デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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士道くん鋼の精神過ぎるのではないかと書いてて思います


第二十八話『灼熱の攻防』

 

 

「――――で。真面目な話、どうして狂三はこんな所にいるんだ?」

 

「あら、あら。士道さんはわたくしの愛をお疑いになりますのね。悲しいですわ、泣いてしまいそうですわぁ」

 

「お、お前なぁ……」

 

 言いながら、士道の前まで来てわざとらしく目元を押さえる狂三。非常に演技がかったものなのに、マジで可愛いなこの子と思ってしまう自分が本当に毒されていると感じる。

 

「そりゃあ、狂三が会いに来てくれたら嬉しいけど……お前がわざわざこんな場所まで来るんだから、それだけじゃねぇんだろ?」

 

「さて、どうでしょう。士道さんに会いに来た、というのも本当に理由の一つでしてよ」

 

理由の一つ(・・・・・)、と言っている時点でやっぱり他にあるんじゃないか。指を唇に当て、これまた愛らしい仕草をする狂三を半目になって見やる。

 ……士道とて、狂三が自分に会いに来てくれたのなら嬉しい、とても嬉しい。しかし、あの時崎狂三がこんな辺境の地までそれだけの為に…………いや、士道との戦争(デート)を考えればあるのかもしれないが、それなら感極まってしまうのだが、やはり謎が多い狂三の事だけに深読みしてしまうのだ。普段、士道は狂三が何をしているか知る術がないのだから。

 

「……十香さん、お久しぶりですわ」

 

「――――うむ。久しいな狂三」

 

 士道の背で狂三の登場に目を丸くしていた十香へ、狂三が少し躊躇った様子を見せながら挨拶の言葉を口にし、十香は目を見開きながらもその挨拶を返した――――――数秒、そこから沈黙が流れる。この無言の時間が、久しぶりに出会ったからなんて可愛い理由ではない事を士道は悟った。

 二人の中にある感情を当人でない士道が推し量ることは難しいが、とにかく助け舟を出さない事には始まりそうになかった。

 

「……あー。そう言えば、十香の言ってた気になる視線って狂三の事だったんじゃないか? ほら、狂三は俺たちの近くにいたんだろ?」

 

「確かに近くにはいましたが……士道さんに気づかれるとは思いもしませんでしたわ」

 

「それはほら、勘だな。狂三限定の」

 

「……勘で分かるだなんて、あの子が驚きますわね」

 

 呆れ気味に何かを呟く狂三を見て、士道は半笑いで頬をかく。実際、狂三がいると分かったのは訳の分からない勘以外の何物でもないので、説明するのは士道本人にだって出来る気がしなかった。

 

「む……多分、違うぞ。上手くは言えぬが、見ていたのは狂三ではないと思うのだ」

 

「ああ、その事でしたらわたくしが――――――」

 

 視線の主が狂三でなければ、一体誰なのだろうか。そんな疑問に、狂三が恐らく答えようとしたのだろうか――――その言葉の途中、急に空を見上げる。それも、狂三だけではなく十香もほぼ同じタイミングで上を見上げていた。なんだ、とつられて顔を上げ――――――言葉を、失う。

 

「…………おいおい、嘘だろ……」

 

 ほんの数秒前まで、空は晴れ渡る青空だった。それが、今はどうだ。巨大な雲が渦を巻いている。そこから時間にして、一分と経たず……士道たちのいる場所は、経験した事がないような大嵐に見舞われた。まるで、ありえない超常現象を体験しているようだった。

 

「や――――べぇ。十香! それに狂三も! 急いで避難するぞ!!」

 

「これは……」

 

「っ、おい狂三!?」

 

 狂三は士道の声が聞こえていないのか、荒れ狂う空、その中心を睨みつけるように見据えていた。士道には見えない、〝何か〟が見えているかのように。この嵐の先にいる存在を、たった今感知した事に疑問を浮かべているかのような、そんな表情を含んでいた。

 

「狂三! 早くしないと――――」

 

「シドー、狂三! 危ない!!」

 

 言葉が終わる前に、士道の身体は十香の手で突き飛ばされていた。咄嗟に、狂三の柔らかい腕が士道を受け止める。なっ、と驚く暇もなく――――――

 

「ぎゃぷッ!?」

 

 非常にコミカルな声を上げて、十香が暴風の中で気を失ってしまった。声はコミカルだが、十香の頭に直撃したのは金属製のゴミ箱だ。この暴風域で士道の身代わりとなって金属製の物体を被弾したのだ、シャレになっていない。

 

「お、おい! 十香! 大丈夫か十香!!」

 

「十香さん、十香さん! お気を確かに!!」

 

 士道が肩を揺すり、狂三が心配げな顔で軽く彼女の頬を叩く。が、その両方はまるで意味を成さず、目を回した十香が目を覚ます事はない。不味い、こんな場所で立ち往生していては十香の身に何が起こるか分かったものでは無い。とにかく、十香を背負ってでも建物の中を目指さなければならなかった。

 

 

「く、仕方ねぇ。俺が十香を背負う! 狂三も一緒に――――――」

 

「――――――士道さん、ここから動いてはなりませんわ」

 

 

 何言ってる、こんな暴風の中で留まるわけに行くか。士道はそう口に出そうと思った。それを阻んだのは、狂三の双眸。鋭く輝く紅の瞳と、風によって顕になった時を奏でる金の瞳。その二つが、自然と士道の言葉を静止させた。

 

「わたくしが感知出来る領域に一瞬で入り込む〝精霊〟。知る限り、一人――――二人、と言うべきですわね」

 

「精霊って……!」

 

「来ます。伏せてくださいまし!!」

 

 狂三の警告と時を同じくして、嵐を纏った二つの影が、凄まじい勢いでぶつかり合った。

 

「う、うわ――――っ!?」

 

 先程までの暴風でさえ比べ物にならないほどに吹き荒れる風に、十香を庇うように身体を丸めた士道も吹き飛ばされそうになるのを必死に耐える。

 

 そんな士道と十香を更に庇うような形で手をやりながら、狂三は冷静に二つの影を追っていた。彼女がその霊力を感知した時、自分らしからぬミスをしたと最初は思った。DEMの動きに気を配る余り、近くにいた精霊の僅かな霊力を見過ごしてしまったのだと。

 違う。その考えを一蹴するのに狂三は数秒と使わなかった。これほど巨大な霊力を二つ(・・)、狂三が誤認するはずがない。考え得る限り可能性は一つ――――――狂三の知覚領域へ、この距離になるまで全く気づかれずに精霊が一瞬で入り込んだ(・・・・・・・・)

 

 そんな芸当を成し遂げた二対の精霊が、士道たちを挟んでその姿を現す。

 

 

「――――――く、くくくくく……」

 

 

 嵐の中心、台風の目のように穏やかな無風となった空間に響く、芝居がかった嘲笑。

 結い上げられた橙色の髪と、水銀色の瞳。ベルトのようなもので身体の各所を締め上げ、右の手足と首には引きちぎられた鎖がついた錠が付いている。まるで被虐快楽者(マゾヒスト)のようなその衣は――――〝霊装〟。

 

「やるではないか、夕弦。さすがは我が半身と言っておこう。この我と二五勝二五敗四九分けで戦績を分けているだけのことはある。だが――――――それも今日で終いだ」

 

「反論。この一〇〇戦目を制するのは、耶倶矢ではなく夕弦です」

 

 大仰というか、なんか妙に士道と狂三の心がザワつくというか……とにかく、妙な言葉遣いの少女に答えたのは、士道たちを挟んで左側から現れた瓜二つの容姿を持った少女。

 錠の位置が逆位置であり、纏う霊装は少々異なっていたが……本当に双子のようだ。長い髪を三つ編みに括り、表情は正反対に気怠げな夕弦と名乗った少女と、耶倶矢と呼ばれた少女は士道たちには目もくれずに会話を続けた。

 

「ふ、ほざきおるわ。いい加減、真なる八舞に相応しき精霊は我と認めたらどうだ?」

 

「否定。生き残るのは夕弦です。耶倶矢に八舞の名は相応しくありません」

 

「ふ――――無駄なあがきよ。我が未来視(先読み)の魔眼にはとうに見えておるのだ。次の一撃で――――――我が颶風を司りし漆黒の魔槍(シュトゥルム・ランツェ)に刺し貫かれし貴様の姿がな!!」

 

 その芝居がかった台詞を聞いた瞬間、相対している夕弦ではなく何故か士道と狂三が非常に苦い顔になり揃って沈黙する。幸いというべきか、本人たち以外それを知り得るものはいなかったが。

 

『………………』

 

 分かる。分かってしまうのだ、二人には。否、二人だからこそ(・・・・・・・)。なんというか、理由は様々あれど多感な時期(・・・・・)は誰しも存在し得るということだろう。

 

「指摘。耶倶矢の魔眼は当たった例しがありません」

 

「――――う、うるさいっ! 当たったことあるし! 馬鹿にすんなし!!」

 

 わーわーぎゃーぎゃー、なんて擬音が背景にありそうな大騒ぎ。やっぱり〝素〟があったかという気持ちと、そんな事を考えている場合じゃねぇという考えが士道の頭に浮かび上がった。

 

「狂三、この二人って……」

 

「えぇ、〝精霊〟ですわ。士道さんには困ったものですわね。十香さんや四系乃さん、わたくしに続いてまた精霊を引き寄せてしまうだなんて……」

 

「俺のせい!? 俺が悪いの!? けど、狂三たちみたいな二人組の精霊だなんて――――――」

 

「ああ、それは少し違いますわ。このお二人、恐らくは同じ存在(・・・・)ですもの」

 

「え……?」

 

 てっきり、狂三たちと同じように何らかの方法で共に活動している精霊だと、そう士道は考えていたのだ。いや、共に活動しているという点は間違っているかもしれない。何せ、彼女たちは今現在も――――――

 

「――――わ、笑うなあああああああああっ!!」

 

「っ!?」

 

 言い争いに負かされたのか、顔を真っ赤にした耶倶矢が荒れ狂う風を再び操り始める。それを見た夕弦が応じるように構えを取った。

 

 

「――――仕方ありませんわね」

 

「狂三――――!?」

 

 

 狂三の〝影〟が歪む。その影は彼女の身体に這い上がるのを今か今かと蠢き、範囲を広げ始めているように見えた。間違いなく、彼女は今戦闘態勢(・・・・)に入ろうとしていた。

 

「士道さん、十香さんを連れて下がっていてくださいまし。これ以上、あの方たちに暴れられてはわたくしとしても不都合(・・・)ですわ」

 

「く……」

 

 ――――狂三の言う通りにするべきだ。

 世界を相手取る力を持つ〝精霊〟。人間が立ち向かえるものではなく、このままでは意識を失っている十香の身が危険に晒されてしまう。なら、同じ〝精霊〟である狂三に任せるのは正しい判断だ――――――精霊を武力を持って制圧する場合は、だが。

 

「……いや、俺がやる」

 

「士道さん?」

 

 霊装を纏いかけた狂三を手で制し、前へ躍り出る。驚いた表情を見せる彼女に、安心させるように微笑んでやる。

 

 

「漆黒に沈め! はぁぁぁぁッ!!」

 

「突進。えいやー」

 

 

 もはや一刻の猶予もない。同時に地を蹴り上げた二人の精霊は、数秒とかからず風と共に激突するだろう。その未来を変えるために、士道は大きく息を吸い込む。

 

 そうだ、五河士道の武器は〝武力〟ではない。この身一つで成し遂げる精霊との〝対話〟だ。故に、彼らの戦争は戦争(デート)なのだ。

 精霊を救うと誓い、精霊と出会うことを運命づけられた少年が、吠えた。

 

 

「待――――てええええええええええええええええッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「……我が女王。それで、どうなったんですか?」

 

「ですから、その御二方が士道さんを先に落とした方が勝ち(・・・・・・・・・・)、という勝負を始めてしまいましたの」

 

「――――なんで、そうなるんですか?」

 

「わたくしに聞かないでくださいまし」

 

 そう言って困ったように微笑む狂三を見てしまうと、白い少女もそれはそうかと追求する事が出来なくなる。如何に狂三でも分かるわけがない。いきなり現れた精霊が逆に(・・)五河士道を〝攻略〟しようとする理由など。

 

 狂三が自らDEMの動きを探ってくると出て行ったかと思えば、五河士道と精霊出現に巻き込まれていたというのだから、宿で待機していた少女はどこから驚けば良いか思わず困ってしまったくらいだ。

 

「……というか、こんなにすぐ五河士道と合流してしまって良いんですか?」

 

「不可抗力ですわ。あなたから力をお借りしていたのに、士道さんに見つかってしまったんですもの」

 

「……は? 姿、自分から晒したんですか?」

 

「いいえ。十香さんが気になさって動けなくなっていらしたので、DEM側の監視を一度〝妨害〟いたしましたの。そうしたら、士道さんが〝勘〟でお気づきになられてしまいましたわ」

 

「〝勘〟って……そんな不条理な」

 

 呆れと困惑混じりで呟いて、ローブの下で思案する。狂三に〝譲渡〟していたのは、あくまで精霊の霊力を隠せる程度で他は副産物でしかない。だが、それでも普通の人間が狂三の姿に気づくことはまず不可能だ。隠れていたなら尚更、それを〝勘〟で発見してしまうなど不条理にも程がある。

 

「……まあ、五河士道そのものが不条理の塊みたいなものですか。それで今、彼らはどこに?」

 

「学校の皆様と合流されましたわ、精霊二人のオプション付きで。わたくしが行くわけには参りませんので『わたくし』に情報を探らせていますわ」

 

 流石に、休学中の狂三が一緒にいるのは問題となるので合流手前でひっそりと宿へ戻って来た。分身体に動向を探らせれば、確かに狂三が一度戻って来ても問題は無いのだが……。

 

「良いんですか? 五河士道を分身体に見張らせて」

 

「……適材適所ですわ。わたくし、私情に引っ張られるほど子供ではありませんもの」

 

 その割には、なんとも微妙な表情で気を落ち着けるようにお茶を飲んでいるが……まあ、狂三が大丈夫と言うなら少女としても止める理由はない。

 

 折良く、狂三の〝影〟から一人の分身体が姿を現す。

 

「――――ご苦労様。引き続き、お願いいたしますわ」

 

 一通りの報告を終え、分身体が優雅な一礼を披露して再び影の中へと消えて行った。見張らせていた分身体の中の一体からの定時報告。その内容は、とても興味深いものだった。

 

「……なるほど。彼女たち〈ベルセルク〉が言うには、本来は一人だった精霊が二つの存在に〝別れた〟という事ですか」

 

「全く同じ質の霊力でしたので、ある程度の予想はしていましたが……なんとも奇妙な状況ですわねぇ」

 

 つまり、本来は一つの存在であったはずの〈ベルセルク〉はいつの間にか異なる人格を持つ二人へと分離。彼女たちは、元に戻ろうとする本能に従い戦いを続けている――――どちらが八舞の主人格(・・・)となるに相応しいか、それを決めるために。

 

「しかし、世界各地で現れては消えて行く〈ベルセルク〉をこんな場所で引き当てるだなんて、五河士道は精霊探知機ですか」

 

「二人組の精霊、と言えば有名ですものね。士道さんは〝幸運〟なお方ですわ」

 

 探知機とは言い得て妙ではあるが、少々と意味合いがズレてしまっているか。何せ、五河士道が精霊と出会うのは初めから決まっている(・・・・・・・・・・)事柄なのだから。

 だが狂三の言うように〈ベルセルク〉と出会えたこと自体は幸運と言えた。タイミングを考えると、かなりややこしい状況と条件でそういう意味では不運なのかもしれないが。

 

「ですが、お互いがお互いを消す(・・)ために行動する精霊。そんな彼女たちが五河士道を〝攻略〟しようとするんですから、これは彼からすれば難しいですね」

 

「…………」

 

「……何か、気になることでも?」

 

 少女の言葉を聞いて、何か思い浮かんだのか顎に手を当て思案顔になった狂三。少女の問いかけに、僅かに首を振って声を発する。

 

「いえ、口にするには早計な考えですわ。気にしないでくださいまし――――今一度、士道さんの元へ参りますわ」

 

「かしこまりました……DEM側の動きに対処するためですか?」

 

「えぇ、えぇ、それ()ありますわ」

 

 その言い方は、別の理由があるということだ。立ち上がり、出口へと向かいながら少女へ優雅な笑みを浮かべ、狂三は言葉を紡いだ。

 

 

「――――――士道さんのお心を奪い取るのは、わたくしの特権ですわ」

 

「……ん。では、ご武運を。我が女王」

 

 

 確かにそれは、五河士道の傍でなければ成し遂げられないことであった。いついかなる時も、二人の戦争(デート)は続いているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「あぁ……いいお湯だぁ……」

 

 全身から疲れが抜け、身体が溶けてしまいそうな心地良さに浸る。岩で作られた巨大な浴槽の中に身体を沈め、年寄り臭い声を出してしまうほど、士道の疲労は溜まりに溜まっていたということだろう。

 やるべき事、考えるべき事が次から次へと飛び出てきて休まる暇がない。突如現れた狂三、そして新たな精霊同士の勝負に巻き込まれ、裁定者とやらに選ばれてしまった。多少は精霊の事に慣れてきたつもりだったが、所詮はつもりだったという事か。とにかく、何故か耶倶矢と夕弦がやけに強く露天風呂を勧めたことは疑問だったが、これは素直に感謝するべきかもしれない。

 

「あら、あら。とてもお疲れの様子ですわね」

 

「いやぁ……最近は色々あってなぁ……」

 

「それは大変ですわ、いけませんわぁ。わたくしが、士道さんの背中を流して差し上げますわ」

 

「ああ、頼んでも……いい、か……?」

 

 ――――おかしい。疲れすぎてどうやら幻聴まで聞こえているらしい。ただまあ、万が一、億が一にも幻聴ではない可能性を考慮すべきだろう。目元をしっかり揉みほぐし、頭を数度振ってから落ち着いて深呼吸。そして、ゆっくりと身体の向きを変えた。

 

 

「――――――こんばんわ士道さん。本当に、良いお湯ですわね」

 

「幻聴じゃなかったああああああああああああっ!?」

 

 

 大急ぎで目を瞑り、加えて手を使って自らの視界を完全に覆い隠すがもう遅い。彼女に関して天才的な記憶能力を誇る士道の脳が、一瞬映った彼女の蠱惑的すぎる姿を切り取って浮かび上がらせていた。

 好きな少女の裸体……は、残念と言うべきか一歩手前。バスタオルを巻いて入浴する狂三は、一瞬だろうと士道の精神を極限まで掻き乱すには十分すぎた。普段の服の下に隠れた一つの穢れも見当たらない白い肌、たわわに実った二つの果実、普段とは違い後ろで一纏めにされた黒髪もより一層彼女の新しい魅力を発見させてくれた。興奮なんてものでは無い。既に士道の脳細胞はトップギアを超えて崩落寸前。バックギアはとうの昔にぶっ壊れている。士道の隠された〈鏖殺公(サンダルフォン)〉も今か今かと興奮冷めやらぬ様子で――――――

 

「ってそうじゃねぇ!! く、く、く、狂三!! おま、お前!! 何してんだよっ!?」

 

「うふふ、もうお忘れなのですか? わたくしは士道さんをデレさせる(・・・・・)と決めましたの。こんな絶好のチャンスを逃すわたくしではありませんわ」

 

「な……っ!」

 

 

「わたくし、構いませんわ。士道さんになら……いいえ、いいえ。士道さんだけに(・・・・・・・)知って欲しいのです――――――わたくしの、全てを」

 

 

 脳幹が焼き切れてしまうのではないか。そんな感覚がひたすらに士道を犯して行く。

 言った。確かに言ったし士道もそれを受け入れた。しかしこれは、いくらなんでも階段を何十段と吹っ飛ばし過ぎではないだろうか。

 ――――目を開ければ、狂三のあられもない姿を見る事が出来る。男なら誰しもが羨ましがるこの誘惑を、士道は受け入れる権利を持っている。甘く、甘美で、破滅的な誘惑。思わず目を開けてしまいそうになる。当たり前だ、好きな少女に誘惑され、歓喜の感情を抱かない男がどこにいるというのだ。

 

 湯を掻き分ける音と、迫る少女の雰囲気に意を決して――――士道は目を開けた。

 

 

「士道、さん」

 

「狂、三……」

 

 

 名前を呼ぶ。二人の幾度となく行われる愛情表現にも似た、たったそれだけの行為でさえ、吐息すら聞こえてくる距離では訳が違う。熱に浮かされて、何も考えられない。熱に浮かされて、お互いの事しか見えていない。紅潮したお互いの顔が、眼前に迫っていた。二人は――――――

 

 

 

 

 

「――――ほう、先客がいるとは驚きよな」

 

「驚嘆。びっくりです」

 

『っ!!』

 

 

 ほぼ同時に正気に返り、湯を派手に巻き上げて大慌てで距離を取る。一体、自分は何をしようとしていたのか、それを思い返す暇さえなく士道は新たな来訪者に目を見開いた……あと、思わずまた目を瞑ってしまった。

 

「お、お前らまで何してんだっ!! ここは男湯だぞ!!」

 

「く、くくく、どうだ士道。我が色香の前にひれ伏すが良いぞ――――む、よく見ればそこな娘、士道と共にいた者ではないか」

 

「――――申し遅れましたわ」

 

 湯船の中から、というなんだか奇妙な状況ではあるが、そんな状況でも狂三は優雅な仕草を崩さない。

 

「時崎狂三と申しますわ。わたくし、かねてより(・・・・・)士道さんを落とす(・・・)事を目的としていますの」

 

 ニッコリ、どこか挑戦的な笑みで言葉を放つ。狂三の言葉を聞いた耶倶矢と夕弦は目を見開き、そして微笑を浮かべた……全員がバスタオル一枚という、シュールかつ士道にとっては非常に目に毒な光景だったが。

 

「ふん、なるほど。難物というのは真のようだな。我ら八舞の美貌に勝るとも劣らぬ、斯様な娘の色香にさえ屈せぬとは」

 

「熾烈。それでこそ勝負のしがいがあるというもの」

 

「え゛」

 

 屈してる、めっちゃ屈してます。むしろデレデレです。けど狂三が褒められてなぜか士道が嬉しくなる。そんな口に出せない思いが届くはずがなく、なんかさり気なくハードルが上がってしまった士道の左右へ、それぞれ耶倶矢と夕弦が陣取った。それだけでは無い、なんか負けじと狂三まで正面に位置取りを始めていた。やめてください、理性が死んでしまいます。

 

「きひひひひ、士道さん。覚悟を決めてくださいまし」

 

「何も考えずとも良い。我を選べ。そして忠誠を捧げるのだ」

 

「誘惑。是非に夕弦を選ぶべきです。さあ、さあ」

 

 ナチュラルに狂三が混ざっている事に、もはや疑問はないのだろうか。右に耶倶矢、左に夕弦、正面には狂三。背水の陣、逃げ道など存在しない。どこに目を向けても毒ではあるが、やはり一番精神を侵されるのは目の前にいる愛しい少女の姿であろう。火照ったその白い肌の美しさと言ったらもう形容し難い。それこそ、のぼせてしまったように…………のぼせてしまったように、顔が赤くはないか?

 

「お、おい。大丈夫か狂三?」

 

「? わたくしがどうかなさいまして?」

 

「なんか様子がおかしいぞ……のぼせたんじゃないか?」

 

「……何を言って、いらっしゃいますの。わたくしが……その、ような――――――」

 

 ぶくぶくぶく。狂三は沈んでしまった!

 

 

「――――狂三いいいいいいいいいっ!?」

 

 

 なりふり構っていられず、お湯を掻き分け狂三の元へ駆け付け抱えるように引き上げる。士道の手の中でボーッと虚空を見つめる彼女の姿は妙に色っぽかったが、流石にそれどころでは無い。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!? 大丈夫じゃない!! こ、こういう時はえーっとえーっと……!!」

 

「救急。落ち着いて、ひとまず湯船から引き上げるべきです。早急に」

 

「そう、それよそれ!! 流石は夕弦!!」

 

「あ、ああ……!」

 

 喧嘩をしてるにしてはやけに仲が良い二人の言葉に従い、士道は狂三を抱き上げ立ち上がった――――その瞬間、

 

「とりゃー!!」

 

 非常に元気が良く、ひじょーに聞き覚えがあり、とても男とは思えない声と共に、勢いよく誰かが湯船に飛び込んできた。

 対象と目と目が合う。夜色の髪が濡れてまた美しい。夜刀神十香、その人だった。お互い何が起こったか分からないという、キョトンとした顔を見合わせ――――――

 

 

「ギャーーーーーーーーーッ!?」

「ギャーーーーーーーーーッ!?」

 

 

 当然の流れのように、仲が良すぎるくらいに全く同じ悲鳴を上げた。

 

「な、なななななななななな! なぜこんなところにいるのだシドー!」

 

「い、いやいやいや!! おまえこそなんでこっちに入って来てんだよ!! ここ男湯だぞ!!」

 

「何を言っている! ちゃんと皆に教わったとおり、赤い方に入ったぞ!!」

 

「なん……だと……!?」

 

 そんな馬鹿な。士道は確かに男湯を選んだ筈だ。そう、八舞の二人に唆され、て……。

 

「ま、さか……」

 

 ハッと二人に目を向けると、シレッとした顔で目を逸らされた。その動作がもう色々と真実を物語っている。間違いない、確信犯だ。彼女たちは士道が入る前にのれんを入れ替えて(・・・・・・・・・)いた。それに気付かず、彼はまんまとこの絶望的な術中にハマってしまったのだ。

 

「お前らぁぁぁぁぁぁ……ッ!! ――――――十香! 信じてくれ……俺は誓ってこんなことするつもりじゃなかったんだ!!」

 

「お、おお……? で、ではなぜこんな所にいるのだ? しかも狂三まで……」

 

「騙されたんだ! 狂三は……いや狂三も騙されて入ってきちまったんだよ、うん!! ほら、のぼせて倒れちまってな!!」

 

 狂三は明らかに士道を待ち伏せしていたのだが、今この瞬間においてそんな事をご丁寧に説明しているわけにはいかない。多少支離滅裂になろうが、とにかく狂三を連れて安全な場所まで辿り着く必要があった。

 

「すまん、すぐ出ていくから……!」

 

「あ、待つのだシドー! そちらは、マズいと思うぞ……」

 

「へ――――っ!?」

 

 引き戸が開き、入ってきたのは女子の御一行(・・・)。咄嗟に岩陰に隠れるが、女子たちの甲高い声が段々と近づいて来て士道の頭の中で過去最大級の危険アラームが鳴り響いていた。

 

「や、ややややややっべぇ……! ど、どうする……っ!!」

 

 入口は一つ、更に両手には狂三。隠れる続けるには限界がある。回らない頭を必死に回転させるが、当然ろくな答えが見当たらない。狂三が見つかってしまったら、確実に大騒ぎになる。それ以前に、士道が見つかってしまったらそれ以上に大騒ぎだ。

 袋叩きに合うだけならまだマシだ。恐らく、明日以降まともな学校生活を送ることさえ叶わない。下手をすれば豚箱行きで、そうしたら狂三にだって見限られてしまうだろう。ああ、さようなら俺の短い人生――――――

 

 

「――――と、十香……?」

 

「――――――シドーが悪いのではないのだろう? なら、私の陰に隠れて、狂三を連れて早く逃げるのだ」

 

「っ……すまん、恩に着る……!!」

 

 

 救いの神が現れた。こんな状況でも士道を信じ、自らが壁になって士道を隠してくれている。まさに女神、いやGOD、十香神と言うべきだろう。多分、こんな事を考えている時点で既に士道の頭はデッドヒートしていた。

 

 ひとまず、十香の助けで大きな岩陰にまでは来れたが、そこから先は狂三を抱えて行くのは難しいと思える距離だった。

 

「く、どうすれば……!」

 

「――――士道さん」

 

「……! 狂三、大丈夫なのか!?」

 

「……えぇ、ご迷惑をおかけしてしまいましたわ……っ」

 

 士道の手からゆっくりと離れ、狂三が地に足をつける。岩に手を突き、軽く息を整えた彼女は、トン、と地面を小突いて突然小規模の〝影〟を出現させた。

 

「士道さん、わたくしと(・・・・・)〝影〟の中へ」

 

「へ……!?」

 

「影へ入れば、安全にこの場から離れる事が出来ますわ。元々、士道さんを謂れのない犯罪者にするおつもりはありませんでしたので」

 

 紅潮した微笑みがこれまた色っぽい、ではなく。もしかして、狂三は最初からそのつもりで先回りしていた……?

 

「あー、十香ちゃんはっけーん!」

 

「どうしたの? こんな端っこで」

 

「ていうかうっわ、肌きれー。揉ませろコラー!」

 

『っ!』

 

 詮索する間さえなく、ついに十香が発見されてしまい息を呑む。岩陰に隠れた二人の姿は見えていないらしいが、隠し事が得意ではない十香では後ろに何かを隠しているのがバレバレだった。当然、亜衣麻衣美衣トリオが気づかない筈がない。というか、この前のデートと言いなんかやたら縁があるなと、何も嬉しくない縁を感じてしまいそうだ。

 

「い、いや、何でもないぞ! 気にするな!!」

 

「士道さん、十香さんが時間を稼いでくれているうちにお早く」

 

「……!」

 

 十香が前に出て、僅かな時間を稼いでいる。確かに、迷っている時間はない……ない、のだが……。

 

「――――っ!」

 

 士道さん? と狂三に顔を覗き込まれる。ヤバい、本当にヤバい(・・・)。紅潮し、息を荒くしたその顔。目一杯広がる、バスタオルという薄い布一枚に隔てられた二つの桃源郷。五河士道の精神は、もう色々と限界(・・)を迎えていた。

 再三となるが、五河士道は平凡な高校生だ。決して、聖人君子ではなく人並みの欲というものはある。まあ、妹の分析では好きな人相手だろうと迫られても一歩二歩と後退し、顔を真っ赤にして狼狽えるウブな青少年なのだが、それでも立派な男なのだ。

 

 冷静に考えてみて欲しい。この、極限に追い詰められた状況下で、好きな少女と、裸同然の格好で、これから二人きりになる?

 

 ――――薄い理性という線が、プツンと切れる音がした。幸いというべきか、その切れた方向がそっち(・・・)方面のものでないのは、士道らしいと言えばその通りなのだろう。

 

 

「……ありがとな、狂三。けど、俺は別の方法を取らせてもらうよ」

 

 

 怪訝な表情をする狂三から一歩引き――――士道は、迷いなく後方の()へとダイブした。

 

「――――士道さん!?」

 

 ああ、なんだか狂三が名前を呼んでる気がするなぁ。ちょっと、あと数秒遅かったら色々と危なかったなぁ。あの綺麗な素肌を見られたなら、死んでも悔いはないかなぁ。なんて、取り留めのない事を考えながら――――士道の火照った身体と頭は、冷たい海水の中へと身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 部屋で端末を操作していた村雨令音は、扉の外から聞こえる少し焦ったような足音に首を傾げた。その足音が部屋の前で止まったかと思えば、コンコン、とノックされ……令音が返事をする前に雑に扉が開かれた。

 

 

「――――し、士道さんに、服と暖かいものをお願いしますわ……!」

 

 

 タオルにくるまり、身体をガタガタと震わせる士道と、そんな彼を霊装姿で抱きかかえて息を荒く声を発する狂三の姿。

 

 普通、逆じゃないかな? と一番に思ったのはともかく。令音は数秒考え込んだ後……ポンと、思い至ったかのように手を打った。

 

 

「……そういう目的なら、他の宿を使うべきではないかな?」

 

「ち・が・い・ま・す・わ!!!!」

 

 

 

 







オチが書きたかっただけだろ!! 風呂のシーンはもうちょい士道くんを一方的に追い詰める狂三、みたいな想像をしていたんですけど実際書いたら物語が終わってしまいそうなラブコメシーンになってました。熱に浮かされると判断能力鈍るからね、仕方ないね。

予想外の精霊登場。果たして浮気現場を目撃した狂三の判断は如何に! いや冗談ですけど狂三の判断の方はまた次回に。感想、評価などなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!

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