デート・ア・ライブ 狂三リビルド   作:いかじゅん

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デビ紙さんの本領発揮回。ある意味で仕様が厄介すぎる




第九十八話『夕闇の魔王』

「……ん」

 

 歌が聴こえる。綺麗で、繊細で、疲労していた心が洗われていく、そんな歌だ。

 特徴があって、それでいて嫌なものを何一つ感じさせない芳香が、士道には好ましい。いつしかそれが、彼にとって欠かせない安らぎになっていた。

 ああ、けど、いつまでもこうしてはいられない。でも、少しでも長い時間、この快楽に浸っていたい。相反する感情は士道の腕を目的のない不規則な動きへと導き――――――何かを、掴んだ(・・・)

 

 

「ひゃ……んっ」

 

 

 なんか、妙に、色っぽい。

 

 感触が、こう……なんと言えばいいのか。二度、三度と感触を確かめると、男が最終的に到達したい極地のそれというか、以前は腕に感じたが今は手のひらにしっかり収まっているというか――――――むにゅっとした感覚は、これ確実に女の子の胸に手を――――――――――

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

「士道さん!?」

 

 

 ゴン、ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。擬音にするとそんな感じで立ち上がることすらせず、屋上の硬い地面を疾走した。ピタッと綺麗に立ち止まり、完璧なうつ伏せを披露して、一息に一言。

 

 

「もう何から謝ればいいかわからないし何を言っても許されないのでごめんなさいしにます」

 

「落ち着いてくださいまし!?」

 

 

 

 

 

 数分後、なぜ触った側が宥められているのだろうと正気に返った士道は、ようやく狂三と向かい合っていた、正座で。

 

「大変申し訳ありませんでした」

 

「ですから、気になさることはありませんわ」

 

「いや気にしてください頼むから」

 

 なんと言うか、屋上での縁に定評が出てきたと思っていたら二回目の屋上正座とは、なかなか出来ない経験だと思う。まあ、一度目と違い自主的なことなので文句はないのだが。

 反省して自己嫌悪に陥る士道に、狂三が困り顔で顔に手を当てながら声を発する。

 

「士道さんなら構いませんのに……」

 

「自制が出来ないので勘弁してくださいマジで」

 

「あら、場所が問題ですの?」

 

「そういう問題じゃない!! いや、場所も問題だけどな!!」

 

「けど士道さん、満更ではないお顔ですわよ?」

 

「………………ソンナコトナイヨ」

 

「冗談でしたのに」

 

「…………」

 

 見ると、狂三も仄かに顔を赤らめているので反撃自体は可能なのだが、どう反撃したところで士道へのダメージの方が大きそうなので沈黙した。

 場所に関しては冗談なのか、それとも本当にやれてしまうのかは士道のみぞ知る。

 癒しのある眠りではあったのか、非常に冴えた目と頭で取り敢えず士道は心を落ち着ける。狂三が気にしていないというのなら、約束していた件を先に進めた方が良い。

 

「狂三……折紙から、話を聞けた」

 

「あら、あら。それはそれは僥倖……というのもおかしいですわね。接触自体は偶然ではないのですから」

 

 そう言って微笑む狂三。折紙の転入自体は予期せぬ出来事なのだが、折紙と接触して話を訊いてみるという立案は士道自らのものだ。その結果がどうであれ、こうして放課後落ち合おうと決めていた。

 

 士道は今日あった出来事を狂三に話していく。折紙が五年前、両親を庇った士道を見てしまっていたこと――――――折紙の両親が、一年後に亡くなっていること。それを聞いた瞬間、狂三の表情が変わる。

 

「っ!!」

 

「狂三?」

 

「……いえ、なんでもありませんわ」

 

 続けてくださいまし。そう平然と言ってはいたが、折紙の両親に関して一瞬だけその整った顔を歪めた――――――やはり、狂三も気になっているのかもしれない。変えたはずの事象が、別の事象によって収束する。それを変えるのであれば、もっと大きな変化(・・・・・)を行う必要があるのではないか、と。だが、今は狂三が気にするなと言っている。人が隠していたいことを暴く必要はない。

 士道はその先――――――折紙の精霊化に関してまで話し切る。ふむ、と狂三が見慣れた手つきで艶やかに咲く唇に手を当て、思考していく。その際、僅かに揺れた唇に今朝の出来事を思い出してしまった士道は、小さく頭を振ってそれを振り払い声を発した。

 

「っ、どう思う?」

 

「興味深いですわね。精霊化した自覚のない精霊。これまでに見られないケースですわ」

 

「もちろん、折紙が嘘をついてるって可能性もあるけど……」

 

「それならば、大した役者ですわ。少なくとも、わたくしよりは人を騙す演技の才がありますわね」

 

「はは……」

 

 皮肉げに微笑む狂三に、曖昧な苦笑いで士道は対応する。彼女の演技を暴いた本人が士道なので、コメントしようにもどうすればいいのかわからない。

 正直、あの時は狂三が相手だからできたことだ。この世界で出会って間もない折紙相手に、確実に嘘をついていないと言える保証はない。士道の目にはそう見えただけであって、折紙の中では違うのかもしれないのだ。

 

「やはり、折紙さんのことを知るには【一〇の弾(ユッド)】の力が手っ取り早いですわ。士道さんが接触して何もなかったのなら、こちらとしては好都合ですもの」

 

 霊装こそ纏っていないが、狂三の手にはいつの間にか短銃が握られ、彼女はそれを遊ばせていた。

 狂三の言う通り、当初の懸念であった銃弾を撃ち込む際のリスクが軽減されているのであれば、試してみる価値はある。折紙が精霊なのかそうでないのか。どうして精霊になってしまったのか。この世界で、一体何が起こったのか。一通り考え、士道は狂三のプランに頷き賛同した。

 

「……そうだな。それなら危険もないし――――――ん?」

 

 金属特有の擦れる音が聞こえて、士道は音の方向へ目を向ける。こんな時間に、こんなところに誰かが来るとは思ってもみなかった。

 

「あれ……折紙?」

 

 そして、姿を見せた人物も予想外だった。顔を俯かせているこそいるが、その容姿は間違いなくこの世界の鳶一折紙。

 と、そこで士道は慌てた。私服の狂三でも他の学校関係者なら誤魔化せたかもしれないが、折紙は誤魔化せない。ASTに所属していた折紙が、その手の道で有名人の狂三を知らないはずがないのだ。

 霊装姿ではないとはいえ、折紙が狂三と認識できる可能性は大いにある。一度目にしたら二度と脳内から離れない類まれなる容姿は、こういう時でも発揮されている。

 

「お、折紙、この子はだな……」

 

 どうにかして誤魔化さなければ、取り付けた約束すら危うい。誤魔化すために声を上げる士道だが……折紙は、士道の声が聞こえていないかのように歩みを進める。

 ゆらり、ゆらり。意思のない、幽霊のように。

 

「折紙……?」

 

「……あら」

 

 士道が呼ぶ声に答える素振りすら見せない。代わりに、狂三が霊装を身に纏った(・・・・・・・・)

 

「っ……!?」

 

「士道さん。巻き込まれたくなければ、わたくしの指示を聞き逃さないでくださいまし」

 

「何を――――――」

 

 

「精、霊……」

 

 小さく、折紙が声を発して――――――夜闇すら包む深淵が、花開く。

 

「な――――!?」

 

「…………」

 

 二人の眼前で、その〝亡霊〟は姿を見せた。渦巻く深淵は折紙の身体を絡め取り、漆黒のドレスを形作る。

 

「霊装……!?」 

 

 精霊の要。精霊を守る絶対守護の鎧、〝霊装〟。しかもそれは、士道が最初に目にした純白のものではなく、黒。狂三のように美しさを纏うのではなく、絶望を体現し纏う漆黒。

 恐ろしいまでの重圧を発しながら、二人の前にそれ(・・)はある。なくなったはずの可能性は、映像だけでなく現実として存在してしまっている。

 

 漆黒の亡霊が、夕闇へ誘う。

 

「やっぱり――――――〈デビル〉はお前だったのか……!?」

 

 意図せず、折紙が精霊の力を使う瞬間を見てしまった。低いものと考えていた折紙が嘘を吐いていたという可能性が、まさか本当だったのか。

 

「左斜め、飛んでッ!!」

 

「っ!!」

 

「そのまま伏せてくださいまし!!」

 

 思考より早く、その指示を実行するために身体が動く。力の限り地面を蹴り、頭を抱えて転がる。形になど拘っていられない――――――無機質な殺意が、そこにある。

 

 

「……〈救世魔王(サタン)〉……」

 

 

 昏い闇が蠢動し、幾つもの羽から黒線を解き放つ。硬い地面を削り、フェンスを撃ち抜く。対象に対しての慈悲はない。分別もない。あるのは、昏い殺意のみ。

 〝魔王〟の闇が真っ直ぐに狂三を狙い続ける。もとより、狂三しか見ていないのだろう。空へ上がった狂三とは対照的に、地上に伏せる士道には目もくれない。

 

「折紙!! やめろ折紙!! 聞こえないのかっ!?」

 

 立ち上がって、折紙へ呼びかける。だが、やはりというべきか、ぴくりとも反応せずただただ飛翔する狂三へ無数の黒線を放ち続ける。

 

「――――【一の弾(アレフ)】!!」

 

 数十は下らない光線を広い空間を使って避け続ける狂三が、見慣れた加速の銃弾を使い士道どころか光線ですら追いつかない神速の領域へ足を踏み入れた。

 続けて、折紙へ向かって連続で銃の引き金を引き、狂三が攻撃を加える。無数の影の銃弾が折紙へ襲いかかった。しかし、折紙の周囲を飛ぶ羽が連なって複数の銃弾を容易く弾く。更に。

 

「な――――増えた……っ!?」

 

 何もなかった空間から黒い塊が蠢動して、羽がその数を更に増す。固定砲台のように撃ち続ける羽と分かれ、それらは狂三を追い込むように攻撃を加えながら飛翔した。

 

「狂三!! くそ、〈(サン)――――――」

 

 あのままでは狂三が撃ち抜かれる。以前の世界での忌まわしい光景が脳裏を過った。あんなものは二度とごめんだ、と士道は折紙の気を引きつけるため〝天使〟を召喚しようとし――――――

 

 

「――――――まさか」

 

 

 状況の違和感(・・・)に気がつき、既のところで収束しかけた霊力を体内に取り込んだ。その間にも、羽が高速化した狂三を追走する。

 地上の折紙が使役する羽から光線が放たれる。一条一条が霊装を撃ち砕く必滅の槍。喰らえば一溜まりもない。

 

「――――――!!」

 

 その一瞬、狂三の動きが止まる。僅かな瞬間だが、狂三が大きく目を開いて〝何か〟を視た(・・)のだと士道は漠然と感じ取った。

 動きが再開する。次の一瞬、闇色の羽から幾条もの光が放たれ――――――

 

「狂三ッ!!」

 

 それら全てが、狂三へ直撃したように見えた(・・・・・・・・・・)。霊力同士が衝突し、激しい爆発と閃光が放たれ目が眩む。光が収まり、覆った手から顔を出して空を見上げる……黒煙が晴れた場所には、何もなかった(・・・・・・)

 

「っ……折紙、お前――――――え?」

 

 顔を下げ、地平の先を真っ直ぐ見やる。そこで士道は、呆気に取られた声を発した。

 今し方、圧倒的な力で狂三を追い込んでいた折紙が、膝を突いた(・・・・・)。それだけではない。数十を超える羽、堅牢な霊装、それらが粒子となって全てが折紙の中へと還る。

 

 それはまるで、目の前の敵を撃滅して用事がなくなった(・・・・・・・・)と言わんばかりの姿だった。

 

「一体……どうなって……」

 

「――――――あれ、五河くん? 何してるんですか、こんなところで」

 

「は……?」

 

 今起こったことは、夢幻だった。そう言われた方が自然だと思えるほどに、折紙の様子には精霊と戦った形跡(・・・・・・・・)など存在していない。表情も、声色も、含まれるのは純粋に士道がこの場所にいる疑問と、自分がなぜこんなところにいるのか(・・・・・・・・・・・・・・・・)、という自身への疑問だった。

 精霊化の瞬間だけ記憶が断絶している。何かが、折紙を乗っ取っているのではないか。そうでないのなら、この世界の折紙は世界一の女優を目指せることだろう。

 

「あ、もしかしてまた……」

 

「また? な、何がだ?」

 

「え? あ、聞こえてました?」

 

 立ち上がった折紙が呟いた言葉を聞き逃さず、そう聞き返す士道に彼女は申し訳なさそうに頭をかいた。

 

「実は少し前から、たまに意識が途絶えることがあるんです。多分、貧血か何かだとは思うんですけど……」

 

 士道から見れば、さっきのように(・・・・・・・)、ということか。自覚があるとは思えないし、本人は気づくことがない――――――気づけない(・・・・・)、のかもしれない。折紙という少女が、それを避けている可能性すらあった。

 それは早計な直感でしかないと、幾つも考え込む士道に不思議そうに首を傾げた折紙が、ハッとした表情で声を上げた。

 

「あの、そういえば授業中に渡した紙、読んでくれましたか?」

 

「あぁ、土曜なら空いてるって……」

 

「えっと、そ、そういうことですから!!」

 

「あ……」

 

 言って、折紙は士道に背を向けてあっという間に屋上から階段を伝い、校舎内へ入って行ってしまった。呼び止めたところで間に合わないし、追いかけたところで何もできはしないだろう。

 直前の出来事がなければ、非常に可愛らしい反応に士道の心もときめくというものなのだが……。

 

「――――――あらあら。手が早いですわね士道さん」

 

「い……っ!!」

 

 さっきまでの重圧感より、士道にとっては余程恐ろしい言葉と共に、その背後にあっさりと狂三が姿を見せた。無事だという確信があったとはいえ、安心感と焦りが共存するとは不思議な感覚だった。

 

「あのな狂三。話の流れでそうなっただけで、他意はない。本当だ。俺は無実だ」

 

「……事実無根なのに、でっち上げてしまいたくなりますわよ」

 

「えっ」

 

 両手を上げての言い訳は逆効果だったらしい。そんなことよりも、と士道は振り返って狂三の姿を見やる。狂三の霊装には、乱れ一つ見られない。あの数分の激戦の後とは思えないその姿は、士道に疑問の声を上げさせるには十分だった。

 

「どうやったんだ?」

 

「攻撃の瞬間、あの子の力をお借りしましたわ。あの(・・)折紙さんの特性上、誤認させるのが一番だと思いましたので」

 

 なるほど、だから分身体を使わなかったのかと納得して感心したように頷いた。戦術の要である分身体を使っていない違和感は、人工衛星破壊戦での経験からすぐに気がつくことができた。あの子、〈アンノウン〉の隠密能力と神速で攻撃を目くらましに姿を消し、狂三を倒したと誤認させた、ということだ。

 感心はするし、流石の連携だとは思う。思うのだ、が。

 

「……危険すぎやしないか?」

 

「あら。『わたくし』を囮にする方がお好みでして?」

 

「そう言うことじゃ……っ!!」

 冗談でも、そんな光景を考えたくはないし、二度と(・・・)同じことを繰り返させたくない。

 怒った顔をする士道に、狂三は優雅に微笑んで声を発した。

 

「わかっていますわ、お優しい士道さん。ですが、わたくしとあの子の実力なら心配ご無用ですことよ――――――まあ、この子は士道さんと同意見のようですけど」

 

 コツンと、少し不機嫌そうに見える顔で狂三は影を小突いた。恐らくは、影に消えた狂三の相棒とも呼べるものへの八つ当たり(・・・・・)だろう。士道と同じ、ということは。

 

「……また視えたのか?」

 

「ええ。懇切丁寧に視えましたわ」

 

未来予知(・・・・)。光線の軌道が視えたのか、〈アンノウン〉が助けられる〝位置〟の未来が視えたのか、それは狂三にしかわからない。だが、その納得していない表情を見るにまた彼女の意思とは関係なく予知が発動したらしい。間違いなく、あの止まった一瞬のことだろう。

 もし〝天使〟に意思がある、というのなら。まず今の士道と全く同じ意見だろうと士道は笑みを穏やかに声を発した。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉も、狂三のことが心配なんだよ」

 

「過ぎた心配は、信頼がないのと同じことですわ」

 

「信じてるけど、心配だってことさ」

 

 それだけ、大切なのだから。狂三の力は信じているし、士道が心配するのもおこがましい実力差があることは理解もしている。それでも、危険があれば心配してしまうのは人が本能と称するものだ。

 天使が持ち主の心を映す水晶というのであれば、主を思う気持ちでそれくらい過保護でも問題はない気がした。無論、士道の感情論でしかないが。

 納得しているようで、やはりご機嫌斜め三十度なのか可愛らしく唇の端を尖らせる狂三を見て、士道は微笑みを深めた。

 

 そうして、狂三が銃弾を介さず能力行使をしている異常性(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)に気づかないまま、士道は別のことに気を取られ辺りを見回した。

 

「そういえば、肝心の〈アンノウン〉はどこ行ったんだ?」

 

「ああ。あの子でしたら、先に行っていると仰っていましたわ」

 

「先に……?」

 

「それよりも、今の折紙さん……士道さんはどう思われまして?」

 

 狂三に釣られて折紙がいなくなった先に視線を向ける。どう、と言われても、正直なところ何もわからない(・・・・・・・)が本音だった。

 

「そういう言い方する狂三は、何かわかったんじゃないか?」

 

「ですから質問を質問で……まあ、いいですわ。わたくしは【一二の弾(ユッド・ベート)】の術者ですから、ある程度の予測はつけられましたわ。それと、あなた様が成したことは間違いではありませんのでご安心を」

 

「え……?」

 

「結果自体は好転している、ということですわ。とはいえ、来るべき未来に〝アレ〟がないとは限りませんけれど」

 

 慰められて、いるのだろうか? 結局のところ、なくしたはずの絶望は再び舞い降りた。士道が抗った結果がこれでは、辿る道筋は同じなのではないか。そう考えてしまう士道がいるのは確かだった。

 

「ですが、袋小路となってしまった未来は存在いたしませんわ。少なくとも、今はまだ」

 

「……ひょっとして、慰めてくれてるのか?」

 

「…………つ、伝わっているのなら、いちいち仰らないでくださいまし」

 

 ぷいっと、恥ずかしがるように顔を背ける狂三。そんな彼女の少し遠回しな優しさに、嬉しい笑みがこぼれた。

 確かに、折紙はまだ救えていない。だが、決して無駄ではなかった。〝最悪〟とも言える未来が確定した世界からは抜け出せているし、何より……狂三の望みを僅かとはいえ叶えられたのだ。今はとにかく、前を向こう。そして、まだ絶望に囚われているというのなら――――――折紙を救い出す。

 

「ありがとう。そうだな、まだこれからだ」

 

「礼を言われるようなことではありませんわ。さて……この世界の折紙さんにどのような過去があるのか、気になりはしますけれど、【一〇の弾(ユッド)】での情報収集は困難になりましたわね」

 

「ああ。近づこうにも、あれじゃあな……」

 

 条件が確定したわけではないが、少なくとも封印されていない狂三の姿を見ただけで反転体になられては、手の出しようがない。下手をすればAST、更にはDEMまで現れて前の世界の二の舞になりかねない。それだけは避けなければならない。

 士道自身、折紙に何が起こったのか気になりはするものの、狂三にかかる負荷や危険性を押してまですることではない。

 

「こうなった以上、わたくしの領分ではありませんわ。あとは、士道さんのお心次第ですことよ」

 

「どういう意味だ?」

 

「迷っておられるのでしょう? 琴里さんにお話するべきか」

 

「……っ」

 

 今でも少し、迷っている。琴里にどう説明するべきか――――――いや、そんなもの自分の弱さの言い訳でしかない。

 過去改変。それを成した世界で、士道が頼れるのは同じ記憶を持つ狂三だけだった。他の誰も覚えていない。他の誰も記憶を共有できない。自身が思っている以上に、記憶の齟齬は精神に負担をかけ、その恐怖に囚われていた。 

 怖いのだ、結局は。最愛の妹に信じてもらえるかどうかが。琴里はそんなことをしないと、わかっているはずなのに。

 

 そんな士道の様子を見た狂三が、ふと空の〝何か〟に目を向けて声を発した。

 

「……物的な証拠は抑えられましたでしょうし、そう悲観することはないと思いますわ」

 

「え?」

 

「人を信じるというのは、簡単であり難しいですわ。世界が変われば、なおのこと」

 

 それは以前、狂三自身が語っていたことだった。それを乗り越えたからこそ、二人はここにいる。

 

 

「わたくしの答えは初めから決まっていますわ。どのみち、琴里さんのお力は必要だと考えていましたし――――――士道さんの仰ることを信じない方ではありませんもの」

 

「――――!!」

 

 

 意外、というほどでもない。時崎狂三という子は、大多数の相手には皮肉屋で通しているが内心は真っ直ぐに人を信じられる精霊だ。

 だから、今この場においては士道より余程――――――

 

 

「……信じてるんだな。琴里のこと」

 

「な――――――し、信じる信じないとか、そういったお話ではありませんわ!! 事実を客観的に述べた迄ですわ!!」

 

 

 狂三が顔をトマトのように赤く染めて……なんか、今朝こういう反応を見たばかりな気がするなぁと思った。だが、その通りなのだろう。今朝の琴里は、士道を信じてくれた。それが全てで、最初から答えなど出ていた。過ぎた心配は、信頼がないのと同じ意味だ。

 狂三は琴里を信じていて、士道は二人とも信じている。琴里は、士道に守られるばかりの妹ではない。士道を命懸けで助けてくれる、〈ラタトスク〉の司令官。

 

 そして――――――妹を信じないおにーちゃんが世界のどこにいる。

 

 息を吸って、息を吐いて。変えた世界で、士道は己の欲を叶え続ける。

 

「俺の心は決まったよ。ていうか、元から決まってた」

 

「それはそれは。では、怖い怖い炎の精霊さんへ、会いに行くといたしましょう」

 

 なんの欲か――――――精霊を、皆を救いたいという、飛びっきり我儘な欲望だ。

 

 

 





〈刻々帝〉が先へ先へと進むのは良いのか悪いのか。少なくとも、士道との距離感を考えて警戒度は上がりますね。誰のとは言いませんが。

前半から後半の落差が激しすぎる。次回、作戦会議再びin〈ラタトスク〉。大長編ですかと思いたくなる折紙編も終盤戦。感想、評価、お気に入りありがとうございます!いつでもお持ちしておりますー。次回をお楽しみに!!

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