煌々と浮かぶ満月は、ごく一般的な感性で表現して良いのであれば、それはもう芸術的なものだろう。言うなれば、美しい、
「…………」
しかし、病院の窓から空を見上げた士道には、その
遮る雲すらない満月が、怖い。漠然と、言い様のない不安感――――――これが、狂三と見る月明かりだったなら、話は別だったのかもしれないが。
「……狂三」
「お呼びでございますか、士道さん」
「っ」
我ながら女々しい独り言を吐いた瞬間、彼の背後に一人の少女が現れ声をかける。驚きで肩を震わせながら振り向くと、『狂三』がいた。士道の呼んだ狂三ではなくて、それでいて狂三ではある不思議な精霊が。
「……いや、悪い。なんでもない」
「ええ、ええ。わかっていましたわ。あなたがそうお呼びになるのは『わたくし』のことだと。しかし。ええ、しかし……そう百面相をされては、わたくしの気が散ってしまいますわ」
「うぐ……」
「暗い表情をなされたと思えば笑みを浮かべ、また暗い表情に戻られる。少しは落ち着いてくださいまし。早めに吐き出しては如何ですの。そんなあなたを見ては、十香さんたちも不安を感じてしまいますわ」
遠回しに、と言うより割と直球にさっさと考えていることを吐け、とニヒルな笑みで口にする『狂三』。頭をガリガリとかいて、そこまで顔に出してしまっていたかと反省する。
人に言って、解決出来るものとは思えないが……とはいえ、口に出さないよりは良いか、と士道は考えを言葉にした。
「……理由があるわけじゃないんだ。ただ、変な不安が抜けないって言うか。狂三が行ってから……いや、違うな。狂三が行こうとしてる時から、悪い予感がしてならないんだ。すまん、抽象的すぎるな」
「いえ、いえ。人は誰しも、そう言った漠然とした不安を感じる時があるものですわ」
小さく首を左右に振り、そう声にする狂三を見て士道も少しだけ救われた気分になる。
狂三が去ろうとした、あの瞬間。何故か、酷く恐ろしい、言葉に出来ない不安が過ぎった。それは狂三を留まらせる理由にはならない。けれど、咄嗟に呼び止めてしまった。そうして出来上がったのは、在り来りな言葉と残された不吉な予感だけだったのだが。
「とはいえ、困りましたわね。『わたくし』ならばまだしも、わたくしでは解決できそうにもありませんわ」
「そんな事ないさ。こうして聞いてもらえるだけで、すげぇ気分が楽になった。ありがとな」
「うふふ、おだてるのがお上手ですわ――――――不便な、ものですわね」
ふと、物憂げな。儚げな顔で『狂三』は空を見上げた。不気味なほど美しい満月は、果たして『狂三』の瞳にはどう映っているのだろうか。
「先知れぬ不安。何もわからないというのに……いえ、先がわからないからこそ感じてしまう予感。誰もがそんなものに振り回され、そうして
「……だからって、不安のために未来を視ようとは思わないけどな。俺には、先なんて視えないくらいが身の程を知れていいよ」
「き、ひひひひ!! まるで、
「さぁ、どうだったかな」
戯けるように肩を竦めるが、実際に狂三の力で未来を
「ですが……概ね、同じ意見ですわ。視え過ぎても、良いことなどありませんわ。視えた結果、
「……そうかも、しれないな」
視た未来。士道の考えでは、客観的に集められた未来の解析を、
たとえば、一秒後に自分が死ぬ未来。たとえば、一秒後に誰かが死ぬ未来。たとえば、たとえば、たとえば――――――そうやって無限に広がる未来は、まるで足場のない一秒後に崩れてしまいそうな世界だ。
力は強大だ、それ故に恐ろしい。だからだろう。狂三は、そのような神に等しい力を持ちながら、少なくとも士道の前では積極的に扱った事はなかった。
「では、その逆は如何でしょう?」
「逆?」
「ええ。未来ではなく、
つまりは、
『――――――【
真っ先に頭に浮かんだのは、その弾の名前。
〈
過去へ消し去る障壁を相手に、対消滅を狙える弾丸。ならば自ずと、答えは見えてくる。そして、この質問の意図は――――――
「……変える事の是非は置いておく。けど俺は、
「っ……あら、あら。どうして、そう思われますの?」
一瞬の動揺は、質問の
「んー……まあ、俺もSFには詳しくないけどさ。それは、過去へ行ったって前提なんだろ? だったらさ、出来てもおかしくないじゃないか。いや、出来ないかもしれないけど、
「……やってみなければ、わからない、と?」
「ああ。実際に起こって、実際にやって見て、やり尽くしてからダメだって諦めるならともかく。過去改変なんて、まだ誰もやってないんだろ。なら、変えることが出来るって思うのは、おかしくないさ」
歴史の修正力とか、そんなものを耳にしたことはある。だが、所詮そんなものは創作に過ぎない。
士道が知る現実には、もっとファンタジーなものが溢れ返っていた。ビームの出る剣。いとも容易く生み出される凍土。傷を燃やして再生する炎。自然より余程強力な風。人を虜にして操れる声。どんなものにも変化できる魔法のような光――――――時を操る、弾丸。
そう言ったものを見て、時には壁に当たりながらも打ち破ってきて、だからこそ思うのだ。
「……ま、こんなこと言ってる人間が、自分でもわからない不安を解消できないんだから、説得力はないけどな」
「いいえ、そのような事はありませんわ……ですが、士道さん。
「え…………あ」
間の抜けた声を出して、おちょくるような微笑みを浮かべる『狂三』の言いたいことに気がつく。
そう、肝心なことを忘れていた。やった事がない、と言ったが……
観測できていたら、変わったことは証明されるが……まあ、妹様に精神病院にぶち込まれていない時点で、そうではないのだろう。
「あー……いやー……そ、その場合は、歴史が変えられるって証明できてるってことじゃ、ダメか?」
「……ふふっ。意地悪な質問でしたわね。ご安心を。
「そ、そうか……良かった、のか? いや、良くはないのか……?」
そもそも、狂三が証明出来るのかとも一瞬疑問に思ったが、恐らく変えられる
「けど、少しだけ……あなたから、そういった答えを聞けて――――――
「へ……?」
なんでもありませんわ、と優雅な微笑みを見せる『狂三』だが、士道は確かに見た。彼女が
――――――『狂三』は、狂三だ。過去の再現、過去の履歴。彼女はそう語った。ならば、『狂三』は狂三なのだと証明されている。
変えたい過去が、あるかのように。変えられることを、願うかのように、信じているかのように。
「……狂三。お前、は――――――」
彼女はきっと、何かを――――――
「うぅ……シドー……シドー……」
「っ……十香?」
ちょうどその時、病室の中から呻き声のようなものが聞こえてきた。運ばれた当初は元気だったが、何かあったのかもしれないと慌てて十香の元へ足を向けた。
「どうした、十香。どこか痛む……のか?」
「うぅ……お腹が空いたぞ、シドーぉ……」
「……あぁ、なるほど」
ベッドで飢えに苦しむ十香を見て、傷より深い彼女の事情を察した士道は苦笑する。
結局、狂三が去った後、程なくして空間震警報は解除され、住民を含めた学校の教員たちも戻ってきた。
で、当然夕飯は出された後ではある。しかし、十香が病院の適量程度の飯で満足出来るはずがなかった。今日一日、彼女がしたことを考えれば更に当然と言える。
「……仕方ないな。今からコンビニで何か買ってくる。ちょっと待ってろよ」
「うむ!!」
「こら士道。我を差し置いて眷属に禁断の果実を与えるとはどういう了見だ」
「不満。士道は夕弦と耶倶矢の共有財産であるという認識が足りません」
「はーい。私も私もー」
「『ラ・ピュセル』の限定ミルクシュークリームを」
「はいはい。全員分買ってくるから……ってちょっと待て」
一人だけ明らかにおかしなのがあった。主に、というか確実に、士道の背後に控えるお茶目な精霊の要求が。
「行くのはコンビニって言ったよな? そもそも、お前は自分で買いに行けるだろ……」
「あら、酷いお方。このような時間に、女の子を一人で出歩かせるだなんて。わたくし、士道さんにそのような事を仰られては、悲しいですわ、泣いてしまいますわぁ」
「……コンビニのシュークリームで勘弁してくれ」
「嬉しいですわぁ。淑女として、甘いものは大切ですのよ」
淑女は関係あるのだろうか、それ。
はぁ、と、『狂三』相手であっても弱い自分に息を吐く。というか、夜の十時を回ったこの時間に、女の子が好むようなお店がやってるわけがないので、我儘お嬢様の気まぐれは確信犯だろう。 こんな時間に甘いものを食べて、太るぞ。とは言わない。半年前なら、主夫的なアレで気にして口にしてしまったかもしれないが、口酸っぱく教育された士道はそれが禁句であると知っていた。
「ったく……四糸乃と七罪も――――――おっと」
見ると、四糸乃と七罪が部屋の奥でお互いに身体を預け合いながら寄り添って、眠りに落ちていた。
「……お疲れ様、二人とも」
今日だけで色々な事がありすぎたのだ、無理もない。士道は口元を緩ませ、予備の毛布を取って二人に掛けてやる。と、そこで『狂三』がある事に気が付き、声量を抑えながら士道に声をかけた。
「士道さん。四糸乃さんの携帯に、着信がありますわ」
「え……あ、本当だ」
言われて見て気がつく。確かに独特のバイブ音どこからか聞こえてくる。恐らく『狂三』の言う通り、合流した時に士道が返した四糸乃の携帯だ。精霊の聴力は常人の遥か上を行く。だから士道より気がつくのが早かったのだろう。
病院での携帯電話の使用は控えたいのだが、入る前に注意をし忘れた士道のミスだ。
「仕方ないな……このままにもしておけないし……なんだよ『狂三』。その顔」
「いえ、いえ。なんでもありませんわ」
「……?」
なんか妙に楽しそうというか、意味深な表情をしている『狂三』のことは気になったが、取り敢えず携帯を止めなければと士道は四糸乃の服へ手を伸ばした。
最初に目星をつけたポケットに入っていないことに首を傾げ、続けて四糸乃の服を探っていく。すると、服の内側にあるポケットに携帯電話はあった。なるほど、丁寧で無くさないよう物を大切にする四糸乃らしい場所だ。と、士道は携帯を手に取った。
「ん……ぅん……」
士道に身体を探られたからか、不意に四糸乃が目を覚ました。
「……っ!! あ、あの……士道ひゃん……!?」
そう、よりにもよって、
「ちょ……っ、違うんだ四糸乃!! これはだな……」
「ん……何よ、騒々しい……わ、ね……」
――――――その時、七罪に神の啓示が降りた。
七罪は決意した。かの、大天使四糸乃に暴虐の限りを尽くす悪魔を打ち滅ぼさねばならないと。
「――――お前の命、神に返せぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「なごさ……ッ!?」
驚くほど珍妙な叫びがあったものである。七罪渾身のアッパーは、見事士道の顎に突き刺さり放射線を描いて病院の床に倒れ込ませた。
驚いて心配そうな声を発する十香に、なんとか手を振り弱々しく立ち上がる。
「だ、大丈夫、四糸乃……!! 変なことされてない!?」
「あ、あの……は、はい。それより士道さんが……」
「ほっとけばいいのよあんな奴!! ま、まさか寝てる私の隣で四糸乃にあんな破廉恥な真似をするだなんて……!!」
「ご、誤解だっての……く、『狂三』。さてはお前、こうなるのわかってただろ……!?」
顎への攻撃というのは、直に脳に響いてなかなか痛い。そんなこんなで頭が衝撃に揺さぶられながら、士道は大変楽しそうな笑顔の『狂三』へ愚痴とも言えぬ文句をぶつけた。
四糸乃の携帯を取ろうとする前に見せた、あの意味深な表情は間違いなくこうなる予想を立てていた。
「まさか、まさか。買いかぶりですわ……まあ、こうなったら
「余計にタチが悪い……っ!!」
どうしてだろう。買いかぶりすぎ、という言葉はいつもの狂三と同じなのに、全く意味合いが違う気がする。言ってはなんだが、士道と関わりが薄いだけで、感じ方がこうも変わるものかと驚きを隠せない。
これが可愛くないか、と聞かれれば――――――いや、これ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……さて、折紙さんは目的を達成することができたでしょうか」
屋上の縁に腰をかけ、ふらりふらりと足を遊ばせた狂三が、そう言葉をこぼした。
独り言、とも言えるし、そうでないとも言える。彼女には、常に分身体の〝影〟がついているし、現実としても狂三の近くには〈アンノウン〉……白い少女が外へ視線を向ける狂三とは逆に、ビルの屋上に向けながら、同じように縁に腰をかけていた。
「あなたはどう思うのですか、我が女王」
「さぁて……わたくし個人としては、折紙さんには是非その願いを叶えていただきたいところですわ」
「あら、珍しい。我が女王が素直だなんて、明日は血の雨でも降るのでしょうか」
ふふっ、と笑いながら失礼な事を言う白い少女に、狂三は余裕の笑みで言葉を返す。
「良いではありませんの。これでも、少しは期待していますのよ――――――世界は、本当に変えられるのか、と」
「……そうですね。私も、期待がないと言えば嘘になります」
世界を、変える。世界を、壊す。言葉にするだけなら、こんなにも簡単な事なのに。世界は、どこまでも理不尽で不条理で、強固だった。
もし、そんな世界に僅かでも綻びを生むことが出来たとしたら……折紙に感じたらしくない感傷にも、意味があるというものだ。
「そういうあなたは、どうして折紙さんに力をお貸ししましたの? 単なる同情心、と言うなら、わたくしはあなたをわかっていなかった事になりますわね」
「……まあ、否定はしません。それだけでは、ありませんけど」
折紙の切なる願い。復讐も、そのやり方も、合わさってしまった折紙に力を貸したいと思ったのも本当――――――或いは、
「……五年前、鳶一折紙のご両親を殺した犯人に、私個人が疑問を抱いているんです」
「〈ファントム〉、と呼ばれる精霊ではない、と?」
「……状況証拠としては、
事件の現場に、精霊は四人いた。五河琴里。彼女に霊結晶を与えた〈ファントム〉。大規模な事件を見つけ、精霊が関わっているのではないかと様子を見に来ていた〈アンノウン〉と時崎狂三。
五河琴里ではない。ましてや、少女や狂三でもない。であるならば、折紙が認識できる精霊はただ一人、〈ファントム〉だけということになる。
「……けど、だからこそ、わからない――――――〝彼女〟には、それをするだけの
必要とあらば、〝彼女〟はそれを成すだろう。しかし、必要ないのならそれをしないのが〝彼女〟だ。言ってしまえば、必要な理由とやらが見当たらない現実に、少女は頭を悩ませていると言っていい。
「……だから、鳶一折紙が〝彼女〟を排除、ないし撃退したとしてどうなるのか、興味が出たんです――――――ま、私の〝勘〟でしかないんですけどね、これは」
〝彼女〟なりに、少女の想像を超えた目的があった可能性だってある。なんであれ〝彼女〟は、
――――――それ以上に、折紙の行く末、願いが叶えられた時彼女は
「…………」
「狂三?」
と、何やら顎に手を当て深く考え込んだ風な表情の狂三を見て、少女は首を傾げる。これは……
「なんでもありませんわ――――――それよりも」
視線がぶつかる。狂三から少女の瞳は見えないのだろう。だが、少女は確かに強い意志を持つ彼女の瞳を見つめていた。逃れられないのか、人のものとは思えない蠱惑の瞳に、魅入られてしまったのか。
「いい機会ですから、お聞きいたしますわ」
「私に答えられる事なら、なんなりと」
「あなたは、〈ファントム〉と呼ばれる存在の、何を知っていますの。もしくは――――――
「……!!」
少しばかり、驚いた。それなりに長い年月を過ごしているが、狂三がここまで白い少女に踏み入った事はない。あっても、答えを求めない戯れの問いだけだ。
話せ、と言っているのではない。彼女は、少女が答えられないものがある事を知っている――――――だからこれは、
「……知らない方が良い真実というのも、あるんですよ、我が女王」
「ええ、ええ。知っていますわ。
ああ、ああ。そうだろう。その通りだろう――――――真実を知り、絶望の淵に立たされたのは、誰でもない時崎狂三なのだから。
恐怖がある。あるはずなのに、狂三は、
「――――――知ったら、きっとあなたは私を
「っ……」
少女の言葉が鼓膜を震わせた時、狂三は怒りとも、悲しみとも、もしくは混ざり合った表情を見せた。白い少女ですら、そんな狂三を見るのは初めてだった。でもきっと、知ってしまえば、
時崎狂三が〝悲願〟を諦めないのなら、解き明かされない方が良い。
「え――――――」
その、瞬間。
「っ、『わたくしたち』!!」
月が。
「……あな、たは――――――」
割れた。
広く、広く、広く。昏い、昏い、昏い。
闇が侵す。世界の全てを覆い尽くす。それは、終焉の始まりを思わせる、黒い、奔流。
健気にも、『魔王』の羽は主を護ろうと円を描いて空を漂う。
彼女の、名は。
「……鳶一、折……紙」
終幕の鐘は鳴る。その瞬間――――――どうしようもなく、
鳶一ラグナロク的なのが発動。世界は死ぬ。
サラッと分身体の好感度まで上げてますよこの人!! 分身体も人それぞれなので、この子は大体本編初登場くらいの狂三的に言えば若い子だと思ってもらえれば結構です。他にいなかったのかと言われれば、まあ例の派閥の問題なんじゃないですかね、多分。
もちろん直球では全然ないんですけど書いてて宝生永夢ゥ!!とか匂わせるフレーズしてんなって思いました。実際間違ってはない。狂三は過去に一度、知らない方が良いものを見てますからね。
次回、魔王大暴れ回。鳶一エンジェルも残り二話。どうかお付き合いいただければ幸いです。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。貰えると咽び泣いて喜びます、私が。バンザイします、私が!! 次回をお楽しみに!!