中には、彼女たちと繋いだ(きずな)が存在しているのだから。

 

 

「世界を、ぶっ壊しに(救いに)いくぞ――――――ッ!!」

 

 

それ(・・)は確かに、士道たちの心へ届いた。

 

 

「――――必ず助ける。今度こそ、世界を変える」

 

 

 〈絶滅天使(メタトロン)〉。白の輝きが。

 

 

「――――ここまできたら、もう最後まで振り切ったお話を見せてくれよ、ってね!!」

 

 

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉。灰の輝きが。

 

 

「――――皆さんと、楽しく笑っていける優しい世界を……!!」

 

 

 〈氷結傀儡(ザドキエル)〉。青の輝きが。

 

 

「――――こっちはとっくに腹括ってるわよ。ぶちかましてやりなさい、おにーちゃん。それと、おねーちゃん!!」

 

 

 〈灼爛殲鬼(カマエル)〉。赤の輝きが。

 

 

「――――その行為が罪だとしても、止めはせん。じゃが、共に背負うことが家族じゃろう」

 

 

 〈封解主(ミカエル)〉。桃源の輝きが。

 

 

「――――私にできることなんて、ない。でも、みんなの一歩になるくらいは、したい……っ!!」

 

 

 〈贋造魔女(ハニエル)〉。緑の輝きが。

 

 

「――――鼓舞。八舞の御子、本領発揮です」

 

「――――然らば!! 我らが世界を穿つ槍とならん!!」

 

 

 〈颶風騎士(ラファエル)〉。橙の輝きが。

 

 

「――――コンサートの〝約束〟、一名様追加しちゃいますよー!!」

 

 

 〈破軍歌姫(ガブリエル)〉。水の輝きが。

 

 

「――――大事な名を得たまま、逝かせはしない!!」

 

 

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。紫紺の輝きが。

 

 

 

 天の光を携え、集う。想定された質を凌駕した(・・・・・・・・・・・)、絶大なる力の傍流。

 水晶に映す想い。想いが力になる。誰かを愛するということが、何より霊結晶(セフィラ)を輝かせる意志の光。

 色を伴い天を昇る光たち――――――だが。

 

「……士道、駄目だ!!」

 

「く……!?」

 

 澪の警告に、士道は顔を渋面に歪め呻く。その意味を身をもって知る。

 九つの光は、士道を伝い狂三へと至るはずだった(・・・・・)。しかし、それぞれの主から放たれた光は、規則性を持たず空間内で暴れ狂おうとしている。

 ――――士道の能力は封印(・・)だ。今士道が行おうとしていることは、その真逆と言える放出(・・)。自らの身に収めるならいざ知らず、この行為は器として完成された士道といえど相反するものと言えた。

 だから――――だけど、士道は狂三の手を握り意識を集中する。

 

 

「っ……それでも、届ける――――ッ!!」

 

 

 手を握り、自分を信じて祈るようにその時を待つ女王(てんし)に、士道は全てを届けるのだ。

 集められた(しんらい)を。叶えるべき願いを。ここで士道が手にできなければ、犠牲になるあの少女を救うことすら叶わない。

 あの子を救う。取り零したあらゆる者を救う。たとえそれがエゴだとしても。過去を踏み躙る行為だとしてもだ。

 それが正しいというのなら、正しさなんかいらない。士道は士道の中でそう決めた――――――その裁定を下した。

 

 

『――――――大丈夫』

 

 

 瞬間――――――

 

 

『私の力は、士道の中にある』

 

 

 友を救わんとするその声は、士道の中にあった(・・・・・・・・)

 嗚呼、そうだった。食いしばっていた歯が緩んで、自然と笑みが零れる。

 過去は無意味なんかじゃない。あの瞬間、あの行為には意味があった――――――消えるためにあった生命など、士道の中には存在していない。

 覚えている。忘れていない。ずっと、共にあった――――――眠れる天使の名を、士道は叫んだ。

 

 

「――――〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉!!」

 

 

 裁定者の力をここに。

 形を失いし天使は、だが精霊を封印する能力(・・・・・・・・・)によって納められた。

 ならば、その力は残されている。器を介して霊力を一点に集める、万由里の力(・・・・・)が残されている――――――!!

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――ッ!!」

 

 万由里は精霊たちが持つ霊力の集合体。それにより、彼女は十香へ全ての霊力を集結させることができた。

 それが精霊の力というのなら、士道に扱えぬはずがない。そしてここには、皆の霊力を封印した士道(・・・・・・・・・・・)という絶対的な〝器〟がいる。

 澪の力、想いの力。それによって増幅された莫大な天使の霊力――――――全てを収め、一つに(・・・)

 皆との経路(パス)を伝い、器である士道が力を収める。時を支配する狂三が中心に存在しなければならない。しかし、精霊たちとの経路(パス)は士道にしか存在しない――――――ならば、狂三との繋がりを持つ士道(・・・・・・・・・・・・)が、力を繋いで狂三へと導く。

 

 

「――――――約束だ」

 

 

 マナが、霊力が。祈りを捧げる狂三の翼へ。黒の翼に全ての色を載せ、天使の羅針盤は脈動する。

 少女の願いを叶えるために。少女の望みを実現するために。

 想いと力。両方をこの瞬間に兼ね備え、士道は運命の女王に告げた。

 愛しい女の頬に手を添えて――――――少年の(こたえ)を。

 

 

 

「一緒に、世界を創り変えよう」

 

 

 

 誰に命じられたわけでもなく、士道はその答えを得た。

 身勝手に、傲慢に。それでも士道は――――――好きな少女のために、この世界に宣戦布告するのだ。

 思い出をありのままに。出会ったことを無くさずに。都合の悪いだけの悲劇を消し去る。ああ、ああ、なんてご都合主義な話であろうか。

 だけど、世界一愛しい少女は――――――ただ微笑んだ。

 

 

「ええ、ええ。士道さんとなら――――――士道さんでなくては、嫌ですわ」

 

 

 士道ではなくてはいけないと、最上級の愛(・・・・・)を以て返した。

 言葉は、多くは必要ない。なぜなら、この時刻(とき)から始まる旅路で、もっと多くの言葉を交わすことになるのだから。

 彼方の地平から始まりし記録を、書き換える。自分たちの都合がいい記録へ。けれど、精霊たちが紡いだ歴史は『あったこと』のまま。自分たちの出会い(思い出)を残すために。

 あまりにも身勝手な独裁者(かみさま)は――――――――

 

 

『〈刻聖帝(ザフキエル)〉――――――』

 

 

 その名を、告げた。

 

 

 

『――――――〈0の弾(エフェス)〉』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――ッ!?」

 

 知覚は突然、振動から時を置かずに――あるいは未零たちが合間を知覚できない〝時間〟で――襲いかかるように訪れた。

 だが、そんなものよりも未零には見過ごせないものがあった。世界を揺るがす振動。目の前で言葉を交わしていた真士が、遠くなっていく(・・・・・・・)

 

「シン……っ!!」

 

「…………」

 

 手を伸ばす未零に、真士は目を伏せて首を振る。まるで、自分はそちらにはいけない(・・・・・・・・・・・・)。そう、言葉のみならぬ証明をしているかのように。

 

「俺は、君たちとはいけない」

 

「でも、シンがいなきゃ……あの人は……!!」

 

 澪は、救われない(・・・・・)

 

「……だから、だよ」

 

 その事実を知りながら、真士は悲しげに微笑んだ。

 

「ずっと見てきた。どんなに叫んでも届かなくて、それでも会いたいって思った。ずっと、ずっと会いたかった」

 

「だったら……!!」

 

「だけど――――――そのために、全部(・・)を犠牲にしてきた」

 

「っ!!」

 

 愕然と目を見開き、万由里に引き寄せられ、抱き止められてなお伸ばされた未零の手は、真士の言葉で塞き止められた。

 

「会いたい。澪に会いたいって、思っちまったんだ。……そんな俺と澪のために、さ。他の全部を『なかったこと』には、できない。ここで俺を戻したら、あったはずの救いが台無しになっちまう。それだけは……しちゃいけない。全ての始まり(・・・・・・)だった俺だけは、士道たちに救われてやるわけにはいかないんだ」

 

 それは、贖いきれない罪の証だった。

 許されるとは思っていない。許されようとも思わない。あらゆる犠牲は無くなる。だけど、その罪は重く、残酷に伸し掛る。刻まれた記憶は決して、『なかったこと』になどならない。

 崇宮真士という優しい少年に、そんな罪を背負わせてしまったことこそ――――――澪が生きて、苦しく背負っていく罰だと突きつけられた。

 そして、その罰を受けさせて生きてほしいと願うのは、他ならぬ未零なのだ。

 

「……短い間だったけど、ありがとうな、万由里。俺の義妹(・・・・)をよろしく頼むよ」

 

「あんたは――――――ううん、わかってる。あんたに言われるまでもないわ」

 

 別れを向けられた万由里は、何かを言いかけて止めた。生意気で偉そうで、けれど優しく笑って。万由里らしい短い言葉に、真士は笑って――――――涙を流していた。

 

「……ああ、くそ。駄目だなぁ、俺」

 

「……シン」

 

 笑って別れようとして、下手くそな笑顔を浮かべながら、真士は泣いていた。

 ただ会いたい。純粋な願いをもって、その純粋な願いが歪めた世界をずっと見てきた少年は、澪の罪を共に背負うことを選んだ。

 

「駄目だってわかってるのに、会いたいって思っちまう。俺が連れていってやりたかったのに……澪が生きてるだけで嬉しい、そう思ってるのも本当のことなのに――――――あーくそ、悔しいなぁ!!」

 

「っ……シンは、どうなるの?」

 

 泣いて、別れを告げる真士に聞かずにはいられなかった。自らの震える声で、未零は問わずにはいられなかったのだ。

「……できれば、ここで待っていたかったけど――――――澪はもう、前を向いていける(・・・・・・・・)

 

 ――――わかっているのに。ここがどういう場所であるか、わかっていたのに。

 

「だったら、俺がここにいられる理由はないし、いちゃいけないんだ。だから――――――澪に、伝えてほしい」

 

 最愛の人に届くことのない、涙に彩られた微笑みを浮かべ――――――

 

 

「――――待ってるから。向こうで、ずっと君のことを待ってる」

 

 

 別れと再会を、約束する。

 

 

「色んな場所を、世界を見てほしい。俺はもう、同じ景色を澪の近くで見てあげることはできないけど……だから、また会えたそのときは……沢山、いっぱいの話を聞かせてほしい。そのとき、まで……っ!!」

 

「……っ」

 

「――――――愛してる。ずっと、大好きだ」

 

 

 ――――――生きてくれ。大切な人たちと、この世界で。

 

 

「シン――――――!!」

 

 

 叫んだ。ああ、傲慢だ。このときだけは、崇宮澪であれなかった自分自身を呪った。

 だけど、真士は笑っていた。未来を祝福して、救われない自分たちを――――――遥か未来への希望を託して。

 

 

 それが彼との最後の記録。無色の世界が崩れ去る――――――霊力によって保たれた魂が、解き放たれる。

 

 矛盾の螺旋を描き、全てを受け入れ――――――世界が、創られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「――――未零。起きて、未零」

 

「…………、?」

 

 誰かに――――この声は、一人しかいない。

 訂正。折紙に身体を揺すられ、落としていた意識がぼんやりと覚醒へと移り変わる。

 起き上がる瞼。映り込む光景は、想像だけでなく実像を伴わせた。

 未零を揺すり起こしたのは、折紙だ。起伏が薄いながら、心から安堵の表情を浮かべているように見える――――――何とも珍しいものが見れたなと、場違いな考えが浮かぶほどだ。

 見れば、彼女たちだけではない。琴里、耶倶矢、夕弦、四糸乃、七罪、美九、二亜、六喰、マリア――――――澪。

 

「――――――」

 

 二人が、いない。

 その事実を認識し、未零は身体の負担を無視して跳ねるように飛び起きた。

 同時に、現状の把握――――――わかるのはせいぜい、この場所が海岸だということくらいだ。

 

「!! 未零!!」

 

「おぉー、目覚めたかいシロちゃん……あれ、この場合れーちゃんの方がいい? けどれーにゃんと被っちゃうな……」

 

「そもそも、もう少し派生を広げるべきです。あなたの想像力は小学生並みですか? いえ、失敬。小学生に失敬でしたね」

 

「ねぇ……普通に呼ぶのは駄目なの……? あ、私みたいな陰キャがすいません……」

 

 安堵なり歓喜なり、個人単位で目を覚ました未零への対応は変わるが、彼女たちらしいものだった。

 だが、そのことに丁寧な対応をしている余裕はなかった。一番近くにいた折紙へ、未零は真っ先に確認しなければならないことを問うた。

 

「折紙。あの二人は……狂三と士道は――――――」

 

「…………」

 

 僅かな沈黙。それは無力感や絶望とは異なる、言葉にするなら困惑(・・)というものが正しいのかもしれない。

 一瞬、冷ややかな予測が脳裏を過るも、すぐさま首を横に振った折紙によってそれも否定された。

 

「わからない。私たちも、気づいたときにはここにいた」

 

「え……?」

 

 どういうことだ。彼女たちは未零とは違い――――そうだ、未零は消えた(・・・)。『無』の天使と魔王。その対消滅の衝撃で、無事でいられるはずがない。

 けれど、未零は生きている。夢ではない。身体は動くし、思考も働く。

 試しに澪の顔を見てみるも、自身と同じ顔で違う表情が返されるのみ。澪でさえ(・・・・)、状況を説明できるだけの知識がないとみていい。いや、この場にいる誰もが説明など不可能に違いない。

 

 何が起こったのか。それを言葉にできるものなど――――――この二人しかいない。

 

『っ!?』

 

 瞬間、星空の下に光が瞬いた。皆が警戒を顕にした、また次の瞬間――――――目の前で水しぶきを上げ、海に落ちた(・・・・・)

 

「は……?」

 

 思わず呆気にとられた声を零す。というより、この状況で呆気にとられない者がいるのなら教えてほしいくらいだった。

 しばらく穏やかな波が寄せては返していき、比較的浅瀬というのもあったのか――――――二人は、驚くほど元気に姿を見せた。

 

「――――もっとマシな着地地点はないのかよ!?」

 

「困った子ですわ。真面目な時は真面目なのですけれど……まあ、水も滴るいい男ということで、お一つどうでしょう」

 

「騙されないからね!? 狂三だけ霊装で無事なの見ればわかるからな!? でもいつまで経っても嬉しいんだなちくしょう!!」

 

 ――――あまりに、普通の日常だった。

 普段通りの彼らだから。変わらない、二人がそこにいたから。誰もが言葉を失い、その光景に目を奪われていた。

 頬に手を当て戯ける少女と、大仰に叫びをあげる少年。だけど、その笑顔は酷く眩しくて――――――

 

 

「――――――狂三、士道」

 

 

 ただ、二人の名を呼ぶことが未零にとっては精一杯のことだった。

 その小さな呼び声を、二人は逃さなかったのだろう。揃って目を向けてきて、勢揃いの精霊たちに目を丸くし――――――ああ、ああ。勝ち誇る不敵な微笑みで、世界を照らした。

 

 

「皆様、ごきげんよう」

 

「待たせたな――――――ちょっと、世界を変えてきた」

 

 

 あっけらかんと。まるで、近場に出てきたような軽さで、狂三と士道は旅路からの帰還を果たした。

 

「あ、はは――――――」

 

 それは、なんて理不尽なのだろう(・・・・・・・・・・・)

 

「あははははははははははははははははは――――――ッ!!」

 

 そんな思いを乗せて、未零は笑った。生涯を思い起こして、これほど愉快なことはないと堪えられない笑い声を上げた。

 腹を抱えて、砂浜に背を預けて――――――心ゆくまで笑う。

 

 

「――――もう、何ですかそれ。本当に世界を変えてくるなんて、反則です。勝ち目なんて、ないじゃないですか」

 

 

 これ以上ないと思っていた結末を。満足を得た選択を。こんなにも呆気なく――彼女たちにしかわからない物語の中で――覆してしまうだなんて。

 〝計画〟も〝悲願〟も、こんな形で幕を引くことになるとは、予想だにしていなかった。

 

 ある意味で、これは自分たちの負けだと言うべきなのかもしれない。

 

 

「……まあ、受け入れるべきなのでしょうね――――――澪」

 

「………………」

 

 

 長い、長い沈黙が落ちた。少女の眼前、崇宮澪が少女を見下ろしていた。

 膝を下ろして、少女へ寄り添うように。精霊たちも、士道と狂三もそれを黙して見守っていた。

 澪は少女へ何を言いたいのか。望み果たす絶好の機会を断たれた恨み言か、はたまた別の何かか――――――そこで、思い出した。自身が得た答えと、

 

 

「――――――シンに、会ったよ」

 

 

 澪に伝えなければならないことを。

 

 

「…………――――――――え?」

 

 

 長い沈黙の先にあったのは、少女へ初めて向けられた声音だったと思う。

 思い出したから、未零はその事実だけを口にした。彼の言葉を、想いを。

 

「伝えてほしい。そう言ってた」

 

「な……、に、を……?」

 

 澪の唇を動かしていたのは、本能、あるいは執念のようなものであったのかもしれない。

 ――――これを告げれば、澪の望む救いは訪れない。だけど、それでも、未零は願った。

 

 

「――――待ってる。向こうで、ずっと君を待ってる。もう、近くにはいられない(・・・・・・・・・)けど、同じものは見られないけど……」

 

 

 澪に、生きていてほしいと願ったのだ。

 

 

「ずっと待ってるから……色んな場所を、世界を見てほしいって。そしたら、また会えたときに、その沢山の話を聞かせてくれ――――――愛してる。ずっと大好きだ」

 

 

 ああ、そうか。言葉にして、受け取って、気が付く――――――三十年前、少年が伝えられなかった愛の告白なのだと。

 抱き締めて、澪が好きだと告げて。人が言葉をよりも先に得た愛情表現。だが、少年はその先を告げる機会を永遠に失った。

 長い時を超えた愛の祈りが、今ようやく澪に届いた。

 

「……澪?」

 

 ――――――その涙は、少女の頬に落ちる。

 

「……あ、ぁ……、あ、ぁ……っ」

 

 少女が流す涙のように、温かな水となって落ちる。

 

「……そっか」

 

 起き上がって――――――抱き締めた。

 自分の半身を。優しい姉を。その罪を。

 彼女の涙は、決して歓喜などではない。己の罪を自覚した、贖いきれない罪の中にある大罪を知ってしまった少女の涙。

 

 

「……ごめんね。私が、もっと早くに止めてあげなきゃいけなかった。もっと早く、あの人をそこから出してあげなきゃいけなかった。……ごめん、本当にごめんね。あなたの一番の苦しみをわかってたつもりで、わかってなかったんだ」

 

「ち、がう……私が、……あ、あぁ……私がシンを、ずっと、ずっと……縛り付けてたのは(・・・・・・・・)、私の方だったのに……!!」

 

 

 嗚咽を交えた言葉を受け止めて、救われぬ少女を抱き締め続ける。

 三十年間、澪を縛り付けていた――――――違う。逆だった(・・・・)のだ。

 真士を縛り付けていたのは、澪だ。その霊力は魂にさえ干渉する。夢か現か幻か……だけど確かに、縛られた崇宮真士はあそこにいた。

 三十年もの間、澪の全てを見ていた(・・・・・・・・・)シンは、確かにそこにいたのだ。

 それはなんて、残酷な仕打ちなのだろう。

 それはなんて、救いのない死なのだろう。

 死してなお、大好きな少女の凶行を、狂気を、自分を愛したが故に犯す全ての過ちを――――――目を伏せることさえ許さず、魂を捕らえたままにしていた。

 もう、戻ることはないと知りながら。その幻想に縋り付き、近くにいてくれた彼のことを考えもせずに。独りよがりの理想郷を目指した。

 そんな澪を――――――シンは愛してくれている。

 

 

「――――ごめん、なさい。ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ。私のせいで、ごめんなさい、シン……!! ごめんね――――――未零……っ!!」

 

「……うん。みんなにもちゃんと謝ろう。……謝って、許されることじゃない。してきたことは消えない。けど、私はあなたと一緒にいるから。〝私〟は『私』じゃないけど――――――〝私〟はあなたの妹だから」

 

 

 歪で、悲しい祈り(のろい)を受け取って生まれ落ちた生命だけど――――――罪を背負ったただ一人の家族と一緒にいることくらいは、できるから。

 

 ――――――だから。

 

 

「――――――生きよう(・・・・)、お姉ちゃん。残酷で最悪で、だけど大好きな人たちがいる世界で――――――その人たちが優しくしてくれた世界で生きて、いつかシンに会いに行こう」

 

 

 生きてほしいという祈りと、生きる意味(いのり)を込めて、生きよう(・・・・)と。

今度こそ(・・・・)、間違わないように。離さないように。

 また会える日まで。胸を張って会えるように。大好きな人と、大好きな話ができるように。

 

 

「――――――うん……っ!!」

 

 

 少しだけ優しくなった、この世界で生きよう。

 

 これが、崇宮澪の救いなのかはわからない。それは『()』にしかわからない。きっと、澪の中には消えない後悔と、生きる意味だった少年と会うことが出来ない途方もない想いが残るのだろう。

 だけど、その声は決意に満ちて。後悔を背負って、その手は抱き締め返されて。優しく、悲しい少女が、贖いきれない罪を背負って生きていく人並み(・・・)の強さを、よくやく手に入れられた気がした。

 

 

 一つだけ、言えることがある。あの日から始まった悲劇と悪夢は、三十年という月日を得て――――――時を超えて、ここに終止符が打たれたのだ。

 






彼の魂は放たれたのか。それとも初めから幻想だったのか――――――どちらであろうと、静止した時は今ようやく動き出したのだと思う。

次回、エピローグ。次回は後書きが長いのでご注意を。言いたいことを全てぶち込んだので本当に長いです。今回の後書きが短い代わりにこの忠告分の100倍くらいあります――――――ついて来れるか。

アホなことはともかく、感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!
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