「……俺の選択、か」
一人、旅館の廊下を宛もなく歩く士道が、狂三の言葉を思い返してポツリと呟いた。
選択、選び取れと言う事だ。狂三は果たして、士道に期待しているのだろうか。耶倶矢と夕弦、どちらか一方を救う選択をしろと? 否、そんな事が出来るわけがない。出来るわけがないのに、士道の考えは妙に纏まりがなかった。
せっかく用意された旅館の夕食も、全く食べた気がしなかった。喉を通らないとかそういうものではなく、気づいたら食べ終わっていて味の一つすら覚えていなかった。それほどまでに、士道の頭の中には八舞の二人が残した言葉が渦巻いていたのだ。
『うん――――――消えちゃうわね』
『当然――――――消えます』
消えたくはない。そう言っていた。けど、お互いを生かす為の選択を、二人は躊躇いの表情を見せず笑顔で語っていた。お互いの、幸せだけを願っていた。
自分の命を軽んじるとか、そういう事ではない。己の命より、相手が大切だと思うから、思いすぎて、頭で考えるより先に心が判断してしまう。
その答えを聞いた時、士道の頭は二人の考えを理解出来なかった。しかし、心は理解していた。それは――――――何よりも大切な存在を失いたくないと、焔に身を投げ出したあの時の自分も同じであったから。
「――――ドー」
痛い程に分かるから、痛い程に理解出来るから……士道は軽々しく選択をする事が出来ない。彼女たちのお互いを想い合う気持ちが嬉しくて、だからこそどうしていいか分からなくなる。
「シドー」
こんな時、琴里ならなんと言うだろうか。十香なら、なんと言うだろうか――――――狂三は、誰よりも早く二人の想いに気づいた聡明な少女なら、なんと言うだろうか。
「おい、シドー!!」
「ッ!?」
「全く、ようやく気づいたかシドー」
耳元で透き通るような声が響き、士道はようやく隣にいる人物を認識した。
「十香……」
今し方、考えの中に出てきた少女。士道が初めて救う事が出来た精霊にして――――彼を、いつも助けてくれる少女の姿を。
「はーい、そこの美少女。そんな所で黄昏てないで、私とデートでも如何です?」
「……間に合っていますわ。あなたの胡散臭い台詞、いつも考えていらっしゃいますの?」
「せっかく顔を隠してるんですから、台詞も胡散臭い方がそれっぽいでしょう?」
何をしていたわけでもない。ただ、事が起こるまでせっかくの海でも眺めておこうか。何となく、そう思っただけだった。
せっかくなら、あの方と二人で。思わないわけはない。けど、それを成す権利を持つのは自分ではなく、きっとあの方に寄り添う事が出来る人の領分だ。だから……間に合っている、というのは少し間違っていたか。いつの間にか狂三の傍に控えていた少女を見て、彼女はそう思った。
「我が女王、寛容過ぎるのは如何かと思いますよ」
「そういうものではありませんわ。ただ、今の士道さんに必要なのはわたくしではなく、十香さんだと思っただけですわ。それに……」
「それに?」
「――――――わたくしだけの、士道さんではありませんもの」
小さな声だった。風に、さざ波の音に消えてしまいそうな声は、きっと白い少女に向けられたものではなかったのだと思う。精霊ではなく、少女としての本音。それを聞き流すのも、従者の役割であった。
何も言わぬ白い少女を見て、儚げな表情をいつもの余裕ある笑みに戻した狂三が声を発する。
「せっかくの修学旅行ですのに十香さんはあまり士道さんと話せていなかったご様子。ですから、わたくしが譲って差し上げたのですわ」
「直接、そう言えばいいじゃないですか」
「必要ありませんもの。十香さんなら、ちゃんと士道さんの元に駆けつけますわ」
そういう割には、チラチラと十香の様子を伺っていた気がしたのだが……優しさの示し方が素直ではないというか、器用なのに不器用というか。白い少女は頭を抱える。
「それに、わたくしが士道さんの傍にいては――――――釣れるものも釣れませんわ」
その上、自ら貧乏くじを引きに行くのだから困ったものだと苦笑する。確かに、狂三がこれ以上彼の近くで行動していてはDEM側の予定が狂ってしまう可能性がある。確実にDEMの行動を阻止するために、それでは困るのだ。イレギュラーというものはどうあれ起きるものだが――――――最大級のイレギュラーが、今目の前で顕現しようとしているのだから。
奔流する風。空が裂ける。
「〈
「〈
〝天使〟が、目覚める。精霊が持つ最強の矛。分かたれた二つの意志が、
どう転ぼうが、これが
――――――どちらかが倒れるまで続く闘争。しかしそれは、お互いがお互いを想い合うが故に、
そして、本来この場にいるはずのない数奇な運命を辿った精霊が、動く。
「――――――些事は任せますわ」
「かしこまりました、我が女王」
白が姿を消す。これ以上の言葉は不要。女王が影へと消える――――――少年の元へ、駆けつけるために。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ッ!?」
鳶一折紙は何者かと対峙していた……いや、それは正しい表現ではない。彼女は〝モノ〟と対峙していた。
荒れきった天候の中で外にいるという士道を連れ戻すため一人走っていた折紙の前に〝モノ〟が現れた。
「あなたは、何者――――――!」
返されたのは言葉ではなく、攻撃。跳躍によって距離を詰められ、連続で繰り出される機械の腕を紙一重で躱していく。反撃の手段は、
返事がないのは分かり切っていた。何せ、姿形が明確に
戦闘人形兵器――――――DD‐007〈バンダースナッチ〉。折紙が知る由もない目の前の無人兵器の名である。所詮は意志を持たない人形兵。顕現装置を備えていようと、本来ならば折紙の敵にはなり得ない。
「っ、邪魔を……!!」
折紙は危機が迫っている士道の元へ駆けつけねばならない。だがしかし、今の折紙にその力はない。緊急用の装備すら携帯を許されていない今の折紙では、この状況をどうすることも出来ない。
それでも、鍛え上げられた自らの身体能力のみで機械人形の攻撃を避け続けていた――――――そんな時。
「……鳶一折紙、何をしているんだい。外は危ない、早く旅館へ戻るんだ」
「――――先生、戻って――――っ!!」
警告は、間に合うはずもない。恐らく折紙を心配して来たのであろう。教員の村雨令音が機械人形の視界に捉えられた。
一瞬の躊躇いさえ、なかった。機械人形が右腕を振りかぶり突進するよりも早く、折紙が地を蹴って令音を突き飛ばした。
「か――――は……っ」
当然、振り下ろされた暴力は止まっていない。一切の容赦もなく、折紙の身体に機械人形の腕が突き刺さった。鍛えているとはいえ、折紙の肉体はなんの処理も施されていない生身の肉体。その衝撃に耐えられるはずはなく、軽々と地面に転がされた。
意識が揺らぐ。必死に繋ぎ止めるが、もはや機械人形相手に打つ手はない。そして再び跳躍しようと構えた機械人形の動きが――――――止まった。
「――――――?」
あまりに不自然な停止に、折紙は霞む自分の視界を真っ先に疑う。
「――――――邪魔です」
それが薄れ行く意識が生み出した幻想でない事を、
素手で掴まれた機械人形
白がいた。識別不能の色を持った刀を持ち、折紙の前に立ち塞がったのはそう前の話ではない。
「っ……アン、ノウン……」
識別名〈アンノウン〉。精霊級の戦闘能力を持つとされる、精霊かどうかさえ判別出来ない〝精霊〟。
なぜ、薄れ行く意識の中で疑問に思ったのはそれだった。まるで目の前の精霊は、自分を助けたように見えた。構図だけ見ても、そうとしか思えないのだ。〝精霊〟に助けられた――――――よりにもよって、自分の邪魔をした精霊に。
「な……ぜ……っ!」
「……助ける理由はありませんけど――――――見過ごす理由も、ありませんでしたので」
そんな、理由になっていない理由と刀を鞘に収める音を最後に、折紙の意識は深い闇へと呑まれた。
「…………」
倒れた折紙に近づき、無事を確認する。人間が喰らったらタダでは済まない一撃だったろうが、鳶一折紙なら心配ないだろうと白い少女は考えていた。思った通り、外傷こそあれど治療をすれば後に引く怪我にはならないだろう。夜刀神十香の天使の標的になった時も思ったが、人の身でありながらタフなものだなと呆れてしまう。
鳶一折紙を助けた事に理由はない。ただ、ガラクタが一機、別の場所に配置されたのを狂三の分身体が報告して来たので、見に来て見れば対抗手段がない彼女が戦闘していたのを見かねて手を出しただけだ――――――狂三が、彼女を少し気にかけているのも無関係ではないが。それ以上の理由はない。
「礼を――――――」
「必要ありません」
聞こえて来た眠たげな声を、にべもなく一刀持って切り捨てる。折紙に突き飛ばされた令音が、いつの間にか立ち上がり白い少女と対面していた。
「……そうか。君は――――――」
「……鳶一折紙のこと、任せましたよ。
それだけ言い残し、白い少女は一瞬にしてその姿を消し去った。残されたのは折紙と、ポリポリと困ったように頬をかく令音のみ。
「……ふむ。嫌われてしまったかな?」
「――――――〈バンダースナッチ〉隊、しばらく手を出さないでください。音に聞こえた〈プリンセス〉がどれほどのものか、少し試させていただきます」
「舐めるな……ッ!!」
同時刻。一刻も早く耶倶矢と夕弦を止めなければならない士道の元にも、危機が訪れていた。
十香と士道を囲い込むように展開された〈バンダースナッチ〉。それに指示を出していたのは随行カメラマン――――――その皮を被った何者かである、エレン・メイザース。ASTのそれとは形状が異なるCR-ユニットを身につけ、機械人形を一蹴した十香と対峙していた。
十香が駆ける。霊力を限定解除した彼女の力は、人間のそれを遥かに上回る。人の目では捉えられない程の速さで叩きつけられた〈
「――――おや、そんなものですか」
「く……っ!」
エレン・メイザースは、片手に装備された剣で容易く受け止めた。まるで、絶対的な力の差を示すかのように。
「うそ……だろ……っ!?」
限定的な霊力とはいえ、それでも十香の力はASTが持つの装備を上回る。彼女の連続攻撃を赤子の手をひねるように、エレンは涼しい表情であしらっている。その表情は、
士道は知る由もない。今、十香が対峙している魔術師は他とは比較にさえならない〝最強〟である事を。対抗するためには、十香が本来の力を振るう必要がある。しかし、その手段は士道が〝封印〟してしまっていた。故に――――――打ち砕かれるは、必然。
「――――――とんだ、期待外れです」
「ぁ…………」
当たり前だ。今まで最強の力を見せつけてきた剣が、目の前で粉々になってしまったのだから。それが封印された力の限界。今の夜刀神十香に許された最大の抵抗だった。
この瞬間、
「……興醒めです。噂の〈プリンセス〉の力がこんなものとは……所詮、噂は噂でしか――――――」
「――――――
「ッ!?」
声が響いた。この吹き荒ぶ烈風の中でさえ、静かに、それでいて鋭く夜闇に響き渡る女王の声が。
エレンが声の先を見つけるより早く、吹き飛ばされた十香への道を〈バンダースナッチ〉に強引に阻まれていた士道が〝彼女〟を見た。誰よりも早く彼女を見た。誰よりも早く――――――その美しさに、どうしようもなく
月明かりさえ存在しないこの領域であっても、その美しさが損なわれることはない。否、
暴風が紅のドレスを揺らし、幻想的な光を醸し出す。絶対者としての微笑みは、士道を魅了して止まない。
その少女は誰よりも美しい。その少女は何よりも美しい。その少女は――――――時を止めてしまうほど、美しい。
「――――――何者です」
「――――――きひひひッ!!」
凄絶な笑みで、精霊は〝最強〟を見下ろし、睨み合う。
さあ、なんと名乗るべきであろうか。彼女一人であるならば、こう名乗るべきだろう。
しかしながら、目の前の光景はどうだ? 歪な戦いを繰り広げる姉妹は救われず、
奇しくも、今の彼女は
ならば、送り届けて見せよう。この方を邪魔する不届き者を退場させ、最高の
嗚呼、嗚呼。であるならば、名乗るべきものは一つしかないだろう。最低最悪な精霊・時崎狂三に全く相応しくない。遠き過去に捨て去った、その名前は――――――
「
数奇な運命を超え、儚き夢を再び背負った
人類〝最強〟を見下ろし――――――精霊〝最凶〟が今、降り立った。
お ま た せ。苦節三十一話。きょうぞうちゃん無双のお時間がやって参りました。長かったですね。ここまで来たら許されるよね存分に書いても許されるよね精神で行きます。大胆な無双はヒロインの特権(なお、ここに至るまで三十一話かかっている)
実はわたくし、嫌いではありませんの――――――最新刊で描かれた彼女の飾り気のない真意が大好きなんです。大好きだから、この皮肉な名乗りを入れたかった。前章までの狂三なら絶対名乗らなかったこの登場、士道に影響を受けてしまった彼女の心境の変化を書いて行ければなと。
ちなみにこれ言うと雰囲気台無しなんですけど、士道がいなかったら狂三は余裕でエレンに不意打ちしてます。そういう子です。なんで不意打ちしなかったかは……きょうぞうちゃんは可愛いなぁ(
着々と様々なフラグが建築されていきますが、まだまだこれから頑張って行きます。ではまた次回をお楽しみに! 感想、評価などなどもお待ちしておりますー。