ヴァルムの滝での戦いの後、アルバレア軍は退却し、西の陣地まで後退した。ヴァルム軍も崖の存在から深追いするのは危険だと判断し退却した。崖を登るときはもちろん下る時も移動できる人数が限られて、降りることができた兵から攻撃されたら少なくない損害を受ける。ファルス皇帝が皇宮に帰還したのも大きい。
両軍ともに退却したため額面ではこの戦は引き分けとなったが損害はアルバレア軍の方が大きい。実質的なアルバレアの敗戦だった。
重傷を負ったユーリは陣地の付近にある村の医療施設に運ばれた。無論ここはヴァルム領、陣からアルバレア王家の主治医たちも同行し村の医者に頼らず施設の一室を借り彼らが主に治療する。
ヴァルムの滝の戦いから数日。
「申し訳ない」
毛布の上で上体だけ起こしてユーリは謝る。頭を下げようとしてうめき主治医やお付きの兵から止められる。
「いえ、僕の指揮がうまくいっていなかったからです。僕がカーシャに勝手な真似をしないように指示していたら」
ルッツとベルモットを連れてユーリの見舞いに来たカイルはユーリの謝罪に対し自分の至らなさのせいだと返す。
「それを言うなら悪いのは俺だ。俺がカーシャを止められたら」
「カーシャは天馬に乗っていたんだぞ。どうやって止める? 悪いのはお前たちの誰でもなく一人だけで崖の上まで向かったカーシャだ」
続いてルッツとベルモットがそう言うもカイルもユーリにも自責の念が残る。
「ルッツ殿のせいでもカーシャ殿のせいでもないよ。カーシャ殿の活躍にうかれて自軍の士気を上げるためだけに彼女を褒めちぎり過剰な自信を与えてしまった。カーシャ殿の一件はすべて私のせいだ」
さっき一礼しようとした際に体に走った激痛がまだ残っているのか今度は頭を下げなかったが、ユーリが後悔しているのは痛いほど伝わった。そんなユーリにカイルたちの誰も言葉をかけられない。
実際平原の戦いの後のユーリのカーシャへの賛美は過剰すぎてカイルもあまり彼女にいい影響を与えないのではと危惧していた。
コンコン!
皆が言葉を失っている中扉を軽く叩く音がした
「療養中失礼します。入ってよろしいでしょうか」
「ああっ、構わないよ」
ユーリは即答で応じる。彼は内心でこの憂鬱な雰囲気を変えてくれるかもしれない兵士に口に出さず感謝した。
「失礼します」
入ってきたのはアルバレア兵。彼はユーリが横たわる寝床とカイルたちの前まで歩み寄るとひざまづく。
「どうした?」
「はっ! アルバレア王宮から神竜の巫女様とシスターキットがお越しです。ただ……」
「?」
言いよどむ兵士にユーリは首をかしげる。
「カイル王子…またお付きの方々は外まで来ていただけませんか? 確認して頂きたいことが」
「え……?」
思わぬ呼び出しを受けたカイルはユーリの方を見る。ユーリは兵に尋ねる。
「カイル王子に失礼を働く気ではないだろうね?」
「滅相もありません。」
兵士は強く否定する。
「そうか。此度の戦で指揮を執ったのはカイル王子だ。だがカイル殿に指揮を委ねたのは他ならぬ私だ。もし責めるのならカイル殿ではなく私を責めろ」
「とんでもございません。指揮だけで勝てるほどジーンは甘い男ではありません。それに小官らもカーシャ殿なら何とかしてくれると甘えていた部分があります。カイル様やユーリ様に責任を押し付けるなどとてもできません」
「ならばいい」
そこまで言うとユーリはカイルの方を見る。
「行ってあげてください。カイル王子を中傷させる真似は禁じました。それでも貴公を悪く言うものがいれば私に言ってください。灸をすえます」
「い、いえそこまでしていただかなくても、……それに責められても仕方がないと思っています。僕がうまく指揮をとれていれば損害を抑えるくらいはできたかもしれないのに」
「な…なあ。そろそろ行かねえか? チキもシスターさんも待っているぜ」
また自責を始めるカイルを見ていられずルッツは外へ出ようと促す。
「ああすまない。ではユーリ様、私たちはこれで」
「ええ、巫女様も退屈し始めるころでしょう。行って来て差し上げてください」
ユーリに見送られ兵士に案内されカイルたちは外へ出る。
ヒィィン!
そんな彼らを出迎えたのは天馬だった。
「うわっ!」
カイルは思わずひるむ。
「どうどう、そろそろおとなしくしてくれ、ほらご主人様のお友達だぞ」
暴れる天馬を赤毛の若者がなだめる。
「カイル! 大丈夫だった? ヴァルムにやられちゃったって聞いたけど」
そこへチキがカイルにすがりつく。その後ろからキットがついてきた。
周りにはチキたちを護衛して来たアルバレア兵たちもいる。
「ああ、僕は大丈夫だ。他の皆は……」
カイルが横を向くとルッツたちが応じる。
「おう、かすり傷を負ったが杖を当てられた途端この通り元気さ!」
「体がなまってたからな。崖を下るくらいいい運動になったくらいだ」
腕まくりをするルッツとそっけなく話すベルモットはそれぞれ壮健だと言う。
「ただ……その……カーシャは」
だがカーシャのことをごまかすわけにもいかずカイルはたどたどしく話そうとする。だがチキは――
「あ……うん。知ってる。この子から聞いたから」
「え……?」
チキに倣ってカイルも天馬を見る。
「あ……もしかして、これ…カーシャの天馬?」
言われてみると天馬に装着されている鞍などはアカネイアの天馬騎士団の者だ。そしてパレスの惨事を生き残っているわずかなアカネイア天馬騎士の中でもヴァルム大陸に来ているのはカーシャただ一人だ。
アルバレア兵がカイルたちに確認させたいこととはこの天馬の事だったのだ。
「……そうか生きていたのか。すまない。助けるどころか生死を確認する暇もなかった」
ベルモットは申し訳なさそうに謝りまだ荒れる天馬を撫でる。すると天馬は幾分か大人しくなった。天馬は男には心を許さないと言う。男になだめられるより女のベルモットが撫でた方が効果的のようだ。
「いやー気にしなくていいぜ。こいつの機嫌が悪いのは俺のせいだから」
天馬を撫でるベルモットに赤毛の若者が声をかけてきた。
「……お前は?」
「俺か。その天馬を助けてここまで連れてきた恩人さ」
赤毛の若者はそう言って頭の後ろに手を組んだ。
「……」
ベルモットは若者を胡散臭そうに見る。
「もう! ちゃんと自己紹介しないと駄目でしょう。ベルモット気にしないで、彼はこういう人だから……みんな紹介するね。この人はチェイニー。私の友達だよ」
「え……チキの?」
「うん! 私とキットがアルバレアの兵士さんと一緒にここに来る途中で会ったの」
チキの紹介にカイルは驚く。チキの友達ということはノーヴァ教国の関係者だろうか。それにしては軟派すぎる。
「……ん? お前さん」
チェイニーに対してカイルが訝しく思っているとチェイニーはカイルに近づいてきた。
「……マルスにそっくりだが……その聖痕はナーガの……」
チェイニーはカイルの右目を見てぶつぶつ言っている。
「チェイニー殿? ……あの……この眼は僕の体質で大したものでは」
「ああ、いきなりで悪いな……お前さんアカネイアって国の王子かい?」
カイルの言い訳も聞かずチェイニーはカイルに尋ねる。
「あっ! これは申し遅れました。私はアカネイア王国の王子カイルと申します。カーシャの天馬ケリーを助けていただいてありがとうございます!」
カイルの礼にチェイニーは手を振っていいと言い質問を続ける。
「アカネイアの王子ってことはマルスの子孫か。じゃあ親戚に別の大陸…ユグドラルってとこから来たって人はいないか?」
「!?」
カイルは驚く。
カイルの母ユリナがユグドラル大陸から来たことはアカネイア王家を少し調べればわかることだろうが、それにしてはチェイニーという若者はカイルがアカネイアの王子だと言うことは知らなかったようだが。
「私の母、王妃ユリナがユグドラル大陸グランベル王国のバーハラ公爵家の出だったと聞いております」
「そうかそうか。なら聖痕が出ていても不思議はないな。……あの家系では額に出るはずなんだがアカネイアに来た影響か? ……それともファルシオンの――」
チェイニーは聞きたいことを聞くと納得しまた別の疑問がわいたらしくぶつぶつ言った後黙り込んでしまった。
そんなチェイニーに皆が困惑し、たまらずカイルは気になっていたことを聞くことにする。
「チェイニー殿。ところで先ほどあなたはマルスと言いましたがまさかあなたは…」
普通ならば自分の知ってるマルスとは別人だと思うだろう。しかしチェイニーはチキの友人でしかも自分のことをマルスに似ていると言った。
ならば彼の言ってるマルスはアカネイア連合王国の祖・英雄王マルスのことでチェイニーの正体は――
「ああチキと同じ神竜族さ! お前さんの祖先のマルスとは知り合いさ。一緒に2度もメディウスと戦ったことがある」
「そうだったんですか!」
カイルは2重の意味で驚く。チキから神竜族はもうほとんど生き残っていないと聞いていた。その上もう一人の神竜もマルスと一緒に戦ったことがあるなんて!
「ああでも神竜になって戦えとか言うなよ。俺は神竜石を捨てた。神竜どころか他の竜にもなる気はない。今のチキの代わりを期待しているところ悪いが」
「チェイニー様!」
「あっ、悪い悪い」
チキがもう何度も神竜になれないと知りながらついそんなことを言ってしまったチェイニーにキットは一喝した。
「いいよ。本当の事だから」
チキはそう言ってキットをなだめる。チェイニーはばつが悪そうにしてから表情を戻しカイルに目線を戻す。
「…で、俺は戦力としては役に立たないわけだ。すまない」
「いえ、暗黒竜やギムレーのような竜を倒すのはマルスの家系の役目。元よりチキや他の神竜にすがろうとは思っていません」
自分の未熟さを置いてカイルは宣言する。せめてギムレーをこの手で倒さなくては自分は祖国や先祖に向ける顔がないだろう。
「真面目だねぇ。性格もマルスそっくりだ」
「そ、そうでしょうか?」
マルスとそっくりというチェイニーの言葉にカイルは照れながらそうかと尋ねる。
マルスが不真面目だったとは思わないが、醜態を見せてばかりの自分がマルスに似ているとは思えない。
「おうともさ、お前さん……ええと――」
「カイルだよ」
チキに教えられチェイニーは続ける。
「そうそうカイル。俺にもタメ口で話せよ。マルスみたいな顔で敬語使われても変な感じがする」
「そ、そうかな?」
「ああっ!」
「わかったそうさせてもらうよ。チェイニー」
カイルはうなずき。話を続ける。
「でも天馬をここまで連れてきてくれたって聞いたけど大変だっただろう。男は天馬に乗ることができないから」
「ああ、それはだな…」
そこでなぜかチェイニーは顔を泳がせる。
「うーん……」「……」
チキとキットも気まずそうな顔をしている。チキたちに同行した兵士たちも話を聞いて目を揉む仕草をした。
「??」
彼らの様子にカイルは疑問符を浮かべる。
「そ、それよりその天馬のご主人様だ! そいつ助けなきゃならないんじゃないか」
なぜかごまかすようにチェイニーは天馬の主人カーシャのことに話題を変える。
「うん! 幸いにもヴァルム軍は追撃してこなかった。アルバレア軍と僕たちアカネイア軍はユーリ様の傷が治り次第ヴァルム皇宮へ攻め込むことになるだろう。ただそれまでカーシャが無事だといいんだけど……」
カイルが気丈にふるまえたのはそこまでだった。捕虜になっても名の知れた貴族なら取引のために自害せぬよう、傷一つ付けぬよう丁重に扱われるが、下級貴族ましてや平民の捕虜はひどい扱いを受ける。
カーシャは平民で出身はマケドニア、正確にはアカネイア人ではない。だからヴァルムから見れば平民以下だと思われてもおかしくない。その上カーシャは粗野だがどちらかと言えば美人の部類に入る。屈辱的な目に遭っている可能性の方が大きい。
「……ぐっ」
自分の至らなさのせいでカーシャをそんな目に合わせている。叶うなら誰かに自分をぶん殴ってほしいくらいだ。
「カーシャ様ならご無事ですよ」
「え?」
陰鬱な気分に沈んでいるカイルにキットがそう言った。
「カーシャ様は軟禁されているものの特別な待遇を受けています。捕虜というより客人ですね」
「え? え?」
キットが何を言っているのかわからない。
今まで見守ってたルッツも天馬を撫でていたベルモットも目を丸くする。
「あの…シスター、慰めてくださるのはうれしいのですが、さすがに希望的観測が過ぎるのではと…」
気休めに無事だと言ってくれるだけならまだわかる。だが好待遇を受けているというのは虚言が過ぎると言うものだろう。
「いいえ根拠はあります。我々ノーヴァ教国は大陸中に信徒を持つバレンシア教の総本山です。大陸中に影響を持ち教国の要請通りに動いてくださる協力者も各国にいます。……ファルス様は過去の遺物を崇める宗教だと軽んじておられますが」
キットの説明の意味をカイルは察する。
「各国に協力者が…まさか!」
「はい! ヴァルム帝国にも国の内情を教えてくれる間者に近い信徒がいます。それも皇宮内部で高い地位についている方が……彼女からの情報です」