第二十話『その愛は誰がために』
夢を見た。
燃える、燃える、燃える、紅蓮の焔。
少年が命を賭ける理由はただ一つだった。
小難しい理由も、深い理由も、この少年には不要なものなのだ。
大切な人が、泣いていた。少年の身体が動くのに、それ以外の理由は必要なかった。
『おにーぢゃん! 来ぢゃだめぇぇぇぇぇっ!!』
焔の奔流が、彼の幼い身を吹き飛ばした。
落ちる。全身に力が入らない。自らの命が消え行くのが分かる。それでも、少年がこの時に思ったのは、泣いている愛おしい妹を悲しませたくないという心の叫びだけだった。
その時、不思議な声が響いた。誰のものかも分からない、〝何か〟の声を二人は聞いた――――――そして、切り替わる。チャンネルを変えるように、映像を出力する先が変わるように、この光景は姿を変える。
少女がいた。少女の前に、美しい〝誰か〟がいた。しかし、少年がそれを認識する事は叶わなかった。その認識の全てが、膝を突き倒れる愛おしい少女に注がれていた。
『あ……あ、ああああああああああああああああ……ッ!?』
その後悔が、涙が、絶望が、胸が張り裂けてしまいそうなほど、鋭く少年を貫いた。心が、叫んだ。少女の元へ、そう叫んで手を伸ばそうとした。しかし、出来なかった。〝過去〟へ手を伸ばす力を、少年は具現化させることが出来なかった。
『……っ、ざ、〈
少女がその名を唱え、自らを撃ち抜く。身体が、心が
ノイズが走る。夢から覚めるように、映像が途切れ途切れに流れて行く。ダメだ、まだ消えるな。
二人が会話をしていた。〝誰か〟は淡々と、少女は驚嘆を――――次第に、憤怒を。
『なぜ……あなたは、そんなことを――――ッ!!』
『――――――――――――』
絶叫する少女に、〝誰か〟は言葉を返し少女へ手を向ける。〝それ〟が悪いものだと、少年は分かっているのにどうにもならなかった。意識が、現実へと回帰する。
〝誰か〟の手が少女へ届く――――――〝白〟が、駆け抜けた。
きっと、それが〝始まり〟だった。果てない旅路を歩み続ける少女の、〝精霊〟の悲しく残酷な旅の始まりだった。
少年はこの記憶を覚えておく事が出来ないだろう。それでも彼は、この光景を胸の奥底へ刻み付けた。少年は――――五河士道は、何があっても彼女を救うと――――――
ふと、目が覚めた。
「……ここ、は……」
意識が覚醒する。目を瞬かせ、数秒かけて彼は置かれた状況を確認した。目に入ったのは機械的な天井、それに自分がベッドで横になっている感覚。つい先日も同じような……と言うより、まったく同じ環境で目を覚ましたのを覚えている。
「よっ…………ん?」
身を軽く起こしてから、自身の行動の軽やかさに違和感を持つ。
それと、もう一つ。何故か頬に違和感があった。違和感と言っても、決して嫌なものではない。むしろ暖かく、とても心地が良いものだ。それを自覚した途端、その感覚が自分の中に吸い込まれるように消えていく事に眉をひそめたが、彼はすぐ別の事に気を取られた。
「十香……?」
少年の呼びかけに対する返事はない。少女はベッドにもたれ掛かるように眠っていた。少女を構成する全てが端整すぎて、寝ているだけなのにまるで何かの美術品のように感じてしまう…………口の端から垂れた涎がなければ、の話だが。こういうところもまた十香らしい、と笑みをこぼす。
「けど、なんで十香がここに――――!!」
その時、士道はようやく鮮明に己の記憶を思い出した。そうだ、自分はあの少女と――――時崎狂三と邂逅し、そこに〝精霊〟の琴里が現れ、二人が戦い、その最中様子がおかしくなった琴里の攻撃からとっさに狂三を庇い……それから、どうなった? 十香は無事だ、なら折紙と真那も無事だと信じたい。なぜ自分はこんなにも五体満足で生きている? 何より琴里と――――狂三は、どうなった?
「……ん。目覚めたかい、シン」
「令音さん……!」
記憶を辿ろうにもどうしても答えに辿り着けずいた士道の前に、医務室の入口から村雨令音が入ってきて声を彼にかけた。令音なら、と士道は焦る気持ちをそのままに、思った事を次々と口に出し始める。
「あ、あれから、あれからどうなったんですか!? 折紙は、真那もどうなったか分かりますか!? それに琴里も……あいつ急に現れて、なんか様子もおかしくなって琴里じゃないみたいに……!」
「……少し落ち着きたまえ」
「――――狂三は、そうだ狂三は!? 俺が無事なんだからあいつも無事なんですよね!? じゃないと俺――――」
「シン」
ピタリ、言葉が止まる。いや、止められた。僅か指の一本で、令音は優しく士道の唇に触れ、彼の言葉と焦りを包み込む。そうして彼女が視線で指し示した先を見て、士道はハッとなった。
『おーおー、士道くんとっても元気そうじゃないのー。心配して損しちゃったわぁよー』
「……無事で、良かった……です」
四糸乃、それにパペットのよしのんが令音の影に隠れるようにそこにいた。蒼玉の瞳は、士道の無事を喜びながらも不安を含んでいる。冷水をぶっかけられたように、士道の頭が一気に冷えていく。
落ち着け、冷静になれ。ここで焦ってなんになる。自分を心配する少女を不安にさせるな。そう自らに言い聞かせ心を落ち着ける。
「……ふむ、落ち着いたかい?」
「は、い。ありがとうございます……四糸乃と、よしのんも心配してくれてありがとな」
「! い、いえ……」
『いやいやー、それほどでもないよー』
麦わら帽子を深く被り、恥ずかしげに顔を朱色に染める四糸乃と、大仰なよしのんの対象的なリアクションに士道は苦笑する。そうして、返事を返した士道へ首肯し令音が一つ一つ、彼の疑問に答え始める。
「……安心したまえ。鳶一折紙も崇宮真那も無事だ。生徒たちと違い、AST隊員に回収されて行ったが、自衛隊天宮病院に搬送されたんだろう。あそこには医療用の
「そう言えば……あの時三人は……」
ここで一つ、士道の中で疑問が浮かんだ。狂三と琴里の戦闘は苛烈だった。それこそ、琴里の一撃で屋上の全面が焦土と化してしまうくらいには。
だと言うのに十香たちはなぜ無事だったのだろう……あの時、自分に彼女たちを気遣う余裕がなかった事を情けなく思う。そんな彼の心境を察して、令音は彼を気遣う言葉を続けた。
「……あの状況だ。君が気付かないのも無理はないし、気に病むことは無い。どうやら、
「っ、それって……」
「……あの状況で、そんな事が出来た者は一人しかいないだろうね」
言うまでもなかった。あいつ……と士道は拳を握りしめる。こんなことをしておいて何が最悪だ、何が憎むべき悪だ。やっぱり、どうしようもなく優しい少女なのだ、あの精霊は。
「あいつは……狂三は……っ!」
「……無事だよ、恐らくね。こちらから、離脱する狂三の霊力を辛うじて感知出来た。間違いなく、彼女は生きている」
「離脱って……あの時、狂三は……」
動けるような状態ではなかった。動くどころか、立ち上がることすらままならなかった筈だ。それなのに、一体どうやってあの場を離れたというのだ。ましてや、二人揃って琴里が放った炎に呑まれた筈なのにどうやって……。
「……狂三の
「白い、精霊……」
やはり、あの白い少女は狂三の事を知っていた。彼女を助けたのが二度目となると、知っていたどころかもっと親しい関係の可能性もある。
精霊同士が行動を共にする、という前例があるのかどうか士道には判断出来ない。だが今、彼は白い精霊に心から感謝の念を抱いた。
狂三が、生きている。それだけで、心の底からの安堵と……彼女を救えなかった悔しさが、込み上げてくる。
「俺は……狂三を……っ」
救えなかった。優しい少女を、自分が愛した少女一人さえ、士道は救う事が出来なかった。
握りしめた拳を、苛立ちのままベッドへ叩きつける。自分の全てを、想いをぶつけた。それでもなお、少女の心を救う事が叶わなかった。あれだけ大口を叩いて、彼女を好きだと言っても、士道は無力だった。士道は、何も――――
「……何も出来なかった。そう思っているのかね、シン」
「……!」
「……そんな事はない。君の言葉は、想いは確かに狂三に届いていた」
そう、なのだろうか。自分の想いは、愛する少女に届いていたのだろうか。でも確かに……狂三は自分の手を取るべきか逡巡してくれていた気がする。士道の思い違いかもしれない、自惚れかもしれない。けど狂三は、常に冷静さを保っていた彼女が取り乱すほどに、自分の言葉を受け止めてくれていた。その上で、彼女には
「……狂三にも、きっと考える時間が必要なんだ。君の言葉を受け止めるだけの時間が、ね。彼女にそう思わせるだけの事を、君はやってのけた」
「俺が……?」
「……ああ。それに、諦めるつもりはないんだろう? なら、彼女の手を取る自分の手は大切にしたまえ」
「……はい」
令音の言う通りだ。まだ、何も終わっちゃいない。狂三は生きている、そして自分も生きている。届かないのなら届くまで手を伸ばす、言葉を紡ぐ。
愛する少女への想いを再び刻み込んだ士道は、もう一人、愛する家族の事が残されている事に気づく。自分の前で〝精霊〟の力を見せた妹……五河琴里についてが。
「令音さん……琴里は今、どこにいるんですか……?」
「……では案内しよう。ついて来たまえ」
コクリ、と頷いて靴を履き、寝たままの十香をベッドへ寝かせてから、相変わらず見ていて心配になる歩き方をする令音へついて行く。と、その道中で自分の隣を歩く四糸乃へ言いそびれていた事を口にした。
「――――そうだ四糸乃。あの時はありがとな……狂三と一緒にあの三人に追いかけられてた時、助けてくれたろ」
「……あ、あれは……何とかしなきゃ、って思って……飛び出しただけ、です……」
『いやいやー、四糸乃は凄かったってー。士道くん、もっと褒めてくれてもいいんだぜぇい?』
「おう、すげぇよ四糸乃は。本当に助かったぜ。狂三もそう言ってた」
「ぁ、ぅ……!」
どうやら褒め過ぎたらしい。さっきよりも顔を真っ赤にして悶えている。まあ、士道は言ったことを訂正する気は更々なかったので微笑ましくそれを見るのだが。
士道はお世辞でもなんでもなく、本当にそう思ったのだ。引っ込み思案だった四糸乃が、自分たちの為に飛び出してきてくれた事が心から嬉しいと思った。だから、少女の為にも狂三となんの不安も憂いもなく会える日が来るようにと……士道は祈った。
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夢を見ていた。
燃えていた。全てが燃えていた。少女はこの光景を知っていた。けど、この地獄の業火を駆ける少年がいた事を、少女は知らなかった。だから、それを見て微笑んだ。ああ、この方は
優しすぎる少年へ、せめてこの方を守れるようにと少女は祈りを捧げた。どうか、その身を大事にと。この方の差し伸べる手を待っている方は、きっと沢山いるのだからと。それは、少女の願いだった。
悪夢を見ていた
酷い、酷い悪夢だった。しかし忘れられぬ、忘れてはならぬ原初の記憶だった。全ての始まりだった。夢を見る少女が死んだ日だった。最悪の精霊が生まれた日だった。
――――――〝白〟と出会った日だった。
そこから精霊の旅が始まった。どんな犠牲を払ってでも、必ず〝なかったこと〟にして見せると。息を殺し、歩みを進め、時が満ちるのを待った、待ち焦がれた。そうして――――希望は、精霊の望み通り現れた。しかし希望は、死んだ筈の少女を捨て置いてはくれなかった。
精霊は必ず希望を殺さなければならない。それを叶えるために生きてきたのだから。
少女は少年を殺すことが出来なかった。自らに差し伸べられたこの方の笑顔を、優しさを、失いたくないと〝なかったこと〟にしたくないと、少女の心が叫んでいた。
精霊と少女は一つだった。故に矛盾した。その矛盾を、生み出した
ああ、ああ、せめてあの方が
そんなこと、あの方が言うはずがないと身をもって思い知っているのに、どうにも愚かな考えが浮かんでしまった。一時の夢。夢より醒めれば覚えていない、くだらない妄想。でも仕方がないじゃないか。精霊は戻れないのだから。万の命を踏み躙った精霊は、絶対に、絶対に、辿り着く結末を譲れないのだから。少女だって、それを知っているのだから。
そうだ。だから少女は――――時崎狂三は、何があってもあの方を――――――
「……狂三?」
「…………っ」
目が覚めた。聞き慣れた声を耳にし、身体を起こそうとして、全身に走る激痛に顔を歪めた。
「身体を起こしちゃダメですよ。表面上は治癒してても、今の狂三はボロボロなんですから――――身体も、
「……わ、たくし……は……」
声を発する事すら、彼女の身に負担をかけている。あまりの不甲斐なさ、見せたことの無い自らの無様な姿に失笑してしまいたくなる。白い少女は、そんな彼女を笑う事などせず、今までになく狂三を心配しているようだった。
「喋るのもダメです。今はとにかく寝てください。私へのお叱りなら後で受け付けます。だから今は――――――」
「……殺さ、なくては」
布団を整える手が止まる。白い少女は言葉が続かなかった。その先にある彼女の言葉を、止めなければならないのに。
「……わたくしが、殺さなくて、は……だれ、を? み、おさん、を…………その、ために…………」
「狂三……」
「――――し、ど、ぅ……さん……を? わたくしが、わた、くしが――わたくし、が――――――」
「――――今は、目を閉じて」
目が伏せられる。細く、華奢な手が狂三の瞼を閉じた。ゆったりと、優しい、心が安らぐ声。
「……大丈夫だよ、狂三。誰も狂三の答えを急かしたりしない。誰にも狂三を責めさせない。何があっても、私が狂三を守るから」
深い眠りに誘われる。それは子守唄にも似た言の葉。まるで、母のような温かさだった。
「だから、おやすみ、狂三。どうか、眠りの中では――――良い夢を」
意識が落ちる――――狂三が悪夢を見ることは、もうなかった。
士道と狂三の関係の裏に隠れて正体不明の白い少女は何者なのか、何が目的なのか。それがこの章でちょっと明かされる……かも。
前書きでも触れましたが、この章自体は狂三フェイカー編から直続の形を取っているのであまり長くはならないと思います。まあ狂三が一時的にダウンしてるから長くするわけにもいかないっていうメッタメタな事情もありますが。この小説のコンセプト的に改変が薄い部分はバッサバッサとカットするのでその影響もあったりなんだり。
ではこの辺で。次回をお楽しみにー。感想、評価などなどもモチベにめちゃくちゃ繋がるのでお待ちしております!