「……っ、〈ファントム〉!!」
滑走するように揺れていた対象が動きを止めたことで、士道も勢いを付けていた身体をその場に踏み止まらせる。距離は、そう離れていない。恐らく、数歩踏み出せば届いてしまう距離だ。
【…………】
士道の声に反応して、ノイズがゆらりと形を動かす。人間的な姿でいえば、振り向いたということだろう。こちらの声に反応を示す、ということは。
【……ごめんね。突然逃げたりして――――――彼女の前ではない方がいいと思って】
話をする意思がある、ということに繋がる。彼女とは、状況からして五年前の琴里のこと。〈ファントム〉が何を知り、何を意図しているのかは不明だが、士道側にとって確かに都合がよかった。あの場には五年前の士道――――そして、五年後から折紙がやって来てしまうのだから。
「……お前は」
【……ああ、そうか、やっぱり、君は】
――――――ノイズが、払われる。
「な……」
士道が何かをしたわけではない。なら、〈ファントム〉が自らの意思で、その認識阻害の要因を解き放ったのだろう。なぜそんなことをしたのかはわからない。が、士道は露になった
『この方、は……』
恐らくは、狂三も同じことを思っている。理由はないが、確証があった。
編み込まれた桜色の髪に、全てを包む慈母のように優しげな表情。一度も見たことはない。なのに、この顔を士道と狂三は知っている――――――そんな不可思議な感覚を、露になった〈ファントム〉に覚えた。
「その姿は……」
「……まだ君に『私』を見せるわけにはいかないから、
透き通った少女の声。今までの〈ファントム〉とは似ても似つかない声と、その姿。加えて、それを
だが、それすらも見通しているかのように、彼女は優しく微笑んだ。
「……君は一体、〝いつ〟から来たの? その姿を見るに五、六年後っていうところかな?」
「っ!! な……」
今、この少女、〈ファントム〉は士道がここにいる意味、それを正確に言い当ててみせた。
『この方、【
狂三が冷静に事を分析する中、士道は驚愕と警戒心を強める。
「……それで……私に何か用かな? 時間遡行の弾を使ってまでこの時代にやってきたんだ。ただの観光ってことはないよね?」
「…………」
その通り。士道には、〈ファントム〉をこの場から遠ざけなければならない。それが理由であり、無駄にできない時間だ。時間を削る理由を作ってはいけない。
けど、士道はしてしまった。僅かに視線を動かし、後方を向けて
『――――止めはしませんわ。どうぞ、心のままに』
「……っ」
人は、真実を知りたがる。知ろうとするのだ。たとえ、猛毒にも等しいものであっても、猛毒だと知らない限りは知ろうとする。そして士道は、その中身が何なのか、それさえもわかっていない。
心の、ままに。愛しい少女の言霊に導かれるように、士道は声を発していた。
「お前は……俺のことを、知ってるのか?」
「……うん、知ってるよ。
返された言葉に、心臓の鼓動が早くなるのがわかる。
「教えてくれ。俺は一体……何者なんだ? この力は、一体何なんだ?」
「…………」
世界を変える力、精霊。その力を封印する力を持つ、士道。ここに至って、無関係など思えるはずがない。それを知ってるであろう元凶足る人物が、目の前にいるのだから。
数秒の沈黙を返した〈ファントム〉は、首を振って士道の問いを否定した。
「……答えてあげたいところだけど、未来の君がどんな状態にあるのかわからない以上、教えることはできないな――――――それに、今は私たちの会話を盗み聞きしている子もいるみたいだしね」
「な、に……?」
「ねえ、聞こえているんだろう――――――時崎狂三」
その名前が、少女の口から明確に紡がれた瞬間。士道は否が応でも警戒心を強め、自然と身体を身構えさせていた。それはもう、身体に刻まれた本能的なものに近かった。
「なんでお前が、狂三の事を知ってる……っ!!」
自身のことを棚に上げても、そうしなければならない。狂三が何かを告げるよりも早く、士道は衝動的にその問いかけを投げかけていた。〈
睨むような士道の目付きに、〈ファントム〉はその微笑みを少し
「……意外……、かな? ううん、そういうわけでもない、か。気難しい時の精霊に愛される側ならともかく、逆をいくのは……ふふっ、
「どういう意味だ……?」
「……気にしないで。そういう〝可能性〟もある、という話だよ――――――けど、君自身のことを知るために、時崎狂三に頼んでここに来たの? だとしたら、随分と贅沢な〝時間〟の使い方をしたね」
『……士道さん。わたくしのことは気になさらないでくださいまし。時間が、ありませんわ』
「…………っ」
まだ聞きたいことは山ほどある。士道のこと、狂三を知っていること――――――〈アンノウン〉との繋がり。だが、今の優先事項はそれらではない。タイムリミットまでどれだけあるかわからない以上、口を割らせる〝時間〟はない。
「……いや、今のは、ただの俺の質問だ。狂三のことも、俺個人の感情だ。お前への用は、別にある」
「……何かな?」
「今すぐ、ここから消えてくれ」
折紙の視界に、〈ファントム〉を入り込ませない。彼女を絶望させないために、一番に優先される事柄がそれだった。
「……それは、『お前を殺す』の詩的な表現?」
意外にも、表情豊かなのか。〈ファントム〉は士道の言葉を、憂鬱さを込めた
「まあ……全く想定してなかったわけじゃあないよ。君が
「…………」
わけのわからない物言いだが、どうやら〈ファントム〉は士道が自分を殺しに来たのだと勘違いしているらしい。
無言で拳を握った士道は、心を落ち着けるため深呼吸を挟む。人を煙に巻くような物言い。あの少女のような、狂三を知っている言動。あまりに、不可解な事が多すぎる。だとしても、今は〈ファントム〉をどうこうしようという意図はない。
「……殺す殺さないなんて話はしてない。一刻も早く、身を隠して欲しいだけだ。お前は隣界ってところに行けるんだろう?」
「……ふぅん? 聞いていいかな? その理由を」
「それは……」
『士道さん。その懸念は問題ありませんわ。恐らくは、ですけれど』
「……?」
士道が口ごもった理由は単純だった。仮に、不透明な〈ファントム〉の目的が、DEMのように反転精霊を生み出すことだった場合、士道が真実を告げることは逆効果になってしまうからだ。だが、狂三は即座にその考えを否定したらしく、士道はただ困惑する。恐らくは、なんて付けているが……その口調は、何かを確信しているものだった。
狂三に肯定されても、一瞬の迷いは生じる。その間、士道の答えを待つ前に〈ファントム〉は行動に移してしまった。
「……まあ、答えられないなら別に構わないけれどね――――――悪いけど、答えはノーだよ。まだ少し、やることが残っているんだ」
「っ、待ってくれ!! これからこの時代に――――――」
――――――動けない。
その感覚を覚えた時、それは既に手遅れだった。身体を、見えない何かで縛られている。
『っ、士道さん、離れてくださいまし!! 士道さん!!』
指先は疎か、狂三の声にすら反応を示せない。全て、〈ファントム〉に縛られている。
迂闊、なんて思う暇さえなく、〈ファントム〉の指先が――――――頬に、触れた。
「あ――――――」
理屈にならない、その感覚は。その感覚を、士道は
「……今日のところは、時の精霊の行動に感謝をしておかないといけないかな」
『っ!!』
少女の形をした『何か』が、言う。その少女の形をした『何か』を、『何か』のことを、知っている。
「時が来たなら、また会おうね。その時は――――――」
士道の耳に向かって、言葉が告げられる。脳を揺さぶられるような、衝撃。
声が、重なる。二重奏を、導く。『何か』の声と、『何か』を纏う少女の声が、重なった。
「――――もう、絶対離さないから。もう、絶対間違わないから」
『君は、本当に優しいんだね――――――『
どこかで聞いた言葉と、いつか聞いた言葉。
衝撃が、全身を突き抜ける。
「……、……」
何を知り、何を願うのか。何もかもがわからない。お前たちは、何者だ。その問いかけも、声にはならない。
微笑んだ〈ファントム〉が、一瞬にしてノイズを纏い地を蹴って飛んで行った。
「く、は……っ」
『大丈夫ですの? 何か痛みは? いえ、〈ファントム〉に何か……』
「だ、大丈夫だ……何も、されてない」
そう、何もされてはいない。せいぜい、不可視の力がなくなった影響で一時的に膝を突いてしまった程度だ。
本当に、話をしただけ。どこかで、士道も知らないいつかで、耳にしたその言葉を。
「あいつ――――一、体……」
〈ファントム〉が飛んだ先に目を向けた。まさに、その瞬間――――――一条の光が駆け抜ける。
「……!! あれは――――!!」
見間違うはずもない。来てしまったのだ、彼女が。〈ファントム〉を討滅するため、破滅の運命に導かれるように、純白の霊装を纏った精霊、鳶一折紙が。
「折紙……ッ!!」
『く……ぁ!?』
「狂三!?」
悲鳴のような声も、純粋な復讐の化身となった折紙には届かない。それどころか、狂三が突如苦しむような声をあげたことに気を取られてしまう。
「どうした、何があった!?」
『未来が……視え、っ……因果が、繋がっ、て……』
「未来、因果……、――――!!」
〈
狂三は、未来を視た。ただし、
「……っ!!」
なぜ、
賽は投げられた。折紙はこの時代に到来し、士道が一度目の遡行で見た光景を、今まさに繰り返している。〈ファントム〉を追いすがり、両親を守ろうと純粋な感情を発露させ――――――それが、悲劇を生む。
繰り返させて、たまるものか。そのためには、今を変えるだけの何か……
「狂三、狂三ッ!! 何が視えた!? 〈
『っ……折紙さんの、光が……これでは、以前と……っ』
「な……っ」
変わっていない。士道の行動は、大局的に何の影響も及ぼしていない。そこまでは、いい。士道も、多少〈ファントム〉の足を止めた程度で変わるほど世界は簡単ではないと知っていた。
けれど、そこまでなのか? 〈
諦観が浮かびかけた士道の頭に、狂三の言葉が続く。
『ですが……その先が、視えませんの』
「え?」
『視えたのは――――――光が降り注ぐまで、なのですわ』
強引に割り込まれた未来を視ているからか、苦しげな口調で未来を伝えられた言葉に、士道は困惑する。
〝原因〟があるから、〝結果〟は生まれる。〈
「〝結果〟が……
『士道さん……?』
全力で身体を動かしているにも関わらず、士道の体内時計は止まってしまったかのような静けさがあった。
〈
〝原因〟が生まれ、〝結果〟が生じる。〝原因〟は、折紙が放つ必滅の光。〝結果〟は、折紙の両親の死――――――違うのか? その一瞬の先が確定しているのと、していないのでは大きく差がある。致命的で、世界を破壊するに至る差が、ある。
思考を終えた瞬間、士道の頭に浮かんだやり方は、たった一つだった。
「……わかった。ああ……わかったよ、狂三!!」
『士道さん、一体何を――――――』
「お前、言ったろ!!
もう、士道の目にも見えている。〈ファントム〉と折紙。その下方にいる、幼い折紙と、彼女の両親。もう止めようがない、最悪の未来が訪れてしまうのは明白だった。
だから、最高に単純で、最高に頭が悪い方法で、解決してやろう。
「折紙の光線があの場所に辿り着く……それが、
『――――――!!』
〝原因〟は折紙の放つ光線。しかし、〝結果〟は変えられるはずだ。士道が……幼い折紙が〝観測〟する両親の死。最後の賭けだ――――――〝結果〟を変えずに、歴史を変える。
〝結果〟は、折紙の両親に光線が落ちる、というだけだ。それが〝結果〟として存在する以上、もう変えられない。〈
〈
ああ、ただ、問題があるのだとすれば、その
『……だめ、士道さん』
伝わる声が、酷く震えている。優しい狂三が、聡明な狂三が、士道の至った結論に辿り着けないわけがない。けれど、その切実な願いを――――――
「ごめん。お前の頼みでも、
士道は、受け取ることが出来なかった。
『ッ……やめてください!! あの攻撃は普通のものではありませんわッ!! 再生など無意味です!! その意味がわからない士道さんではないでしょう!? 止まって……お願い、します……お願い……、!!』
「ぐ…………っ」
『お願い――――
痛い。身体ではない。彼女の切実な願いを叶えてやれない、自分自身の無力さが。それでも、狂三が取り乱してまで自身を案じてくれていることが、酷く嬉しかった。嗚呼、本当に、ろくでなしだ。
士道が考えたやり方なんて、簡単なものだ。あの光が放たれ、もう変えようがない軸線になった瞬間――――――士道が身代わりになれば、どうなる?
白い羽が一つの大きな形となって、砲門を下方……折紙の両親がいる地上へと向けられた。〝先ほど〟と全く同じ光景。だからこそ、意味がある。
――――――浄化の一撃が、放たれた。
「うおおおおおおおおおおおおおおお――――――ッ!!」
喉が潰れようと構うものかという絶叫と、全力での跳躍。見えたのは、折紙の両親の背。思いっきり、その背を――――――突き飛ばした。
「――――――!!」
その一瞬、声が聞こえた。狂三のものでは、ない。それは、士道の眼前から、五年前の折紙から……その瞳は。
「ああ――――よかった」
復讐鬼は、もういない。それがわかるから、心からの安堵を。
悲劇を、変えられた。愛する少女の望み通り、士道は世界を変え、〝なかったこと〟に出来たのだ。
一つだけ、問題があるとすれば。
『――――、――――――ッ!!』
そのために、大切な子を、泣かせてしまったことか。
どうすれば、許してくれるだろうか。まあでも――――――自分の名を、そう呼んでくれて、嬉しかった。
そんなくだらないことを考えながら、真っ白な光に包まれて、士道は
フラグ回収まで五話と使わない主人公の鏡飛彩。現状ではこれしかないと判断したと言っても、躊躇いなくそれを選べるのが士道って男。まあその結果誰かが泣くんだから世話ないですけど。ここまで狂三を焦らせるのも大したものですよ。実際ここまで取り乱したのはフェイカー編以来。
〈ファントム〉的にはそういう可能性も考慮に入れてたとは思うんですよ。でなきゃこんなことしてないでしょうし。同時に、とても意外だと考える気がします。何せ狂三ですからねぇ。
次回、ビルドされた世界へ。感想、評価、お気に入りなどなどお待ちしておりますー。次回をお楽しみに!!