デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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 村雨未零――――――というより、重ねるように精霊〈アンノウン〉の事柄になるのだが。少女は食文化というものにあまり精通はしていなかった。

 腐っても精霊、というのは第一に。少女の好みは基本的に狂三が作るもの(・・・・・・・)で構成されていた。料理しかり、和菓子洋菓子しかりだ。それ以外は、形ばかりに道化の気まぐれといったところだ。

 とはいうものの、幸い人の構造に欠かせない五感には恵まれたらしく、何を美味とし何を不味と定義するかは好みを中立にした常人のそれと変わらぬものだった。例にあげれば士道の料理は美味しいと感じ、ウェストコットが選んだ料理は彼が選んだという事実さえ目を背ければ賞賛に値する。

 

 最終的に、何が言いたいかと言えば――――――

 

「……美味しい」

 

 連れて来られたハンバーグ専門店の肉は、未零をして美味と感じるものだったということだ。

 ナイフとフォークを使い、一口。口に広がる重厚な肉の塊。その重圧な肉厚は、煮込まれたソースと肉汁が存分に存在を示し、口内を旨味が蹂躙する。

 なるほど、正しく名店と言えるだろう。

 

「…………」

 

 まあ、目の前の肉塊が未零の小顔を上回る大きさをしていなければ、もう少し気に入っていたかもしれないけれど。

 未零が一口を進める間、対面に座りナイフとフォークを巧みに操り豪快に喰らい尽くす少女の姿は、さぞ対比の標本として優秀だと遠い目をした。

 食に真摯でありながら、鋭い感の良さで未零の様子に気がついたのだろう。少女は一瞬手の動きを止めて、その水晶のように透き通る瞳に未零を映し出した。

 

「む……どうかしたのか、未零。もしや口に合わなかったのか……?」

 

「……いえ。味はとても好みですよ…………量は好みではありませんけれど」

 

 少女の笑顔(ぜんい)を曇らせないために、最後はほぼ内心に等しい声だった。こちらを笑顔で見ている豪快な店主にも悪いし、確認を取らず少女に注文を任せた未零の罪だ。

 未零の失策があったとすれば、少女の胃袋を信用して、なおかつ把握しきれていなかったこと。確かに味は保証されたが、量は通常とは逆の意味で保証されなかった。ちなみに補足しておくが、未零の食は太い方ではない。そのことを加味しての量(・・・・・・・・・・・)を選んでくれたのは、把握不足というよりは許容量が違いすぎると言うべきか。

 若干の困り顔を誤魔化しながら返すと、少女が「そうか!」と元気に言葉を発した。どうやら、上手く美味だということだけは伝わったようである。

 

「……ただ、少し完食に時間がかかるかもしれません」

 

「うむ、遠慮することはない。ゆっくり味わうとよいぞ――――――店長、サイコロステーキを頼む!!」

 

「…………」

 

 宵闇の麗しい髪色が、一つ料理を頼むごとにその輝きを増しているかのようだったと、後に未零は己の日記にそう纏めることになった。

 屈託のない笑顔。この世のものとは思えぬ絶美――――――精霊・夜刀神十香。

似て非なる生まれながら(・・・・・・・・・・・)、どうしてここまで許容量に差ができてしまうのか。是非とも、造物主もとい姉上様には問うてみたいことだと、未零はまた一口肉を運びながら遠い目で考えるのだった。……本当に、味はしっかりと美味なのが救いである。

 

「……ふぅ」

 

 完食の息を吐いたのは、開幕から約一時間後の出来事であった。この炭焼きジャンボハンバーグDX――店主曰く、最近になって進化という名の増量を施したらしい。タイミングが悪いことである――を、こうして時間をかけてどうにか解体することが叶った。かなりの強敵であったが、何だかんだと十香と似た作りが幸を奏したのかもしれない。

 

「……ごちそうさまでした」

 

「うむ!」

 

 ――――なお、未零がこの一食を解体する間に、十香は五食は喰らい尽くしていたと言っておく。

 許容量はともかく、早食いの才能は十香にしかないと判断を下し満足を込めた息を吐いた。注釈としては、十香の五食は十香の一食に満たないという、文字では言い表せない矛盾があるというオチが含まれているのだが、未零が気にすることではないだろう。

 

「しかし……珍しいではないか。未零からこうして誘いをかけてくるとは。私は嬉しいぞ!」

 

 意気揚々と山盛りハッシュドポテトを解体せしめながら、十香がそう未零に話を振ってくる。

 

「……そうですかね――――――いえ、そうでしたね」

 

 一言目を入れてから、未零は自身の行動を思い起こして苦笑を零した。確かに、十香の言う通りだった。こうして誰かに昼食の誘いをするなど、つい先日までの未零ならば考えもしなかったことだ。

 色々と事情が重なっているとはいえ、一つ答えを見つけたというだけで発想に浮かぶものなのかと、未零自身が驚くほどだった。

 

「……まあ、たまにはと思いましてね。十香は変わらずお元気そう……なのは見ればわかることですが」

 

 小一時間、食の許容量でわかってしまうことではあった。一応、今回はそういう確認の面もあったのだが、意図せずして問うまでもないことになったか。

 未零の表現に十香が小首を傾げ声を発する。

 

「うむ、私はいつでも変わらぬぞ。それがどうかしたのか?」

 

「……ええ、そのことに安心をしているのです。――――――あなたは、特別ですから」

 

 それは、以前――――『この世界』に移り変わってから、今一度(・・・)彼女に伝えたことであった。

 夜刀神十香は、特別(・・)だ。二度は生まれぬであろう精霊の特異点。霊結晶(セフィラ)の特異点。彼女は崇宮澪の感情、祈りの体現者。こういう言い方をしては語弊が生じ、さらに十香と比べることは失礼に値するというものだが――――――十香と未零は、唯一出自を同じとした純粋な精霊(・・・・・)なのだ。

 精霊としての機能を考慮に入れれば、十香は未零より余程〝始原の精霊〟に近しいと言える。未零が勝る点は、澪と限りなく同一の肉体を有し、澪の力を取り入れ(・・・・・・・・)不具合なく適合(・・・・・・・)できる程度。それが第二の〝始原の精霊〟を相手に、あの一度きりの奇跡を起こすに至ったということだ。

 だが、十香と未零が必ず共通している事柄が一つだけ存在する。二人は、人としての器を持たない(・・・・・・・・・・・)。故に名がなく、故に〝始原の精霊〟と近しい――――――故に、

 

「澪の消滅は、私たちの消滅(・・・・・・)という話か」

 

 崇宮澪の生死は、十香と未零の生死に直結している。切り離しようのない、直列の事象である。

 未だに、そのことに言いようのない罪過(・・)を感じる未零に、十香は眩しすぎるほど清々しい微笑みを以て応えた。

 

「気にするな。……と言っても、おまえは気にしてしまうのだろうな」

 

「……性分、なのでしょうね。私はそれを知っていて、一つの選択肢(・・・・・・)にしていました。澪と同じことをしていた私の、忘れてはならない過去です。……付き合わせてしまって、ごめんなさい」

 

 深々と頭を下げれば、十香の困った雰囲気が伝わってくる。それは、そうだろう。起こり得なかった可能性の話だ。結局、これは未零が通すべき筋であり、未零の自己満足(・・・・・・・)でしかない。

 未零が手にしていた選択肢の一つ。『時崎狂三』が単独で実行する過去改変(・・・・・・・・・・・)。『この世界』が存在する奇跡は、未零が消滅した後に士道たち全員(・・)が繋ぎ止めたもの。狂三一人では、未零の霊結晶(セフィラ)があるといえど限界は透けて見える。始原の精霊の〝消滅〟という絶対的事象は必須事項――――――即ち、十香の存在を知った時点で、未零の選択肢は常に十香の死(・・・・)と隣り合わせだったと言える。

 

「構わぬ。未零の気が晴れるというのなら、いくらでも付き合おう。しかし、だからこそあのとき(・・・・)、私を思ってくれたから躊躇って(・・・・)くれたのだろう?」

 

「っ……」

 

「ならば光栄だ。私の存在が、おまえを繋ぎ止める一つの楔の役目を果たした。私は自分の存在に感謝を覚える――――――通り過ぎた未来で、シドーと狂三を救えたこともだ!!」

 

 どこまでも輝かしく、愛おしく、誇りを感じさせる生き様。狂三の大切な人だったから、なんて言い訳すら呑み込んでしまうほどに、それだけで未零を救う(・・・・・)言葉と自信を持って。

 誰一人、欠けてはならなかった。全ての道を束ね、こうして奇跡を謳歌している。『夢の声』を聞いてから、ひたすらに過去の精算をしていると自身で自嘲めいたものを感じていたが――――――胸を張って生きる精霊たちを見れただけで、それは無駄ではなかったと考えられる。

 文字通りに胸を張った十香に、未零は頬の緊張をようやく和らげて穏やかな息を吐き出すことができた。

 

 

「……ええ。本当に、あなたがいてくれて――――――澪があなたを生かしてくれて、良かった」

 

 

 それは、かつて(・・・)の記録。十香が生み出された瞬間の記録。

 

「――――――ふん。嫌な記憶を思い起こさせてくれる」

 

 ――――――それは、〝彼女〟が生まれた記憶(・・)でもあった。

 

「……あなた(・・・)は」

 

 一瞬にして、移り変わった。未零が僅かに霊力を行使し、〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉の認識消失を行っていなければ、その変化は対外にすら知れ渡るほどだったであろう。否、未零のみを護るこの天使では防ぎきれているとは言い難いかもしれない。

 それほどなまでに、未零が目を細めるほどに、夜刀神十香の纏う空気そのものが一変した。穏やかだった紫紺の色彩が、戦場の十香のように鋭く、さらに濃く、鮮烈に。

 

 ――――――精霊の霊結晶(セフィラ)は、本来であれば反転(・・)状態が正常、或いは初期化(・・・)の状態と言える。『この世界』ではともかく、『以前の世界』ではそうであった。

 では、澪の同一体でありながらイレギュラーの未零。それとは違うイレギュラーでありながら、澪手ずから生み出された十香の霊結晶(セフィラ)はどうだったのか。

 答えは、〝彼女〟そのもの。訝しげに張り付けた疑念が伝わったのか、〝彼女〟は唇を吊り上げながら声を発した。

 

「ほう。少しはマシな顔が出来るようなったか」

 

「……どうして、あなたが」

 

 すると、〝彼女〟は十香と同じ貌を不機嫌――そうに見えるだけだと思ったが――に歪めた。

 

「叩き起された。貴様が知りたがっている声(・・・・・・・・・・・・)にな。――――――ちっ、我ながら(・・・・)人使いが荒い」

 

 言って、〝彼女〟――――――反転十香(・・・・)は未零の眼前に置いてあるポテトを奪い取るように手にし、苛立ちの解消なのか乱雑に口に収めた。……元々、十香に譲る予定のものだったが、相変わらずの傍若無人に未零は僅かながらの懐かしさを感じた。といっても、彼女との対面は未零の記憶では(・・・・・・・)一度きりなのだけれど。

 本来、十香の裡に潜む彼女の人格は表に出ることはない。それは彼女自身望んでいることであるのは明白。つまり、言葉通りに受け取ることで未零は十香に求めるもう一つのもの――――――この世界に迫る者(・・・・・・・・)を知ることができるはずだ。

 

「……この際、深い事情は問いません。その『声』というものは――――――」

 

「詳しくは知らん。が、貴様が受け取ったであろうものとは違う。アレ(・・)は今の私には関わりがない。――――――十香が聞いたものは〝叫び〟だ」

 

「……〝叫び〟?」

 

 未零が受け入れた『夢の声』とは違うものを、十香も受け取っていた。恐らく、彼女の物言いから察するにそれは内なる『十香』の手で捌かれたのだろう。

 彼女は〝叫び〟を受け入れ、それを伝えるために起き上がった。では、その〝叫び〟とは何なのか。追求するように言葉を反復した未零に対し、彼女は鼻を鳴らして応えた。

 

「満たされぬ絶望。取り戻せぬ絶望。言の葉にするは容易く、しかしあの〝叫び〟はそれが何かさえ理解する心を失いかけているのだろうよ」

 

「……反転を超える絶望(・・・・・・・・)、ということです?」

 

「ふん。好きに解釈しろ。二度同じことは言わん」

 

 彼女はそうして腕を組み、一度目を伏せる。しかし、閉じる直前に見た彼女の瞳には、隠し切れぬ悲しみがあったように思えて、未零は眉を下げた。

 負の感情が極限まで達したとき、霊結晶(セフィラ)は属性反転を引き起こす。仕組みはそうだ。それにより引き起こされる現象は別人格の顕現。例えばそれは、〝彼女〟のように霊結晶(セフィラ)に宿った初期人格であったり、その者が持つ別人格ということも有り得る。

 だが、反転存在、純然たる魔王の化身である〝彼女〟が口にするほどの『絶望』など、普通の反転現象で表して良いものではないと未零は予測する。

 

 ――――――或いは、崇宮澪が覚えた原初の絶望(・・・・・)に迫るものがあるとすれば。

 それが、『この世界』に迫り来る〝叫び〟に関わっているとすれば。

 飛躍としか思えぬ理論。だが、その程度の飛躍は未零ではなく『声』が補完しているように思えた。十香が〝叫び〟を察知するほど近づいているおかげなのか、奇妙な話ではあるが未零の感覚も鋭くなってきている。

 

「……では、あなたを目覚めさせた者は」

 

「その〝叫び〟の内側にいる者。……ふっ、自分自身(・・・・)に泣きつくとは、我ながら情けない」

 

「……いや」

 

 絶対、『――を助けねば殺すぞ』とか言う脅し文句を伝えにきた気がしてならない。〝彼女〟はそういうことを言うし、けれど〝彼女〟自身は自分に厳しい。それでいて十香には優しいのだ。まったくもって複雑怪奇だが、未零だからこそ気持ちはわからなくもないと苦笑を零す。

 ここまで答えを提示されれば、迫り来る〝叫び〟の正体は知れるというもの。もっとも、知らずとも未零の取るべき選択は変わらない。

 

「して、貴様は私からこれを聞き出し、どうするつもりだ。貴様はあの〝叫び〟を救えるのか?」

 

 ここで〝彼女〟の求める答えは、間違いなく士道や狂三たちと同じものなのだろう。未零とて、同じであったかもしれない。

 だから、

 

 

「――――――救いません。私は(・・)、その〝叫び〟を救えない」

 

 

 未零は、その選択を選び取らない(・・・・)

 

「――――――――」

 

 正面から拒絶を返した未零に注がれる紫紺の瞳。宿るものは、何か。魔王の化身は、ただ未零を見つめる。

 幾秒。或いは数分であろうか。

 

「……勝手にするがいい」

 

 零れ落ちたものは、殺意ではなく穏やかな声音だった。

 

「……任せてもらえるのですか?」

 

「知るか。私はどの道動けんし、動く気もない。貴様が無理なら、あの男か修羅が動くだろう。あれほどふざけたことをしたのだ、してもらわねば興が冷める」

 

「……なるほど。それでは、任されたと解釈させていただきます」

 

「ちっ……」

 

 きっと、何を返したところで苛立たしげな舌打ちは返されるのだろうと、未零はフッと微笑みを零した。

 夜刀神十香。『十香』。霊結晶(セフィラ)生成の折、澪が余計な犠牲の少ない(・・・・・・・・・)方法を生み出し、その実験で生み出された純粋な精霊。未零が知ったのは〈囁告篇帙(ラジエル)〉を手にし、限りなく澪に近づいたことで未零が生まれた後の精霊生成を記録として閲覧することができたときのこと。

霊結晶(セフィラ)は込める色によって属性を変える。それを感情と言い変えよう。未零が寄り添う精霊の色へ霊結晶(セフィラ)を変えることができるのは、澪が澪を殺せる存在として自分自身を表現した以外にも、消滅を望む彼女の感情が『無』であったからに他ならない。

 ならば、ああ、ああ。『十香』に込められた、産み落とすに至る感情は――――――澪をして、澪を滅ぼす存在だと予見を覚えさせた感情は。

 

 

「……ありがとう、『十香』。今なら言える――――――あなたの()に変わり、あなたに感謝と祝福を」

 

 

 ――――――崇宮澪の原動力。その身を焼き焦がす『恋心』こそが祈りであった。

 

 それは罪だったのかもしれない。

 それは毒だったのかもしれない。

 

 けれどそれは、澪が抱いた感情は――――――決して、間違いなどではなかった。それを夜刀神十香は証明してくれている。今は彼女たちという存在が生まれたことを、未零は祝福を以て受け止めることができた。

 故に、少女は贈ろう。届くことのなかった言霊を、正しい形で。

 

 

「……ようこそ、我が姉の娘よ。――――――この優しい世界(・・・・・)へ」

 

 

 未零は呟くようにそう言い、『十香』へ慈しみの微笑みを送り届けた。

 

 

「ふっ――――――一応は、受け取っておいてやる」

 

 

 『十香』は仏頂面で、変わらずぶっきらぼうにそう返して――――――紫紺の瞳が、穏やかな色彩を映し出した。

 

「む……?」

 

彼女(・・)は、何かしらの違和感を感じて何度か目を瞬かせていた。その動作で、未零は確信を持つ。表に出た人格が、裏側に戻ったのだと。

 

「……結局、どうやって出てきたのかは聞き損ねましたね」

 

 起こされた、とは言っていたものの。如何にして精神が安定している十香と入れ替わったのか、その理屈は未零の知識を持ってしても知りようがないこと。

 単なる偶然か。それとも彼女を知るお人好し(・・・・・・・・・)が仕込んだのか。

 

「未零、私は今何をしていたのだ……?」

 

「……そうですねぇ。――――――あなたを大好きな人とお話をしていましたよ」

 

 そうだ。どうであれ、〝彼女〟が傲岸で不遜で乱暴で――――――けれどその瞳は、十香と同じ色を映していたのは真実だから。

 おどけるように告げた未零に、十香は理屈はわからないが感覚は何となくわかる、と言いたげに首を傾げながら不思議そうな顔をする。

 はてさて、十香が『十香』と出会うのはいつの日になるのか。お人好し(・・・・)が痺れを切らさなければよいが。などと内心で笑みを浮かべて、未零が再び十香との日常を謳歌しようとした。

 

 その瞬間、

 

「な――――――」

 

「……!!」

 

 十香が呆然とした声を零し、未零が目を見開く。それは自分たちならば当然で、知識がなければ理解し難いものだろう。

 響き渡る音。意図的にそう作られているのだろう。その音は、街中に広く大きく絶対的な音として轟く。

 天宮市の空に響き渡る不穏な警報――――――空間震警報(・・・・・)

 

「馬鹿な。なぜ……」

 

 半年もの間、沈黙を保っていた。至極当然の理屈があり、十香が信じられぬのも無理はない。空間震とは、精霊が隣界より現れ出ため発生する現象。

 だがその精霊は、空間震を引き起こせるだけの精霊は、全て出揃っている(・・・・・・・・)。あまりに単純な理屈だ。空間震が起こるわけがない。その因果と輪廻は、あの二人が断ち切ったはずなのだから。

 ああ。そうであるからこそ、理由など一つしかありえない(・・・・・・・・・・・・・)。店主が慌てて客を誘導しながら、いつまでも動かない十香たちの下へも駆け寄ってくるのが見える。

 

「……十香、今日のお会計です。――――――私、行かないと」

 

 次の瞬間、未零は駆け出した。

 

「っ、待て未零! どこへ行く……!?」

 

 十香の反応は素早かった。が、彼女が未零の置いたものに一瞬気を取られた以上、未零が飛び出す方が圧倒的に速い。

 店を出る一瞬に未零は十香と視線を交わらせて、答え(・・)を明確に返した。

 

 

「――――――この現象の中心へ」

 

 

 未零には、向かうだけの〝理由〟があるから。

 

「――――――――」

 

 久方ぶりの空間震に驚きながら、速やかに避難をする住民たちとすれ違いを続ける。数分足らず、街中から人気という人気が消えていた。その懐かしさに浸る暇もなく、未零は神経を集中し封印された霊力を引き出した(・・・・・・・・・・・・・)

 

 白の外装。現れた純白の天使を手に取り、身に纏う。足に力を集中し、一足飛びに感覚の中心へ飛び立つ――――――まさに、その時(・・・)

 

 

「――――――どこへ行くおつもりですの?」

 

 

 その、美声が奏でる蠱惑の呼び声に、未零の足は止まる。止まらざるを得なかった。

 

「っ……」

 

 眼前に、彼女はいた。婉容なりて、淑やかなりて、嫋やかなりて、端麗なりて――――――誰より苛烈であり、誰より優しい精霊。

 紅の瞳と、僅かに覗く金色の時計盤(・・・・・・)が少女を映し出した。封印されてなお、それを望んでなお、彼女を示す絶対の証。

 揺れる黒髪。こつり、こつりと靴音を奏で、動きを止めた未零の眼前へ迫り、その手を取った(・・・・・・・)

 

 

「わたくしが、あなたを行かせると思いまして――――――未零」

 

「……思わないよ。けど、だからお願い。私を行かせて――――――狂三」

 

 

 未零の全て。未零の原初。未零の中心。それら全ての表現でさえ足りない。彼女は――――――時崎狂三は、息を呑む未零の前に立ち塞がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少し目を離したら、すぐこう(・・)ですわ。まったく、油断も隙もありませんこと」

 

 思えば、少女の手を握ることはそう多くなかったかもしれない。精霊〈ナイトメア〉と精霊〈アンノウン〉は、そういったものを馴れ合いと定義し相容れることはなかったからだ。

 故に、今狂三が少女の手を握るのは精霊としてではない。村雨未零の友人として(・・・・・・・・・・)、大切だからこそ手を取って止めるのだ。

 

「……さすがに、耳が早いね」

 

 白の外装を纏った未零と対面するのは、実に半年ぶりである。その戦装束(・・・)、精霊〈アンノウン〉が持つ不可侵の鎧を纏い、狂三の行動に苦笑を浮かべた未零へ狂三は鋭く言葉を投げかけた。

 

「令音先生と共謀して、随分と好きに動いていたではありませんの。その程度なら見過ごせようものでしょうけれど――――――さて、さて、一人で何をしようといいますの(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………」

 

 狂三の問いに、少女はかつてのように口を噤む。

 村雨未零が個人で、それも精霊たちと関わるというのなら過干渉は必要ない。罷り通る事象であると言い切ろう。

 だが、アレ(・・)は見過ごすことができない。今この瞬間も近づいてきている。数分前までは狂三や〈フラクシナス〉でさえ感知できなかった驚異的な〝霊力〟――――――壁一枚という絶対的な領域を挟んだ向こう側で、アレ(・・)は存在している。否、進行している(・・・・・・)

 その中心へ単独で(・・・)向かおうとしている未零は、真っ当な理論を組み立てれば気が狂っているとしか言えないのだ。

 

「……どうしても、行かせてくれない?」

 

「愚問ですわね」

 

「……じゃあ、聞かせて――――――狂三、これは一回目(・・・)?」

 

「――――――――――」

 

 言葉の衝撃は、狂三自身が腕の力を不本意な形で強めるに足るものだった。思わず、未零が顔を顰めるほどに力を込めた手を、それを厭わず狂三は怒気を纏い声を返した。

 

 

「ふざけたことを――――――このわたくしが、あなたの生命が消える瞬間をもう一度(・・・・)見過ごしたと、それをあなたが仰るのですわね。悲しいですわ、残酷ですわ(・・・・・)

 

 

 あの悲劇を。あの悲しみを。あの絶望を。

 もう一度、狂三が味わったと。狂三が体感していると。そんなこと、させるわけがない(・・・・・・・・)。その愚行、その愚かしいまでの選択。狂三が体感せねば未零を止めないと本当に言っているのならば、狂三は愚かしい自らを一度殺し尽くして矯正せねばならないだろう。

 

「……ごめんね。けど、だったらやっぱり、私は行くよ。行かなきゃいけない――――――ううん、私が行きたい(・・・・)

 

「っ……」

 

 頑ななまでに鋼鉄の意志。いつか、狂三に見せた必ず狂三を生かす(・・・・・・・・)という狂気と同じものが垣間見え、狂三の中で動揺が走る。

 だからといって引き下がれない。未零を止めるのは自分だと言い、飛び出したのは狂三なのだから。

 

「何故ですの? あなたの聞いた『声』はこちら側に至るあの方(・・・)を示唆していた。ならば、わたくしたちで事に当たることは可能なはずですわ。士道さんと皆様、わたくしたちの力ならば――――――」

 

「……そうじゃあないんだ」

 

「……?」

 

 首を横に振る未零を見て、さしもの狂三も表情を歪め思考の継続を行う。

 こちら側へ至る存在。繋がりかけた道。狂三たちが知ることが叶わなかった、その理由は定かではない。しかし、探知できないほど刹那の間に繋がり、途絶えるはずの道を、〝壁〟を打ち破ろうとしている。ならば、現れ出かの精霊(・・)を狂三たちで迎えることは可能だ。場合によっては、士道と狂三の力で元の世界へ連れ帰ることも。

 しかし――――――

 

「……あの子は、この世界に連れてきちゃ駄目(・・・・・・・・・・・・・)。――――――行くべきところへ、とどけて(・・・・)あげないと」

 

「何を――――――っ!!」

 

 ――――――情報の再演算。観測結果の算出。予測される幾億の予測情報から、導き出されるものは。

 僅かな一瞬。時を奏でる左眼が新たに示した可能性。それ(・・)は歯軋りを生み、行き場のない憤りが少女の手を握っていない狂三の手に現れ、強く拳を握らせた。

 

「……本当に、勝手な方ですわ。世界が違っていようと(・・・・・・・・・・)――――――身勝手極まる願いではない(・・)からこそ、腹が立ちますわ」

 

 そうであったのなら、狂三は憤りをもっと感情に載せることができたであろうに。勝手極まる願いであれば、吐き捨てることもできたであろうに。

 狂三と〈刻聖帝(ザフキエル)〉が導いた結論は、そうでないことを確信させるに十分たるものだった。

 けれど、それを彼女が言うのか――――――この子に、別の世界から願いを押し付ける(・・・・・)のか。

 

「……違うよ、狂三。――――――私が望んだことだよ」

 

「え……」

 

 まるで、狂三の思考を読んだように。いいや、少女にはお見通しなのだろう。狂三がどう考え、何をしようとするのかなど。

 時崎狂三が、村雨未零の考えを理解してしまえるのと同じように。

 

 

「……私、みんなの笑顔が好き(・・・・・・・・・)。あの日に見た、綺麗な人が浮かべていたものが大好きなの。誰かを想って、自分を想って笑える人が好きなんだ」

 

 

 慈しみに満ちて。慈悲が溢れて。包み込む優しさがあって。

 それはかつて、夢に落ちる狂三が聞いた母なる君の子守唄にも似た言の葉。

 

「未零、あなた……」

 

「……それだけ。本当に、私が欲しいものはそれだけなんだ。だけど、それだけは譲れないから。私がいることで、狂三が笑ってくれるなら嬉しいことだって思えるし――――――私は、〝私〟を好きになれるんだと思う」

 

 誰かのために事を為す。それが全て自らのためだと謳う。

 たったそれだけの見返りが、少女の欲だと少女は言う。

 その生き方は、あまりにも純粋だった。

 その在り方は、あまりにも歪だった。

 

 だけどそれは、時崎狂三のためだけに生きた少女が導き出した、己の(エゴ)という祈り。

 

 

「……だから、〝私〟は行くよ。あの人(・・・)の願いを叶えに。叶えてあげられる人が私しかいないなら――――――〝私〟は、あの人の願いを絶対に叶えてあげたい」

 

 

 憂いを帯びた瞳に確かな願望(けつい)を。

 村雨未零は――――――崇宮未零(・・・・)は、大切な人の願いを必ず叶えたいと自らの欲を謳う。

 たとえそれが、別の世界の大切な人(・・・・・・・・・)だとしても、求められたというのなら。

 

 ――――――止められない。誰に止められよう。狂三が止められないのなら、誰も未零を止めることなどできはしない。

 だって、己のエゴを貫き通すことを――――――それを肯定して世界を変えた狂三が、止めていい権利などないではないか。

 それでも、長い、長い沈黙を保つ。その行為(時間の浪費)が狂三の嫌うものだったとしても、その葛藤に抗うことなどできはしないと。

 それでも、それでも、それでも――――――

 

 

「………………一つだけ、約束をしてくださいまし」

 

 

 狂三は、強く握り締めた少女の腕を、遂に離してしまった。

 でもそれは、少女の生命を手放したわけではないと、真っ直ぐに村雨未零を見つめて言う。

 

 

「あなたが誰かに生きていてほしいように……その誰か(・・)は、あなたに生きていてほしい――――――忘れないでくださいまし。もうあなたは、誰かを涙させる〝価値〟を持った人なのですわ」

 

 

 ほんの少し、その言葉に違いがあるとするならば――――――恐らく狂三は、初めから少女がいなくなることに涙していた。

 かつての狂三であれば、失ってから気づいた。気づきながら、失おうとした。だけど、今は、

 

 

「――――――必ず帰ってきて、わたくしを笑顔にしてくださいまし」

 

 

 素直に、言葉にできる。かけがえのない大切な友に、自らが創り上げたこの世界で生きていてほしいと。

 そして――――――

 

「あなたが失敗したら――――――この世界ごと、全てひっくり返して今度こそ独裁者(・・・)になってみせますわ」

 

 同時に狂三(しょうじょ)は、どこまでも傲慢に超然とした微笑みを以て言葉を終えた。

 狂三の言葉を聞き、一瞬呆気に取られたように目を丸くした未零が、苦笑混じりにその顔を緩ませて声を返す。

 

「……それは、失敗できないなぁ。私、今の世界のあなたたちの生き方を『なかったこと』にはしたくないから」

 

「ええ、ええ。ですから、必ずですわ。わたくしたちも全力を尽くしますわ。だから、だから――――――」

 

 グッと歯を食いしばり、狂三は未零を見送る(・・・)

 

 

「行ってらっしゃいまし、未零」

 

「うん。行ってきます、狂三」

 

 

 笑顔の背に、白の羽が舞い上がる。一対の翼が羽ばたく。

 天へと舞い上がる〝天使〟を今度こそ(・・・・)見上げることになった狂三は、その光景の美しさと儚さに息を吐いた。

 神に仕える〝天使〟ではなく、人々に施しを与える〝天使〟の姿がそこにあった。

 狂三が誰かにとって〝最悪の精霊〟であったのなら――――――未零は誰かにとっての〝施しの精霊〟なのだろう。

 その生き方しかできない。その生き方しか知らない。あまりに不器用で、あまりに純粋な精霊。

 誰かのため。その在り方は、五河士道と同じであるはずなのに、どうしてこうも違うのか。答えなど、狂三でなくとも導き出すことが叶う。

 士道は己のエゴを貫き、誰かを守るため自らの犠牲を厭わない。しかし、誰かが自身を思う気持ちは理解し、寄り添える。だが――――――未零はその足し引きの〝引き〟を全て自分で賄ってしまうのだ。

 士道が算数(ぎせい)の引き算を致命的に苦手とする(受け入れない)のなら、未零は引き算の計算式を自分自身で賄う〝施しの精霊〟。

 

 ――――――それがあの子の喜び。それがあの子の祝福。

 少女は己の生命にどこまでも執着がなかった。己の欲を、己の喜びを、その生命と引き換えにできてしまう。なぜなら、仕方がないから(・・・・・・・)と。己が犠牲になることが、誰かを生き残らせる最良なのだと。そこでどれだけの後悔があろうと、それを上回る納得を以て完結させる。だが、消え去る瞬間に、それを止めた者がいた(・・・・・・・・・・)

 だから、今の(・・)未零なら。人の声を受け入れた未零なら――――――その生命を他者に捧げる施しの精霊であればこそ。〝死〟の意味を理解している村雨未零ならば。

 

「……狂三」

 

 未零を見送った狂三の後ろから声をかけられる。振り向けば、きっと未零を追いかけてきたのだろう十香の姿があった。

 その瞳を悲しげに、その顔を僅かに俯かせ。様々な感情を思わせる十香に、狂三は困ったように唇を歪めて声を発した。

 

 

「いやですわ――――――待つ女というのは、性に合わないものですわね」

 

 

 それを今更ながら、思い知る。待つ側になって、その気持ちを知る。

 だが、生憎と時崎狂三という女は――――――待つだけを受け入れる、お姫様気質は願い下げだった。

 視線を鋭く、それを察した十香が顔を上げる。こくりとうなずいて、狂三は言葉を続けた。

 

 

「十香さん、力を貸してくださいまし――――――わたくしたちの戦争を始めましょう」

 

「……!! うむ、往こう、狂三!!」

 

 

 ただ帰りを待つ女など願い下げ――――――狂三たちは、久方ぶりの戦場へ精霊(・・)として舞い戻る選択を手にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――そういうわけなので、狂三をよろしくお願いしますね、士道」

 

『…………』

 

 できるだけ愛嬌を載せて媚びた声音を努力したつもりなのだが、スマートフォンのスピーカーから返ってきたのはどこか釈然としない沈黙のみで、未零はおや、と小首を傾げた。

 

「どうかしましたか?」

 

『どうかしましたか……じゃないだろ。このタイミングっておまえ、もしかして俺のこと嫌いなのか?』

 

「好きに決まってるじゃあないですか。可愛い士道、愛してますよ。狂三の次に」

 

『狂三の次に、以外に感情がこもってないんだよ!!』

 

 未零なりに最大限込めたつもりなのに失敬な人だな、などと士道の叫びを軽く受け流しながら言葉を返す。

 

「……そんなことないですよ。ありがとう、士道――――――私のやりたいことを尊重してくれて」

 

『…………狂三が止められないなら、俺が止められるものじゃないって思っただけだ』

 

 遺憾だが、自分の中で納得はしている。そんな声色の士道に、上空に滞空した未零は彼に感謝と共に苦笑を届けた。

 

『おまえを止めて、それで万事解決ってなら俺が行って力ずくでも止めたさ。けど、狂三が止められなかったってことは――――――おまえがいかないと、幸せになれないやつがいるんだろ?』

 

「……うん」

 

 小さく、だが確固たる意志を以て。伝えると、士道が深々とため息を吐いたのが通話越しに伝わってくる。

 そう。士道ならば未零を力ずくで止めることが可能なのだ。ある程度の情報――壁の向こうに在る者の到来――は確保できていた以上、正確な時間の予測までは不可能とはいえ事態に備えていたはず。だからこそ、未零の動きに狂三は着いてこれたし、そこに士道がいなかったということは、

 

 

『だったら俺は、その手伝いをする側だ。背中は任せろ。必要なら無理も押し通してやる。俺たちが掴むのは完全無欠のハッピーエンドだ。――――――だからその人だけじゃなく、おまえも笑顔で帰ってこいよ、未零』

 

「……ん。わかってる――――――大好きだよ、士道」

 

 

 何となく、そう伝えたくなった。狂三に、澪に、折紙に対するものとはまた違う感情の渦。刹那的でありながら、永遠に続く矛盾の情動。

 ああ、ああ。歪かもしれないけれど、この情動は間違いなく本物だ。

 

 村雨未零は、五河士道に恋をしている。

 

 

「……ねぇ、士道――――――これが終わったら、私とデートしよう」

 

 

 求めていいのだと。この鼓動の赴くままに。この愛が指し示すままに。

 一瞬、未零から求めた(・・・・・・・)ことに驚いた雰囲気が士道から伝わってきた。けど、さすがは世界を救った稀代のプレイボーイというべきか。

 

 

『ああ。俺とおまえを笑顔にする、最高のデートをしよう』

 

 

 未零が一番嬉しい答えを、心からの思いで返せてしまうのだ。

 頬が熱く、胸が高鳴る。必要なものは、そう多くないつもりだけれど――――――だからこそ、欲しいものが手に入る時は嬉しいと思えた。

 

「……あ、それと折紙に伝えておいてください。『相談するタイミングがなかったので、結果的に仕方がないということにしてください』と」

 

『台無しだな!?』

 

「……いや、答えがわかるまで一足飛び過ぎて、相談するタイミングが本当に見当たらなくて」

 

 言い訳になるが、と頬をかいて困り顔を作る。

 未零とて、今の結論に至ったのは二亜から〈囁告篇帙(ラジエル)〉の情報を聞いてからだ。その時点で、未零しか解決できないと判明したことをどう相談しろというのか。……まあ、そうなる前に相談して、と直々に言われた以上、過失十割で未零の責任なのだけれど。

 

「……じゃあ、こちらはお任せします。ま、必要なことはしてくれると万由里も言っていましたから、頼りますよ」

 

『とんだ過大解釈だ、ってその何某からの視線が厳しいんだが』

 

「……気にしないでください。誰か譲りのツンデレさんですよ」

 

 誰なのかは言わずもがな。この期に及んで、未零一人の問題だと抱え込みはしない。事が引き起こされた瞬間から、これは誰かを頼るべき問題となった。

 だから、誰かを頼りながら未零は自分にしか出来ないこと(・・・・・・・・・・・)を背負うだけだ。

 

『……無茶はするなよ』

 

 強ばった声音を隠さず、士道が別れ際の言葉を発する。

 

「保証はしかねますが、善処はしますよ」

 

 あくまで、いつも通りに。おどけた口調で返して、通話を切る。

 熱くなった身体を冷やすように息を吐き、未零は最後に首に着けた通信機に音を入れた。

 

 

「……心配しないで、お姉ちゃん――――――行ってきます」

 

 

 返事は、聞かなかった。自分の中にある確固たる決意が、あの人(・・・)を助けたいという気持ちが、他ならない姉によって鈍ってはいけないと思ったから。

 

 ――――――刹那。

 

 

「――――――!!」

 

 

 感傷に浸る未零の思考の全てを切り裂き、空に『傷』が生じた。

 有り得ならざる現象。空間を侵略する物理作用。五の線を描き、物質の究極を以て世界を破壊する力。

 

 

「……駄目だよ、それは」

 

 

 来させない。あなたが来るべきは、『この世界』ではない。

 

 

「――――〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉」

 

 

 世界を壊す力と、世界を創る力。手を掲げ、解き放った『法』の世界を以て、数瞬の未来で炸裂するはずだった物質を押し戻す。

 そのとき、未零の肉体が先へと導かれる。引き込まれる――――――僅かに、直下の街並みが目に映った。

 何の変哲もないただの街路。だが、覚えている。かの精霊は、そうなっても覚えていてしまったのだろう。

 全てを忘れた方が幸せだったのかもしれない。『獣』の名の通り、いっそ畜生に堕ちてしまえば罪に苛まれることもない。

 

 嗚呼、嗚呼。残酷か、悲劇か――――――彼女は、最愛の出逢い(・・・・・・)を忘れることなどできはしなかったのだ。

 

 世界が螺旋する。光景が移り変わる――――――原罪を受け継ぎし『獣』の化身と、相対するために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「状況は!!」

 

「み、未零ちゃんのシグナルロスト! しかし、空間の揺らぎはなおも継続!!」

 

「……!!」

 

 それは、空間震が発生予測を上回り、突如として収められた数秒後のこと。

 クルーからの報告に、琴里は上擦る腰を無理やり押さえつけながら隣に立つマリアと共に状況整理を行う。

 

「あの子が空間震を抑え込んだ。けど、空間の揺らぎが収まっていないってことは……」

 

「恐らく、無理やり空間の〝壁〟を破りこちら側に侵入しようとした者の力を、未零が〈輪廻楽園(アイン・ソフ)〉の力で抑え、逆にあちら側(・・・・)へ侵入したのでしょう。ですが、根本的な解決には至っていないようです」

 

 もっとも、この程度で解決をするなら、未零が協力を申し出ることもないでしょうが、と無表情に肩をすくめるマリアに琴里は渋面を作り言葉を返す。

 

「……とにかく、私たちも動き出すわよ。――――――それにしても、何者なのよ。世界の〝壁〟を壊そうなんてやつは。私たちが知らない未知の存在なのかしら?」

 

 常識外も常識外。そもそも、直前に未零が察知していなければ琴里たちはおろか、『この世界』を創り上げた士道と狂三ですら予測できなかった異常事態。

 何者かがこちら側へ迫り来る。その対策を琴里たちが担当する。そこまでは確定している。が、琴里たちは未だその〝何か〟の正体を知らない。

 手で唇を覆い、答えのない疑問に眉根を寄せる。狂三がこちらに合流すれば、あるいは知れる可能性がある――――――それより先に、声が響く。

 

 

「……いいや。彼女は(・・・)、私たちがよく知る精霊(・・)だ」

 

 

 穏やかで、落ち着き払った――――――だが、どこか悲しげな声音だった。

 左方に設えられた彼女専用の席、つまりは村雨令音からの発言に琴里は目を見開く。

 

「令音……」

 

「……私も、()ようやく理解できた。恐らく狂三――――――そして、二亜もね」

 

「二亜が――――――!!」

 

 ハッとなり、司令席に繋がる通信を立ち上げる。瞬間、狙い済ましたように通信回線が回される。その主は、まさにたった今名前が上がった少女のものだった。

 

『へいもしもし、妹ちゃん。ついでにロボ子』

 

「この有事です。多少の発言はスルーします。要件を」

 

 二亜についで扱いされたことにご立腹なのか、微妙に多めの発言とはいえ単刀直入にそう促すマリアに、二亜もいつもの調子はなりを潜めた様子で言葉を継いだ。

 

『そらこっちの台詞だっつーの。まあいいや――――――〈囁告篇帙(ラジエル)〉が新しい知識を仕入れたよ』

 

「な……」

 

 〈囁告篇帙(ラジエル)〉が知識を増やす。それは、世界が進む事に増えていく情報とは些か理由が異なるもの。

 

『多分、一度はあの子の手に渡ったからだろうね。さすがのあたしもひっくり返るようなこと教えてくれたよ』

 

「一体何なのよ、それは……」

 

 『この世界』の侵略者。或いは全く別種、未知の存在。そんな数分前のあらゆる予想を上回り、二亜は文字を言葉として綴る。

 

『いい、落ち着いて聞いてね。あの存在、いいやあの子(・・・)は――――――』

 

 放たれた真実は、琴里の全身を通り抜け、言葉を喪わせることを容易く達成してのけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……」

 

 境界。人が狭間と呼ぶもの。時間と空間の境界を超え、果てのない虚無を映し出す空間。

 だが、その中に侵入した未零は息を呑む。本来、深淵であるべきこの空間が無秩序に歪んでいた。

 

 

「あ……ア……、――――――」

 

 

 恐らくは、かの『獣』の力によって。

 

 

「あ、あ、アアアアアアアア――――――」

 

 

 吠える。吼える。慟哭、『獣』の叫びを。それ以外、彼女が彼女であることを忘れてしまったかのように。

 その行動だけが、『獣』に許された行為だと言うかのように。

 

 その色は幽鬼。その髪は灰。燃え尽きた焔の灰。

 彼女を守るひび割れた楼閣。精霊が纏う絶対の鎧。

 浮遊する十の剣は、力か、或いは永劫と彼女を縛り付ける牢獄か。

 そして何よりも『爪』。五の指に沿う巨大な獣の爪。彼女の本質を決定づける、絶対的な〝物質〟の頂点。

 

「――――」

 

 一息。村雨未零は、呼んだ。呼ばざるを得なかった。

 その『獣』が忘れ去ったであろう、彼女(・・)の名を。

 

 

「夜刀神、十香」

 

 

 名を失いし『獣』は――――――夜刀神十香(・・・・・)は絶望を超え、世界の絶望そのものとなり世界へと襲来した。

 

 

 






『アナザー』。もう一つの。そして別の、という意味を持つ言葉。

事実上のダブルネーミングでした、というお話。村雨未零のもう一つのお話であり、異なる世界からの来訪者との邂逅。

今作で使われなかった原作台詞は後や先に回収したりする、というお話は以前しましたが、今回は真面目に偶然だったりします。『十香』に、駄目だよ、それは。という台詞を未零が扱う……未零の素は当然澪をベースとした口調ですので、自然とこの台詞を書いて、あれ何か既視感が……っていうコントみたいなことしてました。やはりこうなる運命か!

未零という精霊の本質はこういうことです。少女は自分の欲がないのではなく、自身の行動で得られるもの、それこそが自身の欲だと定義している。それが村雨未零のエゴだと。それが始原の分霊の祝福だと。故に、施しの精霊。

さあ、遂に現れた精霊〈ビースト〉、『夜刀神十香』。異なる世界の精霊と有り得ならざる精霊が織り成す異色の戦争(デート)。その行方は……。

感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!
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