ユルゲンは巡回予定時刻の半分を過ぎたころ馬首を帝都の方へ向けた。
「皇子? いかがなされました?」
側近がユルゲンらしくもない行為を怪訝に思い尋ねる。
「ああ、この1月の間我が国の領内で屍や巨竜が現れないのでな。連日諸君を疲労させるまで引きずり回すのも士気の低下を招くだけかもしれないと思ってな」
部下を気遣う主の言葉に側近は感嘆の意を覚えながら、
「お心遣い痛み入ります。ですが我らはほまれある元グルニア騎士にして現帝国騎士。主や臣民のために身を粉にしてこそ、士気は常にみなぎっております」
ユルゲンも側近の言葉を頼もしく思いながらも、
「いや、異様な気配がするところもない。今日ぐらいは休もう」
「し、しかし」
そこでユルゲンは声を潜め、
「私自身が連日の出動で疲れていると言ったら?」
兵士は慌てて。
「あ…これは気が回らず申し訳ありません。そうですな。部下も疲労を隠して我々についてきているのかもしれません。今日は帝都に戻りましょう」
ユルゲンは笑いながらよいよいと言って全部隊への帰還の通達を側近に任せる。
部下たちは巡回に慣れ定時には帰還を許し、狼藉を働かなければマケドニア市での遊興も許していることから任務による疲労はむしろ初期より軽減している。ユルゲンも山々や森林を通る巡回くらいで疲労するほどやわではなかった。
本当は帝都にいる父に教団への厚遇の廃止や布教活動に監視をつけることを提案しようと考えていたのである。
それとこれは部隊を動かすのには不適当なのだが嫌な予感がしたのである。
「いたか?」「ここにはいない」「死にぞこないの王子と半獣だ。探せ」
兵士たちがそんなことを言いながら回廊を走り回る。開けられた扉の後ろに潜むカイルと人の形態に戻ったウーゼルに気付かぬまま。
カイルは小声で兵士が言ったある言葉を反芻する。
「半獣?」
「ベオクが俺たちにつけた蔑称だ。俺たちや同胞のことはそろそろ知られていると思っていたがこの大陸でもそう呼ばれているとはな。俺たちはそんなことを言う奴をニンゲンと呼び返しているが」
「人間のことをニンゲン? それ悪口の返しになるのか?」
テリウスでベオクという名称を知らなかったりラグズを差別しているベオクは自分たちのことを人間だと名乗っている。カイルのもっともな疑問にウーゼルは肩をすくめながら苦笑する。
「ラグズはベオクの貴族に奴隷として生殺与奪を握られていた。陰口だろうと蔑みだとわかる言葉を口にするわけにはいかなかったのさ」
影のある笑いをしながらうそぶくウーゼルにカイルは何も言えなかった。ウーゼルは扉を傾けて回廊に躍り出た。
「行くぞ、今は俺たち以外の匂いはしない」
「匂いでわかるのか」
「何か言ったか?」
「いや何でもない」
本物の狼張りの嗅覚に思わずつぶやいた言葉をカイルは全力で否定した。
『しばしのあいだ ねむりなさい スリープ』
「ぐぅ……」
セネリオがかけたスリープの詠唱で兵士が眠る。
「この先に兵はいない」
「よし、行くぞ」
嗅覚で他の敵兵の有無を確認したオルンの合図でアイクたちはララベルが商い中に兵士から聞き出した教団員と首魁がこもる北の部屋へ向かう。
カイルたちが騒ぎを起こしている間は軍としては少数しか出入りできない宮殿の守りが手薄になる。さすがに門は常に門番が守っているが周りの塀を登り切ってしまえば――人間にはそれが困難なのだが――屋外の回廊などいくらでも侵入口はある。
ユベンが髪の色や眼帯の位置で謁見者の正体を見破るのは想定の範囲だった。見破られなかった場合はカイルと共に宮殿に潜り込んだウーゼルに内部を探って教団の連中の居場所を見つけてもらう作戦もあった。
カイルとウーゼルに危険が伴う作戦だったがカイルはこれで皇帝と話すことができるならとうなずいてくれた。天馬を手に入れたカーシャに二人の脱出を補助してもらい、潜入任務の経験がある傭兵団中核で教団の根城へ向かい奴らを捕らえる。それが今回の潜入計画である。
北の区画には二つの部屋があった。右側が神官たちが儀式や礼拝をする部屋。左側が首魁と腹心らしき女が使っている部屋である。
「オルン。どうです?」
セネリオは彼らの在室を嗅覚で調べるようにオルンに促す。
「左には誰もいない。右には5人ぐらいいる」
オルンの答えに一同は突入する部屋を決める。アイクはセネリオにうなずきセネリオは扉の前に立った。
コンコン。
「誰だ」
扉の奥から声がした。
「ケリーという者です。ラーズ教に興味があって来ました。お願いします。ぜひ教義をお聞かせ願えませんか?」
セネリオが心にもないことをすらすら言うと扉の奥からは返事はすぐに返ってこなかったが話し声は聞こえる。
滅多に現れない改宗者に神官たちは戸惑いと思いがけない喜びがあるようだ。
「すぐに開ける。待っていなさい」
「ありがとうございます」
セネリオは足音を立てずに数歩引いてあらかじめ扉の横で待っていたオルンが構える。
「ようこそ、あなたに救いをもたらすラーズの下へ、ぐっ!」
「オラァ!」
オルンは組んだ腕を相手の頭頂部に力いっぱい叩きつけた。
ドサッ!
「な、何だ?」「お前たちは?」
部屋で待っていた残り4人の神官はどよめいた。
「シャァ!」
「グッ」
オルンは神官の一人の腹を殴りつける。神官は気を失った。
『うばえ! そしてわれにちからをあたえよ! ジャヌーラ』
ブン!
神官の放った暗黒魔法をセネリオは難なく受け流す。
『おおいなるかぜよ! エルウインド』
ザシュン!
セネリオのエルウインドは神官を切り刻みその命を絶たせた。
(加減ができませんでしたね。まあ捕虜は2人ぐらいでいいでしょう。もう二人気絶させましたし)
「はあ!」
「がっ!」「ぐああ!」
アイクが一人を斬りつけ、もう一人は衝撃波で吹き飛んだ。斬りつけたものはもう息がない。
「よし、死んでしまった奴以外の3人を縛って脱出するぞ」
アイクの指示でオルンは両腕で2人の捕虜を抱きかかえ、アイクは右腕で剣を持ったまま左腕で捕虜を抱える。セネリオに男を抱える腕力はなかったし彼には起き上がっているだろう兵士を再び眠らせる役目があった。
「カイル様、ウーゼルさん、こっちです」
外回廊に出たカイルとウーゼルを天馬に乗ったカーシャが迎える。
「カーシャ!」
「本当に来ていたとは、正直あてにしていなかったが」
カーシャを見てウーゼルはそんなことをつぶやく。その時。
シュン!
ヒィン。
弓矢が天馬の腹部を貫いた。
「キャ!」
カーシャはたまらず落馬し床に落ちる。
「カーシャ!」
カイルとウーゼルはカーシャに駆け寄る。
「ううっ」
「見たところ怪我はひどくないな。俺たちを迎えるために着陸していたのが幸いしたか」
ウーゼルはそう診断するがカイルの焦燥は増すばかりだ。
「やっぱりここに来たか。ここで待ってる間に他の奴らに捕まっちまうかと思ったぜ」
そこへボウガンを構えた赤髪の男がやってきた。
「お前は?」
「おっと動くな。アカネイアの王子は生かして捕らえよって命令だからな」
ジャキ!
男の射線はカイルではなくカーシャに向けられておりカイルはうかつに動けない。カイル自身を狙うよりこの方が効果的だと判断してのことである。
そこへウーゼルは自分の首をひっかく仕草をしてカイルに目線を送ってきた。カイルはその意図に気付き男に語りかける。
「わかった。投降する。だが彼女と連れは見逃してやってくれ。出なければ僕はこの剣で自害する」
「そんな……カイル様駄目です!」
「うーん……まあ王子以外は別にどうも言われてねえからな。いいだろう。じゃあ王子様俺のところまで来てくれ」
そう言って男はカイルを招き入れようとする。ボウガンをカーシャに向けたままで。
「そのボウガンをしまって、いや上に向けてくれ。でないと僕は行かない」
カイルを捕まえた後でカーシャとウーゼルを殺すつもりの男の意図に気付いたカイルの言葉に男は舌打ちしながらもボウガンを上に向ける。
「ホラ、これでいいだろう。他の兵士が手柄を横取りしに来ないうちに早く来い」
「ああ、今行く」
男の言葉に返事を返したのはいつの間にか肉薄していたウーゼルだった。
「え?」
ブン ガン!
ウーゼルが男の前頭部を殴りつけボーガンを取り落とさせる。
「がはっ!」
男はたまらず悶絶し頭を抱えた。
「余計な時間を食ったな、天馬は置いて早く逃げるぞ」
「はい、カーシャ大丈夫か? 歩けないなら僕につかまって」
「だ、大丈夫です。一人で歩けます」
カーシャは傷ついた天馬を捨てていくことを悪く思いながらも早く脱出しなければならない状況で天馬を連れていく余裕はなく心の中で謝りカイルたちに続こうとした時だった。
「君たちを行かせるわけにはいかない」
黒髪の騎士がカイルたちの前に立ちふさがっていた。
「新手か!」
ウーゼルの叫びに呼応するように赤髪の男が頭をさすりながら起き上がり騎士の名を呼ぶ。
「ジェルド様、こいつらです。帝国を滅ぼすために事実無根の話で陛下をたぶらかそうとしたアカネイアの間者は」
「黙れ!」
ジェルドという騎士は男に一喝し彼を黙らせる。
「ジャン、戦いのさなかとはいえ人質を取るなどそれでもグルニア軍人か。恥を知れ」
「はっ! 申し訳ありません」
ジェルドに詫び後ろに下がるジャンを横目にジェルドはカイルたちに向き直る。
「部下の非礼は詫びよう。だが帝国を脅かす君たちを逃がすわけにはいかない。カイル王子、君が投降すればその女性と半獣は見逃そう」
詫びながらも頭は下げず剣を構えてカイルに投降を促すジェルドの態度に怒ったのはカイル、ではなくウーゼルだった。
「はん、なんだって? 慣れちゃあいるが面と向かって言われると腹が立つな」
ウーゼルの様子に半獣が蔑称だとは知らないジェルドは戸惑う。
「!? も、もしや君たちに失礼な言葉だったのか? それはすまない」
「ふん、どうせあんたは俺たちを逃がすつもりはないんだ。仲良しごっこなんておかしいだろ。だったら憎しみをぶつけあって殺し合うとしようぜ!」
その言葉通りジェルドの首を食いちぎるためウーゼルが化身しかけるが。
「待って! ウーゼルさん」
「ん?」
怒りに任せようとするウーゼルを止めたのはカーシャだった。
「私に彼と話をさせてお願い」
「……何のつもりだ?」
カーシャはジェルドに向き直る。
「ジェルドさんでしたね? あなたは先ほどジャンさんを叱りつける時グルニア軍人という言葉を使いました。グルニアがペレジア帝国として発展的解消しているにも関わらず」
カーシャの言葉にジェルドはハッとしながら返す。
「そ、そうだったか。つい思わず」
「それだけジェルドさんはグルニアという国に誇りを持っている人だとわかります。そのグルニアが……皇帝いえユベン王がいなくなった後のあなたの祖国が今どうなっているか知っていますか?」
カーシャの話を聞いてもジェルドは戸惑うばかりだ。
「陛下は遷都される際に総督を任命してグルニア市が王都でなくなっても衰退することがないように手を打たれたはずだが」
カーシャはゆっくり首を振る。
「町ではラーズという神様を崇めている教団が強引な布教を行い、村々では村人が改宗の見込みがないとされ虐殺や火あぶりが敢行されているのです」
「! ……そ、そんな馬鹿な。陛下は強引な布教をせぬよう厳重に注意されていたのに、しかも虐殺など」
「しかも彼らは屍を召喚した。パレスに現れた巨竜も彼らの仕業の可能性が高い。あなたはグルニアが竜や屍に滅ぼされてもいいとおっしゃるんですか?」
「そんなはずがあるものか!」
カーシャの詰問にジェルドは怒鳴り声をあげるがカーシャは動じない。
「ジェルドさん、教団が王の目を盗んでこっそり村で狼藉を働いてるだけのままとは思えません。グルニアの…大陸中のすべての人々のためにもどうかお力を貸してください。」
危険な敵陣にもかかわらずカーシャは深々と頭を下げる。しかしジェルドはまだ迷いがあった。
「教団は止める。いや根絶するべきだ。しかし祖国を、ユミスを裏切るわけには……」
その時、門の前を大隊が包囲する。
大隊を指揮していたのは皇子ユルゲンだ。
「これはいったい何の騒ぎだ?」
宮殿に戻ったユルゲンは騒然とした宮殿の様子に思わず戸惑う。
そんなユルゲンを近くでカイルたちを捜索していた兵士が見つける。
「これはユルゲン様、いいところにお戻りいただきました」
「何があった?」
「は、はい。アカネイアの王子が宮殿に来たのです。詳しく報告している暇はありませんが陛下は王子を捕らえよと命令を出されまして」
「カイル王子が?」
形式上アカネイア王家に仕えていたユベン同様ユルゲンにとってもクロスたちアカネイア王家は主君として仰ぐべき方々だった。
特にクロスとは年が近く妹の夫になる男として数少ない交流を深め互いに認め合う親友だった。
妹との婚約は破棄されたがクロスはその件に関してグルニア王家に何度も謝罪し、ユミスがクロスを恨んでいないこともあり彼のことを悪くは思っていなかった。父には言えないことだが。
そのクロスの息子を父が捕らえようとしている。
「……」
「皇子?」
沈黙するユルゲンを兵士が呼びかける。
「……カイル王子は一人で乗り込んできたのか?」
「いえ、獅子の半獣が王子と一緒に、他にも手勢がいるかもしれません。半獣は常人離れした力を持ち城の塀を越えることができるのではと噂されていますから」
「この大陸に来た半獣は獅子と狼、そして兎だったな。獅子と狼は恐るべき脚力を持つ。……」
ユルゲンは一瞬戸惑ったがそんなことにとらわれている状況ではないと結論し命令を下した。
「全軍に告げる。馬に騎乗したまま宮殿に潜んでいるカイル王子を探せ。徒歩では半獣に追いつけん。責はすべて私が負う。全軍出撃!」
ユルゲンの号令を受け、彼とともに戻ってきた部隊が馬に騎乗したまま宮殿に押し入る。
ヴァルム・テリウス以外の大陸では騎乗したまま城に入るのは戦争のさなかであろうと禁忌であると戒められ、どんな大戦でもそれが破られることは無かったがペレジア帝国軍が機動力に長けた獣牙族のラグズを敵にした今この大陸で初めて城内での騎馬戦が行われようとしていた。
ジャン クラス︰スナイパー
「覚醒」のギャンレルの先祖。ジェルド直属の兵。王家に忠誠心はなく、皇女の婿のジェルドに取り入って貴族の地位を狙っている。