デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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狂三イマジナリー
『そして、悲劇は終わる』


 ――――――痛みなど、慣れていた。

 

 ――――――悲しみなど、とうに過ぎ去った。

 

 ――――――悲劇の涙など、全て枯れ果てた。

 

 身を引き裂くような絶望も、いつか己を滅ぼす悲しみも、やがては穏やかに消えていくもの。適応、或いは摩耗と呼ぶものなのでしょう。

 怒りは己へ還り、他者より与えられた狂気は、同じように誰かへと与えるものとなるのでしょう。だけど、これは己のものだと抱え、忘れず、ただ歩き続ける愚か者がいたとしたならば。

 そうして、狂った者は生きていく。どうしようもない空虚で満たされぬ心を抱え、人の構造に抗いひたすらに絶望を刻み続けて生きていく。

 

 心を砕くことを許さず。

 

 膝を折ることを許さず。

 

 思考を止めることを許さず。

 

 抗う。抗う、抗う、抗う、抗う。抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って抗って――――――『時崎狂三』という精霊は生誕してしまった(・・・・・・)のでしょう。

 それが世界にとって幸か不幸か。その是非を、わたくしは持ち合わせていませんわ。

 それがあの方たちにとって幸か不幸か。その是非は――――――きっと、出会うべきではなかったのでしょう。

 

 出会わなければよかったのです。共にあるべきではなかったのです。牙を抜かれた復讐者に、一体何の価値が残るのでしょう。

 ただお互いが不幸になるだけ。ただ互いの気持ちがぶつかってしまうだけ。その先にある結末を、あの方たちは受け入れられません。なぜなら、『時崎狂三』は諦めを知らない――――――諦めという言葉を、心という炉に焼べて捨ててしまったのですから。

 優しさを以て、『時崎狂三』に接する。それはなんて、救われない選択なのでしょう。素直に恨むことが、真っ直ぐに敵視することが、ただ敵なのだと断ずることが、心を救う方法。

 

 友を救わんとして、友と呼べたかもしれない者たちの心を撃ち抜く。これを救いようのない愚か者と呼ばずして、何と称するものなのでしょう。

 

 

 

 

 

 人はいつか、忘れるもの。

 

 時間は優しく、忘却という救いをもたらす。

 

 時間は厳しく、忘却という悲劇をもたらす。

 

 忘れ得ぬと思う記憶と、憎悪。それさえ、新たに刻み続けなければ散らされてしまいます。刻み続けなければ、わたくしはわたくしの道を歩むことができなかったのです。

 だけど、そう、けれど――――――この想いだけは、忘れさせてくれないのでしょう。

 身を焦がすなど生ぬるく、身を狂わすことでさえ足り得ない。甘ったるく、忘れてしまいたい少女の残骸。骸と化した夢、その成れの果てなのかもしれません。

 

 生涯、忘れることはありません。忘れさせてはくれません。幾年もの間、絶望に身を委ねた『時崎狂三』の記憶に勝るほど、たった一年の幸せは記憶ではなく心に刻まれてしまいました。

 

 嗚呼、嗚呼。繰り返しましょう。繰り返してしまいましょう。忘れることなどできはしません。忘れさせてなどくれないお方。

 

 愛しています、誰より。

 

 お慕いしております、時の果てまで。

 

 ――――――好きです。もし許されるのなら、生まれ変わりというものがあるのなら、またあなた様の手を取らせてください。

 

 だから、その心を利用して、その心を踏み躙った少女の行く末は――――――残るものは果たして、人間と呼べるものなのでしょうか。

 

 そこにあるのは精霊では、ましてや人間ではないのかも……しれませんわね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 煌々と照り付ける夕焼けが沈み行き、粛々と光を穏やかなものへと変える。宵闇が支配する時間へ近づきつつある世界。

 時崎狂三にとって、これから生み出される星空など一つの現象でしかない。幾つもの星々、光の輝き。そこに人の意志など干渉し得ない。ましてや、その光が失われた生命を示すものと能天気なことを考えるなどありえない。

 知っているからだ。失われた、失われる生命の数々を。犠牲にしてきた者たちの全てを。知らぬ間に失われた、彼らの時間を。

「――――士道さん」

 

 故に――――――狂三が銃を下ろすことなどあってはならない。

 過去を『なかったこと』にするためにも、犠牲を『なかったこと』にしてはいけない。

 鋼の意思で銃を掲げ、少女を殺す決意を以て悪を成す。

 

 

「その命――――わたくしに、捧げてくださいまし」

 

 

 全ては、己が〝悲願〟を貫くために。

 貫き通した道の先で、少女が得た〝今〟の全てを犠牲にしようとも。

 『時崎狂三』は必ず、世界を変えるのだ。

 

 少女と少年の望みは、叶わない。初恋は実らないというけれど、これほどのものはないだろうと狂三は場違いな微笑みを浮かべてしまった。

 どうして笑えるのか。どうして心が死に絶えないのか。

 もう既に、少女の心など残っていないからか。もう既に、決意の先を過ぎてしまったからか。

 どうなのだろう。どうであるのだろう。どれも、外れている気がした。

 少年の表情はわからない。暗がりを照らす光はあるというのに、見たくない(・・・・・)。だって、わかってしまうから。理解してしまえるから。

 共にいたのだ。恋を知って、愛を手にして。お互いのことを、誰より理解してしまえたから。その願いは相容れなくても、その心は相容れることができたのだ。

 

 だから、わかる。少年の心、少年の考え。銃口を向けられ、だけど恐怖など存在しない彼は酷く()だった――――――狂三が言えたことでは、ないけれど。

 

 そうして、

 

 

「――――うん。俺の全部、狂三にやるよ」

 

 

 五河士道から返された答えは、戦争(デート)の終焉を奏でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 わかっていた。いずれ、こうなる運命なのだと。

 

「…………」

 

 一歩、士道が足を踏み出した。

 

「……」

 

 銃を下ろし、狂三はそんな彼よりも早く足を踏み出していた。

 一歩、また一歩と歩み寄る。もとより、あまりに近い距離だった。心と願いという壁が消え失せた今となっては――――――二人が触れ合うのに、幾秒と使うことはなかった。

 

「……ごめんな」

 

 互いを抱き合う行為の中、士道がぽつりと言葉を紡いだ。それは、状況を鑑みれば本当におかしいとしか言えないもので、狂三は思わず吹き出してしまうそうになる。

 どうして、彼が謝る必要があるのだろう。悪いのは、狂三でしかないのに。

 

「おかしなことですわ。あなた様が謝罪なされる必要が、一体どこにあるというんですの?」

 

「俺は――――――」

 

 強く、より強く抱き締められる。痛いくらいに抱き締められているはずなのに、温かさしか感じないのは何故だろう。

 全ての後悔を吐き出すように。ありもしない己の罪業を告白するように。士道は声を発した。

 

 

「俺は……、君を――――――救えなかった」

 

 

 なんて――――――愛おしい。

 

「救いたかった。救うって、約束……したのに……俺は狂三が救えるだけの〝答え〟が、見つからなかったんだ……っ!」

 

 狂三を抱き締める士道の顔は、狂三からは見えない。だけど、見えなくても……やはり、わかってしまうものだと狂三は寂しさと悲しさを表情に映し出す。

 狂三の答えは、正しいものではない。決して、それだけはありえない。

 どれだけの時間、どれだけの幸せを奪い取ったことだろう。

 

 そこにあるはずだった幸福を。

 

 そこにあるはずだった人生を。

 

 そこにあるはずだった現実を。

 

 その果てに、世界を変える。全てを『なかったこと』にしてみせる。世界をあるべき姿に変えた先で――――――時崎狂三は、全ての罪を背負う。『なかったこと』になどならない罪は、狂三を永劫に渡り裁く。

 それを士道は悲しんでいる。嘆いている。自らの力が足りなかったと。自らの運命ではなく、時崎狂三の運命を嘆く。

 どこまでも、彼は士道だった。彼女たちが愛する五河士道だった。誰より優しく、誰より勇敢で、誰より精霊を愛し――――――これから狂三が奪い去る、この世に二人といない少年だった。

 

「それなのに、おまえになら……殺されたって構わない。そう、思ってる自分がいる。それで、狂三の願いが果たされるなら、って。ごめん……っ! ごめんな、狂三……!!」

 

「本当に――――――お優しい人」

 

 温かな体温。寒空さえ感じさせぬ人の温もり。これから、これより先へと至る時間。永劫に感じることはなくなるであろう人の温かさを、狂三は激しく抱き返した。

 

「……何も気にすることはありませんわ。わたくしは、誰にも救えぬ〝最悪の精霊〟。ええ、ええ。それでいいのですわ。一体誰が――――――これほど血に塗れた女を、救うことができるというのでしょう」

 

「……ッ!!」

 

「わたくしは、この結末を望んだのですわ」

 

 狂三が望んだ戦争だ。狂三が望んだエゴだ。できないのなら、初めからこの道を選ぶことなどしていない。

 もう、弱い少女は晒さない。精霊に成り果てた怪物は、少女の恋心を殺し尽くした。

 

 嗚呼、嗚呼。初恋は、実らないものというけれど――――――最低で最悪の失恋だろう。

 

「ですから、謝りは致しません」

 

 それは、狂三の願いを受け入れた士道に対する冒涜だ。

 『時崎狂三』は、後悔を口にしてはならない。

 

 

「だから、ありがとうございます、士道さん。わたくしの〝悲願〟への道を切り開いてくださったのは、あなた様ですわ。紗和さんを、幾つもの命を返すための道。そのために、このような公平でない賭けに、嘘偽りなく挑んでくださった士道さんを――――――愛していますわ」

 

 

 愛してる。誰よりも、世界よりも、愛している。

 

 愛して、いるから。

 

 

「わたくし――――――士道さんを殺しますわ」

 

「ああ。狂三がいい――――――狂三じゃなきゃ、嫌だ」

 

 

 きっと、この愛は何よりも歪んでいる。

 

 初めての恋は、二度と巡らぬ愛は――――――この最後のデートを以て、罪人の中へと永遠に刻まれる。

 

「……すぐに、行くのか?」

 

「あなた様の覚悟次第、ですわねぇ」

 

 返す言葉は意地が悪く、狂三自身が笑ってしまうくらい悪役模様だ。士道が苦笑を浮かべる雰囲気がありありと伝わってくる。

 その中で、士道の腕の動き、言ってしまえば抱き方(・・・)が変わる。それまで、強く手放さないためのものだったものが――――――愛でる、それは。

 

「なら、最後に頼みがある」

 

「……なんでしょう?」

 

 わかりきった答えへの返しとしては、及第点。これは受け答えをすることに、意味があるものだから。

 

 

「一瞬でいい。ほんの少しだけでいい――――――狂三が、欲しい」

 

 

 けれど、その願いに言葉は不要だった。

 

 逞しい少年の指に、己の華奢な指を絡ませる。それだけで、十分だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 通されたのは、簡素な一室だった。

 

「…………」

 

 とはいえ、廃ビルを再利用した拠点の一つと考えれば、かなりしっかりとしていると言えるものだろう。事実電気は通っており、掃除も行き届いている。窓にはカーテンが引かれ、簡素なベッドがぽつんと置かれていた。

 状況を把握し、慣れた呼吸を挟む――――――いつもであれば緊張を吐き出すそれは、機能したとは言い難い。

 それも、当然なのかもしれない。だって士道は、緊張などしていない(・・・・・・・・・)のだから。

 

「……ろくでなしだな、俺」

 

 そのことに、否、それだけではない全てを自嘲し、士道は懺悔のように沈黙の中で言葉を落とした。

 当たり前、というべきか。霊装を解き、少女(・・)の装い――――士道が最後に見る狂三という少女の姿を見せる彼女は、またおかしそうにくすりと笑った。

 

「あなた様がろくでなしならば、わたくしはひとでなし(・・・・・)ですわね。〝最悪の精霊〟を、人と呼称するのであれば、ですけれど」

 

「いつも思ってたけど、おまえって人に誤解されるように一言付け加えるよな」

 

「あら、あら。場にそぐわぬ指摘でしてよ?」

 

「そりゃ失礼。――――――人間だよ、狂三は」

 

 少なくとも、士道の前では――――――士道にだけは、そうであってほしいと願う。

 世界に疎まれる怪物ではなく。これから世界を変える。歴史を(ゼロ)に戻す精霊でもなく、士道を愛した少女でいてほしい。

 これは士道の願いだ。願いを、約束を、己の信念を捻じ曲げた士道に残された今だけの願いだ。

 

 わかっていたことだ。恐らくは、狂三と同じことを考える。士道が【一〇の弾(ユッド)】という回顧の力で全てを知り、全てを体験したその時、士道に抗う術などない(・・・・・・・・・・)ことは。

 理解していないはずはない。答えを持たぬ五河士道が、『時崎狂三』の決意と想いの情動を受け止め、無事でいられるはずがない。それを知りながら、士道は最後の戦いを挑んだ。これまでの記憶(思い出)が、狂三との出会いが、『なかったこと』になるという事実を知りながらだ。

 そうして、士道は狂三の衣服に手をかけた。

 

「っ……」

 

 僅かながら、狂三が息を呑む。だが、抵抗はない。

 当然の権利だ、そう言っているかのように。抵抗の権利はない。そう主張しているようだった。

 今は、それで構わない。手を、指を動かし続ける。世界で一番の輝きを誇る宝石を、決して壊さぬよう、穢さないように。

 下には士道が選んだ黒の下着が顕になって――――――

 

 

「――――――――――」

 

 

 あまりの美しさに、言葉を失うことしかできなかった。

 美しかった。その言葉しか現れなかった。人は、本当に目を奪われるものを見て、言葉が少なくなってしまうものなのだろうか。

 少女の裸身は、劣情より先にある崇敬、果てはその先でさえ思わせる。気づけば、その白い肌に触れ、後ろ手のベッドへ狂三を押し倒していた。

 潤む瞳と赤に染まった頬は、士道にされるがまま、むしろ行為を促しているようにさえ思えた。

 

「――――――構いませんわ」

 

 事実として、そうなのだろう。僅かに残された士道の理性を撃ち抜くように、狂三は男の下で無防備に裸身をさらけ出し、蠱惑の声音を発した。

 

 

「何を、望もうとも。わたくしの霊力(いのち)以外の全てを。どのように残酷な行為であろうと、身を焦がす欲であろうと――――――あなた様に、捧げますわ」

 

 

 少女を照らすものはない。あるものは、少女を遮る士道の影だ。

 それでさえ、美しい。それでさえ、極上。身を滅ぼすはずの少女が、全てを受け入れる慈悲の女神のようにさえ、思えた。

 この精霊を、今から抱くのだ。冥土の土産、という比喩表現が人の言葉にはあるが、本当の意味で体験をすることになるとは考えたこともなかった――――――というのは、男として嘘になってしまう。

 だから、士道として(・・・・・)望むものは、たった一つだ。

 

 

「――――――忘れないでくれ」

 

「……え」

 

 

 潤んだ瞳に動揺の色が浮かぶ。それでも、五河士道は呪いをかけた(・・・・・・)

 

 

「忘れないでほしい。君を好きでいた男のことを。一生(・・)、覚えていてくれ。君だけが、全てを――――――今の俺(・・・)は、君しか覚えていられないから」

 

 

 これはそのための儀式。刻ませてほしい。彼女の肉体に、心に、彼女の全てを愛した男がいたということを。

 

 

「君しかいない。君がいなくちゃ、俺がいたことを証明できない。だから、君だけは忘れないでくれ――――――時崎狂三。この先に何があったとしても、俺が君を好きなことを」

 

 

最後まで(・・・・)

 

「ぁ……」

 

「――――――――」

 

 涙が、零れた。紅色の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。

 それは美しくも悲しく。儚くも確かに――――――

 

 

「……泣いてるところを見るのは、嬉し泣きだって決めてたのにな」

 

 

少女(くるみ)がそこにいる証だった。

 

 これは、呪いだ。

 

「ごめん、なさい……っ!!」

 

 狂三を生かす、最悪の呪い(・・・・・)だ。

 

「わたくしは、必ず! 必ず、世界を変えてみせますわ!! あなた様の、皆様の生きる世界を……!! 絶対に、絶対に、やり直して――――――!!」

 

「うん。狂三なら、できる」

 

少女(くるみ)は、ここで死ぬのだろう。二度と、世界に現れることはないのだろう。

 だけど、士道は呪いをかける。今ここにある五河士道だけに許された呪いを。(ゼロ)に還る世界の士道では、きっと成すことのできないことを。

 

 どんな形でもいい。彼女にどんな苦難が待ち受けていようと構わない。たとえ、この恋が実ることがなかったとしても。

 

 

「さようなら、士道さん」

「さようなら、時崎狂三」

 

 

 ただ、『時崎狂三』が生き続けることを、望んだ。

 

 

 

 

【――――】

 

 

 その祈り(呪い)が届いてほしいと、士道は最後に願ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 少女の〝計画〟は、実現する。

 

「…………………………ああ」

 

 だが、少女の長い長い沈黙から放たれた小さな声音は、計画の成就への歓喜が溢れるものではなかった。

 ローブの下で眺める街並み――――――もはや、街とは言えない。

 そこに景色はなかった。そこに輝きなどなかった。あるものは塵と化し、あるものは風に消え、あるものは焦土と化し、あるものは――――――そこにあるものは、世界に対する憎悪。行き場を失った憤怒。世界を殺すことでしかやりどころのない絶望。

 

 

「反転――――――したんだね」

 

 

 決着がついた。かつて少女が予見した結末そのもの。女王は最後までカードを手放すことなく、後戻り出来ぬ悲願へと。

 少年の命に、彼女たちに残された霊結晶(セフィラ)が呼応し、反転し、残された僅かな霊力を無尽蔵に膨れ上がらせる。何故ならば、それは〝恋〟であるから。

 

 たとえ歪んでいようと、原初の存在が得た心と同じものであるから。

 いや、それ故に必然なのかもしれない。

 

「……ねぇ、私の神様」

 

 始まりに恋を得て、恋故に愛を知り、愛のために全てを捧げた我が創造主よ。

 

 

「これで、満足?」

 

 

 本当の望みは、果たされる?

 

「…………」

 

 返されるものなど、未だ止まぬ負の霊力たちと少女の沈黙のみ。

 人間が想像した景観は怪物の前に崩れ去り、怪物は世界を殺し尽くすまで止まりはしない。ああ、しかし大した問題にはならないだろう。

 

 そもそも、この世界は失われる(・・・・・・・・・)のだから。

 

 白の翼を羽ばたかせ、少女は飛び立つ。大手を振って姿を現せるというのに、存外に心は沈んでいた。

 

「……どうして、でしょうね」

 

 少女の願いが叶うというのに――――――なぜ、こんなにも虚しさを感じてしまうのか。

 名も無き少女は、終にその〝答え〟を得ることはなかった。

 

 

 

 程なくして、彼女の姿を見つけた。不思議なことに、彼女の立っている場所は滅びることなく物質が残されている。

 やがて明ける冬に蕾を咲かせんとする木々たち。その場所が原因なのか、或いは彼女自身がそこに在るからか。どちらも、ということもありえるかもしれない。結局、少女にはわかりえない、関係のない話ではあったけれど。

 翼を光へと還し、少女は降り立つ。景色が残されているといっても、街中を襲う霊力光はここから視認できるほど。彼女に見えていないわけがない。少女の接近に気が付かないわけがない。

 しかし、彼女は微動だにせず背を向けていた。血溜まりを浴びたように紅い霊装を靡かせ、射干玉の髪を煌めかせる。唯一無二の精霊がいた。

 少女が見紛うはずがない。少女が違えるはずがない。ああ、ああ。でも――――――

 

 

「……狂三?」

 

「――――――――――――――」

 

 訊かずには、いられなかった。

 振り返るその姿へ、問わずにはいられなかった。

 

 だって、そこにいたのは、

 

 

「――――――ああ、ああ。あなたでしたの」

 

 

 一人の修羅(・・)だったのだ。

 

両の眼(・・・)に人ならざる異形の黄金を抱え、螺旋した時を奏でる。

 精霊であることを示す霊装は、全てが紅く(・・・・・)。まるで――――――永劫に忘れ得ぬ人の返り血を染み込ませたように。

 

 少女を表すもの。少年を愛した少女のありとあらゆるものを影へと消し去った狂気の修羅。

 

 完成された『時崎狂三』が存在していた。

 

 

「――――――綺麗ですね、我が女王」

 

 

 この世の倫理から外れた美しさに、気づけば少女はそう告げていた。

 ああ、だって、仕方がない。本当に、そう思ってしまった(・・・・・・・・・)のだから。

 そうまでして己の悲願を貫き通し、自らが奪い去った大切な人の幸せを取り返すため、己の幸せと大切な人を犠牲にする矛盾行為。まるで正しさなどない道を往く愛しき女王が――――――心から、好きだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女なら、来ると思っていた。

 

「……久方ぶりの再会に告げる言葉が口説き文句とは、お変わりありませんのね」

 

 ふっと微笑む――――――微笑みが歪でないか、狂三は自らを不安視してしまった。恐らくは、目に見えない少女の微笑みの方が、余程綺麗なものなのだろう。

 とんだ、皮肉だ。彼から受け取ったものが多々ある。数々のものを磨き、そして愛を囁かれた狂三。そんな狂三が狂三と呼べるものは、もうその名しかない。

 彼から似合うと褒められ、歓喜を噛み締めた色も。

 彼を映すために残されていた少女の瞳も。

 何も残されてはいない。二重奏を奏でる両眼は、人が見ようものなら美しいなどと到底言えたものではないだろう。

 

「その方がらしい(・・・)でしょう? 愛しき、我が女王」

 

 けれど、少女だけは。終ぞ少女(くるみ)と心を通わせることのなかった『時崎狂三』の従者だけは、心の底からそう告げているように思えた。

 楽観なのかもしれない。現実からの逃避なのかもしれない。だけど、そう思えてしまった。そう思いたかったのかもしれない――――――これから犠牲にする少女に対する負い目を、なくしたかったのかもしれない。

 

 

「ええ、ええ。その通りですわ、その通りですわ。あなたは最後まで、変わらない。そういう〝契約〟でしたわね」

 

「はい。時の果てまで、私はあなたと共にある。あなたが神様に逆らうというのならば――――――運命(かみさま)を討ち滅ぼす力へと、私がなりましょう」

 

 

 名も無き天使は、そうして輝き(・・)を解き放った。

 契約の天使。両の手で支えるように、小さな宝石を――――――かつて、罪を背負った少女が『正義の味方』から授けられた時の再演。

 異なるものがあるとすれば、その『正義の味方』と同じ(・・)であるはずの少女は、本当にその力を授けるため〝だけ〟に与えようとしていることか。

 圧倒的な輝きを放つ黒く染った白(・・・・・・)霊結晶(セフィラ)。まだ取り込んでもいないというのに、霊子の鼓動が心音を増す。まるで、己の裡に秘められた輝きと共振しているかのようだった。

 

「…………」

 

 舞台の再演。なんという皮肉があろうか。

 過去を喰らうため、過去を繰り返す。少女が相手でなければ、否、少女が相手であっても正気を疑うものだ。

 また繰り返すのか、と。悲劇を、過ちを――――――違う。悲劇を終わらせる(・・・・・)ため、狂三はここまで進んできた。

 数々の未来を踏み躙り、数々の想いに背を向けて。そして、自らを想う少女さえも犠牲にしようとしている。

 悪鬼羅刹。最悪の精霊の名に恥じぬ所業。構わない、構いはしない。

 それで悲劇に終止符が打たれるというのなら。

 奪ってしまった命に報いることができるのなら。

 皆が暮らす、幸せな世界があるというのなら。

 

 『時崎狂三』に、迷いなど存在しない。

 

「……」

 

「……」

 

 互いに歩み寄る。手を伸ばせば届くであろう距離――――――それが、女王と従者の境界線(ボーダーライン)

 精霊〈ナイトメア〉と〈アンノウン〉という、絶対的な線引きだった。

 

「……これが本当に、あなたの望んだ結末ですの?」

 

 『時崎狂三』は新たな世界を創り出す。そこに、精霊の居場所はない(・・・・・・・・・)

 始原の精霊。そこから全ての因果が始まった。狂三の予測が正しければ、もはや言い訳のしようがない。精霊〈アンノウン〉とは、即ち――――――

 

 

「……うん。これが、私の望み(・・・・)。『私』たちの願い」

 

 

 少女は、狂三の問いかけを肯定した。真っ直ぐに、真摯(・・)に。

 

「……これで、いいんだ。『私』の希望(絶望)は、ここで終わらせなきゃいけない。『私』が自覚しているのかまではわからないけれど、それができるのは君だけだよ、『時崎狂三(・・・・)』。どうか――――――『私』の身勝手な願いを、叶えてほしい」

 

「無論ですわ。そのために、わたくし(『時崎狂三』)は存在を許されているのですから」

 

 全ての因果を断ち切るため。精霊という存在を『なかったこと』にするため。

 その始原の精霊がどう考えていようと知ったことではない。狂三は狂三が失わせてしまったものを正しい過去へと書き換える。書き換えてみせる。

 

 極小の極光へと、指先を触れさせた。

 

「――――――!!」

 

 刹那、驚異的な霊子の循環が狂三の身体を駆け巡る。今までとは比にならない、ある種の全能感ともいえる絶大な感覚。

 

 

「〈刻聖帝(ザフキエル)〉――――【一二の弾(ユッド・ベート)】」

 

 

 ――――――飛べる。

 確信があった。狂三を縛り付けていた制約、世界の理。因果の鎖を粉々に撃ち砕く力がある。霊力がある(・・・・・)

 銃を手にした。決して離すことのなかった銃を手にし、窮極への進化を果たした天使を使役する。

 

 

「ここからは――――――〝私〟の望み」

 

 

 極光の中、その声を聞いた。

 

 極光の中、少女は崇宮澪と同じ貌で笑っていた(・・・・・)

 

 

 

「生きて、狂三」

 

 

 

 全ての履歴が消え、少女が生きる事実は消失する。

 その中で、少女はようやく本当の目的を告げた。

 

 

「〝私〟が望む、たった一つのこと。〝私〟があなたにしてあげられる、唯一の祈り。――――――ありがとう。何もなかった〝私〟に、願いをくれた人」

 

 

少女(くるみ)の成れの果てが、手を伸ばした。

 

 

 

「――――――さよなら、狂三。世界の誰より、大好きな人」

 

 

 

 だけど少女(くるみ)は――――――少女の名前さえ、知らなかった。

 

 光に包まれる景色の中に少女は消えて――――――世界は、螺旋した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めた世界に、少女の姿はなかった。

 

「……たった、それだけでしたの?」

 

 問いかけるべき少女は。少女(くるみ)が言葉をかけねばならなかったはずの少女の姿は、ない。

 虚空へ消える言霊。届けるべき主を失った声が虚しく響く。

 

 

「わたくしがあなたに――――――何かをして差し上げられたことなど、あったと……?」

 

 

 そんなこともわからない。少女の今際の願いでさえ、狂三は何一つとして理解してやれなかった。

 何故なら、少女(くるみ)はもういないのだから。

 何故なら、少女(従者)はもういないのだから。

 問うべき者、問われるべき者。両者が存在しないのであれば、それは〝無い〟も当然のこと。

 

 ああ、ああ。それこそ――――――なかったこと。そうなってしまったのだ。

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――それでも(・・・・)

 

 

少女(くるみ)が手にしたものを全て失い、捧げた。

 

 友と呼べたかもしれない者たちを

 その命を、女王へと捧げた者を。

 ――――――最後に愛した、大切な人を。

 

 そうすることで。そうしてしまったから。そうなるべくしてなり。故に――――――『時崎狂三』は目覚める。

 己の罪を贖い、清算する。世界を正しい形へと戻すために、世界へ反逆する。

 その黄金の両眼に狂気を宿し、執念を燃やし尽くす。

 

 

「――――――『わたくしたち』」

 

 

 静かに声をあげた『時崎狂三』の号令に、全ての影が集う。

 産声をあげている。世界が軋み、歪んでいる。違う――――――戻るのだ。正しい世界へ。

 

「ええ、ええ、参りましょう」

 

「この身に宿る仮初の命」

 

「存分に使い潰してくださいまし」

 

「それが『わたくしたち』の役目となれば」

 

「それが『わたくしたち』の意味となれば」

 

「喜んで『時崎狂三』へ捧げましょう」

 

「失われた全ての生命のため、『わたくしたち』を捧げましょう」

 

「さあ、さあ」

 

「さあ、さあ」

 

『全てを、(ゼロ)へと還しましょう』

 

 世界に対する宣戦布告。世界に対する終焉の鐘。

 

 

「では、往くとしましょう――――――世界を救って差し上げますわ」

 

 

 『時崎狂三』の戦争を、始めよう。

 

 

 

 この顛末を語る必要はない。物語ですらないものを語るなど、まるで意味などないことであろう。

 判りきった結末だ。『時崎狂三』は修羅となり、世界を変える。それが三十年の因果を滅ぼす執念の物語そのもの。

 人ならざる者の執念。敢えて、『時崎狂三』の行動を書き記すのであれば、そう。

 

 

 ――――――そして、悲劇は終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「っ……?」

 

 目覚めは、いなれた影の中(・・・・・・・)であった。

 影の領域。精霊(・・)、時崎狂三が持つ空間。その中で目覚めた時崎狂三(・・・・)は、ハッと目を見開き起き上がった。

 

「な……」

 

 狂三は息を詰まらせる。それは当然のこと。自分自身の姿が何より驚愕を促すものだった。姿見がなくとも、己が身に纏う装束はあまりにも自然に馴染んだ――――――精霊の霊装。

 

「どういう、ことですの……?」

 

 なぜ影の領域がある。

 なぜ精霊の霊装を纏っている。

 なぜ――――――精霊の力が残されている。

 

 数々の疑問が浮かんでは消える。記憶の糸を手繰り寄せ、動悸を起こす身体を何とか押さえつけた。

 

「わたくしは……」

 

 不自然に途切れた意識。その直前の記憶――――――狂三は、間違いなく世界を変えた(・・・・・・)

 因果の始まりを紐解き、全てを終わらせた。〈刻聖帝(ザフキエル)〉・【一二の弾(ユッド・ベート)】の力によって狂三は遥か過去へと導かれ、そして元の時間軸へと帰ってきた――――――()と同じように。世界は変えられると証明をしたあの方と全く同じ道筋を辿って。

 

「…………――――――――」

 

 心臓に手を当て、嫌な音色を奏でる心音を自覚する。

 失敗などできはしない。失敗など、しているはずがない。その確信がある。それでも鼓動は収まることを知らず――――――

 

「『わたくし』」

 

「っ!!」

 

 空間を揺るがす呼び声へ向かって、縋るように振り向いた。

 紅と黒の霊装。異形の片眼。今の狂三と瓜二つ(・・・・・・・・)の分身。しかし、狂三は全く別の理由で目を見開いた。

 あまりにも、気配が薄い(・・・・・)。消えかかっている。それこそ、これほど近くに在ったというのに狂三(オリジナル)が悟れないほど。

 全てを出し尽くした分身の運命を如実に表す光景だった。

 

「……世界は、変わりましたわ」

 

「ぁ……」

 

 たった一つ、自分自身(・・・・)にそれを伝えられただけで、狂三の全身から力が抜け落ちる。張り詰めていた糸が途切れ、長い、長い時間が終わったかのように。

 

 それは、幾千の月日が作り出した歓喜の一瞬。犠牲にした全てが報われる瞬間。巨大すぎる感情の渦。情動の嵐に一言でさえ発することができない。

 やったのだ。本当に、多くの犠牲を払い、多くの犠牲を取り戻すことが――――――

 

 

「――――――ですが」

 

「……………………え」

 

 

 たった一言で、その歓喜は無に帰す。

 

 弁えていただろう。知っていただろう。

 

 

 どれだけ価値を払おうと、大切なものを取り零す者が『時崎狂三』なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――!!」

 

 走った。ただ、走り続けた。そんながむしゃらな思考であろうと、自らの視野は嫌になるほど冷静だった。

天宮市(・・・)。元はと言えば、精霊の存在が深く関わっている街。だが、再編された世界に於いて、その街の名は変わらず存在していた。

 世界の力。或いは歴史を戻そうと試みる因果律か。それでも、確かに世界は変革した。狂三の目的、という観点でみれば間違いなく成功している。

 だから、いるはずだ。この街があるのだから、あるはずだ、いるはずなのだ。

 

 どこまでも目を背けた(・・・・・)狂三が辿り着いた場所は、五河家(・・・)。何らかの因果で全く同じ場所に建てられたそこは、体内時間にして数十時間前と変わらぬ姿を見せている。

 敷地の隣に聳え立つ精霊マンションの姿がないことを除けば、だが。

 

「っ……」

 

 感傷に浸る間など作らず、一も二もなく目の前のボタンを押し込む。それは音を鳴らし、来客を家の主に伝えた。

 出てくれる。期待が胸を締め付けた。そうであったなら、狂三がすべきことは終わる。狂三の中にある懸念、疑念、恐れ(・・)

 あと一瞬の後、消え失せるはずの思考。けれど、消えない。消すことができない。いつものように、思考を重ねて押し潰すことができなかった。それは、それは、それは――――――

 

「はーい」

 

「――――――――」

 

 開かれた扉の先にいた人物に、狂三は息を呑んだ。少女(・・)からすれば、変わらぬ対応なのだろう。でも、狂三にはそれができなかった。

白のリボン(・・・・・)で髪を結んだ五河琴里を目の前にして、狂三にはできるはずもなかったのだ。

 

「えっと……」

 

「――――あの!」

 

 物言わぬ狂三に訝しげな表情を浮かべた琴里に対し、逸る気持ちから思わず声を張り上げた。狂三がそのような声を出したことが意外だったのか(・・・・・・・)、驚いた顔をする琴里。しかし、狂三にそれを気に留めるだけの余裕はなかった。

 何もかもが足りない。冷静な思考。相手の言葉を引き出す余裕。優雅たる微笑みをかなぐり捨て、狂三は持てるだけの作り笑顔で問いかけた。

 自らの死に迫る、その一言を。

 

 

「この家にあなたの兄上――――――五河士道さんは、いらっしゃいますか?」

 

 

 答えてくれ。短く、それ以上の願いなどない。それ以上は望まない。何もいらない。ただ、いてくれるだけでいい。たったそれだけの願いは、

 

 

「え――――――私は、一人っ子ですけど……」

 

 

 呆気なく、打ち砕かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む――――――どうかしたのか、琴里」

 

 人影が消えた玄関先をじっと見つめていた琴里だったが、なかなか戻らないことを案じてか彼女がここまで来てしまった。

 

「あ、十香(・・)おねーちゃん。ううん、なんでもないんだー」

 

 そんなに長く見つめていたのか、と自分に驚きながら手を振って心配がないことを伝える。

 水晶のように吸い込まれそうな輝きを持つ瞳を持つ少女。歳は、中学生の琴里より上の彼女、夜刀神十香は両親が家を空けることが多い琴里を案じる近所のお姉さんだ。世話になることも多いため、余計な心配はかけたくなかった。

 

「そうか。……ふむ、もしや客人だったのか?」

 

「……んー。そういうわけじゃ、ないと思うけど……」

 

 今し方、琴里の前に現れた少女を思い起こし、十香へそう返しながら琴里は不思議な感覚を覚えていた。

 綺麗な人だった。十香も領域外の美しさを持つ少女だと思っているが、あの少女を見た瞬間の衝撃は同じだけあったと言えた。まだ子供の琴里でも、それくらいはわかる。

 特色のある夜闇色の髪を揺らす十香に負けず劣らず、射干玉の髪は同じ女として崇高な尊敬の念さえ抱く。その長い髪で片目を隠していたが、紅色の瞳は極上の宝石にも勝るほど――――――だから、目を引いた。

 

 

「……何だか、悲しそうな人だったなー」

 

 

 その瞳の中に、虚しさ(・・・)さえ感じてしまったのは、どうしてだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 失敗した。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 失敗した。間違えた。間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた――――――狂三は、間違えた。

 

「わ、た……、く、し……――――――殺、した」

 

 何を間違えた。どこで間違えた。全てを覆したはずだ。精霊という存在、世界を壊す毒。狂三が犯した過ち。何一つ、取りこぼしはなかった(・・・・・・・・・・)

 

「――――――――――――――あ」

 

 だから、か。だから、成功した(・・・・)のか。

 肝心な時に気が付けない愚鈍な思考は、いつも手遅れになってから働く。

 

「あ、あ、あぁ……」

 

 『時崎狂三』は、失敗などしていない。完璧に(・・・)、当初の目的を果たしてみせた。

 そこに落ち度はない。喜ぶべきことではないか。

 

 ――――――『時崎狂三』が初めから完成していたのならば、だが。

 

「は……、ぁ――――――」

 

 聡明と褒め称えられた思考が解を導き出す。否、封じられていた解(・・・・・・・・)を放つ。

 思考以外の全てが苦しい。鉄の味がせり上がってくる。指が全身を掻き回す。今すぐ、その思考を止めろと暴れ狂う。

 止まらない。止まりなどしない。狂三へ罪を突きつける。正しさはないと、いつかツケは払われると命じていた己の意志を貫き通して、残された狂三を焼き尽くす。

 

 五河士道がいない世界。当たり前だ(・・・・・)

 『崇宮澪』。精霊を生み出す者。

 『五河士道』。精霊を封印する者。

 ――――――ただの人間が偶然その力を持って生まれた? 本当にそう考えていたなら、愚かしいなどという言葉だけでは済まない。

 

 故に、知っていた。わかっていたはずだ。なのにわかろうとしなかったのは、理解した瞬間から『時崎狂三』が死ぬ(・・)からだ。狂三という存在そのものが消え失せた上で、それでもなお足りない代償を支払うことになっていた。

現に今がそうだ(・・・・・・・)。狂三が狂三でなくなりそうだった。自分自身、精霊狂三を構成する世界が反転(・・)しようとしている。

 

 それを、誰かの力が押し留めている(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――どうして」

 

 

 どうして、そこまでして。もう、何も残されてはいないのに。

 せめてもの救いを願ったのに。せめてもの未来を願ったのに。

 そんな願いを。よりにもよって一番大切な人を、犠牲にした世界を創り上げた。

 

 取り戻せない。取り返せない。実行に移し、成功(・・)させた狂三は唯一、理屈で感じられてしまう。

 あらゆる想いを犠牲にした到達点。己を好いた少女と、愛した少年を糧として創り上げた悲劇のない世界。

 そうだ、悲劇はない。存在しない。だって、覚えているのは狂三だけ(・・・・・・・・・・・)なのだ。事象が証明できないのであれば、それは悲劇ではない。

 

 そして、悲劇は終わった(・・・・・・・)

 

 

 

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――ッ!!」

 

 

 

二度(・・)、五河士道を殺した狂三の手で、悲劇はその幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涙は、出なかった。

 

「……………………………………」

 

 未来さえ視た瞳は何も映さない。声は枯れ果てた。涙は、捨ててきた(・・・・・)

 あの瞬間、少女(くるみ)と共に死んだものは、どれほどの悲しみと絶望が肺腑を満たそうと蘇ることはなかった。

 代わりに、血が流れていた。血が滲んでいた。何も映さない瞳が血に滲んだところで、何が起こるわけでもない。

 

 

 そもそも、なぜ狂三がのうのうと生きている(・・・・・・・・・・)

 

 

「――――――――」

 

 

 ふざけるな。どうして生きている。なぜ生きている。彼は生きていないのに。あの子は存在を許されなかったのに。友の生を戻し、悲願を果たした狂三が生きているのか。

 

 その心臓の鼓動が絶望を許さないのなら。

 

 せめて、死ね。ここで死ね。消えてしまえ――――――初めから、いなければよかった。

 

 

「――――――――――――――――――」

 

 

 手に染み付いた銃把は何たる皮肉か、正しく今までの行動を返した(・・・・・・・・・・)

 己の頭蓋に銃口を突きつけ、逡巡の時間を作らず指をかけた引き金を――――――

 

 

「こ――――のっ!!」

 

 

 引くことなく、銃が殴り飛ばされた(・・・・・・・)

 

「…………?」

 

 手に握っていた古銃の感覚が消え、指を幾度曲げてようやくそのことに気がついた。まるでもって現実感のない。事務的に思考を実現するだけの機械動作。

 そんな狂三が次に目を向けたのは、座り込んだ狂三の眼前で荒く息をした一人の少女(・・・・・)に対してだった。

 

 

「な――――――」

 

 

 なんで、どうして。もしかしたら、そんな在り来りな言葉が言いたかったのかもしれない。どちらにせよ、少女を認識した狂三の目にようやく自我が宿った。

 ここにいるはずのない少女。天然で癖のある髪が変わらず、その一見不機嫌に見える目付きの中に住む気難しい翠色の輝き。

 どうして。今一度、形になりかけた言葉は、狂三自身の意志によって塗り替えられた。

 

 

「……七罪(・・)、さん?」

 

 

 何とも皮肉なことに、呼び慣れてしまうくらいには、少女のことを知っていたようだ。

 狂三が声を返した。それだけのことで少女……七罪は大きく息を吐いた。ありありと見える安堵の吐息。

 

「っ、七罪さん……!?」

 

 未だ疑問の残る思考と節穴の目を凝らし、やっと(・・・)七罪の身体に気がついた。

 怪我をしている。それも、決して軽いものではない。服はあちこちが切り裂かれ、肌に幾つもの裂傷を作っている。よく見れば、七罪の素足まで鋭利な刃物を踏みつけたように血だらけだった。

 

「な、何をして……それに、その怪我は……っ!!」

 

「……それ、全部こっちの台詞なんだけど……」

 

 ――――――何度目かのようやく(・・・・)で、狂三の思考は状況を見極め始めた。

 場所――――――狂三が以前から拠点にしていた洋館、その一室なのだろう(・・・・・)。あくまで予測に収まっているのは、ここは以前の世界とは事情が異なる可能性があることと、恐らくは狂三が――その霊力が――暴れ回ったからだろう。狂三の周りは特に酷く、鋭利な破片で足の踏み場もありはしない。狂三の傍に来るためには、それこそ怪我をする覚悟で(・・・・・・・・)行動を起こす必要がある。

 つまり、眼前で疲れ果てた七罪の様相は、霊力の渦の中を生身で突破したことによるものだと判断した。

 しかし、状況を理解したからといって全てを理解できるわけではない。むしろ、理解できないことしかない。

 どうして七罪が狂三と知り合っている?

 どうして七罪は狂三を助けようとした?

 客観的に見れば自殺のそれを、自らの身を危険に晒してまでなぜ止めようとしてくれた?

 わからない。ついには困惑しか表情に残らなくなった狂三を見て、らしくないとでも語るように七罪が弱々しく笑った。

 

「帰ってきたらやけに家が揺れてるし……めちゃくちゃ怖くて嫌だけど見に行ったら狂三がいるし……現実感のない不思議な力撒き散らしてるっぽいし……もう、めちゃくちゃよね。オマケに見たことない銃まで持っててさぁ……ほんっと、やめてよ。私のノロマで愚図な頭が追いつけないっての……」

 

「だ、ったら……」

 

 逃げればよかった。聞いている限り、七罪は精霊の存在を知らない(・・・・・・・・・・)。同時に、狂三もこの世界の七罪のことは知りえないが、少なくとも精霊に関わりのない七罪が〝逃げる〟という選択肢を持っていないなどとは思えなかった。

 七罪は聡い少女だ。頭は回り、狂三以上の観察眼を持つ。自らの手に負えないと判断したならば、逃げるなり助けを呼ぶなりの行動が浮かんだはずだ。わざわざ大怪我をしてまで、霊力の中心地に飛び込んでくることなど用意された選択の中では馬鹿げている。

 だというのに、狂三の疑問を前にして、七罪はゆっくりと瞼が落ちる中で当然だ(・・・)と言わんばかりに声を発した。

 

 

「……人生のどん底から助けてくれた人って考えたら、勝手に身体が動いてた」

 

「え……」

 

「私、どうしようもないけど――――――恩を感じる心くらいは、あった、のかな……」

 

「っ、七罪さん!!」

 

 

 ぐらりと傾いた七罪の身体を受け止める。顔を顰め、病状の確認は一瞬。今だけは、己の感情や疑問を投げ打って駆け出した――――――彼なら、そうしていただろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 部屋のベッド――部屋割りはそれなりにわかりやすくされていた――に眠る七罪。知識と実際に手を使い念入りに確かめ、狂三は『この世界』に至って初めて穏やかな息を吐いた。

 貧血などの症状が強く出たことによる昏倒。見た目に反して、怪我の度合いは深いものではなかった。家に備えられたもので治療は済んだ。

 それを一目で見抜けなかったとは、本当に節穴になってしまったか、それほど気が動転していたのか。

 

「はっ……なんて、無様」

 

 吐き捨て、己を笑った。無様なことに、言うまでもなく後者だ。心神喪失によって己を失い、精霊の力を失った――というと語弊がある――七罪に救われる。情けないことこの上ない。言い訳、弁解の余地もない。もしこれが例えば琴里に見られていたら笑われ――――――

 

「ちっ……」

 

 お気楽な思考を黙らせる。狂三を知る七罪に出会ったことで、狂三も多少は落ち着きを取り戻したといえた。或いは現実逃避、そうしなければ同じことを繰り返す(・・・・・・・・・)からか。

 

「う……ん……」

 

「…………」

 

 功労者はすっかり夢の中だ。癖は残っているものの、しっかりと手入れがされている七罪の髪を梳く。『以前の世界』で初めて彼女を目にした時に眉をひそめた血色も悪くない。健康状態に問題らしい問題は見られず、目つきの悪さは……こう言ってはなんだが、生まれつきだろう。目に関しては一家言あるが、同じくらい人に物を言える代物でないことは重々承知している。

 つまり問題は、健康的に問題のない七罪(・・・・・・・・・・・)がどうして狂三を知り、狂三と共にいるのか、だ。

 

「はて、さて……」

 

 あごに手を当て、一瞬の思案の後に椅子から立ち上がる。白の少女の霊結晶(セフィラ)を取り込むことで、幾らかの策(・・・・・)を講じた狂三。要は、その一つが的中していた可能性を冷えた頭に思い起こす。

 情報は力。正しい知識こそ道を開く――――――狂三自身に対する皮肉を考えられる程度には、まだ動くだけの精神が保たれているようだと苦笑する。

 ここはどうやら七罪に宛てがわれた私室。そして、七罪の真面目な性根とひねくれた思考を読み取れるならば、容易くそういったものがあると想像に難くない。多少目と手を凝らせば探し物は簡単に見つかった。

 

「何層に積み重ねているんですの……」

 

 もっとも、参考書や厚みのある辞書の間に念入りも念入りに挟まれた日記(・・)は、狂三をして些かコメディチックな笑いを誘うものだったのだけれど。

 日記を引き抜いた瞬間、特定の条件を踏まなければ焼却される……なんて、ミステリーな仕掛けがあったなら狂三はもう少し先を考えねばならなかったが、幸いにも日記は無事に引き抜くことが叶った。七罪のネガティブ癖を七罪の常識が上回らずに済んだ幸運か、などと思考を掠める冗句を程々に、狂三は日記に手をかける。

 

 その時、己の右手が僅かに手を開く――――――こういった情報収集で、癖になっている動作だ。

 

「きひ、きひひひ……」

 

 虚しく、声が響く。己が半身。精霊の心。切り離すことができない最も信頼すべき武器。

 それを今は、手にしたくなかった。だから狂三は、空白を描く手の内で日記の頁を開いたのだ。

 

 中には、つらつらと丁寧な文字が書き連ねられていた。七罪らしい文才と言えるそれは、たちまちに引き込まれる。まあ、時折溢れ出す負の表現というべきもの。端的に言えば〝ネガティブ〟を凝縮したような文に、狂三も困り顔を禁じ得なかったのだが。

 

「……………………――――――――」

 

 一つ、一つを読み耽る。そこには『この世界』の七罪の経緯が余すことなく連なっていた。七罪のことだ。自分自身を卑下にするものはあれど、誇張して書くようなことはしていないはずだ。

 七罪の生まれ。親のこと。学校のこと。初めは辛いことばかりが淡々と文字に起こされ、さらには■■の手で命すら奪われようとし――――――『狂三』に救われたこと。

 

「やはり……」

 

 そこからは、『狂三』と新しい生活を送る自身のこと。心なしか、文字に力が入り活気が溢れているように思えた。

 

 けれど――――――それは、『この世界』七罪の主観であるからだ。

 

 七罪が救われたもう一つの歴史。彼と、友と出会い、今までの全てを帳消しにしても良いと思えるほど七罪は救われていた。かけがえのないものを手にしていた。それは何も、七罪に限った話ではない(・・・・・・・・・・・)

 

「それを『なかったこと』にしたわたくしが……ふっ、責任を果たしたとでも言うつもりでして?」

 

 思い出を無に帰した。存在した救いの履歴を犠牲に、世界を想像した。

 日記を閉じ、元へと返す。そうしてから、拳を爪が肉に食い込むほど握り締めた。

 己の行いが正しいとは思わない。

 それでも、と、狂三は貫いた。『時崎狂三』を貫いた。全ての履歴を無に帰した。あの少女を見捨てた――――――五河士道を殺した。

 結果は、出た。なるほど、想像の通りだ。しかも、あるべき救いの代役までこなしている。大したものだと笑った――――――結果を受け止めた狂三には、空虚な心が残されていた。

 正義の味方を目指した少女、その成れの果て。醜悪なものだ。世界を創り、救いを創り――――――

 

 

「ああ、ああ。見捨てるものを見捨て、救うものを救い――――――けれど、あなた様の未来だけは、救えなかった」

 

 

 ただ一人、取り零した。愛した人を、創らねばならなかった未来を、最悪の形で壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 では、『この世界』の『時崎狂三』とは、誰のことを指しているのか。

 初めから、前提が壊れている。確かに狂三は精霊の力で世界を変えた。〝精霊〟という存在を〝なかったこと〟にした。けれど、その行為は矛盾している。精霊という力無くしてなし得ない事象が、精霊という事象そのものを消失させる。事象と事象の矛盾行為。

 単純に、それを成し遂げた者が狂三でなければ違ったのかもしれない。しかし、それは狂三であった。時の天使〈刻々帝(ザフキエル)〉と死の天使〈擬象聖堂(アイン・ソフ・アウル)〉を重ねた狂三だったのだ。

 世界は矛盾を孕み、抵抗する。歴史を無慈悲に元の形に戻そうと試みる。結果が天宮市であり、巡り巡って七罪である、のだと仮定しよう。

 かなり乱暴かつ抜け落ちた羅列によるが、結論に至ろう――――――『時崎狂三』という改変者は、世界から弾き出された(・・・・・・・・・・)『この世界』で唯一の精霊だ。

 改変に対抗する力を持った存在が改変者となり、奇跡的に巡り合わせが行われ、困り果てた世界という存在が強引に〝結果〟を生み出した。『この世界』の時崎狂三と、今ここにいる『時崎狂三』。つまりは、改変を跨いだ〝異物〟を世界は不本意ながら、存在を吐き出すことで認めざるを得なかった……と、強引な解釈に基づき狂三は結論を下した。

 

「我ながら……強引ですわねぇ」

 

 呆れてしまい、玄関先ですっかり暗くなった星空を見上げながら狂三は下された結論に異を唱えたくなってしまう。

 だが、事実として予測はこの程度しかないのだ。『時崎狂三』が『この世界』の狂三と統合されなかったこと。不自然に白の少女の霊結晶(セフィラ)が弱っていること。そもそもとして、精霊の存在を保ったままの狂三が生き証人だ。それ以上はない。あらゆる力は失われ、かの全知の天使は葬り去られた。だから、終わり。

 

 

「ええ、ええ――――――お終いにいたしましょう」

 

 

 そう。狂三がこの銃声を響かせれば、全て終わりだ。

 世界は創り変えられた。友は正しい人生を送っている。なら、残りは後始末。精霊が存在しない世界で、唯一の精霊を残しておく理由などありはしない。理屈を詰めて、さらに詰めていけば到達する。言ってしまえば、事を終えた異形の持ち主など平和な世界では邪魔者でしかない。

 

 

「さようなら、時崎狂三(わたくし)

 

 

 別れの言葉は簡素で、感情がなかった。所詮、建前の大義名分などそんなものかと狂三は目を閉じて――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「………………嗚呼、嗚呼」

 

 

 嘆くように、悲しむように、手を下ろした(・・・・・・)

 

「……駄目、ですのね」

 

 ああ、駄目だ。もう無理だ(・・・・・)。チャンスがあったとすれば、あの瞬間しかなかった。それを無くした以上、狂三は己へ向けて引き金を引く手段を永久に失った。正気になってしまったのなら、責務を果たすことを止められない。

 衝動的に死ねたならよかった。だというのに、『時崎狂三』は未だ責任を問いかけてくる。『この世界』のこと。あらゆること。何より、七罪のこと。

 

 

『生きて、狂三』

 

 

 それだけではない。

 

 

【愛してる】

 

 

 己に架せられた祈り(呪い)を自覚し、狂三はくしゃりと顔を歪めた。

 

「まったく……天使(・・)まで使って、困った人たちですわ」

 

 だから、もう死ねなくなってしまった。絶望させてはくれない。愛を忘れさせてはくれない。狂三が死んでしまっては、彼らを覚えている人が誰もいなくなる。それは、酷く悲しかった。

 後を追わせてもくれないのだ。復讐を終えた復讐鬼に残るものなど、ありはしないというのに――――――それを知っていたから、祈り(呪い)を遺したのか。

 やはり、涙は出なかった。だけど心は苦しくて。顔は泣きそうで。身体は軋んで。それでも絶望は許されず、涙の流し方を忘れてしまっていた。

 有り体に、悲しいことに、当然の事実。狂三は苦笑を浮かべ、振り返りもせずに扉の裏に隠れた彼女(・・・・・・・・・)へ声をかける。

 

「そんな顔をせずとも、もうしませんわよ」

 

「ぴゃっ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げ、微かに開かれた玄関のドアが大きく開いた。『以前』に比べ彼女の気配の隠し方一つに違いがあるのだから、今更ながら世界を変えた自覚を持つ。何とも不可思議な感覚だった。恐らくは、『この世界』で狂三が唯一無二の感覚なのだろう。

 狂三の思考が逸れたとはつゆ知らず、七罪が控えめな主張でおずおずと狂三の前に姿を見せる。その姿……至る所に包帯が巻かれ、年頃の少女にさせるものとしては少々と眉をひそめてしまう。そうさせてしまったのが狂三自身なのだから、尚更。

 

「……いけませんわ。まだ横になっていた方がよろしいでしょうに」

 

「平気。それに、狂三はいつも大袈裟だし……」

 

「…………」

 

 確かに気にかけてはいたが、そこまで過保護だった記憶はない。とはいえ、七罪がそう言うのならそうなのだろうと軽く割り切る。

 そこで、七罪の視線が一瞬だけ移動したことに気がつく。今となっては大して誇るべきものではないが、これでも目はいい方だ。どこへ向けられたのかはすぐにわかった。

 自然に垂れ下がった右手が持つ古銃。七罪が見たことがない(・・・・・・・)と言っていた、天使がもたらす奇跡の欠片だ。

 

「気になりまして?」

 

「うぇ……な、ならないって言ったら嘘になるけど、私みたいなミジンコが聞いていい事情じゃなさそうだし怖いし……ていうか、狂三がそういうの持ってても不思議じゃないかなー……とか」

 

「どういう意味ですの?」

 

「だって、左目が時計とか普通じゃなかったし」

 

「……………………」

 

 せめて目を隠すなりをしなかったのか。記憶にない自分か分身かは知らないが、『狂三』に頭が痛くなってきた狂三は思わず頭を抱える。七罪の観察眼を誤魔化すことが面倒、という意味があったのであれば大いに同意する。普通であれば、カラコンか何かと解釈するであろうこともだ。

 そして、そうではないとわかったとしても、七罪は軽々しく踏み込む早計な思考の持ち主でないことは、織り込み済みだったのだろう。

 故に、気にすることはない。狂三は、迷うことなく指から力を抜いた。

 

「あ……」

 

 銃を手放せば、七罪が小さく声を漏らして目でそれを追いかける。自由落下に身を委ねた古銃はくるりと半回転で間もなく――――――影の底へ、消えていった。

 そうして、精霊として形を成し銃を手にしてから初めて、狂三は銃を手放した(・・・・・・)

 

 事を終えた。悲願を遂げた先に武器を手放す。幸せなことのはずなのに――――――どうしても、虚しかった。

 

「さあ、中へ入りましょう。夜は、冷えますわ」

 

 何事もない。何事もなかった。それでいいと、狂三は笑顔(・・)を向けた。

 その笑顔は果たしてどう映ったのだろうか。

 その笑顔は正しく向けられていたのだろうか。

 

「……いいの?」

 

 七罪の声音には、様々なものが込められている。悲痛なものと言ってもいい。七罪なりの精一杯。

 

 

「――――――ええ」

 

 

 だけど、いい。もう、いいのだ。

 

 疲れてしまった。痛みに、悲しみに。

 悲劇は終わった。そこに、狂三の幸せなどなくていい。けれど、あってほしかった未来がない。

 それでも時は過ぎる。後悔は、してはいけない。道を選んだ者は『時崎狂三』。運命を決めた者は『時崎狂三』。

 それを後悔してしまったら、あのときに全てを投げ出した彼への侮辱行為だ。

 

 何があっても狂三を好きでいると言ってくれた彼へ、それだけは後悔したくない。

 

 愛して、愛されて。殺して、また、殺した。

 

 

 

「それでも――――――愛して、いますわ」

 

 

 

 何もなくなった精霊(にんげん)は、それでも歪な愛だけを生んだ。

 果たしてそれは、『時崎狂三』だったのか。

 それとも、死した狂三(しょうじょ)だったのか。

 その答えを持つ人には、もう会えない。会ってはならない。一度決めた救いを『なかったこと』には、してはいけない。

 

 世界は救われた――――――戦争(デート)の時間は、もうおしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――――――また、春がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「うぉりゃー! 待ちなさいよ夕弦ぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

「嘲笑。待てと言われて待つ者は馬鹿かへちょ耶倶矢くらいなものです。あっかんべー」

 

「あんたは一々ネタが独自で微妙に古くてわかりづらいわー!!」

 

 

 

「……よ、陽キャパラダイス。恨むわ世界……う、陽気に当てられて吐き気が……」

 

 春うらら、花見日和……というのは陽キャ御用達のイベント。七罪は怠惰。どちらかといえば春眠暁を覚えずの精神でいたい。

 浮かれに浮かれや。辺りには桜並木に盛り上がる人、人、人。何がいいのだ。どうせ桜だなんだと託けて勝手に盛り上がりたいだけ。そのくせ陰キャに一人で場所取りをさせるときた。え、七罪ちゃんまだいたの……? ちょっとこいつ呼んだの誰ー? はーシラケるわー。などなどの声が聞こえて――――――

 

「あら、あら。また百面相をしていますのね。可愛らしいものではありますが、七罪さん、もしかして思春期ですの? ですが、病状が燃え盛るには少し遅いですわねぇ」

 

「私は適齢だけど!?」

 

 ちなみに、一般説では八歳から十八歳くらいを思春期と呼称すべきであるらしい。中学に一応、仕方なく、絶対に行きたくはないが、席を置くことになった七罪は普通に該当する。まあ、年齢不詳のこの女は思春期などなかった気さえしてくるのだけれど。

 

「まあ、七罪さんのそれ(・・)は思春期とはまた違うものでしょうけれど」

 

「悪かったわね。……どうせ狂三は、私くらいの歳でも大人びてたんでしょ」

 

「さあ、て。わたくしよりはさ……友人が随分落ち着いた方だったとは記憶していますわ」

 

「昔話みたいに言うわね」

 

 実際、昔話なのかもしれないが。繰り返しにはなるが、年齢不詳のこの女は不思議な色香のようなものを纏っている。いや、本人の前で言うと『わたくしが年老いていると? 蛆虫風情がほざきましたわね。くたばり遊ばせ?』……とか、七罪でもただでは済まないのではと隠してはいるけれども。また、最後は天地がひっくり返っても言わないでしょ、七罪自身ツッコミを入れる。

 訝しげな七罪に対し、狂三は少々と懐かしそうに――そういう表情ができるだけホッとする――声を発した。

 

「ふふっ。実際のところ、昔の話ですわ。それに、わたくしにも思春期の時期はありますことよ?」

 

「えぇ……ちょっと信じらんない」

 

「うふふ。教えるつもりは毛頭ありませんので、それで構いませんわ」

 

「何よそれ……」

 

 随分と気になる言い方をしてくれる。また狂三の謎が一つ増えただけになってしまった。……「あれらは思春期というよりかは黒歴史ですけれど……」、と小声で遠い目をした狂三が気になりはしたが、それよりも歩幅を合わせてくれる狂三と並走しながら、七罪は見回すだけで身震いと鳥肌が立つ光景への不満を垂れ流した。

 

「ていうか、何でわざわざ外に出て花見(・・)なのよ」

 

「あら、あら。花見は外でするものですわ、七罪さん」

 

「家の敷地でいいでしょ」

 

「あの春の陽気とは程遠い外観で寒々しさを七罪さんが感じないのであれば、わたくしも喜んで受け入れますわ」

 

「……お化け屋敷の自覚、あったんだ」

 

 狂三と七罪が住む家は、比較的閑静なエリアに位置する古めかしい洋館風の一軒家だ。言葉を凝らして褒めてみれば荘厳。貶してみれば唯一お化け屋敷のような外観をしていて、差し込む日差しも台無しというものであった。

 陰キャの極みに到達しようという七罪にとっては有難い話ではあるのだが、事リフレッシュという意味では狂三の言うように全く向かない。物事の向き不向きを如実に表現しているといっても過言ではない。

 ニコニコと顔の良さを全面に押し出し意見を封殺してくる狂三に、さしもの七罪も降参だ。それに……反論があったとしても、言うつもりはなかった。

 便宜を図り、七罪の世話をわざわざ焼いているのは狂三で、家の家主も狂三。もともとは七罪に決定権や否定権などない。その中で、狂三はかなり七罪の言葉を受け入れてくれる。というより、否定されることが殆どないと記憶していた。

 つまるところ、今回はあの狂三が自らの主張を押し通している。如何に捻くれ者の七罪といえど、狂三の自主性を感情的に否定などできるものか。

 

 あの日のことは、今でも覚えている。

 

「…………」

 

 あれ以降、狂三があのとき(・・・・)に触れることはない。なることもない。だから、七罪は触れなかった。触れてはいけない、そう思った。

 触れられるものか――――――悲しみと絶望しか(・・)感じられなかった彼女の姿を見て、できるはずがない。

 

「――――――人が多いですわね。七罪さん、はぐれないように手を繋いでもよろしくて?」

 

「え……う、うん」

 

 考え事でボーッとしていた七罪を見てか、狂三がそう提案してくる。気を遣わせてしまったか。とはいえ、人が多く七罪も慣れていないのは本当のことだ。特に迷いもなく差し出された狂三の手を取ってから――――――

 

 

「――――――――――」

 

 

 時崎狂三の手を取る人は、他にいるのだと思った。

 

「……七罪さん?」

 

「っ……な、なんでもない!」

 

 小首を傾げた狂三に、慌てて首を振って温かな手を握る。おかしな感覚は、刹那の間にのみあった。

 きっと、気のせいだ。手が触れただけで、何を考えているのか。たったそれだけで相手のことがわかって、理解できるならそれは本当に〝奇跡〟と呼ぶものだろう。

 だけど、そんなことがあるのなら。奇跡と呼ぶものがあるのなら。

 

「さあ、さあ、参りましょう。腕によりをかけて料理を作りましたのよ」

 

「うん。た、楽しみにしてるから……!」

 

「あら、珍しい七罪さんですわ。嬉しいですわね」

 

 どうか、そんな奇跡がほしいと思った。

 

 

「ああ、ああ――――――あの日とは違い、よく見える……綺麗な桜ですわ」

 

 

 ――――――悲しい顔で笑う彼女が、心の底から笑顔を見せられる人が現れる奇跡がほしいと、願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つの結末。永い悲劇が終わる物語の終幕(フィナーレ)

 救われた世界で、救われない少女(ヒロイン)の後語り。消えた救いと、新たな救いの物語。

 それでも、時は進む。それでも、春は過ぎ逝く。

 

 救われぬ者がいる中で、それでも、繰り返そう。悲劇は、終わったのだと。

 

 悲しみは消えずとも――――――悲劇が消えた救いだけは、確かなのだから。

 







「――――――おまえは、誰だ」

「――――――さあ、さあ。答えるべきものなど、忘れてしまいましたわ」


「車に忍び込んだ挙句隠れるとは、手癖が悪いでは済まされませんわよ」
「……嫌って言っても、着いていくから」

 悲劇は幕を閉じた。

「むくは……うぬを知っている気がするのじゃ、折紙とやら」
「はい。私も……あなたを知っているような、気がします」

 けれど、世界は続いている。

「銃がばばばば〜って出て、それでそれでー、それを撃ってる女の子がすっっっっごい美少女だったんですよー!」
「なんで後者の方が重要度高いわけ……?」
「諦観。ある意味で尊敬に値します」

 それでも、未来は繋がっている。

「行ったら……駄目です、七罪さん……!!」
「四糸乃は――――――私が守る!!」

「妹ちゃん――――って呼ぶのはおかしいのに、何かそう呼ばなきゃいけない気がするんだよねー」
「二亜は不思議だなー。でも――――――私も、そんな気がしてるわ」

 そして、

「全ての精霊は消える――――――おまえが最後だ、〈ナイトメア〉ッ!!」
「わたくしとあなたは――――――戦うことでしか分かり合えないッ!!」

 大切な記憶は、消えたりしない。

「ずっと、好きです――――――士道さん」






嘘予告です。本編中はやる気なかったのでここぞとばかりにおふざけでやってみました。ちなみに狂三となっつん以外9割はその場で考えました。何だったら最後のパロディ言わせたかっただけです。多分次はもっと酷いです。

と、言うわけで狂三IF『そして、悲劇は終わる』をお送りしました。そうですね、悲劇〝は〟終わりました。世界は救われ、ハッピーエンドです。……いや、リビルドのストーリー的にはバチクソにバッドエンドなのはお分かりだと思いますが。
あと両目とも時計になるってありそうでなかったかなとか思ってぶち込みました。悲願を果たすまで止まれない、諦めない修羅の証。なお世界改変後は『成功した』ので諦めではなく終わりです。人の心って難しいね。

Q.なんでなっつんなの? A.状況的に描写ないとヤバそうな十香、八舞、七罪の中で家族が物理的にやべぇのからの選出。メタなこと言うと狂三の隣に置くロリ枠として最適だっry

書いといてあれですけど、余程選択肢と好感度管理ミスってないとならないルートですね狂三IFは。色々足りなかったんだろうなぁ、と。
これでちゃんとIFは完結しているのですが。一応後に何か思いついたようにぼかしたり部分や伏線は残してあります。なんで士道いないのに十香いるの?とかはまさに。実は世界側が仕掛けた狂三へのカウンターシステム……と考えるのも面白いかもしれませんね。八舞姉妹はモロに歴史を出来うる限り戻そうと世界側が対抗した証ですし。世界改変に関してもぼかしたり。

士道に関しては言わずもがな。〈破軍歌姫〉に込めたものは狂おしいほどの愛。伝わるけど、一方的な愛。うんうん、それもまた愛だね。

そして、ここでは敢えて白い少女と呼びましょう。ある意味で少女の勝ち。当初の目的を達成し、狂三を生き残らせることに成功した。見事計画成就です。……嬉しそうじゃないのは、狂三はきっと絶望してしまうだろうなぁというのがわかっているから。だけど情を捨てるような子なら初めからそうしているしなぁ、というのもわかっているので少女は計画だけを押し通しました。
生きていてほしい。少女が願ったものは、ただそれだけなのです。
互いの望みのため、すれ違うことを望んだ少女たちは本編が救いになっていると思います。呼ぶべき名前がないって最悪の対比だなと(自画自賛)

まあ長々と語りましたが、色々と考察できるルートだとは思います。そして、この後にどのような物語があるのか、どうぞご自由に想像くださいませ。
嘘予告の中身は全く考える気がないのですが、狂三となっつんのコメディくらいは考えついたら良いかもしれませんね。や、悲劇は終わったって言ってるのに台無しにしたくないし……。そして狂三となっつんのコメディもどうせ〆は湿っぽいですよ絶対。

ちなみに一番初めに考えた時は完全にビ〇ドパロでした。忘れられた二人が再会するふたりぼっちエンド。あのエンディングと冬映画の覚えている人が一人でもいればそれでいい、あの関係性好きです。
今でもちょっと自分で見たいんですけど完全にパロディでしかないのと、バッドエンドの士道IFが対のエンドなのにそれは合わないかなぁと。あくまで狂三と士道が真っ当に結ばれる本編を大切にしたかった。というわけでこちらのエンドが採用されました。士道と狂三のふたりぼっちエンドは見たかったんですけどね本当に(未練)

それでは次回は士道IF。

EXTRA TIME 『そして、悲劇は繰返す』

今回は相応の対価を支払い一応救いよりで終わりましたが、次は……一番好き勝手やると思います。けど全滅エンドとかは絶対に書く気がないのでそこはご安心ください。私なりのバッドエンド、狂三ヒロイン物という前提条件を最後まで駆使しながらお送りしたいと思っています。

感想、評価、お気に入りなどなどありがとうございますー。いつでもお待ちしておりますー。
それでは残り二話。次回をお楽しみに!!
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